伊古奈比咩命神社(いこなひめのみことじんじゃ)は 三嶋大社の元宮とされ 神社の縁起に「この神 三宅島よりここに遷り 後更に 三島に遷座す」とあります 鎮座地 白浜海岸にある丘陵「火達山(ひたちやま)」は 古代から 伊豆半島から伊豆諸島に向けて神に祈り祀る祭祀遺跡で 祭神は伊豆諸島の開拓神「御島神=三嶋神」と その后神「伊古奈比咩命」が祀られます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
伊古奈比咩命神社(Ikonahime no mikoto shrine)
(いこなひめのみことじんじゃ)
[通称名(Common name)]
白濱神社(Shirahama Shrine)
(しらはまじんじゃ)
【鎮座地 (location) 】
静岡県下田市白浜2740
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》伊古奈比咩命(ikonahime no mikoto)(三嶋大明神の後后)
《配》三嶋大明神(mishima daimyojin)
見目(mime)(三嶋大明神の随神 女神)
若宮(wakamiya)(三嶋大明神の随神 男神)
剣ノ御子(tsurugi no miko)(三嶋大明神の随神 男神)
【御神格 (God's great power)】
・八方厄除 Pray in every direction, except for trouble
・縁結び Deepen connections and intimacy with people
・海上安全 Maritime safety
・大漁満足 Good harvest and big catch
・商売繁盛 Wishing business prosperity
・安産 Healthy childbirth
・交通安全 Pray for Traffic safety
・家内安全 Safe and comfortable home life
・等etc
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社 名神大社
・ 別表神社
【創 建 (Beginning of history)】
白浜神社縁起によれば 第6代孝安天皇6年に「この神 三宅島よりここに遷り 後更に 三島に遷座す」とあり 島より渡来した神が鎮座したものとされています
御祭神、三嶋大明神は今から2400年前、見目、若宮、剣の御子と共に南方より黒潮に乗って北上し、伊豆の白浜に上陸しました。
富士の大神様より伊豆の土地を譲って頂き、南伊豆の下賀茂より后神として伊古奈比命を迎え、白浜に鎮まり、後に伊豆七島を造られた神様です。
静岡県神社庁公式HPより
【由 緒 (history)】
伊古奈比咩命神社の御祭神の三島大神(別名事代主神)は、その昔(今から2000年以上も昔のことです。)南のほうから海を渡ってこの伊豆にやって来ました。
伊豆でも特にこの白浜に着かれたのは、この白砂の浜があまりにも美しかったからです。
そして白浜に着いた三島大神は、この伊豆の地主であった富士山の神様に会って伊豆の土地を譲っていただきました。
さらに、三島大神は 伊豆の土地が狭かったため、お供の見目の神様、若宮の神様、剣の御子と、伊豆の竜神、海神、雷神の助けをかりて、島焼きつまり島造りを始めました。
最初に1日1晩で小さな島をつくりました。
初めの島なので初島と名付けました。
次に、神々が集まって相談する島神集島(現在の神津島)、
次に大きな島の大島、
次に海の塩を盛って白くつくった新島、
次にお供の見目、若宮、剣の御子の家をつくる島、三宅島、
次に三島大神の蔵を置くための御蔵島、
次に沖の方に沖の島、
次に小さな小島、
次に天狗の鼻のような王鼻島、
最後に10番目の島、十島(現在の利島)をつくりました。
7日で10の島をつくりあげた三島大神は、その島々に后を置き、子供をつくりました。
この后々や子供達は、現在でも伊豆の各島々に式内社として祭られています。三島大神は、后達やその子供達を大変愛していましたが、その中でも伊古奈比咩命は特に愛され、いつも三島大神のそばにいました。
大神は、三宅島に宮をつくり、しばらくの間三宅島に居ましたが、その後 最愛の后である伊古奈比咩命とお供の見目、若宮、剣の御子を連れて再び白浜に帰って来ました。
そしてこの白浜に大きな社をつくり末長くこの美しい白浜で暮らしました。それが、この伊古奈比咩命神社です。「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・二十六社神社(nijuroku sha shrine)
(大正10年(1921)の遷宮の時 境内社26社を1社に合祀
元々は 社家の各家で氏神として祀られていました)
1.少彦名命神社 2.御子神社 3.応神天皇社 4.須佐之男命神社 5.天児屋根命神社
6.天水分命神社 7.天照皇大神社 8.級長戸辺神社 9.木花咲耶姫命神社 10.瀬織津姫命神社
11.倉稲魂命神社 12.豊宇気比売命神社 13.経津主命神社 14.熊野神社 15.海津見神社
16.海津豊玉彦神社 17.大年神社 18.石長比売命神社 19.若宮神社 20.亥神社
21.大雷神社 22.高皇産霊神社 23.金山毘古命神社 224.金山比売命神社 25.大山祇神社
26.豊受大神宮
・砂村稲荷神社
・目の神社
《主》目大神
・見目弁財天社(mime benzaiten)
《主》見目神(mime no kami)
境外末社 (伊古奈比咩命神社(白濱神社)の旧鎮座地とされています)
・十二明神社(juni myojin sha)
《主》大楠命・小楠命・御代徳命・感農八甕命・横池命
・伊迦命・知宇命・尾健御子命・尾健比命・見多諾命
・伊豆奈比咩命・穂便感応命
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内 名神大社
[旧 神社名 ] 伊古奈比咩命神社(名神大)
[ふ り が な ](いこなひめのみことの かみのやしろ)
[How to read ](ikonahime no mikoto no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
伊古奈比咩命神社(白浜神社)の旧鎮座地「十二明神社」について
・十二明神社(juni myojin sha)
《主》大楠命・小楠命・御代徳命・感農八甕命・横池命
・伊迦命・知宇命・尾健御子命・尾健比命・見多諾命
・伊豆奈比咩命・穂便感応命
伊古奈比咩命神社(白浜神社)の旧鎮座地とされている「十二明神社」の場所
伊古奈比咩命神社(白浜神社)の北西「神明(kami ake)の地」です
R135号から 下田プリンスホテルの前の細い道を上がっていくと右側に鎮座しています 白濱神社から徒歩7分程度
鎮座地の地図
現在は 境外末社となっていますが
伊古奈比咩命神社(白浜神社)の旧鎮座地「神明(kami ake)の地」とされています
国立国会図書館デジタルコレクション『伊古奈比咩命神社』出版昭和18参照
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123608p138~p139に 次のように記されています
「 さて 白濱に於ける最初の鎮座地が 前記 神明の地であったことは、伝説のみならず遺址に残る口碑其他からしでも信じてよいであろうと思ふ
即ち この地は高根山の酉麓に位し 現社地の西北方から湾入する一渓谷に臨む所で 現に同所小学校には御神楽殿・御手洗等の地名を存し、今なほ神威を畏れて肥料を施さない畑や 忌服の者の踏まないといふ所もある。
・・・・・・・・・・・・・
なほ「神明 カミアケ」の名は「ミヤケ」と同一であって、何れも三嶋紳と縁故を有するとの考察も、又 すべてに肯定し得ないとしても 決して捨て去るべき推定ではあるまい 」
「十二明神社(白浜)」の御祭神について
国立国会図書館デジタルコレクション『伊古奈比咩命神社』出版昭和18参照
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123608 p138~p139に記されていて
「神明(kami ake)周辺(神楽・森・神明・御手洗等)に鎮座していた神々を合祀したのですが その神社名も極めて特殊なもので 三宅記に見える三嶋神の一族神で 三嶋大社の摂末社と一致している」
このことから 社誌では当地が三嶋神(三嶋大社)の旧鎮座地に相当すると見ています
別説として 当地「神明(kami ake)の地」を天長9年(832年)以前の「三嶋神・伊古奈比咩命」の鎮座地とする伝承もあります
又境外地ではあるが、本社の旧社地であると云われている 神明と云う所にある末社には 本社と大変関係の深い十二の社 が合祀されている。その十二社は左の通りである。
大楠命、小楠命、御代徳命、感農八甕命、横池命、 伊迦命、知宇命、尾健御子命、尾健比命、見多諾命神社、伊豆奈比命、穂便感應命、白濱神社 境内案内板より
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
伊豆急下田駅から R135号経由 約5.5km 車15分程度 白浜海岸に鎮座
R135号沿いに 社頭には 宮前川に掛かる赤い太鼓橋があります
「門かぶりの松」ではなく「門かぶり柏槙(びゃくしん)の古木」があり これだけでも由緒を感じます
伊古奈比咩命神社(ikonahime no mikoto shrine)に到着
橋を渡ると 朱色の鳥居が建ちます
右手前の案内には「伊豆最古の宮」と書かれます その後ろに狛犬
左手前に社号標「式内大社 伊古奈比咩命神社」があり その横に狛犬
白浜に鎮座するので通称名は白浜神社と呼ばれます
朱色の鳥居の扁額には「白濱神社」とあります
石畳の参道は 左右にうねるように続きます
一礼して鳥居をくぐり抜けます
左手に手水舎があり 清めます
参道の右手に 枯れてから千三百年という「白龍の柏槙」
参道の左手に洞の中に薬師像が安置されている御神木 樹齢二千年の「薬師の柏槙(やくしのびゃくしん)」があります
広い境内の右手には社務所 奥には 拝殿があります
境内の左手の境内社にお詣りします
・見目弁財天社(mime benzaiten)
《主》見目神(mime no kami)
縁結び神社ともされていて 三嶋大神の随神とされています
僅かに弧を描く参道を拝殿にすすみます
自然石の社号標には「伊豆國一之宮 白濱大社」とあります
拝殿までには 石灯篭 狛犬 御神燈の先に 4段程の石段を上がります
この石段の石柱に張り付くように小さな狛犬が構えます
拝殿の彫刻は 繊細で秀麗な彫りです
扁額には「伊豆弎嶌神社 伊古奈比咩命神社」とあります
「伊豆三島神社 伊古奈比咩命神社」と 並列に書かれています
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の後方 丘の上に本殿が建っています
本殿へは 境内の左手奥から 廻り込むように通じる参道があります
本殿への参道入口には 朱色の鳥居があり その先の左右に小さな朱色の鳥居が建ちます
境内社にお詣りします
右手には 砂村稲荷神社
左手の階段上には
・二十六社神社(nijuroku sha shrine)
(大正10年(1921)の遷宮の時 境内社26社を1社に合祀 元々は 社家の各家で氏神として祀られていた)
さらに本殿への参道を上がって行くと参道は右にカーブします
その参道左手に境内社がありお詣りです
・目の神社
《主》目大神
説明書きには 昔 あすなろの木があり 幹に大きなこぶがあって その中の水で目を洗うと 眼病が治るという言い伝えがあったと記されています
ここに参道の両側に「御神燈」が掲げられて 参道の中央に「これより 御本殿 神域」と立札があり 玉垣が廻されていて 朱色鳥居が建ちます
一礼して鳥居をくぐり抜けると 張り詰めたような清らかな気が漂い 正しくご神域です
さらに参道に立札があり「これより中は神域です お参りの方以外の入場を禁止します 社務所」とあります
その先に20段程の石段があり 内玉垣が廻らされて「ご神前」の立札があります 御神門が見えてきます
今上がってきた参道は 一般の参拝客が 左側から登っていくもので 拝殿から本殿へ一直線に登る階段もあり これは「神様」もしくはご神職の通られる参道のようで垣で塞がれています
本殿の境内地の御垣内に流造の本殿が建ちます
神門までは進めますので
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
参道を戻り 鳥居をくぐり 振り返り一礼します
下の境内に戻り 神札授与所に立ち寄り ご朱印などを受けます
境内を後にして 神社裏手の「大明神岩」にある 海に向かって建つ鳥居に向かいます
裏手に廻ると
伊豆諸島を祀る古代遺跡の白浜海岸の丘陵「火達山(hitachi yama)」が良くわかります
白く立ち枯れた「柏槙(びゃくしん)」 とても雰囲気があります
白い砂の先に「大明神岩」があり鳥居が見えてきます
潮が引いているので 海岸を歩きます 「大明神岩」は白浜の中央辺りに位置します 白浜大浜が一望できます
鳥居まで進み
伊豆諸島の神々「御島神」に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
白浜神社縁起によれば第6代孝安天皇6年に「この神 三宅島よりここに遷り 後更に三島に遷座す」とあり 島より渡来した神が鎮座したものとされています
『日本後紀(nihon koki)』逸文 天長9年(832)年5月癸丑(22日)条には 社地に関して記されています
記載文は 伊古奈比咩命神社(ikonahime no mikoto shrine)と三嶋大社(mishima taisha)が 2社ともに下田市白浜に鎮座していた時の描写とされています この時に御神威を示したので「名神」を預かっています
原文
「伊豆国言上 三島神 伊古奈比咩神 二前預名神 此神塞深谷摧高巌 平造之地 二千町許 作神宮二院 池三処 神異之事 不可勝計 」意訳
「 伊豆国から言上がありました
三島神(三嶋大社)と伊古奈比咩神(下田白浜神社)の二前 名神を預かる
この神は 塞がれた深い谷の摧高な巌にあります
平造の地を二千町許します 造るのは 神宮「二院」制と池が三箇所です
神が異なる事は 不可勝計(あげてかぞふべからず) 」
「伊豆の島焼き(しまやき)」
三島大明神と随神の伝説の昔話です
『南国伊豆の昔話』[社団法人 下田青年会議所発行]より http://minwa.matsurino.com/index-2.htm
要約
「 遠い昔 富士の大神さまは 眼下に広がる大海原を見て 国を焼き出したなら すばらしい国ができると思い 海の底に片腕をつっこみました
すると 海の中から火が吹きあがり 昼も夜も火はあかあかともえ続け 海の中に突き出た国「出ずの国」(伊豆の国)を焼き上げました
われながら すばらしい国ができた ながめる景色も美しいと 富士の大神さまは ひどく満足しておりました
けさも いつものようにながめていますと 下の方から一人のみなれない男が登ってくるのが 目にとまりました その男は大神さまの前までくると
「私は 天竺(インド)から渡って来た王子です 継母とのいさかいがもとで 父王のいかりにふれ 私のすむところをもとめて はるばる日本の国まで やってまいりました 」
富士の大神さまは その男の話を じっとおききになっておられましたが 話し方といい 態度といい じつにりっぱな男だと思われました
「して 何しにきたのじゃ」
「はい 私のすむ土地を 与えてほしいのでまいりました」
正直そうなこの男が気にいりましたので「そうか それなら南の方を見るがよい 私が焼き出した伊豆の国だ そなたに伊豆の国を与えよう」王子は お礼をいうと すぐに伊豆の国に行き さっそく くまなく歩きました 歩いてみればみるほど 伊豆の国は景色も美しく 海の幸 山の幸にもめぐまれているところでした
王子はすっかり気にいり 国づくりにはげめばはげむほど 伊豆の国はせまい もう少し土地がほしいと思うようになり そこで 王子は富士の大神さまのところに行きました
「大神さま もう少し土地がほしいのです」
王子の国づくりを見ておられた 大神さまは
「よしよし それでは広い海をあげるから そこに島を焼き出すがよい しかし その前に一度天竺に帰り父王に 今までのことを話してくるがよい」とおっしゃいました王子は白浜の浜から 船出して 父王のところに帰り 日本の国のことを話しますと 父王もお喜びになり いかりもといてくださいました
王子は 喜びいさんで すぐに日本の国に向つて 天竺を船出しましたところが 途中であらしにあい 船は丹後(京都)の国に 流れ者きました
長い航海と あらしですっかりつかれきった王子は 海辺の一軒の家に 食事と宿をおねがいにいきました
そこには 百済の国(朝鮮)から渡ってきたという 三百二十才にもなる老夫婦と 見目 若宮 剣宮の子どもたちが すんでおりました
王子が 伊豆の国の話をしますと 翁は
「三人の宮をつれていくがよい そしてあなたは 三島明神と名のりなさい」といわれました明神は すっかり元気をとりもどすと 三宮をつれ船旅を続け やっと白浜の美穂ケ崎に着きました
明神は すぐに富士の大神さまのところに 帰ってきたこと 父王の話をすませ 伊豆の海中に島焼きにとりかかりましたかしこい見目は 海竜王 白竜王 青竜王をはじめ 多くの竜王をつれてきました 若宮は 火の雷を呼び 剣宮は水の雷を呼んで 島焼きをはじめました
富士の大神さまからもらってきた 三つのおきな石を竜王が 海にうかべると それを火の雷が焼き 水の雷がこれに水をそそいで冷やしました
すると たちまち炎は天までとどき 海中はにえたぎり 一日一晩で 一つの島ができました神々は 初めての島なので、「初島」と名づけました
二番日には 島焼きをする神々が集まる島 神集島(神津島)
三番目は大島
四番目は 海の塩をもったような白い島 新島をつくり
五番目には 若宮 剣宮 見目の家をつくるための三宅島
六番目には 明神のお蔵をつくるために 御蔵島をつくりました
七番目には はるか南のはてに 沖の島
八番目には 小島
九番目には 天狗の鼻のような王鼻島
十番目の島は 十島(利島)とそれぞれ名づけられました富士の大神さまは 伊豆の国が 三島明神を中心にに栄えていくのを ひどくお喜びになられました
若宮 剣宮 見目の三人の神さまをまつって 三島明神と呼ぶのですが
三島大社とまぎれやすいので 白浜明神とあらためて 呼ぶようにしたとのことです
縁起によれば「この神 三宅島よりここに遷り 後更に三島に遷座す」とあり 伊豆諸島の開拓神「御島神=三嶋神」と后神「伊古奈比咩命」を祀ります 鎮座地の白浜海岸の丘陵「火達山(hitachi yama)」は 古代から伊豆諸島を祀る祭祀遺跡として 今でも伊古奈比咩命神社の祭祀が続けられています
伊古奈比咩命神社(ikonahime no mikoto shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
三島神を祀る 三嶋大社の記事もご覧ください
三嶋大社(みしまたいしゃ)は 古くから伊豆諸島の噴火・造島活動を司る神として 朝廷の尊崇を受ける 伊豆国一之宮です 平安中期以降に伊豆国賀茂郡から現在地に移ったとされ 平安末期には源頼朝が 源氏の再興を願い参詣祈願の後 治承4年(1180)旗挙げを果たし 鎌倉武家政権を樹立し 鎌倉幕府崇敬の神社となり 現在に至ります
三嶋大社(三島市大宮町)〈延喜式内社 名神大社・伊豆國一之宮〉
伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る
伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について