井田神社(いだじんじゃ)は 創建は不祥ですが 元々は倉稲魂命を祀っており 嘉祥元年(848)悪疫流行の際 山城国 石清水八幡宮より誉田別命・気長足姫命の二柱を勧請したと伝わる 延喜式内社 但馬國 氣多郡 井田神社(ゐたの かみのやしろ)です 中世には下津谷伯耆守の居城〔伊福城〕があり 伊福部氏と関係があるのでしょうか
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
井田神社(Ida shrine)
【通称名(Common name)】
・伊福八幡社(いふくはちまんさん)
【鎮座地 (Location) 】
兵庫県豊岡市日高町鶴岡字城山122
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
《配》誉田別命(ほむたわけのみこと)
気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
由 緒
創祀は不詳ではあるが、元々は倉稲魂命を祀っていたが嘉祥元年(848)悪疫流行の際、山城国石清水八幡宮より誉田別命・気長足姫命の二柱を勧請したと云う。
2008 兵庫県神社庁HPより
https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6322215.html
【由 緒 (History)】
『但馬地誌略』に記される内容
【抜粋意訳】
壽留喜嶽は 郡の東南隅蓼川の南岸に聳え、此の郡及び 出石 養父の三郡に跨る、高山なり、其山脈續きて八幡山となる、此の山頗る高峻たらすと雖も、往昔 下津谷伯耆守の居城なり、今に古城趾を存す、鬱林中に井田神社、楯縫神社を鎮坐す、山下に一小邑あり、多々谷と云ふ、是より北して上ノ郷 中ノ郷 引野、土淵、加陽、清冷寺、八社宮等 蓼川の東邊に連れり、河の両邊の景色頗る風致、此の河往時 氣多川と呼びしが、嘗て源頼光任を受けて国府に在りしき、頌歌せしを以て此名あり、上ノ郷に大己貴神を祭る氣多神社と名く、社格は郷社なり、其背後に一城跡あり、赤木ノ城と云ふ、・・・・
【原文参照】
伊村則功 編『但馬地誌略』,鳩居堂,明13.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765809
伊村則功 編『但馬地誌略』,鳩居堂,明13.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765809
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・井田神社 本殿〈本殿前に随神あり〉
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・井田神社 社殿
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・井田神社 拝殿
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・境内社 稲荷神社《主》保食神
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・参道石段
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・鳥居
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・井田神社社叢
日高町指定〔史跡・名勝天然記念物〕
天然記念物 井田神社社叢
指定年月日 昭和五十九年三月三十日
所 在 地 日高町鶴岡
所 有 者 井田神社井田神社の社叢は、標高一七 mの円山川右岸より七七•二 mの伊福古城跡までの面積八七九二㎡にわたり、暖地性植群落を形成している。社叢には、シイ、カシの巨木を始め、三十箱の樹木があり、品種別にすればさらに膨大な数にのぼる。特にカゴノキ (正体不明でなんじやもんじやの木と呼ばれた )の珍木が大小十数本自生していることは貴重である。
羊歯類、草本類の植物も数多く自生し、展望は雄大且つ絶景であり、学問的価値も高い。
日高町教育委員会
現地案内板より
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・楯縫神社(豊岡市日高町鶴岡字保木)
〈楯縫神社は 明治15年以降 円山川対岸の井田神社に合祀されていました
昭和22年(1947)現在の(豊岡市日高町鶴岡字保木)に遷座しました〉
延喜式内社 但馬國 氣多郡 楯縫神社(たてぬひの かみのやしろ)
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楯縫神社(豊岡市日高町鶴岡字保木)〈延喜式内社〉
楯縫神社(たてぬいじんじゃ)は 白鳳時代(645~710年)の往昔 出雲国から丹波国を経て当国〈但馬國〉で栄えた楯縫連(たてぬいのむらじ)が 遠祖 彦狭知命を楯屋丘 多田谷に祀ったのが始りと伝わる 延喜式内社 但馬國 氣多郡 楯縫神社(たてぬひの かみのやしろ)です 昭和22年(1947)現在地に遷座奉祀されました
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)但馬国 131座(大18座・小113座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)気多郡 21座(大4座・小17座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 井田神社
[ふ り が な ](ゐたの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ita no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式』に 「ゐたの かみのやしろ」の音を持つ 式内社の類社について
延喜式内社 伊賀國 伊賀郡 猪田神社(ゐたの かみのやしろ)
・猪田神社(伊賀市下郡)
・猪田神社(伊賀市猪田)
延喜式内社 伊豆國 那賀郡 井田神社(ゐたの かみのやしろ)
・井田神社(沼津市井田)
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井田神社(沼津市井田)〈『延喜式』井田神社・『伊豆國神階帳』ゐたの明神〉
井田神社(いだじんじゃ)は その歴史は古く 慶長12年(1607)の上梁文には゛井田荘七箇村鎮守 井田明神゛とあり 『伊豆國神階帳(康永2年(1343)』には゛従四位上 ゐたの明神゛ さらに『延喜式927 AD.』には 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 井田神社(ゐたの かみのやしろ)と所載される由緒を持ちます
・気多神社(沼津市内浦三津)
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気多神社(沼津市内浦三津)〈『延喜式』阿米都瀬氣多知命神社・井田神社の論社〉
気多神社(きたじんじゃ)は 社記によれば 貞観元年(859)に当地に鎮座したと云い 祭神は意氣長多羅司姫命(おきながたらしひめのみこと)〈神功皇后〉とされます 二つの式内社〈阿米都瀬氣多知命神社(あめつせのけたちのみことの かみのやしろ)・井田神社(ゐたの かみのやしろ)〉の論社となっています
延喜式内社 但馬国 気多郡 井田神社(ゐたの かみのやしろ)
・井田神社(豊岡市日高町鶴岡字城山)
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井田神社(豊岡市日高町鶴岡字城山)〈延喜式内社〉
井田神社(いだじんじゃ)は 創建は不祥ですが 元々は倉稲魂命を祀っており 嘉祥元年(848)悪疫流行の際 山城国 石清水八幡宮より誉田別命・気長足姫命の二柱を勧請したと伝わる 延喜式内社 但馬國 氣多郡 井田神社(ゐたの かみのやしろ)です 中世には下津谷伯耆守の居城〔伊福城〕があり 伊福部氏と関係があるのでしょうか
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR山陰本線 江原駅からR4852号経由で東へ約3.2km 円山川に架かる鶴岡橋を渡り 円山川の東岸にあります
井田神社(豊岡市日高町鶴岡字城山)に参着
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現在は鳥居の前まで道が付いているが 元々は円山川の対岸から 船によって参拝していたたようです
ここは円山川の東岸で 鳥居の正面は開けていて すぐ下に円山川が流れています
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その場所に立つと 東河岸に船着場があり 船着場まで石段が続いています
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かつては この船着き場から 参道石段を上がったのだと思われます
一礼をして 鳥居をくぐり 参道石段を上がります
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石段を上がり切ると 平坦な参道となっていて その先でもう一段高い場所に境内があり 社殿が建てられています
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拝殿にすすみます
゛井田神社 祭典次第゛が掲示されていました
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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社殿に一礼をして 参道石段を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
延喜式 井田神社について 祭神・所在は不祥と記しています
【抜粋意訳】
井田神社
井田は 假字なり
〇祭神 在所詳ならず
類社
伊賀國 伊賀郡 猪田神社の條見合すべし
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 井田神社について 所在は゛今 伊福村にあり、八幡宮といふ゛〈現 井田神社(豊岡市日高町鶴岡字城山)〉と記しています
【抜粋意訳】
井田(ヰタノ)神社
今 伊福村にあり、八幡宮といふ、
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 井田神社について 祭神は゛大宜都比賣命゛
所在は゛伊福村(城崎郡日高村大字鶴岡)゛〈現 井田神社(豊岡市日高町鶴岡字城山)〉と記しています
【抜粋意訳】
井田神社
祭神 大宜都比賣命
祭日 九月十五日
社格 村社所在 伊福村(城崎郡日高村大字鶴岡)
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
井田神社(豊岡市日高町鶴岡字城山)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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但馬國 式内社 131座(大18座・小113座)について
但馬国(たじまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 但馬国には 式内社 131座(大18座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています