火戸寄神社は 「ホドリ」という社名です 三宅島では 噴火の噴気孔を「ホド」と呼ぶことから 山側にある「コシキ山噴火口(三宅島火山)」を祀る神社ともいわれています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
火戸寄神社(Hodori Shrine)
(ほどりじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
東京都三宅島 三宅村阿古
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》迦具突智神(kagutsuchi no kami)とも伝わります
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・富賀神社(Toga Shrine)の「四社の宮」見目宮(mime Shrine)の元宮
【創 建 (Beginning of history)】
不詳
【由 緒 (history)】
ほどり
火戸寄神社この神社には、迦具突智神(かくつちのかみ)が祀られている。迦具突智神は剣を創造した神であり、神話時代、事代主命(ことしろぬしのみこと)の命により錆ヶ浜に姫を追って来た大蛇を退治した剣は、その時に作った剣であり時間がないため神剣を引きのばして作ったといわれている。壬生家に保存されている神剣は、この時作られたもので引きのばした跡があるという。
三宅島では噴火の噴気孔を「ホド」といい、「ほどり」という社名からみても「コシキ山噴火口」を祀る神社ともいわれている。
当社は、富賀神社の四社の宮として神社庁の公認するところである。
三 宅 村
現地案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
火戸寄神社(Hodori Shrine)は
富賀神社(Toga Shrine)の「四社の宮」見目宮(mime Shrine)の元宮です
富賀神社(Toga Shrine)の「四社の宮」とは『三宅記(miyakeki)』に「三島大明神の随神」として記される4柱の神を祀る神社です
①壬生宮(Mibu Shrine)
《主》壬生御館実秀(Mibu no mitachi sanehide)
※御祭神は『三宅記(miyakeki)』に記される三嶋大明神の初代奉斎者「壬生御館実秀(Mibu no mitachi sanehide)」です 神職家の壬生家の始祖とされます
➁若宮(Wakamiya Shrine)
《主》物忌奈命(monoimina no mikoto)
➂見目宮(mime Shrine)
不詳
《主》迦具突智神(kagutsuchi no kami)とも伝わります
④劔宮(Tsurugi Shrine)
《主》剣の神(Tsurugi no kami)
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
・富賀神社(Toga Shrine)の「四社の宮」とは
富賀神社(Toga Shrine))の境内社「四社の宮」には それぞれ元宮があります
富賀神社(Toga Shrine)の記事をご覧ください
富賀神社(とがじんじゃ)は もともとは 峯富賀平(雄山の8合目付近)に鎮座するも 噴火により 二島ヶ山(新富賀山(二富賀山)古錆浜の荒島神社へ遷座し その後 現在地の富賀山(海抜60.4m)中腹に鎮座したと伝わります 古来より伊豆七島の総鎮守「三島大明神」として 伊豆の三島大社の祭神の発祥地だとする説もあります
富賀神社(三宅島 阿古)〈延喜式内社 阿米都(和)氣命神社の論社〉
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
錆ヶ浜港から北へ約750m 徒歩10分程度
荒島神社から三宅一周道路を北に少し進むと参道入り口です
火戸寄神社(Hodori Shrine)に参着
木々の中の細い参道を登ると祠が鎮座します
参道入口にて 賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
丁度 日暮れ時で 火戸寄神社(Hodori Shrine)の下の浜辺から「大野原島(三本岳)」に沈む夕日が見事でした
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『三宅記(miyakeki)』に記される「大蛇退治」の伝承
三島大明神が 箱根の湖辺に住む老翁媼の娘3人を大蛇(龍神)から救い そして娘3人を后として三宅島に迎える話が記されます
この中で 大蛇退治の際 大蛇を最初に退治したのが「剣の御子」と記されています この時の剣が「富賀神社(Toga Shrine)の神宝」とされている「蛇切りの太刀」であると伝わります
火戸寄神社(Hodori Shrine)では この神剣を創造した神を祀るとしています
意訳
ここに一つの不思議があります
箱根の湖のほとりに 翁と姥がおりました 夫婦は370歳になっておりましたが 三人の娘がいました
明け暮れと湖で釣りをして暮していましたが あるとき 一日中釣りをしていたが 一匹も魚がなかった舟の舳先に伏してお願いをしました
「この湖に主(ヌシ)が居られるならば あわれな この舟を魚でいっぱいにして頂けないでしょうか お礼に3人娘の中から 誰でもお気に召すまま 一人をお与えいたしましょう」と言い 居眠りをしてしまいました
すると16..7程の男が何処から現われて「先程の話は聞き届けました」と言いかき消すように失せました
そして その通りに 小さな魚たちが舟に飛び込み 舟は魚でいっぱいになってしまいました翁は 恐ろしくなって帰ろうとすると 水底より声がありました
「2,3日で約束の通りに迎えに行くつもりです 三女を貰おう」と言うものです翁は帰って いつもとは違い 消沈していましたので 姥や子供たちが見ておられ「何を悩んでおられますか」と聞かれましたら
「言わなくとも 叶うわけではないのに・・・今日に限っては魚を一匹も釣ることが出来ないので あまりの事だったので「あわれな この舟を魚でいっぱいにして頂けないでしょうか お礼に子供の中から 誰でもお気に召すまま 一人をお与えいたしましょう」と言ったところ たちまち舟に魚が沢山飛入りまして その後で 水底から声があって 三女をください 迎えに参上しますと言ったことがあり 嘆かわしくて この様に悩んでおります」と事の次第を語りました
娘三人は「それは たやすいことです 私たちのはかりごとに任せてください」と言われて翁も落着き「さて どうしようか」とおしゃりました
「約束の人が来たら 3人ともに後ろの家に居るとお答えください」と言って後ろに家を構えて待ちました
3日目の亥の刻に 男が迎えに来ました「約束に従いお迎えに参りました」と声があり 翁は出迎えて
「後ろの家に居ります」と答えられたので そのまま後ろの家に行きました
そこで三女が出迎えると「我々は ここの者ではなく 富士の頂に住む者ですので そちらへ尋ねてきてください」といって鳩となって飛び立っていきました
その時 男は大蛇になると大いに怒り 残りの二人の娘を取ろうとしましたので 二人も共に鳩になって飛び去っていきました大蛇はいよいよ怒り 富士山に三女を探し求めようと追りました
三女は 富士の山頂の岩の中に隠れておりましたが たまたま三嶋大明神が富士の山頂に登られていて 大明神は三女を見て何処の人かと尋ねられました
三女は「私は 箱根の湖の「かきのおうち」と申す者の三女でございます 父は唐土(もろこし)においでになる時は 八大執金剛童子と申しましたが 地神五代の「あまつひこねににぎのみこ」の御時に あまりにも垂迹がすばらしいので この国に渡ってまいりました
地神の御遺言に従い「あめつちのみこと」と契りを結びもうけられたと聞いておりますまた 母は斯羅奈(しらない)國の王の三女です
父母ともに370歳でございます
この父 箱根の湖に出て釣りをされましたが 魚を一匹も釣ることが出来ませんでした あまりの事で何んとはなく「この湖の底に主が居れば魚を得させてください そのお礼に3人の娘の中で誰でも望みのままに与えましょう」と言うと 水神がこれを聞き「それならば」と魚を与え その後「約束である」と迎えに来られたので ここへ飛んで来たのですが きっとここへも来るでしょう どうすればいいでしょう」と打ちしおれておりました大明神は「私を頼りにして頂ければ 御隠し申し上げましょう」とおしゃりました「どのようにでも お計らいにお任せいたします」と答えられました
この時 大蛇はそのまま富士の山腹に登りかかっていました その時 2人連れだって大島に飛ばれると 大蛇もまた大島に追って来たので それから また2人で連れだって三宅島に飛ばれました
三女を御嶽へお隠しになられて 見目と若宮にむかって「どうしようか」と御言葉を掛けました
「それは容易いことです」といい
「二つの大穴を掘り 一つの穴には飯を盛って「あんねいこ」にお預けください これを飯の王子といたします
もう一つの穴には 酒を満たして「まんねいこ」にお預けください これを酒の王子といたします
このようにお計りになられて 大蛇が来たならば 見目がお相手となり 飯と酒とを勧め 大蛇が酔ったところを「剣の御子」に切らせて差し上げましょう」と支度をされましたこの一大事を見物しようと 島々の王子たち 后たちもおいでになりました
新島の大宮の王子も劍の御子を従えておいでになりました
残りの妃は 王子が親のかたきを打たれるのを見ようと 「イガイ(いかゑ)」の浦の石の陰に隠れてご覧になりましたそうしているうちに大蛇が怒り 御嶽に登ろうとしているのを 見目が出向いて 様々になだめて「まずは 飯と酒を差し上げましょう」と申し上げると 大蛇もその穴に向かいました あらかじめ用意していたことなので 待ち構えた飯の王子は飯を無理強いして 酒の王子は酒をさしあげると 大蛇はたちまち酔って 鱗を立てて眠りこんでしまいました
これを一番に「劍の御子(三島大明神の随神)」が斬り 二番に「大宮の王子(新島を拓いた神)」が斬り 三番に「ていさんの王子(大宮の王子の弟)」が斬りました
大蛇が斬られて 尻尾を振り回したので 岩陰から見ていた「みとくちの大后(新島の泊大后大明神)」の左の御目に当たり 打ちつぶされてしまいましたこうして大蛇はやすやすと討伐され 各島の王子・后もお帰りになられましたそこで大明神は 御嶽に登られて あの后を探されましたが姿が見えませんでした
大明神は怒って見目に探すようにお命じになると 見目はお引き受けして ツツジの花の中から捜し出されました
「どうして 隠れていたのですか」と尋ねると「小蛇がいたので 大蛇の眷属かと思い恐ろしくなって ツツジの中に立ち入れましたら 着物の紅梅色とつつじの花を見間違えられたので 逃げた訳ではございません」とおしゃりましたので
大明神は「これより この島の躑躅(つつじ)は花を咲かせないように 蛇は后を怖がらせ給う」とお言いつけになり それから 蛇はこの島にいてはならんと追い出されました大明神は残る二人の娘も見目に探させ島に招き入れ、三人の娘を后とし、三宅島の各所に置かれた
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?BID=F1000000000000040542&ID=&LANG=default&GID=&NO=&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&CN=1画像利用
火戸寄神社(Hodori Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)