実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

比奈麻治比賣命神社(隠岐 西ノ島町宇賀)

比奈麻治比売命神社(ひなまちひめのみことじんじゃ)は 旧鎮座地の西ノ島町の北東端の『済』という地から昭和3年(1928)に現在地に遷座します 六国史『日本後紀』延暦18年(7995月の條に 渤海国から我国の遣渤海使(ケンボッカイシ)らが 海を渡り帰国の途 海中の夜闇の中で迷うと 遠くに火光が見え これを目指して嶋の浜に無事に着く 暗夜の航海を火で助けた比奈麻治比売命の霊験であると官社にして頂きたいと上奏が記されています

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

比奈麻治比賣命神社Hinamachihime no mikoto Shrine
ひなまちひめのみことじんじゃ

 [通称名(Common name)]

済さん(すみさん)

【鎮座地 (Location) 

島根県隠岐郡西ノ島町宇賀1685

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》比奈麻治比賣命Hinamachihime no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

家内安全

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

創建年代は不明
西ノ島町の北東端の『済』という地に鎮座していたことから「済の宮」とか「済大明神とも呼ばれていた。安政2年(1855)に、一度この尾和の地に移されたが御神託により25年後の明治13年に元の済に戻され、昭和3年(1928)に再びこの地に移された。現在、済の宮跡では玉垣に囲まれた本殿跡の下に盤座が見える。

【由  (History)】

比奈麻治比売(ひなまぢひめ)命神社

鎮座地 西ノ島町大字宇賀888
祭神 比奈麻治比売命
合祀 星神島の神 御崎社 北野社
境内社 熊野社

 創立年は不明である。西ノ島町の北東端の『済』という地に鎮座していたことから「済の宮」とか「済大明神とも呼ばれていた。安政2年(1855)に、一度この尾和の地に移されたが御神託により25年後の明治13年に元の済に戻され、昭和3年(1928)に再びこの地に移された。現在、済の宮跡では玉垣に囲まれた本殿跡の下に盤座が見える。
 神名帳考証には『火焼権現トモイフ』とある。

 『比奈麻治比売命神社がはじめて六国史に見えるのは、延暦(799)である。遣渤海使 内蔵宿祢賀茂麻呂が任を終え 帰国せんとして、海中夜暗く、その進路に迷った時、遠有ニ火光一りて無事島浜に至ったという霊験高い神であり、その上奏によって幣例に預かることを許された。』-黒木村史-

 隠岐国初の官社になり、その後も次のような階位を授かっている。
承和5年(838)隠岐国無位比奈麻治比売神に従五位下(続日本後記)
貞観13年(871)隠岐国正五位下比奈麻治比売神を正五位下(三代実録)
元慶2年(78)隠岐国正五位下比奈麻治比売神を正五位上(三代実録)

 式内社に比定された由緒の古い神社で、隠岐国内神名帳には従一位とある。また、慶長18年(1613)の検地帳の御供田の記録や、元禄12年(1699)の佐渡守の銘のある御幣串が残されていること、出雲大社の19社、櫛田神社の22社の名記から、近世に於いても内外に広く信仰の対象になっていたと推察される。
比奈麻治比売命神社

現地案内板より

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比奈麻治比女命社

これは「ヒメ命」と固有の御名がわかっていて延喜式(平安期)の時代から、この名で呼ばれている。これは縁起からして「火の霊威」を称した御名であろう。

焼火神社HP「西ノ島の神社(松浦康麿)」より抜粋
http://takuhi-shrine.com/material.html

【境内社 (Other deities within the precincts)】

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)隠岐国 16座(大4座・小2座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)知夫郡 7座(大1座・小6座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 比奈麻治比賣命神社
[ふ り が な ]ひなまちひめの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Hinamachihime no mikoto no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

比奈麻治比賣命(ヒナマチヒメノミコト)結婚神話について

比奈麻治比賣命(ヒナマチヒメノミコト)の興味深い神話が 隣島中ノ島(海士町)に鎮座する 式内社「名神大社 宇受賀命神社」に伝わっています

一緒に読む
宇受賀命神社(隠岐 海士町宇受賀)

宇受賀命神社(うつかみことじんじゃ)は 中ノ島〈海士町〉に鎮座する『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の名神大社です 島内の伝説によれば 御祭神の宇受賀命は 隣島の西ノ島の大山神社の御祭神と 姫神〈西ノ島・宇賀地区の比奈麻治比賣命神社の御祭神 比奈麻治比賣(ヒナマチヒメノ)命〉との結婚をめぐって争い これに勝利した神と伝わります

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比奈麻治比賣命(ヒナマチヒメノミコト)の美しさ宇受賀命求婚します
しかし 同じく姫に求婚する大山神社の神さまとの力比べに勝利し 姫と結ばれたと伝えられています
姫との間に柳井姫(ヤナイヒメ)が生まれ「奈伎良比賣神社(なぎらひめじんじゃ)」の御祭神になったとされています

海士町歴史文化基本構想の策定〈平成29年 文化庁〉より

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/rekishibunka/pdf/r1392234_113.pdf

4.大山祇おおやまづみのみことと宇受賀命うづかのみことの妻争い
この神様は宇受賀を中心に、中ノ島一帯を領して勢力のある土着の神様でした。
あるとき、海を挟んだ西ノ島にいる美しい比奈麻治比売命となんとか結婚しようと申し込みました。しかし、姫神はなぜか色よい返事をしませんでした。けれども、宇受賀命はあきらめないで、同じ求愛の手紙を何回も何回も書いて送りました。
これには姫神も困ってしまい、窮したあげくに次のように言いました。
「あなたと結婚するのはかまいませんが、実は、あの大山神社の神様が恐ろしいのです。ですから、お二方で力比べをしてください。私は、勝ったお方に従いましょう。」
大山神社の神様とは、比奈麻治比売命と同じ西ノ島に住む大山祇命のことです。一説には、この神様は焼火山の神様であったともいわれています。大山祇命は、農業などに力を入れた立派な神様でしたが、なかなか勇猛で、この神様が同じく姫神に恋しているとあっては、事は面倒になりました。
石を投げ合う力比べの結果、宇受賀命が勝利し比奈麻治比売命と結婚しました。

5.大山祇命と宇受賀命の力比べ
大山祇命は力比べで納得できず、もう一度力くらべをしようと宇受賀命に持ちかけました。
宇受賀命は家督山の榊を、大山祇命は焼火山の榊をかけて勝負し、大山祇命が勝ち、家督山の榊を全て持っていきました。なので、家督山には榊が生えていません。

隠岐の式内社〈16座〉について

隠岐国には16座(大4座・小2座)の式内社があります
その論社も含めてご紹介します

一緒に読む
隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について

隠岐の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 隠岐國の16座(大4座・小12座)の神社のことです 現在の論社は 22神社となり 隠岐の固有の神々を祀る神社が多く貴重です

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 神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

西ノ島の別府港フェリーターミナルから 県道319号を東へ約3.6km 車7分程度
隠岐カルデラの穏やかな海の対岸にある隣島中ノ島(海士町)眺めながら海沿いに道を進みます

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宇賀地区の手前で海岸線と山越えの新道〈神社の目の前を通る〉とに分岐があります

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暫く新道を進むと左手〈北側〉の杜の中に鳥居が覗くように見えます

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鳥居に向かって左横方から弧を描くように 上りの細い参道が鳥居の前に向かっています
比奈麻治比賣命神社Hinamachihime no mikoto Shrineに参着

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一礼をして 鳥居をくぐります 狛犬の座す座石には 海岸の黒い玉石が置かれています 何か意味のある風習なのでしょう

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社殿に続く石段を上がり 拝殿にすすみます 

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拝殿内の奉納板には「奉納 比奈麻治比賣命」とあります

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 渡り廊下で本殿と繋がっています 渡り廊下から改めてお祈りをします

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境内社は 熊野社など2社が並んでいます

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境内には 何やら神氣ある枯木があり その奥には朽ちた建物があります

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石段を下り戻り鳥居をくぐり 振り返り一礼をします

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ここへお詣りに来るのに 行きには 新道から来ましたので 帰りは海沿いの道を回ろうと宇賀地区方向に山を下ると海岸線には「メド岩」と呼ばれる岩があり

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このド岩後ろは 一気に山が迫っていて そこに鳥居が建っていました
なんと鳥居の扁額には「済神社」とあります 西ノ島町の北東端の『済』という地に鎮座していたことから「済の宮」とか「済大明神とも呼ばれていたと云われ 済神社は 比奈麻治比賣命神社の旧鎮座地の時の通称です ああここが 海からの参道の入口だと判りました

一礼をして くぐりましたが 藪漕ぎ状態で進めません 再び鳥居を出ます

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ちょうどその時 対岸にある隣島中ノ島(海士町)にある三郎岩横を高速船がすり抜けていきました 姫神の到来かと驚きました

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旧鎮座地の「(スミ)」へは 陸路は山道4kmとありますが不明 海路からも磯から崖を上がるようです 島の人も知る人は僅からしく 御参拝は諦めました 調べていたことをご覧ください

一緒に読む
比奈麻治比賣神社 旧跡地(隠岐 西ノ島 済)

比奈麻治比賣神社 旧跡地は 西ノ島町の北東端の『済』という地で 古代に日本海を航海した船を救う火光を放つ神〈灯台のような〉とされています 六国史の延暦18年(799)に 遣渤海使(ケンボッカイシ)らが帰途の折 夜闇の海原で迷うと 遠くに火光が見え お陰で 嶋の浜に無事に着きます これは比奈麻治比売命の霊験であると上奏し官社になったと記されています 昭和3年(1928)に祭祀ともに現在の鎮座地に遷座します

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神々の住まう隠岐に拝

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本後紀(Nihon koki)』〈承和7年(840年)完成〉に記される伝承

渤海国から我国の遣渤海使(ケンボッカイシ)内蔵宿禰(クラノスクネ)賀茂麻呂(カモマロ)らが 海を渡り帰国の途 海中の夜闇の中で迷うと 遠くに火光が見え これを目指して嶋の浜に無事にいた これは暗夜の航海を火導いた比奈麻治比売命の霊験であると この神にかかる件が報じられます そこには官社にして頂きたいと上奏が記されています

【意訳】

延暦18年(799513日(丙辰の條

 遣渤海使(ケンボッカイシ) 外従五位下 内蔵宿禰(クラノスクネ)賀茂麻呂(カモマロ)等言(ナドノゲン)
歸郷(キキョウ)の 海中(カイチュウ)夜暗(ヨルクラ)く
東西(トウザイ)へと掣曳風のまにまにたなび〉不〈まったく知らない〉
于時〈この時〉くに火光(ヒノヒカリ)が有った 其光(ソノヒカリ)を尋逐〈追い続け〉
あわただしく心がそぞろなさま〉で 嶋濱(シマノハマ)に至る
訪之是〈これを訪ね〉隠岐國(オキノクニ)智夫郡(チブノコオリ)
其處(ソノトコロ)無有人居〈人はおらず〉
或云〈あるいは云うに〉比奈麻治比賣神(ヒナマチヒメノカミ)有靈験(レイケンアリ)
商賈之輩〈商人たち〉漂宕海中〈海中で漂うと〉必揚火光〈必ず火光が掲げられ〉頼之得全者〈全ての者が得て頼りにしている〉不可勝數数えきれないほどの祐助(ユウジョ)がある
良可嘉報〈非常に良いめでたいご報告です〉
伏望〈伏して願います〉奉預幣例〈奉り預くに幣を〉許之〈ここにお許し願いたく〉

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『日本後紀』承和7年(840)選者:藤原冬嗣 刊本 塙氏温古堂[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047657&ID=&TYPE=&NO=画像利用

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『続日本後紀(Shoku nihon koki)』〈貞観11年(869)完成〉に記される伝承

無位から5位下へ 神階の奉授が記されています

【意訳】

承和5年(838)10月甲牛の条

奉り授くに
隠岐国(オキノクニ)无(ムイ)比奈麻治比売神に従5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『隠州神名帳(Onshu Shinmeicho)』〈貞観5年(863)太政官符の命により編纂 国内神名帳〉に記される伝承

比奈麻治姫大明神と記されています

【意訳】

知夫郡
従1位 比奈麻治姫大明神

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『隠州神名帳』続群書類従[書誌事項]写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000037315&ID=M1000000000000066833&TYPE=&NO=

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』〈延喜元年(901年)成立〉に記される伝承

神階の奉授が記されています

【意訳】

貞観13年(871)閏8月29日(壬申)の条

夜に有ったのは 流星が出て東南を入り羽は林に大星の如し 柚子の青めのような光があった

隠岐国(オキノクニ)
従5位上 天健金草神に 従4位下
従5上 比奈麻治比売神に 5位下

・・・・云々

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元慶2年(878)5月17日(壬子)の条

授くに
隠岐国(オキノクニ)
5位下 比奈麻治比売神に 5位上

駿河国 従5位上 美和天神に 正5位下を

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

式外社の「日乃賣神」であるかもしれない
所在は別府〈現在の西ノ島〉 別名「火焼権現ともいう」と記しています

【意訳】

比奈麻治比賣命(ヒナマチヒメノミコトノ)神社

治一本 又 撰本に作沼
〇信友云う
三代実録 日乃賣神 歟(ヤ) 式外に記す

治一本作沼 承和5年(838)10月甲牛の条 奉り授くに 隠岐国(オキノクニ)无(ムイ)比奈麻治比売神に従5位下

三代実録
貞観13年(871)閏8月29日(壬申)の条・・5位下

元慶2年(878)5月17日(壬子)の条・・・5位上

〇在 別府〈現在の西ノ島〉

類聚国史 延暦18年(799513日(丙辰の條
 遣渤海使(ケンボッカイシ) 外従五位下 内蔵宿禰(クラノスクネ)賀茂麻呂(カモマロ)等言(ナドノゲン)
歸郷(キキョウ)の 海中(カイチュウ)夜暗(ヨルクラ)く
東西(トウザイ)へと掣曳風のまにまにたなび〉不〈まったく知らない〉
于時〈この時〉くに火光(ヒノヒカリ)が有った 其光(ソノヒカリ)を尋逐〈追い続け〉
あわただしく心がそぞろなさま〉で 嶋濱(シマノハマ)に至る
訪之是〈これを訪ね〉隠岐國(オキノクニ)智夫郡(チブノコオリ)
其處(ソノトコロ)無有人居〈人はおらず〉
或云〈あるいは云うに〉比奈麻治比賣神(ヒナマチヒメノカミ)有靈験(レイケンアリ)
商賈之輩〈商人たち〉漂宕海中〈海中で漂うと〉必揚火光〈必ず火光が掲げられ〉頼之得全者〈全ての者が得て頼りにしている〉不可勝數数えきれないほどの祐助(ユウジョ)がある
良可嘉報〈非常に良いめでたいご報告です〉
伏望〈伏して願います〉奉預幣例〈奉り預くに幣を〉許之〈ここにお許し願いたい〉

諸社一覧
賣火社 知夫郡の島前に在り この社を賣火と称し奉る事 往還の船 暗い夜のこの悪風に逢って この社を祈念すれば 惣火起こりて 東西を辨ふと〈理解する〉と云う 云々
〇火焼権現ともいう

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

所在は別府〈現在の西ノ島〉とし 由来などを記しています

【意訳】

比奈麻治比賣命神社

比奈麻治比賣は 仮字なり
〇祭神 明らかなり
〇別府島〈現在の西ノ島〉に在す 考証
〇類聚国史十 神祇部 延暦18年(799513日(丙辰の條
 遣渤海使(ケンボッカイシ) 外従五位下 内蔵宿禰(クラノスクネ)賀茂麻呂(カモマロ)等言(ナドノゲン)
歸郷(キキョウ)の 海中(カイチュウ)夜暗(ヨルクラ)く
東西(トウザイ)へと掣曳風のまにまにたなび〉不〈まったく知らない〉
于時〈この時〉くに火光(ヒノヒカリ)が有った 其光(ソノヒカリ)を尋逐〈追い続け〉
あわただしく心がそぞろなさま〉で 嶋濱(シマノハマ)に至る
訪之是〈これを訪ね〉隠岐國(オキノクニ)智夫郡(チブノコオリ)
其處(ソノトコロ)無有人居〈人はおらず〉
或云〈あるいは云うに〉比奈麻治比賣神(ヒナマチヒメノカミ)有靈験(レイケンアリ)
商賈之輩〈商人たち〉漂宕海中〈海中で漂うと〉必揚火光〈必ず火光が掲げられ〉頼之得全者〈全ての者が得て頼りにしている〉不可勝數数えきれないほどの祐助(ユウジョ)がある
良可嘉報〈非常に良いめでたいご報告です〉
伏望〈伏して願います〉奉預幣例〈奉り預くに幣を〉許之〈ここにお許し願いたい〉

神位
続日本後紀 承和5年(838)10月甲牛の条・・・5位下
三代実録 貞観13年(871)閏8月29日(壬申)の条・・5位下
三代実録 元慶2年(878)5月17日(壬子)の条・・5
国内神名帳 従1位 比奈麻治姫大明神

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

神火を熾すので焼火山の焼火社と混同されているが 別の神社であると記しています

【意訳】

比奈麻治比賣命神社

祭神 比奈麻治比賣命

神位
仁明天皇 承和5年(838)10月甲牛の条・・・5位下

清和天皇 貞観13年(871)閏8月29日(壬申)の条・・5位下

陽成天皇 元慶2年(878)5月17日(壬子)の条・・5

今按〈今考えるに〉
当国社名帳には 従1位 比奈麻治姫大明神とあり

祭日 6月28日 9月19日
社格 村社
所在 宇賀村(知夫郡黒木村 大字 宇賀)

今按〈今考えるに〉
明細帳に この神は神火を顕して 海上漂流の難を救給いし事 国史に見在せる由 神体 女神一座 極めて古し 外に奇石一つ 昔 海中より上がり給りと申伝ふ 云々と見え
和漢三才図会にも 離火権現 海部郡島前に在るに祭神 比奈麻治比賣神 云々あるは
類聚国史十に 延暦18年(799513日(丙辰の條
 遣渤海使(ケンボッカイシ) 外従五位下 内蔵宿禰(クラノスクネ)賀茂麻呂(カモマロ)等言(ナドノゲン)
歸郷(キキョウ)の 海中(カイチュウ)夜暗(ヨルクラ)く
東西(トウザイ)へと掣曳風のまにまにたなび〉不〈まったく知らない〉
于時〈この時〉くに火光(ヒノヒカリ)が有った 其光(ソノヒカリ)を尋逐〈追い続け〉
あわただしく心がそぞろなさま〉で 嶋濱(シマノハマ)に至る
訪之是〈これを訪ね〉隠岐國(オキノクニ)智夫郡(チブノコオリ)
其處(ソノトコロ)無有人居〈人はおらず〉
或云〈あるいは云うに〉比奈麻治比賣神(ヒナマチヒメノカミ)有靈験(レイケンアリ)
商賈之輩〈商人たち〉漂宕海中〈海中で漂うと〉必揚火光〈必ず火光が掲げられ〉頼之得全者〈全ての者が得て頼りにしている〉不可勝數数えきれないほどの祐助(ユウジョ)がある
良可嘉報〈非常に良いめでたいご報告です〉
伏望〈伏して願います〉奉預幣例〈奉り預くに幣を〉許之〈ここにお許し願いたい〉

見えたるによく符合へり
然るに視聴合記に 大山神社に係けていへる如く聞ゆれど こは別社ならんと思える由は 明細帳に別に 美田村山上と云う所に焼火社 但し式外と掲載して 祭神不詳 美田村の内 波止の里より18丁許 険路を上りて山上在り 両島にこの倫なき景地なり この社 海上の危難を救い給ふ神徳ありとて 古より今に至るまで 諸人崇敬する社なり就中 

後鳥羽上皇 御遷幸の時 海上にて霊験有しに付き 深く御敬信有し
趣委曲社記に 有之但鎮祭年紀不詳とあると合記に記載せる焼火山縁起と云うものの文にて発明せらるるなり
されば近来唱える 焼火社は美田村 この比奈麻治比賣命神社は宇賀村と云うに目を著べし なお明瞭なる事は 寶地に就いて辨別すべきなり

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

比奈麻治比賣命神社Hinamachihime no mikoto Shrine (hai)」(90度のお辞儀)

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隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について に戻る

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隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について

隠岐の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 隠岐國の16座(大4座・小12座)の神社のことです 現在の論社は 22神社となり 隠岐の固有の神々を祀る神社が多く貴重です

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています