実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)

姫宮神社(ひめみやじんじゃ)は 3つの式内社〈 伊波比咩命神社 阿米都加多比咩神社多祁伊志豆伎命神社 〉の論社とされています 江戸時代の『豆州志稿』によれば 一色村の姫宮明神と称され 一棟三扉の祠で 中は姫宮 左は権現 右は御霊 廃絶して100年が経過しているが 天神社と云う祠があり 式内社であると記しています

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

姫宮神社(Himemiya Shrine)
(ひめみやじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

姫宮大明神(ひめみやだいみょうじん)

【鎮座地 (Location) 

静岡県賀茂郡南伊豆町一色820

 [  (Google Map)]

 

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》伊波比咩命Ihahime no mikoto
   事代主命(Kotoshironushi no mikoto)
   誉田別命(Homutawake no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

年代不詳

【由  (History)】

江戸時代の『豆州志稿』によれば

一色村の姫宮明神と称され 一棟三扉の祠で 中は姫宮 左は権現 右は御霊 廃絶して100年が経過しているが 天神社と云う祠があり 式内社であると記しています

【境内社 (Other deities within the precincts)】

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

3つの式内社〈 伊波比咩命神社 阿米都加多比咩神社多祁伊志豆伎命神社 〉の論社とされています

伊波比咩命神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 伊波比咩命神社
[ふ り が な ]いはひめのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ihahime no mikoto no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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阿米都加多比咩神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 阿米都加多比咩神社
[ふ り が な ]あめつかたひめのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name]AmetsuKatahime no mikoto no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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多祁伊志豆伎命神社〈合祀三島神社〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 多祁伊志豆伎命神社
[ふ り が な ]たきいしつきのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Takiishitsuki no mikoto no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
3つの式内社〈 伊波比咩命神社 阿米都加多比咩神社多祁伊志豆伎命神社 〉の論社について

伊波比咩命神社

・姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)

一緒に読む
姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)

姫宮神社(ひめみやじんじゃ)は 3つの式内社〈 ①伊波比咩命神社 ➁阿米都加多比咩命神社 ➂多祁伊志豆伎命神社 〉の論社とされています 江戸時代の『豆州志稿』によれば 一色村の姫宮明神と称され 一棟三扉の祠で 中は姫宮 左は権現 右は御霊 廃絶して100年が経過しているが 天神社と云う旧祠があり 式内社であると記しています

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阿米都加多比咩神社

・三島神社(南伊豆町下小野)

一緒に読む
三島神社(南伊豆町下小野)

三島神社(みしまじんじゃ)は 古くは門野明神 江戸時代には大宮と称して 上下小野の総鎮守であったとされ 村の古老の伝えでは 青野村の三島神の妹神であると云い 式内社「阿米都加多比咩命神社(あめつかたひめのみことの かみのやしろ)」に違いないとの説もあり 比定社とされています

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・姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)

一緒に読む
姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)

姫宮神社(ひめみやじんじゃ)は 3つの式内社〈 ①伊波比咩命神社 ➁阿米都加多比咩命神社 ➂多祁伊志豆伎命神社 〉の論社とされています 江戸時代の『豆州志稿』によれば 一色村の姫宮明神と称され 一棟三扉の祠で 中は姫宮 左は権現 右は御霊 廃絶して100年が経過しているが 天神社と云う旧祠があり 式内社であると記しています

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・三島神社(南伊豆町妻良)

一緒に読む
三島神社(南伊豆町妻良)

三島神社(みしまじんじゃ)は 2つの式内社〈 ①大津往命神社 ➁阿米都加多比咩命神社 〉の論社とされる古社と伝わります 祭神の大津往命(おほつのゆきのみこと)は 大津(港)を守護する姫神とも 三嶋神の御子神とも 大国主命の妻神とも伝わります

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多祁伊志豆伎命神社

竹麻神社(下田市高馬)

一緒に読む
竹麻神社(下田市高馬)

竹麻神社(ちくまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の2つの式内社〈  ①竹麻神社 三座 ➁ 多祁伊志豆伎命神社 〉の論社です ①竹麻の音を「ちくま」or「たかま」と呼称し  ➁ 同様にタケイシズキにも 地名の高馬(たけま)が近く 論社となっているようです

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・見高神社(河津町見高)

一緒に読む
見高神社(河津町見高)

見高神社(みたかじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内「多祁伊志豆伎命神社」の論社です その創建は 聖武天皇 天平5年(733)9月23日であるとも 光仁天皇 天慶3年(940)三島より奉遷とも伝わります

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・三島神社(南伊豆町蝶ヶ野)〈参考〉

一緒に読む
三島神社(南伊豆町蝶ヶ野)

三島神社(みしまじんじゃ)は 一色村のすぐ隣 蝶野村の三島明神と称されて 『豆州志稿』には 応永18年(1411)の金鼓に 平臣長殿 蝶狩野大知口國吉國重 と鎧す 平臣長殿の守 誤寫(あやまりうつし)か 末社3権 21社なるし伝 と記されています 『延喜式神名帳』所載の 多祁伊志豆伎命神社(たきいしつきのみことの かみのやしろ)の論社ともされます

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・姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)〈合祀三島神社〉

一緒に読む
姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)

姫宮神社(ひめみやじんじゃ)は 3つの式内社〈 ①伊波比咩命神社 ➁阿米都加多比咩命神社 ➂多祁伊志豆伎命神社 〉の論社とされています 江戸時代の『豆州志稿』によれば 一色村の姫宮明神と称され 一棟三扉の祠で 中は姫宮 左は権現 右は御霊 廃絶して100年が経過しているが 天神社と云う旧祠があり 式内社であると記しています

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・三島神社(南伊豆町青野)

一緒に読む
三島神社(南伊豆町青野)

三島神社(みしまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社「多祁伊志豆伎命神社(たきいしつきのみことの かみのやしろ)」の論社とされます その説によれば 一色村に鎮座する三島神社の祭神は 村老の伝えとして 青野村の三島神の妹神と伝わり 必ず2社共に式内社であるとしています

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・瀧山神社(河津町川津筏場)

一緒に読む
瀧山神社(河津町川津筏場)

瀧山神社(たきやまじんじゃ)は 江戸時代 寛政12年(1800)頃は 瀧権現と称され 祠の傍に瀑布があった 棟札に筏場下村の土ノ神と記されています 大永7年(1527)の棟札には 小川村から移された小川三島大明神 元和3年(1617)の棟札には 熊野神社と称され 天神でもあったようで 現在の祭神 伊佐那岐尊とも符合します

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊豆急下田駅から R136号を西へ約16.1km 車30分程度
下賀茂から西伊豆目指し 二条川沿って遡ります

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伊波比咩命(いわひめのみこと)〈岩姫〉の名の通り 社地は大岩が岩盤となっていてこの岩の上が丘陵となっています

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社頭には 石垣が張り巡らされ 正面に鳥居が建ちます
姫宮神社(Himemiya Shrine)に参着

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一礼をして鳥居をくぐります 正面は表参道〈男坂〉左手に脇参道〈女坂〉があります

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表参道の石段は 木陰にあり 苔むしています

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階段を上がりきると 平らな境内があり 実に静まり返っていて 御神威を感じます
更に石垣が積まれていて 中央の石段を上がると もう一段高い檀に石灯篭が立ち 中央に社殿が建てられています

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階段を上がり 拝殿にすすみます 

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拝殿の扉を開くと 神殿に3つの祠が鎮座していました
扁額には「姫宮大明神」と記されています

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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中間の平らな境内地まで戻り 男坂と女坂のどちらから戻ろうかと思案して 行きとは別の女坂から戻り 途中社殿を振り返り一礼をします

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社地の前の稲田越し眺めは絶景です

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承

一色村の姫宮明神と称され 一棟三扉の祠で 中は姫宮 左は権現 右は御霊 廃絶して100年が経過しているが 天神社と云う祠があり 式内社であると記しています

【意訳】

姫宮明神 金井

一棟三扉の祠なり
慶安4年の文に云 中は姫宮 左は権現 右は御霊 当社 前代 敗壊中絶100年と 又 末社の天神は地主神なり 故にここを天神社と云う 旧祠にして式内なりと云う 鑰取 畔田氏

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『豆州志稿』選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=

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式内社 伊波比咩命神社伝承

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

式内社の所在は 白岩村小川鎮守 子安明神に違いないと記しています

【意訳】

伊波比咩(イハヒメ)神社

伊波比咩 同神戴上
志 賀茂郡 白岩村の内 小河の士神に子安明神あり
寛文5年(1665)の文に 姫の御前 大見庄 上下小川の鎮守とあり
村老 伝えて云う 岩姫と云う神なりと 海貝乙こやすがひ の如き小貝の土中に娶り凝て石に化したるものを神体とす 婦人安産を祈るもの 水杓の底を垓とりてこれを奉る」とありて 式社なる「ヲイハズ 信友按るに これ正しく 伊波比咩神社なるべし」

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

祭神も在所不明だと記しながら 一説に一色村に在る記しています

【意訳】

伊波比咩命神社

伊波比咩は 仮字なり 上なるが伊波比咩神社 同神 歟(ヤ)
〇祭神 明らかなり
〇在所 詳らかならず

伊豆志に 賀茂郡 白岩村の内 小河の士神に子安明神あり
寛文5年(1665)の文に 姫の御前 大見庄 上下小川の鎮守とあり
村老 伝えて云う 岩姫と云う神なりと 海貝乙こやすがひ の如き小貝の土中に娶り凝て石に化したるものを神体とす 婦人安産を祈るもの 水杓の底を垓とりてこれを奉る」とありて 式社なる事ヲイハズ」信友按るに これ正しく 伊波比咩神社なるべし
國園云 一色村に在す

神位 国内神階記云 いは姫の明神

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』①

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

式内社の所在は 白岩村小川鎮守論社としているが 一色村であろうと記しています 

【意訳】

伊波比咩命(イヒメノミコトノ)神社(明細帳 姫宮神社 祭神同所)

祭神 伊波比咩命

社格 村社
所在
今按〈今考えるに〉
式社攷證に 賀茂郡一色村 姫宮明神なるべし
國園にも この村に載せ
豆志に 一棟三扉の祠なり 慶安4年の文に 中は姫宮 左 権現 右は御霊 当社 前代 敗壊中絶100年と又 末社の天神社は 地主神なり 故にこの所を天神社と云う 旧社にして式内なりと云と記せる
この辺りの山谷都て岩なるは 伊波比咩の御名にも適へる土地にて疑いなく思はる 末社 天神は地主神なりとある 

この社より 東方5町許 蝶箇野村地内に伊波志豆と称する巌山ありて 頂上に弁天と称する小祠立るが そのさま この神の旧址なるべく聞こえたり能索ぬべし


同郡 白岩村属里 小川の土神に子安明神ありて 豆志に寛文5年の文に 姫御前大見庄 小川鎮守と誌せり 村老伝えて 岩姫と云とみえ伴信友が説にこれ正しく伊波比咩命神社なるべし云れたれど この辺りもと田方郡にして 賀茂郡になりし所とは隔れれば然らずと云えるによりて 足柄縣の注進にも件の一色村の社と定めたれば 今はこれに従えり

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』①

式内社 阿米都加多比咩神社の伝承

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

田方郡に類似の神社「阿米都瀬氣多知命神社」があると記しています

【意訳】

阿米都加多比咩(アメツカタヒメノ)命神社

卯本旡此字
〇田方郡に 阿米都瀬氣多知命神社あり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

所在不明 国内神階に云う「あめつかた姫の明神」としています

【意訳】

阿米都加多比咩神社

阿米都加多比咩は 仮字なり
〇祭神 明らかなり
〇在所 詳らかならず

神位 国内神階云 あめつかた姫の明神

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』➁1 『神社覈録』➁2

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

式内社「阿米都加多比咩神社」は 妻浦村 三島明神〈現 三島神社(南伊豆町妻良)〉であるとしていますが 一説には 下小野村 鎮座 大宮明神〈現 三島神社(南伊豆町下小野)〉もあると記しています

【意訳】

阿米都加多比咩命(アメツカタヒメノミコトノ)神社

祭神
祭日
社格
所在

今按〈今考えるに〉
式社考證に 妻浦村 三島明神なるべし 
正中2年の社記に 神代の昔 三島大神と姫命と御船にて渡来たまい 当浦より上がりたまう とみえ 一座は姫神なるも所由あり 村名の妻浦も姫神鎮座の地なるより 比賣浦の略と聞こゆとみえ
又 一説に下小野村 鎮座 大宮明神ならむ
豆志に 下小野村門小野に在 今称す大宮上下小野川合野3村の総鎮守なり 村老相伝ふ この神は 青野村三島明神の妹なり 然らば2社ともに必ず式内なるべし云々と見え
古老の説に 門野明神と称たると伝え 今に社辺りを門野 或いは門小野と称しへるが 神名の加多に近く 大宮の称あるも因ありと云るによりて
足柄縣注進には 下小野村と定めたれど門野明神 又 門野などの称によりて 加多比賣に由ありと云る
は信じがたき心地せらるれば従わず

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』➁

式内社 多祁伊志豆伎命神社伝承 〈合祀三島神社対象

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

神社名称のみ記されます

【意訳】

多祁伊志豆伎(タケイシツキ)命神社

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

所在については不明と記しています

【意訳】

多祁伊志豆伎命神社

多祁伊志豆伎は 仮字なり
〇祭神 明らかなり
〇在所 詳らかならず

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』➂

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

式内社の論社として 4所を挙げているが 決定できない と記しています

【意訳】

多祁伊志豆伎(タケイシツキノ)命神社

祭神
祭日
社格

所在
今按〈今考えるに〉
式社考證に 神階帳 従4位上 たけしの明神と有り この社未定
賀茂郡本郷村 高馬鎮座 八幡社ならんか 此の社は 豆志に竹麻神社三座の内として云う一座 在 本郷村高馬 今 八幡と称す云々とありて所由有る社と聞こえが 旧社地は 今の社の後ろ岩壁上にて 旧蹟ものこりたるが 伊志豆枝の称に適い 高馬の称のタケシに近く通じて聞こえる所縁あるを以ってなり

亦 同郡 見高村 見高明神ならむか 豆志に云う 見高明神 見高村 寛文2年 上梁文に云う 光仁天皇 天慶3年 三島より奉遷 大山祇命なり 末社2とみえ 社記に熟考 人皇45代 聖武天皇 天平5癸酉年 三島大明神 始興洲現所謂 大山祇命なり云々とある如く由ある神と聞こえるが 何の所見もなしと いえども この社にやと思われ神階帳に たけしの明神とある たけし即ち 多祁伊志の約にて地名となりしと思われるに この見高の称の近く通いて 縁由ありけに聞こえれなり

又 同郡一色村に三島明神あり 村称の一色は 伊志都伎に通じて聞こえる拠あらむも知るべからず

又 同郡 青野村 三島神の妹なりと然らば2社共に必ず式内なるべし云々 と見え 社伝に 祭神 石突命と伝えて所由りて聞こえれど 考えるべき証蹟なしと云える

以上の4所 何れとも決めては云いがたし 姑附て後考を待つ

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』➂

姫宮神社(Himemiya Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る       

一緒に読む
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について

伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています