英彦山神宮(ひこさんじんぐう)は 社伝によれば 鎮座する英彦山は 御祭神が天照大神の御子 天忍穂〈根〉耳命 故に「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれたする この縁起から『延喜式神名帳927 AD.』所載の豊前国 田川郡 忍骨命神社(をしほねのみことの かみのやしろ)の論社ともされます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
英彦山神宮(Hikosan jingu)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
福岡県田川郡添田町大字英彦山1
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命
(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)
《配》伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・農業生産の守護神
・鉱山・工場などの産業の守護神
・勝運の神様
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社の論社
・ 別表神社
【創 建 (Beginning of history)】
由緒
英彦山は、古来から神の山として信仰されていた霊山で、御祭神が天照大神の御子、天忍穂耳命であるところから「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれていました。
嵯峨天皇の弘仁10年(819)詔により「日子」の二字を「彦」に改められ、次で、霊元法皇、享保14年(1727)には、院宣により「英」の一字を賜り「英彦山」と改称され現在に至っています。
英彦山は、中世以降、神の信仰に仏教が習合され、修験道の道場「英彦山権現様」として栄えましたが、明治維新の神仏分離令により英彦山神社となり、昭和50年6月24日、天皇陛下のお許しを得て、戦後、全国第三番目の「神宮」に改称され、英彦山神宮になっています。
御神徳 天照大神の御神勅により、この地に降臨された天忍穂耳命は、農業生産の守護神として、また鉱山・工場などの産業の守護神として崇敬されています。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【由 緒 (History)】
英彦山 ひこさん
標高約1200mの南岳(みなみだけ)・北岳(きただけ)・中岳(なかだけ)の3峰から成る信仰の山である。
山頂には経塚が多数営まれ,山中行場(ぎょうば)として玉屋般若窟(はんにゃくつ)に代表される修行窟(しゅぎょうくつ)が整備された。
神仏が習合して彦山権現が誕生し,それを讃える祭礼が整えられると,院坊が智室谷(ちむろだに)をはじめ各谷に配された。さらに,大講堂を本堂とした伽藍が整備され,彦山(ひこさん)霊仙寺(りょうぜ(ん)じ)としての寺格が確立する。
室町時代には熊野修験の影響を受け,金剛界竈門山(こんごうかいかまどさん)(宝満山(ほうまんざん)),胎蔵界彦山(たいぞうかいひこさん)を往来する峰入行(みねいりぎょう)が開始された。
戦国動乱期にほとんどの建物が焼失するが,江戸時代に入ると,小倉(こくら)藩主細川忠興(ただおき)をはじめ諸大名から寄進を受けて再興を遂げ,享保14年(1729),霊元法皇より「英彦山」の勅額が下賜された。
明治元年(1868)の神仏分離令により,英彦山霊仙寺は英彦山神社(現在の神宮)となり今日に至っている。
英彦山霊仙寺(英彦山神宮)の境内域から銅鳥居(かねのとりい)までの約1kmの大門筋の両側には多くの坊舎が並び,座主院(ざすいん)跡には石垣や礎石が極めて良好に遺存している。中岳山頂に上宮社殿が建ち,山頂に至る参道も良好に維持されている。また,神社に姿を変えた修行窟も現在まで英彦山信仰の中核をなしている。
このように,英彦山は,我が国を代表する山岳信仰の遺跡で,我が国の修験・仏教・神道の信仰の在り方を考える上で重要である。文化庁「文化遺産オンライン」HPhttps://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/444303より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
御本社
・上宮〈北岳・中岳・南岳を神格化し各峰に1柱〉
《主》天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)〈北岳〉阿弥陀如来
《配》伊邪那岐命(いざなぎのみこと)〈南岳〉釈迦如来
伊邪那美命(いざなみのみこと)〈中岳〉千手観音
神武天皇が御東征の時 天村雲命(あめのむらくものみこと)を遣わされて祀られたと伝えられ 社殿ができたのは 崇神天皇41年
英彦山は 12世紀より西国修験道の一大拠点として栄えた修験道の寺院でもあります
その開基については 中国系渡来人によって仏教が伝播された事が語られています
英彦山の開山の伝説
継体天皇二十五年(531)北魏(ほくぎ)の国の僧 善正(ぜんしょう)〈中国北魏の孝武帝の子〉が 普泰の年(531~532)に来日 大宰府で仏法をひろめようとしたが果たさず 光が日子山にさすのを見て彦山に入り 山中の岩窟に籠もり修行する
猟をしていた豊後国 日田郡の猟師 藤原恒雄は 獣を追って山に入ったとき 岩窟に座している善正を見て不思議に思い 尋ねるが言葉が通じず 善正も藤原恒雄に殺生の罪を説くが通じない
藤原恒雄は 猟を続けるが 善正の姿を見ているうちに信心の気持ちが起こったのか 善正の窟のそばに小屋を作って住んだ ある日 藤原恒雄は猟に出て一頭の白鹿を見つけ それが瑞獣であることを知らずに弓で射た シカは倒れたが 空中より三羽の鷹が飛来し 一羽が嘴で矢を引き抜き 一羽が羽で傷口の血をぬぐい 一羽がヒノキの葉を水にひたしてシカにふくませた すると 鹿は蘇生して逃げ去った 藤原恒雄は それを見て神の仕業と悟り 自らの殺生を恥じて 弓矢を捨て 家財をなげうって岩窟の傍らに祠を建て 善正が持ち来った異国の神像を祀って霊山と名づけた そして 自らも善正の弟子となり忍辱(にんにく)と名乗る〈これが日本における僧のはじめ〉 練行をかさねるうち 山頂の三岳に阿弥陀 釈迦如来 千寿観音の垂迹をみて 上宮三社を建立したと伝わります
摂社
・産霊神社 《主》高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・玉依姫(たまよりひめ)・熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)
英彦山の伝承では 英彦山の山頂域は 高木神を祭祀する旧地とされ 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)が 鎮座する山であったとも云われる
御祭神「高皇産霊神(たかみむすびのかみ)」には 6柱の御子がおられ そのうち お一柱が「栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)」です 姫は天照大神の御子「天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)」の后となり 「天火明命(あめのほあかり)」「饒速日命(にぎはやひのみこと)」「邇邇芸命(ににぎのみこと)」らをお産みになり そして英彦山は 娘神の夫「天忍穂耳命」に譲ったと伝えられています
・中津神社 《主》市杵嶋姫命(いちきしまひめみこと)・多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)・多岐津毘売命(たぎつひめのみこと)
・下津神社 《主》速須佐ノ男命(はやすさのをのみこと)《配》神倭磐余彦命,大国主命,豊宇気毘売命,豊比咩命
・玉屋神社 《主》瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)《配》猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
末社
・大南神社《主》天火明命(あめのほあかりのみこと)
・中嶋神社 《主》菅原道真
・上津神社 《主》穂穂出見命
・鳥尾神社 《主》天火明命
・坂本神社
・学問社
・筒井神社 《主》応神天皇,神功皇后
・宗像神社 《主》多紀理毘売命,市杵島比売命,多紀都比売命
・市護神社 《主》菊理姫命
・橿原神社 《主》神倭磐余彦命
所管社
・田川護国神社奥宮 英彦山招魂社 《主》護国の英霊
その他
・英彦山歴代座主の墓 《主》社家の祖霊
・高住大神掛軸 《主》高住大神
・祖霊碑 《主》氏子の祖霊
・愛畜塚 《主》畜魂
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)豊前国 6座(大3座・小3座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田川郡 3座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 忍骨命神社
[ふ り が な ](をしほねのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Woshihone no mikoto no kamino yashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
豊前国 田川郡 忍骨命神社(をしほねのみことの かみのやしろ)の論社
・香春神社(香春町香春)
香春神社(かわらじんじゃ)は 元々は香春岳(かわらだけ)の三つの峯(第一峰・第二峰・第三峰)の山頂に〈・辛国息長大姫大目神・忍骨神・豊比咩神〉の三神を奉祀したのが創始 三座は三つの山頂から遷座されて 和銅2年(709)゛新宮゛と称し『延喜式神名帳〈927年〉』所載の豊前國 田川郡の三座〈・辛国息長大姫大目神社・忍骨神社・豊比咩神社〉となり現在に至ります
香春神社(香春町香春)
・英彦山神宮(添田町 英彦山)
英彦山神宮(ひこさんじんぐう)は 社伝によれば 鎮座する英彦山は 御祭神が天照大神の御子 天忍穂〈根〉耳命 故に「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれたする この縁起から『延喜式神名帳927 AD.』所載の豊前国 田川郡 忍骨命神社(をしほねのみことの かみのやしろ)の論社ともされます
英彦山神宮(福岡県 英彦山)〈奉幣殿・下津宮〉
地主神として高皇産霊神(たかみむすびのかみ)が 山上に鎮座していた伝承
高樹神社(たかきじんじゃ)の伝承によれば
高良山(こうらさん)は もともと高牟礼山(たかむれやま)と呼ばれていた〈高木神〈高御産巣日神or高牟礼神〉が鎮座していた為〉
そこへ 高良玉垂命が 一夜の宿として山を借りたいと申し出る 高木神が譲ったところ 玉垂命は結界を張って鎮座したとの伝説があります
一緒に読む
高樹神社(久留米市御井町)
高樹神社(たかきじんじゃ)は 伝承によれば 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)が 元々は高良山の山頂に地主神として鎮座されていたが 高良神(こうらのかみ)に一夜の宿を貸したところ 高良神が神籠石(こうごいし)を築いて結界の地としたため山上にもどれず ここ高良山の麓(ふもと)に鎮座するに至ったと伝わります 正史=六国史に名の現れる国史現在社(こくしげんざいしゃ)です
英彦山(ひこさん)の伝承によれば
日子山(ひこさん)〈英彦山〉には 山頂にはもともと高木神〈高皇産霊神(たかみむすびのかみ)〉が鎮座していて その地を譲り 今は山頂より少し下った所に 産霊神社 《主》高皇産霊神(たかみむすびのかみ)として鎮座していると云う説
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)が 山上を譲ったとする高良山と同様の伝承です
現在 英彦山の山頂に鎮座する英彦山神宮の御本社・上宮の主祭神は 天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)です 英彦山の山頂域は もともと 高木神を祭祀する旧地とされ 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)が 鎮座する山であったとも云われる訳は
御祭神「高皇産霊神(たかみむすびのかみ)」には 6柱の御子がおられ そのうち お一柱が「栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)」です 姫は天照大神の御子「天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)」の后となり 「天火明命(あめのほあかり)」「饒速日命(にぎはやひのみこと)」「邇邇芸命(ににぎのみこと)」らをお産みになり そして英彦山は 娘神の夫「天忍穂耳命」に譲ったと伝えられています
・英彦山神宮(添田町 英彦山)
一緒に読む
英彦山神宮(福岡県 英彦山)〈奉幣殿・下津宮〉
英彦山神宮(ひこさんじんぐう)は 社伝によれば 鎮座する英彦山は 御祭神が天照大神の御子 天忍穂〈根〉耳命 故に「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれたする この縁起から『延喜式神名帳927 AD.』所載の豊前国 田川郡 忍骨命神社(をしほねのみことの かみのやしろ)の論社ともされます
高良山の山頂も 英彦山の山頂も かつて高木神〈高皇産霊神(たかみむすびのかみ)〉が鎮座していて これを譲ったと伝承しています
この伝承には 古代の北九州地区で 地主神の交代劇があったことが伝承されているとされ 天津神と渡来神との争いとも様々な説があり 神仏習合の八幡神・香春神との関わり やがて宇佐系・朝鮮系シャーマニズムと習合していく密教修験道へと歴史は続いていきます
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
福岡県田川郡添田町英彦山へ R500号を東へ向かう
日田彦山線の線路を越えてすぐに R500号の脇に 英彦山神宮 一の鳥居が建つ
英彦山の山容が現れます
銅鳥居(かねのとりい)は 寛永14年(1637年)佐賀藩主 鍋島勝茂公の寄進によって建てられた
参道を徒歩で上がるのが本来ですが 英彦山スロープカーを選択します
これはこれで 景色は中々良いです
英彦山スロープカー(神駅)に着くと 奉幣殿のすぐ下になります
ここから 本来の石段の参道を見下ろして ゆっくりと歩いて上がれば良かったかなとか想いながら 参道に一礼をして 境内へと進みます
英彦山神宮(福岡県 英彦山)〈奉幣殿・下宮〉に参着
奉幣殿にすすみます
奉幣殿の扁額には「英彦山神宮」と記されています
現在の奉幣殿は 細川忠興により元和2年(1616年)再建
清酒の奉献樽
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
奉幣殿の横にあるのは 寛文3年(1663)佐賀藩2代藩主 鍋島光茂公が 寄進建立された石製の肥前型鳥居
この鳥居が 山頂の上宮・中腹の中津宮・すぐ上の下津宮への表参道入口となっています
登山ルートを記した案内板があります
一礼をして肥前型鳥居をくぐります
石段を上がり 奉幣殿を振り返ります
正面の石段は 山頂の上宮・中腹の中津宮への表参道石段
左手の石段は 下津宮が鎮座します
下津宮にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
ちょうど奉幣殿の真上辺りに鎮座します
山並みに溶け込む奉幣殿の屋根が美しい
下津宮の社殿に一礼をして 奉幣殿へと戻ります
境内には 不老長寿の御神水・天之水分神〈龍神〉が祀られています
社務所と授与所により 朱印とお札を授与
再び 石段参道を眺めながら お山を下ります
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社 忍骨命神社(をしほねのみことの かみのやしろ)を彦山権現〈現 英彦山神宮〉と記しています
【抜粋意訳】
忍骨(ヲシホネノ)神社
三代実録 貞観七年二月二十七日 豊前国 従五位上 忍骨神 従四位上
神代紀 一書云 天忍骨命
〇辛国ノ下に註〇筑前 遠賀郡 二島人 飯高重射云 今 彦山権現これの縁起にも忍骨命なりとあり 信友云 これ彦神の坐す山なるに彦山といえるなるへし
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 忍骨命神社(をしほねのみことの かみのやしろ)は 彦山権現〈現 英彦山神宮〉と云われているが 忍骨命とは天忍穗耳命との通説からくるもので 忍骨命が 同名異神の蕃神〈外国の神〉である可能性が高いと記しています
【抜粋意訳】
忍骨命神社
忍骨は 於志保禰と訓べし
〇祭神 明らかなり或人云 彦山権現縁起に、忍骨命を祭るとあり、然ればこの神社は、今云う彦山権現也と云り、
按るに、彦山は忍骨命といふは、縁起の如くなるべけれど、この帳に載せたる然るべからず、こは續日本後紀の文にて明かならずや、又 按るに、忍骨命と称ししも、地神五代の中なる正勝吾勝勝速日天之忍穂耳尊にはあらで、同名異神にして蕃神〈外国の神〉にもあらん、すでに比賣許曽神を下照姫神といふに同じからずや、神位
三代実録 貞観七年二月二十七日己卯 豊前国 従五位上 忍骨神 従四位上
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
忍骨命について 『神社覈録』では蕃神〈外国の神〉にもあらん としているが 天忍穗根尊〈天忍穗耳命〉と定めてよいと記しています
【抜粋意訳】
忍骨命神社
今按〈今考えるに〉
『神社覈録』に忍骨命と称すは 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳尊にはあらで 同名異神にして蕃神〈外国の神〉にもあらん 比賣許曽神を下照姫神といふに同じからずや云るは辛国云々と云によりての考えなれど
天忍穗根尊と定めて可ならん 姑附て考えを俟つ神位
清和天皇 貞観七年二月二十七日己卯 豊前国 従五位上 忍骨神 従四位上
【原文参照】
英彦山神宮(福岡県 英彦山)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
豊前国 式内社 6座(大3座・小3座)について に戻る
豊前国(ぶぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 豊前国 6座(大3座・小3座)の神社です
豊前国 式内社 6座(大3座・小3座)について
”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)
『古事記』に登場する神話の舞台 の記事を見る
大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう
”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)『古事記』に登場する神話の舞台