実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

聖神社(伊豆市月ヶ瀬)

聖神社ひじりじんじゃは 聖ヶ森に鎮座していた聖宮大明神明治9(1876)この社殿に合祀主神として祀ったものです 最古の上梁文に永正9年(1512のものがあり 村名に「槻瀬村」とあり 現在の地名『月ヶ瀬の由来を示す者とされています

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

聖神社(Higiri Shrine)
ひじりじんじゃ

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

静岡県伊豆市月ヶ瀬274

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》聖宮大明神(Higirimiya Daimiyozin)

《配》大雷神稲荷大神大山祇神秋葉神淡島神琴平神菅原神
《合》天照大御神八幡神

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

伊豆市指定文化財(歴史資料)

(ひじり)神社「永正(えいしょう)の棟札(むなふだ)

現在の社殿は 昭和56年に現在の社殿に改築され、それ以前は茅葺きの社で、20年に一度の屋根の葺き替えの際の棟札が30数枚保管されています。そのうち最古の棟札には「大日本國伊豆州狩野庄槻瀬村/聖宮大明神添垂後人民守護也/御供之田地一旦子祗兵衛四良殿/大工神余中嶋与四良殿 永正九壬申霜月廿六日」とあります

 文中の「槻」とは欅(けやき)の古名で、現地名『月ヶ瀬の由来を示すものと思われますまた、永正九年は1512年で市内 寺社現存する棟札では最古ものと思われ裏面は享禄五年(1532)秋の葺き替えの際のものと思われます

平成元年2月27指定 伊豆市教育委員会

境内案内板より

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【由  (History)】

由緒

創建年代は詳かでないが
部落開拓以前からの鎮座を伝える最古の上梁文には永正9年(1512)壬申霜月26日とあり、大日本国 伊豆州 狩野庄槻瀬村 聖宮大明神 添垂後為 人民守護也とある。
寛文8年天照大御神、宝永5 八幡神、元禄10 菅原大神の上梁文あり合祀したものとおもわれる。
現在の本殿は寛政2年(1790)より同4928日に至って建立され 現在の社殿は昭和56 氏子の浄財と労力奉仕で改築されたものである。
なお聖宮大明神は 聖ヶ森に鎮座せしを 明治9年この社殿に合祀 主神と祀ったものである。
境内 祖霊社は明治48 当時 韮山県の許可を得て村内神徒の霊を祀る為建立された。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【境内社 (Other deities within the precincts)】

祖霊社《主》氏子の祖霊

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田方郡 24座(大1座・小23座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 倭文神社
[ふ り が な ]しとり かみのやしろ)
[Old Shrine name]Shitori no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

「倭文(シトリ)神社」について

「倭文神社」の読みは「しずおり・しとり・しずり・しどり・しとおり」等と呼びます

倭文「シズオリ」の布の別名を倭文織(しずお)り綾布(あやぬの)倭文布(しずぬの)と呼びんで カジノキや麻などを青の色に染めて 縞や乱模様を織古代の織物です 横糸に植物繊維(イラクサ科の多年草であるからむし)を染めて織った布のこと

この機織の神祀るのが「倭文(シトリ)神社」です

機織の神「建葉槌命(タケハヅチノミコト)天羽雷命・天羽槌雄・武羽槌雄などとも記されます」と「棚機姫命(タナバタヒメノミコト)天之八千千比売・天衣織女などとも記されます」を祀る神社です

建葉槌命(タケハヅチノミコト)を祖神とする倭文氏によって祀られたものと云われています

倭文氏は 大和朝廷下渡来の布織技術を持つ氏として 服部(はとりべ)・織部(おりべ)呼ばれる部なっとされています

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の「倭文神社」は13神社です

それぞれの現在の論社もご紹介します
倭文氏の祖神「天羽雷命(アマハイカヅチノミコト)=建葉槌命」を祀る神社とされます

1.畿内 大和國 葛下郡 葛木倭文坐天羽雷命神社 大
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

葛木倭文座天羽雷命神社(奈良県葛城市)

・博西神社(奈良県葛城市)

2.東海道 伊勢國 鈴鹿郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・加佐登神社(三重県鈴鹿市)〈合祀先〉

3.駿河國 富士郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・倭文神社(静岡県富士宮市)

一緒に読む
倭文神社(富士宮市星山)

倭文神社(しどりじんじゃ)は 古代 布織技術を誇った倭文氏が 祖神 健羽雷神(たけはつちのかみ)〈織物の神〉を祀った『延喜式神名帳927 AD.』所載の 駿河国 富士郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)とされます 又 鎮座地の星山は 星神として君臨して居た香々背男との関連も示唆し 常世国神(とこよのかみ)を奉じて大和朝廷に反した大生部 多(おおうべ の おお)〈不尽河〈富士川〉の辺に住む人〉の伝承にも通じています

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4.伊豆國 田方郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

倭文神社(伊豆市大野)

一緒に読む
倭文神社(伊豆市大野)

倭文神社(しどりじんじゃ)は 伊豆市大野にある倭文山の山頂に鎮座する『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 式内社゛倭文神社(しとりの かみのやしろ)゛の論社です 縄文遺跡もあり この地が古くから 渡来文化(機織技術など)で開けていたことを示すものとされています

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鍬戸神社(三島市長伏)

一緒に読む
鍬戸神社(三島市長伏)

鍬戸神社(くわとじんじゃ)は 江戸期には 鍬手明神と云われていました 同じ境内地の中に 同じく延喜式内社の高橋神社〈東北東向き〉と背中合わせに 鍬戸神社の本殿〈南南東向き〉が並び建てらけて お祀りされています

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小坂神社(伊豆の国市小坂)合祀

一緒に読む
小坂神社(伊豆の国市)

小坂神社(おさかじんじゃ)は 明治6年(1873) に 地区内各所に祀られていた17の神社が合祀されました その中の一祠は 古来から葛城山の山頂に鎮座し 合祀当時は 山麓の寺に遷されて小祠として祀られていた「葛城神社」〈式内社「倭文神社(しとりの かみのやしろ)」の論社〉です

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聖神社(伊豆市月ヶ瀬)

一緒に読む
聖神社(伊豆市月ヶ瀬)

聖神社(ひじりじんじゃ)は 聖ヶ森に鎮座していた聖宮大明神を明治9年(1876)この社殿に合祀し主神として祀ったものです 最古の上梁文に永正9年(1512)のものがあり 村名に「槻瀬村」とあり 現在の地名『月ヶ瀬』の由来を示す者とされています

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5.甲斐國 巨麻郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・倭文神社本宮(山梨県韮崎市)

・倭文神社降宮明神(山梨県韮崎市)

・諏訪大神社(山梨県甲斐市)

6.常陸國 久慈郡 靜神社 名神大
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・靜神社(茨城県那珂市)

7.東山道 上野國 那波郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・倭文神社(群馬県伊勢崎市)

一緒に読む
倭文神社(伊勢崎市東上之宮町)〈上野國九之宮〉

倭文神社(しとりじんじゃ)は  第十一代 垂仁天皇の御代の創建と伝えられ 貞観元年(859)には官社に列せられています 上野国九之宮とされる 式内社 倭文神社(しとりの かみのやしろ)です 利根川北岸に鎮座し 南岸に鎮座する式内社 火雷神社(上野国八之宮 下之宮)に対して「上之宮(うえのみや)」と称されます

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8.山陰道  丹後國 加佐郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・倭文神社(京都府舞鶴市)

9.丹後國 與謝郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・倭文神社(京都府与謝郡与謝野町)

10.但馬國 朝來郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・倭文神社〈鮭の宮〉(兵庫県朝来市)

一緒に読む
倭文神社〈鮭の宮〉(朝来市生野町円山)〈延喜式内社論社〉

倭文神社(しどりじんじゃ)は 和銅5年(712年)創建された 延喜式内社 但馬國 朝來郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)と伝わります 正徳3年(1713年)遷宮の時 偶然下流から鮭が遡上し 村人達は めでたい前兆として喜び〈鮭の宮〉と呼ぶようになったと伝わります

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・妙見宮〈国常神社〉(兵庫県朝来市)

一緒に読む
國常神社〈妙見宮〉(朝来市生野町円山)

國常神社(くにのとこじんじや)は 北辰信仰の妙見宮(みょうけんぐう)とも呼ばれ 国常立尊(くにのとこたちのみこと)を祀ります この地は 式内社 倭文神社〈鮭の宮〉(ここから500m程の 円山川の下流)の旧鎮座地 円山字鹽谷であると伝わります

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11.因幡國 高草郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・倭文神社(鳥取県鳥取市)

12.伯耆國 川村郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・倭文神社(鳥取県湯梨浜町) 伯耆 一之宮

一緒に読む
倭文神社(湯梨浜町)安産の神として崇敬される伯耆国の一之宮

倭文神社(しとりじんじゃ)は 云い伝えによれば 大国主命の娘神「下照姫命」が 一匹の海亀の導きによって 宇野の海岸に着船し この小高い丘からの眺めに癒され 住居を定め 農業指導や 医薬普及に努めたと云い 人々は敬い 古くから格式高く 伯耆国の一之宮として 湯梨浜町(ゆりはまちょう)に鎮座します 境内には「安産岩」と呼ばれる岩があり 安産の神様としても知られます

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13.伯耆國 久米郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載

・倭文神社(鳥取県倉吉市) 伯耆 三之宮

一緒に読む
倭文神社(倉吉市志津)伯耆国三之宮

倭文神社(しとりじんじゃ)は 御祭神の武葉槌神(一説には 経津主神とも)が 出雲の国譲りの際 豊原中国を平定せよとの詔勅により 出雲へ出陣をされます この時 御陣営をかためられたのがこの地で 倭文神社はこの神跡であると伝えられています

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

修善寺駅から 伊豆縦貫自動車道/天城北道路 修善寺ICから乗り 月ヶ瀬ICから出ます

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R414号を下田方面に800m程で右折 白い鳥居が建ちます
聖神社(Higiri Shrine)に参着

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丁度 9月初旬の残暑日でしたが 近隣の方々が一斉清掃終えた所で 皆さん休憩中でした 明日また通る予定でしたので 鳥居から深々と礼をしましたところ「ご苦労様です」と声掛けされて 恐縮したのを覚えています 

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翌日 再び 鳥居前に立ちます

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一礼をして 鳥居をくぐります 扁額には「聖神社」と記されています

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拝殿にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

社殿の向かって右奥が 境内社の祖霊社です 合わせてお詣りをします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承

聖宮と聖明神ついて記しています

【意訳】

聖宮  月ヶ瀬

神明若宮を配祀す
〇天神の祠の後ろの巨岩 高さ五丈 広倍なり これ亦 神主なり
〇聖明神 清水
 石祠 シンタイは石なり 高さ一尺八寸 広さ二尺一寸
 餘村の老云う これ往昔 本郷の井の中より出ず 人若し觸汚すれば 忽(たちま)ち 不動の形相を現ず 故に主(あるじ)とし祀る

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『豆州志稿』選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=

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式内社「倭文神社しとりの かみのやしろ)」の伝承

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

神社の名称のみが 記されています

【意訳】

倭文(シトリ)神社

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

式内社「倭文神社」の所在について 大野村〈現 倭文神社(伊豆市大野)〉と記しています

【意訳】

倭文神社

倭文は 志圓利と訓ずべし
〇祭神 建羽槌男神 歟
〇大野村に在す 国圓

類社 伊勢鈴鹿郡 倭文神社の條見合うべし

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

式内社「倭文神社」の所在について 諸説あって一定しないと 3つの所在を挙げています ・長伏村〈現 鍬戸神社(三島市長伏)〉・大野村〈現 倭文神社(伊豆市大野)〉・田京村〈現 小坂神社(伊豆の国市小坂)合祀

【意訳】

倭文(シヅリノ)神社

祭神
祭日
社格

所在
今按〈今考えるに〉
この神社 諸説一定ならず
一説に 君澤郡 長伏村 鍬手明神なるべし 豆志未定の部に載せたれど 神名帳に各社を載られたる序次は 父梨 軽野 倭文 高橋 長濱 とあるを神階帳には ちちなし 狩野 長濱と並載せて 倭文 髙橋を列ねず 別所に髙橋の明神 くわとの明神を並び出せるは彼 狩野川 神長濱明神の間より この2社を引抜て出したること知られて この くわとの明神 倭文神社なること疑い無ければなり

又 一説に 國圓に大野村に載せたれど 今然るべき社なし牧郷村天神社ならむ 隣里 柏久保村は旧一村なりし由なるが 彼村に一宮明神あり 一宮と称するは 必式社ならむ 社辺りに今 シントと云う地名ある 牧郷村に岑度(シント)山 東隠寺と云うあるは 倭文の転訛なるべし

又 一説に 田京村 深澤明神ならん 社辺の字に 麻(ヲ)か畑 麻浸(ヲラテ)川あり 近隣の者 夜半に時々 機織の音を聞く事ありと これ機を司り玉う神なるに由あり 田京は建羽槌命の伝ならんと云える

長伏村と云うは 神名帳の順序に由あり 大野村は倭文の語に由ありて聞こえれば この2村の内なるべし 牧郷村なるはその説少しく付会に近し

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』1 『特選神名牒』2

『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承

式内社「倭文神社」の所在について 数説あるが ・長伏村〈現 鍬戸神社(三島市長伏)〉であると記しています

【意訳】

倭文(しどりの)神社

君澤郡 長伏村鎮座 くわとの明神 神階帳 旧称 鍬手(くわて)明神なるべし 考証 及び 注進の一説 續攷

この他 数設あれど 皆憶断を遁をざき掲げるを要せり

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』萩原正平 著 出版年月日 明15.6  編 出版者 栄樹堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090『伊豆国式社攷略』

聖神社(Higiri Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る       

一緒に読む
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について

伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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  • B!

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