比々多神社(ひびたじんじゃ)は 始源は今から約一万年以上前〔付近の遺跡等から推測〕とされ 鎮座は「社伝に初代 神武天皇六年 古くから祭祀の行われていた当地を最上の地と選定し神を祀る社を建立 霊峰大山を神体山とし 豊斟渟尊を日本国霊として祀始と云う」延喜式内社 相模國 大住郡 比比多神社(ひひたの かみのやしろ)です
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
比々多神社(Hibita shrine)
【通称名(Common name)】
・三の宮さま(さんのみやさま)
・三宮比々多神社(さんのみやひびたじんじゃ)
【鎮座地 (Location) 】
神奈川県伊勢原市三ノ宮1472番地
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主祭神》
豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)
稚日女命(わかひるめのみこと)
天櫛明玉命(あめのくしあかるたまのみこと)
日本武命(やまとたけるのみこと)
《相殿神》〈大化元年(645)合祀〉
大酒解神(おほさかとけのかみ)
小酒解神(こさかとけのかみ)
Please do not reproduce without prior permission.
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・ 相模國三之宮
【創 建 (Beginning of history)】
相模國三之宮 比々多神社
鎮座地
神奈川県伊勢原市三之宮一四六八番地
御祭神
豊国主尊 天明玉命 稚日霊命 日本武命
大酒解神 小酒解神由緒
神武天皇六年 国土創建民族興隆を祈念し日本国霊として当社を創建したと伝えられる
崇神天皇の御代 神地神戸を奉られ 大化元年(六四五)社殿の再復の際 木彫の狛犬一対(市重要文化財)を奉納 又 此年に酒解神を合祀 うずら瓶(県重要文化財)を納められた 天平十五年(七四三)大宮司に竹内宿祢の後裔 紀朝臣益麿を迎えて初代宮司に任命 勅して荘園を賜り真田を称す 天長九年(八三二)六月国司 橘朝臣峯嗣を勅使として相模國の総社として冠大明神の神号を奉られ 鎌倉時代にはいり将軍 源頼朝が文治元年(一一八五)に国土安泰の御願書を奉り 建久三年(一一九二)には妻政子の安産を祈り神馬を奉納された
南北朝室町時代に戦さに巻込まれ神領の大半を失い衰微したが 徳川時代に当社が相模國の名社であることを知った家康公により社領を新たに寄進され以下十四代将軍まで続いた よって社運も持直し明治時代には社格は郷社となり社格制度が廃止後は指定神社となる御神徳
主祭神 豊国主尊様は国土創造神様で大地を整えることは元より地上に生存する万物の芽組みと育成 又はあらゆるものを考え出し組立てる大元を司りになられます これは私達が生活する中で子供の成長や縁組そして家庭内の安穏 又諸産業の発展へと御神威を発揚せられます
御参拝の皆様方には大神様の御加護をいただき よりよき生活が営まれ御多幸あられますことを御祈念申し上げます
歳旦祭 一月一日
まが玉祭 五月第三土・日曜日
節分祭 二月
大祓式 六月三十日 十二月二十日
祈年祭 二月十七日
正祭慰霊祭 十月中旬
例 祭 四月二十二日
新穀勤労感謝祭 十一月二十三日
国府祭 五月五日
酒 祭 十一月上旬
月次祭 毎月一日十五日斉行 御自由に御参拝下さい現地案内板より
Please do not reproduce without prior permission.
三宮比々多神社(さんのみやひびたじんじゃ)
御祭神 豊斟渟尊 天櫛明玉命 雅日女命 日本武命
(相殿) 大酒解神 小酒解神由緒
比々多神社の歴史は大変に古く、神社付近より発掘出土した遺跡遺物などから推測すると、当神社の始源は今から約一万年以上前まで遡れる。
社伝によると、比々多神社の鎮座は初代天皇の神武天皇六年、人々が、古くから祭祀の行われていた当地を最上の地と選定、神を祀る社を建立し、相模国の霊峰大山を神体山とし、豊斟渟尊を日本国霊として祀ったことに始まるという。第十代崇神天皇の7年、神地「神戸」を奉られ、次いで、孝徳天皇の大化元年(六四五)に至り、相模国の国司・布勢朝臣色布知によって社殿の改修が行われ、一対の木彫の狛犬が奉納された。更にこの年、現在相殿に祀られている大酒解神・小酒解神の二神が合祀されるに伴い、「ウズラミカ」と称される須恵器が奉納されたという。なお、この狛犬一対とウズラミカは、共に、江戸時代の官撰地誌である『新編相模国風土記稿』(1841年成立)に紹介されており、現在は、市の重要文化財、県の重要文化財に指定されている。天平15年(743)、竹内宿弥の裔孫・紀朝臣益麿を比々多神社の初代宮司として迎え、同時に第四十五代聖武天皇より荘園を賜わる。第六十代醍醐天皇の御代、延喜年間に全国の主要神社の名簿(これを『延喜式神名帳』という)が作られることになった時、比々多神社も登録され、以後、式内社(『延喜式神名帳』記載神社のこと)として国幣(朝廷より賜わる幣帛)を奉る神社となる。
これより先、第五十三代淳和天皇の天長9年(832)、相模国国司・橘朝臣峯嗣を勅使として当国総社「冠大明神」の神号を天皇より賜わる。この神号は『吾妻鑑』建久3年(1192)8月9日の条にもみえる。即ち、征夷大将軍源頼朝が妻政子の実朝出産に際し、その安産祈願のため相模国の社寺に神馬を奉納したという記事の中に、比々多神社が「三宮冠大明神」の名をもって列記されているのである。南北朝、室町時代になると戦禍によって神領の大部分を失い、また、明応年間(1492~1501)に、社殿を兵火によって焼失し、天正の初め、社地を埒面から現在の地に移転遷座し、更に、天正19年(1591)、比々多神社が相模国の名社であることを知った徳川家康によって社領10石が寄進されるに及び、漸く社頭の復興をみるに至った。以後、家忠・家光以下十二代の将軍から神領の寄進がなされ、明治維新に至る。明治6年社格を郷社と定められる。
戦争が始まり大東亜戦争に突入すると、比々多神社境内の宮鐘も資源回収のため供出せられたが、終戦後、氏子崇敬者の幸福と平和を願って、人間国宝香取秀真氏に新鐘の制作を依頼した。昭和25年秋、香取秀真・正彦父子制作による第二の宮鐘が完成し、境内に設営された。そして、現在、比々多神社は事始めの大神様として、近隣はもとより広く関東一円の人々より篤く崇敬されるに至っている。年中祭事
歳旦祭・元旦大祈祷
除夜の鐘と同時に斎行される式典で、氏子・崇敬者の1年の家内安全・交通安全・商売繁盛などを、祈願者1人1人の氏名を御神前に奏上、祈願します。節分祭(2月節分の日)
立春の前日の厄除招福の行事で、毎年、氏子・崇敬者の中から選ばれた年男年女の奉仕によって、午前10時・正午・午後3時の3回、境内で「節分宝まき」を行います。祈年祭(2月17日)
春の始めに五穀豊穰・産業繁栄を祈る祭で、氏子・崇敬者が健康で仕事に従事できるように祈願します。例大祭(4月21・22日)
三宮祭の名で親しまれている当神社の例大祭には、神輿の他に三基の山車が出ます。その三基の山車の頂上には各々、仁木弾正・熊谷直実・加藤清正のカラクリ人形が載せられており、神輿と共に氏子区域を巡幸します。境内では約200軒の植木市が開かれます。国府祭(5月5日)
大磯町の神揃山と大矢場で斎行されるこの祭は、平安時代、国司が国府の総社において所管内の主要神社を奉祭したことに始まります。神揃山では「座問答」の神事が、大矢場では国司祭が行われます。まが玉祭(5月下旬)
文化の継承と地域の活性化を目的としたお祭です。境内・社務所において茶道、書道、武道などの発表展示、夕刻には雅楽の夕べが行われます。大祓式(7月・12月)
知らず知らずに人々が犯した罪・穢れを祓い清め、健康で明るい生活が送れるよう祈願します。正祭・招魂祭(10月17日)
崇神天皇より当神社に神地「神戸」を賜われたことを感謝する祭で、続いて、比々多地区内の慰霊祭が執行されます。新穀・勤労感謝祭(11月23日)
実りの秋に五穀豊穰を感謝し、あらゆる産業発展に感謝する祭です。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【由 緒 (History)】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
〇神奈川縣 相摸國 中郡比々多村大字三ノ宮
郷社 比々多神宮(ヒヒタノジングウ)
祭神
稚日女神 木花開耶姫命 豊斟野神
大山祇命 天櫛明玉命 日本武尊創立年月及由緒詳ならず、或は云ふ、崇神天皇七年、天社國社及神地神戸を定められし時の一なりと、廷喜の制 式内小社に列せられ、当國十三座の一にして、相模三ノ宮たり、後柏原天皇永正九年の頃、三浦荒治郎、父義意と共に大住郡岡崎の域主 氏茂と戦ふ、
其の當時の社地は、今の社地の上にあり、(今社地面と稱し、時々瓦の出づる冠塚の附近)一萬七千坪なりしと、戦利あらず、遂に氏茂の兵火の為め社殿、神寶悉く鳥有に帰し、神地神戸又失ふに至る、後 正親町天皇 天正の初、宮之前なる神官の居屋敷、即ち今の地に遷し奉る、同十九年十一月徳川家康 社領十石の朱印を寄す、明治四年上地し、六年郷社に列す、
當社元地名に依り比々多明神とも稱し、又三宮明神社と稱せり、明治維新後 今の名に復稱す、社殿は本殿、覆殿、幣殿。拝殿、境内は千六百七十八坪(官肴地第一種)あり。當社祭神を、特選神名牒に、大酒解神、小酒解神とし説あり、曰く、
「今按、社傳 祭神大酒解神小酒鰹神トスルモノハ、僞風土記ノ説ナレバ如何アラン、サレド注進状ニ本社イト古キ瓶二ツヲ神體トスト云ルニヨレバ、據ナシトモ云ベカラズ、故今姑ク之ニ從フ」伴信友云、社司大貫氏云、今 社地四千五百坪はかりありて除地也、こは古神主の屋敷也、古の社地は今の社の上の方にて、今は畠となる、其處より一町餘下に御門神とて、門の両脇の如く小社二宇あり、古例にて今も五月五日の祭礼に神輿 其御門の神社の中間を渡り給ふ也、さて其御門神の真向三四町許下に神戸村と云あり、當社の神戸なりし處なり、五月五日の大祭には、一宮二宮三宮四宮等の神輿、三里許神幸の式あり、時によりて翌日帰座の事もあり、
又云、先年同郡子易村に子易明神といふ淫祠ありけるを、上糟谷村に遷し、三宮神主に内談し、比々多神社の稱をかり、比々多神社子易大明神と二行の額を掛け、守札に相模國十三座之内比々多神社と記せらる由也と云り、さては地名記に、上粕谷郷子易村比々多神社、祭神吾多鹿葦津姫命と載せたり。今暫く三宮の説に随うて再考をまつ。
【原文参照】
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・比々多神社 本殿覆い屋
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
・比々多神社 幣殿
Please do not reproduce without prior permission.
・比々多神社 拝殿
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
・なでまが玉
Please do not reproduce without prior permission.
・〈境内社〉秋葉神社
Please do not reproduce without prior permission.
・神輿殿
Please do not reproduce without prior permission.
・〈境内社 石祠5宇〉〔・稲荷神社・東照宮権現社・神明神社・弁天社・白山神社〕
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
・〈境内社〉金比羅神社
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
・授与所
Please do not reproduce without prior permission.
・菊展示
Please do not reproduce without prior permission.
・御神木・相生の欅・鐘楼
Please do not reproduce without prior permission.
・相生の欅・鳥居
Please do not reproduce without prior permission.
・手水舎
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
・鳥居
Please do not reproduce without prior permission.
・社頭
Please do not reproduce without prior permission.
・玉垣
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
・神池・慰霊塔
Please do not reproduce without prior permission.
・〈社頭の案内板〉「日本遺産のまち伊勢原」
日本遺産のまち伊勢原
«信仰の地「大山」の生い立ち»
大山への信仰は古く、奈良時代には、霊山寺(現・宝城坊。通称・日向薬師)、石雲寺、大山寺が開かれ、平安時代にまとめられた「延喜式神名帳」に記される阿夫利神社や比々多神社、高部屋神社の成立などにより、信仰の地としての姿が整えられていった。
現地案内板より
Please do not reproduce without prior permission.
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈旧鎮座地〉埒免古墳・比々多神社 元宮(伊勢原市三ノ宮)
Please do not reproduce without prior permission.
元宮は 比々多神社(伊勢原市三ノ宮)の北西 約500m 小高い丘の上にあります
遷座の時期については 社伝に「正親町天皇 天正の初、宮之前なる神官の居屋敷、即ち今の地に遷し奉る」とあり 天正の初(1573年~)頃
・〈旧鎮座地〉埒免古墳・比々多神社 元宮(伊勢原市三ノ宮)の記事を参照
・三ノ宮・宮ノ前遺跡
三ノ宮・宮ノ前遺跡
三ノ宮・宮ノ前遺跡は、三ノ宮比々多神社の境内やその周辺一帯に広がっている遺跡です。これまでに5回にわたって発掘調査が実施され、縄文時代の竪穴住居、敷石住居、土坑、配石、ピットなどが発見されています。
この案内板前の地点の調査では、縄文時代草創期(今から1万~1万2千年ほど前)の遺物が出土しました。土器50点、石器類629点、礫51点などです。
土器は「微隆起線文土器」と呼ばれる底が丸い深鉢形で、外面にみみず腫れのような細い粘土ひもが貼り付けられています。また、石器には三角形の「有舌尖頭器」があります。弓矢の先として使用されたものです。縄文時代以前の旧石器時代は寒冷気候で、人々は大型動物を獲物として生活していました。しかし、今から1万2千年ほど前に訪れた気候の温暖化により増加した小動物、木の実、海産物などを食料とする生活へと変化していきました。縄文時代の始まりです。その変化にはさまざまなものがありますが、なかでも特徴的なものが弓矢の使用と土器の発明です。動きの速い動物を捕るための弓矢、木の実や貝などを煮るための土器が新しい時代を象徴する遺物といえます。
宮ノ前遺跡の縄文時代中期、後期には人々が定住する集落が営まれていました。中期では竪穴住居、後期では住居の床に石を敷いた敷石住居が発見されています。使用している石には小田原から伊豆半島東岸に産出する根府川石と呼ばれる扁平な石も含まれています。重い石をわざわざ運んできたことになります。また、ひとつの敷石住居からは鹿の角で作った釣針が出土しました。大きさから大型の魚を捕るためのものと考えられます。このように宮ノ前遺跡は縄文時代の中心的な集落であり、当地が気候的にも地形的にも優れた環境であったことを物語っています。
このほかにも、三之宮比々多神社境内の付近では弥生時代、古墳時代の遺物が出土したり、平安時代や中世の祭祀遺構が確認されたりしており、永い年月にわたり人々が活動していたことがわかります。
また、ここから北側50mのところには東名高速道路建設時に発見された下谷戸遺跡の敷石住居、配石が三之宮比々多神社のご協力により復元されています。宮ノ前遺跡とも関連する縄文時代後期のものです。
平成31年3月 伊勢原市教育委員会
現地案内板より
Please do not reproduce without prior permission.
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)相摸國 13座(大1座・小12座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)大住郡 4座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 比比多神社
[ふ り が な ](ひひたの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Hihita no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
相模國の「一宮 二宮 三宮 四宮 五宮」について
相模國は 寒川神社と川勾神社の間で「一之宮争い」があったと伝わっています
この「相模國の一之宮争い」は 現在も国府祭(こくふさい/こうのまち)の神事 儀中の古式「座問答」で再現されています
詳細は 下記の記事を参照ください
相模國の「一宮 二宮 三宮 四宮 五宮 総社」について 「相模國の一之宮争い」を今に伝える神事「国府祭」には 相模國の六社〔・一之宮 寒川神社・二之宮 川勾神社・三之宮 比々多神社・四之宮 前鳥神社・五之宮 平塚八幡宮・総社 六所神社〕が祭場である神揃山(かみそろいやま)・逢親場(おおやば)に 毎年五月五日に参集します
相模國の「一宮 二宮 三宮 四宮 五宮 総社」について
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
小田急小田原線 伊勢原駅から県道61号経由で西へ約3.5km 車での所要時間は10~13分程度
県道612号の「三ノ宮」の交差点の一本北側の道を西へ進み 鈴川を越えると比々多神社の案内板があります
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
幟旗などもありました
Please do not reproduce without prior permission.
比々多神社(伊勢原市三ノ宮)に参着
Please do not reproduce without prior permission.
注連縄のかかる鳥居に一礼をして くぐり抜けます
Please do not reproduce without prior permission.
すぐ右手に 手水舎があり 清めます
Please do not reproduce without prior permission.
正面には拝殿があります
境内の中程に「御神木」
境内の入口には「狛犬」「相生の欅」があります
Please do not reproduce without prior permission.
境内の向かって左側には「鐘楼」「舞殿」
Please do not reproduce without prior permission.
境内の向かって右側には「成長のはかり」
七五三などで子供が身長を測るのだと想います
Please do not reproduce without prior permission.
拝殿にすすみます
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
奉献酒樽
Please do not reproduce without prior permission.
拝殿に掲げられている額
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
拝殿の奥には 幣殿 本殿の覆い屋となっています
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
社殿の横には神輿殿や境内社が祀られています
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
社殿に一礼をして境内を戻ります
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 比比多神社について 所在は゛白根郷三宮村に在す、今三宮と稱す、゛〈現 比々多神社(伊勢原市三ノ宮)〉と記しています
又゛上粕谷郷子易村比々多神社゛〈現 比比多神社〈子易明神〉(伊勢原市上粕屋)〉の説も紹介しています
【抜粋意訳】
比比多神社
比比多は假字也、和名鈔〔郷名部〕日田、
○祭神 大酒解神、小酒解神、〔風土記〕
○白根郷三宮村に在す、今三宮と稱す、〔社説〕
例祭 月 日、
○惣國風土記残訣云、相摸國大墨郡 比比多伊神社、天万豐日天皇乙巳十月、所祭大酒解神、小酒解神也、神貢三十束、
○東鑑十二云、建久三年八月九日、早旦以後、御臺所御産氣、云々、相摸國神社佛寺奉神馬、云々、三宮、冠大明神
伴信友云、按るに、比々他伊ト伊ノ字ヲ添テイヘル也、同風土記駿河國伊穂原郡ニ 阿蘇宇伊卜云地名ヲ記シ、次ニ 阿蘇宇伊神社もあり、今 由井駅の西に阿蘇宇といふ處これ也と國人云り、東國にて同例也、地名に某里と里を添へて呼るがある如く、ただ何となく添へて呼ならへるなるべしと云り、
○社司大貫氏云、今社地四千五百坪ばかりありて除地也、こは、古神主の屋敷地也、古の社地は今の社の上の方にて、今は畠となる、其處より一町餘下に御門神とて、門の雨腋の如く小社二宇あり、古例にて今も五月五日の祭禮に、神輿其御門の神社の中間を渡り給ふ也、さて其御門神の眞向三四町許下に神戸村と云あり、當杜の神戸なりし処也、五月五日の大祭には、一宮二宮三宮四宮等の神輿、三里許神幸の式あり、時によりて翌日帰座の事もあり、
○又云、先年同郡 子易村に子易明神といふ淫祠ありけるを、上糟谷村に遷し、三宮神主に内談し、比々多神社の稱をかり、比々多神社子易大明神と二行の額を掛け、守札に相摸國十三座之内比々多神社と記せる由也と云り、さては地名記に、上粕谷郷子易村比々多神社、祭神吾多鹿葦津姫命と載たり、今暫く三宮の説に随うて再考をまつ、
社領
當代御朱印高(缺く)
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 比比多神社について 所在は゛今 白根郷三宮村にあり、゛〈現 比々多神社(伊勢原市三ノ宮)〉と記しています
【抜粋意訳】
比比多神社、
今 白根郷三宮村にあり、〔松屋外集、神名帳考土代〕〔〇按 本社は神戶日向村に近し、日向は和名抄日田郷是也、〕
後鳥羽天皇 建久三年八月已酉、源頼朝 神馬を三宮冠大明神に奉り、妻 政子の産氣を祈る、盖是神也、〔東鑑〕
凡 每年五月五日祭を行ふ、〔神名帳考土代〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 比比多神社について 所在は゛三之宮村 (中郡比々多村大字三之宮 )゛〈現 比々多神社(伊勢原市三ノ宮)〉と記しています
【抜粋意訳】
比比多神社
祭神 大酒解神 小酒解神
今按 社傳 祭神 大酒解神 小酒解神とするものは僞風土記の説なれば如何あらん されど注進状に本社いと古き瓶二つを神體とすと云るによらば據なしとも云べからず、故今姑く之に從ふ
祭日 四月二十二日
社格 郷社所在 三之宮村 (中郡比々多村大字三之宮 )
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
比々多神社(伊勢原市三ノ宮)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
Please do not reproduce without prior permission.
相摸国 式内社 13座(大1座・小12座)について に戻る
相摸国(さがみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 相摸国には 13座(大1座・小12座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
相摸國 式内社 13座(大1座・小12座)について