初宮神社(はつみやじんじゃ)は 平城京〈710~794年頃〉奈良時代 宮中の神祇官にて祀られていた八神殿の跡〈第九代 開化天皇の時代〈BC.157~BC.98年〉の八神殿であるとも伝〉とされる聖地です 八神殿は その後 京都への遷都とともに京都に遷り 現在は東京の皇居に鎮座しています 現在の初宮神社は 世界遺産・春日大社(かすがたいしゃ)の境外末社となっています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
初宮神社(Hatsumiya shrine)
[通称名(Common name)]
初度の宮
【鎮座地 (Location) 】
奈良県奈良市鍋屋町10
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
神祇官八神
《主》神皇産霊神(かんむすびのかみ)
《主》高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
《主》魂留産霊神(たまとめむすびのかみ)
《主》生産霊神(いけむすびのかみ)
《主》足産霊神(たるむすびのかみ)
《主》大宮賣神(おほみやのめのかみ)
《主》御膳津神(みけつのかみ)
《主》事代主命(ことしろぬしのみこと)
《配》伊勢皇大神(いせすぬおほかみ)
春日大神(かすがのおほかみ)
住吉大神(すみよしのおほかみ)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・萬物造化、結婚生活、子供の守護
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社の元宮
・ 春日大社 境外末社
【創 建 (Beginning of history)】
平城京〈710~794年頃〉奈良時代 宮中の神祇官にて祀られていた八神殿の跡
〈第九代 開化天皇の時代〈BC.157~BC.98年〉の八神殿であるとも伝〉
【由 緒 (History)】
初宮神社
御祭神
神祇官八神
神皇産霊神 高皇産霊神 魂留産霊神 生産霊神
足産霊神 大宮賣神 御膳津神 事代主命
伊勢皇大神 春日大神 住吉大神
境内小社
市岐島姫命 七月七日
稲荷大神 二月初午例祭日 十月十七日
由 緒
当社は今から千二百年前 奈良に都があった時、宮中で神祇官の祀っていた八神殿である。この八柱の神は むすびの神として萬物造化、結婚生活、子供の守護、飲食等に亘り 相合体して宏大な御神徳を垂れ給ふ神々である。
崇徳天皇 長承元年 春日若宮創立の頃 九月一日この八神の外に伊勢、春日、住吉の大神を併せお祀りしたもので、若宮おん祭には 田楽法師は必ずここへお参りして芸能を奉納、当日の事始めをする古例である。
これがための初度の宮とも称す。
現在でも祭礼当日ここで田楽を行ふ。現地案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・市岐島姫命・稲荷大神
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
初宮神社は 世界遺産・春日大社(かすがたいしゃ)の境外末社
・春日大社(奈良市春日野町)
春日大社(かすがたいしゃ)は 社記によると 神護景雲二年(768)・武甕槌命〈常陸国 鹿島神宮〉・経津主命〈下総国 香取神宮〉・天児屋根命〈河内国 枚岡神社〉・比売神〈河内国 枚岡神社〉を併せ 御蓋山(みかさやま)麓に四殿の社殿を造営し 四座が鎮座して 春日大社が創建されたと伝えています
春日大社(奈良市春日野町)
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻2「四時祭下」中の「御巫奉斎神祭」
【抜粋意訳】
巻2 神祇2 四時祭下 九月祭 御巫奉斎神祭〈中宮東宮御巫准此〉の条
絁(キヌ)一疋四丈、五色帛各四丈、絲四絇、綿六屯、倭(シツ)文四尺、調布(ツキノヌノ)六端、庸布四段、紙一百張、凡木綿、麻各二斤、鍬(スキ)八口、銭五百文、酒一斗、米六斗、糯米四斗、稲八束、大豆、小豆各二斗、鰒(アワヒ)、堅魚(カツヲ)、腊(キタヒ)、海藻各十二斤、鮭(サケ)八隻、塩四斗、明櫃(アカヒツ)二合、折櫃(ヲリヒツ)八合、笥八合、杓二柄、瓫堝(ほときなへ)各四口、瓶(カメ)八口、杯八十口、槲(カシハ)五十把、席(ムシロ)二枚、薦(コモ)二枚、食薦(スコモ)八枚、簀(ス)二枚、
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)宮中 36座…大(預月次新嘗)30・小6)
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)神祇官西院坐御巫等祭神 23座(並大)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)御巫祭神 8座(並大月次新嘗・中宮東宮御巫亦同)
神産日神(かむむすひのかみ)
髙御産日神(たかみむすひのかみ)
玉積産日神(たまるむすひのかみ)
生産日神(いくむすひのかみ)
足産日神(たるむすひのかみ)
大宮賣神(おほみやひめのかみ)
御食津神(みけつのかみ)
事代主神(ことしろぬしのかみ)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
春日大社の例祭 若宮おん祭 について
田楽(でんがく)
華やかな五色のご幣をおし立てて、綾藺笠(あやいがさ)をつけ、編木(ささら)・笛・太鼓を持つ集団が田楽座である。おん祭で行われる芸能のうちで最も興福寺と深い関係をもってきた芸能集団で、かつては祭礼当日までのさまざまな行事に加わっていたが、
今でも16日には本社及び若宮社への宵宮詣、17日にはお渡りに先立って初宮神社(市内鍋屋町)への初宮詣、松の下・お旅所と各所で芸能の奉納を繰り広げている。
奈良一刀彫りの起源といわれる人形を飾った大きな花笠を頭上に乗せた笛役の二藹(ろう)はひときわ人目を引く。松の下では「中門ロ」「刀玉(かたなだま)」「高足」等を演じる。
春日大社HPより
『大和名所図会(Yamato Meisho Zue)』〈寛政3年(1791年)刊〉に記される伝承
春日 若宮 御祭(おんまつり)の様子が描かれています
【原文参照】
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄奈良駅から 北へ約400m 奈良女子大学正門前辺り 徒歩5分程度
当日は 御神門が締まっておりました
初宮神社(奈良市鍋屋町)に参着
神門の外より
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
境内社にも
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『平城坊目考 Heijobo mokuko』(寛政7年(1795年)成立、久世宵瑞著)に記される伝承
第九代 開化天皇の時代〈BC.157~BC.98年〉の八神殿であると記しています
【抜粋意訳】
巻中 鍋屋町
別名は 石切町と云う 黒門前とも呼ばれる・・云々
初宮大明神 一殿
俗に 初度の宮と云う
当座は 開化天皇時代の八神殿なり その後 御堂関白道長公が再興された
康治年間(1142~1143年)及び 長承年間(1132~1134年)には 祝副神事が9月17日に行われた 毎年11月27日の春日若宮御祭礼には 田楽法師らが当社の神前で舞曲の奉納を行ない 若宮御祭礼の事始まりとなっていた
初度宮と言うのは この縁による
『源平盛衰記』及び『神明鏡』曰く 治承4年(1180)12月 平重衡の兵火にかかりし 興福寺住吉神社はこの社である 宝永元年(1704)4月の火災により 社壇及び在家は悉く焼失した 同年に神社と鳥居が再興され正遷宮された また宝暦12年(1762)の大火により類焼
【原文参照】
初宮神社(奈良市鍋屋町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました このページは
宮中に鎮座せらる式内社 36座『延喜式神名帳』の所載一覧
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています
「宮中」に鎮座する(36座…大(預月次新嘗)30・小6)神社の一覧表です
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