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播磨国 式内社 50座(大7座・小43座)について

播磨国(はりまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 播磨国 50座(大7座・小43座)の神社です

播磨国(はりまのくに)について

播磨国Harimanokuniは  令制国の一つ山陽に属する
現在の兵庫県南西部

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播磨国(はりまのくに)は古事記は 針間 (はりま)と表記され

『旧事本紀』には 古くは針間 (はりま) 針間鴨明石の3国造があったと記されます

和銅6(713) の詔によって『播磨国風土記』が編纂されていますので 播磨国(はりまのくに)は 7世紀成立したとされています

播磨国(はりまのくに) 50座(大7座・小43座)

大社7座5社
小社43は42
 50は47

※座は神の柱数 社は神社数

〈延喜式神名帳に記載〉
明石郡(あかしの こおり) 9座(大3座・小6座)
賀古郡(かこの こおり) 1座(小)
飾磨郡(しかま こおり) 4座(並小)
揖保郡(いひほの こおり) 7座(大3座・小4座)
赤穂郡(あかほの こおり) 3座(並小)
宍粟郡(しさはの こおり) 7座(大1座・小6座)
佐用郡(さよの こおり) 2座(並小)
美嚢郡(みなきの こおり) 1座(小)
神埼郡(かんさきの こおり) 2座(並小)
多可郡(たかの こおり) 6座(並小)
賀茂郡(かもの こおり) 8座(並小)

明石郡(あかしの こおり) 9座(大3座・小6座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

宇留神社(うるの かみのやしろ)

・宇留春日神社(平野町宮前)

・稲爪神社(明石市大蔵本町)

・押部谷住吉神社(押部谷町細田)

物部神社(もののへの かみのやしろ)

可美真手命神社押部谷町細田

惣社神戸市西区伊川谷町

海神社三座(並名神大月次新嘗)(たるみの かみのやしろ みくら)

・海神社(神戸市垂水区宮本町)

・下畑海神社(神戸市垂水区下畑町)

弥賀多多神社(にかたたの かみのやしろ)

・堅田神社(平野町堅田)

・繁田堅田神社(平野町繁田)

・黒田堅田神社(平野町黒田)

・伊弉册神社(明石市岬町)

・岩屋神社(明石市材木町)

林神社(はやしの かみのやしろ)

・林神社(明石市宮の上)

赤羽神社(あかはの かみのやしろ)

・赤羽神社(伊川谷町潤和)

伊和都比賣神社(いわつひめの かみのやしろ)

・稲爪神社(明石市大蔵本町)
〈合祀 伊和都比売神社〉

・伊弉册神社(明石市岬町)

・岩屋神社(明石市材木町)

賀古郡(かこの こおり) 1座(小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

日岡坐天伊佐佐比古神社(ひをかにますあめのいささひこの かみのやしろ)

・日岡神社(加古川市加古川町大野)

飾磨郡(しかま こおり) 4座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

射楯兵主神社二座(いたてつはものぬしの かみのやしろ ふたくら)

・射楯兵主神社(姫路市)

・行矢射楯兵主神社(姫路市)

・廣峯神社(姫路市広嶺山)

論社
廣峯神社(姫路市広嶺山)〈全国にある牛頭天王の総本宮〉

廣峯神社(ひろみねじんじゃ)は 奈良時代 天平5年(733)遣唐使として中国から帰国した「吉備真備 公」は 国家の為に陰陽道(天文・暦・気象を司り、国の吉凶を見定める)を習得され 奈良へ帰途の折 広峯山系の白幣山に登臨「牛頭天王の信託を感受」する この旨を第45代聖武天皇に奏上し 翌年に廣峯神社の大社殿が造営されました

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白國神社(しらくにの かみのやしろ)

・白國神社(姫路市白国)

・廣峯神社(姫路市広嶺山)

論社
廣峯神社(姫路市広嶺山)〈全国にある牛頭天王の総本宮〉

廣峯神社(ひろみねじんじゃ)は 奈良時代 天平5年(733)遣唐使として中国から帰国した「吉備真備 公」は 国家の為に陰陽道(天文・暦・気象を司り、国の吉凶を見定める)を習得され 奈良へ帰途の折 広峯山系の白幣山に登臨「牛頭天王の信託を感受」する この旨を第45代聖武天皇に奏上し 翌年に廣峯神社の大社殿が造営されました

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髙岳神社(貞)(たかをか かみのやしろ)

・高岡神社 舊蹟(姫路市新在家本町)

・高岳神社(姫路市西今宿)

揖保郡(いひほの こおり) 7座(大3座・小4座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

粒坐天照神社(名神大)(いいほにます あまてらすかみのやしろ)

・粒坐天照神社(たつの市龍野町日山)

・古宮神社(たつの市揖西町小神)

・天祇神社(たつの市揖西町小神)

・粒坐天照神社(たつの市揖保町中臣)〈中臣印達神社の境内〉

・梛神社(姫路市林田町下伊勢)

・梛八幡神社(たつの市神岡町沢田)

・井関三神社(たつの市揖西町中垣内)

・多賀八幡神社(姫路市林田町上伊勢)

阿宗神社(あその かみのやしろ)

・阿宗神社(たつの市誉田町広山)

・立岡天満宮(太子町立岡)
〈旧岡ノ峯八幡宮跡の石碑〉(阿宗神社の前身)

祝田神社(はふりたの かみのやしろ)

・祝田神社(林田町)

・祝田神社(たつの市)

・稗田神社(太子町)

阿波遅神社(あはちの かみのやしろ)

・中臣印達神社(たつの市揖保町中臣)
〈中臣印達神社に合祀 阿波庭神社〉

・夜比良神社(たつの市)

・山戸春日神社(姫路市勝原区山戸)

中臣印達神社(名神大)(なかとみいんたちの かみのやしろ)

・中臣印達神社(たつの市揖保町中臣) 

・林田八幡神社(姫路市林田町) 

・魚吹八幡神社(姫路市網干区宮内) 

夜比良神社(やひらの かみのやしろ)

・夜比良神社(たつの市)

家嶋神社(貞・名神大)(いへしまの かみのやしろ)

・家島神社(姫路市家島町)

一緒に読む
家島神社(姫路市家島町)

家島神社(いえしまじんじゃ)は 国生み神話の伝承地ともされる播磨灘の中央に浮かぶ家島諸島に鎮座します 社伝によれば 神武天皇が東征途中 当地に御寄港になられ 港内が大変穏やかで「あたかも家の中にいるようで静かだ」として 家島と名付けられた 又 神功皇后 三韓御門出の時 天神を祀り給ふに山中ゆりければ ゆるの山と古歌にもよまれと伝わります

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・宮浦神社(姫路市家島町) 《参考論社》

一緒に読む
宮浦神社(姫路市家島町)

宮浦神社(みやうらじんじゃ)は 以前は 家島白髭大明神を称していたが 明治になって宮浦神社と改称されました 社伝によれば 比叡山実相院の覚円僧都が門徒と共に坊勢島に渡海し 或る夜霊夢によって故郷の琵琶湖に準え白髭大明神を勧請したことによります

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家島神社摂社 真浦神社(姫路市家島町)  《参考論社》

一緒に読む
真浦神社(姫路市家島町)

真浦神社(まうらじんじゃ)は 家島本島真浦の中心に位置して 家島神社の摂社として祀られてきました 以前は 荒神社と呼ばれていましたが 明治になって真浦神社と改称されました

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赤穂郡(あかほの こおり) 3座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

伊和都比賣神社(いわつひめの かみのやしろ)

・伊和都比売神社(赤穂市)

・稲爪神社(明石市大蔵本町)
〈合祀 伊和都比売神社〉

八保神社(貞)(やほの かみのやしろ)

・八保神社(上郡町八保)

鞍居神社(貞)(くらをきの かみのやしろ)

・鞍居神社(上郡町金出地)

・鞍居神社(上郡町野桑)

宍粟郡(しさはの こおり) 7座(大1座・小6座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

伊和坐大名持御魂神社(名神大)(いわの をほなもちみたまの かみのやしろ)

・伊和神社(宍粟市)

一緒に読む
〈播磨國一之宮〉伊和神社(宍粟市一宮町須行名)

伊和神社(いわじんじゃ)は《社伝によれば》伊和の恒郷に「我を祀れ」とご神託があり 一夜のうちに草木生い茂り 空に多くの鶴が舞い 石上に大きな鶴が二羽眠っていた そこに社殿を造営したのが 成務天皇 甲申歳2月11日丁卯(144年) 或いは 欽明天皇25年甲申歳(564年)と伝えており『延喜式』名神祭の大社で 播磨国一之宮でもあり 由緒ある古社です

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御形神社(みかたの かみのやしろ)

・御形神社(宍粟市一宮町森添)

庭田神社(にはたの かみのやしろ)

庭田神社(宍粟市)

雨祈神社(あめいのりの かみのやしろ)

・雨祈神社(宍粟市山崎町千本屋)

與比神社(よひの かみのやしろ)

与位神社(宍粟市)

大倭物代主神社(おほやまとのものしろぬしの かみのやしろ)

・大倭物代主神社(宍粟市山崎町下牧谷)

・住吉神社(宍粟市山崎町上牧谷)

迩志神社(にしの かみのやしろ)

邇志神社(宍粟市)

佐用郡(さよの こおり) 2座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

佐用都比賣神社(貞)(さよつひめの かみのやしろ)

・佐用都比売神社(佐用郡佐用町)

一緒に読む
佐用都比賣神社(佐用郡佐用町本位田甲)〈播磨國風土記・六国史・延喜式に所載の社〉

佐用都比賣神社(さよつひめじんじゃ)は 『播磨國風土記(713年)』讃容郡(さよのこおり)の条に 神代の神話として 神の名を贊用都比賣命(さよつひめのみこと)と名付けたとあり 『六国史』に嘉祥2年(849)官社に列し 『延喜式』に播磨國 佐用郡 佐用都比賣神社(さよつひめの かみのやしろ)とある 格式高い由緒を持ちます

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天一神玉神社(貞)(あめのひとつかんだま かみのやしろ)

・天一神社(佐用町東徳久)

一緒に読む
天一神社(佐用郡佐用町東徳久)〈播磨國風土記・六国史・延喜式に所載の社〉

天一神社(てんいちじんじゃ)は 社伝には゛今より約二千年前(彌生時代)に創立 日本でも最古の神社で寶剣(銅剣)が御神體なるは天智記に「安置御宅」゛と記され 『六国史』天安元年(857)天一神に從五位下が奉授 その7日後に官社に列すと記され 『延喜式』播磨國 佐用郡 天一神玉神社(あめひとつかんだまの かみのやしろ)です

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美嚢郡(みなきの こおり) 1座(小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

御坂神社(貞)(みさかの かみのやしろ)

・御坂神社(三木市志染町御坂)

一緒に読む
御坂神社(三木市志染町御坂)〈播磨国風土記 三坂社の神・延喜式内社 御坂神社〉

御坂社(みさかしゃ)は 『播磨国風土記』「この土地の水流(みなが)は 甚だ美しい」と 履中天皇が許曽社で勅した故に美囊(みなぎ)となり 阿波国の和那散で食した信深貝(しじみがい)を見た故に 志深(しじみ)里となり 三坂社の神が坐すと記される 延喜式内社 播磨國 美嚢郡 御坂神社(みさかの かみのやしろ)の有力な論社です

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・美坂社(三木市別所町東這田)

一緒に読む
美坂社(三木市別所町東這田)〈延喜式内社の論社〉

美坂社(みさかしゃ)は 神号゛美坂゛は 神功皇后から賜ると云う 鎮座地の這田は 元々は 神社に新米を供える田があり「祝田郷」と云ったが「祝田(ほうだ)」に改められ 田圃の世話は這うことから 現在の「這田(ほうだ)」に改められたと云う 延喜式内社 播磨國 美嚢郡 御坂神社(みさかの かみのやしろ)の論社です

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・三坂神社(三木市加佐)

一緒に読む
三坂神社(三木市加佐)〈神功皇后由来の伝承を持つ延喜式内社の論社〉

三坂神社(みさかじんじゃ)は 口碑に゛神功皇后が三韓征伐の帰途 当地に立ち寄られ 俄雨で衣を湿らせた この時 竹の皮の大きな笠を奉る者に「笠(かさ)人」と勅命し この「笠人」が皇后はじめ諸神を祀り創建した゛と鎮座地「加佐(かさ)」の由来も伝えます 延喜式内社 播磨國 美嚢郡 御坂神社(みさかの かみのやしろ)の論社です

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・三坂神社(三木市細川町豊地)

一緒に読む
三坂神社(三木市細川町豊地〈旧大柿村〉)〈延喜式内社〉

三坂神社(みさかじんじゃ)は 浸水の為 長享元年(1487)現在地に遷座 天保元年(1830)炎上 嘉永3年(1850)再築と伝わります 古老の口碑傳説などによれば 天之御中主尊 三坂神社として大柿 (豊地)に鎮座まします 延喜式内社 播磨國 美嚢郡 御坂神社(みさかの かみのやしろ)とされます

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・御酒神社(三木市細川町垂穂)

・御酒神社(三木市別所町石野)

八幡社〈境内社 御坂社〉(三木市志染町安福田)

・篠原神社(三木市口吉川町殿畑)

神埼郡(かんさきの こおり) 2座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

新次神社(にひつきの かみのやしろ)

・新次神社(姫路市豊富町御蔭)

田川神社(たかはの かみのやしろ)

・田川神社(姫路市香寺町須加院)

多可郡(たかの こおり) 6座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

荒田神社(あらたの かみのやしろ)

・荒田神社(多可町加美区的場)

一緒に読む
荒田神社(多可町加美区的場)〈播磨國二之宮〉

荒田神社(あらたじんじゃ)は 社伝に゛孝謙天皇 天平勝寶元年(749)゛少彦名命゛が降臨し創建と云う 一方『播磨国風土記』〈霊亀元年(715)頃〉には゛天目一命゛と゛道主比賣命゛の伝承が語られ 延喜式内社 播磨國 多可郡 荒田神社(あらたの かみのやしろ)とも 天目一神社(あまめのひとつの かみのやしろ)とも云います

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・荒田神社(多可町中区安楽田)

一緒に読む
荒田神社(多可町中区 安楽田(あらた))〈式内社 荒田(あらたの)神社の論社〉

荒田神社(あらたじんじゃ)は 天平神護元年(765年)創建の古社〈兵火により荒廃し 寛文年間(1661~72)現在地に社殿が復興〉鎮座地名は゛安楽田(あらた)であり ゛延喜式内社 播磨國 多可郡 荒田神社(あらたの かみのやしろ)とされ 中世以降に隆盛を極めた加美町の二宮荒田神社と式内論社の本家争いをしたと伝わります

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兵主神社(ひやうすの かみのやしろ)

・兵主神社(西脇市黒田庄町岡)

古奈為神社(こなゐの かみのやしろ)

・古奈為神社(西脇市黒田庄町小苗)

加都良乃命神社(かつらのみことの かみのやしろ)

・加都良神社(多可町中区間子)

一緒に読む
加都良神社(多可郡多可町中区間子)〈延喜式内社 論社〉

加都良神社(かつらじんじゃ)は 創建は聖武天皇 天平元年(729)大和国の袖振山から「勝手神社」(奈良県吉野町吉野山)の神を勧請したと伝わり 江戸時代には「勝手大明神」と呼ばれました 延喜式内社 播磨國 多可郡 加都良乃命神社(かつらのみことの かみのやしろ)は 所在不明でしたが 明治以降 式内論社となっています

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・加都良神社(多可町中区岸上)〈御旅所〉

一緒に読む
加都良神社(多可郡多可町中区岸上)〈御遷幸の祭事を執行した御旅所〉

加都良神社(かつらじんじゃ)は 加都良神社(多可町中区間子)が創建の時 大和国の袖振山から「勝手神社」(奈良県吉野町吉野山)の神を勧請したと伝わり ゛その時 御駐泊ありし所なり゛とし 往古 祭日には 加都良神社(多可町中区間子)から この所まで神幸があり 御旅所として年々御遷幸の祭事を執行していた所と伝わります

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・加都良神社(多可町中区天田)

一緒に読む
加都良神社(多可郡多可町中区天田)〈延喜式内社の参考論社〉

加都良神社(かつらじんじゃ)は 創建年代は明らかではなく 隣接する高寺山量光寺は 推古天皇(593〜628)の御願所として創建されたと伝えます 又 一説に天保4年(1833)間子の加都良神社の祭礼の席次順のことより 不和を生じて 氏子が分離し 霊代を隣接する高寺山量光寺 本堂に鎮座し 仮殿上棟と遷座が行われたとも伝わります

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大津乃命神社(おほつのみことの かみのやしろ)

・大津神社(西脇市嶋)

天目一神社(あまめのひとつの かみのやしろ)

・天目一神社(西脇市大木町)

一緒に読む
天目一神社・平野神社(西脇市大木町)〈天目一箇命を祀る古社〉

天目一神社(あめのまひとつじんじゃ/てんもくいちじんじゃ)は 天正八年(1580)兵火にあい記録類を失い 江戸時代には社地も不明でした 明治維新の後 当時 惣堂天王社のあったこの地を式内社 天目一神社(あまめのひとつの かみのやしろ)の跡地と定め 鎮守である平野神社も合祀され 大正12年(1923)復興されたものです

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・青玉神社(多可町加美区鳥羽)

一緒に読む
青玉神社(多可郡多可町加美区鳥羽)〈祭神の天戸間見命は 鍛冶の神 天目一箇命〉

青玉神社(あおたまじんじゃ)は 伝承では 祭神の天戸間見命は 鍛冶の神 天目一箇命で 初め三国岳の山頂に祀られていた ある時 鳥羽(とりま)の村人が三国山に狩りに行くと 急に背中が重くなり不思議に思いながら下山した 村はずれで急に背中が軽くなり「背中に乗った神様が降りられた」として社を建てたのが現在の社地と云う

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・稲荷神社(多可町中区糀屋)

一緒に読む
播州糀屋稲荷神社(多可郡多可町中区糀屋)〈創建は推古2年(594)〉

糀屋稲荷神社(こうじやいなりじんじゃ)は 創建は推古2年(594)に字「土井の後」に鎮座 天平時代 称徳天皇の崇敬厚く 慶雲3年(706)社殿の建立となり勅使を使わせられ 神託により天安元年(857)現在地に移ったと伝えられます 延喜式内社 播磨國 多可郡 天目一神社(あまめのひとつの かみのやしろ)の論社です

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・天目一神社(多可町中区間子)
〈加都良神社 境内社〉

一緒に読む
式内 天目一神社(多可郡多可町中区間子)〈加都良神社の境内摂社〉

式内 天目一神社(多可郡多可町中区間子)は 式内社 加都良神社の境内摂社として祀られています 天目一命は 多可町内では他に 青玉神社(山寄上やまよりかみ) ・青玉神社(鳥羽とりま)・西宮神社(清水きよみず)で主祭神として 大歳金比羅神社(鍛冶屋かじや)・加都良神社(間子まこ)では 摂社として祀られています

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・荒田神社(多可町加美区的場)・天目一神社(的場 御田上

一緒に読む
荒田神社(多可町加美区的場)〈播磨國二之宮〉

荒田神社(あらたじんじゃ)は 社伝に゛孝謙天皇 天平勝寶元年(749)゛少彦名命゛が降臨し創建と云う 一方『播磨国風土記』〈霊亀元年(715)頃〉には゛天目一命゛と゛道主比賣命゛の伝承が語られ 延喜式内社 播磨國 多可郡 荒田神社(あらたの かみのやしろ)とも 天目一神社(あまめのひとつの かみのやしろ)とも云います

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〈参考論社〉
・大歳金刀比羅神社(多可郡多可町中区鍛冶屋)〈境内摂社 天目一箇神社〉

一緒に読む
大歳金刀比羅神社(多可郡多可町中区鍛冶屋)〈境内摂社 天目一箇神社〉

大歳金刀比羅神社(おおとしこんぴらじんじゃ)は 往古は 鍛冶の神 天目一命(あまのまひとつのかみ)を奉祀したと推測され 現在も本殿相殿・境内摂社に天目一箇神(あめのまひとつのかみ)が祀られています 明治44年(1911)在来の大歳神社に〈摂社〉金刀比羅神社〈寛政6年(1794)讃岐琴平宮より勧請〉を合祀し 現社号に改称

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賀茂郡(かもの こおり) 8座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

崇健神社(たかたけの かみのやしろ)

・高峯神社(加西市畑町)

・礒崎神社(加西市下道山町)

・山氏神社(加東市社)

・日吉神社(加西市池上町)

石部神社(いそへの かみのやしろ)

・石部神社(加西市上野町)

坂合神社(さかあひの かみのやしろ)

・住吉神社(加西市北条町北条)

・佐保神社(加東市東実)

・佐保神社(加東市社)

住吉神社(すみよしの かみのやしろ)

・上鴨川住吉神社(加東市上鴨川)

一緒に読む
上鴨川住吉神社(加東市上鴨川)

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 創立は不詳ですが 厳格な宮座制度を脈々と守り続け 約700年間受け継がれてきた神事舞〈国指定 重要無形民俗文化財 住吉神社神事舞〉が有名です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 播磨国 賀茂郡 住吉神社(すみよしの かみのやしろ)の論社です

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・住吉神社(加東市下久米)

一緒に読む
住吉神社(加東市下久米)

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 『播磨鑑』に白雉2年(651)の創立と記されているが 甚だ疑わしく猶それ以前に勧請せられたものと推測されています 續左丞抄住吉神領年紀によると 久米庄(当地方)が神功皇后(201~220)の御代 既に摂津 住吉大社の神領地であったとあり 式内社 播磨国 賀茂郡 住吉神社(すみよしの かみのやしろ)の論社でもあります

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・小野住吉神社(小野市垂井町)

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小野住吉神社(小野市垂井町)

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 創建年代は不詳ですが 社伝には 人皇10代の時とも養老6年(722)とも云われ もと河内山田に鎮座していたが 市場村喜多島に奉遷鎮座し 後に現在の地に奉遷したと伝わります 式内社 播磨国 賀茂郡 住吉神社(すみよしの かみのやしろ)の論社です

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住吉神社恒田大明神(加東市秋津)

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住吉神社〈恒田大明神〉(加東市秋津)

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 神功皇后の勅願社の伝承が残り 摂津 住吉大社の別宮であったと考えられ 創始は古墳時代後期とされています 奈良時代後期に現在の鎮座地・秋津字清水に遷座し 水田に由来して恒田明神と称され今日に至るので 二つの式内社〈住吉神社・垣田神社〉の論社となっています

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菅田神社(すかたの かみのやしろ)

・菅田神社(小野市菅田町)

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菅田神社(小野市菅田町)〈鍛冶の神〈天目一箇神の別名〉天久斯麻比止都命を祀る〉

菅田神社(すがたじんじゃ)は 鍛冶の神〈天目一箇神の別名〉天久斯麻比止都命(あめのくしまひとつのみこと)の後裔とされる「菅田(すがたの)首(おびと)」が祀った神社と云われ 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)とされます その後 加古川流域には住吉信仰が広まり当社にも住吉神が祀られていきました

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・住吉神社(小野市中番町)

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住吉神社(小野市中番町)〈延喜式内社 菅田神社(すかたの かみのやしろ)〉

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 「菅田首(すがたのおびと)」が祀ったとされる 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)が分祀し 保安年間(1120~1123)今の地へ遷座したものとされます その後 加古川流域には住吉信仰が広まり 住吉大社の神領として 住吉三神を配祀し 住吉神社と改称されています

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・山王神社(加東市厚利)

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山王神社(加東市厚利)〈延喜式内社 菅田神社の論社〉

山王神社(さんのうじんじゃ)は 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)の論社である・菅田神社(小野市菅田町)・住吉神社(小野市中番町)は 東條川を挟んで その南北の岸に祀られています 同じく論社とされる当社は そこから東條川を上流に向かって4km程遡った辺りの北岸に鎮座しています

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・八坂神社(小野市中番町)

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八坂神社(小野市中番町)〈゛天目一箇神゛を祖神とする菅田族の祭祀した神社〉

八坂神社(小野市中番町)は 当地方に゛天目一箇神゛を祖神とする菅田族〈砂鉄を採集して武器 農具を作成〉が祀った延喜式内社 播磨國 賀茂郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)とされ やがて農業に転換した里人は 農地に適した現在地〈その後 住吉大社神領となる〉に移住 神社も保安年間(1120~1123年)住吉三神を合祀し移転したと云う

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木梨神社(こなし かみのやしろ)

・木梨神社(加東市藤田)

垣田神社(かきたの かみのやしろ)

・垣田神社(小野市小田町)

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垣田神社(小野市小田町)

垣田神社(かきたじんじゃ)は 大同2年(807)に垣田神社の元宮〈國玉稲荷神社〉から遷座しました 昌泰2年(899)勅使 藤原公方を御差遣になり奉幣の儀がおこなわれて 垣田大神の勅号を贈られたと云われます 『延喜式神名帳927 AD.』所載 播磨国 賀茂郡 垣田神社(かきたの かみのやしろ)の論社です

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・国玉稲荷神社(小野市小田町)
〈神ノ木の宮跡〉 〈垣田神社の旧鎮座地〉

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國玉稲荷神社〈神ノ木の宮跡〉 (小野市小田町)

国玉稲荷神社(くにたまいなりじんじゃ)は 大同2年(807)〈約1200年前〉に遷座した 現 垣田神社(小野市小田町)の旧鎮座地〈元宮〉とされ 神ノ木の宮跡と呼ばれます 神社の創建は弥生時代初期か あるいは縄文時代後期あたりまでさかのぼるのではなかろうかといわれています

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住吉神社(加東市秋津)
恒田大明神

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住吉神社〈恒田大明神〉(加東市秋津)

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 神功皇后の勅願社の伝承が残り 摂津 住吉大社の別宮であったと考えられ 創始は古墳時代後期とされています 奈良時代後期に現在の鎮座地・秋津字清水に遷座し 水田に由来して恒田明神と称され今日に至るので 二つの式内社〈住吉神社・垣田神社〉の論社となっています

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垣田社(三木市久留美)
八雲社 境内社

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八雲社(三木市久留美)〈延喜式内社の論社・旧 郷社〉

八雲社(やくものやしろ)は 創立年月は詳らかではありませんが 今から約千五百年前 億計王(後の仁賢天皇)弘計王(後の顕宗天皇)が この地にお忍びの際 久留美皇子ヶ谷の当神社に祈られたと伝えられています 境内社の垣田大神(住吉社)は 式内社 播磨国 賀茂郡 垣田神社(かきたの かみのやしろ)の論社です

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乎疑原神社(をきはらの かみのやしろ)

・乎疑原神社(加西市繁昌町)

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乎疑原神社(加西市繁昌町)〈播磨國 河合郷加東・加西三十五箇村の総社〉

乎疑原神社(おぎはらじんじゃ)は 『播磨國風土記』゛揖保郡 萩原里(はりはら/をきはら のさと)゛の条に 鎮座地゛乎疑原(をきはら)゛の名付け由縁が記される古社で 加東・加西三十五箇村の総社として例祭には 国家より幣帛が供進された 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 乎疑原神社(をきはらの かみのやしろ)です

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・乎疑原神社(加西市豊倉町)

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乎疑原神社(加西市豊倉町)〈延喜式内社 乎疑原神社(をきはらの かみのやしろ)〉

乎疑原神社(おぎはらじんじゃ)は 『國内鎭守大小明神社記』には゛荻原明神゛と載り゛萩原(をきはら)゛とも書きました 鎮座地゛乎疑原(をきはら)゛の名付け由縁は『播磨國風土記』゛揖保郡 萩原里(はりはら/をきはら のさと)゛の条に記されます 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 乎疑原神社(をきはらの かみのやしろ)の論社です

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山陽道に鎮座する 140座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る

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山陽道に鎮座する 140座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています 

このページは
「山陽道」に鎮座する(140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124)神社の一覧表です

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています