波良波神社(ハラハジンジャ)は 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に「対馬島 上県郡 波良波神社(Harae no kamino yashiro)」と所載されている古社です もともとは 仁位(ニイ)の波浪(ハロウ)と呼ばれた場所に鎮座したか もしくは 濱殿神社の場所であったとも 言われています いつの頃か 和多都美神社(対馬 仁位)の境内に移し祀られたと云い伝わります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
波良波神社(Haraha Shrine)
(はらはじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
長崎県対馬市豊玉町仁位和宮55
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大綿津見神(Owatatsumi no kami)
別名〈豊玉彦命(Toyotamahiko no mikoto)〉
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
波良波神社 はらはじんじゃ
『延喜式』神名帳に登載される式内社。
その昔は仁位の「波浪」(ハロウ)と呼ばれた場所に鎮座していたと思われる。いつの頃か当神社境内に移された。
御祭神は 豊玉彦命(大綿津見神)である。豊玉彦命の別名は「濱殿」。豊玉彦命の直裔は 穂高見命で、社家である長岡家・平山家の祖先神とされ、両家は 系図や秘伝書に穂高見命之神孫と記して その系譜を伝え、代々仕えてきた。
阿曇を名乗っていたが江戸時代に至り、俗名を長岡・平山、寶名を阿曇とした為、現在では戸籍上、阿曇姓は残っていないが本姓は阿曇氏である。境内案内書より
【由 緒 (History)】
※参考
和多都美神社(対馬)2019年6月21日
〇波良波神社(はらはじんじゃ)の御朱印
当神社 拝殿の右側の脇宮は、対馬島鎮座の式内社29社の一つ「波良波神社」です
御祭神は 豊玉彦命(大綿津見神)で、もともとは 仁位の波浪(はろう)と呼ばれた場所に鎮座したか、濱殿神社の場所であったとも言われています。
ハロウは 仁位川と浅茅湾が合流する地点で 現在の地形は岬です。かつては淡水と海水が交わる地点だったようです。
「ハロウ遺跡」としても知られており、古代豪族の墳墓とみられる箱式石棺や勾玉など様々な出土品がありました。
波良波神社をもっと知ってもらおうと御朱印を用意致しました。ぜひお声掛け下さい。和多都美神社 公式FB
https://www.facebook.com/wamiya.nii/posts/2293248737435103/
【境内社 (Other deities within the precincts)】
当神社は 現在
「和多都美神社(対馬 仁位)」の境内社となっています
※『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
「對馬嶋 上縣郡 和多都美御子神社(貞・名神大)」の論社です 記事をご覧ください
和多都美神社(わたつみじんじゃ)は 伝承によれば 山幸彦(彦火火出見尊)が 豊玉姫命を妃として留まったワタツミノ宮の古跡され 古くから竜宮伝説が残ります 社殿裏手の深い森の中に 磐座〈豊玉姫の墳墓〉があり 本殿から正面へと海へ向かって海中に鳥居が建ち 満潮時にはまるで海に浮かぶ竜宮城のような神秘的な光景が広がります
和多都美神社(対馬市豊玉町仁位字和宮)〈延喜式内社 和多都美神社(名神大社)〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 波良波神社
[ふ り が な ](はらへの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Harae no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
当神社は『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の論社の一つです
「対馬島 上県郡 波良波神社(Harae no kamino yashiro)」
・濱殿神社(対馬 仁位)
濱殿神社(はまどのじんじゃ)は 仁位川(にいがわ)の河口近くの畔丘にあり「豊玉彦命(とよたまひこのみこと)の御陵慕」との言い伝えがあります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「対馬島 上県郡 波良波神社(はらへの かみのやしろ)」の論社でもあります
濱殿神社(対馬 仁位)
・波良波神社(和多都美神社 境内)
波良波神社(ハラハジンジャ)は 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に「対馬島 上県郡 波良波神社(Harae no kamino yashiro)」と所載されている古社です もともとは 仁位(ニイ)の波浪(ハロウ)と呼ばれた場所に鎮座したか もしくは 濱殿神社の場所であったとも 言われています いつの頃か 和多都美神社(対馬 仁位)の境内に移し祀られたと云い伝わります
波良波神社(和多都美神社 境内)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
対馬空港から 約27km 車35分程度
和多都美神社の境内に鎮座します
和多都美神社は龍宮とも呼ばれていて 海岸にあり 潮の満ち引きでその表情を変えます 境内に入ると右手には 運河のような入り江があります
この入り江の奥 本殿の真横〈向かって右側〉に境内社として鎮座しています
拝殿にてお祈りをすませて その右側 入り江に沿って 本殿の横まで進みます
入り江は 干潮の時は干上がっていて地面が出ていますが 満ちている時は奥の森まで続いていて カニや小魚も群れで泳いでいます
本殿の真横に鎮座する 祠にすすみます
波良波神社(Haraha Shrine)に参着
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の前まで戻り 再度一礼をします
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『続日本後紀(shoku nihon koki)』貞観11年(869)に記される伝承
対馬嶋の神々が 官社となる と記されています
意訳
承和7年(840)11月 庚辰(8日)の条
對馬嶋(ツシマノシマ)の
和多都美御子神(ワタツミノミコノカミ)
波良波神(ハラハノカミ)
都都知神(ツツチノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)を 並びに 官社(カンシャ)に 預(アズ)く
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=
『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容
所載地を「仁位村 和多都美神社境内」としています
現在も 和多都美神社の境内社として「波良波神社」 が鎮座します
一方で 和多都美神社の由緒によれば 現在の「濱殿神社」の鎮座地も嘗ては 広大な和多都美神社の境内地であったと伝わります
意訳
波良波神社
祭神 豊玉彦命
今 按〈考えるに〉
明細帳 式内社記 ともに祭神「豊玉彦命」とあれば その伝説も詳(ツマビラ)かならねば疑わし 附て 後考を俟(マ)つ官社 仁明天皇 承和7年(840)11月 庚辰(8日)の条 官社となる
祭日 6月1日
社格 村社
所在 仁位村 和多都美神社境内
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
波良波神社(Haraha Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
『對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について』に戻る
對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています
對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について