実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

八幡宮来宮神社(伊東市八幡野)

八幡宮来宮神社(はちまんぐうきのみやじんじゃ)は 八幡宮と来宮神社の合殿です 社伝によれば 八幡宮は 正八幡宮を一国一社と定めて勧請〈神護景雲3年(769年)〉した際の伊豆国の代表八幡宮す 来宮神社は 伊波久良和気命を祀り 古来から 来宮大明神と崇められた延喜式神名帳所載の式内社です

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

八幡宮來宮神社(Hachimangu Kinomiya Shrine)
(はちまんぐうきのみやじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

八幡様 来宮様(はちまんさま きのみやさま)

【鎮座地 (Location) 

静岡県伊東市八幡野1

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》誉田別命(Homutawake no mikoto)〈八幡宮〉
   伊波久良和気命(Ihakurawakeno mikoto)来宮神社

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

八幡宮来宮神社 創立1200年 由緒記

此の地に鎮ります八幡宮来宮神社は、その創立を悠久の昔に発し 郷党衆庶の尊崇篤く、神威赫々として今日に至った古社である。

 八幡宮は誉田別命(応神天皇)を祀る、神護景雲3(769)大宰の廟官 阿曽麻呂が一国一社と定めて正八幡宮を勧請した際の伊豆国の代表八幡宮であって明治6年郷社に列格された。

 来宮神社は伊波久良和気命を祀り、古来来宮大明神と崇められた延喜式神名帳所載の神社である。

 もとは海岸の堂の窟に祀られていたが、後に八幡宮神域に奉遷され、明治9年郷社に列せられた。

 元来両社は別殿であったが、延暦年間本殿再建の際に殿両扉の現在の姿になったと言い伝わって 当社は一殿にして二社である。

 このたび当神社 御鎮座1200年大祭を斉行するに当り記念事業の一として石造大鳥居一基を奉献し、いささかその由来を記して崇敬の誠をささげ、この地平安と住民の弥栄を祈願するものである。

社頭の石板より

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八幡宮と来宮神社とはもと別社、来宮神社の祭神が伊波久良和気命、延暦年中合祀した。
大昔、来宮の神様は、瓶にのってと神社付近の金剛津根に漂着したと言われる。この神を海岸近くの洞窟にお祀りしていた。
 来宮の神は大変な酒好きで、沖を通る船を止めてはお酒を献上させたため、船人達は困った。そこで、船の見えない岡の方に遷した。
そこも少し海が見えたので、再度遷したと伝わる。
なだらかな石段の大きな社。杉林の中に鎮座している。

八幡宮来宮神社公式HPより
http://hatimanguukinomiya.net/history.html

【由  (History)】

由緒

八幡野鎮座、八幡宮来宮神社は、その創建を悠久の昔に発し、以来郷党衆庶の尊崇篤く、稲取村以北九ヶ村の総鎮守として、神威赫々今日に到った古社である。
当神社はその社名が示すように、元来は八幡宮と来宮の二神社であったが延暦年間本殿再建の折、合殿して現在の一殿両扉の形になったと伝えられる。八幡野という地名もまたこれに由来している。
八幡宮は誉田別命即ち応神天皇を祀る。神護景雲3年(769)太宰の廟官阿曽麻呂が、一国一社と定めて正八幡宮を勧請したときの伊豆国の代表八幡宮である。応神天皇は、大陸交渉に伴ひて大陸文化を我が国に輸入し、古代にあって日本文化興隆をはかられ、また御母、神功皇后が天皇の御幼少の時、常にお側におかれて行動なされたということからして、文化の神、母子神としての信仰がある。
来宮神社は、伊波久良別命を祀る。古来、来宮大明神と崇められた延喜式神名帳所載の古社であり、産業の振興、開運隆昌の信仰がある。
両社共、明治初年郷社に列格された。憶えば1300年の遠き昔この小さな村にかくの如き立派な神域を造り、精神文化の基礎を築き、特殊な神事を絶ゆることなく継承し、郷土の繁栄に努力してきた先人の功績を讃え、改めて深き敬意を表したい。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

静岡県指定有形文化財

八幡宮来宮神社社殿(はちまんぐう きのみやじんじゃ しゃでん)

八幡宮来宮神社の本殿には、向かって右に八幡宮、左来宮が祭られています。社殿は、本殿(ほんでん)・幣殿(へいでん)・拝殿(はいでん)の三棟によって構成され、本格的な堂営建築の手法で統一されています。
 平成910年の大修理とそれに伴う諸調査により現在の社殿は、本殿が寛政71795)年、拝殿が文政71824)年の建築であり、伊豆各地の優秀な大工職がかかわっていることが判明しました。
 本殿は二間社流造(ながれづくり)、拝殿は入母屋造(いりもやづくり)で、両者をつなぐ幣殿は両下造(りょうさげづくり)です。多くの神社建築が一間または三間の柱間となるのに対して、この本殿は二間となっている点で非常に類例の少ない形態であることが注目されます。
 伊豆石製の強固な基礎に支えられ、社殿を飾る精妙な彫刻群の存在とともに江戸後期を代表する神社建築として重要です。
平成11年3月15日指定 伊東市教員委員会
社頭案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

五社子安神社・蛭子大神・天満宮・若宮八幡宮・大国主大神

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水神社・火焚神社

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皇大神宮

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・稲荷社

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・秋葉宮

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稲荷社と秋葉宮の横に小祠2宇

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

2つの式内社〈①伊波久良和命神社〉〈➁伊波例命神社〉の論社になっています

〈①伊波久良和命神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 伊波久良和命神社
[ふ り が な ]いはくらわけのみこと かみのやしろ
[Old Shrine name]Ihakurawakeno mikoto no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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〈➁伊波例命神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 伊波例命神社
[ふ り が な ]いはれのみことの かみのやしろ
[Old Shrine name]Ihare no mikoto no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の
2つの式内社2つの式内社〈①伊波久良和命神社〉〈➁伊波例命神社の論社について

〈①伊波久良和命神社の論社

・八幡宮来宮神社(伊東市八幡野)

一緒に読む
八幡宮来宮神社(伊東市八幡野)

八幡宮来宮神社(はちまんぐうきのみやじんじゃ)は 八幡宮と来宮神社の合殿です 社伝によれば 八幡宮は 正八幡宮を一国一社と定めて勧請〈神護景雲3年(769年)〉した際の伊豆国の代表八幡宮です 来宮神社は 伊波久良和気命を祀り 古来から 来宮大明神と崇められた延喜式神名帳所載の式内社です

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・八幡神社(南伊豆町子浦)

一緒に読む
八幡神社(南伊豆町子浦)

八幡神社(はちまんじんじゃ)は 南伊豆町子浦の小高い斜面にあり 本殿の覆い屋の中に〈八幡宮〉と〈天満宮〉の2つの本殿が鎮座しています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「伊波久良和氣命神社(いはくらわけのみことの かみのやしろ)」の論社です

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〈➁伊波例命神社の論社

・石室神社(南伊豆町石廊崎)

一緒に読む
石室神社(南伊豆町石廊崎)

石室神社(いろうじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載「伊波例命神社(いはれのみことの かみのやしろ)」とされます 石廊崎の先端 絶壁の岩肌に鎮座します 神社の土台には 千石船の帆柱が使われていて 伊豆七不思議の一つとなっています

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・八幡宮来宮神社(伊東市八幡野)

一緒に読む
八幡宮来宮神社(伊東市八幡野)

八幡宮来宮神社(はちまんぐうきのみやじんじゃ)は 八幡宮と来宮神社の合殿です 社伝によれば 八幡宮は 正八幡宮を一国一社と定めて勧請〈神護景雲3年(769年)〉した際の伊豆国の代表八幡宮です 来宮神社は 伊波久良和気命を祀り 古来から 来宮大明神と崇められた延喜式神名帳所載の式内社です

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・伊豆山 子恋の森公園「古々比社跡地」or「古々井社跡地」(廃絶)

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊豆急行 伊豆高原駅から 西へ約2km 車6分程度
R135号の交差点を北西に進みます 朱色の神橋があり 案内板が立てられています

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細い道なりに進むと 鳥居が見えてきます

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銅製の鳥居が建ち
八幡宮來宮神社(Hachimangu Kinomiya Shrine)に参着

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一礼をして鳥居をくぐります 扁額には「八幡宮宮神社」とあります

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鳥居の先には 神社では見かけない朱色の「冠木門(かぶきもん)」が玉垣門となっていて 神紋は2つ「違い矢紋と巴紋

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冠木門を潜りぬけて 左手には神輿舎があり 八幡宮と来ノ宮と同じく 神輿が2基と説明書きにあります

市指定工芸品
八幡宮来宮神社の神輿

 神社は、八幡宮と来ノ宮の合祀神社で、神輿も2基あります。
 安永7年(1778年)に修理の奉納の記録があり、実際の制作年代はさらにさかのぼるものと推定されます。
 総朱塗で装飾には金箔を用いて、簡素な中に神輿としての格調の高さを備えています。
 なお神輿の飾りに卍紋がとり入れられていることは、神仏混淆の名残りです。
指定 昭和45年5月12日  伊東市教育委員会

現地案内板より

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冠木門の先は 平地があり右手には社務所が建てられています 立派な社務所ですが 常駐されてはいないようです

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ここからが この幅広の参道の見事というか 御神威が漲る参道の階段が始まります
正面に3本の杉の大木があり 注連縄が架かります

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階段は二手に分かれ 右側を登り始めて すぐに境内社の稲荷社・秋葉宮や小祠が鎮座しますので お詣りをします

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すぐ先に再び 杉の御神木が並び立ち その間をせせらぎが流れ 右手に手水舎 左手に境内社の五社子安神社・蛭子大神・天満宮・若宮八幡宮・大国主大神〉があり 清めてからお詣りをします

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その先に更に石段は続き 左手には境内社の水神社・火焚神社が並んで鎮座し 階段の上部に 境内社 皇大神宮が鎮座しています お詣りをしながら石段を上がります

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拝殿の前には 大杉が生えていて 只ならぬ感を醸し出しています

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大杉の前には 狛犬が座していますが 狛犬がとても小さく見えてしまいます

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拝殿にすすみます 扁額には「八幡宮 來宮神社」と並列に記されています

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の彫刻は見事です

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参道の石段を戻り 階段下の更地から 振り返り一礼をします

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冠木門 鳥居と潜り抜けて境内を出ます

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承

近年修復の際 一祠両扉の合殿としている と記しています

【意訳】

八幡宮  八幡野

本宮を祀す 本に2社同林なり 近年 重修の時 一祠両扉とす 伊豆納符

八幡は 上古の神にして 本宮なり
木宮は 古老 相伝にて 伊波久良和と云う
するに 式に伊波久良和氣 賀茂郡に入る
古代 着岸の時 海浜の岩窟に登る 後これを八幡祠域祀る
今は却て八幡二宮となれり 両神の祭式 今相混ずれども 八幡の祭儀を用いるに似たり 祭りの時 酒を竹筒に盛り 白浜明神贈る礼あり 又 相伝を往昔 海浜に神酒を大甕に満て 霜月11月9日の夜 庁舎に神官会しけるに 一人の白頭の老翁来りて その酒を自ら呑みし 神官にも伝え受けしめ東雲翁は帰りけり その甕 今に存す 又 その翁の伝えとして 祭祀の時 詠する歌に
「三引フ子 オハマ三返イホリ引ノ引 ヤマノシガハ引ヲ引レンケシテヲ引ハレンケシイカリイスル ヨミルメノイテオワレシキスマレンゲシヤシキ引スマレンケシ」

これ古の神楽歌なるべけれども 伝説と唱え誤りしにや 今にめは詳らかに解し難し
〇末社に ニハビノ神 又 オコヒノ杜 伝石積みあり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『豆州志稿』選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=

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『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承

当社に伝わる独自の祭事ついて 詳細に記しています

【意訳】

静岡縣 伊豆國 田方郡 對島村 大字 八幡野 字 西ノ洞

郷社 八幡宮
郷社 來宮神社

祭神 譽田別(ホムタワケノ)命
   伊波久良和(イワクラワケノ)

旧と両社 別殿なりしが 近年(社伝は延暦年中とせり)再建の際 一祠再扇として 來宮神社を八幡神社に合祀せり 御神体は 並びに神鏡にあらせる 八幡宮は地主神にて 創建年代詳らかならずといえども 村名を八幡野と称し 八幡山の号 曽我物語等に見るより考えれば 甚だ旧きがごとし 
來宮 又 創立年代詳らかならずと雖も 伝え云う 式の賀茂郡 伊波久良和氣命神社なりと 旧説は皆 この伝説頼たるが 
豆洲志稿 独り当社にあらずとし 子浦の八幡神社を充てたり
然れども 特選神名牒は 尚旧説賛せり 伊波久良和氣命神社は 神階帳に 従4位上 いはくらわけの明神と見えたり

往古は 海浜の岩窟に奉斎せられたりしを 後ち八幡神社域内に移し 今は同殿に坐ませり 明治6年9月郷社に列せらる

社殿は 本殿 幣殿 拝殿 その他應屋等を具備し
境内は 1011坪あり 

古来 社人13名 祭事を掌る
当社には 当社特有の祭事あり 古来諸書に散見す いま現に行う所作のごとし 先ず 應屋の中央に 青草にて編みたる薦を十文字に敷き その中央に榊を立て その周囲に新薦を敷き 13名の社人これに坐す 6人の社人 榊の葉を7枚宛取る 1人これに一夜造りの酒を注ぐ 6人これを相対して 左の神歌7返歌う
「いほりーのやまの しーがーはーをーれんげーし ははをーはーいかりーするよ するめーのーいでを わーれしーきーすまれんげーし やしきーすまれんげーし やしきーにすまーれんげーしー」

りて本殿に向かう 先炬火一人 次に榊二人 次に太鼓 次神酒 次御饌 次掛魚二人 次に一番幣 次に二番より七番の幣 着するや一人幣を取りて本殿に納め 四人者竹筒の御酒を一本づつ持ち 本殿三廻りす 本殿の背後に至る ことに「おめざめ」と称して羽目板を打つ 終わりて一人この筒を取りて 本殿西方の洞穴に納める 終わりて拝殿の中央に榊を立て 薦を敷き 坐すること應屋の時の如し 一人矢羽二本宛を八人に渡す 差したる紙を抜き取りて これを一人に渡し 三人にて「一宮御出で」といいて 榊を三廻し東方に向いて 矢羽を撒き「みーふねーをはぬー」と三返し 次に十三人にて神歌七返歌う 終わりて又 三人先の如くす 次の時は三人にて歌い始む 但し この時は一宮を二宮と称うと この神事に用いる幣は 毎年 紙一枚を加える制なるが 文化2年 1本の幣竿破損の際 その数360枚迄数えしも 他は数える能はざりしと 必ず一年一枚なりしか否かは不明なりといえども その古来の神事なるや明らかなり

境内神社
大神宮(ダイジングウ) 火焼(ヒタキノ)神社 若宮(ワカミヤ)神社
大國主(オオクニヌシノ)社 蛭子(ヒルコノ)神社 水神(スイジンノ)宮
三島(ミシマノ)神社 子安(コヤスノ)神社

例祭日 9月15

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』1 『明治神社誌料』2

式内社「伊波久良和命神社いはくらわけのみこと かみのやしろ」の伝承

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

式内社 伊波久良和命神社所在は八幡野村〈現 八幡宮来宮神社(伊東市八幡野)〉と記しています

【意訳】

伊波久良和(イハクラワケノ)命神社

志 当郡八幡野村八幡宮は 木ノ宮を配祀す 八幡は上古の神にして 本宮なり 本宮は 今は二ノ宮と云う
古老 相伝を伊波久良和云う
古代 着岸の時 海浜の岩窟に登ると 祭りの時 酒を竹筒に盛り 伊古奈明神社へおくる礼あり 又 相伝を往昔 海浜に神酒を甕に満て 11月9日の夜 庁舎に神官会しけるに 一人の老翁来り その酒を呑み 神官にも伝えしとて祭祀の時 詠する歌に
「三引フ子 オハマ三返イホリ引ノ引 ヤマノシガハ引ヲ引レンケシテヲ引ハレンケシイカリイスル ヨミルメノイテオワレシキスマレンゲシヤシキ引スマレンケシ」

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

式内社 伊波久良和命神社所在は八幡野村〈現 八幡宮来宮神社(伊東市八幡野)〉と記しています

【意訳】

伊波久良和命神社

伊波久良和氣は 仮字なり
〇祭神 明らかなり
八幡野村に在す

伊豆志に
当郡八幡野村八幡宮は 木ノ宮を配祀す 八幡は上古の神にして 本宮なり 本宮は 今は二ノ宮と云う
古老 相伝を伊波久良和云う
古代 着岸の時 海浜の岩窟に登ると 祭りの時 酒を竹筒に盛り 伊古奈明神社へおくる礼あり 又 相伝を往昔 海浜に神酒を甕に満て 11月9日の夜 庁舎に神官会しけるに 一人の老翁来り その酒を呑み 神官にも伝えしとて祭祀の時 詠する歌に
「三引フ子 オハマ三返イホリ引ノ引 ヤマノシガハ引ヲ引レンケシテヲ引ハレンケシイカリイスル ヨミルメノイテオワレシキスマレンゲシヤシキ引スマレンケシ」

神位 国内神階帳云 従4位上 いはくらわけの明神

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

式内社 伊波久良和命神社所在は 八幡野村〈現 八幡宮来宮神社(伊東市八幡野)〉と 子浦村八幡社〈現 八幡神社(南伊豆町子浦)〉の2説あるが 八幡野村であろうと記しています

【意訳】

伊波久良和(イハクラワケノミコトノ)神社

祭神 伊波久良和

祭日
社格 郷社

所在 (田方郡中大見村 大字 八幡)八幡野村
今按〈今考えるに〉
豆州志に 八幡神祠極めて古祠なり 八幡野は未成村落時の名なり 又 八幡野村八幡宮 木宮を配祀す 本2社同なり
近年 重修の時 一祠両扉とす 伊豆納符 八幡は上古の神にして本宮なり 木宮は古老相伝へて 伊波久良和云う
古代 着岸の時 海浜の岩窟に祭る 後これを八幡祠域に祀る 今は却て八幡二宮と成れり 両神の祭式 相混すれ共 八幡の祭儀を用いるに似たり云々とあるによりて
式社考證にも 伊波久良和命神社八幡野村 木宮なるべし 口碑神名伝えたるはなり
往古 海浜の岩窟内に鎮座せる由なるは正説にて 伊波久良(いわくら)と称へ奉れる原由と知られたりとも云えり

又 子浦村八幡社を 伊波久良和命神社なりと云う説あれど 村中石倉云うあるのみにて 社の有し証もなければ諾ひがたしと云えり

故 今 豆州志考證の説に従うて 八幡野村と定めつるなり

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承

式内社 伊波久良和命神社の所在は 八幡野村〈現 八幡宮来宮神社(伊東市八幡野)〉と 子浦村八幡社〈現 八幡神社(南伊豆町子浦)〉の2説ある 子浦村には地名の由縁がある記しています

【意訳】

伊波久良和命神社いはくらわけのみことの かみのやしろ

所在未定
いはくらわけの明神 神階帳

同郡 八幡野(やはたの)村鎮座 来宮神社 豆志考證注進特選
同郡 子浦(こうら)村 八幡神社 社伝国圓續攷
2社の内なるべし
按ふる
子浦村は 旧社述べる岩倉の地名存せるを聞く 果して然らば所由あらむも知るべからず

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』萩原正平 著 出版年月日 明15.6  編 出版者 栄樹堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090 『伊豆国式社攷略』

➁式内社「伊波例命神社いはれのみことの かみのやしろ」の伝承

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

イハレ音からか イハレヒコ〈神武天皇〉が記されています

【意訳】

伊波例(イハレ)命神社

神武天皇 神日本磐余彦命 常陸国 夷針神社

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

祭神所在共に不詳と 記しています

【意訳】

伊波例命神社

伊波例は 仮字なり
〇祭神明らかなり
〇在所 詳らかならず

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』➁

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

式内社 伊波例命神社所在は 長津呂村〈現 石室神社(南伊豆町石廊崎)〉と記しています

【意訳】

伊波例命(イハレノミコトノ)神社

祭神 伊波例命

祭日
社格 (明細帳に 石室神社とあり 祭神 伊波例命

所在 (賀茂郡 南崎村長津呂)長津呂村
今按〈今考えるに〉
豆州志 本郡長鶴村の條に石廊権現 本村より13町巳牛の方の洲嘴にあり これ即ち 州の極南なり 祠は山岸より海上に造り出す 下臨すれば石岸峭立 高さ数百丈 波浪淘湧慄然として 足酸す云々とあるによりて
式社考證に 伊波例命神社 賀茂郡長津呂村 岩廊神社なるべし 巌巒上に鎮座なるは 伊波例称に協い 神階帳に所謂 いはら姫の明神 これにて いはらは 伊波例の訛と聞こえ 今称の石廊 又は いはらの転と聞こえるを以って証すべしと云える その説 確実にして 伊波例石廊なる事 石廊の いはれ姫明神なるべきこと知るべし
故 今これに従う

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』➁1

『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承

式内社 伊波例命神社所在は 長津呂村〈現 石室神社(南伊豆町石廊崎)〉と記しています

【意訳】

伊波例命(いはれの)神社

同郡 長津呂(ながつろ)村 石廊(いろう)崎鎮座 いはらひめの明神 神階帳

今称す 石室(いわむろ)神社 俗に石廊社という 考証注進特選

今云う 当社地は 本州の極南大洋に突出せる岬角なり 故に伊豆の崎の称あり

祠は 海上に臨める縣崖の石室にして 下視みれば片岸数十丈 波浪淘湧慄然としてこれを久くにべらに奇異の神域なりと云うべし

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』萩原正平 著 出版年月日 明15.6  編 出版者 栄樹堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090『伊豆国式社攷略』➁

八幡宮來宮神社(Hachimangu Kinomiya Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について

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