実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

布勢神社(魚津市布施爪)

布勢神社(ふせじんじゃ)は 社伝に 創立は26 継体天皇(507531)の時とあります 鎮座地の布施川流域は 阿古屋野古墳群などの遺跡が多数あり 古代 北陸道の布勢驛があった 新川東部では最も早く拓けた地域とされます 延喜式内社 北陸道 越中国 新川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)とされます

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

布勢神社(Fuse shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

富山県魚津市布施爪947

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》五十猛命(いたけるのみこと)〈建速須佐之男命と櫛名田比売命の御子〉
   五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)〈第11 垂仁天皇の御子〉

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

 第二十六代 継体天皇(五〇七~五三一)の時

【由  (History)】

布勢神社 由緒

布施爪村字中段にあり 創立は二十六代継体天皇(五〇七~五三一)の時 布施大名神と称していたものを 延喜年間(九五三~九七四)今の名称に改む
社殿は天正年中(一六二三~一六四二)兵火を被り鳥有に帰す 苗字館に在りしものを 寛文年中(一七一一~一七二二)現地へ遷す
明治四十一年 神饌幣帛供進神社に指定せらる
(旧社格 指定村社

祭神・五十猛命(イタケルノミコト)
 五十は 八十と同じく数を伝へるにあらずして 豊饒なるを賛したる美禰にして 猛は武勇の猛り坐す由の御名のこと 素戔嗚命の御子なり 天下ります時に木種を持ちてこれを播き植へ給ひしが 更に筑紫より全国に亘りて植へ広め給ふ

祭神・五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)
 五十日は 厳の義なるべし 十一代 垂仁天皇の皇子なり 越の國の君となり給ひ 匠を従へて穀物農具を持たしめ給ひ 民を率ひて開墾に従事し 民に業を授け後 今の魚沼郡に移りて開拓の業を与へ また漁網を教へ國造りの大功を奉し給ふ

・元始祭 一月十四日
・春 祭 三月二十五日
・秋 祭 九月二十五日

拝殿内由緒書より

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越中国 34座(大1座・小33座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)新川郡 7座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 布勢神社
[ふ り が な ]ふせの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Fuse no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

富山県神社祭神御事歴』〈大正13年(1924)〉に記される゛御祭神 五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)゛の伝承について

御祭神 五十日足彦命〈第11 垂仁天皇の御子〉について 詳細に記され 布施爪村社 布施神社に奉祀す と記されています

【抜粋意訳】

卷七 富山縣神社祭神御事歴 第十篇 皇親の神靈

五十日足彦命

名號
(日本書紀 六)五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)
(古事記  中)五十日帯日子王(イカタラシヒコノキミ)
新選姓氏録 摂津 皇別)垂仁天皇皇子 五十日足彦命

御系統
日本書紀 巻六に、垂仁天皇三十四年、先是、娶山背苅幡戸邊、生三男、第一曰祖別命、第二曰五十日足彦命、第三曰膽武別命。五十日足彦命、是子石田君之始祖也とあり、垂仁天皇の皇子にまします。
〈これより先に山背苅幡戸邊(ヤマシロノカリハタトベ)を娶り 三人の男の子を生み 第一は祖別命(オオジワケノミコト)といい 第二は五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)といい 第三は膽武別命(イタケルワケノミコト)といい 五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)は この子は石田君の始祖です〉

御事蹟
此の命は、春日山君、春日部君、石田君等の祖にまします、古事記、日本書紀

奉仕の神社
此の命は、下新川郡西布施村 布施爪村社 布施神社に奉祀す、

【原文参照】

書誌情報 国立国会図書館デジタルコレクション『富山県神社祭神御事歴』著者 佐伯有義 編 出版者 富山県神職会 出版年月日 大正13年(1924)https://dl.ndl.go.jp/pid/971097/1/276

五十日帶彦命が 越の国に下向にあたり 駐留されたとの伝承を持つ式内社

社伝に「垂仁天皇の皇子五十日帶彦命が越の国に下向あり、越前を圣て当地に幾星霜駐留あらせられ」とあり 越國への赴任の際の駐留先が祀られています

式内社 加賀國 能美郡 滓上神社(かすかみの かみのやしろ)

・滓上神社(小松市中海町)

一緒に読む
滓上神社(小松市中海町)

滓上神社(かすかみじんじゃ)は 社伝に「垂仁天皇の皇子五十日帶彦命が越の国に下向あり、越前を圣て当地に幾星霜駐留あらせられ」とあり もと現在地の北方200mの平地に在ったが 明治十七年(1884)の大洪水で被害を受け 明治二十二年(1888)ここ森山の高台に遷座しました 発祥の地は ここから東南へ2km程の゛奥の宮゛とされ 延喜式内社 加賀国 能美郡 滓上神社(かすかみの かみのやしろ)の論社です

続きを見る

式内社 布勢神社(魚津市布施爪)由緒に記される五十日足彦命゛の伝承について

祭神・五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)

 五十日は 厳の義なるべし 十一代 垂仁天皇の皇子なり 越の國の君となり給ひ 匠を従へて穀物農具を持たしめ給ひ 民を率ひて開墾に従事し 民に業を授け後 今の魚沼郡に移りて開拓の業を与へ また漁網を教へ國造りの大功を奉し給ふ

と社伝にあり

由緒書きには 越後國に移ったと記されます 五十日足彦命を祀る越後國の式内社について

式内社 越後國 頸城郡 五十君神社(いそきみ かみのやしろ)

・五十君神社(上越市三和区所山田)

一緒に読む
五十君神社(上越市三和区所山田)

五十君神社(いぎみじんじゃ)は 社伝には祭神 五十日帶日子命(いかたらしひこのみこと)は大賀・不盡の二臣を従へて越後国に下り 池溝開発にあたり 頸城郡高志八岐村(所山田)で崩御された 大賀・不盡の二臣はこの地に留まり 命の神霊を奉祀 第12代景行天皇の御勅により五十王神社として奉り 神亀三年(726)五十君神社と改めた 式内社 越後國 頸城郡 五十君神社(いそきみかみのやしろ)とされます

続きを見る

式内社 越後國 蒲原郡 伊加良志神社(いからしのかみのやしろ)

・五十嵐館跡(三条市飯田)
〈五十嵐神社 旧鎮座地〉

・五十嵐神社(三条市飯田)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載される「布勢布制神社(ふせの かみのやしろ)」の論社について

東山道 信濃國 更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布制神社(長野市篠ノ井石川)

・布制神社(長野市篠ノ井布施五明)

・臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明 布施神社旧鎮座地〉

・布制神社(長野市篠ノ井山布施)

北陸道 越中国 射水郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(氷見市布施)《主》大彦命

北陸道 越中国 新川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

一説に
布施川と片貝川の川中島に鎮座していたが 宝永5年(1708)6月の洪水で流失し 芦弁寺がこの神社を引きとったと云われ 芦弁寺の雄山神社の境内社若宮神社に合祀と伝わります

・布勢神社(魚津市布施爪)《主》五十猛命 五十日足彦命

一緒に読む
布勢神社(魚津市布施爪)

布勢神社(ふせじんじゃ)は 社伝に 創立は第26代 継体天皇(507~531)の時とあります 鎮座地の布施川流域は 阿古屋野古墳群などの遺跡が多数あり 古代 北陸道の布勢驛があった 新川東部では最も早く拓けた地域とされます 延喜式内社 北陸道 越中国 新川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)とされます

続きを見る

・布勢神社 の論社
〈雄山神社 中宮 若宮に合祀〉

一緒に読む
雄山神社 中宮祈願殿(立山町芦峅寺)

雄山神社 中宮祈願殿(おやまじんじゃ ちゅうぐう きがんでん)は 社伝に 文武天皇の大宝元年(701)景行天皇の後裔 越中国司 佐伯宿禰有若公の嫡男 有頼少年が白鷹に導かれ熊を追って岩窟に至り 雄山大神の神勅を奉じて開山造営された霊山と伝わります 雄山神社は 現在では・立山頂上峰本社・芦峅中宮祈願殿・岩峅前立社壇の三社殿から成り立つ宗教法人となっています

続きを見る

山陰道 出雲国 出雲郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・〈奥宇賀神社に合祀〉奥宇賀布勢鎮座 籠守明神《主》伏雷神 武内宿禰命 息長足姫命 大己貴神

一緒に読む
奥宇賀神社(出雲市奥宇賀町)

奥宇賀神社(おくうがじんじゃ)は ・奥宇賀 和田に鎮座「美奴麻神社」・奥宇賀 布勢に鎮座「布勢神社」・奥宇賀 池田に鎮座「伊勢神社」の三社を 明治十五年(1882)に合祀して「奥宇賀神社」と称したものです 『出雲國風土記』の「彌努婆社」「布世社」「布西社」に該当します

続きを見る

山陽道 備前国 赤坂郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(赤磐市仁堀西)《主》大穴牟遅神

・布勢巨神社(赤磐市中勢実)《主》事代主命

南海道 讃岐国 寒川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社

・布勢神社(さぬき市寒川町)

・造田神社(さぬき市造田是弘)

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

黒部駅から 県道122号と県道125号経由で布施川を遡るように約7.8km 約20分程度

布施川から下流方向〈日本海側〉を見ると 布施川が造りだした平地が日本海まで続いています

Please do not reproduce without prior permission.

布施川流域は 新川東部では最も早く拓けた地域とされ 阿古屋野古墳群などの遺跡が多数あり 古代 北陸道の布勢驛があったとされます

江口遺跡発掘調査報告より抜粋

布施川に架かる布施爪橋を渡り 布施爪地区の河岸段丘に鎮座します

Please do not reproduce without prior permission.

社号標には゛延喜式内 布勢神社゛と刻されています

布勢神社(魚津市布施爪)に参着
一礼をして 鳥居をくぐり 細長く僅かに曲がる参道を進みます

Please do not reproduce without prior permission.

参道の途中に 大きな石灯籠があり その先の社屋には 多数の石仏が安置されています

Please do not reproduce without prior permission.

ここから参道は 小さな石灯籠や手水鉢などが並び 木立の中を通り抜けます その先の開けた境内地に社殿が建ちます

Please do not reproduce without prior permission.

参道の横 これは何なのでしょうか? 鳥居の形が刻された祭壇があり その上には 丸い石塔が祀られています 境内社なのだろうか

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿〈覆屋〉にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿 幣殿 本殿は覆屋となっています
社殿に一礼をして 参道を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

式内社 布勢神社について 社号のみが記されています

【抜粋意訳】

布勢(フセノ)神社

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 布勢神社について 所在は布施爪村〈現 布勢神社(魚津市布施爪)〉とし 祭神は「布勢朝臣祖歟」と記しています

【抜粋意訳】

布勢神社

布勢は 假字なり
〇祭神 布勢朝臣祖歟、神社帳云、五十猛命

〇布施爪村に在す、同上
例祭  月 日

〇當國 射水郡 布勢神社もあり

類社 同上

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 布勢神社について 所在は布勢爪村〈現 布勢神社(魚津市布施爪)〉とし 祭神は「布勢朝臣の祖神(大彦命)歟」と記しています

【抜粋意訳】

布勢(フセノ)神社

今 布勢郷布勢爪村に在り、凡三月八月二十五日祭を行ふ、青山氏神祇考、新川縣式社調帳、
〇按 新選姓氏録、布勢朝臣は大彦命の後なり、此に據らは、布勢氏の此地に居る者、或は其祖神を祭れる歟、姑符て考に備ふ、

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』https://dl.ndl.go.jp/pid/815490著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 布勢神社について 所在は布施村〈現 布勢神社(魚津市布施爪)〉とし 祭神は射水郡 布勢神社祭神 大彦命と同じなのではないか と意見を述べていますが いったんは旧説に従っておく と記しています

【抜粋意訳】

布勢神社

祭神 五十猛命

今按ずるに 射水郡 布勢神社 祭神 大彦命と云伝え  大彦命の越国に由縁あること古典にみえたれば この神社も大彦命を祭れるならんと思はれけれど 姑(しばら)く 舊説に従て 後考を俟(ま)つ

祭日 今三月八月並二十五日
社格 村社

所在 布施村(下新川郡西布施村大字布施爪)

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

布勢神社(魚津市布施爪) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

越中国 式内社 34座(大1座・小33座)について に戻る        

一緒に読む
越中國 式内社 34座(大1座・小33座)について

越中国(えっちゅうのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 越中国には 34座(大1座・小33座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

続きを見る

 

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています