実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

舟寄神社(賀茂郡松崎町江奈)〈『延喜式』伊那下神社〉

舟寄神社(ふなよせじんじゃは 社伝に「 古代 嶋にありしを此の地に遷座すと云ふ」とあり 地名の江奈は伊奈の轉訛とし 往古 此地の総称と聞え 中川村の下流にあり伊奈下の称に適すとして 『伊豆神階帳』「從四位いなし利の明神」・『延喜式伊豆國 那賀郡 伊那下神社(いなしもの かみのやしろ)であると伝えます

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

舟寄神社(Funayose shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

静岡県賀茂郡松崎町江奈13番

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》積羽八重事代主命(つみはやえことしろぬしのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『南豆繁昌記』に記される内容

【抜粋意訳】

松崎町 〇社寺

舟寄神社 松崎町江奈

神階帳に云ふ 從四位いなし利の明神 延喜式名神所載 伊奈下の神社なり 地名の江奈は伊奈に轉訛にて 往古 此地の總稱と聞けり 中川村の下流あれば伊奈下の稱に適へり 初 古代 嶋にありしを此の地に遷座すと云ふ
文龜二年天正七年等の上梁文あり〔船寄神社 船伊勢明神 船磯明神と記せり

明治十二年八月村社に列せらる 祭典は十一月十九日流鏑馬武射の式あり 十一月三日獅子舞三番曳神與の行幸等あり 境内に八雲、子安、稻荷の三社あり 今尚 神威現著にして諸人の崇敬最も篤しと云ふ

【原文参照】

長谷川作太郎 編『南豆繁昌記』,長谷川作太郎,明35.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765238

【由  (History)】

舟寄(ふなよせ)神社

 神社祭神の号(みな)を積羽八重事代主命(つみはやえことしろぬしのみこと)と称(しょう)し、 天孫降臨(てかそかこうりん)の折、出雲神話(いずもしんわ)国譲(くにゆずり)の段で中心をなす神であり、ご託宣神(たくせんかみ)としての神霊(しんれい)は皇室(こうしつ)の護(まも)りとされています。此の神は 仏神(ぶっしん)として弁財天(べんざいてん)と同じく七福神(しちふくじん)の一柱(ひとはしら)「恵比寿(えびす)」として庶民に愛されており、氏神として家内安全、 商売繁昌、海上安全、五穀豊穣の信仰崇敬(しんこうすうけい)が厚い。

 神域内には二十八間の矢場が在り毎年一月十九日には奉納弓祭り、 そして十一月二日から三日の神社 秋例祭は奉納三番叟や、勇壮な江奈太鼓が盛大に挙行されます。

花とロマンの里 松崎町

現地案内板より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 22座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 伊那下神社
[ふ り が な ]いなしもの かみのやしろ
[Old Shrine name]Inashimo no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 伊豆國 那賀郡 伊那下神社(いなしもの かみのやしろ)の論社について

・伊那下神社(松崎町松崎)

</strong><strong><b>一緒に読む</b></strong><strong>
伊那下神社(賀茂郡松崎町松崎)〈『延喜式』伊志夫神社・伊那下神社・仲大歳神社〉

伊那下神社(いなしもじんじゃ)は 三つの式内社〈伊豆國 那賀郡① 伊志夫神社(いしふの かみのやしろ)②伊那下神社(いなしもの かみのやしろ)③仲大歳神社(なかをほとしの かみのやしろ)〉の論社です 又 三韓征伐の時 この国の人が神功皇后の御船を守り 長門豊浦から松崎に来て唐(新羅)征討の住吉三神を祀り俗に唐大明神と称します

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・舟寄神社(松崎町江奈)

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舟寄神社(賀茂郡松崎町江奈)〈『延喜式』伊那下神社〉

舟寄神社(ふなよせじんじゃ)は 社伝に「初 古代 嶋にありしを此の地に遷座すと云ふ」とあり 地名の江奈は伊奈の轉訛とし 往古 此地の総称と聞え 中川村の下流にあり伊奈下の称に適すとして 『伊豆神階帳』「從四位いなし利の明神」・『延喜式』伊豆國 那賀郡 伊那下神社(いなしもの かみのやしろ)であると伝えます

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

松崎町役場から北へ約900m 徒歩での所要時間13分~15分程度

舟寄神社(賀茂郡松崎町江奈に参着

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一礼をしてから 鳥居をくぐり抜けて 参道を進みます
鳥居の扁額には゛舟寄神社゛と刻字されています

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参道を進むと右手に手水舎 正面に南西方向を向いて 社殿が建てられています

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥 狛犬が座す石段の上 一段高い壇に本殿の覆い屋が建ち その中に本殿が祀られています

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 伊那下神社について 所在は゛松崎村に在す、今 唐(モロコシ)大明神と゛〈現 伊那下神社(賀茂郡松崎町松崎〉と記しています

【抜粋意訳】

伊那下神社

伊那は前に同じ、下は資母と訓べし、

○祭神詳ならず

松崎村に在す、今 唐(モロコシ)大明神とす、今 賀茂郡に属す、〔國圖志、〕

例祭

 伊豆志に、相傳フ神功皇后 新羅ヲ征シ玉ヒシ時、彼國人御船ヲ守護奉リテ、長州豊浦ニ留リ、後此ニ鎭坐ス、故ニ唐大明神ト書来レリ、と云り、

神位
 國内神階記云、從四位上いなしもの明神、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 伊那下神社について 所在は゛今 賀茂郡 松崎村 稲下山にあり、唐大明神と云ふ、゛〈現 伊那下神社(賀茂郡松崎町松崎〉と記しています

【抜粋意訳】

伊那下(イナシモノ)神社

今 賀茂郡 松崎村 稲下山にあり、唐大明神と云ふ、

凡 正月 九月 十一月廿日祭を行ふ、〔豆州志伊豆雑志神名帳打聞、足柄縣式社取調書〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 伊那下神社について 所在は 記載なし

ただし2説を挙げています

江奈村 舟寄明神なるべし゛〈現 舟寄神社(松崎町江奈)〉
松崎村 下宮を當たれ゛〈現 伊那下神社(松崎町松崎)〉

【抜粋意訳】

伊那下神社

祭神
祭日
社格
所在

 今按 式社孜證に江奈村 舟寄明神なるべし 其は此 江奈の村名  伊奈にて 舊此邊の總稱と思はるゝを 此村は所謂 中川の川尻なるより 伊奈下と唱へ 此より川上 櫻田 中村 建久寺 吉田 船田等の村々を伊那上と唱へて 此は川に添たる上下と聞ゆるが 現地の有狀を檢察するに 江奈村の地能伊那下の稱に協へる所なるを以てなり
豆志に松崎村 下宮を當たれど他に證無れば非事なりとあるを 縣の注進狀には賀茂郡松崎村を以て當社に當たるは故あるか疑ふべし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

舟寄神社(賀茂郡松崎町江奈 (hai)」(90度のお辞儀)

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伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る

一緒に読む
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について

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