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船玉神社〈住吉大社境内摂社〉(大阪市住吉区)

船玉神社(ふなたまじんじゃ)は 神功皇后が三韓征伐の船に祀った守護神とされ 由緒には「船玉(船魂)とは 船舶そのものの神霊で 住吉大神とは表裏一体の関係として尊崇され 時には住吉大神の荒魂とされる」とあり 住吉大社の境内摂社ですが 元々は第四本宮神功皇后の前 海に向かって 4つの本宮の先頭に鎮座していたと伝わっています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

船玉神社(Funatama Shrine
<Set shrine on the grounds of Sumiyoshi Taisha Shrine〉

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89住吉大社境内

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天鳥船命 (あめのとりふねのみこと)
   猿田彦神 (さるたひこのかみ)

※社伝には御祭神は 神秘 とあります

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

船の守護神
・造船守護の御神徳

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

船玉神社(ふなたまじんじゃ)

船や飛行機の安全を守る神様

船玉神社は、延喜式にも記載された古社で、船の守護神として信仰を集めてきました。船玉(船魂)とは、船舶そのものの神霊で、住吉大神とは表裏一体の関係として尊崇され、時には住吉大神の荒魂とされることもあります。
また、航空関係者から崇敬を重ねたこともあり、現在では航海、航空を問わず外遊渡航者が参拝に訪れます。社殿の扉には、日本古来の菱垣船や帆走船、上部には二機の飛行機が描かれており、全国的にも珍しい扉絵になっています。

祭神
・天鳥船命 (あめのとりふねのみこと)
・猿田彦神 (さるたひこのかみ)

社格
延喜式内社(住吉郡小十二座の一)

住吉大社HPより
https://www.sumiyoshitaisha.net/grounds/sessya.html

【由  (History)】

攝社 船玉社
(延喜式内社)

御祭神 天鳥船命 猿田彦神

古来 住吉大神 造船守護の御神徳を分掌せられ船舶に関する一切の祈願を叶へ給ふ 航海航空の安全を守護し給ふ

現地案内札より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

詳しくは 住吉大社の摂社末社の記事をご覧ください

一緒に読む
住吉大社(大阪市住吉区住吉)・境内外・摂社・末社について

住吉大社(すみよしたいしゃ)の・境内・境外・摂社・末社と要所について 

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・住吉大社(大阪市住吉区)摂津国一之宮

一緒に読む
住吉大社(大阪市住吉区住吉)〈摂津國一之宮〉

住吉大社(すみよしたいしゃ)は 『日本書紀』に神功皇后が三韓征伐の帰路 住吉三神の神託を得て 住吉大神の和魂(にきみたま)を鎮めて祀ったのが創建と記される 全国に2000社余ある住吉神社の総本社で 摂津國一之宮です 延喜式内社 住吉坐神社四座(並 名神大月次相嘗新嘗)(すみのえにます かみのやしろ しくら)です

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)摂津国 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)住吉郡 22座(大10座・小12座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 玉神社
[ふ り が な ](ふなたまの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Funatama no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『住吉大社神代記(すみよしのおほやしろ かみよのしるし)について

住吉大社に伝わる古文書『住吉大社神代記(すみよしのおほやしろ かみよのしるし)は 住吉大社の神官が大社の由来を神祇官に言上した解文(げもん)とされ 成立は天平3年(731年)7月3日と巻末に記されていますが 10世紀頃の成立と考えられています

元来 神代記は秘中の書として秘蔵されていて 社家の人間でも拝観は許されなかったが 明治以降に拝観が許され始めた

『住吉大社神代記』に記される 船玉神社の御祭神゛船玉神゛について

『住吉大社神代記』では 船玉神について
「船玉神 今謂 齋祀 紀国 紀氏神 (志麻)神 静(火)神 伊達神 本社」とあり
つまり【船玉神は 紀国紀氏の祀る神 今云う 紀伊三所「・志麻神 志麻神社和歌山市中之島)〉・静火神〈現 静火神社和歌山市和田)〉・伊達神〈現 伊達神社和歌山市園部)〉の本社である】と記しています

『住吉大社神代記船木等本記には
「大幸還上賜 其御舩令レ奉二齋祀武内宿禰一  志麻社 静火社 伊達社 此三前神也」とあり

つまり【紀伊三所「・志麻神 志麻神社和歌山市中之島)〉・静火神〈現 静火神社和歌山市和田)〉・伊達神〈現 伊達神社和歌山市園部)〉」の神々は 武内宿禰によって 御船の御魂として祭祀され】と記しています

国立国会図書館『住吉大社神代記』

『住吉大社神代記』に記される 紀伊三所〈・志麻神静火神伊達神について

『住吉大社神代記』に記される 紀伊三所〈・志麻神静火神伊達神〉は いずれも式内名神大です 船玉神は この三社の本社とされます
各々の論社です

紀伊国 名草郡 志磨神社(貞・名神大)(しまの かみのやしろ)

・志磨神社(和歌山市中之島)

一緒に読む
志磨神社(和歌山市中之島)

志磨神社(しまじんじゃ)は 神功皇后の創建との伝承があり 正史の『六国史』に゛志摩神゛と記載 『延喜式927AD』に 紀伊國 名草郡 志磨神社(名神大)(しまの かみのやしろ)と載り 伊達神社 静火神社と共に紀州三所神と呼ばれた名社です 中世に廃絶 所在不明となり 元和年間(1615~24年)中之島の小祠゛九頭明神゛を志磨神社と定め 紀州徳川家により再興されました

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紀伊国 名草郡 静火神社(貞・名神大)(しつひの かみのやしろ)

・靜火神社(和歌山市和田)

一緒に読む
静火神社(和歌山市和田)〈延喜式内社 名神大社〉

静火神社(しずひじんじゃ)は 『六国史』に゛靜火神゛『延喜式927AD』に 紀伊國 名草郡 靜火神社(名神大)(しつひの かみのやしろ)と載る名社ですが 永仁以前(~1293年)には既に廃絶して社伝・創建年代等は不詳 『国造家記』の記録には「日前神宮・國懸神宮」境内「草ノ宮」で「静火祭」の神事祭祀が 暦応~應永年間(1338~1428年)も継続していたと記されます

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・靜火神社 旧社跡(和歌山市和田)

一緒に読む
静火社 舊地(和歌山市和田)

静火社 舊地(しずひのやしろ きゅうち)は 神功皇后の御創建とされる 延喜式神名帳 名神大 紀伊國 名草郡 靜火神社(名神大)(しつひの かみのやしろ)の旧鎮座地です 静火社の御社殿は古来より度々の浸水に遭い 今は天霧山の山上に祀られていますが 和田の氏神の社として永くこの地に祀られていた事を後世に伝えるために石碑が建てられていました 老朽化のため再建されました

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紀伊国 名草郡 伊達神社(貞・名神大)(いたての かみのやしろ)

・伊達神社(和歌山市園部)

一緒に読む
伊達神社(和歌山市園部)

伊達神社(いたてじんじゃ)は 『六国史』に゛伊達神゛と記載 『延喜式927AD』に 紀伊國 名草郡 伊達神社(いたての かみのやしろ)と載る名神大社です 神名「伊達」は伊太氏により山東庄に鎮まる伊太祁曾神と同神とされます 志磨神社 静火神社と共に紀州三所神とされ その一之宮として里人は゛一宮大明神゛とも゛園部一の宮゛とも称え奉ると云う

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・水門吹上神社(和歌山市小野町)

一緒に読む
水門吹上神社(和歌山市小野町)

水門吹上神社(みなとふきあげじんじゃ)は 『古事記』に云う゛男之水門゛であると伝えられる地〈神武天皇が御東征のみぎり 御兄の彦五瀬命が 和泉で長髄彦の流失に当り 出血甚だしく 崩御されたと言われる旧跡地〉に鎮座します 延喜式内社 紀伊國 名草郡 伊達神社(いたての かみのやしろ)の論社でもあります

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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

船玉神は 住吉大社の境内摂社ですが 元々は第四本宮神功皇后の前 海に向かって 4つの本宮の先頭に鎮座していたと伝わっています
現在は 第四本宮の南にある神館門 その隣並ぶよう〈神館域の正面脇に建つ〉に西を向いて鎮座しています〈本宮と同じ西向(海向き)〉

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船玉神は 神功皇后が三韓征伐の際に船に祀った守護神とされ 由緒には「船玉(船魂)とは、船舶そのものの神霊で、住吉大神とは表裏一体の関係として尊崇され、時には住吉大神の荒魂とされることもありま

社の前には 白砂に松林があり まるでどこかの松原海岸のような佇まいです

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船玉神社〈住吉大社境内摂社〉(大阪市住吉区)に参着

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社殿にすすみます 扁額には 舩玉神社 と記されています

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社殿の扉には扉絵が施されています 案内には「日本古来の菱垣船や帆走船、上部には二機の飛行機が描かれており、全国的にも珍しい扉絵になっています

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漁業関係者参拝者が 海への慰霊と環境美化を願って不要の釣針・釣糸・釣具を納める 釣具慰霊箱が設置されています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 境内へと戻ります

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幸福門を出ると すぐに反り橋が見えてきます

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詳しくは 住吉大社の摂社末社の記事をご覧ください

一緒に読む
住吉大社(大阪市住吉区住吉)・境内外・摂社・末社について

住吉大社(すみよしたいしゃ)の・境内・境外・摂社・末社と要所について 

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『攝津名所圖會(Settsu meisho zue)』〈寛政8年(1796)~寛政10年(1798)刊行〉に記される伝承

祭神について 「天鳥船命・猿田彦命・塩土老翁」だが 社伝記には神秘 と記しています

【抜粋意訳】

舩玉神社(ふなたまのやしろ)

楯祠の西南にあり
祭神 天鳥船命・猿田彦命・塩土老翁を祭る 傳記神秘 延喜式に出づ

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『攝津名所圖會』選者:秋里籬島/画家:竹原春朝斎 12冊 [書誌事項]刊本 ,寛政08年 ~  刊本 ,寛政10年https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003086&ID=M2018050709193628387&TYPE=&NO=

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 船玉神社の祭神について 猿田彦大神としていますが 住吉大神同躰との説も挙げて 記しています

【抜粋意訳】

船玉神社

船玉は布那多麻と訓べし
○祭神 猿田彦大神、(比保古)
○北花田宮村に在す、(摂津志)
比保古云、是與 住吉大神同躰 異名尊神也、守船時號船玉神也、

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 船玉神社の祭神について 住吉大神の霊 と記しています

【抜粋意訳】

船玉(フナタマノ)神社

今 北花田宮邑に在り、摂津志、名所図會
盖 住吉大神の霊を祀る、古事記、延喜式、万葉集、
已上二社、共に住吉の摂社とす、摂津志、名所図會

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 船玉神社の祭神について 住吉大神であると記しています

【抜粋意訳】

船玉神社

祭神 住吉大神

今按〈今考えるに〉
神社覈録に 祭神 猿田彦大神い云るは 岐神同神など云説あるより 海路を掌ることを岐神に付会したる説にて信じがたし
同書引 比保古に住吉大神同體 異名尊神也 守船號 船玉神也と云るは古傳なるべし故今之に従ふ

祭日
社格 住吉神社摂社
所在 住吉神社境内(東成郡住吉村大字住吉)

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

船玉神社〈住吉大社境内摂社〉(大阪市住吉区)に (hai)」(90度のお辞儀)

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住吉大社の摂社末社の記事をご覧ください

一緒に読む
住吉大社(大阪市住吉区住吉)・境内外・摂社・末社について

住吉大社(すみよしたいしゃ)の・境内・境外・摂社・末社と要所について 

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・住吉大社(大阪市住吉区)摂津国一之宮

一緒に読む
住吉大社(大阪市住吉区住吉)〈摂津國一之宮〉

住吉大社(すみよしたいしゃ)は 『日本書紀』に神功皇后が三韓征伐の帰路 住吉三神の神託を得て 住吉大神の和魂(にきみたま)を鎮めて祀ったのが創建と記される 全国に2000社余ある住吉神社の総本社で 摂津國一之宮です 延喜式内社 住吉坐神社四座(並 名神大月次相嘗新嘗)(すみのえにます かみのやしろ しくら)です

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摂津国 式内社 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)について に戻る    

一緒に読む
摂津国 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)

攝津國(せっつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 摂津国の 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)の神社のことです

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