富知神社(ふくちじんじゃ)は 第五代 孝昭天皇二年〈BC474年〉の御世 富士山の神〈水神・農耕神〉が祀られたのが始まりとされ 当初の社地は 現在の富士山本宮浅間大社の鎮座地 大宮であったが 大同元年(806)平城天皇の勅命で坂上田村麻呂が社殿を造営し 浅間大神〈火神〉が遷座し祀られた為 富知神社は 現在地 立宿の地に遷し奉られたと伝えます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
冨知神社(Fukuchi shrine)
[通称名(Common name)]
福地さん(ふくちさん)
【鎮座地 (Location) 】
静岡県富士宮市朝日町12-4
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大山津見神(おほやまつみのかみ)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
冨知神社
一、御祭神 大山祇命
一、御例祭 九月十九日
一、境 内 二、二七三平方メートル(六八七坪)
一、鎮座地 富士宮市朝日町十二番四号御由緒
御祭神の大山祇命(おおやまづみのみこと)は 浅間大社の御祭神木花佐久夜毘売命の御父神に当らせられます
孝霊天皇の二年に創建され延喜式神明帳にも記載された富士地区三社の一つで由緒のある神社であります
「富士山本宮社記」によると平城天皇の大同元年(八〇六年)征夷大将軍坂上田村麻呂が勅命により東国を平定して帰京の途次神恩に感謝して浅間大神を山宮の地から大宮の現在地に遷座された時すでに祭られていた当社を立宿の地に移されたと伝えられています
当社は大宮の地主の神 鎮守(ちんじゅ)の神 産土(うぶすな)の神として古くからこの地方の人々は篤い崇敬を捧げて祭ってきました
当社は本宮を摂社(せっしゃ)本宮に縁故の深い神を祭った神社という強いきずなで結ばれてきました
神主は福地大夫(ふくちたゆう)と言われ 明治の初年までは山田家が世襲していましたが現在は浅間大社の宮司が兼務となっております
平成十年九月十九日 謹 冨知神社 總代現地由緒板より
【由 緒 (History)】
富知神社(ふくちじんじゃ)
富知神社は、大山津見命を祭神とし社号は不二神社ともいわれ、富士山を祀る神社である。
延喜式神名帳に、富士郡三座、倭文(しどり)神社・浅間神社・富知神社と記されている。神社の前には、「富知神社」と刻まれた天保辰三(一八三二)の石碑が建っている。
現在の浅間大社の社地が、かっては富知神社の社地であったといわれている。古くから富士山の神を祀ってきた富知神社の社地に、新たに富士山の神(コノハナサクヤヒメ)を祭る浅間神社がおかれ、富知神社が現在地に移されたのではないかと考えられる。
「富知神社」の石碑の近くに、貞享五(一六八八)造立の地蔵や菩薩立像・甲子などの石造物がある。
富士宮市教育委員会社頭の案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・三峯神社〈本殿向かって左に鎮座〉
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
明治頃までは浅間大社の摂社であった 現在は事実上単独社
〈本宮〉
・富士山本宮浅間大社(富士宮市宮町)駿河国一之宮
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は 第7代 孝霊天皇の時 富士山の噴火で国内が荒れ果てた この山霊を鎮祭する為 第11代 垂仁天皇が 浅間大神を山足の地に祀ったのが創祀 第12代 景行天皇の時には 日本武尊が 山宮の地に大神を祀り 大同元年(806)には 坂上田村麿が勅命に依り 社殿を現在の大宮の地に造営し 神霊を遷座した東海最古の名社です
富士山本宮浅間大社(富士宮市宮町)
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)駿河国 22座(大1座・小21座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)富士郡 3座(大1座・小2座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 富知神社
[ふ り が な ](ふぢの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Shitori no kamino yashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 駿河国 富士郡 富知神社(ふぢの かみのやしろ)の論社は2つあります
富知神社(ふぢの かみのやしろ)
・富知神社(富士宮市朝日町)
富知神社(ふくちじんじゃ)は 第五代 孝昭天皇二年〈BC474年〉の御世 富士山の神〈水神・農耕神〉が祀られたのが始まりとされ 当初の社地は 現在の富士山本宮浅間大社の鎮座地 大宮であったが 大同元年(806)平城天皇の勅命で坂上田村麻呂が社殿を造営し 浅間大神〈火神〉が遷座し祀られた為 富知神社は 現在地 立宿の地に遷し奉られたと伝えます
富知神社(富士宮市朝日町)
・富知六所浅間神社(富士市浅間本町)
富知六所浅間神社(ふじろくしょせんげんじんじゃ)は 創建年は不詳ながら第五代 孝昭天皇の御宇と伝えられ 大同5年(806)浅間五社を勧請するにあたり当神社を首座と定めた 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 駿河国 富士郡 富知神社(ふぢの かみのやしろ)の論社でもあります
富知六所浅間神社(富士市浅間本町)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
富士山本宮浅間大社の北西約500m程度
社頭を小さな水路or小川が流れ 石段を上がって小橋を渡ると境内
鳥居が建ちます
富知神社(富士宮市朝日町)に参着
境内は月極の駐車場になっているのかもしれません 多くの車が止められています
拝殿にすすみます
扁額には 祭神 大山祇命 大神 冨知神社 と記されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の左前に注連縄が廻された鉾立石
かつて 四月 十一月は「福知御幸」があり 浅間大社から御鉾が神幸した時 御鉾を安置した石とされます
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『群書類従 駿河国風土記』〈編者:塙保己一 文政2年(1819)〉に記される伝承
不二神社の名称で 深待彦天皇〈第五代 孝昭天皇〉二年丁卯六月の創祀と記されています
【抜粋意訳】
駿河國風土記
惣國風土記 第五十六上 薦河富士郡の条不二神社 大山祇之命なり 深待彦天皇〈第五代 孝昭天皇〉二年丁卯六月之旬 始祭之馬養祝部掌祭之為一宮
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社の所在は 福地村と記しています
【抜粋意訳】
富士神社
富士は假字なり
〇祭神 大山祇命 風土記
〇福地村に在す 今 本宮の攝社たり
〇惣國風土記五十六上残俠云 駿河富士郡不二神社 大山祇之命也 深待彦天皇二年丁卯六月之旬始祭之 馬養祝部掌祭之為一宮
常陸国風土記云 筑波郡條 古老曰 昔 祖神尊 巡行諸神之處到ニ駿河国福慈岳 卒偶ニ日暮 欲ニ寓宿 此の時 福慈神 答曰 中略 福慈岳常雪不得登臨 其筑波岳往集歌舞飲喫 至于 今不絶也〇駿河國志云 山宮は大山祇の御神にて 開耶姫の御親の神なり いづれも伊勢朝熊の社 御同体の神なり 云々
連胤 按るに 山宮すなわち富士神社か 大宮司 富士氏云 今 浅間の摂社に福知社あり 富士の地主神と云べり 本宮造営の時 浅間の神體を此社に遷し奉るといへり これ富士神社か 尚尋ぬべし
神位
国内神名帳云 正五位下 福地天神神田
東鑑巻六 文治二年七月十九日の條に 駿河國富士領上政所福知社 奉寄 神田
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社の所在は 福地村だか 一説に 淵(ふち)=富士(ふち)の神を祀る 六所浅間神社という説もある と記しています
【抜粋意訳】
富知(フチノ)神社
祭神 大山祇命
祭日 十一月中申日
社格
所在 大宮町字福地(富士郡大宮町大字大宮町)今按一説に當社は傳法村なる六所浅間社なるべし彼社邊に大淵村鵜无淵村と云地名あり 又 田畑の宇にもなにの淵くれの淵と云がありと云り 又一説に富士川今の水筋よりは東を流れしよし里人云れば今泉村吉原驛のあたりは古淵にてありしならん 然れば其淵邊にある神社なるを以て富知神社と云しならん六所浅間社 古社にて社傅にも式社の由云れぱこれならんと云れど ふちと云事の鐙のみなれぱ如何あらん姑附で考に備ふ
【原文参照】
富知神社(富士宮市朝日町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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駿河国(するかのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 駿河国には 22座(大1座・小21座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
駿河國 式内社 22座(大1座・小21座)について