実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

富知六所浅間神社(富士市浅間本町)

富知六所浅間神社(ふじろくしょせんげんじんじゃは 創建年は不詳ながら第五代 孝昭天皇の御宇と伝えられ 大同5年(806)浅間五社を勧請するにあたり当神社を首座と定めた 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 駿河国 富士郡 富知神社ふぢの かみのやしろ)の論社でもあります

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

富知六所浅間神社(Fujirokushosengen shrine)

 [通称名(Common name)]

三日市浅間神社みっかいちせんげんじんじゃ

【鎮座地 (Location) 

静岡県富士市浅間本町5-1

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神
大山祇命(おほやまづみのみこと)

相殿神
木花之佐久夜比(このはなさくやひめのみこと)〈山宮浅間〉
大山咋神(おおやまくいのかみ)〈日吉浅間〉
深渕之水夜禮花神(ふかぶちみずやれはなのかみ)〈滝川浅間〉
波乃咩神(あわのめのかみ)〈今宮浅間
高龗神(たかおかみのかみ)〈入山瀬浅間

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

安産・厄除・家内安全・交通安全・商売繁盛

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
・ 浅間五社の首座
・ 別表神社

【創  (Beginning of history)】

岳南総鎮守(がくなんそうちんじゅ)
富知六所浅間神社(ふじろぐしょせんげんじんじゃ)

通称 三日市浅間神社(みっかいちせんげんじんじゃ)

御祭神(ごさいじん)大山祇命(おおやまづみのみこと)

相殿(あいどの)
木花之佐久夜比(このはなさくやひめのみこと)〈山宮浅間〉
大山咋神(おおやまくいのかみ)〈日吉浅間〉
深渕之水夜禮花神(ふかぶちみずやれはなのかみ)〈滝川浅間〉
波乃咩神(あわのめのかみ)〈今宮浅間
高龗神(たかおかみのかみ)〈入山瀬浅間

創建(そうけん)
創建年は不詳ながら第五代孝昭(こうしょう)天皇の御宇(ぎょう)と伝えられ、大同五年(八〇六年)浅間五社(せんげんごしゃ)を勧請するにあたり当神社を首座と定めた。

社殿
 旧社殿は二百数十年の歳月を経て老朽著しく、平成十七年に御造営奉賛会を設立し、平成二十六年着工、平成二十七年十月に本殿遷座祭、平成二十八年五月第一期工事竣功式を斎行しました。
 現在、第二期工事として鎮守の杜の再生と客殿等建設工事を計画し、広く皆さまにご協力を仰いでおります。

神社配布紙より

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御由緒

創建は、第5代孝昭天皇の時代と伝えられ、第10代崇神天皇が四道将軍を派遣の際、当神社は厚い崇敬を受け勅幣を奉られました。第41代平城天皇が大同元年(806)に五社浅間を勧請されるにあたり、当神社は首座と定められ、弘仁2年(811)、嵯峨天皇の中宮安産祈祷後は、勅願所として事変あるごとに国家安泰の祈祷が行われました。
静岡県神社庁HPより

【由  (History)】

富士山御遷座一二二〇年
浅間五社勧請一二〇〇年 記念事業 御造営趣意

当神社の創建は第代孝昭天皇二年六月十日にして、延暦四年七八五)に富士山腹より当地に遷し祀られたと伝えられ、第五十二代嵯峨天皇中宮のご安産祈願を奉仕してより以来勅願所として国家安泰の祈祷が執り行われ、江戸時代には社領八百八石を有し代々厚き崇敬を寄せられてまいりました。
 この永い歴史と信仰が培われる中、江戸時代中期(宝暦十二年・一七六二年)にご造営された現在の本殿をはじめとする神殿は、永い歳月を経た風雨による傷みに加え、想定されている東海地震への備えも施せぬ程老朽いたしました。
 このたび当神社のご祭神が富士山中より当地へご遷座されてよ一二二〇年(平成十七年)また、富士浅間五社が勧請されてより一二〇〇年(平成十八年)の佳節を迎えるに至り、いよいよ神殿ご造営の事業を開始する運びとなりました。
中略
富知六所浅間神社(ふじろくしょせんげんじんじゃ

社頭の案内板より

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由緒

富知六所浅間神社は通称三日市浅間神社と呼称されその創建は人皇五代孝昭天皇の御宇にして崇神天皇が建沼河別命を東国に御派遣の際、命は当神社を崇敬の余り奏聞して、勅幣を奉られ、爾後御代々このことが続けられ、平城天皇の大同元年五社浅間を勧請するに当り、五部の大磐若経を納め給いし時に当神社を首座とし、特に唐本を寄せられた。
嵯峨天皇弘仁2年正四位に叙せられ、中宮の後安産の御祈願を奉仕以来、勅願所と定められ事変のあるごとに仰を蒙り、寛保年度の調書に依れば御朱印、其他社領808石、外に別当領66石とあり富士山麓に於ける大社である。
旧伝法、島田村、吉原町、今泉村、元吉原村、鷹岡町、大渕村の7ケ町村の大氏神として崇敬せられ、町村合併後は旧吉原市の大氏神社として広く崇敬をあつめ有識各位の特別なる御尽力により、愈々御社頭の隆昌を見た。商工業の発展、家庭守護、安産守護の神として信仰があつい。又境内に生繁る樹齢1000年を数ふる天然記念物の大樟が、古くより縁結びと長寿の信仰をあつめている。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【境内社 (Other deities within the precincts)】

・〈御神木〉富知六所浅間神社大クス

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静岡県指定天然記念物
 富知六所浅間神社の大クス
  樹高 15m 目通り13m
  枝張 東西17m、南北16m
  指定 昭和30年4月19日
 <案内>幹は二つに分れ、生き残った幹の直径は6m余りを計る。樹は古木のため中央に大きな空洞を持っているが、樹勢は旺盛である。
  昭和57年7月1日 冨士市教育委員会

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・社殿と富士山〈現在の社殿は約250年ぶりに改築 平成28年6月竣功

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

富士下方五社〈五社浅間〉について

大同元年(806年)に駿河国富士郡下方庄(現 富士市)に勧請された5社の総称 「五社浅間」・「下方五社」とも云われる
かつては 富士山東泉院が総別当職として 祭祀神領社殿の維持管理を行っていたとされる

・富知六所浅間神社(富士市浅間本町《主》大山祗命

・富知六所浅間神社(富士市浅間本町)

一緒に読む
富知六所浅間神社(富士市浅間本町)

富知六所浅間神社(ふじろくしょせんげんじんじゃ)は 創建年は不詳ながら第五代 孝昭天皇の御宇と伝えられ 大同5年(806)浅間五社を勧請するにあたり当神社を首座と定めた 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 駿河国 富士郡 富知神社(ふぢの かみのやしろ)の論社でもあります

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・瀧川神社(富士市原田字滝川《主》木花之佐久夜毘賣命

〈旧:原田浅間宮、富士浅間社〉

瀧川神社(富士市原田字滝川

・今宮浅間神社(富士市今宮《主》木花之佐久夜毘買命

今宮浅間神社(富士市今宮

・日吉浅間神社(富士市今泉《主》木花咲耶姫命・大山咋神

日吉浅間神社(富士市今泉

・入山瀬浅間神社(富士市入山瀬《主》木花之佐久夜毘賣命

入山瀬浅間神社(富士市入山瀬

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)駿河国 22座(大1座・小21座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)富士郡 3座(大1座・小2座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 富知神社
[ふ り が な ]ふぢの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Shitori no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 駿河国 富士郡 富知神社ふぢの かみのやしろ)の論社は2つあります

富知神社(ふぢの かみのやしろ)

・富知神社(富士宮市朝日町)

一緒に読む
富知神社(富士宮市朝日町)

富知神社(ふくちじんじゃ)は 第五代 孝昭天皇二年〈BC474年〉の御世 富士山の神〈水神・農耕神〉が祀られたのが始まりとされ 当初の社地は 現在の富士山本宮浅間大社の鎮座地 大宮であったが 大同元年(806)平城天皇の勅命で坂上田村麻呂が社殿を造営し 浅間大神〈火神〉が遷座し祀られた為 富知神社は 現在地 立宿の地に遷し奉られたと伝えます

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・富知六所浅間神社(富士市浅間本町)

一緒に読む
富知六所浅間神社(富士市浅間本町)

富知六所浅間神社(ふじろくしょせんげんじんじゃ)は 創建年は不詳ながら第五代 孝昭天皇の御宇と伝えられ 大同5年(806)浅間五社を勧請するにあたり当神社を首座と定めた 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 駿河国 富士郡 富知神社(ふぢの かみのやしろ)の論社でもあります

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR東海道新幹線 新富士駅から 富士見大通りを北上 約3.6km 車10分程度

富士見大通りの名前の通り 北上すると正面には富士山

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社頭の左手前に駐車場があります

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鳥居が建ち 社殿が見えているが 社殿の屋根越し 奥に富士山が見えます

富知六所浅間神社(富士市浅間本町)に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐると 富士山がはっきりと見えて 神体山であることがわかります

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境内の中央辺りで参道は折れています 正中を右に外して 狛犬が構えます

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境内の右手〈東側〉には 大楠 御神木なのでしょうか 鳥居があり 賽銭箱もあり お参りをします

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石段に上がり 

拝殿にすすみます 

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 幣殿 本殿が鎮座します

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社殿の遥か彼方には 富士山が聳えます

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又 社殿の脇には 御神木 以外にも楠の大木があります

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厄除け 厄割玉 と云う玉を投げ割るものがあります

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社殿に一礼をします 参拝は11月でしたが 冬~春には雪化粧した富士山が見れるようです

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境内の御神木の大楠の奥には 池があり かつて深渕あったという名残りでしょうか 昭和20年代までは清水が勢いよく湧出していたと云います

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再度 社殿と富士山に一礼をして 鳥居を抜けます

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

群書類従 駿河国風土記』〈編者:塙保己一 文政2年(1819)〉に記される伝承

不二神社の名称で 深待彦天皇〈第五代 孝昭天皇〉二年丁卯六月の創祀と記されています

【抜粋意訳】

駿河國風土記
惣國風土記 第五十六上 薦河富士郡の条

不二神社 大山祇之命なり 深待彦天皇〈第五代 孝昭天皇〉二年丁卯六月之旬 始祭之馬養祝部掌祭之為一宮

【原文参照】

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社の所在は 福地村と記しています

【抜粋意訳】

富士神社

富士は假字なり
〇祭神 大山祇命 風土記
〇福地村に在す 今 本宮の攝社たり
〇惣國風土記五十六上残俠云 駿河富士郡不二神社 大山祇之命也 深待彦天皇二年丁卯六月之旬始祭之 馬養祝部掌祭之為一宮
常陸国風土記云 筑波郡條 古老曰 昔 祖神尊 巡行諸神之處到ニ駿河国福慈岳 卒偶ニ日暮 欲ニ寓宿 此の時 福慈神 答曰 中略 福慈岳常雪不得登臨 其筑波岳往集歌舞飲喫 至于 今不絶也

駿河國志云 山宮は大山祇の御神にて 開耶姫の御親の神なり いづれも伊勢朝熊の社 御同体の神なり 云々

連胤 按るに 山宮すなわち富士神社か 大宮司 富士云 今 浅間の摂社に福知社あり 富士の地主神と云べり 本宮造営の時 浅間の神體を此社に遷し奉るといへり これ富士神社か 尚尋ぬべし

神位
国内神名帳云 正五位下 福地天神

神田
東鑑巻六 文治二年七月十九日の條に 駿河國富士領上政所福知社 奉寄 神田

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社の所在は 福地だか 一説に 淵(ふち)=富士(ふち)の神を祀る 六所浅間神社という説もある と記しています

【抜粋意訳】

富知(フチノ)神社

祭神 大山祇

祭日 十一月中申日

社格
所在 大宮町字福地(富士郡大宮町大字大宮町)

 今按一説に當社は傳法村なる六所浅間社なるべし彼社邊に大淵村鵜无淵村と云地名あり 又 田畑の宇にもなにの淵くれの淵と云がありと云り 又一説に富士川今の水筋よりは東を流れしよし里人云れば今泉村吉原驛のあたりは古淵にてありしならん 然れば其淵邊にある神社なるを以て富知神社と云しならん六所浅間社 古社にて社傅にも式社の由云れぱこれならんと云れど ふちと云事の鐙のみなれぱ如何あらん姑附で考に

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

古来から大社であるが 式内社富知神社也と、然れども、徴すべきものなし と記しています

【抜粋意訳】

静岡縣 駿河富士郡傳法村大字傳法字三日市

郷社 富知六所浅間(フヂロクショアサマノ)神社

祭神 大山祇オホヤマヅミノ

相殿 木花之佐久夜比賣(コノハナサクヤヒメノ)
   深渕之水夜禮花(フカフチノミヅヤハナノ)神
   阿波乃咩(アハノメノ)
   大山咋(オホヤマクヒノ)神
   高龗タカオカミノ

創立年代詳ならず、但、傳へ云ふ、景行天皇の御宇、日本武尊東征の時の勧請にして、式内社富知神社也と、然れども、徴すべきものなし.古来大社にして、今川、武田、豊臣、の諸氏相次いで崇敬せしこと、旧別当東府院所蔵の文書に見えたり、明治四年以前は、国府浅間神社奉幣使國方と称する社職、毎歳四月十一日、古例に依りて祭祀を行ヘり、旧朱印高百九十石あり、諸社御朱印に云く、

「浅間六所神領、駿河國富士郡下方郷内百九十石事、並山林竹木諸投等免除、任寛永十八年六月二十八日、先判之旨、別当東泉院進止、永不可有相違者、祭禮修理料供僧社人支配等、如有来可沙汰者也、
寛文五年七月十一日」

明治六年三月郷社に列せらる。
社殿は、本殿、拝殿、向殿、其他神饌所を備へ、境内は千六百五十八坪(官有地第一種)ありて、老松巨楠森々たり、当社の摂社と称するもの五社あり。

境内神社 見袋神社 北野神社 宗像神社

例祭日 五月三日

【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

富知六所浅間神社(富士市浅間本町) (hai)」(90度のお辞儀)

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駿河国 式内社 22座(大1座・小21座)について に戻る       

一緒に読む
駿河國 式内社 22座(大1座・小21座)について

駿河国(するかのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 駿河国には 22座(大1座・小21座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています