実践和學 Cultural Japan heritage

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越中國 式内社 34座(大1座・小33座)について

越中国(えっちゅうのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 越中国 34座(大1座・小33座)の神社です

越中國(えっちゅうのくに)について

越中国Etchunokuniは  令制国の一つ〈北陸に属する
現在の・富山県

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北陸道は 4世紀以降 大和朝廷の支配下となったと考えられています

7世紀頃に 大国であった高志国(こしのくに)が 高志道前・高志道中・高志道後の3国に分割された

その後 この3国は 高志前・高志中・高志後と呼ばれ
高志国(こしのくに)が 越国(こしのくに)と表記され
大宝律令(たいほうりつりょう)制定701年〉により 鋳造された国印には 越前・越中・越後の表記となっている

越中国 34座(大1座・小33座)

大社 1は 1名神大社
小社33は32
 34は33

※座は神の柱数 社は神社数

〈延喜式神名帳に記載〉
礪波郡(となみの こおり) 7座(並小)
射水郡(いみつの こおり) 13座(大1座・小12座)
婦負郡(ねひの こおり) 7座(並小)
新川郡(につかはの こおり) 7座(並小)

礪波郡(となみの こおり) 7座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

髙瀬神社(たかせの かみのやしろ)

高瀬神社(南砺市高瀬)

一緒に読む
高瀬神社(南砺市高瀬)

高瀬神社(たかせじんじゃ)は 越中国一之宮として格式高く 御祭神は 大己貴命(大国主命)を祀ります 近くには 当社の鎮座地とも伝わる「高瀬遺跡」もあり 農耕文化の芽生える弥生時代(紀元前10世紀頃~紀元後3世紀中頃)の頃の鎮座と推測されています

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長岡神社(なかをかの かみのやしろ)

・長岡神社(小矢部市七社)

・糸岡神社(小矢部市五社)

・八幡宮〈川田八幡宮〉(砺波市高波)

・春日神社(砺波市高波)

林神社(はやしの かみのやしろ)

・林神社(砺波市林)

・林神社(砺波市頼成)

荊波神社(うはらの かみのやしろ)

・荊波神社(砺波市池原南山)

・荊波神社(南砺市岩木)

・荊波神社(高岡市和田)

・八幡宮(小矢部市臼谷)

・巖谷門神社(小矢部市矢波)

・井波八幡宮(南砺市松島)

・大森神社(南砺市谷)

・神明宮(南砺市桐木)

比賣神社(ひめの かみのやしろ)

・比賣神社(小矢部市宮中)

・比賣神社(砺波市柳瀬)

・比賣神社(砺波市下中条)

・比賣神社(南砺市高宮)

・宮島神社(小矢部市了輪)

・岩抱きのけやき(小矢部市了輪)

雄神神社(をかみの かみのやしろ)

・雄神神社(砺波市庄川町庄字広谷)

・弁財天社〈元雄神神社〉(砺波郡庄川町庄)

浅井神社(あさゐの かみのやしろ)

・浅井神社(高岡市福岡町赤丸)

・淺井神社(高岡市石堤)

射水郡(いみつの こおり) 13座(大1座・小12座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

射水神社(いみつの かみのやしろ)

射水神社(高岡市古城) 

一緒に読む
射水神社(高岡市古城)越中国一之宮

射水神社(いみずじんじゃ)は もともと霊山である二上山そのものを祀る社で 創祀は太古とされ 二上山の山麓に鎮座していました 明治4年(1871)に「国幣中社」に列格 その4年後 明治8年(1875)二上の地より高岡城跡の「高岡古城公園」へ遷座して現在に至ります 社伝によれば 創建は天武天皇の3年(675)正月奉幣に與られた伝承を以って 鎮座の年と定めたとある古社です

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二上射水神社(高岡市二上)  

一緒に読む
二上射水神社(高岡市二上)越中総社

二上射水神社(ふたがみいみずじんじゃ)は 二上山麓に鎮座しています 現在の射水神社〈明治8年(1875)高岡城跡「高岡古城公園」へ遷座〉の旧 鎮座地であり 元々は越中国一之宮でした 遷座後も氏子の信仰心と要請により この地には射水神社の分社として 二上射水神社が残され続けました 第二次大戦後 射水神社から独立して 現在では 正式名称を「越中総社 射水神社」と称しています

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道神社(みちの かみのやしろ)

・道神社(射水市作道)

・道神社(高岡市五十里字沼田)

・道神社(氷見市中田)

物部神社(もののへの かみのやしろ)

物部神社高岡市東海老坂

加久弥神社二座(かくみの かみのやしろ ふたくら)

・加久彌神社(氷見市神代)

・高岡關野神社(高岡市末広町)

・中川熊野神社(高岡市中川本町)

・朝日神社(氷見市小境字前田)

・夕日神社(氷見市小境)

久目神社(くめの かみのやしろ)

・久目神社(氷見市久目)

・日宮神社(氷見市大浦)

布勢神社(ふせの かみのやしろ)

布勢神氷見市布施

速川神社(はやかはの かみのやしろ)

・速川神社(氷見市早借字滝尾)

・速川神社(高岡市波岡)

・早川八幡社(高岡市早川字下段)

櫛田神社(くしのた かみのやしろ)

・櫛田神社(射水市串田)

礒部神社(いそへ かみのやしろ)

・磯部神社(氷見市磯辺)

・神明宮(氷見市磯辺 上宮)
〈礒部神社の元鎮座地〉

箭代神社(やしろ かみのやしろ)

・感之社〈箭代神社の古社地の中山南麓に再建〉
・箭代神社(氷見市北八代)

草岡神社(貞)(くさをか かみのやしろ)

・草岡神社(射水市堀岡古明神)

・加茂社(射水市戸破)

・高階社(氷見市一刎)

・八幡宮(氷見市一刎)

氣多神社(貞・名神大)(けたの かみのやしろ)

氣多神社高岡市)〈越中国一之宮

一緒に読む
氣多神社(高岡市伏木一宮)〈延喜式内社 越中国一之宮〉

気多神社(けたじんじゃ)は かつて越中国の国府の地があったとされる〈高岡市伏木〉に鎮座しています 故に越中国一之宮とも称して 境内には 越中国 総社跡(伝承地)もあります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)には 名神大社として所載される由緒ある古社です

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婦負郡(ねひの こおり) 7座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

姉倉比賣神社(あねくらのひめ かみのやしろ)

・姉倉姫神社(富山市船倉)

・姉倉比賣神社(富山市呉羽町姫本)

速星神社(はやほしの かみのやしろ)

・速星神社(富山市婦中町速星)

参考
速星神社(富山市住吉)

白鳥神社(しらとりの かみのやしろ)

・白鳥神社(富山市寺町字向田)

・白鳥神社(山市八尾町三田字道円)

・白鳥神社(富山市八尾町三田)
〈白鳥神社(山市八尾町三田字道円)の旧鎮座地〉

・熊野神社(富山市婦中町友坂字熊野山)

多久比禮志神社(たくひれしの かみのやしろ

・多久比礼志神社(富山市塩)

・姉倉比賣神社(富山市呉羽町姫本)

〈参考論社〉
・日宮神社(富山市黒瀬北町)

熊野神社(くまの かみのやしろ)

・熊野神社(富山市宮保)

・熊野神社(富山市婦中町友坂字熊野山)

・熊野神社(富山市婦中町中名)

・熊野社(富山市婦中町熊野道字古屋敷)

・高岡關野神社(高岡市末広町)

杉原神社(すきはらの かみのやしろ)

・杉原神社(富山市八尾町黒田字古国屋)

・杉原神社(富山市婦中町田屋清水田)

・杉原神社(富山市婦中町浜子)

参考論社
吉倉八幡宮(富山市吉倉)

鵜坂神社(うさかの かみのやしろ)

・鵜坂神社(富山市婦中町鵜坂)

新川郡(につかはの こおり) 7座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

神度神社(かむとの かみのやしろ)

・神度神社(中新川郡上市町森尻)

・鹿嶋神社(新川郡朝日町宮崎)

建石勝神社(たていはかつの かみのやしろ)

・立石大権現(魚津市吉島)
〈建石勝神社 旧跡地〉

・建石勝神社(魚津市吉島)

櫟原神社(いちひはらの かみのやしろ)

・櫟原神社(滑川市神明町)

・櫟原神社(滑川市柳原)

八心大市比古神社(やこころおほいちのひこ かみのやしろ)

・八心大市比古神社(黒部市三日市)

日置神社(ひをきの かみのやしろ)

・日置神社(中新川郡立山町日中)

・日置神社(中新川郡立山町利田日置)

布勢神社(ふせの かみのやしろ)

布勢神社魚津市布施爪

一緒に読む
布勢神社(魚津市布施爪)

布勢神社(ふせじんじゃ)は 社伝に 創立は第26代 継体天皇(507~531)の時とあります 鎮座地の布施川流域は 阿古屋野古墳群などの遺跡が多数あり 古代 北陸道の布勢驛があった 新川東部では最も早く拓けた地域とされます 延喜式内社 北陸道 越中国 新川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)とされます

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布勢神社(片貝川の川中島に鎮座)
〈社地が流出した為 雄山神社 中宮 立山若宮に合祀

一緒に読む
雄山神社 中宮祈願殿(立山町芦峅寺)

雄山神社 中宮祈願殿(おやまじんじゃ ちゅうぐう きがんでん)は 社伝に 文武天皇の大宝元年(701)景行天皇の後裔 越中国司 佐伯宿禰有若公の嫡男 有頼少年が白鷹に導かれ熊を追って岩窟に至り 雄山大神の神勅を奉じて開山造営された霊山と伝わります 雄山神社は 現在では・立山頂上峰本社・芦峅中宮祈願殿・岩峅前立社壇の三社殿から成り立つ宗教法人となっています

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雄山神社(をやまの かみのやしろ)

雄山神社 峯本社(立山 頂上)

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雄山神社 峯本社〈立山大権現〉(立山頂上 雄山山頂)

雄山神社 峯本社〈立山大権現〉(立山頂上 雄山山頂)は 海抜一万尺(3003m)北アルプス立山の主峰雄山の岩頭に鎮座します 古来・富士山・白山と共に信仰される日本三霊山です 延喜式内社 越中國 新川郡 雄山神社(をやまの かみのやしろ)の峯本社です

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雄山神社 中宮祈願殿(立山町芦峅寺)

一緒に読む
雄山神社 中宮祈願殿(立山町芦峅寺)

雄山神社 中宮祈願殿(おやまじんじゃ ちゅうぐう きがんでん)は 社伝に 文武天皇の大宝元年(701)景行天皇の後裔 越中国司 佐伯宿禰有若公の嫡男 有頼少年が白鷹に導かれ熊を追って岩窟に至り 雄山大神の神勅を奉じて開山造営された霊山と伝わります 雄山神社は 現在では・立山頂上峰本社・芦峅中宮祈願殿・岩峅前立社壇の三社殿から成り立つ宗教法人となっています

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雄山神社 前立社壇(立山町岩峅寺) 

一緒に読む
雄山神社 前立社壇(立山町岩峅寺)

雄山神社 前立社壇(おやまじんじゃ まえたてしゃだん)は 平安初期に開山造営され立山信仰の拠点となった霊山 立山寺(岩峅寺)で 立山に入山する者の身の穢れや罪を湯立ての神事にて祓い 道中の無事を祈願した神仏習合の地です 雄山神社は 現在では・立山頂上峰本社・芦峅中宮祈願殿・岩峅前立社壇の三社殿から成り立つ宗教法人となっています

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熊野神社(立山町栃津)
〈前立社壇の元鎮座地〉
 

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熊野神社(立山町栃津)〈雄山神社 前立社壇の旧鎮座地〉

熊野神社(くまのじんじゃ)は 立山三山を遙拝できる段丘゛神宮山゛に鎮座します 中世に勧請された社地の遺跡〈壮大な建築物の礎石が出土〉があり 東斜面には 磐境(いわさか)〈古代の祭祀遺跡〉があり 立山三山を遙拝する岩峅寺立山信仰を形成した可能性を示唆します 密教が立山に入り込む以前の遙拝信仰の拠点ともされ 雄山神社 前立社壇の旧鎮座地とも伝わります

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北陸道に鎮座する 352座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る

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北陸道に鎮座する 352座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています

このページは
「北陸道」に鎮座する(352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338)神社の一覧表です

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています