夷子神社(えびすじんじゃ)は 川奈の漁師の信仰が厚い祠であったようです 『豆州志稿』に「ことに古い祠で 神ノ主〈御神体〉は 自然石」と記され 古老の口伝に「此の祠は 殊に古く 御神体は崇厳な自然石で 本殿真下の空井戸に鎮座している」と伝わります 一説に式内社 伊波氐別命神社の論社とされています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
夷子神社(Ebisu Shrine)
(えびすじんじゃ)
[通称名(Common name)]
恵比須様(おいべすさま)
【鎮座地 (Location) 】
静岡県伊東市川奈2
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》蛭子命(Ebisu no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社〈論社〉
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
【由 緒 (History)】
古老の口伝に、此の祠は 殊に古く 御神体は崇厳な自然石で、本殿真下の空井戸に鎮座している。
昭和の初期までは恵比寿様と称えられ、二十日恵比寿には見世物小屋・露店商が立並び大賑わいをみせたという。『田方神社誌』静岡県神社庁
【境内社 (Other deities within the precincts)】
向かって左から
・龍宮神社・稲荷神社・小祠一宇
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内 小社
[旧 神社名 ] 伊波氐別命神社
[ ふ り が な ](いはてわけのみことの かみのやしろ)
[How to read ](Ihatewake no mikoto no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の
式内社「伊波氐別命神社(いはてわけのみことの かみのやしろ)」の論社
・諏訪神社(南伊豆町岩殿)
諏訪神社(南伊豆町岩殿)は 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の式内社「伊波氐別命神社」の論社で 「数十丈削立たる如き巌石上に鎮座す」と伝わります 現地も急斜面の上ですが この地は岩山なのでしょうか
諏訪神社(南伊豆町岩殿)
・右内神社(三島市梅名)
右内神社(うないじんじゃ)は 下田街道の左右に「左内神社」とともに 三嶋大社の御門守護神として 鎮座していたと伝わります 源頼朝公が伊豆に配流されていた頃 源氏再興を願い三嶋大社への参拝途上で 度々参詣したといわれています
右内神社(三島市梅名)
・夷子神社(伊東市川奈)
夷子神社(えびすじんじゃ)は 川奈の漁師の信仰が厚い祠であったようです 『豆州志稿』に「ことに古い祠で 神ノ主〈御神体〉は 自然石」と記され 古老の口伝に「此の祠は 殊に古く 御神体は崇厳な自然石で 本殿真下の空井戸に鎮座している」と伝わります 一説に式内社 伊波氐別命神社の論社とされています
夷子神社(伊東市川奈)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
伊豆急行 川奈駅から東の川奈港に向かい山を下り約2.7km 車7分程度
川奈港沿いに東へ道を進むと「この先行き止まり」と何回も表示があり 道を戻り広場に駐車して 行き止まりとされている海沿いの道を徒歩で向かいます
行き止まりは 造船所になっていて立入禁止ですが 神社の場所をお聞きするとこの先だと教えてもらい同時に 通行許可も頂きました
造船所を抜けると 岸壁になっていて 海辺に夷子神社が見えます
南西の海に向かって鳥居が建っています
夷子神社(Ebisu Shrine)に参着
一礼をして 鳥居をくぐります 反対から見ると 海に向かう鳥居であることが良くわかります
境内のすぐ目の前に社殿があり 右手に境内社の祠が鎮座しています 祠にお詣りをします
境内の奥には 濱の丸石が積まれていた跡があり 何かの祭事の行われた址だと思います
拝殿にすすみ 扉を開けると 中には本殿が鎮座しています 「夷子神社」の扁額が立掛けて有り 畳の裏に添え書きがあって「伊豆川奈浦 エビス神社」と記されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
扉を閉めて振り返ると 恐らくは風と波除の為に石垣が積まれていて 鳥居の出入りヶ所だけが海に抜けています
海の水は 頗る透明で綺麗です
海岸から 岸壁を歩み 造船所の方に御礼を言って 社殿に振り返り一礼をします
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
ことに古い祠で 神ノ主〈御神体〉は 自然石と記されています
【意訳】
夷子 小網代
この祠 殊(コト)に古し 神ノ主は自然石なり 古来より観る者なし 文に云う 干時貞京に乙ノ丑ノ4月吉日 夷(エヒス)三郎 以下摩滅
〇優婆子(ウバゴ) 優婆子山下の岩窟
〇龍神〇山の神〇津島
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『豆州志稿』選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=
式内社 伊波氐別命神社(いはてわけのみことの かみのやしろ)の伝承について
『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
『豆州志稿(zushu shiko)』は江戸時代に編集された伊豆地方の代表的な地誌
【意訳】
「 伊波氐別命神社(ihatewakeno kamino yashiro)慶長9年(1604)の上梁文(上棟式の祝文)にいわく「天石戸別(あめのいはとわけ)」又の名は「櫛石窓(くしいわまど)」また「石窓神」これ御門の神なり 本号「右内明神」と延喜式の賀茂郡に載ります
又 上梁文(上棟式の祝文)にも賀茂郡田方荘の梅名村としていますなんで 大社の内列遷座するを以って 祠地のみ賀茂郡とするを大社の例の如きか 禰宜 朝立氏 」
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
所在について 梅名村 右内明神〈現 右内神社(三島市梅名)〉と記し 大岩の巌窟に鎮座していた伝承を記しているのでしょうか
【意訳】
伊波氐別(イハテワケ)命神社
姓氏 神魂命児 天石都倭居命
志 君沢郡 慶長9年の棟札に 天石戸別 又 名櫛石窓 亦 神石窓この御門の神なり とあり
今 石内明神と号し 上梁文にも 又 賀茂郡田方荘梅名村とあり 三島大社内より迂すを以って 祠地のみ賀茂郡とする「大社の例の如き歟」
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
所在について 梅名村 右内明神〈現 右内神社(三島市梅名)〉と記しています---
【意訳】
伊波氐別命神社
伊波氐は 仮字なり 別は 和氣と訓ずべし
〇祭神 明らかなり
〇君沢郡 梅名村に在す 今 右内明神と称す
伊豆志に 慶長9年の棟札に 天石戸別 又 名櫛石窓 亦 神石窓この御門の神なり とあり と云えり神位 国内神階帳云う 従4位上 いはてわけのみこ
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
豆州志にある「梅名村 右内神社を伊波氐別命なり」と云う説は誤りである
岩殿村 諏訪明神が本来の伊波氐別(イハテワケノミコトノ)命を祀る社であると記しています
【意訳】
伊波氐別(イハテワケノミコトノ)命神社 称 諏訪神社
(明細帳に諏訪明神 祭神同所)祭神 伊波氐別命
今按〈今考えるに〉
この神号は 下に引る攷證〈考証〉に云える如く 数十丈削立たる如き巌石上に鎮座すを以って称へしものなるべきを
豆州志に田方郡 梅名村 右内神社を伊波氐別命なりと云い 慶長9年の棟札に 天石戸別 又 名櫛石窓 亦 神石窓この御門の神なり とあり 今号 右内明神と云いて一神の如く云えるは 誤りなり 故今とらず祭日
社格
所在
今按〈今考えるに〉
式社攷證に 岩殿村 諏訪明神なるべし 今 寶地を検見するに数十丈削立たる如き巌石上に鎮座なるは 伊波氐別の神号に思合れ 神階帳に いわでわけのみこと有るが古く若宮と称したるに符合し 村名の岩殿も本伊波氐の称に当りと聞こえるを 殿を どのと訓じて 遂に今の如く訛りたるを以って證すべし
然るを豆志に田方郡 梅名村 右内神社を当社と定めたるは非説なりと云える実にあたれり
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承
所在は 岩殿(いはどの)村 鎮座の諏訪明神社であり 旧説の右内神社は 甚だしい誤りと記しています
【意訳】
伊波氐別(いはでわけの)命神社
賀茂郡 岩殿(いはどの)村 鎮座 いはでわけのみこ 神階帳
今称す 諏訪明神社なりとに 攷證 注進 特選
今亦 小祠となる 旧説に20里を隔てし 君沢郡 梅名村 右内神社を当たるは 迂繆も亦 甚だしい
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』萩原正平 著 出版年月日 明15.6 編 出版者 栄樹堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090『伊豆国式社攷略』
夷子神社(Ebisu Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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