実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

千栗八幡宮(みやき町)

千栗八幡宮(ちりくはちまんぐう)は 1200年以上前から続くとても不思議な祭り「お粥だめし」(日本三大粥(かゆ)祭)が毎年3月15日にあり その年の吉凶を占います 大きな鍋でおかゆを炊いて 銅製の鉢に盛り 肥前・肥後・筑前・筑後の4カ国に国分けをするように 東西南北を定めて箸を十文字に渡します 2月26日に本殿に納め3月15日そのおかゆの表面のカビの生え具合によって 4カ国の天候や農作物のでき具合・台風・洪水・干ばつ・地震・火災などを占います 

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

 千栗八幡宮(chiriku hachimangu)
(ちりくはちまんぐう)

【鎮座地 (location) 】

佐賀県みやき町大字白壁2403

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》応神天皇(ojin tenno)第15代天皇
   仲哀天皇(chuai tenno)第14代天皇
   神功皇后(jingu kogo)第14代天皇の皇后

《配》難波皇子(naniwa no miko)第30敏達天皇皇子
   宇治皇子(uji no miko)第15代応神天皇皇子 菟道稚郎子
   住吉明神(sumiyoshi myojin)

   武内宿禰(takenochi no sukune)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

・着帯の祝い Five months after your new pregnancy, tie your band and pray that your baby will have a safe birth.
・お宮詣り Baby prays at shrine for the first time
・初誕生・餅踏の儀 After birth, make a wish so that you don't have any problems with food for the rest of your life, and carry out a ceremony with rice cakes.
・七・五・三の祝い 7 year old 5 year old 3 year old celebration
・入学奉告祭 Report Admission to school
・厄年の祓い Prayer at an age considered a milestone in life
・還暦祝 Thank God for 60th birthday

【格 式 (Rules of dignity) 】

・ 肥前国一之宮(hizen no kuni ichinomiya)
・ 別表神社
・ 宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)

【創 建 (Beginning of history)】

神亀元年(724)創建

慶長14年(1609)後陽成天皇より「肥前国総廟一宮鎮守千栗八幡大菩薩」の勅頼を賜り
中世以降は 肥前国一の宮と呼ばれています

【由 緒 (history)】

千栗八幡宮(ちりくはちまんぐう) 旧 国幣小社

祭神 應神天皇 仲哀天皇 神功皇后
   難波皇子 宇治皇子 住吉明神 武内宿禰

由緒

 神亀元年(七二四)聖武天皇の勅を奉じて 養父郡司 壬生春成が、この地に社殿を造営し創建したと伝へている。
以来本宮は 宇佐神宮の五所別宮の一と称せられ 朝廷 からも厚く尊崇を受けた。慶長十四年(一六〇九)には 後陽成天皇より「肥前国総廟一宮鎮守千栗八幡大菩薩」 の勅額を賜わった。

中世以降は肥前国一宮と呼ばれている。 昭和二十三年 神社本庁別表神社

祭日

三月十五日 御粥祭 五穀豊饒を祈り粥占神事
八月一日 名越祭 無事息災を祈り茅の輪神事
九月十五日 例大祭(俗に放生会)御神事、行列浮立
以上重要な祭りで年間数十度のお祭りがある。

人生儀礼

着帯の祝い 新しい生命が宿ってから五ヶ月目の戌の 日に岩田帯をしめて赤ちゃんの無事出産 を願います。
お宮詣り 男児三十一日、女児三十三日目に、両親、 共々神社に参拝し、お子さまの無事成育 を願います。
初誕生・餅踏の儀 生後、初誕生餅踏の儀を行います。
七・五・三の祝い 七才・五才・三才の男女児十一月十五日 無事成育を祈ります。
入学奉告祭 小学校入学は、家庭の生活から社会生活 の第一歩として、大きな意味を持つので この事を祝うと共に産土神に御奉告申上 げ勉学を祈ります。
厄年の祓い 厄人 男四十一才、女三十三才身を慎み神様の加護を祈ります。
還暦祝 本赴返りの祝とも云い、満六十才 岩田帯、餅踏のわらぢぞうり、神社にて 授與します。

境内案内板より

【境内社 (Other deities within the precincts)】

 武雄神社《主》武雄心命《合》天忍穂耳命・菅原道真・伊弉諾命・高木神

千栗八幡宮 摂社 武雄神社

御祭神 武雄心命(たけおごころのみこと)
孝元天皇(第8代)の皇子彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)の子。祭祀・占(卜)を司る任に当たり、景行天皇に(第12代)にお仕えした臣下で高良大社の御祭神武内宿禰は御子である。
ほかに相殿の神として次の四柱の神々が祀られている。
天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
菅原道真(すがわらのみちざね)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
高木神(高御産巣日神/たかみむすびのかみ)

由緒
創建は詳らかではないが、室町時代に描かれたといわれている「千栗八幡宮縁起絵」の境内図の中に「武雄社」が見られるところから、それ以前から信仰されていたと考えられる。
縁日 毎月4日、14日、24日
霊験 昔から手足の神様といわれ、手や足の痛みに霊験を顕し、多くの人がそのご神徳を戴いている。手や足に痛みのある人は、奉納されている木型を持ち帰り、患部に当て、快復を祈念し、治癒御礼には、新しいく手、足の木形を造り奉納する。
  千栗八幡宮社務所 

現地説明板より

鳩森稲荷神社《主》保食神

鳩森稲荷神社 御由緒
一、御祭神 保食神
一、御祭日 二月初午日
一、由 緒 当千栗八幡宮の御祭神は八幡大神で、稲荷神社御創建の由緒記によると、養父の郡司壬生春成が此の地に狩猟の折、弓の上に鳩がとまった故事によるもので、鳩は八幡さまのお使いであるとその夜の夢枕に八幡宮境内に千本の栗の木が植えてあるのが表れ、一夜にして栗林が現れたと云う。
故に鳩森稲荷神社と云う。
一、霊験 火炎鎮護・家内安全・商売繁昌・交通安全 

現地説明板より

天満神社《主》菅原道真
八幡神社《主》応神天皇
神功皇后神社《主》八幡大神
宮地嶽神社《主》宮地嶽大神

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

「宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)」(九州 五所別宮(kyushu gosho betsugu)について

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

「宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)」の記事をご覧ください

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR久留米駅から 県道145号経由 筑後川を渡り 約3.3km 車7分程度

千栗八幡宮(chiriku hachimangu)に到着

一の鳥居があり 一礼してくぐり抜けます


『 千栗八幡宮一の鳥居(石造肥前鳥居) 町重要有形文化財 建造物
 千栗八幡宮の御祭神は応神天皇、合祀 仲哀天皇、神功皇后、住吉仲皇子、難波皇子、宇治皇子、武内宿禰です。
 九州五社八幡宮の一つであり、武の神として昔から崇められてきました。
 聖武天皇の頃、神亀元年(724)に養父郡司壬生春成(みぶはるなり)により創祀されたと伝えられています。(元国幣小社)
 この鳥居は、慶長14年(1609)鍋島藩主鍋島直茂公によって奉納されたもので、笠木と島木及び柱貫は、すべて三本継ぎとなっています。島木は、形式化して笠木と一体となり、木鼻はゆるやかに沿っています。柱の上部には台輪があり、柱の下部は張り出して生け込みとなっていて、肥前鳥居の特色をよく備えています。県内に広く分布している石造肥前鳥居のうち古いものの一つにあたります。
 鳥居には、(銘)「泰長院是琢」、(筆者)「洪浩然」、(額面)「正八幡一宮(両柱銘)扶桑国西海道肥前国千栗山正一宮八幡大菩薩恭惟鍋島加賀守豊臣朝臣直茂正八幡宮九州鎮護(以下不明……)寿山東須禰保千億万歳之外福海湛香水向九族一門之内 慶長十四年歳己酉九月八日」と刻まれています。
 洪浩然は朝鮮半島の人で、書面を書く役として直茂・勝茂に仕えていたようです。
  昭和54年7月指定 みやき町教育委員会  』

現地説明板より

海抜30m余の千栗山に鎮座する神社で 息を切らして146段の長い石段を上がります

境内に登り詰めると狛犬が鎮座して 鳥居の扁額には「千栗八幡宮」とあります

神馬の石像

拝殿にすすみます

扁額には「千栗八幡宮」とあります

賽銭をおさめ お祈りです 

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

本殿を仰ぎます

境内社にお詣りします

鳩森稲荷神社《主》保食神

武雄神社《主》武雄心命《合》天忍穂耳命・菅原道真・伊弉諾命・高木神

武生神社の狛犬はユニークです

境内から 久留米市方面を眺めます
かつてはすぐ下を筑後川が流れていたとの事 天気が良ければ 高良大社のある高良山が望めます

御神木の大楠があります

境内を後にします

鳥居をくぐり振り返り一礼します

神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『北茂安町の史話伝説』に記される伝承から

「千栗八幡宮(chiriku hachimangu)」の呼び名について

「千栗(ちりく)」と読みます みやき町役場公式HPより

当該地区は古く古代律令制の頃には三根郡の北東端にあり、「和名抄」の郷名にすでに「千栗」という記載があり、呼称は高山寺本の訓「知利久」のとおり「ちりく」と呼ばれていた。
では、なぜ「栗」と書いて「りく」呼ばれるようになったかであるが、そのことは以下の伝説により、その謎が解けるのではないかと思います。

“一体「千栗」という地名は「千の栗がいっぺんに芽が出たちゅうこつからきたとばい。」と、いう事くらいは、地元の大方の人が耳のどこかにさしはさんでいることであろうが、もう少し詳しく述べると次のとおりである。

イラスト:栗の木がたくさん生えている所この当地区には千栗八幡宮という神社があり、この神社は当時の郡司壬生春成が八幡大神のご神託を受けて創祀したわけであるが、ある日壬生春成がこの地で猟をしていると、どこからともなく一羽の白鳩が春成の弓先に止まった。春成は不思議に思いながら、猟を終え夕方家に帰った。ところが今度はその晩、一人の白髪の老人が夢に現れて、「八幡大神のご臨降の目出たい瑞相だ。」と言って千個の栗の実を授けた。不思議で成らない春成は、昨日猟をした場所へ行ってみると、何と千株の栗の木が一夜のうちに生い茂っていたという。このことをのちの神亀元年に聖武天皇に奏上したところ、天皇も大変に喜ばれ、第二皇子を祭主としてこの宮を建てられたという事である。”

以上の由来のとおり、「栗」にまつわる伝説の由来により、「栗」という字をあてて「ちりく」と呼ぶようになったものと言われています。

みやき町役場公式HP 総務部  企画調整課  企画調整担当 https://www.town.miyaki.lg.jp/kanko/densho/_1250.htmlより

1200年以上前から続くとても不思議な祭り「お粥だめし」(日本三大粥(かゆ)祭)が毎年3月15日にあり その年の吉凶を占います

千栗八幡宮(chiriku hachimangu)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

「全国 一之宮(Ichi no miya)」について に戻る 

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