筑前国(ちくぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 筑前国(ちくぜんのくに) 19座(大16座・小3座)の神社です
筑前國(ちくぜんのくに)について
筑前国(Chikuzennokuni)は 令制国の一つ〈西海道に属する〉
現在の・福岡県西部
筑紫国(つくしのくに)の分割により 筑後国(ちくごのくに)とともに7世紀末までに成立したとされる
筑前国(ちくぜんのくに) 19座(大16座・小3座)
大社16座は8社〈いずれも名神大社〉
小社3座は3社
計19座は11社
※座は神の柱数 社は神社数
郡〈延喜式神名帳に記載〉
・宗像郡(むなかたの こおり) 4座(並大)
・那珂郡(なかの こおり) 4座(並大)
・糟屋郡(かすやの こおり) 3座(並大)
・怡土郡(いとの こおり) 1座(小)
・御笠郡(みかさの こおり) 2座(並大)
・上座郡(かみくらの こおり) 1座(小)
・下座郡(したあさくら こおり) 3座(並大)
・夜須郡(やすの こおり) 1座(小)
宗像郡(むなかたの こおり) 4座(並大)
宗像神社 三座(並名神大)(むなかたの かみのやしろ みくら)
「宗像社縁起」
「宗像三女神は 初め 室貴(室木 鞍手郡鞍手町室木)の六ヶ嶽に御着になり その後 此の地・津丸神輿村に著き給ふ この村において初めて天神威を輝かせらる その後三所の霊地(・田島・大島・沖ノ島)に御遷座あり」
〈宗像三女神降臨の地〉
・六嶽神社(鞍手町室木)
六嶽神社(むつがたけじんじゃ)は ゛宗像三女神が初めて降臨した六嶽 崎門〈サキト〉峰゛と伝わる地に上宮 里宮〈下宮〉は 第13代 成務天皇7年(137年頃)創建゛前戸(サキト)神社゛と称したと『宗像神社末社記』に載る古社です 宗像三女神は 第7代 孝霊天皇(在位 BC290~215年)の御宇に宗像三所に遷幸したと伝
六嶽神社(鞍手町室木)〈宗像三女神が初めて降臨した六嶽〉
〈宗像三女神遷幸の地〉
・神興神社(福津市津丸)
神興神社(じんごうじんじゃ)は 『宗像社縁起』には゛宗像三女神が初め室木の六ヶ嶽に天降り その後この地に留り給う 此の村に於て神威輝耀を以って神興と號す その後三所の霊地(田島、大島、沖ノ島)に御遷座あり云々゛と 宗像大社の゛神興ります所゛旧鎮座地であると伝えます
神興神社(福津市津丸)〈宗像大社の旧鎮座地゛神興(かみおこり)ます所゛〉
〈霊地・田島〉
・宗像大社 辺津宮(宗像市田島)
〈世界文化遺産 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群〉
宗像大社(むなかたたいしゃ)は 日本神話に起源を持つ゛宗像三女神゛が三つの宮〈・沖津宮(沖ノ島)・中津宮(大島)・辺津宮(田島)〉に坐ます ゛辺津宮(へつぐう)の起源゛は 背後の宗像山〈辺津宮古代祭祀の場〉゛高宮祭場゛の麓に本土の信仰の場として社殿が造営されたものです 古から受け継がれる宗像信仰の中心地となっています
宗像大社 辺津宮(宗像市田島)〈世界文化遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群〉
〈霊地・大島〉
・宗像大社 中津宮(宗像市大島)
〈世界文化遺産 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群〉
宗像大社(むなかたたいしゃ)中津宮(なかつぐう)は ・沖津宮(沖ノ島)と・辺津宮(九州の田島)をつなぐ大島に鎮座します 社殿背後の御嶽山の山頂には゛湍津姫神(たぎつひめのかみ)を祀る御嶽山祭祀遺跡゛〈沖ノ島と共通する古代国家祭祀の跡〉があり 後に山頂には御嶽神社が 麓には中津宮 社殿が創建されました
宗像大社 中津宮(宗像市大島)〈世界遺産 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群〉
・宗像大社 沖津宮遥拝所(宗像市大島)
〈世界文化遺産 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群〉
宗像大社(むなかたたいしゃ)沖津宮遙拝所(おきつぐうようはいしょ)は 遥か沖に浮かぶ゛神宿る島 沖ノ島゛〈島は全体が御神体であり 厳格な禁忌によって古くから一般人の渡島は禁止・女人は禁制〉この遥拝所として 少なくとも江戸時代〈境内の石碑には寛永3年(1750)と刻字〉には ここに造られていたと推測されています
沖津宮遥拝所(宗像市大島 字伊東)& 御嶽山祭祀遺跡
〈霊地・沖ノ島〉
・宗像大社 沖津宮(沖之島)〈一般参拝は不可〉
〈世界文化遺産 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群〉
宗像大社 沖津宮(おきつぐう)〈一般参拝は不可〉は 日本神話に起源を持つ゛宗像三女神゛を祀る 三つの宮〈・沖津宮(沖ノ島)・中津宮(大島)・辺津宮(田島)〉の内 玄界灘の沖に浮かぶ゛神宿る沖ノ島゛に鎮座 島は全体が御神体であり 厳格な禁忌によって古くから〈一般人の渡島は禁止・女人は禁制〉 限られた人のみ参拝が叶います
宗像大社 沖津宮(沖之島)〈世界文化遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群〉
織幡神社(名神大)(をりはたの かみのやしろ)
・織幡神社(宗像市鐘崎)
織幡神社(おりはたじんじゃ)は 海路守護の神 異国襲来守護の神として゛赤白二流之旗(あかしろふたながれのはた)゛をお祀りし 鐘崎の海辺に鎮座します 神功皇后の三韓出兵の時 赤白二流之旗を織り 武内宿禰命が それを゛宗大臣〈宗像大神〉御手長(みてなが)の旗竿゛に取り付け勝利した事に依ります
織幡神社(宗像市鐘崎)〈赤白二流之旗(あかしろふたながれのはた)をお祀りする神社〉
那珂郡(なかの こおり) 4座(並大)
八幡大菩薩 筥埼宮(名神大)(はちまんだいぼさつ はこさきのみや)
・筥崎宮の旧鎮座地 元宮とされる 大分八幡宮
大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)は 古代に神功皇后が三韓征伐から帰国して 当地で引率していた軍士を解隊し それぞれの故郷に返した時 その大分(オオワカレ)から大分(ダイブ)と称されるようになったと伝わります 筑前国一之宮の「筥崎宮(福岡市)」の元宮とされています
大分八幡宮(飯塚市大分)
・筥崎宮
筥崎宮(はこざきぐう)は 筑前国一之宮で『延喜式神名帳』所載の名神大社であり 別称を「筥崎八幡宮(hakozaki hachimangu)」とも呼ばれます 宇佐神宮(大分県宇佐市)・石清水八幡宮(京都府八幡市)の2社に鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)or筥崎八幡宮(当社)のいずれかを合わせて三大八幡宮とも呼ばれます
筥崎宮(福岡市東区箱崎)
住吉神社 三座(並名神大)(すみよしの かみのやしろ みくら)
・住吉神社(福岡市博多区住吉)
住吉神社(すみよしじんじゃ)は 延喜式神名帳に所載「筑前国那珂郡 住吉神社三座 名神大」とされ 筑紫国一之宮です 社伝には 伊弉諾尊が黄泉國から戻り祓い清めた地「筑紫の日向の橘の小戸の檍原の古蹟」〈住吉三神の御出生の地〉とされ神代より此地に鎮座 後に 神功皇后が三韓征韓の途中に祭祀を行ったので 住吉本社 又 日本第一住吉宮と伝えています
住吉神社(福岡市博多区住吉)
・若久住吉神社(福岡市南区若久)
若久住吉神社(わかひさすみよしじんじゃ)は 「御鎮座は 遠い遠い神代のことで年代を定めることは出来ませんが 全国的にも九州でも最も古いお宮様の一つです」と由緒にあり 式内社 住吉神社 三座(並 名神大)(すみよしの かみのやしろ みくら)とする説 筑前国福岡藩初代藩主 黒田長政によって江戸期前期頃の創建造営とする説もあります
若久住吉神社(福岡市南区若久)
・現人神社(那珂川市仲)
現人神社(あらひとじんじゃ)は 神功皇后が三韓征伐の時 神告により神田を定め 天神地祇に禱祈して 那珂川の水を引いた所 大和への御帰還に際し 霊験な現人神〈筒男三神〉をご奉持され 眞住吉之国(住よい国)〈摂津(大阪)〉に祀らた為に住吉三神と称され始めます 筑前国一之宮 福岡の住吉宮も後にここより御分霊された 故に 全国津々浦々にある住吉三神の本津宮とされます
現人神社(那珂川市仲)
糟屋郡(かすやの こおり) 3座(並大)
志加海神社三座(並名神大)(しかのうみの かみのやしろ みくら)
・志賀海神社 沖津宮(志賀島 勝馬)
沖津宮(おきつぐう)は 現在 志賀海神社の摂社です 古くは 志賀島北部の勝馬に・沖津宮〈底津綿津見神〉・仲津宮〈仲津綿津見神〉・表津宮〈表津綿津見神〉の三社が別々に鎮祭されていました 沖津宮の御祭神は 綿津見三神の中でも誕生が早く上位とされる゛底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)゛を祀っていました
沖津宮(福岡市東区勝馬)〈志賀海神社 摂社〉
・志賀海神社 中津宮(志賀島 勝馬)
仲津宮(なかつぐう)は 現在 志賀海神社の摂社です 古くは 志賀島北部の勝馬に゛表津宮゛゛仲津宮゛゛沖津宮゛の三社が鎮座し それぞれに゛表津綿津見神゛゛仲津綿津見神゛゛底津綿津見神゛が祀られていました 2世紀~4世紀の間に゛表津宮゛が 勝山の麓に遷座し 併せて゛仲津綿津見神゛゛表津綿津見神゛が奉祀され 現在の志賀海神社となったと伝わります
仲津宮(福岡市東区勝馬)〈志賀海神社 摂社〉
・志賀海神社(志賀島)
志賀海神社(しかうみじんじゃ)は 志賀島に鎮座し゛龍の都゛゛海神の総本社゛と称えられる 延喜式内社 筑前國 糟屋郡 志加海神社 三座(並名神大)(しかのうみの かみのやしろ みくら)です 祭祀は 神裔 阿曇族によって 御祭神〈伊邪那岐大神が禊祓をされて 住吉三神と共に御出現された〉 海の守護神 綿津見三神を奉斎します
志賀海神社(福岡市東区志賀島)〈延喜式内社 名神大社〉
怡土郡(いとの こおり) 1座(小)
志登神社(しとの かみのやしろ)
・志登神社(糸島市志登)
志登神社(しとじんじゃ)は 『記紀神話』日向二代 彦火火出見尊〈山幸彦〉の妃 ゛豊玉姫命゛が 海神国より帰り 浮島であったこの地に上陸されたので 社殿は西方に向って建ち 昔は海上から参拝するようになっていたと伝わります 延喜式内社 筑前國 怡土郡 志登神社(しとの かみのやしろ)とされます
志登神社(糸島市志登)
御笠郡(みかさの こおり) 2座(並大)
筑紫神社(名神大)(ちくしの かみのやしろ)
・筑紫神社(筑紫野市原田)
筑紫神社(ちくしじんじゃ)は 延喜式内社 筑前國 御笠郡 筑紫神社(名神大)(ちくしの かみのやしろ)です 筑紫の国号の起源説話が伝わる由緒ある古社で 奈良時代に書かれた『御笠郡筑紫神社縁起』には「筑前国と筑後国の境に荒ぶる神がいて 往来のものの命を奪うので困り果て 筑紫神として祀り これを鎮めた」とあります
筑紫神社(筑紫野市原田)〈延喜式内社 名神大社 筑紫神社〉
竃門神社(貞・名神大)(かまとの かみのやしろ)
・竈門神社 上宮(筑紫野市大石)
・宝満宮 竈門神社(太宰府市内山)
・山家宝満宮(筑紫野市山家)
上座郡(かみくらの こおり) 1座(小)
麻氐良布神社(まてらふの かみのやしろ)
・麻氐良布神社 奥宮(朝倉市杷木志波)
麻氐良布神社 奥宮(まてらふじんじゃ おくのみや)は 麻氐良山の山頂に鎮座します この山は『日本書紀』斉明天皇の条にある゛朝倉山゛とされ 『日本三代実録』元慶元年(八七七)九月廿五日の条に゛眞天良布神゛と記される古社で 『延喜式神名帳927 AD.』所載 筑前国 上座郡 麻氐良布神社(まてらふの かみのやしろ)です
麻氐良布神社 奥宮(朝倉市杷木志波)
・麻氐良布神社 下宮(朝倉市杷木志波)
麻氐良布神社 下宮(まてらふじんじゃ しものみや)は 『日本書紀』斉明天皇の条にある゛朝倉の社゛とされ 『日本三代実録』元慶元年(八七七)九月廿五日の条には゛眞天良布神゛と記され 『延喜式神名帳927 AD.』所載 筑前国 上座郡 麻氐良布神社(まてらふの かみのやしろ)の里宮です
麻氐良布神社 下宮(朝倉市杷木志波)
下座郡(したあさくら こおり) 3座(並大)
美奈宜神社三座(並名神大)(みなきの かみのやしろ みくら)
・美奈宜神社(朝倉市林田)
美奈宜神社 (みなぎじんじゃ)は 社説に゛今から千八百年前 神功皇后が三韓征伐の御時 冥助あり 此所に祭り給い゛と云え 『六国史』にも貞觀元年(859)美奈宜神(ミナキノカミ)として 神階の奉授が記される由緒ある古社です 延喜式内社 筑前國 下座郡 美奈宜神社三座(名神大)(みなきの かみのやしろ みくら)の論社です
美奈宜神社(朝倉市林田)〈延喜式内社 名神大社 美奈宜神社〉
・美奈宜神社(朝倉市荷原)
美奈宜神社(みなぎじんじゃ)は 創始について 神功皇后の 熊襲゛羽白熊鷲(はしろくまわし)の平定゛に由来します 『六国史』には 貞觀元年(八五九)美奈宜神(ミナキノカミ)として 神階の奉授が記され 延喜式内社 筑前國 下座郡 美奈宜神社三座(名神大)(みなきの かみのやしろ みくら)とされます
美奈宜神社(朝倉市荷原)〈延喜式内社 名神大社 美奈宜神社〉
夜須郡(やすの こおり) 1座(小)
於保奈牟智神社(をほなむちの かみのやしろ)
・大己貴神社 (筑前町弥永)
大己貴神社(おほなむちじんじゃ)は 創建の伝承について『日本書紀〈養老4年(720)編纂〉』神功皇后の段〈仲哀天皇9年〉に゛大神社〈大三輪社〉(おおみわのやしろ)゛と記される古社 邪馬台国九州説によれば゛日本で最も古い神社゛とされています 延喜式内社 筑前國 夜須郡 於保奈牟智神社(をほなむちの かみのやしろ)です
大己貴神社 (筑前町弥永)〈延喜式内社 於保奈牟智神社〉
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