豊後国(ぶんごのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 豊後国 6座(大1座・小5座)の神社です
豊後国(ぶんごのくに)について
豊後国(Bungonokuni)は 令制国の一つ〈西海道に属する〉
現在の・大分県(宇佐市・中津市除く)
古墳時代に設置された国造は
国東半島中心とした地域に国前国造
大分郡を中心とした地域に大分国造
日田郡を中心とした地域に比多国造
7世紀 豊国(とよのくに)が分割され 豊後国と豊前国が設けられた
豊後国(ぶんごのくに) 6座(大1座・小5座)
大社1座は1社
小社5座は4社
計6座は5社
※座は神の柱数 社は神社数
郡〈延喜式神名帳に記載〉
・直入郡(なをりの こおり) 1座(小)
・大分郡(おほいたの こおり) 1座(大)
・速見郡(はやみの こおり) 3座(並小)
・海部郡(あまへの こおり) 1座(小)
直入郡(なをりの こおり) 1座(小)
建男霜凝日子神社(たけをしもこりひこの かみのやしろ)
・建男霜凝日子神社 上宮(祖母山 山頂)
・健男霜凝日子神社 下宮(竹田市神原)
健男霜凝日子神社 下宮(たけおしもこりひこじんじゃ げくう)は 上宮が鎮座する「祖母山(ソボサン)山頂」と対面する山の南面の中腹に鎮座しています 参拝には 山麓から約240段の石段を上ります すると山肌に巨大な岩窟があり その岩窟中に社殿が建っています 第36代 孝徳天皇 白雉2年(650)当所に社殿を建立し 下宮と称し遥拝所とされたと伝わります 延喜式内社の論社です
健男霜凝日子神社 下宮(竹田市神原)
・健男霜凝日子神社 里宮〈神幸所〉(竹田市神原)
健男霜凝日子神社 里宮〈神幸所〉は もともとは 祖母山の神・山頂の上宮・遥拝所の下宮・穴森神社の神幸所でした 國幣小社への昇格の為 昭和9年(1934)相応規模の社殿が建築され とても立派な里宮の形式をとっています 終戦により計画は中断し 神幸所として現用されています
健男霜凝日子神社 里宮〈神幸所〉(竹田市神原)
・穴森神社(竹田市神原)
穴森神社(あなもりじんじゃ)は かつて神池があり その池底にあった岩窟をご神体としています 姥嶽大明神(祖母山)の化身である大蛇が住んでいたとされた岩窟からは 元禄16年(1703)大蛇の骨が発見され 藩命で宝永2年(1705)現在の岩穴に神体として祀ったと伝わります 『平家物語』には 岩窟〈穴森神社〉に住んでいた大蛇 姥嶽大明神(大蛇)と華御本姫(はなのおもとひめ)との神婚伝説(神と人との婚姻説)が記されています
穴森神社(竹田市神原)
大分郡(おほいたの こおり) 1座(大)
西寒多神社(延・大)(ささむたの かみのやしろ)
・西寒多神社(大分市寒田)
西寒多神社(ささむたじんじゃ)は 社伝によれば 第15代 応神天皇の勅命により 応神天皇9年(278)4月 西寒多山(本宮山)に 祠を建立したと伝わり その後 応永15年(1408)3月 南北朝~室町時代に守護大名 大友親世公により現在地に遷座されました 豊後国一之宮として信仰されています
西寒多神社(大分市寒田)
・本宮神社(大分市上判田)〈西寒多神社 奥宮〉
・西寒田神社(臼杵市野津町西寒田)
西寒田神社(ささむたじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載の式内社「豊後国大分郡 西寒多神社」の論社です・『豊後国志』・『太宰管内志』では こちらが本祠であって 応永15年(1408)3月に大友親世が現在地〈西寒多神社(大分市寒田)〉に遷座したと伝えています
西寒田神社(臼杵市野津町西寒田)
・西寒多神社(豊後大野市犬飼町)
西寒多神社(ささむたじんじゃ)は 社伝によれば『延喜式神名帳927 AD.』所載の豊後國 大野郡一座大 西寒多神社であり 文化九年(一八一二) 白川神紙伯の「鎮國一宮 西寒田神社」の社号をうけていると伝えています 式内社の論社でもあり 豊後国一之宮の論社でもあります
西寒多神社(豊後大野市犬飼町)
速見郡(はやみの こおり) 3座(並小)
宇奈岐日女神社(うなきのひめの かみのやしろ)
・宇奈岐日女神社(由布市湯布院町)
宇奈岐日女神社(うなぎひめじんじゃ)は 社伝には第12代 景行天皇〈日本武尊の父〉が 征西の際に速津媛に迎えられ 勅をして創祀と伝り 又 由布院の盆地の開拓神話として゛蹴破伝承゛〈太古には湖であったとする伝説〉もあります 『六国史』に神位の奉授・『延喜式神名帳』に豊後國 速見郡 宇奈岐日女神社と所載されます
宇奈岐日女神社(湯布院町川上)〈延喜式内社 豊後國 速見郡 宇奈岐日女神社〉
火男火賣神社二座(貞)(ひをのひめの かみのやしろ ふたくら)
・火男火賣神社 下宮(別府市火売)
・火男火賣神社 中宮(別府市南立石)
・火男火賣神社 上宮〈御岳権現社〉
海部郡(あまへの こおり) 1座(小)
早吸日女神社(はやすひめの かみのやしろ)
・早吸日女神社(大分市佐賀関)
早吸日女神社(はやすひめじんしゃ)は 社伝には 神武天皇の東遷の時 地主神の二神〈黒砂(いさご)真砂(まさご)〉が神劔〈御神体〉を献じ 天皇みずから建国の請願を立てたと云う 創建の地は 西方1.8kmの古宮〈当社と同じ祭神を祀る 現在の六柱神社の場所〉と伝わり その後 現在地へと遷座 式内社 早吸日女神社(はやすひめの かみのやしろ)の論社です
早吸日女神社(大分市佐賀関)
・六柱神社(大分市佐賀関)
〈早吸日女神社の旧鎮座地〉
六柱神社(むはしらじんじゃ)は 早吸咩女神社の社伝には 神武天皇の東遷の時 地主神の二神〈黒砂(いさご)真砂(まさご)〉が神劔〈御神体〉を献じ 天皇みずから建国の請願を立てたと云う 創建の地゛古宮゛と伝わります 早吸咩女神社が遷座(701年)後も 里人が祠を建てて祀ってきました
六柱神社(大分市佐賀関)
式外社
・椎根津彦神社(大分市佐賀関)
椎根津彦神社(しいねつひこじんしゃ)は 住古 神武天皇は 東征の途 豊國 早吸の門に到りし時 海上に釣垂れていた賤しからぬ人品の男 珍彦(うずひこ)〈国津神〉に水先案内を仰付け 椎根津彦(しひねつひこ)の名を下した 以来 命は功をたてて論功行賞の恩典として 初代 大和國造となった 里人は かくの如き祖先を輩出した郷土の誇りとして 小祠を祀りて奉った
椎根津彦神社(大分市佐賀関)
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『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました このページは
西海道に鎮座する 107座『延喜式神名帳』の所載一覧
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています
「西海道」に鎮座する(107座…大38・小69)神社の一覧表です