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阿波国 式内社 50座(大3座・小47座)について

阿波国(あわのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 阿波国 50座(大3座・小47座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

阿波国(あわのくに)について

阿波国Awanokuniは  令制国の一つ〈南海に属する
現在の徳島県

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『古語拾遺』大同2年(807)〉には
天富命(あめのとみのみこと) 神武東征において忌部氏を率いて、木国の材木を採取し畝傍山の麓に橿原宮を造営した

さらに 天富命(あめのとみのみこと)は 肥沃な土地を求め当地の開拓をして 穀・麻種を植えたと記されます

当初は 粟国(あわのくに)
和銅6年(713)元明天皇による勅命 好字令により「粟」は「阿波」に変更

阿波国(あはのくに) 50座(大3座・小47座)

大社3は3〈いずれも名神大社〉
小社47は47
 50は50

※座は神の柱数 社は神社数

〈延喜式神名帳に記載〉
板野郡(いたのの こおり) 4座(大1座・小3座)
阿波郡(あはの こおり) 2座(並小)
美馬郡(みまの こおり) 12座(並小)
麻殖郡(をえの こおり) 8座(大1座・小7座)
名方郡(なかたの こおり) 9座(大1座・小8座)
勝浦郡(かつうらの こおり) 8座(並小)
那賀郡(なかの こおり) 7座(並小)

板野郡(いたのの こおり) 4座(大1座・小3座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

大麻比古神社(名神大)(おほあさひこの かみのやしろ)

・大麻比古神社(鳴門市大麻町)

一緒に読む
大麻比古神社(鳴門市大麻町)阿波国一之宮とされる由緒ある古社

大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は 〈初代 神武天皇の御代〉阿波国を開拓した天太玉命の御孫 天富命(アメノトミノミコト)が 忌部氏の祖神 天太玉命(アメノフトダマノミコト)を祀ったのに始まります その後 猿田彦大神が合祀され 平安期には延喜式の名神大社 中世以降は 阿波国一之宮とされる由緒ある古社です

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鹿江比賣神社(かえひめの かみのやしろ)

・野神社〈大麻比古神社 末社〉

一緒に読む
野神社〈大麻比古神社 末社〉(鳴門市大麻町)

野神社(のじんじゃ)は 式内社 鹿江比賣(かえひめの)神社の論社 祭神は 鹿江比賣命(カエヒメノミコト)で・『古事記』鹿屋野比賣神・『日本書紀』草祖 草野姫(かやのひめ)との音が近く 同神とは府会と伝わり 安房(南房総)忌部系図では 大麻比古命の御子・由布津主命の妹神・千鹿江比賣命(チカエヒメノミコト)であるとします

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・葦稲葉神社・殿宮神社(上板町神宅)

宇志比古神社(うしひこ かみのやしろ)

・宇志比古神社・宇志比賣神社〈大麻比古神社 境外摂社〉

・宇志比古神社(鳴門市大麻町)

岡上神社(をかのうへの かみのやしろ)

・岡上神社(板野町)

阿波郡(あはの こおり) 2座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

建布都神社(たけふつの かみのやしろ)

・建布都神社(阿波市市場町)

・建布都神社・西宮神社(阿波市土成町)

・赤田神社(阿波市土成町)

・八幡神社〈杉尾大明神〉(阿波市市場町)

・伊笠神社(阿波市市場町)

事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)

・事代主神社(阿波市市場町伊月)

一緒に読む
事代主神社(阿波郡市場町大字伊月字宮の本)〈延喜式内社〉

事代主神社(ことしろぬしじんじゃ)は 『日本書紀〈養老4年(720)〉』神功皇后紀に此の神の事が記載されているので それ以前からの鎮座と伝わる古社です 鎮座地の伊月(いつき)は 事代主神を斎(いつき)祀る所から来ているとのこと 延喜式内社 阿波國 阿波郡 事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)であるとされます

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美馬郡(みまの こおり) 12座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

鴨神社(かもの かみのやしろ)

・鴨神社(東みよし町加茂)

田寸神社(たわの かみのやしろ)

・田寸神社(東みよし町加茂)

・鴨神社(東みよし町加茂)

・金丸八幡神社(東みよし町)

・西照神社(美馬市)

一緒に読む
西照神社(美馬市脇町西大谷)〈弘法大師・空海ゆかりの延喜式内社〉

西照神社(にしてるじんじゃ)は 厄除の総本宮とされていて・「夜を統べる月神さま」月読尊(tsukiyomi no mikoto)を祀ります・平安時代の若き僧「弘法大師(空海)」も修行に励んだ霊峰とされ 香川県(讃岐国)と徳島県(阿波国)の県境にある大滝山(946m)に鎮座します

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・太田神社〈田寸神社再建地〉(つるぎ町貞光太田東)

・武大神社(井川町井内西)

横田神社(よこたの かみのやしろ)

・横田神社(東みよし町加茂)

・鴨神社(東みよし町加茂)

伊射奈美神社(いさなみの かみのやしろ)

・高越神社(吉野川市山川町木綿麻山)

・伊射奈美神社(美馬市穴吹町三島舞中島)

・八幡神社(美馬市脇町大字猪尻)

・十二所神社(美馬市穴吹町口山尾山)

・伊射奈美神社(美馬市美馬町中鳥)

・伊射奈美神社原社跡(美馬市美馬町中鳥)

建神社(たけの かみのやしろ)

・建神社(つるぎ町半田逢坂)

・竹神社(三好市池田町松尾大申)

・天王宮 建神社(美馬市脇町)

・正八幡宮(三好市三野町清水)

天椅立神社(あめよりたての かみのやしろ)

・天椅立神社(東みよし町昼間)

・天戸八坂神社(東みよし町昼間)

天都賀佐毘古神社(あまつかさひこの かみのやしろ)

・天都賀佐彦神社(美馬市美馬町西荒川)

・天都賀佐比古神社(美馬市美馬町轟)

八十子神社(やつこの かみのやしろ)

・蜂須神社(つるぎ町貞光宮平)

・正八幡宮〈合祀先〉(美馬市穴吹町三島小島)

弥都波能賣神社(みつはのめの かみのやしろ)

・武大神社(井川町井内西)

・八大龍王神社(美馬市脇町)

・天王宮 建神社(美馬市脇町)

・八坂神社(美馬市美馬町)

波尓移麻比弥神社(はにやまのひみの かみのやしろ)

・馬岡新田神社(三好市井川町)

・波爾移麻比禰神社(美馬市脇町)

倭大國玉神大國敷神社二座(やまとおほくにたまのかみ おほくにしきかみの やしろ ふたくら)

・医家神社(三好市池田町)

一緒に読む
醫家神社(三好市池田町マチ)〈式内社 倭大國玉神大國敷神社 二座の論社〉

医家神社(いけじんじゃ)は 兵火により 社伝・記録等を全て焼失の為 創建等不詳です 『延喜式神名帳(927 AD.)』所載 阿波國 美馬郡  倭大國玉神大國敷神社 二座(やまとおほくにたまのかみおほくにしきのかみのやしろ ふたくら)の論社となっています

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・磐坂神社(三好市池田町シンヤマ)
〈医家神社 旧鎮座地〉

一緒に読む
磐坂神社〈医家神社 旧鎮座地〉(三好市池田町シンヤマ)

磐坂神社(いわさかじんじゃ)は 医家神社(三好市池田町)の旧鎮座地であると伝わります 従って『延喜式神名帳(927 AD.)』所載 阿波國 美馬郡  倭大國玉神大國敷神社 二座(やまとおほくにたまのかみおほくにしきのかみのやしろ ふたくら)の旧鎮座地の論社となっています

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・倭大國魂神社(美馬市美馬町字東宮ノ上)

・倭大國敷神社(美馬市脇町拝原)

麻殖郡(をえの こおり) 8座(大1座・小7座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

忌部神社(名神大月次新嘗・或号麻殖神・或号天日鷲神)(いむへの かみのやしろ)

・忌部神社(徳島市二軒屋町)
〈明治18年11月 旧鎮座地 吉良御所平より遷座〉

・忌部神社(つるぎ町貞光吉良)
〈旧鎮座地 吉良御所平〉

・忌部神社〈御所神社〉 (つるぎ町貞光吉良)
〈昭和63年11月19日 現在地に移転新築〉

・山崎忌部神社(山川町忌部山)

・黒岩磐座遺跡〈真立石〉(山川町東麓)
〈山崎忌部神社の旧鎮座地〉忌部本宮大社

天村雲神 伊自波夜比賣神社二座(あまむらくものかみ いしはやひめの かみのやしろ ふたくら)

・天村雲神社(山川町村雲)

・天村雲神社(山川町流)

伊加加志神社(いかかしの かみのやしろ)

・伊加々志神社(川島町桑村)

天水沼間比古神 天水塞比賣神社二座(あまつぬまひこのかみ あまのみつせきひめの かみのやしろ ふたくら)

・敷島神社(鴨島町敷地)
〈式内社の論社 雨足神社を 明治42年9月 合祀〉

秘羽目神 足浜目門比売神社二座(ひはめのかみ たらはまめもひめの かみのやしろ ふたくら)

・杉尾神社(鴨島町牛島)

・中内神社(鴨島町西麻植中筋)

・八幡神社(川島町児島前池北)

名方郡(なかたの こおり) 9座(大1座・小8座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

天石門別八倉比賣神社(大月次新嘗)(あまのいはとわけ やくらひめの かみのやしろ)

・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)

一緒に読む
天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)〈阿波国一之宮〉

天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)は 杉尾山(標高120m)の上に鎮座し 杉尾大明神と呼称されていました 明治3年(1870)に現号に改称していますが 地元では今でも「杉尾さん」と呼ばれて親しまれています 阿波一之宮とされる式内社「天石門別八倉比賣神社(大 月次 新嘗)」の論社でもあります

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上一宮大粟神社(神山町)
一宮神社(徳島市)の元宮とされる

元宮
上一宮大粟神社(名西郡神山町神領字西上角)〈阿波国一之宮〉

上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)は 御祭神として 古事記に記載されている゛大宜都比売命(おほげつひめのみこと)゛を祀ります 粟国(阿波)を開かれた祖神で 五穀養蚕の神として 古代から農耕を守り生命の糧を恵みむ神で 式内社 天石門別八倉比売(あめのいわとわけ やくらひめの)神社(大月次新嘗)の論社です

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・一宮神社(徳島市)

遷座の宮
一宮神社(徳島市一宮町西丁)〈阿波国一之宮〉

一宮神社(いちのみやじんじゃ)は 元々は阿波国一之宮であった上一宮大粟神社(名西郡神山町)の分祠として 平安時代後期に国府の近くであったこの地に下一宮として祀られて 阿波国一之宮とされていました しかし 室町時代以降は 細川氏の台頭とともに 大麻比古神社が阿波国一之宮となっていきます

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天石門別豊玉比賣神社(あまのいはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)

・雨降神社(徳島市不動西町)

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雨降神社(徳島市不動西町)〈延喜式神名帳所載 論社〉

雨降神社(あまたらしじんじゃ)は 創建年代は不祥です 『延喜式神名帳(927 AD.)』に所載の 二つの式内社〈①天石門別豊玉比賣神社(あめのいはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)②和多都美豊玉比賣神社(わたつみとよたまひめの かみのやしろ)〉の論社です 近世では゛雨降大明神゛と称し 雨乞の霊験が伝わります

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・龍王祠〈廃社〉

徳島市の徳島中央公園(城山)〉にあった竜王祠は 徳島城の取り壊し時〈明治8年(1875)〉眉山麓にある国瑞彦神社に合祀

・竜王さんのクス(もと徳島城城山に鎮座した竜王祠〈廃社〉の付近)

・国瑞彦神社(徳島市伊賀町)

式内社(阿波國名方郡 天石門別豊玉比賣神社)の論社二つ

境内社龍王神社゛〈現在は 廃社 本殿に合祀されている
※国瑞彦神社の境内社゛龍王神社゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社とされていた

竜王宮(もと徳島城城山に鎮座していた竜王宮〈国瑞彦神社に合祀されていた時期あり
※元は徳島城内に鎮座した゛龍王祠゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社論社とされ 国瑞彦神社・忌部神社を経て 現在は 徳島城鎮護の社である春日神社の境内に遷座

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國瑞彦神社(徳島市伊賀町)〈式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社〉

国瑞彦神社(くにたまひこじんじゃ)は 文化3年(1806)藩祖 家政公を偲び゛国瑞彦゛の神号を受け この地に奉祀 式内論社の境内社 龍王神社〈現在 廃社 本殿に合祀〉と゛もと徳島城城山に鎮座の竜王祠゛を合祀した時期もあり 式内社 天石門別豊玉比賣神社(あまのいはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)の論社とされます

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・豊玉比賣神社(徳島市眉山町)〈春日神社 境内〉

竜王宮(もと徳島城城山に鎮座していた竜王宮〈国瑞彦神社に合祀されていた時期あり
※元は徳島城内に鎮座した゛龍王祠゛は 式内社 天石門別豊玉比賣神社
論社とされ 国瑞彦神社・忌部神社を経て 現在は 徳島城鎮護の社である春日神社の境内に遷座

一緒に読む
春日神社& 境内社 豊玉比賣神社(徳島市眉山町)

春日神社は 慶長年間 藩祖 蜂須賀家政公が 渭の津に築城の際 名西郡入田の里より神霊を奉遷され創建  境内社 豊玉比賣神社(とよたまひめじんじゃ)は もと徳島城(城山)にあった゛竜王祠゛城の取り壊し時〈明治8年(1875)〉眉山麓にある国瑞彦神社に合祀 その後 ここに遷座された 式内社 天石門別豊玉比賣神社の論社です

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・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)

一緒に読む
天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)〈阿波国一之宮〉

天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)は 杉尾山(標高120m)の上に鎮座し 杉尾大明神と呼称されていました 明治3年(1870)に現号に改称していますが 地元では今でも「杉尾さん」と呼ばれて親しまれています 阿波一之宮とされる式内社「天石門別八倉比賣神社(大 月次 新嘗)」の論社でもあります

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麻能等比古神社(まのとひこの かみのやしろ)

・大麻比古神社(徳島市明神町)

・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)

一緒に読む
天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)〈阿波国一之宮〉

天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)は 杉尾山(標高120m)の上に鎮座し 杉尾大明神と呼称されていました 明治3年(1870)に現号に改称していますが 地元では今でも「杉尾さん」と呼ばれて親しまれています 阿波一之宮とされる式内社「天石門別八倉比賣神社(大 月次 新嘗)」の論社でもあります

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和多都美豊玉比賣神社(わたつみとよたまひめの かみのやしろ)

・雨降神社(徳島市不動西町)

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雨降神社(徳島市不動西町)〈延喜式神名帳所載 論社〉

雨降神社(あまたらしじんじゃ)は 創建年代は不祥です 『延喜式神名帳(927 AD.)』に所載の 二つの式内社〈①天石門別豊玉比賣神社(あめのいはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)②和多都美豊玉比賣神社(わたつみとよたまひめの かみのやしろ)〉の論社です 近世では゛雨降大明神゛と称し 雨乞の霊験が伝わります

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・王子和田津美神社(徳島市国府町)

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王子和田津美神社(徳島市国府町和田宮ノ元)〈式内社 和多都美豊玉比賣神社の論社〉

王子和田津美神社(おうじわたつみじんじゃ)は 徳島藩の地誌『阿波志』には゛延喜式小祠と為す 和多村に在り 今王子と称す゛と記され 延喜式内社 阿波国 名方郡 和多都美豊玉比賣神社(わたつみとよたまひめの かみのやしろ)の論社とされています

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大御和神社(おほみわの かみのやしろ)

大御和神社(国府町府中)

天佐自能和氣神社(あまさしのわけの かみのやしろ)

・天佐自能和気神社(徳島市不動東町)

御間都比古神社(みまつひこの かみのやしろ)

・御間都比古神社(佐那河内村下モノミ石)

多祁御奈刀祢神社(たけみなとみ かみのやしろ)

・多祁御奈刀弥神社(石井町浦庄諏訪)

意富門麻比賣神社(いふとまのひめ かみのやしろ)

・宅宮神社(上八万町上中筋)

勝浦郡(かつうらの こおり) 8座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

勝占神社(かつらの かみのやしろ)

・勝占神社(勝占町中山)

事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)

・生夷神社(勝浦町沼江田中)

一緒に読む
生夷神社(勝浦郡勝浦町大字沼江字田中)〈延喜式内社〉

生夷神社(いくいじんじゃ)は 『新撰姓氏錄』゛長公(おさのきみ)は 大奈牟智神兒 積羽八重事代主命之後也゛と記載されている 長の地は 阿波国 那賀郡の地に由縁があるので その氏人〈長〉の祖神として祀られたものであろうとされています 延喜式内社 阿波國 勝浦郡 事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)の論社です

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・蛭子神社(勝浦町沼江一楽)〈大将軍神社の境内社〉

一緒に読む
蛭子神社(勝浦町沼江一楽)〈大将軍神社の境内社〉

蛭子神社(えびすじんじゃ)は 大将軍神社(勝浦町沼江一楽)の境内に祀られています 勝浦町沼江地区には 二つの゛ゑびすさん゛を祀る神社があり 二つ共に延喜式内社 阿波國 勝浦郡 事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)の論社とされていて その内の一つになります

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山方比古神社(やまかたのひこの かみのやしろ)

・金山神社〈山方比古神社〉(多家良町立岩)

・立岩神社〈山方比古神社〉(多家良町立岩)

宇母理比古神社(うもりひこ かみのやしろ)

・宇母理比古神社(八多町森時)

阿佐多知比古神社(あさたちひこの かみのやしろ)

・朝立彦神社(飯谷町小竹)

一緒に読む
朝立彦神社(徳島市飯谷町小竹)〈延喜式内社〉

朝立彦神社(あさだちひこじんじゃ)は 延喜式内社 阿波國 勝浦郡 阿佐多知比古神社(あさたちひこの かみのやしろ)です 江戸時代には 護王権現(ごおうごんげん)と称し 明治四年 朝立彦神社と改しました 境内には 年中水が涸れず 祈雨の神として霊験がある゛御甕(オカメ)゛〈現 「お亀の池」〉と云う 二尺余の岩穴があります

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速雨神社(はやあめの かみのやしろ)

・速雨神社(八多町坂東)

御縣神社(みあかたの かみのやしろ)

・御縣神社〈豊國神社の境内社〉(小松島市中郷町豊ノ本)

建嶋女祖命神社(たけしまめおやのみこと かみのやしろ)

・建島女祖命神社〈建島神社〉(小松島市中田町広見)

那賀郡(なかの こおり) 7座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

和耶神社(わやの かみのやしろ)

・羽浦神社(阿南市羽ノ浦町)
〈式内社 論社 和耶神社(宮倉村字背戸田)を合祀〉

・日和佐八幡神社(美波町日和佐浦)

一緒に読む
日和佐八幡神社(海部郡美波町日和佐浦)〈延喜式内社 和耶神社〉

日和佐八幡神社(ひわさはちまんじんじゃ)は 社伝には 創建は観応2年(1351)と伝わります 『海部郡誌』には 延喜式内社 阿波國 那賀郡 和耶神社(わやの かみのやしろ)の論社とします 鎮座地の大浜海岸は うみがめ産卵上陸地〈国指定文化財・天然記念物〉です 又 秋まつりの太鼓屋台「ちょうさ」も有名です

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・宮倉神社(阿南市羽ノ浦町西春日野)〈元は隣接地の 羽ノ浦町宮倉にあり〉

宇奈為神社(うなゐの かみのやしろ)

・宇奈為神社(那賀町木頭内ノ瀬)

和奈佐意富曽神社(わなさおふその かみのやしろ)

・大里八幡神社(海陽町大里松原)

・和奈佐意富曽神社(海陽町大里松原)

・羽浦神社(阿南市羽ノ浦町)
〈式内社 論社 和奈佐意富曾神社(宮倉村字羽ノ浦居内)を合祀〉

・蛭子神社(那賀町和食南川)

室比賣神社(むろひめの かみのやしろ)

・室姫神社(阿南市新野町入田)

・阿津神社(海陽町相川 阿津)

・轟神社(阿南市新野町北宮ノ久保)
〈式内社 論社 室比売神社(南荒田野村岡山)を中世に合祀〉

建比賣神社(たてひめの かみのやしろ)

・古烏神社(阿南市)

一緒に読む
古烏神社(阿南市宝田町大字下荒井字川原)〈延喜式内社〉

古烏神社(こがらすじんじゃ)は 現在 阿南市宝田町に鎮座する正八幡神社の境外社です 927年12月編纂の『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』には 阿波国に50座が所載されますが その内の1座「建比賣神社(Takehime no kamino yashiro)」に比定されている格式高い神社です

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八桙神社(やほこの かみのやしろ)

・八桙神社(阿南市市長生町宮内)

賀志波比賣神社(かしはひめの かみのやしろ)

・津峯神社(阿南市津乃峰町東分)

・賀志波比売神社(阿南市見能林町柏野)

南海道に鎮座する 163座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る

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南海道に鎮座する 163座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました 当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています このページは「西海道」に鎮座する(163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134)神社です

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています