実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

安房神社(館山市大神宮)〈延喜式内社 名神大社・安房国一之宮〉

安房神社(あわじんじゃ)は 日本神話「天の岩戸」では 天太玉命〈忌部氏の氏神〉が 天照大御神の出現を願い 祭祀を執り行いました 故に 古代の大和朝廷では 忌部氏が・祭祀に必要な鏡や玉・神に捧げる幣帛や織物・威儀物の矛や楯など武具・社殿の造営などを司っていました  日本における全ての産業の総祖神としても崇敬されています

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1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

安房神社(Awa Shrine)
(あわじんじゃ) 

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

千葉県館山市大神宮589

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天太玉命Ameno futodama no mikoto)
《配》天比理刀咩命Ameno hiritome no mikoto)天太玉命の妃神

《配》【忌部五部神】
櫛明玉命Kushiakarutama no mikoto)〈出雲(島根県)忌部の祖〉
天日鷲命Ameno hiwashi no mikoto)〈阿波(徳島県)忌部の祖〉
彦狭知命(Hikosashiri no mikoto)〈紀伊(和歌山県)忌部の祖〉
手置帆負命Taokihoi no mikoto)〈讃岐(香川県)忌部の祖〉
天目一箇命(Ameno mahitotsu no mikoto)〈筑紫(福岡県)・伊勢(三重県)忌部の祖〉


【御神格 (God's great power)】(ご利益)

・家内安全 Pray to God that the home is peaceful
・交通安全守護神 Guardian deity of traffic safety
・厄除開運 Prayer at an age considered a milestone in life.Bring good luck and happiness.
・等 etc

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社(名神大)
・ 安房国一之宮Awa no kuni ichinomiya)
・ 別表神社

【創  (Beginning of history)】

創始は 今から2670年以上も前に遡り 神武天皇が初代の天皇として御即位になられた皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられております

ご由緒

 神代
安房神社の創始は、今から2670年以上も前に遡り、神武天皇が初代の天皇として御即位になられた皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられております。
神武天皇の御命令を受けられた天富命(下の宮御祭神)は、肥沃な土地を求められ、最初は阿波国(現徳島県)に上陸、そこに麻や穀(カジ=紙などの原料)を植えられ、開拓を進められました。

その後、天富命御一行は更に肥沃な土地を求めて、阿波国に住む忌部氏の一部を引き連れて海路黒潮に乗り、房総半島南端に上陸され、ここにも麻や穀を植えられました。
この時、天富命は上陸地である布良浜の男神山・女神山という二つの山に、御自身の御先祖にあたる天太玉命と天比理刀咩命をお祭りされており、これが現在の安房神社の起源となります。

■ 奈良時代
時代が下り養老元年(717年)になると、吾谷山(あづちやま)の麓である現在の場所に安房神社が遷座され、それに伴い、天富命と天忍日命をお祭りする「下の宮」の社殿も併せて造営されました。

■ 平安時代
平安時代には、『延喜式』の「神名帳」に記載された式内社(しきないしゃ)となり、その中でも特に霊験著しい名神大社(みょうじんたいしゃ)として、国家から手厚い祭祀を受けておりました。またこの時代には、「安房国一之宮」としても、広く一般庶民からの崇敬も集めています。因みに現在においても、安房国の一之宮で有ることには変りありません。

 近代・現代
明治時代になると、新たな社格制度が制定され、当社は「官幣大社」(かんぺいたいしゃ)という最高位の社格を賜り、昭和20年の大東亜戦争(太平洋戦争)終結まで、国家の管理下に置かれることとなっていました。 しかし終戦時に、GHQによる「神道指令」によって、当社を含め、それまでの社格制度は全て廃止されてしまいます。昭和21年には、戦後発足した神社本庁(じんじゃほんちょう=全国の大多数の神社を包括する団体)によって、神社の由緒や活動状況を考慮して、特に優れたお宮に定められる「別表神社」(べっぴょうじんじゃ)の指定を受けることとなりました。それ以降、氏子の皆様は勿論のこと、日本全国の多くの崇敬者の皆様に支えられて、現在に至っております。

安房神社公式HPより
http://www.awajinjya.org/gosaijin.htm

【由  (History)】

由緒

御本社 御祭神(上の宮)日本産業総祖神・天太玉命、相殿后神・天比理刀咩命

御摂社 御祭神(下の宮)房総開拓の祖神・天富命(天太玉命御孫神)、日本武道祖神・天忍日命(天太玉命 御弟神)

房総半島の南端 神戸郷に静まり座す
旧官幣大社 安房神社は、天太玉命を主祭神に 天比理刀咩命を配祀として奉斎し、摂社下の宮に天富命を祀る。
延喜の制には 大社に列せられ、名神祭に預る安房国唯一の由緒深き名社である。
本社の祭神 天太玉命は 中臣氏の祖神 天児屋根命と相並んで 天照皇大神の側近に奉仕し、祭祀を司どられた重要な神に坐します。
天照皇大神が天石窟に御幽居あらせられた時には、天太玉命は 天児屋根命と共に 大神の出御を祷り 遂に再び大御神の天日の如き御威徳を仰ぎ奉られたのである。
房総開拓の神として当社の下の宮に祀らるる天富命は、天太玉命の御孫にあたらせられる
天富命は 四国の阿波国 忌部族の一部を割いて関東地方に大移動を起こし、最初に占拠されたのが房総半島の南端、即ち現在の安房神社の鎮座地であって 茲に本拠地を定めて 祖神 天太玉命の社を建てた後、次第に内地の方に進み この半島に麻穀を播殖し その産業地域をひろめられたのである。
安房神社の御祭神は 日本産業の総祖神として崇められ 更に現在では 家内安全、交通安全守護神、厄除開運等、関東地方随一の神社として信仰が厚い。
境内案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

下の宮〈摂社〉
《主》天富命Ameno tomi no mikoto)
《配》天忍日命Ameno oshihi no mikoto)

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琴平社〈末社〉《主》大物主神Omononushi no mikoto)

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厳島社〈末社〉《主》市杵島姫命Ichikishimahime no mikoto)

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兼務社 遥拝所

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭」の条 285座

『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉

延喜式巻第3は『臨時祭』〈・遷宮・天皇の即位や行幸・国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で『名神祭(Myojin sai)』の条には 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)

大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合〉

加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える

名神祭(ミョウジンサイ) 二百八十五座
・・・・
安房神社(アワノカミノヤシロ) 一座(イチザ) 安房国(アワノクニ)
・・・・

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています

・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)安房国 6座(大2座・小4座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)安房郡 2座(並大)
[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 安房坐神社(名神大 月次 新嘗)
[ふ り が な ]あはのいます かみのやしろ)(みょうじんだい つきなみ にいなめ)
[Old Shrine name]Ahanoimasu kamino yashiro)Myojindai tsukinami niiname) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

安房国(アワノクニ)の由来と誕生について

安房国は 現在の千葉県南房総地域一帯です
『古語拾遺』によれば 阿波国〈徳島県〉で 穀物や麻を栽培していた天富命が 神武天皇の詔により 東国により良い土地を求め阿波の忌部氏らを率いて黒潮に乗り 房総半島南端の布良の浜に上陸し開拓を進め この阿波の忌部氏の住んだ所が「阿波」の名をとって「安房」と呼ばれたと伝わります

安房国は もともとは律令国家制の上総国(カズサノクニ)の一部でしたが 718年に上総国より分立します 741年に上総国に再併合されるも 757年再分立して 東海道に属する律令国となりました

安房国の一之宮について

現在 安房国一之宮とされているのは 2神社「・安房神社(館山市)・洲崎神社(館山市洲崎)」があります
元々は 安房神社の1神社のみでした
中世に 源頼朝公の挙兵について 『吾妻鏡』治承4年(1180)9月5日の条によれば 石橋山の合戦に敗れ 真鶴岬から海路で安房国へ逃れたと記しています
以降も 関東武家の崇敬を受け 太田道灌は 当社を勧請して神田神社を創建したとも伝えられていて 江戸幕府からも御朱印状を受領しています

文化9年(1812)房総一帯を視察した江戸幕府の筆頭老中・松平定信が「安房國一宮 洲崎大明神」の扁額を奉納したと伝わり これが江戸時代には安房国一宮とされていた由来となっています

・安房神社(館山市)

一緒に読む
安房神社(館山市大神宮)〈延喜式内社 名神大社・安房国一之宮〉

安房神社(あわじんじゃ)は 日本神話「天の岩戸」では 天太玉命〈忌部氏の氏神〉が 天照大御神の出現を願い 祭祀を執り行いました 故に 古代の大和朝廷では 忌部氏が・祭祀に必要な鏡や玉・神に捧げる幣帛や織物・威儀物の矛や楯など武具・社殿の造営などを司っていました  日本における全ての産業の総祖神としても崇敬されています

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・洲崎神社(館山市洲崎)

一緒に読む
洲崎神社(館山市洲崎)〈延喜式内 大社・安房國一之宮〉

洲崎神社(すのさきじんじゃ)は 古代氏族の忌部氏の開拓神「天富命(ameno tomi no mikoto)が 初代天皇 神武天皇の勅命を受けて 肥沃な土地を求めた時に 阿波忌部氏の一部を率いて房総半島に上陸しました そして 開拓を行う時に 忌部族の総祖神「天太玉命」の后神「天比理乃咩命」を祀ったのが当社と伝わります

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『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
下野國 寒川郡 阿房(アハノ)神社」は 関連社とする説があります

安房神社小山市

安房の式内社〈6座〉について

安房國の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 安房國6座(大2座・小4座)の神社のことです

一緒に読む
安房國の 式内社〈6座(大2座・小4座)〉について

安房國(あわのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている当時の官社です 安房國には 6座(大2座・小4座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

館山駅から R410号を南下 約11km 車20分程度
R410号から 安房神社方面へ左折すると 白い鳥居が見えてきます

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白い大鳥居の社頭には 社号標「官幣大社 安房神社」が建ちます
安房神社(Awa Shrine)に参着

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社頭は北側にあり 大鳥居をくぐり 真っ直ぐに南方向へ参道を歩き進むイメージです 途中に階段があり 高い境内地の先に 再び白い鳥居が建っていますので そのまま社殿に進むのかと思うと 参道はその先で 大きく右に曲っていることが境内案内図の看板があって わかりました 社殿はどうやら東北東(甲)向きに建っているようです

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階段を上がると 右手に池 左手には社務所 授与所があり 正面には2つ目の白い鳥居が建っています

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鳥居をくぐると 手水舎があり 清めます 参道は ほぼ直角に右に折れていて 木陰から社殿が見えてきます

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さらに一段高い社地ある「上の宮」拝殿にすすみます 

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拝殿の扁額には「安房神社」とあり 賽銭箱と両脇にも社名入りの提灯には御神紋「菊花紋」が描かれています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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本殿は神明造りで 拝殿はコンクリート造です

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社殿の向かって左手には「御仮屋」があります

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社殿の向かって右手には 「神饌所」が本殿から渡り廊下で繋がっていて 趣があります

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神饌所と本殿の裏手は 岩盤の崖が切立っていて 落石有進入禁止となっていたので 入れませんでしたが おそらく 本社の巨大な神籬岩のような感じがします

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この巨大な岩盤は そのまま右手に続いていて
その先には 房総の開拓乃神とされる天富命(アメノトミノミコト)を祀る「下の宮」が鎮座しています お詣りをします

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「下の宮」の正面の池の傍には 只ならぬ御神威をおびた御神木が生えています

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「上の宮」に戻ろうと振り返ると 社殿の裏手から続いている岩盤が大きく境内に張り出していることが良くわかります

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境内社にお詣りをしながら 参道を戻ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『古語拾遺(kogojui)』〈大同2年(807年)〉に記される伝承

社伝にある「神武天皇の御命令を受けて 天富命(下の宮 御祭神)が 肥沃な土地を求め 最初は 阿波国(現徳島県)に上陸します そこに麻や穀(カジ=紙などの原料)を植えられ開拓を進め
その後 天富命は 更に肥沃な土地を求めて 阿波国に住む忌部氏の一部を引き連れて海路黒潮に乗り 房総半島南端に上陸されて ここにも麻や穀を植えられました」と同様の内容が『古語拾遺』には
阿波(アワ)〈徳島〉忌部(いんべ)氏が 海を渡ってたどり着いたので 安房(アワ)の地名になったと記されています〈特に関連する個所は太字にしてあります〉

【意訳】

神武天皇東征の条

神武天皇が東征を行う年になりました
大伴氏の遠祖の日臣命(ヒノオミノミコト)は 督将(イクサノキミ)の元戎(オオツワモノ)を率いて兇渠(アタドモ)をなぎ払い 命の功績に片を並べる者は無かった

物部氏の遠祖の饒速日命(ニキハヤヒノミコト)は 虜(アタ)〈敵〉を殺し 輩〈衆人〉を率いて 官軍〈神武天皇〉に帰順した 忠誠の効を殊に褒めて寵愛(ミメグミ)された
大和氏の遠祖の椎根津彦(シイネツヒコ)は 皇船を迎え導いたので 香山(カグヤマ)〈香具山〉の嶺に残しました
賀茂縣主(カモノアガタヌシ)の遠祖の八咫烏(ヤタガラス)は 宸駕(ミユキ)〈天皇の乗り物〉を導いたので菟田(ウダ)の道に御璽を顕し 妖気は 既に晴れて また風塵も無く 都を橿原に建てて帝宅(オオミヤ)を作りました

天富命(アメトミノミコト)〈太玉命の孫〉が 手置帆負(タオキホオイ)と彦狹知(ヒコサシリ)の2柱の神の孫を率いて 斎斧(イミオノ)・斎鉏(イミスキ)を持ち 始めて山の木を採り 正殿(ミアラカ)を作り建てました

所謂 底津磐根(ソコツイワネ)に太い宮柱(ミヤハシラ)を建てて 高天原に届くほど高く御殿を造られた その末裔は今 紀伊国(キイノクニ)の名草郡の御木(ミキ)・麁香(アラカ)の二郷に居ます[古くは正殿(ミアラカ)を麁香(アラカ)と言う]
木材を採取する斎部の居る所を 御木(ミキ)と言い 正殿(ミアラカ)を造る斎部の居る所を麁香(アラカ)と言うのはそのしるしです

また 天富命(アメノトミノミコト)に命じて 斎部の諸氏を率いて 種々の神宝・鏡・玉・矛・楯・木綿・麻等を作らせ
櫛明玉命(クシアカルタマノミコト)の孫は 御祈玉(ミホキタマ)を造りました[古くは美保伎玉(ミホキタマ)と言い意味は祈祷です]

その末裔は 今は出雲の国に居ます 年毎に調物(ミツギモノ)とその玉を奉納します
天日鷲命(アメノヒワシノミコト)の孫が造る木綿・麻・織布(アラタヘ)を作ります[古くは 阿良多倍(アラタヘ)と言う]

天富命(アメノトミノミコト)は 天日鷲命の孫を率いて肥沃な土地を求めて 阿波国(アワノクニ)に遣わして 穀・麻種を植えた その末裔は 今は彼の国に居る。 大嘗(オオニエ)の年に 木綿・麻布・種々の蓑を貢ぎ奉った
故に郡の名を 麻殖(オエ)としたのはこれが元です

天富命(アメノトミノミコト) 更に肥沃な土地を求めて阿波の斎部を分けて 東の国に率いて往き (アサ)・穀(カジ)の種を播き殖き 良い麻が生育した 故にこの国を總国(フサノクニ)と言う (カジ)木の生育したところは これを結城郡(ユフキノコオリ)と言いいます[古くは麻を總(フサ)と言い 今の上總・下總の2国がこれで

阿波の忌部が居るところを安房郡(アワノコオリ)と云う[今の安房国がこれで

天富命(アメノトミノミコト) やがてその地に太玉命(フトダマノミコト)の社(ヤシロ)を建てた 今は安房社(アワノヤシロ)と言いいます その神戸(カムベ)に斎部氏が在ます
また 手置帆負命(テオキホオヒノミコト)の孫は 矛竿(ホコサオ)を作りました その末裔は 今 別れて讃岐の国に居ます 年毎に調庸(ミツキモノ)の他に八百竿(ヤオサオ)を奉ります 是はその事のしるしです

皇天(アマツカミ)2柱の祖(オヤ)の詔(ミコトノリ)のままに 神籬(ヒモロキ)を建て 所謂 高皇産霊(タカミムスビ)神皇産霊(カミムスビ)魂留産霊(タマツメムスビ)生産霊(イクムスビ)足産霊(タルムスビ)大宮賣神(オオミヤメノカミ)事代主神(コトシロヌシノカミ)御膳神(ミケツノカミ)[巳上、 今は 御座(ミカンナギ)の斎祭るところです]
櫛磐間戸神(クシイワマドノカミ)豊磐間戸神(トヨイワマドノカミ)[巳上 今は 御門(ミカド)の巫(カンナギ)が斎祭るところです]
生嶋(イクシマ)[是は大八州(オオヤシマ)の霊(ミタマ)で 今 生嶋の巫(カンナギ)が斎祭るところです]
坐摩(イカスリ)[是は 大宮地(オオミヤドコロ)の霊(ミタマ)で 今は 坐摩の巫(カンナギ)が斎祭るところです]
日臣命(ヒノオミノミコト)〈大伴氏の先祖の神〉は 来目部(クメベ)を率いて 宮門(ミカド)を守り その開閉を掌る 饒速日命(ニギハヤヒノミコト)は 内物部(ウチモノノベ)〈宮廷内の物部氏〉を率いて・矛・楯を造りそのもの既に備えた

天富命(アメノトミノミコト) 諸斎部を率いて 天璽(アマツシルシ)の鏡と剣を捧げ持ち 正殿(ミアラカ)に安置して共に瓊玉(タマ)を懸けて その幣物(ミテグラ)を陳列して 殿祭(オオトノホカイ)〈宮殿の安泰を願う祭〉の祝詞した[その祝詞の文は別巻にあります]
次に宮門(ミカド)を祭る[その祝詞の文もまた別巻にあります]
しかる後 物部は・矛・楯を立て 大伴来目は 杖(ツワモノ)を建てて 門を開け 四方の国に朝廷と天位の貴い事を示させた

この時に帝〈神武天皇〉と神の距離は遠くなく 同じ殿(オオトノ)で床を共にされていて 是を常とされていました 故に神物(カンダカラ)も官物(ミヤケノモノ)〈天皇の所有物〉も未だ分別されていません 宮内に蔵を建て 斎蔵(イミクラ)と名付けて 斎部氏を永くその職に任じた

また
天富命(アメノトミノミコト)〈太玉命の孫〉は 物を作る諸氏を率いて大幣(オオミテグラ)を作らせた
天種子命(アメノタネコノミコト)〈天児屋命の孫〉は 天罪国罪(アマツツミクニツツミ)を解除(ハラ)わせた[所謂 天罪(アマツツミ)とはすでに説明し終わっています 国罪(クニツツミ)とは 国中の人民(ヒトクサ)が犯した罪の事で有る 中臣の(ハラヘ)の詞(コトバ)にある]

即ち 鳥見山(トミノヤマ)の山中に祭り所を建て 天富命が幣(ミテグラ)を列して 祝詞(ノリト)をして 皇天(アマツカミ)に祀り 群望(クニツカミ)〈様々な山や川の神々〉を祀り 神祇(アマツヤシロクニツヤシロ)の恩(ミウツクシビ=恩恵)に答えます 是ゆえに中臣・斎部の二氏は 伴に祠祀に関する職を掌った 猿女君(サルメノキミ)の氏は 神楽の事により仕えた
この他の諸氏も各々の職があった

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『訂正古語拾遺』選者:斎部広成 大同2年(807年)編纂/校訂者:猿渡容盛 刊本,明治02年,木村正辞
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047473&ID=&TYPE=&NO=画像利用

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『続日本後紀(Shoku nihon koki)』〈貞観11年(869)完成〉に記される伝承

安房の大神(オオカミ)と尊称されて 神階の奉授と祭祀の正税が加増されたと記されています

【意訳】

承和3年(836年)7月甲申(17日)の条

この日

安房国(アワノクニ)

無位(ムイ) 安房大神(アワノオオカミ)に 奉り(サズ)くに 5位下

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【意訳】

承和9年(842)10月壬戌(2日)

(サズ)くに
安房国(アワノクニ)
従五位下 安房大神(アワノオオカミ)に 正五位下

無位 第一后神 天比理刀咩命神
信濃国 無位 健御名方富命 前八坂刀売神
阿波国 無位 葦稲葉神
越後国 無位 伊夜比古神
常陸国 無位 筑波女大神 並従五位下

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【意訳】

承和14年(847)7月壬申(9日)

(クワエル)に
安房国大神(アワノクニノオオカミ)に并従(シタガイ)神祭(カミマツリ)
正税として 一百(100)

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)』〈元慶3年(879年)完成〉に記される伝承

安房国の国造と 安房神に神階の奉授が記されています

【意訳】

嘉祥3年(850)6月己酉(3日)

安房国(アワノクニ)国造 正八位上 伴直(トモノアタヒ)千福麻呂 (サズ)くに 外従五位

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【意訳】

仁寿2年(852)8月丙辰(22日)

安房国(アワノクニ)
安房神(アワノカミ)

天比理乃咩命神(アマノヒノリノメノミコトノカミ)
(ナラビ)に (コトニ)(クワエル)に 従三

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』〈延喜元年(901年)成立〉に記される伝承

日本中の神々「京畿七道諸神」に 総267社に神階を奉授し その中に 安房国の2神が記されています

【意訳】

貞観元年(859)正月甲申27日)の

京畿七道諸神 進レ階及新叙 惣二百六十七社 奉レ授二・・・・・・・・
・・・・
・・・・

安房国(アワノクニ)
従三位 勲八等

安房神(アワノカミ)
天比々理刀咩命神(アマノヒノリノメノミコトノカミ)

(ナラビ)に 正三位
・・・・
・・・・

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

神階の奉授などと『古語拾遺』の記述を記しています

【意訳】

安房坐(アハマス)神社 名神大 月次 新嘗

續後記
承和3年(836年)7月甲申(17日)の条・・5位下
承和9年(842)10月壬戌(2日)・・正五位下

文実 
仁寿2年(852)8月丙辰(22日)・・従三三実
貞観元年(859)正月甲申27日)の・・正三位

古語
阿波の忌部が居るところを安房郡(アワノコオリ)と云う[今の安房国がこれです]
天富命(アメノトミノミコト)は やがてその地に太玉命(フトダマノミコト)の社(ヤシロ)を建てた 今は安房社(アワノヤシロ)と言いいます その神戸(カムベ)に斎部氏が在ます

〇今 在るのは 大井村

和抄
大井 於保井
麻原 宇波良
神戸 神餘 加無乃安万里

〇下野国 寒川郡 安房神社

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

鎮座の由緒として 『古語拾遺』の記述を記しています

【意訳】

安房坐神社 名神大 月次 新嘗

安房は 国名 郡名に同じ

〇祭神 天太玉命 一宮記 頭注

〇太神宮村に在す
〇当国 一之宮なり
〇式三 臨時祭 名神祭285座 安房国 安房神社 一座

按るに 一宮記 号 洲崎明神と云えり これに依りて 古事記伝にも 今 洲崎明神と申すと云える 共に謬なり 洲崎明神とは后神を称すにて 即ち房総志料に 洲崎明神は 后神 天比理刀咩命なりと云えのが正しき

鎮座
旧事紀 天皇本紀 神武天皇元年 天富命(アメノトミノミコト)は やがてその地に太玉命(フトダマノミコト)の社(ヤシロ)を建てた 今は安房社(アワノヤシロ)と言いいます 中略
天富命(アメノトミノミコト)は 更に肥沃な土地を求めて阿波の斎部を分けて 東の国に率いて往き 麻(アサ)・穀(カジ)の種を播き殖き 中略
天富命(アメノトミノミコト)は やがてその地に太玉命(フトダマノミコト)の社(ヤシロ)を建てた 今は安房社(アワノヤシロ)と言いいます その神戸(カムベ)に斎部氏が在ます

神位
続日本後紀
承和3年(836年)7月甲申(17日)の条・・従5位下
承和9年(842)10月壬戌(2日)の条・・正五位下

文徳天皇実録
仁寿2年(852)8月丙辰(22日)の条・・従三位

三代実録
貞観元年(859)正月甲申(27日)の条・・正三位

神税 社領
続日本後紀 承和14年(847)7月壬申(9日)の条

加(クワエル)に
安房国大神(アワノクニノオオカミ)に并従(シタガイ)神祭(カミマツリ)
正税の穀として 一百(100)斛

〇当代 御朱印高 30石4斗

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

神階の奉授などを記しています

【意訳】

安房坐神社 名神大 月次 新嘗

祭神 天太玉命

神位
仁明天皇
承和3年(836年)7月甲申(17日)の条・・従5位下
承和9年(842)10月壬戌(2日)の条・・正五位下

文徳天皇
仁寿2年(852)8月丙辰(22日)の条・・従三位

清和天皇
貞観元年(859)正月甲申(27日)の条・・正三位

祭日 正月朔日 7月9日10日 8月14日
社格 官幣大社
所在 大神宮村(安房郡 神戸村 大字 太神宮)

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

安房神社(Awa Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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