朝倉神社(あさくらじんじゃ)は 神社後方の赤鬼山を神体山として朝日さす南東の麓より拝むべく現在の所に社殿を建てられたと伝わります 天津羽羽神を祀り 後の世の遷座もなく 古代より此処に鎮座まします延喜式内社 土佐國 土佐郡 朝倉神社(あさくらの かみのやしろ)で 土佐国中でも稀な古社です
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
朝倉神社(Asakura shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
高知県高知市朝倉丙2100イ
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天津羽羽神(あまつはばかみ)
天豊財重日足姫天皇(あめとよたから いかしひたらしひめのすめらみこと)〈斉明天皇〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・福寿延命の神、文化の神、治政の神
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
延喜式内社 重要文化財 朝倉神社のあらまし
朝倉神社は天津羽羽神(アマツハハガミ)と天豊財重日足姫天皇(アメトヨタカライカシヒタラシヒメノミコト)を祭り福寿延命の神、文化の神、治政の神であります。
上古、社の御山は開発の神である天津羽羽神のヒモロギ(神体山)として、御山全体を崇教の対象として畏敬せられ、やがて文化に伴い朝日さす南東の麓より拝むべく現在の所に社殿を建てられたので 此の赤鬼山こそ古代宗教の名残りで 県指定の史跡地で西南隅麓の古墳と共にゆるがせに出来ない土地柄であります。
天津羽羽神は古代より此処に鎮座まします国中稀な古社で、後の世の遷座とか御分神とかではなく、極めて深い由緒を持ち土佐の国風土記や、日本書紀等の古典にも載せられ、又 延喜年間の神名帳にも国幣として登載せられた所諭式社であります。
斉明天皇七年 朝倉宮に行幸せられ 仮の御殿を丸木で造られたので 木の丸殿と申されました。
御子 天智天皇は「朝倉や 木の丸殿に我居れば 名乗りをしつつ 行くはたが子ぞ」と御詠みになられておられます。
そしてのち天智天皇の勅語により斉明天皇を朝倉の宮に合せ祀られたとの事であります。又、土佐物語には朝倉神社の事と題し 一巻を面白く物語っております。
当神社はもと勅願所で 当時使用せられた勅使石は今に残って居りますし、又 国の祈願所で正一位 高加茂大明神 橘の広庭の宮とも申しました。
又 武家の崇敬もあつく 現在の社殿は二代 忠義公が明暦四年に傾いたのを興されたものであります。建築は室町時代の手法を含む江戸初期の建物で、日本古来の様式に唐天竺の様式を加味して絶頂の技をつくし 極彩色のところなどでは日光東照宮の例でその優美さは「馬には目かくしをしなければ、まばゆきに驚き通れなかった」と伝えられ 地方には珍しい模範的建物であります。
昭和二十四年二月十八日 国宝に指定され 同二十五年八月二十九日重要文化財に指定されました。
先賢 谷泰山先生は式社考で深く考証せられ、又 藤原雅澄先生は「天津羽羽神のちはひと千世はへむのむみ民等の心足らひに」と其の神徳を高く尊く詠まれております。
夏祭りは七月二十四日で 当日参道に設けられる明治初期画匠巨作の台提灯と祭神女神にちなむ活花奉納演芸等は夏の夜の美しい饗応であります。例祭は十一月十日で行事があります。
拝殿の案内板より
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【由 緒 (History)】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
高知縣 土佐郡 縣社
○高知縣 土佐國 土佐郡朝倉村大字朝倉字赤鬼山
縣社 朝倉(アサクラノ)神社
祭神
天津羽羽(アマツハハノ)神
天豐財重日足姬天皇(アメトヨタカライカシヒタラシヒメノスメラミコト)
(即ち齋明天皇)創立の年代詳ならずと雖も、延喜の制式内の小社に列し、當國廿一座の一たり、
神名帳考證卷八に
「朝倉神社今在ニ 朝倉村天津羽々神、續日本紀云、土佐國風土記云、土左郡有朝倉郷、々中有社、神名 天津羽々神、天石帆別(アメノイハホワケノ)命、今 天石門別神子也、姓氏錄云、國栖(クス)、出自ニ 石穗押別(イシホオシワケ)神也、大和國高市郡 天津石門別神社、吉野 大國栖御魂(オホクスミタマノ)神社、按 風土記 石穂別者 石穗押別也、大和國吉野郡 波寶神社、羽々興ニ 波寶 音通、遠江國佐者野郡 己等乃麻知神社、阿波々神社、大系圖本系帳云、玉主命 許登能遲媛命、按 阿波々者 天津羽々乎、玉主安國玉主天神(ヤスクニタマヌシノアマツカミ)也」とあり、又朝倉宮は日本紀に、
「齋明天皇七年五月乙未朔癸卯、天皇遷ニ 居干 朝倉橘廣庭宮、是時 散除 朝倉社木而作ニ 此宮之故、神忿壌殿、亦見中、由是大舍人 及 諸近侍病死者衆、秋七月甲午朔丁巳、天皇崩ニ 干朝倉宮 八月甲子朔、皇太子奉 從ニ 天皇 喪、還至ニ 磐瀨宮、是夕於ニ 朝倉山上有鬼、著ニ 大笠臨ニ 視喪儀、衆皆嗟恠、」
とあれば、高知市の西南一里弱、朝倉村字赤鬼山に鎮座せり、社記を按ずるに 當社は古來 此地方著名の大社にして 朝倉庄の總鎮守とす、又 當國の二ノ宮たり、始めは天津羽々神のみを奉祀せしが 齋明天皇の七年 天皇當村 橘廣庭の宮〔即ち木丸殿〕に遷幸したまひ、追て同年七月終に崩御せられしを以て、後年 皇靈を當社に合祀し、〔日本鹿子 卷第十三日朝倉明神 土州吾川主(水丸殿)天智天皇御宇 御建立〕中古には勅使の参向せられしこと屢、なりと云ふ、〔依て 同天皇の御陵は字鵜來巣山に在りと謂ふ説あり〕
然るに斉明天皇の崩御の地は、土佐に非ずして 筑前に在り、扶桑略記に遷居 筑紫 朝倉橘廣庭宮云々と記せるを以て證としす可し、且 天皇の當時親征を思ひ立たせ給ひたる理由 及 地勢上より考ふるも、筑前を以て眞の宮趾となすべしと論すべきなりとも云ふ、玆には其 信僞を辯ずるには及ばず、姑く社記の傳ふる儘を記載し置くのみ。本社は天正年間頃迄は社領數町、社人も多數なりしが、山内氏入國と共に社領は一先づ沒收せられしも、爾來 亦 山内氏〔國主〕の崇敬厚く、社領高二石を給ひ、又 明曆三年 山内忠義の繼絶興廢の舉あり、社地は國道(こくだう)〔宇島街道〕の北側に在り、塞路(サイロ)二丁許り之を馬場と稱し、華居(とりゐ)を入れば正面に本殿、幣殿、拜殿あり、〔山内忠義再興當時の建物とす〕 南面して鎭座し、其の右方に繪馬殿、神饌所、通夜殿、社務所、倉稲神社、左方に荒倉神社あり、境内一千八百坪(官有地第一種)とす、明暦三年八月 山内忠義寄附の石燈籠一對、社前に在り、土地幽邃から神威の高さを表せり、又 明治四十二年八月中 内務省指令甲第七○號を以て 上地林反別七町八反九歩を編入せらる、實物は鎧一領、具足一領、獅子狛犬一對、にして 神體は御鏡なりと云ふ、又 社有財産は田畑合せ約二町、山林三町餘、現金九百餘圓を有せり。
境内神社
荒倉神社
倉稲魂神社例祭日 七月廿七日 十一月二十七日
【原文参照】
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・朝倉神社 本殿
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・〈社殿向かって左 境内社〉
・荒倉神社《主》闇龗神
・忠魂社《主》護国の英霊
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・朝倉神社 拝殿
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・〈拝殿前〉狛犬
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・〈社殿向かって右 境内社〉
・倉稲神社《主》倉稲魂神
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・勅使石
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・社務所
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・境内
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・境内入り口 鳥居
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・手水舎
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・境内入り口 狛犬
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・参道
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・参道入口 狛犬
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・社頭
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈神体山〉赤鬼山
朝倉神社の裏手にあります
・〈境外社〉八坂神社《主》素盞嗚命
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高知県史跡 赤鬼山
指定日・1950(昭和25)年2月7日
標高約100mの赤鬼山は、古くより朝倉神社の御神体といわれており遠くからみると美しい円すい形の山容をなしている。このような山は、ときに奈良県の三輪(みわ)山と同じように神のこもる神奈備(かんなび)山と呼ばれることがある。山の中腹から弥生中期の土器も発見されている。神奈備山として県史跡に指定されている。
1992(平成4)年2月 高知市教育委員会
現地案内板より
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)土佐國 21座(大1座・小20座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)土佐郡 5座(大1座・小4座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 朝倉神社
[ふ り が な ](あさくらの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Asakura no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
式内社 天石門別安國玉主天神社 と 式内社 朝倉神社の関係について
『釈日本紀〈文永元年(1264)~正安3年(1301)〉』には
延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社の祭神 天石門別神 と
延喜式内社 土佐國 土佐郡 朝倉神社の祭神 天津羽々神は 親子関係にあると記されています
『釈日本紀(shaku nihongi)〈文永元年(1264)~正安3年(1301)〉』に記される伝承
釋日本紀 卷十四 朝倉社の條
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブ『釈日本紀』文永元年(1264)~正安3年(1301)写本(模写本)明治 著者:卜部懐賢 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用
『古風土記逸文』〈昭和2年(1927)〉に記される内容
【抜粋意訳】
朝倉神社
土佐國風土記曰、土左郡有ニ 朝倉鄉。鄉中有社。神名 天津羽羽神。天石帆別命。今 天石門別子也。〔釋日本紀 卷十四〕
(一)帆、頭注作戸(二)命下頭注有乎字(三)石門別神,頭注作石門別之神
土佐國風土記に曰く。土左の郡に朝倉の郷あり。鄕中に社あり。神の名は、天津羽羽師(あまつははの神)、天石帆別命(あめのいはほわけの命)、今、天石門別神(あめのいはとわけの神)の子なり。〔釋日本紀 卷十四〕
【原文参照】
栗田寛 著『古風土記逸文』,大岡山書店,昭和2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1210472
『校正神代御系図 : 附・大日本大小神社』〈明治8年(1875)〉に記される内容
天石門別(アメノイハトワケノ)神〔土佐天石門別安國玉主神社〕
その御子神として
天津羽羽(アマツハバノ)命〔土佐 朝倉神社〕
として記されています
【原文参照】
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〈父神〉天石門別神を祀る
延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまのいはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)
・天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)
天石門別安國玉主天神社(あめのいわとわけやすくにたまぬしてんじんしゃ)は 棟札「天野岩戸分安國玉之天神社 天文九年・・・」が元禄5年(1692)巌穴より発見され 藩は式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社と正式認定したが 黒瀬村の社の棟札が「流れ着いた」新宮の扱となり 郷社 貴船神社を合祀 現在に至ります
天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)〈『延喜式内社』〉
〈御子神〉天津羽々神を祀る
延喜式内社 土佐國 土佐郡 朝倉神社(あさくらの かみのやしろ)
・朝倉神社(高知市朝倉)
朝倉神社(あさくらじんじゃ)は 神社後方の赤鬼山を神体山として朝日さす南東の麓より拝むべく現在の所に社殿を建てられたと伝わります 天津羽羽神を祀り 後の世の遷座もなく 古代より此処に鎮座まします延喜式内社 土佐國 土佐郡 朝倉神社(あさくらの かみのやしろ)で 土佐国中でも稀な古社です
朝倉神社(高知市朝倉)〈『延喜式』朝倉神社〉
『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載「アサクラ ノ カミノヤシロ」の名称を持つ式内社について
『延喜式神名帳』に所載「アサクラ ノ カミノヤシロ」の名称を持つ式内社は 三つあります
各々の論社について 下記の記事を参照
①延喜式内社 山城國 久世郡 且椋神社(あさくらの かみのやしろ)
・旦椋神社(宇治市大久保町北ノ山)
②延喜式内社 紀伊國 名草郡 朝椋神社(あさくらの かみのやしろ)
・朝椋神社(和歌山市鷺ノ森明神)
③延喜式内社 土佐國 土佐郡 朝倉神社(あさくらの かみのやしろ)
・朝倉神社(高知市朝倉)
朝倉神社(あさくらじんじゃ)は 神社後方の赤鬼山を神体山として朝日さす南東の麓より拝むべく現在の所に社殿を建てられたと伝わります 天津羽羽神を祀り 後の世の遷座もなく 古代より此処に鎮座まします延喜式内社 土佐國 土佐郡 朝倉神社(あさくらの かみのやしろ)で 土佐国中でも稀な古社です
朝倉神社(高知市朝倉)〈『延喜式』朝倉神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
とさでん交通 朝倉神社前駅から北へ約270m 徒歩での所要時間4~5分程度
当日は 高知市街から車で とさでんに沿って西へ進むと 途中 住宅街の中を鉄道の軌道が一般道と重なっていて面白かった
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朝倉駅を過ぎたら すぐに右折すると JR土讃線の踏切があり その先から参道となっています
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朝倉神社(高知市朝倉)に参着
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参道を進んでいくと いくつか鳥居をくぐり抜けると 境内入り口の鳥居があり その手前には手水舎があり 清めます
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境内には 小石が敷き詰められていて 綺麗に掃き清められています
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玉垣の中に石灯籠が建てられていますが 由緒のある石灯籠なのでしょうか
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拝殿にすすみます
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拝殿には 由緒書きの案内板があります
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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拝殿の奥には 重要文化財の本殿があります
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社殿に一礼をして 境内を戻ります
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参道を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 朝倉神社について 所在は゛朝倉村に在す、゛〈現 朝倉神社(高知市朝倉)〉と記しています
【抜粋意訳】
朝倉神社
朝倉は安佐久良と調べし、和名鈔、〔郷名部〕朝倉神戸、
○祭神 天津羽々神〔式社考〕
○朝倉村に在す、〔式社考、神社記、〕例祭
○土左國風土記曰、〔釋日本紀所ニ 引用〕土左郡有ニ 朝倉郡、郷中有社、神名 天津羽々神、天石帆別会、〔延經神主云、此五字 當爲ニ 注文〕今 天石門別神子也、
式社考云、度會氏曰、天石門別神、吾川郡坐 安國玉主天神也、此言 天津羽々神、即 天石帆別命、面 玉主天神子也、石帆别、姓氏錄作ニ 石穂押別、日本紀云、盤排别、吉野國樔部始祖也、大和國吉野郡 波寶神社、波賓音興ニ 羽々訓通、國樔吉野大姓、此祀ニ 其組神也、遠江國佐野郡 己等乃麻知神社、阿波々神社、阿波々盖天津羽々也、己等乃麻知媛 亦 玉主命女、佐野郡並ニ 祭 玉主命二子也、朝倉興ニ 神谷 父子坐ニ 於鄰村、而 大和國高市郡有ニ 氣吹雷響雷 吉野大國栖御魂神社、又有ニ 天津石門別神社、此亦並ニ 祭父子、兩國鎭坐如合符矣、
日本紀 及 續日本紀有ニ 朝倉姓、此盖其氏神歟、○連胤 按るに、度會氏の云る父子の神を並べ祭れることいかがしらねど、此朝倉の名は前なる葛木と同じく、大和國より出て、かの高賀茂神を放逐の時、隨從へるに依て、其名の當國に遺れるならん、羅山子の再興記は、古老の誤話を主として書る物なれば、度會氏も不足爲證と云り、故に今致せず、さはいへ、明曆三年 當國主 忠義朝臣の檵絶興廢の事は知るに足れり
社領 當代髙二石
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 朝倉神社について 所在は゛今 朝倉村に在り、゛〈現 朝倉神社(高知市朝倉)〉と記しています
【抜粋意訳】
朝倉(アサクラノ)神社、
今 朝倉村に在り、〔土左國式社考、神名帳考證〕
天石門別神の子 天津羽羽命を祭る、〔土佐國風土記〕
凡 八月二十七日祭を行ふ、〔高知縣神社調書〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 朝倉神社について 所在は゛朝倉村(土佐郡朝倉村)゛〈現 朝倉神社(高知市朝倉)〉と記しています
【抜粋意訳】
土佐國 土佐郡
朝倉神社
祭神 天津羽々命
今按 この祭神は釋日本紀に引る土佐風土記に土左郡有 朝倉鄉 郷中有社 神名 天津天津羽々神 天石帆別命 今 天石門別神子也とあるにて明かなり さて 今 天石門別神子の六字は分注の小字なりしが 誤りて大書したるものとみえたり 此 天石門別神とは本國の天石門別安國玉主天神なるべし
祭日 八月廿七日
社格 縣社所在 朝倉村(土佐郡朝倉村)
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
朝倉神社(高知市朝倉)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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土佐国の式内社 21座(大1座・小20座)
土佐国(とさのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 土佐国(とさのくに)には 21座(大1座・小20座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
土佐國 式内社 21座(大1座・小20座)について