荒島神社(あらしまじんじゃ)は 富賀神社(Toga Shrine)の旧鎮座地です もとは 雄山の八合目あたりの地に鎮座しましたが 噴火により本殿を焼失し その後 古錆浜にある荒島神社の二島山(ニシマヤマ)あたりへ移り さらに現在の富賀神社の地へ遷座したと伝わっています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
荒島神社(Arashima Shrine)
(あらしまじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
東京都三宅島 三宅村阿古
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》火牟須比命(Himusubi no mikoto)
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社の旧鎮座地
【創 建 (Beginning of history)】
荒島(あらしま)神社
この神社には火牟須比命(ひむすびのみこと)が祀られている。「三宅島神名帳」によれば、富賀平から富賀神社を移転した時、直ちに現在の富賀山に移したのではなく、初めはこの荒島神社のある「ニシマ山」に移されたのである。実はこの荒島神社は富賀神社の跡地なのである。この地に富賀神社が祀られたのは、当時ここが居村であったことを意味しており、その氏神として遷座していたものといわれている。その後の富賀山への移転は、再び噴火による移村が行われたのではないかと考えられ、その跡にこの「荒島神社」が祀られ、あらたに祭神「火牟須比命」が登場したといわれている。
また、三宅島神名帳に「火牟須比神、御稜威(みいつ)著しく土人畏み恐れ候」とも書かれており、「火の神」として村人に恐れられていたことがうががえる。
三宅村
現地案内板より
【由 緒 (history)】
あらしまじんじゃ
荒島神社阿古地区にあり、隣接する神輿堂は、富賀神社の巡り神輿では最初に御神輿が泊まる場所です。
神主・壬生家が運営する
公式HPよりhttps://miyakejima-jinja.jimdofree.com/
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・みこし堂
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社名 ] 阿米都(和)氣命神社
[ふ り が な ](あめつ(わ)けのみことの かみのやしろ)
[How to read ](Ametsu(wa)ke no mikoto no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)所載社の論社について
伊豆国 賀茂郡
阿米都(和)氣命神社(Ametsu(wa)ke no mikoto no kamino yashiro)
各々の神社の記事をご覧ください
・峯富賀平(雄山の八合目あたり)の地〈発祥地〉
※噴火の為 具体的な鎮座の地は全く不詳 (現在はカルデラの底?)(笠地の上あたりとも?)
参考まで 雄山の山頂を取り囲むように雄山林道があり 笠地観音があります
https://www.google.com/maps/place/%E7%AC%A0%E5%9C%B0%E8%A6%B3%E9%9F%B3/@34.076404,139.4913191,15.08z/data=!4m11!1m5!8m4!1e2!2s103000322469529635115!3m1!1e1!3m4!1s0x60165d3c4a352475:0xbe4ffe44c7ffa02a!8m2!3d34.0832901!4d139.5035738
・荒島神社(三宅島 阿古)〈旧鎮座地〉
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荒島神社(三宅島 阿古)
荒島神社(あらしまじんじゃ)は 富賀神社(Toga Shrine)の旧鎮座地です もとは 雄山の八合目あたりの地に鎮座しましたが 噴火により本殿を焼失し その後 古錆浜にある荒島神社の二島山(ニシマヤマ)あたりへ移り さらに現在の富賀神社の地へ遷座したと伝わっています
・富賀神社(三宅島 阿古)
富賀神社(とがじんじゃ)は もともとは 峯富賀平(雄山の8合目付近)に鎮座するも 噴火により 二島ヶ山(新富賀山(二富賀山)古錆浜の荒島神社へ遷座し その後 現在地の富賀山(海抜60.4m)中腹に鎮座したと伝わります 古来より伊豆七島の総鎮守「三島大明神」として 伊豆の三島大社の祭神の発祥地だとする説もあります
富賀神社(三宅島 阿古)〈延喜式内社 阿米都(和)氣命神社の論社〉
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
錆ヶ浜港から 北へ約400m 徒歩6分程度
三宅一周道路に面して 鎮座しています
道路に大きな鳥居が建ち 拝殿のように建っているのは「みこし堂」です
向かって右側に もう一つの 小さな鳥居が建ち その先にある「小さな祠」です
荒島神社(Arashima Shrine)に参着
鳥居の扁額には「荒島神社」とあり 一礼して鳥居をくぐります
玉石の階段があり 覆屋の中に祠が鎮座します
祠にすすみます 玉石が積石とされていています
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
境内の みこし堂 との位置関係
神輿堂に拝礼をします
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
富賀神社(Toga Shrine)の記事をご覧ください
富賀神社(とがじんじゃ)は もともとは 峯富賀平(雄山の8合目付近)に鎮座するも 噴火により 二島ヶ山(新富賀山(二富賀山)古錆浜の荒島神社へ遷座し その後 現在地の富賀山(海抜60.4m)中腹に鎮座したと伝わります 古来より伊豆七島の総鎮守「三島大明神」として 伊豆の三島大社の祭神の発祥地だとする説もあります
富賀神社(三宅島 阿古)〈延喜式内社 阿米都(和)氣命神社の論社〉
荒島神社(Arashima Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る
伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について