実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

安志姫神社(姫路市)伊和大神(イワノオオカミ)の求婚を拒んだ姫神を祀ります

安志姫神社は 『播磨国風土記』に「安師里」の里名の起源と記される 安師比売神(アナシヒメノカミ)を祭る神社です 神話の内容は 伊和大神(イワノオオカミ)の求婚を 安師姫神(アナシヒメノカミ)が 断ったので 大神が大変怒り 川の上流に石を置いて 3方向の里へと水を分配したので この川〈安志川(林田川)〉は 水量が少なくなってしまいましたと記されています

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

安志姫神社Anjihime Shrine)
あんじひめじんじゃ

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

兵庫県姫路市安富町三森13

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》安志姫命Anjihime no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

・式外社『日本紀略寛平3年(891年)3月26日
・『播磨国風土記に記される神を祀る
播磨 一宮 伊和神社の境外社

【創  (Beginning of history)】

第13代 成務天皇の代(在位131~190年頃)大和の穴師坐兵主神社から当地に勧請し祭祀と伝

安志姫神社の由来

姫安志神社 安師の郷(後の安志郡安志荘)と呼ばれた安富町域の産土神・ 安師比売の神を祭神とし、祭神は 遠く人皇13 成務天皇の御宇 甲申年 
昭和61より遡り、1850年の昔 当所に勧請し 祭祀されたと伝えられ、関を除く12ヶ村を氏子とする古い社である。

播磨国風土記には 伊和の大神が 安師比売の神様に求婚したが 拒絶され怒った大神が 川上を石でせきとめて 三方の里の方へ流したので 水の少ない川になった。この川は神の名を採って安師川といい これまで山守の里といったのを川の名によって安師の里と改名したと述べている。

 古くは播磨国の主要な24社の中に数えられ、播磨国総社に合祀され室町時代初期の峰相記にも見える。
慶長検地の記録によると、安志賀茂神社 名坂八幡神社とともに それぞれ畠二反が免租地に認められ、
江戸時代の記録では この三社が安志谷氏神三社とされている。

播磨鑑によると 祭礼は 旧暦10月26日であった。関を除く12ケ村が年番で行い、馬駆け神事によって 馬駆け祭といい近年まで続いていた。祭礼に国長進藤両家の出席を要するのは、両家には特に祭神安志姫神と親しかった伝承があることからみて、変形した当屋制のなごりとみるぺきであろう。
また 祭礼に欠かせない神饌粟飯(もっそう)は 神官白ら作り、神事参列者に三個ずつ供応するのに両家が一個であるのは、本来は両家が当屋として当主が 白ら作って祭礼を司ったことを示し、近世の初め神官職の出現によって祭礼がゆだねられ、当屋の制が変形したことを示している

境内石板より

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【由  (History)】

由 緒

 無格社(兵庫県神社誌)
 比売神は、遠く人皇十三代 成務天皇の御宇 甲申年(昭和61年より遡り1850年の昔)、当所に勧請し祭祀されたと伝えられ、安富町関を除く十ニケ村を氏子とする古い社である。

 播磨国風土記には、伊和の大神が 安師比売神に求婚したが拒絶され、怒った大神が、川上を石でせきとめて、三方の里(一宮町三方)の方へ流したので水の少ない川になった。この川は、神の名を採って安師川といい、これまで酒加の里、後に山守の里といったのを川の名によって安師の里と改名したと述べている。

 古くは播磨国の主要な24社中の中に数えられ、播磨国総社に合祀され、室町時代初期の峰相記(みねあいき)にも見える。慶長検知の記録によると、安志加茂神社・名阪八幡神社とともに、それぞれ畠二反が免祖地に認められ、江戸時代の記録では、この三社が、安志谷氏神三社とされている。

兵庫県神社庁HPより http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6320074.html

【境内社 (Other deities within the precincts)】

社殿〈向かって一番左手〉の 向かって右手に 境内社が並列に 2社 鎮座

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三森合祀殿〈一番左手が社殿 すぐ右手にある別の階段の先 中央〉

・御園稲荷社〈一番左手が社殿 右手の大木の右小祠

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

安志姫神社と 山部と 製鉄について

創建は 第13代 成務天皇の代(在位131~190年頃)大和の穴師坐兵主神社から当地に勧請し祭祀と伝わります

安志姫神社

安志姫神社は 『播磨国風土記』に記された安師里(あなしのさと)の、里名の起源となった安師比売神(あなしひめのかみ)を祭る神社。安師比売は、本来は在地の巫女神であろうが、安師の名は、大和国の安師坐兵主神(あなしにいますひょうずのかみ)を勧請(かんじょう)したためとされている。

 安師坐兵主神は 鉱業神であることから、安志姫神社を製鉄に関わる神社と考え、安師里が製鉄をおこなっていたという記述を目にすることがあるが、安富町一帯の地質からみて、安志里での鉄の産出は否定される。

 一方 奈良時代には、宍粟郡の柏野里(かしわののさと、山崎町・千種町)、比地里(ひじのさと、山崎町)、安師里(あなしのさと、安富町)には 山部が置かれていたことが明らかになっている。山部は 朝廷に直属する山部連(やまべのむらじ)に統率された部民で、その名の通り山の産物を朝廷に納めることを務めとしていた。

 上記の里のうち、柏野里は 風土記に「鉄を出す」と記されていることから、比地里、安師里などの山部も、その運搬などに関わった可能性は残されている。
こうしたことから、本来は土地の巫女(みこ)神を祭っていた所へ、大和の鉱業神が勧請されて一体化した可能性が指摘されている。

兵庫県立 歴史博物館HPより
https://rekihaku.pref.hyogo.lg.jp/digital_museum/legend/story23/journey19/

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
大和國 城上郡 穴師坐兵主神社 名神大 月次相嘗新嘗」について

・穴師坐兵主神社(桜井市)

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『播磨国風土記』に記される 伊和大神にまつわる式内社について

伊和神社(宍粟市)式内社 播磨国一之宮
《主》大己貴神Ohonamuchi no kami)
《配》少彦名神Sukunahikona no kami)
   下照姫神Shitateruhime no kami)

一緒に読む
〈播磨國一之宮〉伊和神社(宍粟市一宮町須行名)

伊和神社(いわじんじゃ)は《社伝によれば》伊和の恒郷に「我を祀れ」とご神託があり 一夜のうちに草木生い茂り 空に多くの鶴が舞い 石上に大きな鶴が二羽眠っていた そこに社殿を造営したのが 成務天皇 甲申歳2月11日丁卯(144年) 或いは 欽明天皇25年甲申歳(564年)と伝えており『延喜式』名神祭の大社で 播磨国一之宮でもあり 由緒ある古社です

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射楯兵主神社(姫路市)式内社 播磨国総社
《主》兵主神(大己貴命)〈御祭神は 伊和大神の分霊

・射楯兵主神社(姫路市)

・行矢射楯兵主神社(姫路市)

伊和都比売神社(赤穂市)式内社
《主》伊和都比売大神 〈御祭神は 伊和大神の比売神

・伊和都比売神社(赤穂市)

稲爪神社(明石市)〈合祀 伊和都比売神社 式内社
《主》伊和津比賣大神御祭神は 伊和大神の比売神

・稲爪神社(明石市)〈合祀 伊和都比売神社〉

佐用都比売神社(佐用郡佐用町)式内社
《主》狭依毘賣命御祭神は 伊和大神の比売神

・佐用都比売神社(佐用郡佐用町)

一緒に読む
佐用都比賣神社(佐用郡佐用町本位田甲)〈播磨國風土記・六国史・延喜式に所載の社〉

佐用都比賣神社(さよつひめじんじゃ)は 『播磨國風土記(713年)』讃容郡(さよのこおり)の条に 神代の神話として 神の名を贊用都比賣命(さよつひめのみこと)と名付けたとあり 『六国史』に嘉祥2年(849)官社に列し 『延喜式』に播磨國 佐用郡 佐用都比賣神社(さよつひめの かみのやしろ)とある 格式高い由緒を持ちます

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祝田神社(たつの市) 式内社
《主》石龍比古命・石龍比売命 〈御祭神2柱は 伊和大神の御子神

・祝田神社(たつの市)

夜比良神社(たつの市)式内社
《主》葦原志擧乎命(国作大己貴命〈御祭神は 伊和大神と同神

・夜比良神社(たつの市)

英賀神社(姫路市)国史見在社
《主》英賀津彦・英賀津姫〈御祭神2柱は 伊和大神の御子神

二宮神社(神崎郡福崎町)
《主》建石敷命 〈御祭神は 伊和大神の御子神

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

姫路駅から R2号バイパスから R29号 経由 約31km 車40分程度
R29号を北上して 中国自動車道に交差する辺り 安富町安志地区の東側を林田川が流れていて 川を渡ってすぐの三森地区に鎮座します 駐車場の案内板があります

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社頭に社号標「安志姫神社」と記され 右手に参道階段があります
安志姫神社Anjihime Shrine)に参着

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石段を上がると 途中に鳥居が建ちます 一礼をして くぐり抜けます

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縁石と垣が廻されていて 賽銭箱が設置されていますので 御神木であろうと思います お詣りをします

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階段を上がると 比較的広い境内に出ます 正面には階段が2つあり 向かって 左が拝殿 その奥に本殿の屋根が見えています 右手が境内社です 階段下には手水舎があります

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拝殿にすすみます 

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扁額には「安志姫の命」と大きく記されています

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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右手の境内社にお詣りをします

棟札には
「奉納 三森合祀殿 改修 完工 平成17年7月 三森地区氏子中」
「奉納 御園稲荷社 改築 完工 平成6年10月 三森地区氏子中」とあります

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境内の左手から社殿を眺めると 正面〈本殿向かって境内の右手〉には舞台のような建屋もあります

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参道階段を下り 鳥居を抜けて 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『播磨国風土記(Harimanokuni Fudoki)』和銅6年(713年)に記される伝承

郡名・里名・里内地名について 
伊和大神(イワノオオカミ)の求婚を 安師姫神(アナシヒメノカミ)が 断ったので 大神が大変怒ったと 求婚神話が記され 地名起源を記しています

【意訳】

宍禾郡(シサワノコオリ)安師里(アナシノサト)の条

本来の名は 酒加里(スカノサト)という

昔 大神(オオカミ)が このところで「(スカ マシキ)〈食事」をされた
ゆえに そこを須加(スカ)といったが のちに 山守里(ヤマモリノサト)と号す
然(シカ)るに 山部三馬(ヤマベノミマ)・任為里長(サトオサ)故に山守という

今 名を改めて安師(アナシ)とした その訳は 安師川(アシナガワ)の名によって 訳は 安師姫神(アナシヒメノカミ)の名によってである

伊和大神(イワノオオカミ)が 妻問い〈求婚〉をしました
この時 この神〈ヒメ神〉 固く おりました

大神(オオカミ)は 大変怒り 川の源〈川上〉を 石で塞いで 三方の里に水を流しました
ですから この川〈安志川(林田川)〉は 水量が少なくなってしまいました

この村の山は 檜(ヒノキ)杉(スギ)黒葛(クロカズラ)が生え 狼(オオカミ)熊(クマ)が住んでいます

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『播磨国風土記』[書誌事項]写本,明治11年,地誌課[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局 皇典研究所
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003386&ID=&TYPE=&NO=

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安志姫神社Anjihime Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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