天石門別安國玉主天神社(あめのいわとわけやすくにたまぬしてんじんしゃ)は 棟札「天野岩戸分安國玉之天神社 天文九年・・・」が元禄5年(1692)巌穴より発見され 藩は式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社と正式認定したが 黒瀬村の社の棟札が「流れ着いた」新宮の扱となり 郷社 貴船神社を合祀 現在に至ります
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
天石門別安國玉主天神社(Ameno iwatowake yasukunitamanusi tenzinsya)
〈貴船神社〉
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
高知県吾川郡 いの町 神谷(こうのたに)755番地
〈旧住所 吾川郡伊野町神谷755番地〉
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天石門別安国玉主天神(あまのいはとわけの やすくにたまぬし あまつかみ)〈天石門別神(あめのいわとわけのかみ)〉
高龗神(たかおかみのかみ)〈貴船神社の祭神〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
『土佐の史蹟名勝』〈昭和12年(1937)〉に記される内容
【抜粋意訳】
吾川郡
天石門別安國玉主天神社
明治村(めいぢむら)大字黒瀬(くろせ)字 宮ヶ奈路(みやがなろ)に在り。
延喜式社で郷社である。祭神は天手力男命(あまのてぢからをのみこと)で、古老の口碑に、往古洪水ありて社地崩壊し、神寶神器流失し、棟札流下して神谷村に漂着したといふことで、
神谷村(かうのたにむら)神谷字杉ノハナにも、郷社 天石門別安國玉主天神社(あまのいはとわけやすくにたまぬしてんじんじゃ)があって、天手力男命を奉祀してある。こは元録五年、波川(はかは)の神主 高鴨壱岐(たかがもいき)、棟札を厳穴の間より得て祭祀したものであるが、その棟札には、天野岩戸分安國玉之天神社、天文九年庚子霜月八日、勝賀瀬越後川(しょうがせえちご)造立とある。即ち明治村の天岩門別安國玉主天神社の棟札の流着したものを、奉斎したものであらうと云はれて居る。
【原文参照】
武市佐市郎 著『土佐の史蹟名勝』,日新館,昭12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1172787
武市佐市郎 著『土佐の史蹟名勝』,日新館,昭12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1172787
伊野町保護文化財 第四二号 昭和六三年四月十三日指定
(歴史資料)天石門別安国玉主天神社の棟札
所有者 天石門別安国玉主天神社
神谷領(城)主 勝賀瀬越後が施主、勝賀瀬村神主 衛門大夫が願主で天文九年(一五四〇)霜月八日、天石門別安国玉主天神社を造立したときの棟札である。
この神社は延喜式内社であるゆえ、遠く平安の昔からあったはずである。したがってこれは何度目かの再建造立ということになるだろう。棟札の上端は山形で全高四〇cm、下部の幅八・五cm、厚さ一・二cm、桧材で作り両面には「ヤリガンナ」の凸凹が残っている。棟札銘は墨書である。江戸中期 土佐の大学者 谷秦山は、藩主の意をうけて国中を巡り神谷に来て当天神社を検証し、式内社二十一社の一つであると確認された。その内容は、最も権威あるものとして今に珍重されている秦山著「土佐国式社考」にある。
伊野町教育委員会
現地案内板より
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天石門別安国玉主天神社の棟札について
詳しくは いの町役場HP「天石門別安国玉主天神社の棟札」を参照
https://www.town.ino.kochi.jp/bunkazai/bunka_town_61/
【由 緒 (History)】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
天石門別安國玉主天神社(いの町神谷)は 明治三年(1870)神社改正の際 村社に列格しました
その後 大正8年(1919)郷社 貴船神社と合祀して 郷社となりました
現在の拝殿は 貴船神社の拝殿を修築したものと云う
【抜粋意訳】
高知縣 吾川郡 郷社
○高知縣 土佐國 吾川郡神谷村大字神谷
鄉社 貴船(キフネノ)神社
祭神 高龗(タカオカミノ)神
合殿 山神(ヤマノカミノ)社 日吉(ヒヨシノ)神社
創立年代詳ならずと雖も、往古より當村の内、奈路、樫谷、クレ石、新在家、馬木、小松原、蔭部等各部落の產士神にして、以前は貴船大明神と稱したり、
神社記に「本村 木船大明神、昔時 勝賀瀬治部の時代、神田一反六代付居申田、古来云傳を以 地檢牒ニ 記有之、社床八代無貢、宮林一ヶ所、東は谷川限、西は谷川限、高は本田限、北は原平柳ヶ新田作目限、長一町横平等四十五間、棟札永□九年以来の物有之」とあり、
又 古き棟札文に「大永七年丁亥十月十一日、土州吾川郡吾河山下分神谷村 貴船社再興、大且那惟宗氏親忠」と記しある由なれば、其中世社領等の變遷を知るを得べし、明治元年 貴船神社と改め、同五年郷社に列す。本殿、拜殿、幣殿、御炊殿等の建物を備へ、境内地九百一坪(官有地第一種)あり。
境内神社 大元(ダイゲン)神社
例祭日 七月八日 十一月五日
【原文参照】
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・天石門別安國玉主天神社 本殿
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・天石門別安國玉主天神社 拝殿
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・〈社殿の横〉祀られている石碑
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・〈境内社〉神母神社《主》倉稲魂神
・〈境内社〉白兎神社《主》稲背利白兎神
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・手水舎
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・参道狛犬
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・境内参道
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・鳥居 扁額「貴船神社 天石門別安國玉主天神社」
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・社号標「延喜式社 天石門別安國玉主天神社」
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・社頭
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
資料には記載がありますが 何処に在るのかがわかりませんでした
・八幡宮《主》応神天皇,大国主神,崇徳天皇,祭神不詳
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)土佐國 21座(大1座・小20座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)吾川郡 1座(小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 天石門別安國玉主天神社
[ふ り が な ](あまのいはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)
[Old Shrine name](Amano ihatawakeno yasukunitamanushi amatsu kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
式内社 天石門別安國玉主天神社 と 式内社 朝倉神社の関係について
『釈日本紀〈文永元年(1264)~正安3年(1301)〉』には
延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社の祭神 天石門別神と
延喜式内社 土佐國 土佐郡 朝倉神社の祭神 天津羽々神は 親子関係にあると記されています
『釈日本紀(shaku nihongi)〈文永元年(1264)~正安3年(1301)〉』に記される伝承
釋日本紀 卷十四 朝倉社の條
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブ『釈日本紀』文永元年(1264)~正安3年(1301)写本(模写本)明治 著者:卜部懐賢 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用
『古風土記逸文』〈昭和2年(1927)〉に記される内容
【抜粋意訳】
朝倉神社
土佐國風土記曰、土左郡有ニ 朝倉鄉。鄉中有社。神名 天津羽羽神。天石帆別命。今 天石門別子也。〔釋日本紀 卷十四〕
(一)帆、頭注作戸(二)命下頭注有乎字(三)石門別神,頭注作石門別之神
土佐國風土記に曰く。土左の郡に朝倉の郷あり。鄕中に社あり。神の名は、天津羽羽師(あまつははの神)、天石帆別命(あめのいはほわけの命)、今、天石門別神(あめのいはとわけの神)の子なり。〔釋日本紀 卷十四〕
【原文参照】
栗田寛 著『古風土記逸文』,大岡山書店,昭和2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1210472
『校正神代御系図 : 附・大日本大小神社』〈明治8年(1875)〉に記される内容
【抜粋意訳】
天石門別(アメノイハトワケノ)神〔土佐 天石門別安國玉主神社〕
その御子神として
天津羽羽(アマツハバノ)命〔土佐 朝倉神社〕
として記されています
【原文参照】
井川須賀雄 編『校正神代御系図 : 附・大日本大小神社』,井川須賀雄,明8.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815296
〈父神〉天石門別神を祀る
延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまのいはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)
・天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)
天石門別安國玉主天神社(あめのいわとわけやすくにたまぬしてんじんしゃ)は 棟札「天野岩戸分安國玉之天神社 天文九年・・・」が元禄5年(1692)巌穴より発見され 藩は式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社と正式認定したが 黒瀬村の社の棟札が「流れ着いた」新宮の扱となり 郷社 貴船神社を合祀 現在に至ります
天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)〈『延喜式内社』〉
〈御子神〉天津羽々神を祀る
延喜式内社 土佐國 土佐郡 朝倉神社(あさくらの かみのやしろ)
・朝倉神社(高知市朝倉)
延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまのいはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)の論社について
・天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)
天石門別安國玉主天神社(あめのいわとわけやすくにたまぬしてんじんしゃ)は 棟札「天野岩戸分安國玉之天神社 天文九年・・・」が元禄5年(1692)巌穴より発見され 藩は式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社と正式認定したが 黒瀬村の社の棟札が「流れ着いた」新宮の扱となり 郷社 貴船神社を合祀 現在に至ります
天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)〈『延喜式内社』〉
・天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
とさでん交通・電車軌道 伊野駅から仁淀川を遡るようにR194号経由で西へ約4.8km 車での所要時間は8~10分程度
天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)に参着
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一礼をしてから鳥居をくぐり抜け 参道を進みます
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玉垣に囲まれた境内の入口には 石燈籠と狛犬が座しています
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ここから参道は 南北方向に延びていて 社殿は東方向を向いています
参道が 社殿の前面に沿って伸びる感じです
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参道の左側〈西側〉には 巨大な巖石がそそり立っています
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社殿の手前には 手水舎があり すぐ脇に 巨大な巖石に上り石段が付けられています
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石段の上には 祠が祀られていますので お祈りをします
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境内社の祠は2宇で その上にあったのは養蜂の巣鉢です
おそらくは〈境内社〉神母神社〈境内社〉白兎神社で 古来より ここに祀られていたとの事です
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この位置の真横には 天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉の本殿があります
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拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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この拝殿は 合祀された郷社 貴船神社の拝殿を改修したとの事
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ちょうど拝殿の前あたりが駐車スペースになっています
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駐車スペースから見た 拝殿の様子です
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 天石門別安國玉主天神社について 所在は゛神谷村に在す、゛〈現 天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)〉と記しています
【抜粋意訳】
天石門別安國玉主天神社
天石門別は阿米乃伊波止和氣、安國玉主は夜須久爾多麻毛利天、神は安米能加美と訓べし、
〇祭神明か也
〇神谷村に在す、〔式社考、神社記〕例祭
式社考云、度會氏曰、姓氏錄云•神魂命兒 天石都倭居命、蓋 朝倉父之神也、櫛磐間戸命 亦名 天石門別命、是 太玉命子 高魂命孫也、 雖ニ 同名 恐非ニ 此神、大系圓載本系帳云、天兒屋命父神 興登魂命、娶ニ 玉主命女 許登能麻遅媛命所生也、〔中略〕重遠謂、此社在ニ 神谷坤隅山上、舊山麓巨巌下有ニ 巖祠、不知ニ 何社、
元祿壬申、波川神主 偶得ニ 棟札於 巖穴、驚而申府、明年新徒ニ 于此地、邇日國宰寄ニ 附水田若干、祭祀加敬、此社之顯豊人力之云哉、其札云、天野岩戸分安國玉之天神社、天文九年庚子霜月八日、勝賀瀨越後造ニ 立之、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 天石門別安國玉主天神社について 所在は゛今 神谷村神谷山巓に在り゛〈現 天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)〉と記しています
【抜粋意訳】
○吾川郡一座
天石門別安國玉主天神、社、
今 神谷村神谷山巓に在り、〔土佐國式社考、神名帳考証、〕
天石門則安國玉主天神社、今神谷村神谷山巔に在り、
盖 朝倉社に坐 天津羽羽命の父 天石門別神を祭る、〔土左風土記〕
天石門別神一名 天石帆別命 亦名 櫛石窓神 豐石窓神と申す、實に天太玉命の子也、〔古事記、古語拾遺、土左風土記 ○按 新編纂圖尊卑分脈引本系帳云、與登魂尊は玉主命の女、許登館麻遅媛命に娶て 天兒屋根命を生とあるに據ときは、玉主命は即 兒屋根命の外祖父也、然れども天石門別命と同神か異神か、未た明証を得ず、故今附て考に備ふ、〕
凡 每年九月廿三日祭を行ふ、〔明細帳〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/81549
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 天石門別安國玉主天神社について 所在は゛黑瀬村〔宮の奈路〕 (吾川郡明治村大字黑瀬)゛〈現 天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)〉と記しています
【抜粋意訳】
○吾川郡一座小
天石門別安國玉主天神社
祭神 天石門別安國玉主天神
今按 土左風土記によるに 此 天石門別神は朝倉神社の祭神 天津羽々命の御父神なる事 上に引る文にて知るべし されど此神の御名 安國玉主天神とあるより 天兒屋根命の神母 許登能麻遅媛命の御父 玉主命と同神なりと云る説は信がたし 玉主命とあればとて明證あらねば 必 安國玉主天神と は定むべきにあらず
祭日 九月廿三日
社格 郷社所在 黑瀬村〔宮の奈路〕 (吾川郡明治村大字黑瀬)
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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土佐国の式内社 21座(大1座・小20座)
土佐国(とさのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 土佐国(とさのくに)には 21座(大1座・小20座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
土佐國 式内社 21座(大1座・小20座)について