実践和學 Cultural Japan heritage

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天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)〈『延喜式』天石門別安國玉主天神社〉

天石門別安國玉主天神社(あのいわとわけやすくにたまぬしてんじんじゃ)は 古老の口碑に 往古洪水ありて社地崩壊し 神寶神器流失し 棟札流下して神谷村に漂着したといふことで 元々はこちらが延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまのいはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)であると伝えています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

天石門別安國玉主天神社(Ameno iwatowake yasukunitamanusi tenzinsya)

通称名(Common name)

戸別様(とわけさま)

天岩戸大明神(あまのいわとだいみょうじん)

【鎮座地 (Location) 

高知県高岡郡越知町黒瀬15651566番地

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天手力男命(あめのたぢからをのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『土佐の史蹟名勝』〈昭和12年(1937)〉に記される内容

【抜粋意訳】

吾川郡

天石門別安國玉主天神社

明治村めいぢむ大字黒瀬(くろせ) 宮ヶ奈路(みやがなろ)に在り。

延喜式社で郷社である。祭神は天手力男命(あまのてぢからをのみこと)で、古老の口碑に、往古洪水ありて社地崩壊し、神寶神器流失し、棟札流下して神谷村に漂着したといふことで、

神谷村(かうのたにむら)神谷字杉ノハナにも、郷社 天石門別安國玉主天神社(あまのいはとわけやすくにたまぬしてんじんじゃ)があって、天手力男命を奉祀してある。こは元録五年、波川(はかは)の神主 高鴨壱岐(たかがもいき)、棟札を厳穴の間より得て祭祀したものであるが、その棟札には、天野岩戸分安國玉之天神社、天文九年庚子霜月八日、勝賀瀬越後川(しょうがせえちご)造立とある。即ち明治村の天岩門別安國玉主天神社の棟札の流着したものを、奉斎したものであらうと云はれて居る。

【原文参照】

武市佐市郎 著『土佐の史蹟名勝』,日新館,昭12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1172787

武市佐市郎 著『土佐の史蹟名勝』,日新館,昭12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1172787

【由  (History)】

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

高知縣 香川郡 郷社

○高知縣 土佐國 吾川郡明治村大字黑瀨字宮ケ奈路

天石門別安國玉主天神社(アメノイハトワケ ヤスクニタマヌシ アマツカミノヤシロ)

祭神 天手力男アメノタカラヲノ

 此神は太玉命の子 高皇產靈神の孫なり、土佐郡倉村 縣 朝倉神社 祭神、天津羽々神の父とす、創立年代詳なら、延喜の制式の小社に列し、黒瀬村の内 宮ヶ奈路部落の産土神なり、
神社覈録 并 神祇志料、土佐考、神名帳考等の諸書を參酌するに、式の天石門別安國玉主天神社の所在を神谷村となして、本社即ち明治村大字黒瀬にある神社を以て式社となさ、(本郡神谷村大字神谷村字杉ノハナに村格にして全社名のものあり、社記につき見るに、式内の天石門別安國玉主天神社ならと云ひ、或は三代實録 所載の大谷神なりとも云へり)。

 神社覈録には「天石門別安國玉主天神社、天石門別は阿米乃伊波止和氣、安國玉主は夜須爾多麻毛利天,神は、安米能加美と調べし、祭神明かなり、○神谷村に在す、考、神社記〕とあり。」
(神祇志料)「吾(アカハノ)郡一座  天石門別安玉主(アメノイハトワケノヤスクニタマヌシ)天神、社、今 神谷村神谷山巔に在り、土佐考、神名帳考証、〕とあり。」

 兩書に神谷村となせるは、土佐式社考、 神名帳考に、此社は神谷坤之山巔に在りとあると、又現に神谷村なる村名あるとに依り式の天石門別安國玉主天神社を神谷村と斷定せるにて、別に地理等につき考査せるものにあらざるや明なり、

即ち神名帳考證 巻八)「天石門別安國玉主天神社、在 吾川郡 神谷(カフノタニ)坤隅之山巅、云々。」
とあるが故に神谷村とせるなり、
(南路誌)を観るに「神谷村よりは黒瀬村は川上也」とあり、故に黒瀬村が神谷村よりは神谷山巅に近きや明にして式
考、又は神名帳考證に記せる神社は、黒瀬村の神社なと想像せらる、
故に南路志も黒瀬村の其計を以て式社となし 又
 明治四年縣廳に於ての取調書にもか云へり。

 明治四年末 正月 社寺改正決議書云、「天岩門別安國玉主天神社、但 延喜式神名帳 所載 當國 吾川郡式社、右者  神ノ谷村相定有之候得共、此度 深詮議方仕候所、式考之 相違ニテ 右神社者 役場社牒ニ 所謂 黒瀬村宮ノ奈路 鎭 天岩戸大明神ト相見侯、神社 有之不面己、右村里 相傳侯 話設等頗ル著然タル事テ、且  神徳之高大ナル實ニ 筆紙難儘 御座候、然ルニ 神谷村相定候故、根元元禄年中 波川村神 壹岐ト申者、神ノ谷杉ノト申地ニオイ、右神名有之棟札ヲ拾得候ヨリ  神母ト申 林中 有之小嗣ヲトラへ押シテ 右神社ト申觸候事ニ
元來  棟札ト申ハ、黒瀬村神社 水之節、宮殿破壊 其時 流失致候分、自然右之地、漂著致候モノ、將又神職壱岐ト申ノ奸計ヨリ出候儀ニモ可有之哉、兎ニ 神谷村之儀斷然全クノ 御座候云々トアリ、時ノ縣社寺改正係指令ニ  吾川郡黒瀬村、天岩門別安國玉主天神社、但 舊來 神谷村 有之神社ヲ 右式社 相當候所  詮議ノ上、右村地名 宮ノ奈路ニ 座ス神社ヲ同式社ニ 被仰付候、右之通 改正被ニ 仰付候、明治四年辛未二月社寺改正係。』とあり、

南路志の説く所も殆んと同じければ、茲に之を略す、緣に記す神谷(カウノタニ)村字 杉ノハナにある村社 天石門別安國玉主天神社境内に、神母(イゲノ)神社あり、又 神谷村字ノクボに無格社 神母神社あり、孰れも祭神は倉稻魂神なり、本社 御神體は神體記に據るに木像の由、

明治五年郷社に列す、
本殿・幣殿・拜殿・鞘屋・通夜殿等の諸建物を有し境内地五百二十八坪 (官有地第一種)建あり。

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

天石門別安國玉主天神社 社殿

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天石門別安國玉主天神社 拝殿

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・境内

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)土佐國 21座(大1座・小20座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)吾川郡 1座(小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 天石門別安國玉主天神社
[ふ り が な ](あまのいはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)
[Old Shrine name]Amano ihatawakeno yasukunitamanushi amatsu kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

式内社 天石門別安國玉主天神社 と 式内社 朝倉神社の関係について

『釈日本紀〈文永元年(1264)~正安3年(1301)〉』に

延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社の祭神 天石門別神と
延喜式内社 土佐國 土佐郡 朝倉神社の祭神 天津羽々神は 親子関係にあると記されています

『釈日本紀(shaku nihongi)〈文永元年(1264)~正安3年(1301)〉』に記される伝承

釋日本紀 卷十四 朝倉社の條

 

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『釈日本紀』文永元年(1264)~正安3年(1301)写本(模写本)明治 著者:卜部懐賢 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

『古風土記逸文』〈昭和2年(1927)〉に記される内容

【抜粋意訳】

朝倉神社

土佐國風土記曰、土左郡有ニ 朝倉鄉。鄉中有社。神名 天津羽羽神。天石帆別命。今 天石門別子也。〔釋日本紀 卷十四〕

(一)帆、頭注作戸(二)命下頭注有乎字(三)石門別神,頭注作石門別之神

土佐國風土記に曰く。土左の郡に朝倉の郷あり。鄕中に社あり。神の名は、天津羽羽師(あまつははの神)、天石帆別命(あめのいはほわけの命)、今、天石門別神(あめのいはとわけの神)の子なり。〔釋日本紀 卷十四〕

【原文参照】

栗田寛 著『古風土記逸文』,大岡山書店,昭和2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1210472

『校正神代御系図 : 附・大日本大小神社』〈明治8年(1875)〉に記される内容

【抜粋意訳】

天石門別(アメノイハトワケノ)神〔土佐 天石門別安國玉主神社〕

その御子神として

天津羽羽(アマツハバノ)命〔土佐 朝倉神社

として記されています

【原文参照】

井川須賀雄 編『校正神代御系図 : 附・大日本大小神社』,井川須賀雄,明8.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815296

〈父神〉天石門別神を祀る

延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまのいはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)

・天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)

一緒に読む
天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)〈『延喜式内社』〉

天石門別安國玉主天神社(あめのいわとわけやすくにたまぬしてんじんしゃ)は 棟札「天野岩戸分安國玉之天神社 天文九年・・・」が元禄5年(1692)巌穴より発見され 藩は式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社と正式認定したが 黒瀬村の社の棟札が「流れ着いた」新宮の扱となり 郷社 貴船神社を合祀 現在に至ります

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〈御子神〉天津羽々神を祀る

延喜式内社 土佐國 土佐郡 朝倉神社(あさくらの かみのやしろ)

・朝倉神社(高知市朝倉)

延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまのいはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)の論社について

・天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)

一緒に読む
天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)〈『延喜式内社』〉

天石門別安國玉主天神社(あめのいわとわけやすくにたまぬしてんじんしゃ)は 棟札「天野岩戸分安國玉之天神社 天文九年・・・」が元禄5年(1692)巌穴より発見され 藩は式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社と正式認定したが 黒瀬村の社の棟札が「流れ着いた」新宮の扱となり 郷社 貴船神社を合祀 現在に至ります

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・天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)

一緒に読む
天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)〈『延喜式』天石門別安國玉主天神社〉

天石門別安國玉主天神社(あめのいわとわけやすくにたまぬしてんじんじゃ)は 古老の口碑に 往古洪水ありて社地崩壊し 神寶神器流失し 棟札流下して神谷村に漂着したといふことで 元々はこちらが延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまのいはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)であると伝えています

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

とさでん交通・電車軌道 伊野駅から仁淀川を遡るようにR194号経由で北西へ約18.9km 車での所要時間は24~30分程度

R194号 進行方向の左手に仁淀川を見ながら進みます

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途中 R194号は 仁淀川の支流 上八川川(かみやかわがわ)に沿って進み 宮ヶ奈路辺りで赤い鉄橋「宮ヶ奈路橋(みやがなろばし)」を渡ります

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この宮ヶ奈路橋の上流200メートル程の所に神社は鎮座しているはずです

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上八川川に沿って200メートル程進むと社頭になります
社頭には 駐車スペースがありますが かなりの車が駐車していました どうしたのだろうと見てみると 上八川川(かみやかわがわ)は 高知県の「仁淀ブルー」で知られる仁淀川の最大支流で 抜群の透明度を誇り アマゴやアユ釣りが出来るので その釣り人の人達でした

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神社にお参りするのは 私のみでした

天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)に参着

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社頭には かなりの人がいたので 賑やかでしたが 誰もいなければ 立派な樹木が茂り 神懸かつた異様な雰囲気のある場所です

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一礼をしてから鳥居をくぐり抜け
拝殿にすすみます

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鳥居の扁額には「天石門別安國玉主天神社」と刻字されています

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鳥居の脇には 狛犬が構えています

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拝殿の前にも 立派な樹木が生えています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 幣殿 本殿は覆い屋根に護られています

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 天石門別安國玉主天神社について 所在は゛神谷村に在す、゛〈現 天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)〉と記しています

【抜粋意訳】

天石門別安國玉主天神社

天石門別は阿米乃伊波止和氣、安國玉主は夜須久爾多麻毛利天、神は安米能加美と訓べし、

〇祭神明か也

〇神谷村に在す、〔式社考、神社記〕例祭

 式社考云、度會氏曰、姓氏錄云•神魂命兒 天石都倭居命、蓋 朝倉父之神也、櫛磐間戸命 亦名 天石門別命、是 太玉命子 高魂命孫也、 雖ニ 同名 恐非ニ 此神、大系圓載本系帳云、天兒屋命父神 興登魂命、娶ニ 玉主命女 許登能麻遅媛命所生也、〔中略〕重遠謂、此社在ニ 神谷坤隅山上、舊山麓巨巌下有ニ 巖祠、不知ニ 何社、
元祿壬申、波川神主 偶得ニ 棟札於 巖穴、驚而申府、明年新徒ニ 于此地、邇日國宰寄ニ 附水田若干、祭祀加敬、此社之顯豊人力之云哉、其札云、天野岩戸分安國玉之天神社、天文九年庚子霜月八日、勝賀瀨越後造ニ 立之、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 天石門別安國玉主天神社について 所在は゛ 神谷村神谷山巓に在り゛〈現 天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)〉と記しています

【抜粋意訳】

○吾川郡一座

天石門別安國玉主天神、社、

 神谷村神谷山巓に在り、〔土佐國式社考、神名帳考証、〕

天石門則安國玉主天神社、今神谷村神谷山巔に在り、

盖 朝倉社に坐 天津羽羽命の父 天石門別神を祭る、〔土左風土記〕

天石門別神一名 天石帆別命 亦名 櫛石 豐石神と申す、實に天太玉命の子也、〔古事記、古語拾遺、土左風土記 ○按 新編纂圖尊卑分脈引本系帳云、登魂尊は玉主命の女許登館麻媛命に娶て 屋根命を生とあるにときは、玉主命は即 兒屋根命の外祖父也、然れども天石門別命と同神か異神か、未た明証を得ず、故今附て考に備ふ、

 每年九月廿三日祭を行ふ、〔明細帳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/81549

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 天石門別安國玉主天神社について 所在は゛黑瀬村〔宮の奈路〕 (吾川郡明治村大字黑瀬)゛〈現 天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)〉と記しています

【抜粋意訳】

○吾川郡一座小

天石門別安國玉主天神社

祭神 天石門別安國玉主天神

 今按 土左風土記によるに  天石門別神は朝倉神社の祭神 天津羽々命の御父神なる事 上に引る文にて知るべし されど此神の御名 安國玉主天神とあるより 天兒屋根命の神母 許登能麻遅媛命の御父 玉主命と同神なりと云る説は信がたし 玉主命とあればとて明證あらねば  安國玉主天神と      は定むべきにあらず

祭日 九月廿三日
社格 郷社

所在 黑瀬村〔宮の奈路〕 (吾川郡明治村大字黑瀬) 

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬) (hai)」(90度のお辞儀)

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土佐国の式内社 21座(大1座・小20座)

一緒に読む
土佐國 式内社 21座(大1座・小20座)について

土佐国(とさのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 土佐国(とさのくに)には 21座(大1座・小20座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています