秋葉社(あきばのやしろ)は 延喜式内社 相模國 愛甲郡 小野神社(をのの かみのやしろ)の古社地(通称"神の山")に祀られている祠です 現在の小野神社〈閑香明神社〉西側の住宅街の中を西南方向に200メートル程いった所にある丘陵(通称"神の山")で 口碑には 嘉永年間(1848~1854)頃に現在地へ遷座したと伝わります
Please do not reproduce without prior permission.
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
秋葉社(Akiba no yashiro)〈小野神社古社地(通称"神の山")に現在 祀られている祠〉
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
〒243-0125 神奈川県厚木市小野390
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》〈秋葉信仰〉秋葉大権現か?
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社の古社地(通称"神の山")
【創 建 (Beginning of history)】
式内社 小野神社〈閑香明神社〉(厚木市小野)の〈旧鎮座地〉は 現在の場所より西南方向に200メートル程にある丘陵(通称"神の山")
口碑には 嘉永年間(1848~1854)頃に現在地へ遷座 現在は秋葉社の祠あり
【由 緒 (History)】
現在ある 秋葉社の祠は 小野神社の移転後にまつられたものか?
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・小野神社の現在地
口碑には 嘉永年間(1848~1854)頃に丘陵(通称"神の山")より 現在地へ遷座
・小野神社〈閑香明神社〉(厚木市小野)
小野神社(おのじんじゃ)は 創建は不祥ですが 延喜式内社 相模國 愛甲郡 小野神社(をのの かみのやしろ)と伝わります 閑香明神社と称されて 小野妹子の子孫と伝えらる横山氏 その分家の愛甲氏が深く崇敬し 江戸時代には小野村の鎮守社と崇敬を受け 明治6年には郷社に列しています
小野神社〈閑香明神社〉(厚木市小野)〈『延喜式』小野神社〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)相摸國 13座(大1座・小12座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)愛甲郡 1座(小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 小野神社
[ふ り が な ](をのの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Wono no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
小野ノ神の名を冠する 各地の『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の関連神社について
延喜式内社 山城國 愛宕郡 小野神社二座(鍬靫)(をのの かみのやしろ ふたくら)
・小野神社(京都市左京区上高野西明寺山)〈崇道神社 境内社〉
・御蔭神社(京都市左京区上高野東山)
御蔭神社(みかげじんじゃ)は 太古 賀茂の大神が降臨された所〈御生山(みあれやま)〉と所伝があり 現在でも 葵祭に先立って 祭神を降臨地である御蔭山から賀茂社へ迎える御生(みあれ)神事が行われています 綏靖天皇の御代(BC581)に創建起源とされ 二つの式内社〈①出雲髙野神社②小野神社二座 鍬靫〉の論社でもあります
御蔭神社(京都府京都市左京区上高野東山)〈下鴨神社 境外摂社〉
・由岐神社(京都市左京区鞍馬本町)
由岐神社(ゆきじんじゃ)は 天慶年間〈938~947年〉世情不安となった時 天下泰平と万民幸福を祈念し 朱雀天皇が勅により 元は 宮中〈京都御所〉に祀られていた由岐大明神〈大己貴命・少彦名命〉を 都の北方にあたる鞍馬山の地に遷宮をして 鞍馬寺の鎮守社とし 都の北方鎮護を仰せつけられたのが始まりです
由岐神社(京都市左京区鞍馬本町)〈都の北方鎮護の社〉
延喜式内社 相模國 愛甲郡 小野神社(をのの かみのやしろ)
・小野神社〈閑香明神社〉(厚木市小野)
小野神社(おのじんじゃ)は 創建は不祥ですが 延喜式内社 相模國 愛甲郡 小野神社(をのの かみのやしろ)と伝わります 閑香明神社と称されて 小野妹子の子孫と伝えらる横山氏 その分家の愛甲氏が深く崇敬し 江戸時代には小野村の鎮守社と崇敬を受け 明治6年には郷社に列しています
小野神社〈閑香明神社〉(厚木市小野)〈『延喜式』小野神社〉
・秋葉社〈小野神社古社地〉(厚木市小野)
秋葉社(あきばのやしろ)は 延喜式内社 相模國 愛甲郡 小野神社(をのの かみのやしろ)の古社地(通称"神の山")に祀られている祠です 現在の小野神社〈閑香明神社〉西側の住宅街の中を西南方向に200メートル程いった所にある丘陵(通称"神の山")で 口碑には 嘉永年間(1848~1854)頃に現在地へ遷座したと伝わります
秋葉社(厚木市小野)〈『延喜式』小野神社の古社地(通称"神の山")〉
延喜式内社 武蔵國 多磨郡 小野神社(をの かみのやしろ)
・小野神社(府中市)
小野神社(おのじんじゃ)は 社伝によれば 第3代 安寧天皇18年の創建 2000余年の由緒を持つ古社で 古くは武蔵国一之宮でした 御祭神 天下春命(ameno shitaharu no mikoto)は 思金神の御子神であり 武蔵秩父国造の先祖とされます 境内にある「小野宮廟碑」には詳しく語られています
小野神社(府中市住吉町)〈『延喜式』小野神社〉
・小野神社(多摩市)
小野神社(おのじんじや)は 武蔵国一之宮ともされ『延喜式』所載の論社ですが 多摩川を挟んで南北に各々に小野神社が鎮座します 当神社は多摩川南岸で もう一方は北岸の府中市です これは多摩川が氾濫を繰り返し 都度 遷座も繰り返されて2社に別れたとも 北岸には旧址があるので本社であるとも 南岸は分祠であるとも云われます
小野神社(多摩市一の宮)〈『延喜式』小野神社〉
延喜式内社 近江國 滋賀郡 小野神社二座(名神大)(をのの かみのやしろ ふたくら)の論社
・天皇神社(大津市和邇中)
天皇神社(てんのうじんじゃ)は 創立は不祥 社伝によれば 村上天皇 康保3年(966)和邇荘が崇福寺領の頃 京都八坂の祇園牛頭天王を奉遷して和邇牛頭天王社と称したと伝えられる 和邇中 今宿の産土神として崇敬され 明治9年(1876)「天皇神社」と改称されています 『式内社調査報告』には゛小野天皇社゛と記されます
天皇神社(大津市和邇中)〈『延喜式』小野神社 二座 名神大〉
・小野神社(大津市小野)
小野神社(おのじんじゃ)は 第5代孝昭天皇の第一皇子 天足彦国押人命〈小野一族の祖〉と 同命から数えて七代目の米餅搗大使主命〈餅及菓子の匠・司の始祖〉の二柱を祀ります 延喜式内社 近江國 滋賀郡 小野神社二座(名神大)(をのの かみのやしろ ふたくら)とされる古社で 境内には小野篁(たかむら)を祀る篁神社もあります
小野神社(大津市小野)〈『延喜式』小野神社二座(名神大)〉
・小野道風神社(大津市小野)
小野道風神社(おののとうふうじんじゃ)は 小野篁の孫で平安中期の書家ある小野道風を祀ります 道風は 柳に飛び付く蛙の姿を見て発奮努力して 文筆の極地に達せられた 文筆の神として崇められています 延喜式内社 近江國 滋賀郡 小野神社二座(名神大)(をのの かみのやしろ ふたくら)の論社です
小野道風神社(大津市小野)〈『延喜式』小野神社二座(名神大)〉
延喜式内社 近江國 高嶋郡 小野神社(をのの かみのやしろ)
・小野神社〈海津天神社の境内〉(高島市マキノ町海津)
・市杵島神社(高島市朽木大野)
〈境内の三つの式内社・小野神社・大野神社・大川神社〉
延喜式内社 但馬國 出石郡 小野神社(をの かみのやしろ)
・小野神社(豊岡市出石町口小野字砂入)
小野神社(おのじんじゃ)は 創建不祥ですが 延喜式内社 但馬國 出石郡 小野神社(をの かみのやしろ)であると云われます 祭神は天押帶日子命で『古事記』には 小野臣の祖と記されます 口碑に゛神社の裏に流れる川では昔 魚(鮭)が多く捕れたらしいが もしも当社の氏子がこの魚を捕って食すと 罰が当たり腹痛を起こす゛と云われた
小野神社(豊岡市出石町口小野)〈『延喜式』小野神社〉
延喜式内社 石見國 美濃郡 小野天大神之多初阿豆委居命神社(貞)(をのの あめおほみみわのたそあつわけのみことの かみのやしろ)
・小野神社(益田市戸田町)
延喜式内社 土佐國 長岡郡 小野神社(をのの かみのやしろ)
・小野神社(南国市岡豊町小蓮)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
現在の小野神社に参拝後
・小野神社〈閑香明神社〉(厚木市小野)
小野神社(おのじんじゃ)は 創建は不祥ですが 延喜式内社 相模國 愛甲郡 小野神社(をのの かみのやしろ)と伝わります 閑香明神社と称されて 小野妹子の子孫と伝えらる横山氏 その分家の愛甲氏が深く崇敬し 江戸時代には小野村の鎮守社と崇敬を受け 明治6年には郷社に列しています
小野神社〈閑香明神社〉(厚木市小野)〈『延喜式』小野神社〉
小野神社〈閑香明神社〉の西側の住宅街の中を左折〈南へ〉進むと 西南方向に200メートル程いったところにある丘陵(通称"神の山")があります
『延喜式』小野神社の古社地(通称"神の山")に参着
Please do not reproduce without prior permission.
近づいてみると 丘陵(通称"神の山")を上がるような参道〈畑道〉がありました
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
道の途中から 上がってきた北西方向を振り返ると 畑道の先に住宅街があり その200メートル程先に見えている こんもりとしたところが 小野神社〈閑香明神社〉です
Please do not reproduce without prior permission.
南側を見てみると 日産テクニカルセンターの社屋ビルが見えています
Please do not reproduce without prior permission.
ここからは 畑道もなく 畝の端をすすみます
後で知ったのですが 私有地とのことで 参道かなと思っていたのは 畑道でした 大変失礼しました
Please do not reproduce without prior permission.
丘陵(通称"神の山")の頂上辺りまで上がりました すると畝の端に祠らしきものがありました
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
近づいてみると 覆い屋の内に祠が祀られています
秋葉社(厚木市小野)〈小野神社古社地に祀られる祠〉に参着
Please do not reproduce without prior permission.
祠にすすみます
格子戸は施錠されていますので 隙間から
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
覆い屋の中には 御寄進の銘板があり 秋葉神祠と記されていますので 秋葉社に間違いありません
Please do not reproduce without prior permission.
祠に一礼をして 来た道を戻ります
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 小野神社について 所在は゛小野村に在す、゛〈現 小野神社〈閑香明神社〉(厚木市小野)〉と記しています
【抜粋意訳】
小野神社
小野は乎乃と訓べし
○祭神 天下春命、(地名記)小野村に在す、(同上)
例祭 月 日、
類社
山城国 愛宕郡小野神社の條見合すべし、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 小野神社について 所在は゛今 小野村にあり゛〈現 小野神社〈閑香明神社〉(厚木市小野)〉と記しています
【抜粋意訳】
小野神社
今 小野村にあり、
九月二十一日を以て祭を行ふ、〔巡拝舊祠記、足柄縣式社考証〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 小野神社について 所在は゛小野村 (愛甲郡玉川村大字小野 )゛〈現 小野神社〈閑香明神社〉(厚木市小野)〉と記しています
【抜粋意訳】
小野神社
祭神 日本武尊
祭日 九月二十一日
社格 郷社所在 小野村 (愛甲郡玉川村大字小野 )
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
〇神奈縣 相摸國 愛甲郡玉川村大字小野
郷社 小野神社
祭神 日本武尊
當社元一に閑香明神と称す、創立年代詳ならず、
延喜の制式内小社に列せられ当国十三座の一なり、社領は天正十九年徳川家康先規に依り朱印二石五斗を寄せ、社殿は慶安二年十二月二十一日再建、元禄五年六月再建、明治九年四月十九日 本殿を再建す、
往昔 愛甲郡一郡の総鎮守にして、一郡の帰依する所たり、殊に小野姓 愛甲三郎季隆、崇敬厚く、子孫亦崇奉怠らず、
今其の参拝の月日を記せる木札二枚存す、文に云く、
延享三丙子年四月十五日当社参詣 松平薩摩守家中小野姓愛甲氏源助
寛延二年三月二十三日 当社参詣 松平薩摩守家中愛甲源左衛門小野季平明治六年七月三十日、郷社に列せらる、建物は本殿、幣段、拝殿及元説教所等にして、境内地は九百六十八坪(官有地第一種)あり。
境内神社
春日神社 阿羅破婆枳神社 稲荷神社 日枝神社
淡島神社 古登比羅神社 八坂神社
【原文参照】
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
秋葉社(厚木市小野)〈『延喜式』小野神社の古社地(通称"神の山")〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
Please do not reproduce without prior permission.
Please do not reproduce without prior permission.
相摸国 式内社 13座(大1座・小12座)について に戻る
相摸国(さがみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 相摸国には 13座(大1座・小12座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
相摸國 式内社 13座(大1座・小12座)について