赤猪岩神社(あかいいわじんじゃ)は 『古事記(712)』に 八上比売(やがみひめ)を得た大穴牟遅神(おおなむじのかみ)が 八十神(やそがみ)〈兄弟〉の怒りを買い 伯岐国 手間山上から 猪に似た赤く焼けた大石を落とされ これを麓で捕らえたことにより焼死したと伝えます この赤猪岩が祀られています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
赤猪岩神社(Akaiiwa shrine)
[通称名(Common name)]
赤猪岩さん(あかいいわさん)
【鎮座地 (Location) 】
鳥取県西伯郡南部町寺内232
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大國主神(おおくにぬしのかみ)
《配》素戔嗚命(すさのをのみこと)
刺國若姫命(さしくにわかひめのみこと)
稲田姫命(いなたひめのみこと)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
「受難」「再生」「次なる発展への出立」「再起」
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『古事記』伝承の地 ゆかりの社
【創 建 (Beginning of history)】
手間山鎮座 赤猪岩神社
祭神 大國主神
素戔嗚命
刺國若姫命
稲田姫命当社の創立年代は不明ですが、今より千二百四十年前 和銅五年正月 西暦七一二年に編纂せられた古事記に。八十神怒りて大國主神を殺さむと相議りて伯伎國の手間の山本に至りて云ひけるは「此の山に赤猪在るなり 我れ共追ひ下すにより汝待ち取れ 若し待ち取らずば必ず汝を殺さむと云ひて猪に似たる大石を火を以て焼きて傳ばし落しき かれ追い下り取る時に其の石に焼き著きて死に給ひき ここに其の御祖神泣き患ひて天に参り上りて 神産巣日神にこの事を申し給ふ時に きさがい姫と うむぎ姫とを遣して 作り活かさしめ給ふ きさがい姫きさげごがして うむぎ姫水を持ちて 母の乳汁(ははのちしる)と塗りしかば 麗はしき壮夫(おとこ)に成りて出遊きき とありまして 此の手間山は大國主神の御遭難地であるので ここにお祀りして 御神徳を称たえたものであります 大國主神は出雲 伯耆を中心として専ら山陰 北陸の裏日本の国土を御経営になりましたが 大神の御神性は特に英明にて 温厚篤実仁慈博愛堅忍不撓の精神を発揮され幾多の辛酸をなめられつゝ国土の開発に終始せられたる その広大な御神徳は後世の人々の敬慕し奉る所で此の神社の創立せられた所以もこゝにあるのであります 大神の焼きつへまし猪に似たる石は地上にありて之を穢すを恐れ土中に埋没せりと云い伝ふ 明治四年無格に列せられ大正六年 久清神社を 又 大正九年に山頂の赤猪岩神社を合祀し 現在に至っています
州和二十七年十二月五日 記述
拝殿に掲げられた案内板より
【由 緒 (History)】
赤猪岩神社(あかいいわじんじゃ)
なんぶ百選
大国主神を主祭神とし、須佐之男命(すさのおのみこと)と櫛名田比売(くしなだひめ)を合祀する。古事記によれば、大穴牟遅神(おおなむじのかみ)(大国主神)には、八十神(やそがみ)といわれる多くの庶兄弟があった。
八十神たちが八上比売(やがみひめ)に求婚するため、稲羽(いなば)へ旅する途次、後から従っていた大穴牟遅神は、気多の前(けたのさき)(現在の白兎海岸か)で素菟を救い、八上比売と結婚したので、八十神たちの恨みをかった。出雲への帰途、「伯伎(ほほき)の国の手間(てま)の山本」で、八十神たちは、
「赤き猪(い)この山に在り。故、われ共に追い下しなば、汝待ち取れ。若し待ち取らずば、必ず汝を殺さむ、」といい、猪に似た石を真っ赤に焼いて転げ落とした。大穴牟遅神はその石を抱いて焼け死んだ。母神 刺国若比売(さしくにわかひめ)は泣きながら天上に上り、神産巣日之命(かみむすひのみこと)に訴えたので、キサガイ比売(赤貝の神)とウムギ比売(蛤の神)を遣わされた。二神は、石に張りついた大穴牟遅神の身体をきさげ集め、貝殻を削った粉を清水で母乳のように練って塗ったところ、たちまち蘇生して麗(うるわ)しい男子になり、元気に歩き回られた。「伯伎の手間の山本」を現在地(南部町寺内字久清)として赤猪岩神社は祀られている。
南部町 南部町観光協会
社頭の案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・封印されている赤猪岩
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
赤猪岩について
南部町の歴史めぐり
古事記神話 ~赤猪岩伝説~
和銅5年(712年)日本で最も古い歴史書の『古事記』が完成しました。これは上・中・下の3巻に分かれており、上巻は神様のお話(神話)です。その中に『因幡の白兎』や『赤猪岩伝説』が載っています。
伝説の内容は、次のようなものです。
《大国主命(おおくにぬしのみこと)にはお母様の異なる大勢の兄弟の八十神(やそがみ)がありました。八十神たちは因幡国(いなばのくに)の八上姫(やがみひめ)に結婚を申し込もうと旅に出、気多ノ崎(けたのさき)でワニをだまして皮をむかれ泣いている白兎をいじめるのです。後を追って来た大国主命がこれを救うのですが、このことを八上姫はすでに知っていました。そこで姫は八十神に言うのです。「私は、あなたたちのおっしゃることは聞きません。大国主命と結ばれます。」と。さあ怒ったのは八十神たちです。大国主命を殺してしまおうと相談し、出雲国に帰る途中手間山の麓(ふもと)まで来て、大国主命を、「この山には赤い大イノシシがいて、時々里に下りて来ては人々を困らせている。我々はそれを追い下ろすから、お前は下で待っていてそれをつかまえろ。もししくじったらお前は生かしておかぬぞ。」とおどし、イノシシに似た大岩を真赤に焼いて転がし落としました。大国主命はだまされてそれを抱き止めたからたまりません。大火傷(おおやけど)を負って息絶えてしまいました。
その様子を見た大国主命の母神様は大層悲しみ、天に上って神産巣日神(かみむすひのかみ)に訴(うった)えます。そこで神産巣日神は二柱の貝の神を派遣(はけん)して、火傷の治療に当たらせます。キサガイヒメ(赤貝の神)は貝がらをこすリ合わせて粉を作り、それを受け取ったウムギヒメ(蛤の神)は体から絞り出した汁でねり合わせて薬を作り、清水で薄め母乳のようにして、大国主命の体全体に塗(ぬ)りました。するとどうでしょう。大国主命はみごとに生き返り、立派な男性になって歩き出されたではありませんか。》
南部町内寺内の膳棚(せんだな)山の麓にある赤猪岩神社には、この大岩が、玉垣(たまがき)をめぐらした中にまつられていますが、その上には大きなふた石が乗っていて、直接見ることはできないといわれています。
宿泊先のホテルにて案内あり
封印されている赤猪岩
神社境内の社の裏手には、「大国主命が抱いて落命した」と言い伝えられている岩が封印されています。
この岩は、地上にあって二度と掘り返されることがないよう土中深く埋められ、大石で幾重にも蓋がされ、その周りには柵が巡らされ、しめなわが張られています。
これは「厄の元凶」に対する注意を、子々孫々まで忘れてはならないことを教えています。
「受難」「再生」「次なる発展への出立」の地として、「再起」にご加護を願い赤猪岩神社を訪れる人は、数多であったと伝えられています。
現地案内板より
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
神話『古事記』に登場する 大国主神(おおくにぬしのかみ)の舞台
神話『古事記』に登場する 大国主神(おおくにぬしのかみ)の舞台の内 赤猪岩(あかいいわ)の伝説は「稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)と八上比売(やがみひめ)」のすぐ後に登場します
・稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)と八上比売(やがみひめ)
・赤猪岩(あかいいわ)と貝女神(かいのめがみ)
・根堅州國(ねのかたすくに)
・大国主神(おおくにぬしのかみ)となる
・須勢理毘売(すせりひめ)を恐れる八上比売(やがみひめ)
・八千矛神(やちほこのかみ)と沼河比売(ぬなかわひめ)
・八千矛神(やちほこのかみ)と須勢理毘売(すせりひめ)
・大国主神(おおくにぬしのかみ)の系譜と迦毛大御神(かものおおみかみ)
・小名毘古那神(すくなひこなのかみ)
・久延毘古(くえびこ)
・御諸山(みもろやま)の上に坐す神
・大年神の系譜・国譲り
内々神社(うつつじんじゃ)は 創建について 日本武尊が東征を終えて尾張國境の内津峠まで戻ると 副将軍 建稲種命(たけいなだねのみこと)の従者 久米八腹(くめのやはら)が早馬で駆けつけ 副将軍が駿河の海で水死されたと報告を受けた 尊は悲泣して「ああ現哉(うつつかな)々々」と嘆き その霊を祀られたので「うつつ」と云う
内々神社(春日井市内津町上町)〈日本武尊 東征の副将軍 建稻種命を祀る〉
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
米子駅からR180号を南下 約8.5km 車15分程度
南部町寺内に鎮座します
「赤猪岩 古代米栽培圃場」があり 観光施設のように駐車場も完備されています
赤猪岩神社(西伯郡南部町)に参着
一礼をして 二連の鳥居をくぐると拝殿が建ちます
拝殿にすすみますと 賽銭箱には 御神紋でしょうか 二重亀甲に赤が朱色に記されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 一檀高い社地に本殿が鎮座します
本殿向かって左横には
玉垣(たまがき)をめぐらした中に「赤猪岩」〈「大国主命が抱いて落命した」と言い伝えられている岩が封印されています。
この岩は、地上にあって二度と掘り返されることがないよう土中深く埋められ、大石で幾重にも蓋がされ、その周りには柵が巡らされ、しめなわが張られています〉
拝殿の横に立つ 石碑には「神代遺跡 大國主大神 御遭難地」と刻まれています
社殿に一礼をして 参道を戻ります 目の前に見える池は「先遠池」です
※因みに〈ウムギヒメが 水で練った薬を母乳のようにして大国主の体に塗りつけたところは 清水井です〉
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承
大穴牟遅神(おほなむじのかみ)〈大国主神〉は 稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)を助けて 八上比売(やがみひめ)に選ばれました
嫉妬深い兄神たち〈八十神(やそがみ)〉は これにひどく腹を立て 大穴牟遅神を憎み殺してしまうことにしました
その舞台となるのが ここ「伯伎(ほほき)の国の手間(てま)の山本」〈赤猪岩神社〉とされます
【抜粋意訳】
八上比売(yagami hime)は 八十神(yasogami)達に返答をしました
「わたくしは あなた方の言うことを聞けません 大穴牟遅神(onamuji no kami)の嫁となります」八十神(yasogami)達は怒って 大穴牟遅神(onamuji no kami)を殺そうと思い 皆で話し合いました
そして伯耆国(hoki no kuni)の手間山(tema no yama)の麓(fumoto)に至って 言いました
「この山には 赤い猪(inoshishi)がいるらしい
我々が 赤い猪(inoshishi)を追い立てるので お前は 麓(fumoto)で待ち受けて捕らえなさい もし待ち受けて捕らえないなら 必ずお前を殺す」
猪(inoshishi)に似た「大きな石」に火をつけ 転がし落としましたので
麓(fumoto)で落ちてきた石を捕らえた時 すぐに焼け死んでしまいましたこのことを知り御祖の命(mioya no mikoto)=母神の刺国若比売(sashikuni wakahime)は嘆き 天に上りまして 神産巣日之命(kamimusubi no mikoto)におすがり請いました時に
神産巣日之命(kamimusubi no mikoto)は 蚶貝比賣(kisagai hime)と蛤貝比売(umugi hime)を大穴牟遅神(onamuji no kami)のもとに向かわせて 神を活かし(蘇生)ましたその時のご様子は
蚶貝比賣(kisagai hime)は 貝殻を削り 粉末にして
蛤貝比売(umugi hime)は その粉をハマグリの出す汁と一緒に溶いて母の乳汁のように塗りつけたところ (大穴牟遅神(onamuji no kami)立派で壮健な男となって 元気に蘇りました
【原文参照】
赤猪岩神社(西伯郡南部町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)
『古事記』に登場する神話の舞台 の記事を見る
大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう
”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)『古事記』に登場する神話の舞台
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』を見る
出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社