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『出雲國風土記』秋鹿郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】10社

出典近畿中国森林管理局Webサイト(httpswww.rinya.maff.go.jpkinkisimanemori-enjoyizumonokunihudoki.html)

『出雲國風土記』秋鹿郡(aika no kori)条 所載の神社の数は「26社」です 
 「10社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社
 「16社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha)

出雲國風土記』秋鹿郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】10社は 写本の順番で並んでいます " Shrines are arranged in order of manuscripts "

佐太御子社 (さだのみこ) (sada no miko no) yashiro

・佐太神社

一緒に読む
佐太神社(松江市)【前編】

佐太神社(さたじんじゃ)は 国引き神話に記される「狭田(sada)の国」の「佐太御子大神」が坐ます 本殿には 謎多き「秘説神」を擁しています 又 神在月に 全国各地から集われた神々が お泊りに訪れるといわれ 別名を「神在社(kamiari no yashiro)」と称される格式の高い社です

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比多社 (ひた) (hita no) yashiro

・日田社〈佐太神社の境内社〉

一緒に読む
佐太神社(松江市)【前編】

佐太神社(さたじんじゃ)は 国引き神話に記される「狭田(sada)の国」の「佐太御子大神」が坐ます 本殿には 謎多き「秘説神」を擁しています 又 神在月に 全国各地から集われた神々が お泊りに訪れるといわれ 別名を「神在社(kamiari no yashiro)」と称される格式の高い社です

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御井社 (みい) (mii no) yashiro

・〈秋鹿神社に合祀〉御井神社

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秋鹿神社(松江市秋鹿町)& 御井神社〈秋鹿神社に合祀〉

秋鹿神社(あいかじんじゃ)& 御井神社〈秋鹿神社に合祀〉は 御祭神の秋鹿日女命(あいかひめのみこと)の名から『出雲國風土記(733年)』の秋鹿郷の名の由来とされています 所載社として「秋鹿社(あきか)のやしろ」と〈秋鹿神社に合祀〉の「御井社(みい)のやしろ」の二つの論社とされます

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・御井神社の旧鎮座地

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御井神社〈秋鹿神社に合祀〉の旧鎮座地(松江市秋鹿町)

御井神社〈秋鹿神社に合祀〉の旧鎮座地は 現在の秋鹿神社の南方 約100m程の位置に神井があったと伝承があります〈現在は民家が建つ〉

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・〈佐太神社の境内社 御井社に合祀〉御井神

一緒に読む
佐太神社(松江市)【前編】

佐太神社(さたじんじゃ)は 国引き神話に記される「狭田(sada)の国」の「佐太御子大神」が坐ます 本殿には 謎多き「秘説神」を擁しています 又 神在月に 全国各地から集われた神々が お泊りに訪れるといわれ 別名を「神在社(kamiari no yashiro)」と称される格式の高い社です

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垂水社 (たるみ) (tarumi no) yashiro

・垂水社〈佐太神社の境内社〉

一緒に読む
佐太神社(松江市)【前編】

佐太神社(さたじんじゃ)は 国引き神話に記される「狭田(sada)の国」の「佐太御子大神」が坐ます 本殿には 謎多き「秘説神」を擁しています 又 神在月に 全国各地から集われた神々が お泊りに訪れるといわれ 別名を「神在社(kamiari no yashiro)」と称される格式の高い社です

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・〈國司神社に合祀〉垂水社

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垂水社〈国司神社に合祀〉&國司神社(松江市西長江町)

國司神社(くにしじんじゃ)は 慶長年間(1596~1615)に旧社地 本国司より 現今の社地へ奉遷しました 垂水社〈国司神社に合祀〉については 明治41~42年(1908~1909)に往時 垂水社(式内社)を合祀してある西長江の新宮 東長江の姫二所 日御碕 天森の四社がこれに合祀された

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恵杼毛社 (えとも) (etomo no) yashiro

・恵曇神社(鹿島町恵曇)

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惠曇神社(鹿島町恵曇)

恵曇神社(えともじんじゃ)は 磐坂日子命〈須佐能乎命(すさのをのみこと)の御子〉を祀り 『出雲國風土記 733 AD』所載の神祇官社「惠杼毛社(えとも)のやしろ」の論社です また境外社の恵曇海辺神社は『出雲國風土記』所載の不在神祇官社 二ヶ所の論社となっています

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・恵曇神社(鹿島町佐陀本郷畑垣)

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惠曇神社(鹿島町佐陀本郷畑垣)&畑垣神社〈惠曇神社に合祀〉

惠曇神社(えともじんじゃ)は 磐坂日子命(いわさかひこのみこと)を御祭神としています 神名の「磐坂」は「磐境(いわさか)」と同義とされ 「座王さん」と呼ばれる当社境内に鎮座する磐座を神名として象徴化したものと考えられています 『出雲國風土記 733AD』所載の「恵杼毛社 (えとも)のやしろ」「毛之社 (もし)のやしろ」の論社とされています

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許曽志社 (こそし) (kososhi no) yashiro

・許曾志神社〈元宮の跡〉

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許曽志神社 元宮阯(松江市古曽志町)

許曽志神社 元宮阯(松江市古曽志町)は 「出雲国風土記」「延喜式」に記載がある由緒ある古社「許曽志神社(松江市古曽志町)」の 本宮阯〈旧鎮座地〉です 貞享元年(1684年)4月 現社地 松尾山へ奉遷までこの地に御鎮座 址地の地名を『元宮』と称すとあり 旧社地は寛大 古木繁茂 馬場の左右に松の並木在りと伝わります

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・許曽志神社

一緒に読む
許曽志神社(松江市古曽志町)

許曾志神社(こそしじんじゃ)は 「出雲国風土記」「延喜式」に記載がある由緒ある古社です 祭神の猿田毘古命(さるたひこのみこと)で 猿田は狭田に通じ 五穀の守り神として国土を開拓した当地の開拓神と伝わり 狭田の国にあって産業の振興に尽くされた神として信仰されてきました

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大野津社 (おおのつ) (oonotsu no) yashiro

・大野津神社

一緒に読む
大野津神社(松江市大野町)

大野津神社(おおのつじんじゃ)は 『出雲国風土記』に「大野津社」・『延喜式神名帳』に「大野津神社」とあり 江戸時代には「角森(つのもり)大明神」とも称されます 宍道湖北岸の大野灘に鎮座して 津ノ森は 重要な津〈港〉であり 海陸交通の神 また地域の農耕・厄除の神として信仰を集めています

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宇多賀貴社 (うたがき) (utagaki no) yashiro

・〈佐太神社の境内社 宇多紀社に合祀〉宇多紀神社

一緒に読む
佐太神社(松江市)【前編】

佐太神社(さたじんじゃ)は 国引き神話に記される「狭田(sada)の国」の「佐太御子大神」が坐ます 本殿には 謎多き「秘説神」を擁しています 又 神在月に 全国各地から集われた神々が お泊りに訪れるといわれ 別名を「神在社(kamiari no yashiro)」と称される格式の高い社です

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・〈佐太神社の本殿に合祀〉宇多紀神社

一緒に読む
佐太神社(松江市)【前編】

佐太神社(さたじんじゃ)は 国引き神話に記される「狭田(sada)の国」の「佐太御子大神」が坐ます 本殿には 謎多き「秘説神」を擁しています 又 神在月に 全国各地から集われた神々が お泊りに訪れるといわれ 別名を「神在社(kamiari no yashiro)」と称される格式の高い社です

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大井社 (おほゐ) (ohoi no) yashiro

・大井神社

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大井神社(松江市鹿島町)

大井神社(おおいじんじゃ)は 大井乃神(oi no kami)と水罔象女神(mitsuha no me no kami)を祀ります 式内社の論社として里人に守られるお社です

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・五十田神社

一緒に読む
五十田神社(松江市古志町)

五十田神社(いそだじんじゃ)は 『出雲國風土記』所載の秋鹿郡 大井社です もとの鎮座地は現在地の東方にあった佐太水海の沖の大井の輪と言われる浜にあったが 洪水により社殿が西の丘麓の大井垣の輪に漂着し大井神社と称した 更に現在地の磯田に遷座し磯田神社となり 『日本書記』にある武甕槌命・経津主命が「出雲の国護りの舞台」五十田狭の小汀に天降ったのは ここなりとしての両神を祀り 五十田神社と改称した

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宇智社 (うち) (uchi no) yashiro

・内神社

一緒に読む
内神社(松江市大垣町)

内神社(うちじんじゃ)は 『出雲國風土記』の「宇智社」・『延喜式神名帳』の「内神社」に比定され 出雲国二大社(出雲大社・佐太神社)の支配を受けない「一社一例社」の特例を中世から継続して来た格別の神社で 江戸時代は松江藩四所祈願所(杵築、日御碕、佐陀、当社)のひとつでした 創建は霊亀元年(715)高野山の頂に光輪を見て神垣を結んだとされ 養老元年(717)今の宮地に移し宮殿を再興したと伝わる

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『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る

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『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています