実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

➁稲羽之素菟(いなばのしろうさぎ)と 八上比賣(やがみひめ)

大穴牟遅神(おなむのかみ)
蒲の穂を使い 病を治す医術を持つ神として 描かれる

大穴牟遅神(おなむのかみ)は 大勢の兄弟〈八十神(やそがみ)〉があり 彼らは 稲羽の八上比売(やがみひめ)と結婚したいと出かけて行く 大穴牟遅神は 従者として袋を負わ 連れて行かれた

その頃 淤岐島(おきのしま)にいた「菟(うさぎ)」は 本土に渡ろうと思い 海にいる 和邇(わに)を騙し 対岸 気多之前(けたのさき)まで並ばせ その上を踏んで走り うまい具合に進んだが 騙されたことに気付いた 和邇(わに)に捕まり 毛皮を剥がされてしま

 伏せる菟の前を 八十神が通りかかり「海水を浴び 風に当たって横たわれば良い」と言われ そのようにしてみると 皮膚が 風に吹かれて裂けた 苦しみ泣いていると 最後に 大穴牟遅神が通りかかり「すぐに河口へ行き 真水で体を洗い 蒲の花粉を敷き散らし 上に寝転がれば 必ずもとの膚のように治ると教えた その通りにすると 元通りに治った

稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ)では 助けられた 菟(うさぎ)が予言した その通り 稲羽の八上比売(やがみひめ)を 大穴牟遅神(おほなむじのかみ)が得ることになっていきます

・白兎神社(鳥取市白兎《主》白兎神

『古事記』神話には
これが 稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ)では 兎神(うさぎがみ)云うなり」と記されます

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白兎神社(鳥取市白兎)

白兎神社(はくとじんじゃ)は 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に ”これ 稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ) 今では 兎神(うさぎがみ)と云うなり” と記される 神代からの神話の舞台で 正しい由緒を持つとされ 皇室の紋章である菊花を型どった菊座石が社殿の土台に使われています

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・賣沼神社(鳥取市河原町)《主》八上比賣神大国主神の妻神

『古事記』神話には
の兎(うさぎ) 大穴牟遅神(おほなむじのかみ)に云いました「八十神(やそがみ) 必ず 八上比売(やがみひめ)を得られません 袋を負っていても あなたが 獲(え)るでしょう
八上比売(やがみひめ)は 八十神(やそがみ)達に返答をしました
「わたくしは あなた方の言うことを聞けません 大穴牟遅神(おほなむじのかみ)の嫁となります」と記されます

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賣沼神社(鳥取市河原町)〈゛稻羽(いなば)の八上比売(やがみひめ)゛を祀る古社〉

賣沼神社(めぬまじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載の因幡国 八上郡「賣沼神社(ひめぬの かみのやしろ)」とされます 創建は神代に遡り 神話の舞台でもあります『古事記』大国主の稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ)の段で登場する゛稻羽(いなば)の八上比売(やがみひめ)゛を神に祀ります

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『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承

稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ)と八上比売(やがみひめ)

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【抜粋意訳】

この大国主神(おおくにぬしのかみ)の兄弟(あにおとうと)には 八十神(やそがみ)〈沢山 坐(ましま)した

しかし その八十神(やそがみ)皆 大国主神(おおくにぬしのかみ)に国を譲ってしまいました
その理由は 八十神(やそがみ)は 稻羽(いなば)八上比売(やがみひめ)に求婚したくて欲していて おのおのが 皆で一緒に 因幡(いなば)に行きました
この時 大穴牟遅神(おほなむじのかみ)に袋を負わせ 従者として連れて行きました

気多前(けたのさきに至った時に 裸(あかはだか)の兎(うさぎ)が伏しておりました

八十神(やそがみ) その兎(うさぎ)云うには
「傷を治すには 海水を浴び 風に当たり 高山の尾上おのえに伏しているとよい」

それで兎(うさぎ) 八十神(やそがみ)の教えのとおり 伏していました

ところが その海水の乾かわくままに その身の皮が (ことごと)く風に吹かれてひび割れ 痛んで泣き伏しておりました

すると最後に来た大穴牟遅神(おほなむじのかみ)が その兎(うさぎ)を見て「なんで 泣き伏しているのですか」とお尋ねになつた

兎が申しますには
「わたくしは 淤岐嶋(おきのしま)にいて このに渡りたいと思いましたが 渡る方法がございませんでした
 そこで 海の和邇(わに)を欺あざむいて言いましたわたしとあなたと どちの同族が多いか競くらべて見ましょう
あなたは一族を悉(ことごと)く連れて来て この島から気多前(けたのさき)まで  列(ならびふし)ください
わたしは その上を蹈んで走り数を読んでいきます わたしの一族と どちらが多いかということを知ることにしようと言いました

欺かれて 並び伏している時に わたくしは その上を蹈んで渡つて来て 今土におりようとする時お前は わたしに騙されたのだ言い終わるや否や 最もはしに伏していた わに わたくしを捕えて 衣(きもの)を悉(ことごと)剥ぎました

それで困て泣いていると 八十神(やそがみ)の命海水を浴びて 風に当たって伏せろと教えられましたので その教えのとおりにしました (ことごと)く傷だらけなりました」

そこで大穴牟遅神(おほなむじのかみ)は その兎に教えて言いました
「今 いそいで 水門(みなと)に行き 水でお前の身体を洗い すぐにその水門蒲黄(がまの花粉)を取って 敷き散らして その上に寝廻ったならば お前の身体は元の膚はだに必ず治るだろう」と言われた

 教え通りにすると その身は もとの通りになりました
これが 稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ)
では 兎神(うさぎがみ)云うなり

の兎(うさぎ) 大穴牟遅神(おほなむじのかみ)に云いました
八十神(やそがみ) 必ず 八上比売(やがみひめ)を得られません 袋を負っていても あなたが 獲(え)るでしょう

【原文参照】

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

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