大国主神は 偉大な神々「迦毛大御神・事代主神など」の御祖神(みおやのかみ)として 描かれる
大国主神(おほくにぬしのかみ)の子孫は やがて 大和国の創成期の皇室に 絶大な影響をあたえていきます
『延喜式』〈延長5年(927)〉巻八
『出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)』に現れる 皇御孫命〈天皇〉の守護神
「その時 大穴持命は
御自分の和魂を 倭の大物主なる櫛厳玉命と御名を唱え 大御和の社〈大神神社〉に坐(ましま)す
御自分の御子 阿遅須伎高孫根命(あぢしきたかひこねのみこと)の御魂を 葛木の鴨の社〈高鴨神社〉に坐(ましま)す
御自分の御子 事代主命(ことしろぬしのみこと)の御魂を 宇奈提〈河俣神社〉に坐(ましま)す
御自分の御子 賀夜奈流美命の御魂を 飛鳥の社〈飛鳥坐神社〉に坐(ましま)す
〈御自分の和魂と三柱の御子神を〉皇御孫命〈天皇〉の守護神として置かれた
〈御自分は〉杵築宮〈出雲大社〉に坐(ましま)す」と記されます
『古事記』にある数々の神々の中で 神名に「大御神(おほみかみ)」と称する神は 二柱のみ
皇祖 天照大御神(あまてらす おほみかみ)と 迦毛大御神(かもの おほみかみ)
大国主神(おおくにぬしのかみ)の子孫は なだたる神々が記されますが
中でも 阿遅鋤高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)は 迦毛大御神(かものおほみかみ)とされ 『古事記』では 皇祖 天照大御神と同様の〈大御神(おほみかみ)〉の神名を称号されます
初期の朝廷〈第9代開化天皇(かいかてんのう)までの葛城王朝とも〉を支えたのは 古代豪族 葛城(かつらぎ)の鴨氏(かもうじ)とされ 葛城山麓の高天原(たかまのはら)に居て その御祖(みおや)は〈迦毛大御神〉であり 彼らは 弥生中期頃に平坦地に降り 水稲農耕を営み 田の神として 事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀っていました
・高鴨神社(御所市鴨神)《主》味耜高彦根命(迦毛之大御神)
『古事記』神話には
「大国主神(おおくにぬしのかみ)が 胸形(むなかた)〈宗像〉の奥津宮(おきつみや)に坐(ましま)す 多紀理毘売命(たきりびめのみこと)を娶り産んだ子は
阿遅鋤高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)
次に妹の高比売命(たかひめのみこと) 亦名(またのな)は 下光比売命(したてるひめのみこと)
阿遅鋤高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)は 今は 迦毛大御神(かものおほみかみ)と申す神なり」と記されます
高鴨神社(たかかもじんじゃ)は 阿遅志貴高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)別名 迦毛之大御神〈かものおほみかみ〉を祀ります 記紀神話に 大御神と名のつく神は 天照大御神 伊邪那岐大御神と同神の三神のみ 死した神々をも甦えらせる御神力の強き神で『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の大和國 葛上郡 高鴨阿治須岐託彦根命神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗とされます
高鴨神社(御所市鴨神)
『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承
【抜粋意訳】
大国主神(おおくにぬしのかみ)が
胸形(むなかた)〈宗像〉の奥津宮(おきつみや)に坐(ましま)す 多紀理毘売命(たきりびめのみこと)を娶り 産んだ子は 阿遅鋤高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)
次に妹の高比売命(たかひめのみこと) 亦名(またのな)は 下光比売命(したてるひめのみこと)
阿遅鋤高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)は 今は 迦毛大御神(かものおほみかみ)と申す神なり
大国主神(おおくにぬしのかみ)が
神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)を娶り 産んだ子は 事代主神(ことしろぬしのかみ)
大国主神(おおくにぬしのかみ)が
八島牟遅能神(やしまむちのかみ)の娘 鳥取神(ととりのかみ)を娶り 産んだ子は 鳥鳴海神(とりなるみのかみ)
この神〈鳥鳴海神〉が
日名照額田毘道男伊許知邇神(ひなてりぬかだびちをいこちにのかみ)を娶り 産んだ子は 国忍富神(くにおしとみのかみ)
この神〈国忍富神〉が
葦那陀迦神(あしなだかのかみ) 亦名(またのな)は 八河江比売(やがはえひめ)を娶り 産んだ子は 速甕之多気佐波夜遅奴美神(はやみかのたけさはやぢぬみのかみ)
この神〈速甕之多気佐波夜遅奴美神〉が
天之甕主神(あめのみかぬしのかみ)の娘 前玉比売(さきたまひめ)を娶り 産んだ子は 甕主日子神(みかぬしひこのかみ)
この神〈甕主日子神〉が
淤迦美神(おかみのかみ)の娘 比那良志毘売(ひならしびめ)を娶り 産んだ子は 多比理岐志麻流美神(たひりきしまるみのかみ)
この神〈多比理岐志麻流美神〉が
比々羅木之其花麻豆美神(ひひらぎのそのはなまづみのかみ)の娘 活玉前玉比売神(いくたまさきたまひめのかみ)を娶り 産んだ子は 美呂浪神(みろなみのかみ)
この神〈美呂浪神〉が
敷山主神(しきやまぬしのかみ)の娘 青沼馬沼押比売(あをぬまぬおしひめ)を娶り 産んだ子は 布忍富鳥鳴海神(ぬのしとみとりなるみのかみ)
この神〈布忍富鳥鳴海神〉が
若尽女神(わかひるめのかみ)を娶り 産んだ子は 天日腹大科度美神(あめのひばらおおしなどみのかみ)
この神〈天日腹大科度美神〉が
天狭霧神(あめのさきりのかみ)の娘 遠津待根神(とほつまちねのかみ)を娶り 産んだ子は 遠津山岬多良斯神(とほつやまざきたらしのかみ)
右件(みぎのくだり)
八嶋士奴美神(やしまじぬみのかみ)以下(よりしも)
遠津山岬帯神(とほつやまざきたらしのかみ)以前(まで)
十七世神(とをまりななよのかみ)と称す
【原文参照】
⑪小名毘古那神(すくなひこなのかみ)と久延毘古(くえびこ) に進む
大国主神(おほくにぬしのかみ)が 出雲の御大御埼(みほのみさき)にいた時 小名毘古那神(すくなひこなのかみ)が 海の彼方から天羅摩船(あまのかがみのふね)に乗って寄り帰り来られた 小名毘古那神は 誰もわからなかったが 久延毘古(くえびこ〈山田の案山子〉が知っていて 神産巣日神(かみむすひのかみ)の手の股またからこぼれて落ちた御子神と知ることになった 神産巣日神の命により 大国主神と小名毘古那神の二柱の神は 並んで〈共に偉大な神として〉 この国〈日本〉を作り堅めました
⑪小名毘古那神(すくなひこなのかみ)と久延毘古(くえびこ)
”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)
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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう
”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)『古事記』に登場する神話の舞台