Generated by All in One SEO v5.0.0.1, this is an llms.txt file, used by LLMs to index the site. # Shrine-heritager 実践和學 Cultural Japan heritage ## Sitemaps - [XML Sitemap](https://shrineheritager.com/sitemap.xml): Contains all public & indexable URLs for this website. ## 投稿 - [記事一覧](https://shrineheritager.com/記事一覧/) - [荒御魂(あらみたま)とは?意味・神社・日本書紀を詳しく解説](https://shrineheritager.com/aramitama/) - 荒御魂(あらみたま)とは、神の御魂が力強く活動し、顕著な神威を示す働きを表す神道用語です。『古事記』では住吉大神の国土守護、『日本書紀』では先鋒として船を導く働きが語られます。本記事では、和御魂との違い、記紀の用例、荒祭宮・狭井神社などの祭祀を一次史料に基づいて解説します。 - [造田神社(さぬき市造田是弘)〈『延喜式』布勢神社〉](https://shrineheritager.com/zota-shrine/) - 造田神社(ぞうたじんじゃ)は 口伝に「往昔 少童命を奉斎して造田明神と奉稱し 新年祈雨の祭事を行う 仁和二年(886)京師より石清水八幡宮の御分霊を勧請 相殿に奉祀 天暦元年(947)極樂寺の僧 観清導師となり 現今の地に遷座」と云う 延喜式内社 讃岐国 寒川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社となっています - [綱越神社(桜井市三輪)〈『延喜式』綱越神社〉](https://shrineheritager.com/tsunakoshi-shrine/) - 綱越神社(つなこしじんじゃ)は 「夏越の社」とも言われ 旧六月晦日に大祓「夏越祓(なごしのはらえ)」が厳粛に行われる古社 かつて大神祭の奉仕に先立ち 大神神社の神主以下奉仕員が当社で祓の儀を受けてから本社の神事に携わりました 『延喜式神名帳(927年編纂)』所載の大和国 城上郡 綱越神社(つなこしの かみのやしろ)です - [布勢神社(さぬき市寒川町石田西)〈『延喜式』布勢神社〉](https://shrineheritager.com/fuse-shrine-6/) - 布勢神社(ふせじんじゃ)は 天平年間(729~749年)行基が菩薩藥師堂〔極樂寺〕を石田に建て 當社を鎭守神とした旨が記されるので天平以前の創祀と云う 祭神は大彦命〔第八代 孝元天皇の皇子〕を祀る 一説には 伏雷(ふせいかずち)則ち雷神なりとも云う 延喜式内社 讃岐国 寒川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)です - [布勢巨神社(赤磐市中勢実)〈『延喜式』布勢神社〉](https://shrineheritager.com/fuseko-shrine/) - 布勢巨神社(ふせこじんじゃ)は 龍天山の山頂の眺望絶佳の地に鎮座します 古昔 式内社布勢神社は此の山に御鎮座せられていたが 後世仁堀西に遷され 現在は布勢巨神社のみとなっています 延喜式内社 備前国 赤坂郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)の論社です - [布勢神社(氷見市布施)〈『延喜式』布勢神社〉](https://shrineheritager.com/fuse-shrine-4/) - 布勢神社(ふせじんじゃ)は 布勢の円山と云う小山に鎮座します 今から約1300年前は 周囲の田園一帯は「布勢水海(ふせのみずうみ)」と呼ばれる大きな水海で湖に浮かぶ小山でした その頂きに「水影明神の祠」が祀られ手織りこの祠は 延喜式内社 越中國射水郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)とされます - [お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉](https://shrineheritager.com/ise125shrine/) - ゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉 - [能理刀神社(上対馬町西泊字横道)〈『延喜式』能理刀神社〉](https://shrineheritager.com/norito-shrine-2/) - 能理刀神社(のりとじんじゃ)は、上対馬町西泊に鎮座する延喜式内社です。社伝では神功皇后の新羅征伐に際し、海上安全と戦勝を祈願した行宮跡と伝えられ、亀卜・占祈祷の霊場としても知られます。さらに文永11年(1274)の元寇では神石が異賊船を打ち砕いたとの伝承を伝え、古神道と修験道の歴史を今に伝える対馬を代表する古社です。 - [布勢神社(赤磐市仁堀西)〈『延喜式』布勢神社〉](https://shrineheritager.com/fuse-shrine-5/) - 布勢神社(ふせじんじゃ)は 古伝に 往古 中勢實村龍天山に鎭座 垂仁天皇の御字 瀬戸内海で渡船の転覆の難が続き 占うと「吉備の国布勢大明神の神威なり 社殿を七谷七畝の山麓に遷し 北面に勧請ありたし」と奏上があり 現在の山麓の地に勧請し 社殿を北向きに造営 延喜式内社 備前国 赤坂郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)です - [布制神社(長野市篠ノ井山布施)〈『延喜式』布制神社〉](https://shrineheritager.com/fusei-shrine/) - 布制神社(ふせいじんじゃ)は 口碑に「寶龜八年(七七七)伊勢神宮より天照大神の御分靈を迎へ(當地を開拓した「布施氏」公の租神 大彦命)を祀り 寶祚長久・國家隆昌・生業家内安全を祈願し 両柱の神を産土の大神として奉祀したのが當社の起源」と云う 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社となっています - [気多大社(羽咋市)能登国一之宮「入らずの森」の社](https://shrineheritager.com/keta-taisha/) - 氣多大社(けたたいしゃ)は 北陸の大社で朝廷の尊崇も厚く 文献の初見は『万葉集』大伴家持が越中国守として赴任の時 天平20年(748)能登を巡行し「気太神宮」に赴いたとの歌がみえ 927年12月編纂の『延喜式 巻3 臨時祭』では名神大に列する由緒ある古社 大正時代に国幣大社に列し 現在は「気多大社」と親しまれています - [能登生国玉比古神社〈気多本宮〉(七尾市)羽咋の氣多大社の本宮](https://shrineheritager.com/notoikukunitamahiko-shrine-2/) - 能登生国玉比古神社(のといくにたまひこじんじゃ)は、羽咋市の気多大社の元宮(気多本宮)と伝わる能登屈指の古社です。『延喜式神名帳』能登国羽咋郡の式内社論社として知られ、古くから能登国の信仰を支えてきました。現在も平国祭「おいで祭」では気多大社の神輿が渡御し、両社の深い歴史的つながりを今に伝えています。 - [臼女神社(長野市篠ノ井布施高田唐臼)〈五明の布施神社 旧鎮座地〉](https://shrineheritager.com/usume-shrine/) - 臼女神社(うすめじんじゃ)は 古老の言い伝えによると「神社の前身は六百数十年続いた鎌倉時代の豪族 布施八郎と後に天照大神とを奉斎した布施神社」で 明治41年(1908)国の合併令により 五明の布制神社に御神体などを引き渡したと云う 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社の旧鎮座地です - [布多天神社(調布市調布ケ丘)〈『延喜式』布多天神社〉](https://shrineheritager.com/fudatenjin-shrine/) - 布多天神社(ふだてんじんしゃ)は 社伝によれば 創建は第11代 垂仁天皇の御代(BC29~AD70年頃)と伝わる古社 御祭神は天津神の 少名毘古那神(すくなひこなのかみ)を祀る゛延喜式内社゛です 文明九年(1477)多摩川の洪水をさけ 古天神という所から現在地へ遷座 その折 相殿に 菅原道真公を配祀され現在に至ります - [布制神社(長野市篠ノ井布施五明)〈『延喜式』布制神社〉](https://shrineheritager.com/fuse-shrine-3/) - 布制神社(ふせじんじゃ)は 社伝に「第八代 孝元天皇の皇子 大彦命の本貫を瀬原田の長者窪に移し 北陸を巡按し 東夷を鎭撫させたが 終に長者窪に於て薨ぜられ 布施氏の御祖 大彦命の神靈を鎭齋し奉った」とあり 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社とされます - [北口本宮冨士浅間神社(富士吉田市上吉田)〈富士山 世界文化遺産 構成資産〉](https://shrineheritager.com/kitaguchihongu-fujisengen-shrine/) - 北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)は 第12代 景行天皇40年(110)日本武尊が東征の時 当地御通過に際し「大塚丘(おおつかおか)」に富士の神霊を拝されたのが創祀 その後 延暦7年(788)甲斐守 紀豊庭が現地に社殿を建立 例大祭 吉田の火祭(よしだのひまつり)は日本三奇祭の一つとされます - [布制神社(長野市篠ノ井石川)〈『延喜式』布制神社〉](https://shrineheritager.com/fuse-shrine-2/) - 布制神社(ふせじんじゃ)は 創立年代不祥ですが ロ碑に「奈良朝以前から鎮座していたと云ふ」「古昔 布勢朝臣某 下向ありて士賊を教化し 地を拓きて此處に館せしより布制郷と云ふ」とあり 布勢氏は第8代 孝元天皇の皇子 大彦命を祖とする氏族であり 延喜式内社 信濃國更級郡 布制神社(ふせの かみのやしろ)の論社となっています - [宇波刀神社(安八郡安八町森部)(『延喜式』宇波刀神社)](https://shrineheritager.com/ubato-shrine/) - 宇波刀神社(うばとじんじゃ)は 宝物の神鏡 裏面に「伊久良河宮 宇波刀神社内宮」と書かれており 第十一代 垂仁天皇の頃 倭姫命が天照大神を奉載し 近江の国から美濃の国に四年間ご滞在になられた「伊久良河宮」とも伝わる由緒深いお社で 延喜式内社 美濃國安八郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)の論社でもあります - [宇波刀神社(安八郡神戸町神戸)(『延喜式』宇波刀神社)](https://shrineheritager.com/uwato-shrine-4/) - 宇波刀神社(うわとじんじゃ)は 口碑によれば「古来 當社を五條大明神と稱す」社記によれば「昔時 岡戸大明神とも稱し」 明治三年(1870)「旧名古屋藩より式内 宇波刀神社と改訂の旨達せられ」とあり 延喜式内社 美濃國安八郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)の論社です - [正一位浅間神社(市川三郷町宮原御領土)〈『延喜式』表門神社〉](https://shrineheritager.com/shoichii-asama-shrine/) - 正一位浅間神社(しょういちいあさまじんじゃ)は 社記によれば「景行天皇56年6月 鹽海足尼 甲斐國造として入國幣帛を奉ず」と云う 往古は表門社 又 浅間神社 或は磐間宮(いわまのみや)とも称し 岩間庄内の總鎮守でした 延喜式内社 甲斐國八代郡 表門神社(うは〔へ〕との かみのやしろ)の論社となっています - [表門神社(甲府市白井町)〈『延喜式』表門神社〉](https://shrineheritager.com/uhato-shrine-2/) - 表門神社(うはとじんじゃ)は 『式内社調査報告』には 雄略天皇十三年の創立とあり 延喜式内社 甲斐國八代郡 表門神社(うは〔へ〕との かみのやしろ)の論社となっています 社殿の後方には 祭神に関わる高貴婦人を葬する古墳があり 本殿はこの丘の上に祀られています - [八神殿(宮中三殿)〈『延喜式』御巫祭神8座(並大月次新嘗・中宮東宮御巫亦同)〉](https://shrineheritager.com/hashinden/) - 八神殿(はっしんでん)は 「天皇守護の神」と言われる「八神」を祀り 古代日本において 国家祭祀の中枢として「宮中神祇官 西院」に祀られ 神祇官が祭祀を司ってきた神殿です 神祇官西院の西北に八神殿として 八社南北に東面して並んでいたと伝わります 現在は 宮中三殿の「神殿」において 祭祀は 継承していると云われています - [春日大社(奈良市春日野町)・摂社・末社 総覧](https://shrineheritager.com/kasugataisha/) - 春日大社の摂社・末社を総覧する案内記事です 御蓋山の禁足地に鎮座する本宮神社をはじめ 水谷神社・祓戸神社・風宮神社・若宮神社など境内外の諸社を 祭神・由緒・ご神徳・見どころとともに詳しく紹介 春日信仰の奥深さと境内社の魅力を知ることが出来ます - [春日大社(奈良市春日野町)〈『延喜式』春日祭神四座〔並 名神大 月次 新嘗〕〉](https://shrineheritager.com/kasuga-taisha-shrine/) - 春日大社(かすがたいしゃ)は 社記によると 神護景雲二年(768)・武甕槌命〈常陸国 鹿島神宮〉・経津主命〈下総国 香取神宮〉・天児屋根命〈河内国 枚岡神社〉・比売神〈河内国 枚岡神社〉を併せ 御蓋山(みかさやま)麓に四殿の社殿を造営し 四座が鎮座して 春日大社が創建されたと伝えています - [北野神社(日光市山内)〈日光二荒山神社の末社〉](https://shrineheritager.com/kitano-shrine/) - 北野神社(きたのじんじゃ)は 日光二荒山神社の末社です 寛文元年(1661)大宰府天満宮(福岡県)の別當である大鳥居氏の一族「大僧都法印 菅原信祐」(亀戸天神の創建者)が 天神信仰を広めるために「社殿建立の志」を立てて諸国を巡った時 大宰府天満宮よりこの地に勧請された由緒を持つ神社です - [熊野大神社(深谷市東方)〈『延喜式』白髪神社〉](https://shrineheritager.com/kumanodai-shrine/) - 熊野大神社(くまのだいじんじゃ)は 「伝説に日本武尊が東征に際し、当地を過ぎる時、里人に東の方は何れに当たるかと尋ねられ、東方の地名になった」と地名由来がある深谷市東方(ヒガシガタ)に鎮座します 7世紀後半~10世紀前半まで武蔵国幡羅郡(ハラノコオリ)の郡衙(郡役所)があり 延喜式内社 武蔵国幡羅郡 白髪神社の論社です - [伊奈頭美神社(松江市美保関町北浦)〈『出雲國風土記』伊奈須美社〉](https://shrineheritager.com/inazumi-shrine/) - 伊奈頭美神社(いなずみじんじゃ)は 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀る古社で『出雲國風土記733 AD.』に稲上浜(いなあげはま)にある稲積島(いなづみしま)と記される地に鎮座します 昔は島であったが 今は陸に続いています 島根郡 不在神祇官社「伊奈須美社(いなすみ)のやしろ」に比定されます - [住吉神社(下関市一の宮住吉)〈『延喜式』住吉坐荒御魂神社三座〔並名神大〕〉](https://shrineheritager.com/sumiyoshi-shrine-7/) - 住吉神社(すみよしじんじゃ)は 『日本書紀』に記される 神功皇后が三韓征伐より凱旋の折 神託を得て 住吉三神の荒魂(あらみたま)を穴門 山田邑(現在地)に奉斎したとこれが住吉神社の起こりとされます 式内社 住吉坐荒御魂神社三座(並名神大)(すみよしにゐますあらみたまの かみのやしろ みくら)・長門国一之宮です - [宇佐神宮(宇佐市南宇佐)〈『延喜式』八幡大菩薩宇佐宮〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/usa-jingu/) - 宇佐神宮(うさじんぐう)は 全国4万社余りの八幡社の総本宮です 豊前国一之宮でもあります 神亀2年(725)創建以来 皇室から「伊勢神宮」につぐ「第二の宗廟(sobyo)」としての崇敬を受けています 信仰の地となってから約1300年 境内に足を踏み入れれば 日本の息吹が伝わります - [熊野神社〈五社神社〉(甲府市右左口町)〈『延喜式』表門神社〉](https://shrineheritager.com/gosha-shrine-2/) - 五社神社(ごしゃじんじゃ)は 熊野神社とも呼ばれ 神仏習合時代は「七覚御神幸さん(しちかくみゆきさん)」と云われました 大宝二年(702)役小角が ここに至り 富士山霊峯の御神体を無事に開山され 小角が我が屋敷神として発起したと云う 延喜式内社 甲斐國八代郡 表門神社(うは〔へ〕との かみのやしろ)の論社です - [住吉神社(鴨居瀬)(対馬市美津島町鴨居瀬字住吉)](https://shrineheritager.com/sumiyoshi-shrine/) - 住吉神社(すみよしじんじゃ)は 九州から対馬島へと渡る゛鴨(かも)と云う名の小舟゛が着く゛鴨居瀬(かもいせ)゛に鎮座 山幸彦命と 豊玉姫命の出産故事 日本の皇室の歴史の始まりを造った神の生誕を祀る霊地です 後世になり 神功皇后が その故事に倣い 行宮とされて 住吉三柱神を祀ったのが 神社としての始まりとされています - [狹井坐大神荒魂神社(桜井市三輪)〈『延喜式』狭井坐大神荒魂神社 五座〉](https://shrineheritager.com/sainimasu-ohomiwa-aramitama-shrine/) - 狹井坐大神荒魂神社(さいにますおほみわあらみたまじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇の御代〈BC29~AD70〉渟名城稚姫命(ぬなきわかひめのみこと)が勅を奉じて創祀されたと伝わり 『延喜式AD.927』に鎮花祭社(はなしずめのまつりのやしろ)と記され 通称 花鎮社とも呼ばれます - [表門神社(市川三郷町上野)〈『延喜式』表門神社〉](https://shrineheritager.com/uwato-shrine-3/) - 表門神社(うわとじんじゃ)は 第7代 孝霊天皇二年の鎭座 第72代白河天皇の永保元年(1081)官より社頭並に五十一の末社迄 御造営を受け 併せて市川の郷を神領に賜り勅願所と認められ それより市川明神とも称せられていたと云う 延喜式内社 甲斐國八代郡 表門神社(うは〔へ〕との かみのやしろ)と伝わります - [御崎神社(甲府市美咲)〈『延喜式』宇波刀神社〈参考論社〉〉](https://shrineheritager.com/misaki-shrine-2/) - 御崎神社(みさきじんじゃ)は 初め甲斐の国主 武田家の居館のあった石和郷に鎮座 永正十六年(一五一九年)武田信虎公 つつじが崎に居城を構えた時 三の郭内に神殿建立し遷され 徳川時代 文禄三年(一五九四年)甲府城を築いた際 現在地に遷座 延喜式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)の参考論社です - [天降神社(高松市香川町)〈御旅所 御祭神降臨の地〉](https://shrineheritager.com/amakudari-shrine/) - 天降神社(あまくだりじんじゃ)は 田村大神示顕の地と云われ 往古 田村神社の御旅所とされていました 現在の神社は 享録年中(西暦一五二八~三二)大野北城内に神が降臨して霊異が現れ その啓示に基づき城の南東に天下権現(あまくだりごんげん)社(現在の天降神社)を建立したという - [田村神社(高松市一宮町)〈『延喜式』田村神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/tamura-shrine-2/) - 田村神社(たむらじんじゃ)は 社記によれば 古くは 定水井(さだみずのい)という深淵に水神〈龍神〉を祀っていた 和銅二年(709)行基によって その深淵の上に社殿が創建されたと伝わります 讃岐地方は 雨が少なく農耕には溜池を必要とする地域で この地に枯れることなく湧き出る水は 信仰と祭祀の根源に繋がったとされます - [奥宇賀神社(出雲市奥宇賀町)〈『出雲國風土記』・彌努婆社・布世社・布西社〉](https://shrineheritager.com/okuuga-shrine/) - 奥宇賀神社(おくうがじんじゃ)は 明治十五年(1882)に・奥宇賀 和田に鎮座「美奴麻神社」・奥宇賀 布勢に鎮座「布勢神社」・奥宇賀 池田に鎮座「伊勢神社」の三社を合祀して「奥宇賀神社」と称したものです 『出雲國風土記』の「彌努婆社」「布世社」「布西社」に該当します - [布勢神社(魚津市布施爪)〈『延喜式』〉布勢神社](https://shrineheritager.com/fuse-shrine/) - 布勢神社(ふせじんじゃ)は 社伝に 創立は第26代 継体天皇(507~531)の時とあります 鎮座地の布施川流域は 阿古屋野古墳群などの遺跡が多数あり 古代 北陸道の布勢驛があった 新川東部では最も早く拓けた地域とされます 延喜式内社 北陸道 越中国 新川郡 布勢神社(ふせの かみのやしろ)とされます - [宇波刀神社(韮崎市円野町下円井宇波刀)〈『三代實録』宇波刀神『延喜式』宇波刀神社〉](https://shrineheritager.com/uwato-shrine-2/) - 宇波刀神社(うわとじんじゃ)は 第18代反正天皇の第2皇女 円比女が 封を此の地に受け 洲羽国 諏訪明神を勧請して守護神と崇め奉った その後 養老2戊午(718年)国守 社殿を造営し合祀 『三代實録』に宇波刀神『延喜式』に甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)と云う 宇波刀神社諏訪大明神と称されました - [意宇杜(松江市竹矢町)〈天平路(客の森)〉『出雲國風土記』](https://shrineheritager.com/ounomori/) - 意宇杜(おうのもり)は 『出雲國風土記733 AD.』の中でも著名な国引き神話の最後に登場する舞台です 八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が「今は国引きを終えた」と勅された時「意恵・おゑ」と云われ 国庁が在った意宇辺り 田の中にある小山に杖を衝き立てた その上には木が茂っているので「意宇のもり」と伝わります - [『出雲國風土記』神門郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】12社](https://shrineheritager.com/kando-no-kori-fuzai-jingikan-no-yashiro/) - 『出雲國風土記』神門郡(kando no kori)条 所載の神社の数は「37社」です 「25社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社 「12社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha) - [『出雲國風土記』神門郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】25社](https://shrineheritager.com/kando-no-kori-jingikan-no-yashiro/) - 『出雲國風土記』神門郡(kando no kori)条 所載の神社の数は「37社」です 「25社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社 「12社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha) - [『出雲國風土記』島根郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】35社](https://shrineheritager.com/shimane-no-kori-fuzai-jingikan-no-yashiro/) - 島根郡の神社は 写本の順番で並んでいます 『出雲國風土記』島根郡(shimane no kori)条 所載の神社の数は「49社」です 「14社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社 「39社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha) - [『出雲國風土記』島根郡(shimane no kori)条 49社](https://shrineheritager.com/shimane-no-kori/) - 島根郡の神社は 写本の順番で並んでいます 『出雲國風土記』島根郡(shimane no kori)条 所載の神社の数は「49社」です 「14社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社 「39社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha) - [『三宅記』と『延喜式』に記される「神々」の関係性について](https://shrineheritager.com/miyakeki/) - 伊豆國(現在の静岡県伊豆半島・東京都伊豆諸島)に伝わる神々の起源や島々の誕生「島焼き(造島)」を記した社寺縁起(神話・伝説)の書『三宅記』 そこに登場する三嶋大明神の后や御子の神々は架空の存在ではなく 国書『延喜式』に記される式内社として国家に登録され実在します 「伊豆諸島の神々の位置づけ」を知るトライアルとなります - [宇波刀神社(甲府市宮原町)〈『三代實録』宇波刀神『延喜式』宇波刀神社〉](https://shrineheritager.com/uhato-shrine/) - 宇波刀神社(うはとじんじゃ)は 堀河天皇 寛治年中(1087~1094年) 新羅三郎義光の再建された延喜式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)と伝わります 武田氏(信虎)全盛の頃 源氏の氏神 石清水八幡宮にあやかり 八幡宮と改称され 近世には宇波刀神社とも称していたと云う - [宇波刀神社(北杜市明野町上手)〈『三代實録』宇波刀神『延喜式』宇波刀神社〉](https://shrineheritager.com/uwato-shrine/) - 宇波刀神社(うわとじんじゃ)は 社記には「創立は平城天皇 大同年中(806~810年)に在り」・『三代實録』に「貞觀八年九月甲辰従五位下 宇波戸神授ニ 従五位上」と神位の奉授あり・『延喜式』に記載 式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)と伝えています - [神明神社(笛吹市石和町窪中島)〈『延喜式』神部神社〉](https://shrineheritager.com/shinmei-shrine-7/) - 神明神社(しんめいじんじゃ)は 社記には「創祀は允恭天皇八年秋九月(西暦四一九年)当社は神部の神社にて 伊勢大神宮勧請最初の霊場石和総郷の鎮守なり」とあり 「石和御厨(いさわみくり)」〈伊勢外宮の御厨〉があった場所で 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です - [雄山神社 中宮祈願殿(立山町芦峅寺)〈『延喜式』雄山神社〉](https://shrineheritager.com/oyama-shrine-chugu-kiganden/) - 雄山神社 中宮祈願殿(おやまじんじゃ ちゅうぐうきがんでん)は 社伝に「文武天皇 大宝元年(701)景行天皇の後裔 越中国司 佐伯宿禰有若公の嫡男 有頼少年が白鷹に導かれ熊を追い岩窟に至り 雄山大神の神勅を奉じて開山造営された霊山」と伝わり 現在・立山頂上峰本社・芦峅中宮祈願殿・岩峅前立社壇の三社殿から成る宗教法人です - [二岡神社(御殿場市東田中)〈『延喜式』丸子神社〉](https://shrineheritager.com/ninooka-shrine/) - 二岡神社(にのおかじんじゃ)は 日本武尊東征の時 国司に命じて 二岡に木花之開耶姫命 四岡に天津彦火瓊々杵尊の社を造立したと云い その後一岡から七岡に分散していた7社の神々を合祀し 二岡七社大権現と号した 又 この地の川を丸子川と云い 延喜式内社 駿河國駿河郡 丸子神社(まろこの かみのやしろ)の論社とする説があります - [丸子神社(沼津市本)〈旧社地(現 御旅所)〉〈『延喜式』丸子神社〉](https://shrineheritager.com/maruko-shrine/) - 丸子神社(まるこじんじゃ)〈旧社地(現 御旅所)〉は 延喜式内社 駿河國駿河郡 丸子神社(まろこの かみのやしろ)の旧社地です 江戸時代の火災により焼夫し 現社地〈丸子神社 浅間神社(沼津市浅間町)〉に遷座しました 現在は 御旅所となっています - [丸子神社 浅間神社(沼津市浅間町)〈『延喜式』丸子神社〉](https://shrineheritager.com/maruko-asama-shrine/) - 丸子神社 浅間神社(まるこじんじゃ せんげんじんじゃ)は 2社の合殿 一扉二社で祀らます・丸子神社は 延喜式内社 駿河國駿河郡 丸子神社(まろこの かみのやしろ)で 江戸時代の火災により焼夫し旧社地〈現 御旅所〉から現在地に遷座・淺間神社は社家の傳に云く「當社は延暦年中 坂上田村麻呂東征の時の鎮座」と伝わります - [芹田神社(丹波市氷上町鴨内)〈『延喜式』芹田神社〉](https://shrineheritager.com/serita-shrine-2/) - 芹田神社(せりたじんじゃ)は 元は熊野神社と称し 慶長5年(1600)元禄末年(1704)遷座を行い 明治6年(1873)現在地に社殿再建 又 延喜式内社 丹波國氷上郡 芹田神社(せりたの かみのやしろ)は「鴨内の西南に「セドの宮」と称する大森あり 荒廃により 慶長八年(1603)宮の谷の熊野神社境内に遷座す」と云う - [舩井神社(南丹市八木町船枝字才ノ上)〈『延喜式』舩井神社〉](https://shrineheritager.com/funai-shrine/) - 舩井神社(ふないじんじゃ)は 創建は『和名抄』「三韓征伐の凱旋後 神功皇后が この地に住吉明神(舩井神社)を祀った」と伝わり 大堰川の辺「瀛居の社・太古の森(オコノモリ)」に鎮座していたが 慶雲2年(705)現在地に遷座 延喜式内社 丹波國船井郡 舩井神社(ふないのかみのやしろ)です 後 保延年間に春日四座の神を合祀 - [熱海 來宮神社(熱海市西山町)〈『文徳實録』『延喜式』阿豆佐和氣命神社〉](https://shrineheritager.com/kinomiya-shrine/) - 熱海 來宮神社(きのみやじんじゃ)は 江戸時代には「木宮明神」明治維新後「阿豆佐和気神社」その後「来宮神社」現在は「來宮神社」と称しています 延喜式内社 伊豆國賀茂郡 阿豆佐和氣命神社(あつさわけのみことの かみのやしろ)の参考論社でした 本殿横には国の天然記念物にも指定された樹齢二千百年の大楠の御神木があります - [諏訪大社 上社 前宮(茅野市)〈『延喜式』南方刀美神社 二座〔並 名神大〕〉](https://shrineheritager.com/suwataisha-kaminoyashiro-maemiya/) - 諏訪大社 上社 前宮は 4つの諏訪大社の中でも 諏訪の祭祀の発祥地とされます 古来より諏訪明神の住まう所で 現人神とされた諏方の大祝(オオホフリ)の居舘があり 上社の祭祀の中心地でした 神長官(ジンチョウカン)の守矢氏が 神秘にして原始的なミシャグジ神を降ろして 諏訪明神の重要な祭祀・神事を取り行った聖地とされています - [南宮大社(垂井町宮代)〈美濃国一之宮・『延喜式』仲山金山彦神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/nangu-taisha/) - 南宮大社(なんぐうたいしゃ)は 社伝によれば 神武天皇東征の時 金鵄を輔(たす)けて大いに霊験を顕された故を以て 不破郡 府中に鎮座したが 後に第十代 崇神天皇の御代 美濃仲山麓の現在地に奉遷された 古くは仲山金山彦神社と号したが 国府から南方に位するので南宮大社と云われる様になったと伝えます - [甲斐國 式内社 20座(大1座・小19座)について](https://shrineheritager.com/kahinokuni/) - 甲斐国(かひのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 甲斐国には 20座(大1座・小19座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [村山神社(亀岡市篠町森山先)〈『延喜式』村山神社〉](https://shrineheritager.com/murayama-shrine-2/) - 村山神社(むらやまじんじゃ)は 延喜式内社 丹波國桑田郡 村山神社(むらやまの かみのやしろ)と伝わります 社伝によれば「往古 社頭廣かりしも 兵燹にかかりて 焼失し 應永二十七年(1420)領主 渡邊六郎頼方 社殿を再興したることありと云ふ」と伝わり その頃八幡宮を勧請して 兩本殿が並立して祀られたとのこと - [阿豆佐和気命神社(利島村一番地)〈『文徳實録』『延喜式』阿豆佐和氣命神社〉](https://shrineheritager.com/azusawake-no-mikoto-shrine/) - 阿豆佐和気命神社(あずさわけのみことじんじゃ)は 利島の山の南側に阿豆佐和気命〈本宮〉 東側に姫神の下上命が鎮座しています 参拝の不便から村落内に夫妻を祭神として分祀遷座したとされます 『文徳實録』には「阿豆佐和氣命神」『延喜式』に伊豆國賀茂郡 阿豆佐和氣命神社(あつさわけのみことの かみのやしろ)と所載されます - [優婆夷宝明神社(八丈島 八丈町大賀郷)〈『延喜式』優波夷命神社・許志伎命神社〉](https://shrineheritager.com/ubaihomei-shrine/) - 優婆夷宝明神社(うばいほうめいじんじゃ)は 八丈島・八丈小島・青ヶ島の総鎮守として 御島神の后 いなはゑ后(優婆夷命)と その子 五郎の王子(許志伎命=宝明神)が祀られています 格式の高い延喜式内社が2つ〈・優波夷命神社(うはいのみことの かみのやしろ)・許志伎命神社(こしきのみことの かみのやしろ)〉鎮座します - [片菅神社(三宅島 神着 美茂井)〈『延喜式』片菅命神社〉](https://shrineheritager.com/katasuge-shrine/) - 片菅神社(かたすげじんじゃ)は 『三宅記(みやけき)』(鎌倉時代末期の作)によれば 三女〈三島大明神の后神 佐岐多麻比咩命(さきたまひめのみこと〉のお産みになられた 7番目の御子の名が「かたすけ」と呼ばれ この御子神が 当社の御祭神 片菅命(かたすげのみこと)延喜式内社 伊豆國賀茂郡 片菅命神社であるとされます - [椎取神社(三宅島 神着)〈『延喜式』志理太(乎)宜神社〉](https://shrineheritager.com/shiitori-shrine/) - 椎取神社(しいとりじんじゃ)は 平成12年(2000)噴火当時発生した大量の泥流により 笠木だけを残して埋まったかつての鳥居が残され ジオスポットとして有名です 拝殿から さらに南西に約100m程奥の森の中には 太古から変わらずに残る神秘的な聖域に聳え立つ溶岩の陰に 御本殿が祀られる 延喜式内社 志理太(乎)宜神社です - [神澤神社(三宅村伊豆 神座山)〈『延喜式』弖良命神社〉](https://shrineheritager.com/kanzawa-shrine/) - 神沢神社(かんざわじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される 伊豆國賀茂郡 弖良命神社(Tera no mikoto Shrine)に比定される格式の高い由緒ある神社です 三宅島の伊豆にある神座山の太古の森の中に 静かに鎮座しています - [南子神社(三宅島 神着)〈『延喜式』南子神社〉](https://shrineheritager.com/nago-shrine/) - 南子神社(なごじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の格式の高い由緒ある神社です 御笏神社の祭神「佐岐多麻比咩命(sakitamahime no mikoto)」の一番目の王子とされる「南子命(Nago no mikoto)」を御祭神として祀ります 神着の南方にある 南子山の原生林の中に鎮座しています - [御笏神社(三宅島 神着)〈『延喜式』佐伎多麻比咩命神社〉](https://shrineheritager.com/oshaku-shrine/) - 御笏神社(おしゃくじんじゃ)は 旧社地は三宅島の北東 神着(かみつき)の東郷(ひがしごう)に鎮座〔明治7年(1874)火山噴火で溶岩流の下になってしまいました〕 ご神託により永正13年(1516)現在地にご遷座 格式高く『延喜式』に所載「佐伎多麻比咩命神社」に比定され その他4つの式内社の論社を合祀する由緒ある古社です - [二宮神社跡(伊波乃比咩命神社 旧鎮座地)(三宅村坪田)〈『延喜式』伊波比咩命神社〉](https://shrineheritager.com/ninomiya-shrine-ruins/) - 二宮神社跡(にのみやじんじゃあと)は 伊波乃比咩命神社の 旧鎮座地です 三宅島では 度重なる火山活動によって 多くの神社で遷座が繰り返されています 当神社も 当初の鎮座地「坪田観音(Tsubota kannon)」から 坪田村小倉山「当地〈二宮神社跡〉」に遷座して 現在は 二宮神社(三宅島 坪田)に合祀されています - [坪田観音【旧蹟 伊波耶観音神社】(三宅島 坪田)〈『延喜式』伊波比咩命神社〉](https://shrineheritager.com/tsubota-kannon/) - 坪田観音(つぼたかんのん)は『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の由緒(格式ある歴史)を持っています 現在は「二宮神社(坪田)」に合祀されている「伊波比咩命神社(いはひめのみことの かみのやしろ)」の当初の鎮座地であると云われる「伊波耶観音神社(いわのかんのんじんじゃ)」の旧蹟です - [村山神社(土居町津根)〈『六国史』村山ノ神『延喜式』村山神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/murayama-shrine/) - 村山神社(むらやまじんじゃ)は 『温故録』に「天照大神に斉明天皇 御駐輦の時の創祀なるへし、齊明 天智 二天皇は、天武天皇 白鳳八年八月の奉祭にして 木像は齊明天皇 近侍の生像を摸造し、本社に納めらるものなりと云ふ」と見える 『六国史』村山ノ神・『延喜式』伊豫國宇摩郡 村山神社〔名神大〕(むらやまの かみのやしろ)です - [飯野山神社(石巻市飯野字外吉野戸場柄)〈『延喜式』飯野山神社〉](https://shrineheritager.com/iinoyama-shrine-2/) - 飯野山神社(いいのやまじんじゃ)は 『封内風土記』には「〈里人〉の口伝として「飯野村の雷電社〈現 飯野山神社(石巻市飯野字外吉野戸場柄)の境内社〉について 荒廃していた延喜式内社 陸奥國桃生郡 飯野山神社(いひのやまの かみのやしろ)の社地址に 天和年中(1681~84年)に里人が社を建てたもの」と記しています - [若宮神社(三宅島 伊豆)(后神社の境外 末社)〈『延喜式』片菅命神社〉](https://shrineheritager.com/wakamiya-shrine/) - 若宮神社は 后神社の境外社です 三宅一周道路から 伊豆岬灯台へと下る道路の左側 道路と海の間にある藪の中に小さな祠が鎮座しています 『三宅記』にある 三島大明神の三宅島の第三后神 佐岐多麻比咩命のお産みになられた7番目の御子の名が「かたすけ」と呼ばれ この若宮神社に祀られているとする説があります - [后神社(三宅島 伊ヶ谷)〈『延喜式』伊賀牟比賣命神社・片菅命神社・南子神社〉](https://shrineheritager.com/shrine-name/) - 后神社(きさきじんじゃ)は 御祭神 三島大明神の三宅島の后「伊賀牟比売命」が 幼い子を抱いて入水し 石になって海中に鎮まっていると『三宅記(みやけき)』に記される 延喜式内社 伊豆國賀茂郡 伊賀牟比賣命神社(いかむひめのみことのかみのやしろ)と伝わります 又 江戸時代に三宅島に流罪「禊教の教祖・井上正鐵の碑」もあります - [飯王子神社・酒王子神社(三宅島 神着)〈『三宅記』「安寧子」・「満寧子」の二神〉](https://shrineheritager.com/iioji-shrine-shuoji-shrine/) - 飯王子神社「安寧子」・酒王子神社「満寧子」は 『三宅記』にある(三宅島の大蛇の伝説)「大蛇退治」の伝承にまつわる神を祀ります 伝説では 三宅島の「天地今垢(伊古奈比咩命)」の御子神「安寧子」・「満寧子」の二神が 酒と飯を大蛇に与えて眠むらると 新島の二人の王子と後見の「剣の御子」が 大蛇を切り退治したと伝わります - [泊神社(新島村式根島)〈『延喜式』久爾都比咩命神社〉](https://shrineheritager.com/tomari-shrine/) - 泊神社(とまりじんじゃ)は 天然の良港 泊浦に鎮座 祭神 泊御途口大后明神(とまりみとのくち おほきさきみょうじん)を祀ります 『三宅記』に「あたら島〈新島〉に置來らせ みちのくの大后」とあり 『延喜式』に載る 伊豆國賀茂郡 久爾都比咩命神社(くにつひめのみことの かみのやしろ)とされます - [富賀神社(三宅島 阿古)〈延喜式内社 阿米都(和)氣命神社の論社〉](https://shrineheritager.com/toga-shrine/) - 富賀神社(とがじんじゃ)は もともとは 峯富賀平(雄山の8合目付近)に鎮座するも 噴火により 二島ヶ山(新富賀山(二富賀山)古錆浜の荒島神社へ遷座し その後 現在地の富賀山(海抜60.4m)中腹に鎮座したと伝わります 古来より伊豆七島の総鎮守「三島大明神」として 伊豆の三島大社の祭神の発祥地だとする説もあります - [伊古奈比咩命神社〈白濱神社〉(下田市白浜)〈『延喜式』伊古奈比咩命神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/ikonahime-no-mikoto-shrine/) - 伊古奈比咩命神社(いこなひめのみことじんじゃ)は 伊豆諸島の開拓神 御島神〈三嶋神〉 その后神 伊古奈比咩命が祀られます 神社縁起に「この神 三宅島よりここに遷り 後更に三島に遷座す」とあり三嶋大社の元宮 鎮座地 白浜海岸の丘陵「火達山(ひたちやま)」は 古代から伊豆半島から伊豆諸島に向けて神に祈り捧げる祭祀遺跡です - [日向神社(神津島村多幸湾)〈『三宅記』「たふたい王子」を祀る〉](https://shrineheritager.com/hyuga-shrine/) - 日向神社(ひゅうがじんじゃ)は 『三宅記』には「三嶋神が神集島(神津島)に「長浜の御前(阿波命神社の祭神)」を后として置かれ 生まれた長子は「たゝない王子」(物忌奈命神社の祭神) その弟 次子が「たふたい王子」(日向神社の祭神)とあり 神津島に鎮座する阿波命神社・物忌奈命神社・日向神社の3つの神社の由来が記されています - [物忌奈命神社(神津島村)〈『延喜式』物忌奈命神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/monoimina-no-mikoto-shrine/) - 物忌奈命神社(ものいみなのみことじんじゃ)は 六国史『續日本後紀』『文徳實録』に載る 延喜式内社 伊豆國賀茂郡 物忌奈命神社〔名神大〕(ものいみなのみことの かみのやしろ)です 『三宅記』には「三嶋神の本后 長浜の御前(阿波命神社の祭神)が神集島(神津島)に置かれ 生まれた長子「たゝない王子」が物忌奈命神社の祭神です - [阿波命神社(神津島村長浜)〈『文徳実録』阿波咩命神『延喜式』阿波神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/awa-no-mikoto-shrine/) - 阿波命神社(あわのみことじんじゃ)は 延喜式内社 伊豆國賀茂郡 阿波神社〔名神大〕(あはの かみのやしろ)です 『三宅記』には「三嶋神が神集島(神津島)に「長浜の御前(阿波命神社の祭神)」を后として置かれ 生まれた長子は「たゝない王子」(物忌奈命神社の祭神) その弟 次子が「たふたい王子」(日向神社の祭神)とあります - [阿豆佐和気命本宮・阿豆佐和気命陵墓(利島村南御神山)〈『延喜式』阿豆佐和氣命神社〉](https://shrineheritager.com/azusawake-no-mikoto-hongu/) - 阿豆佐和氣命(あずさわけのみこと)本宮(ほんぐう)・陵墓(みささぎ)は 太古に陵墓を神社として祀る時代があり 命の陵墓が元々の阿豆佐和氣命神社旧跡であった 後 本宮の地に遷座し 更に 六百年程前この地が氏子の参拝に不便の為 現在の利島村一番地の阿豆佐和氣命神社(明神様)に遷座 この地は〔本宮〕となったと口碑に云う - [大三王子神社(新島村大三山)〈『延喜式』多祁美加々命神社〉](https://shrineheritager.com/daisan-oji-shrine/) - 大三王子神社(だいさんおうじじんじゃ)は 新島開拓の地主神 大三王子明神を祀り 始め能登男(のとお)山に鎮座 貞享三年(1686)現在地に遷座と伝わる 「テイサム王子社」弟三王子明神は廃し相殿に祀られます 『三代実録』多都美加賀ヒ神・延喜式内社 伊豆國賀茂郡 多祁美加々命神社(たけみかかのみことの かみのやしろ)です - [波知加麻神社(伊豆大島 泉津木出場)〈『延喜式』波治神社〉](https://shrineheritager.com/hachikama-shrine/) - 波知加麻神社(はちかまじんじゃ)は 延喜式内社 伊豆國 賀茂郡 波治神社(はちの かみのやしろ)です 祭神は 明治十八年祠宮 藤井重利より東京府知事宛『神社明細帳』に゛大廣祇命゛ 古老の口碑や『三宅記』〈一名『三嶋大明神緣起』〉に「三島大神の后 波布比賣命 王子二人坐す 一人を次郎の王子すくない所」゛波知命゛とします - [大宮神社(伊豆大島 野増)〈『延喜式』阿治古神社〉](https://shrineheritager.com/ohmiya-shrine/) - 大宮神社(おおみやじんじゃ)は 元々は三原山の近くに阿治古(あじこ)と呼ばれる古い地域に集落があり 阿治古神社が鎮座していた たびたびの噴火降灰により 室町時代 文正二年(1466)大宮の現在地に遷座され その際に天照皇大神が合祀されたと云う 延喜式内社 伊豆國 賀茂郡 阿治古神社(あちこの かみのやしろ)です - [波布比咩命神社(大島 波浮港)〈『文徳實錄』波布比咩命神『延喜式』波布比賣命神社〉](https://shrineheritager.com/habuhime-no-mikoto-shrine-2/) - 波布比咩命神社(はぶひめのみことじんじゃ)は 「波浮ノ池」〈火山の火口に水を湛えたカルデラ湖で外海とは遮断されていた〉の畔に鎮座していました 元禄16年(1703)大津波によって外海と繋がり波浮湾となったと云う 『文徳實錄』波布比咩命神『延喜式』伊豆國 賀茂郡 波布比賣命神社(はふひめのみことの かみのやしろ)です - [火戸寄神社(三宅島 阿古)〈富賀神社 境内「四社の宮」見目宮の元宮〉](https://shrineheritager.com/hodori-shrine/) - 火戸寄神社は 「ホドリ」という社名です 三宅島では 噴火の噴気孔を「ホド」と呼ぶことから 山側にある「コシキ山噴火口(三宅島火山)」を祀る神社ともいわれています 富賀神社(Toga Shrine)の「四社の宮」見目宮(mime Shrine)の元宮とされます - [堂山神社(利島村)〈神宮社・神明社・熊野三社・第六天社の四社の合祀社〉](https://shrineheritager.com/donoyama-shrine/) - 堂山神社(どうのやまじんじゃ)は 元々は・神宮社を前田栄右衛門・神明社を前田嘉衛門・熊野三社を梅田三郎右衛門・第六天社を梅田太郎衛門がそれぞれ講元として各私邸に奉祀していたが この地に四社を総合し新規に合祀神社として明治初年代に創建されました 境内には 平安時代末期~室町時代末期にわたり築営が続いた祭祀遺跡があります - [飯野山神社(石巻市飯野字宮下北)〈『延喜式』飯野山神社〉](https://shrineheritager.com/iinoyama-shrine/) - 飯野山神社(いいのやまじんじゃ)は 社伝に「景行天皇の御宇 日本武尊 東夷征伐の折 この郷に本陣を定めた時 粮食欠乏して憂いた時に 三人の老翁が現れ 粮米を炊き尊に奉ると御感悦され 夷賊を平定して後 祠を建て之を祀る 飯野の地名これより起ると云う」延喜式内社 陸奥國桃生郡 飯野山神社(いひのやまの かみのやしろ)です - [飽波神社(藤枝市藤枝)〈『延喜式』飽波神社〉](https://shrineheritager.com/akunami-shrine/) - 飽波神社(あくなみじんじゃ)は 社伝によれば 第16代 仁徳天皇6年(318)10月の創建と伝わり 志太平野で最古の神社で 飽波郷一円の鎮守とされています かつて岡出山の山裾の小石の周りから清水が湧き出て諸病に霊験があったと伝えられて 川関大明神と称せられています - [駿河國 式内社 22座(大1座・小21座)について](https://shrineheritager.com/surukanokuni/) - 駿河国(するかのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 駿河国には 22座(大1座・小21座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [長濱神社(沼津市内浦長浜)〈『延喜式』長濱神社〉](https://shrineheritager.com/nagahama-shrine-2/) - 長濱神社(ながはまじんじゃ)は 『豆州志稿』などには「當社は 神集島〈神津島〉長濱神社〈阿波命神社(神津島村長浜)〉の分祠にして 阿波咩命を祭る」とあり 神津島(神集島)長浜に鎮座 阿波命神社〔名神大〕の分祀とする説がある 延喜式内社 伊豆國田方郡 長濱神社(なかはまの かみのやしろ)です - [差出神社(三宅島 錆ヶ浜)〈『三宅記』に載る「剣の御子」を祀る〉](https://shrineheritager.com/sashide-shrine/) - 差出神社(さしでじんじゃ)は 『三宅記(みやけき)』に記されている「大蛇退治の伝承」に登場する「剣の御子」が 当社の御祭神「剣の神」です 「剣の御子」は その剣で 大蛇を最初に退治したと記されていて 当社が鎮座する「錆ヶ浜(さびがはま)」の名前の由来は この 剣刀の錆 を落としたことに 由来すると云われています - [若宮神社(三宅島 阿古)〈『三宅記』三島大明神の随神四神の一柱 若宮〉](https://shrineheritager.com/wakamiya-shrine-2/) - 若宮神社(わかみやじんじゃ)は 三島大明神の随神四神の一柱「若宮(Wakamiya)」が祀られています 島では この随神4柱を祀る神社を通称「四社の宮」と云います 鎮座地は 阿古地区にあるスコリア丘〈噴石丘〉頂上の火口跡にあり おそらく 噴火前に「若宮」の元宮が鎮座していた場所(噴火の為不明)なのだろうと思います - [三嶋大社(三島市大宮町)〈延喜式内社 名神大社・伊豆國一之宮〉](https://shrineheritager.com/mishima-taisha/) - 三嶋大社(みしまたいしゃ)は 古くから伊豆諸島の噴火・造島活動を司る神として 朝廷の尊崇を受ける 伊豆国一之宮です 平安中期以降に伊豆国賀茂郡から現在地に移ったとされ 平安末期には源頼朝が 源氏の再興を願い参詣祈願の後 治承4年(1180)旗挙げを果たし 鎌倉武家政権を樹立し 鎌倉幕府崇敬の神社となり 現在に至ります - [久良濱神社〈高山様 出張〉(三宅島 坪田)〈『延喜式』久良恵命神社〉](https://shrineheritager.com/kurahama-shrine/) - 久良浜神社〈高山様 出張〉〈たかやまさま でばり〉は 昭和15~16年頃(1940~41)二宮神社(坪田)に合祀された式内社「久良濱神社(くらはまじんじゃ)の遥拝所」です 島民は「高山さんは 非常にこわい神様だとして恐れ「出張〈でばり〉」からおまいりし 本殿「高山さん」には足を踏み入れたことはない」 こちらから遥拝を - [来宮神社(伊豆市八幡)〈『延喜式』杉桙別命神社〉](https://shrineheritager.com/kinomiya-shrine-hatsuma/) - 来宮神社(きのみやじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「杉桙別命神社(すきほこわけのみことの かみのやしろ)」の論社です 別説には 藤原朝臣祐義公により貞和年中(1345~49)荒廃していた社殿に 来宮大明神を祀って新建とも伝わります 鳥居杉が見事です - [伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について](https://shrineheritager.com/itsunokuni/) - 伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [大武神社(丹波市春日町鹿場)〈『延喜式』芹田神社〉](https://shrineheritager.com/otake-shrine/) - 大武神社(おおたけじんじゃ)は 『特選神名牒〈明治9年(1876)〉』に延喜式内社 丹波國 氷上郡 芹田神社(せりたの かみのやしろ)の論社として「鹿場村は大武神社と稱し 社地の字を芹田伊森と云ひ 延寶七年山検地帳に字芹田とありて 神供田とするのみ 其他證とすべきものなし」と式内社の論社として挙げています - [加茂神社(玉野市木目)〈『延喜式』鴨神社(かもの かみのやしろ)〉](https://shrineheritager.com/kamo-shrine-10/) - 加茂神社(かもじんじゃ)は 社伝には「児島 三宅の祖・東郷太郎・加茂二郎・稗田三郎の三児がいて まんなかの加茂二郎は 中の加茂の庄をもらい この加茂二郎を祀ったお宮であるから中世には 加茂善児宮または善児宮といった呼ばれたと云う 又 一説には延喜式内社 備前國兒嶋郡 鴨神社(かもの かみのやしろ)であると云う - [鴨神社(吉備中央町上加茂)〈『延喜式』鴨神社〉](https://shrineheritager.com/kamo-shrine-8/) - 鴨神社(かもじんじゃ)は 明治以降の説では「弘仁二年(811)山城国愛宕郡加茂大明神を勧請」と云う『吉備温故秘録』など江戸時代の説は 祭神 鴨別命は京都 上賀茂神社からの勧請ではなく笠臣(笠臣国造)の祖 鴨別命を祀ったのに始まるとする説を挙げます 延喜式内社 備前國津高郡 鴨神社(かもの かみのやしろ)の論社です - [西利太神社(雲南市大東町清田)〈『延喜式』西利太神社〉](https://shrineheritager.com/serita-shrine/) - 西利太神社(せりたじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 神祇官社「世裡陀社(せりた)のやしろ」とされます 江戸期には「辛大明神(かのとみょうじん)」又「十二所権現」と称していました 明治初期に延喜式の「西利太神社」に改称しました - [宗形神社(岡山市北区大窪)〈『延喜式』宗形神社〉](https://shrineheritager.com/munakata-shrine-5/) - 宗形神社(むなかたじんじゃ)は 創建年代不祥ですが本殿の背後には古墳もあります 古代の山陽道での交通の要所 海が迫っていたこの地に 航海の守護神として 福岡県 宗像大社の神 道主貴(みちぬしのみち)を勧請したのであろうと云う 延喜式内社 備前國津高郡 宗形神社(むなかたの かみのやしろ)の論社です - [宗形神社(赤磐市是里)〈『延喜式』宗形神社〉](https://shrineheritager.com/munakata-shrine-4/) - 宗形神社(むなかたじんじゃ)は 延喜式内社 備前國赤坂郡 宗形神社(むなかたの かみのやしろ) 社伝に10代崇神天皇の御宇勧請 『古事記』に仁徳天皇が吉備国を訪れ 寵愛した黒日賣が青菜を摘んだので「やまかたに まけるあをなもきひひとゝ ともにしつめはたぬしくもあるか」と御製あり 里人は「山方の大宮」と称したと云う - [伊豫國 式内社 24座(大7座・小17座)について](https://shrineheritager.com/iyonokuni/) - 伊豫国(いよのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豫國 24座(大7座・小17座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [片山神社(赤磐市由津里)〈『延喜式』鴨神社三座〉](https://shrineheritager.com/katayama-shrine-2/) - 片山神社(かたやまじんじゃ)は 孝霊天皇の御宇七十二年 吉備若日子建王子が播磨を征せられ 籠もって祈り給うて再営 天平二年(730)本社建替て迦毛大御神社として祀られ 延喜式内社 備前國赤坂郡 鴨神社三座(かもの かみのやしろ みくら)となる 永承四年(1049)山上より遷座 片山大明神と改名 明治二年 片山神社となる - [香取伊豆乃御子神社(石巻市折浜竹沢)〈『延喜式』香取伊豆乃御子神社〉](https://shrineheritager.com/katoriizunomiko-shrine/) - 香取伊豆乃御子神社(かとりいづのみこじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 陸奥国 牡鹿郡 香取伊豆乃御子神社(かとりいつのみこ かみのやしろ)とされます 御祭神は 香取神宮の苗裔神(びょうえいしん)〈香取伊豆乃御子神(阿佐比古命)〉とされます - [鹿島御児神社(石巻市日和が丘)〈『延喜式』鹿嶋御兒神社〉](https://shrineheritager.com/kashimamiko-shrine/) - 鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)は 太古 関東の鹿島 香取 両神宮の祖神の御子が 共に命を受けて海路奥州へ下向し 石巻に上陸されたと伝わります その乗船が たまたま石巻の沿岸に到り停泊して錨を操作した際 石を巻上げたことから 石巻という地名の発祥をみたのだとの言い伝えがあります - [鴨布勢神社(赤磐市多賀)〈『延喜式』鴨神社三座・宗形神社〉](https://shrineheritager.com/kamo-fuse-shrine-2/) - 鴨布勢神社(かもふせじんじゃ)は 中古 紫明現と云い『吉備群書集成』に「創造時代不詳。社司之說に、古來より延喜式 宗形神社と云傳ふ。不審。」とあり 式内社 備前國赤坂郡 宗形神社(むなかたの かみのやしろ)と社司は伝える 又 式内社 備前國赤坂郡 鴨神社三座(かもの かみのやしろ みくら)ではないかともされます - [鴨布勢神社(赤磐市上仁保)〈『延喜式』鴨神社三座〉](https://shrineheritager.com/kamo-fuse-shrine/) - 鴨布勢神社(かもふせじんじゃ)は 鍋谷・西中・下仁保・西仁保・上仁保・西窪田の六か村の大氏宮で 陰暦十月十七・十八日の祭当日は御輿六体が集まって御神幸の儀があったと云う 延喜式内社 備前國赤坂郡 鴨神社三座(かもの かみのやしろ みくら)の参考論社です - [鴨神社(赤磐市仁堀西)〈『延喜式』鴨神社三座〉](https://shrineheritager.com/kamo-shrine-7/) - 鴨神社(かもじんじゃ)は 京都上加茂大明神の御分社として 明治初年迄は京都上加茂神社の社家松下氏 西池氏の両家が社務を統理し 本村で高百五十石を領し その収納で運営にあたっていた 延喜式内社 備前國赤坂郡 鴨神社三座(かもの かみのやしろ みくら)の論社です - [片山日子神社(瀬戸内市長船町土師)〈『延喜式』片山日子神社〉](https://shrineheritager.com/katayamahiko-shrine/) - 片山日子神社(かたやまひこじんじゃ)は 延喜式内社 備前國邑久郡 片山日子神社(かたやまひこのかみのやしろ)古来鎮座の神山から天喜3年(1055)現在地に遷座・社伝「片山日子神とは片山に坐す吉備津日子命の略称」・『吉備温故録』天日方奇日方命・『備前国志』『神社覈録』大山咋神・『神祇志料』賀茂片山御子神と祭神は諸説あり - [八幡神社(下田市河内)〈『延喜式』多祁美加々命神社〉](https://shrineheritager.com/hachiman-shrine-kawauchi/) - 八幡神社(はちまんじんじゃ)は 『南豆神祇誌 1928年』著者の足立鍬太郎氏によれば 大正6年(1917)の棟札には「八幡神社 旧称 王子神社」と記されていて 第三王子 則ち 多祁美加々命を祭った社と記しています 延喜式内社 伊豆國 賀茂郡 多祁美加々命神社(たけみかかのみことの かみのやしろ)の論社です - [広高神社〈若宮八幡宮 境内社〉(瀬戸内市邑久町)〈『延喜式』美和神社〉](https://shrineheritager.com/hirotaka-shrine/) - 廣高神社(ひろたかじんじゃ)〈若宮八幡宮 境内社〉は 美和神社 (広高山)〈延喜式内社 備前國邑久郡 美和神社(みわの かみのやしろ)の論社〉の本宮との説があります 元は 神坂(みわさか)〔現 才崎〕の巨岩の上に 才崎宮として鎮座していましたが 現在は若宮八幡宮の境内に広高神社として祀られています - [美和神社〈多賀神社 境内〉(瀬戸内市長船町磯上)〈『延喜式』美和神社〉](https://shrineheritager.com/miwa-shrine-7/) - 美和神社(みわじんじゃ)〈多賀神社 境内〉は 寛文6年(1666)寺社整理令により式内論社 福里美和神社を含む52社が合祀された 磯上の多賀神社境内の寄宮です 寛延2年(1749)福里美和神社は地元の願いを受け再興され 多賀神社境内には「古の美和神社の古跡」〈延喜式内社 美和神社(みわの かみのやしろ)〉の碑が残ります - [美和神社(瀬戸内市長船町福里)〈『延喜式』美和神社〉](https://shrineheritager.com/miwa-shrine-6/) - 美和神社(みわじんじゃ)は 延享3年(1746)寅12月18日 延喜式内社 備前國邑久郡 美和神社(みわの かみのやしろ)であると再興上願 延享4年(1747)3月御聞届 寛延2年(1749)社殿成神霊ヲ奉遷スとあり 福里へ奉遷 明治維新まで延喜式内社とされたが 後 明細帳編成の際 式外と改められました - [美和神社(長船町東須恵 字 広高山)〈『延喜式』美和神社〉](https://shrineheritager.com/miwa-shrine-5/) - 美和神社(みわじんじゃ)は 勧請年代は明確ではありませんが この地に7世紀前後に移住してきた須恵器の陶工集団と深い関係があり 鎮座する広高山は三和の峰とも呼ばれ 大神神社(奈良県桜井市)を勧請したと云う 延喜式内社 備前國邑久郡 美和神社(みわの かみのやしろ)の論社です - [夜比良神社(たつの市揖保町揖保上)〈『延喜式』阿波遲神社・夜比良神社〉](https://shrineheritager.com/yahira-shrine/) - 夜比良神社(やひらじんじゃ/やひろじんじゃ)は 御祭神 大国主命が出雲国を開拓され 因幡国を経て播磨国に入り 伊和神社(一宮町)に鎮座された後 揖保川に沿って南下され粒丘に足を留めて この地方を開き災禍を祓い除かれたと伝わる〔夜比良神社(やひらの かみのやしろ)阿波遲神社(あはじのかみのやしろ)〕二つの式内論社です - [古宮神社&天祇神社(たつの市揖西町小神)〈『延喜式』粒坐天照神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/furumiya-shrine/) - 古宮神社(ふるみやじんじゃ)&天祇神社(あまぎじんじゃ)は 古伝承に推古天皇2年(594)地元の有力者 伊福部連駁田彦がご神託を受け 天照国照彦火明命を祀ったことが始まりと云う 延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社〔名神大〕(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の中宮(旧鎮座地)&奥宮(ご祭神の降臨の地)です - [備前国 式内社 26座(大1座・小25座)について](https://shrineheritager.com/bizennokuni/) - 備前国(びぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 備前国には 26座(大1座・小25座)の神々が坐します 現在の論社について掲載しています - [梛八幡神社(たつの市神岡町沢田)〈『延喜式』粒坐天照神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/nagi-hachiman-shrine/) - 梛八幡神社(なぎはちまんじんじゃ)は 創立は不詳ですが 和銅6年(713)に編された『播磨風土記』をはじめ『播磨国式内外神社記』『峰相記』『播磨名所巡覧図絵』等に記載があり 古くから大社とされた延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社〔名神大〕(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社の一つです - [多賀八幡神社(姫路市林田町上伊勢)〈『延喜式』粒坐天照神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/hachiman-shrine-14/) - 多賀八幡神社(たがはちまんじんじゃ)は 『播磨国風土記』にみえる揖保郡林田里の「伊勢野」に比定される「上伊勢」に鎮座します 延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社〔名神大〕(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社の一つで『播磨名所巡覧図会』には伊勢村にあるとする説を載せています - [梛神社(姫路市林田町下伊勢)〈『延喜式』粒坐天照神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/nagi-shhrine/) - 梛神社(なぎじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇26年 天から十二の幡が降り その地に石碑を建てた その一つが八町四方に繁茂する社地の梛の大木に掛かり 天照大神が現れたと云う 延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社〔名神大〕(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社の一つです - [粒坐天照神社(たつの市龍野町日山)〈『延喜式』粒坐天照神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/iibonimasu-shrine/) - 粒坐天照神社(いいぼにます あまてらすじんじゃ)は 古伝承に推古天皇2年(594)地元の有力者 伊福部連駁田彦(いふきべのむらじふじたひこ)がご神託を受け 五穀豊穣の神様 天照国照彦火明命を祀ったことが始まりと云う 延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社〔名神大〕(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社です - [恵那神社 前宮本社(中津川市中津川字正ケ根)〈『延喜式』惠奈神社〉](https://shrineheritager.com/ena-shrine/) - 恵那神社(えなじんじゃ)は 恵那山伝説では「伊邪那伎神・伊邪那美神の夫婦神が神坂峠を越え美濃の地に入られ 天照大神を産んだ際 胞衣(えな 胎児を包んだ膜と胎盤)を納めたので恵那山〔胞衣山・胞山〕と云う」その山頂に奥宮本社・麓に前宮本社が鎮座しています 延喜式内社 美濃國惠奈郡 惠奈神社(えなの かみのやしろ)です - [石田神社(東大阪市岩田町)〈『延喜式』石田神社三座〉](https://shrineheritager.com/石田神社(東大阪市岩田町)〈『延喜式』石田神/) - 石田神社(いわたじんじゃ)は 社伝によると「欽明天皇の御宇(五三七~五七一)水田に御代の岩船があり御祭神の三柱神がその上に現われ そこで神社を築いてお祀りをした」と伝わる 延喜式内社 河内國若江郡 石田神社三座(いはたの かみのやしろ みくら)の論社です - [安仁神社(岡山市東区西大寺一宮)〈元 備前国 一之宮〉](https://shrineheritager.com/ani-shrine/) - 安仁神社(あにじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の名神大社です 備前国の総鎮守とされ 備前国の 元 一之宮で(現 一之宮は吉備津彦神社)創建から2600年以上とも伝えられる岡山県内でも屈指の古社であり 格式の高い大社とされています - [中臣印達神社(たつの市揖保町中臣) 〈『延喜式』名神大神 中臣印達神社〉](https://shrineheritager.com/nakatomi-idate-shrine/) - 中臣印達神社(なかとみ いだてじんじゃ)は 宝亀元年(770)創立と伝へ 延喜式内社 播磨国 揖保郡 中臣印達神社(名神大)(なかとみいんたちの かみのやしろ)とされ 又 式内社 阿波遅神社(あはちの かみのやしろ)を合祀します 更に鎮座地(中臣山)は『播磨国風土記』揖保郡「粒丘(いひほのをか)」に比定されます - [井関三神社(たつの市揖西町中垣内)〈『延喜式』粒坐天照神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/isekisan-shrine/) - 井関三神社(いせきさんじんじゃ)は 社伝に第十代 崇神天皇二年(BC88年)播磨国揖保郡 亀の山に天照国照彦火明櫛玉饒速日命が勅命により鎮座されたと云う 仁安元年(1166)祭神を揖保郡 亀の山の奥宮から現在の井関山へ遷座 延喜式内社 播磨国 揖保郡 粒坐天照神社〔名神大〕(いいほにます あまてらすかみのやしろ)の論社 - [荒神社(高山市江名子町)〈『三代實録』荏ノ神『延喜式』荏名神社〉](https://shrineheritager.com/aragami-shrine/) - 荒神社(あらがみしゃ/こうじんじゃ)は 古昔は女人禁制 境内樹木の枝葉を採ることも禁じたと伝わり 「荒神講社」を持ち飛騨一円に多くの熱心な信仰がいる「荒神さまの甘酒祭り」は世に知られ 五穀・養蚕・殖産興業に霊験あり 『三代實録』貞觀九年(八六七)荏ノ神・『延喜式』飛騨國大野郡 荏名神社(えなの かみのやしろ)と云う - [荏名神社(高山市江名子町)〈『三代實録』荏ノ神『延喜式』荏名神社〉](https://shrineheritager.com/ena-shrne/) - 荏名神社(えなじんじゃ)は 「稻置森」と呼ばれた森に小祠があり 文化十四年(1817)国学者の田中大秀翁が考証し 式内社として再建したものです 『三代實録』貞觀九年(八六七)荏ノ神・『延喜式』飛騨國大野郡 荏名神社(えなの かみのやしろ)の論社です - [蛟蝄神社 奥の宮(北相馬郡利根町立木)〈『延喜式』蛟蝄神社〉](https://shrineheritager.com/komo-shrine-okunomiya/) - 蛟蝄神社 奥の宮(こうもうじんじゃ おくのみや)は 現在の門の宮〔延喜式内社 下總國 相馬郡 蛟蝄神社(み(あ)つちの かみのやしろ)〕の場所が 水害や民家が近いという理由で 詳しい年代はわかりませんが 社殿を東の高台に遷座したものです 門の宮は取り壊すことなく 門の宮にもご祭神を分祀し今に至っています - [播磨国 式内社 50座(大7座・小43座)について](https://shrineheritager.com/harimanokuni/) - 播磨国(はりまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 播磨国 50座(大7座・小43座)の神社です 播磨国は 和銅6年(713) の詔によって『播磨国風土記』が編纂されていますので 7世紀には成立したとされています - [蛟蝄神社 門の宮(北相馬郡利根町立木)〈『延喜式』蛟蝄神社〉](https://shrineheritager.com/蛟蝄神社-門の宮(北相馬郡利根町立木)(『延喜/) - 蛟蝄神社 門の宮(こうもうじんじゃ かどのみや)は 第7代 孝霊天皇3年(前228年)に 水神 弥都波能賣命・第42代 文武天皇2年(698)に 土神 波邇夜須毘賣命を祀り創建と云う 又 日本武尊が東征の時 文馬を木に繋ぎ祈願をしたと伝えられる 延喜式内社 下總國 相馬郡 蛟蝄神社(み(あ)つちの かみのやしろ)です - [伊波多神社(吉野郡天川村和田)〈『延喜式』伊波多神社〉](https://shrineheritager.com/ihata-shrine/) - 伊波多神社(いはたじんじゃ)は 延喜式内社 大和国吉野郡 伊波多神社(いはたの かみのやしろ)の論社です 又 神社の裏を流れる天ノ川の明神淵で 村人が光るものを見つけ相談して引き上げてみると一口の剣でした その剣を氏神のご神体としてお祀りしてきたが この剣は 後醍醐天皇の御用剣だったと伝えられています - [八幡神社(敦賀市三島)〈『延喜式』石田神社〉](https://shrineheritager.com/hachiman-shrine-13/) - 八幡神社(はちまんじんじゃ)は 社伝に「第15代応神天皇が皇太子の時に武内宿祢を従えて 気比神宮に参拝されました折に 浦人が この地に砂を盛り 地を清めて 行宮を建立した」と伝わり 延喜式内社 越前國敦賀郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社で「石田君之祖 即ち 石田大神」を大宝4年(704)に奉祀された社です - [兵主神社(壱岐市芦辺町深江本村触)〈『延喜式』兵主神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/hyosu-shrine/) - 兵主神社(ひょうすじんじゃ)は 元々は日吉山王権現と称し奉っていた 延宝四年(1676)〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉により 当社を聖母神社と査定・聖母神社〈現 聖母宮〉を日吉山王権現と査定・その後 この処置が誤りであると藩も認め 聖母宮は元に戻り 当社は 式内社 壱岐郡 兵主神社 名神大と比定されています - [石田神社(鯖江市石田上町)〈『延喜式』石田神社・石田神社〉](https://shrineheritager.com/iwata-shrine-2/) - 石田神社(いわたじんじゃ)は 社記に「神日本磐余彦尊 越園巡幸し石田に宿し給ひ懐中より玉串を出し 石田彦に授けて云はく 云々」とあり 神武天皇の頃と記します 延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社で 同じく式内社 越前國敦賀郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の参考論社とも云われています - [春日神社(福井市石畠町)〈『延喜式』石田神社〉](https://shrineheritager.com/kasuga-shrine-5/) - 春日神社(かすがじんじゃ)は 慶長以前創立と伝わり 明治四十三年九月 中山村三五番地字村北原の硲神社(はさまじんじゃ)に合併 のち再び現在地(石島部落の末端の丘陵地)に遷座された 延喜式内社 越前國坂井郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社です - [美濃國(みののくに)の 式内社 39座(大1座・小38座)について](https://shrineheritager.com/minonokuni/) - 美濃国(みののくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 美濃国には 39座(大1座・小38座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [飛騨國(ひだのくに)の 式内社 8座(並小)について](https://shrineheritager.com/hidanokuni/) - 飛騨国(ひだのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社一覧表です 飛騨国には 8座(並小)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [寒川神社(千葉市中央区寒川町)〈『延喜式』寒川神社〉](https://shrineheritager.com/samukawa-shrine-2/) - 寒川神社(さむかわじんじゃ)は 一説には延喜式内社 下總國千葉郡 寒川神社(さむかはの かみのやしろ)の論社とされます 御祭神は 寒川比古命・寒川比賣命 配祀神に天照皇太神の御三神を祀り 神明様または伊勢神明様(いせのみょうじんさま)と呼ばれていました 明治元年(1868)社号を寒川神社に改称しています - [飛騨一宮 水無神社(高山市一之宮町)【前編】](https://shrineheritager.com/minashi-shrine/) - 水無神社(みなしじんじゃ)は 飛騨國一之宮として 諸願成就を祈る人の姿が絶えず 飛騨高山一円の里人が「心の拠り所」として信仰しています 御祭神は 「水無大神(minashi no okami)」として 主祭神と十四柱の相殿神を奉祀しています - [下総國 式内社 11座(大1座・小10座)について](https://shrineheritager.com/shimofusanokuni/) - 下緫国(しもふさのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 下緫国には 11座(大1座・小10座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [二宮神社(船橋市三山)〈『延喜式』寒川神社・茂呂神社〉](https://shrineheritager.com/ninomiya-shrine-3/) - 二宮神社(にのみやじんじゃ)は 社伝によれば 創建は弘仁年間(810~823)とされます 延喜式内社 下總國千葉郡 寒川神社(さむかはの かみのやしろ)の論社とされ 又 延喜式内社 下總國 葛餝郡 茂侶神社(もろの かみのやしろ)の論社ともされます - [三輪茂侶神社(流山市三輪野山)〈『三代實録』茂侶神『延喜式』茂侶神社〉](https://shrineheritager.com/miwa-moro-shrine/) - 三輪茂侶神社(流山市三輪野山)は 三輪野山の北側に半円形状につき出た台地の中央に鎮座します 大和三輪の大神神社を勧請したものと伝わり 以前は地名にちなみ「三輪神社」と呼ばれていました 延喜式内社 下總國 葛餝郡 茂侶神社(もろの かみのやしろ)の論社となっています - [三輪神社(吉川市三輪野江)〈『三代實録』茂侶神『延喜式』茂侶神社〉](https://shrineheritager.com/miwa-shrine-4/) - 三輪神社(みわじんじゃ)は 元和年中(1615~1623年)三輪野山の茂呂神社より そのご神体が分霊され祭られたのが 当郷の三輪の社とされます 享保三年(1718)には神祇道官領 卜部兼敬によって正一位三輪大明神の宗源宣旨を受けており 延喜式内社 下總國 葛餝郡 茂侶神社(もろの かみのやしろ)の論社となっています - [茂侶神社(松戸市小金原)〈『三代實録』茂侶神『延喜式』茂侶神社〉](https://shrineheritager.com/moro-shrine/) - 茂侶神社(もろじんじゃ)は 延喜式内社 下總國 葛餝郡 茂侶神社(もろの かみのやしろ)の論社となっています 詳細は不明ですが 最初に論社と考えたと伝わるのは水戸光圀公です この時 各種資料には 鎮座地が「栗ヶ沢」となっています - [茂侶神社(船橋市東船橋)〈『三代實録』茂侶神『延喜式』茂侶神社〉](https://shrineheritager.com/moro-shrine-2/) - 茂侶神社(もろじんじゃ)は かつての景色を「海濱に臨みたる砂山にて奇麗なり遠く望めば 上州碓氷が嶽・秩父山•富士山•相州大山•房州館山•上總鹿野山まで見えて景色殊によし」とあります 延喜式内社 下總國 葛餝郡 茂侶神社(もろの かみのやしろ)の論社となっています - [天穂日命神社(伏見区石田森西)〈『延喜式』天穂日命神社・石田神社〔大 月次新嘗〕〉](https://shrineheritager.com/ameno-hokonomikoto-shrine/) - 天穂日命神社(あめのほひのみことじんじゃ)は 『三代實録』貞觀四年(862)六月に官社に預り・神階を正六位上から從五位下を授った 式内社 山城國宇治郡 天穂日命神社(あめのほひのみことの かみのやしろ) 又鎮座地は『万葉集』に多く詠まれた名所「石田の森」にあった式内社 山城國久世郡 石田神社〔大月次新嘗〕とも云われます - [石田神社(八幡市岩田茶屋ノ前)〈『延喜式』石田神社〔大 月次 新嘗〕〉](https://shrineheritager.com/ishida-shrine-2/) - 石田神社(いしだじんじゃ)は 社伝には 延暦六年(787)三月十一日 御神託「山科 石田神を久世郡石田に遷座せよ」があり当地に遷座したと云う 八幡市岩田には石田神社が当社と(八幡市岩田里)に2ヶ所あり どちらも延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕(いはたの かみのやしろ)の論社となっています - [石田神社(八幡市岩田里)〈『延喜式』石田神社〔大 月次 新嘗〕〉](https://shrineheritager.com/ishida-shrine/) - 石田神社(いしだじんじゃ)は 承應年中(1652~55年)火災に罹り 創立由緒などは不明ですが 鎮座地 八幡市岩田には2座の石田神社 当社(八幡市岩田里)と(八幡市岩田茶屋ノ前)があり どちらも延喜式内社 山城國久世郡 石田神社〔大 月次 新嘗〕(いはたの かみのやしろ)の論社となっています - [棚倉孫神社(京田辺市田辺棚倉)〈『延喜式』棚倉孫神社〔大 月次新嘗〕・天神社〉](https://shrineheritager.com/tanakurahiko-shrine/) - 棚倉孫神社(たなくらひこじんじゃ)は 社伝に推古天皇31年(623)相楽郡棚倉ノ庄より高倉下命を勧請とあり 『三代實録』貞観元年(859)正月27日条「棚倉孫神」に従五位上を叙す 又二つの式内社 山城國 綴喜郡(①棚倉孫神社〔大月次新嘗〕(たなくらひこの かみのやしろ)②天神社(あまつかみのやしろ)の論社です - [天神社(京田辺市松井向山)〈『延喜式』天神社〉](https://shrineheritager.com/ten-shrine/) - 天神社(てんじんじゃ)は 社伝によると もとは松井交野ヶ原(かたのがはら)に創祀されたものを現在の地 松井向山に遷座したと云う 明応2年(1493)に社殿が造営された記録も残っています 延喜式内社 山城國 綴喜郡 天神社(あまつかみのやしろ)の論社です - [朱智神社(京田辺市天王高ケ峯)〈『延喜式』朱智神社・天神社〉](https://shrineheritager.com/shuchi-shrine/) - 朱智神社(しゅちじんじゃ)は 社伝では 仁徳天皇のとき現在地より西方の西峰頂上に創建され 宣化天皇元年(五三五)天王号を付け「朱智天王」と称し 桓武天皇のとき神託に依り今の地に遷ったとされます 現在 二つの式内社〔山城國 綴喜郡①朱智神社(すちの かみのやしろ)②天神社(あまつかみのやしろ)〕の論社となっています - [高椅神社(小山市高椅)〈日本一社禁鯉宮(キンリノミヤ)〉](https://shrineheritager.com/takahashi-shrine-2/) - 高椅神社(たかはしじんじゃ)は 日本料理の祖神「磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)」を祀り「料理の神様」として信仰を集めます 長元2年(1029)には 社域に掘った井戸から大きな鯉が出たため奇異と奏上し 誠に霊異なことと思召され「日本一社禁鯉宮(キンリノミヤ)」の勅願を賜わったとされます - [江文神社(京都市左京区大原野村町)〈『延喜式』伊多太神社〉](https://shrineheritager.com/ebumi-shrine/) - 江文神社(えぶみじんじゃ)は 古くは江文山とも称した金毘羅山の頂上で朝日の一番早く当たるところに祀られていた神々を平安時代末期に山麓に社を建造し鎮座願ったと云う 伴信友の著した『神名帳考証土代』には延喜式内社 山城國 愛宕郡 伊多太神社(いたたの かみのやしろ)の論社とされています - [崇道神社(京都市左京区)〈『延喜式』出雲髙野神社・小野神社二座・伊多太神社〉](https://shrineheritager.com/sudo-shrine/) - 崇道神社(すどうじんじゃ)は 桓武天皇の実弟 早良親王が 藤原種継暗殺事件に連座 幽閉 途中無実を主張し絶食死した 天皇の近親者の死 疫病が流行が続き 親王の祟りとされ 崇道天皇の追号を贈り 怨霊を鎮めるために創建されたと云う 3つの式内社〔出雲髙野神社・小野神社二座・伊多太神社〕が 境内社として祀られています - [岩上神社(京都市上京区大黒町)〈『延喜式』大柴神社〉](https://shrineheritager.com/iwagami-shrine-2/) - 岩上神社(いわがみじんじゃ)は もとは二条堀川付近にあったが 徳川家康の二条堀川城築城時 岩上通六角へ 更に後水尾天皇の女御の御所へと移されると 小僧に化けるなどの怪異が絶えず 雲乗院と云う真言宗の僧が今の地に安置し寺としたと伝わります 延喜式内社 山城國 愛宕郡 大柴神社(おほしはの かみのやしろ)の論社でもあります - [神明神社(京都市左京区大原草生町)〈『延喜式』大柴神社〉](https://shrineheritager.com/shinmei-shrine-6/) - 神明神社(しんめいじんじゃ)は 飛鳥時代に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられる天台宗の尼寺「寂光院(じゃっこういん)」の裏山中腹〈北西〉に鎮座します 延喜式内社 山城國 愛宕郡 大柴神社(おほしはの かみのやしろ)の論社ともされます - [岩戸落葉神社〈『延喜式』堕川神社・天津石門別稚姫神社〔名神大月次新嘗〕・大柴神社〉](https://shrineheritager.com/iwato-ochiba-shrine/) - 岩戸落葉神社(いわとおちばじんじゃ)は 岩戸社 落葉社の2社が 堕川社の相殿社となり 現在地に遷座 岩戸落葉神社と称されるようになった ①式内社 山城國 葛野郡 堕川神社 ②式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕 ③式内社 山城國 愛宕郡 大柴神社 三つの式内社の論社とも云う - [越前國 式内社 126座(大8座・小118座)について](https://shrineheritager.com/echizennokuni/) - 越前国(えちぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 越前国には 126座(大8座・小118座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [嚴島神社(京都市北区雲ケ畑)〈『延喜式』天津石門別稚姫神社〔名神大 月次 新嘗〕〉](https://shrineheritager.com/itsukushima-shrine-4/) - 嚴島神社(いつくしまじんじゃ)は 平安京造営の際に用材を伐り出した地域と云われる雲ヶ畑に鎮座します 平安時代以前からの集落で 祭神の天津石門別稚姫が出現したという石門岩が本社後ろの山麓にあり 延喜式内社 山城國 葛野郡 天津石門別稚姫神社〔名神大 月次新嘗〕(あまついはとわけ わかひめの かみのやしろ)とも云われます - [大祭天石門彦神社(浜田市相生町)〈『延喜式』大祭天石門彦神社〉・石見國三之宮](https://shrineheritager.com/omatsuri-amenoiwatohiko-shrine/) - 大祭天石門彦神社(おおまつりあめのいわとひこじんじゃ)は 石見の国三之宮で 創立年代は不詳ですが 第十五代 応神天皇の朝 阿波忌部族が石見の山守部となった時に勧請と伝えられている延喜式内社 石見國 那賀郡 大祭天石門彦神社(おほまつり あめの いはかとひこの かみのやしろ)です - [茨木神社(茨木市元町)&〈奥宮〉天石門別神社〈『延喜式』天石門別神社〉](https://shrineheritager.com/ibaraki-shrine/) - 茨木神社(いばらきじんじゃ)&〈奥宮〉天石門別神社(あめのいわとわけじんじゃ)は 大同2年(807)坂上田村麿が荊切(いばらき)里をつくった時 天石門別神社が今日の宮元町に鎮座 元和八年(1622)茨木神社の社殿修築の時 延喜式内社 攝津國嶋下郡 天石門別神社(あまのいはとはけの かみのやしろ)を奥宮として現在地に遷座 - [山城國 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)](https://shrineheritager.com/yamashironokuni/) - 山城国(やましろのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 山城国 の122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)の神社のことです - [天太玉命神社(橿原市忌部町)〈『延喜式』太玉命神社四座〔並 名神大 月次 新嘗〕〉](https://shrineheritager.com/ameno-futotama-no-mikoto-shrine/) - 天太玉命神社(あめのふとたまのみことじんじゃ)は この地に忌部宗家が斎部氏を称し土着 自らの祖先と斎部氏に縁故ある神霊を祀ったのが当社の起源 式内社 大和國 高市郡 太玉命神社四座〔並名神大月次新嘗〕(ふとたまのみことのかみのやしろ よくら)又 同じく式内社 天津石門別神社(あまついはとわけのかみのやしろ)の論社 - [天津石門別神社(高取町越智)〈『三代實録』天石戸別神『延喜式』天津石門別神社〉](https://shrineheritager.com/amatsu-iwatowake-shrine/) - 天津石門別神社(あまついわとわけじんじゃ)は 越智氏居館跡の西にあり元暦二年(1185)越智家の祖 親家が戦場守護神として創祀『越智氏系図』 古来 九頭神社と称した 明治八年(1875)奈良県示達により延喜式内社 大和國 高市郡 天津石門別神社(あまつ いはとわけの かみのやしろ)に治定され社名も改称されたが根拠は不明 - [水尾神社(高島市拝戸)〈『続日本紀』『三代実録』三尾神・『延喜式』水尾神社〉](https://shrineheritager.com/mio-shrine/) - 水尾神社(みおじんじゃ)は 元々は(河南社 河北社)二座がありましたが 現在は河南社に統合されています 河北社の祭神 振姫〔第26代 継体天皇の生母〕は 当社拝殿を産所として生まれたと伝わります 継体天皇 延喜式内社 近江國 高嶋郡 水尾神社〔並 名神大 月次 新嘗〕(みをの かみのやしろ ふたくら)です - [長田神社(高島市永田)〈『延喜式』長田神社〉](https://shrineheritager.com/nagata-shrine-2/) - 長田神社(ながたじんじゃ)は 社伝によれば 天安2年(858)の創立と伝う 御祭神は事代主神一柱でしたが 三尾川〈和田打川〉洪水の爲 水尾神社の河北社〈天鈿女命〉が流れて 社頭に留り里人が後に神霊を事代主神と同殿に奉遷奉斎したと伝わる 延喜式内社 近江國 高嶋郡 長田神社(なかたの かみのやしろ)です - [神高槻神社(長浜市高月町高月)〈『延喜式』神髙槻神社〉](https://shrineheritager.com/kamitakatsuki-shrine/) - 神高槻神社(かみたかつきじんじゃ)は 往古 宇根野ヶ原字栗原に創建 槻(つき)〈ケヤキ(欅)の古名〉の巨木があり 春日神の降臨した鎭座の地と伝わり 天平年間に祠を立て氏神様として祀られたと云う その後 村の発展に伴い 此の地に遷宮された 延喜式内社 近江國 伊香郡 神髙槻神社(かむたかつきの かみのやしろ)です - [由岐神社(京都市左京区鞍馬本町)〈都の北方鎮護の社〉](https://shrineheritager.com/yuki-shrine-2/) - 由岐神社(ゆきじんじゃ)は 天慶年間〈938~947年〉世情不安となった時 天下泰平と万民幸福を祈念し 朱雀天皇が勅により 元は 宮中〈京都御所〉に祀られていた由岐大明神〈大己貴命・少彦名命〉を 都の北方にあたる鞍馬山の地に遷宮をして 鞍馬寺の鎮守社とし 都の北方鎮護を仰せつけられたのが始まりです - [御蔭神社(京都府京都市左京区上高野東山)〈下鴨神社 境外摂社〉](https://shrineheritager.com/mikage-shrine/) - 御蔭神社(みかげじんじゃ)は 太古 賀茂の大神が降臨された所〈御生山(みあれやま)〉と所伝があり 現在でも 葵祭に先立って 祭神を降臨地である御蔭山から賀茂社へ迎える御生(みあれ)神事が行われています 綏靖天皇の御代(BC581)に創建起源とされ 二つの式内社〈①出雲髙野神社②小野神社二座 鍬靫〉の論社でもあります - [森本神社(長浜市高月町森本)〈『延喜式』神髙槻神社・天岩門別命神社〉](https://shrineheritager.com/morimoto-shrine/) - 森本神社(もりもとじんじゃ)は 社伝に「往古は別大名の神と称し 本村坤の方に鎮座 天正の兵火に罹り社殿を焼失 村内大将軍の森へ合祀」と云う 明治元年を森本神社と改称 現在 近江國 伊香郡の二つの式内社①神髙槻神社(かむたかつきの かみのやしろ)②天岩門別命神社(あめのいはかとわけのみことの かみのやしろ)の論社です - [天比比岐命神社(長浜市高月町高野字丸山)〈『延喜式』天比比岐命神社〉](https://shrineheritager.com/ameno-hihikinomikoto-shrine/) - 天比比岐命神社(あめのひひきのみことじんじゃ)は 『近江伊香郡志』には「天比々岐神社 大字高野小字丸山 祭神 天太玉命 祭日九月九日 創建は神亀元年にして昔 日置部祖神 天太玉命の御神靈を奉じて此地に來り給ひしによると傳ふ」とある 延喜式内社 近江國 伊香郡 天比比岐命神社(あめの ひひきのみことの かみのやしろ)です - [高野神社(長浜市高月町高野)〈『延喜式』髙野神社〉](https://shrineheritager.com/takano-shrine-5/) - 高野神社(たかのじんじゃ)は 社伝に人皇第四十五代 聖武天皇 神龜元年(724)創立にして靈験ある神とされたが その後 衰退し 稱徳天皇 寶龜二年(771)再興して旧に復せりと云う この地の祖 高野之祝が その始祖 大名草彦命を祀った 延喜式内社 近江國 伊香郡 髙野神社(たかのの かみのやしろ)とされます - [横見神社(真庭市社字加佐美山)〈『三代實錄』横見神『延喜式』横見神社〉](https://shrineheritager.com/yokomi-shrine-3/) - 横見神社(よこみじんじゃ)は 六国史『三代實錄』貞觀六年(864)八月十五日己巳 美作國從五位下 横見神 授從五位上とあり『延喜式』には美作國 大庭郡 横見神社(よこみの かみのやしろ)と所載がある由緒ある古社です 社殿は保延四年二月(1138)・貞治五年(1366)九月・文明一一年(1479)二月に再建と伝わります - [高野神社(岩美郡岩美町延興寺)〈『延喜式』髙野神社〉](https://shrineheritager.com/takano-shrine-3/) - 高野神社(たかのじんじゃ)は 延喜式内社 因幡國 巨濃郡 髙野神社(たかのの かみのやしろ)の論社 因幡誌に「昔 二上山の南の尾髙野坂にありしを中古この地に遷す」とあり 近世まで「鐘撞大明神」と称した 明治元年〈若一王子 國常立尊〉〈神明宮 天照大神〉〈八幡宮 誉田別命〉〈神位社 倉稲魂命〉の4柱を合祀し高野神社と改称 - [石見國(いわみのくに)の 式内社 34座(並小)について](https://shrineheritager.com/iwaminokuni/) - 石見国(いわみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 石見国には 34座(並小)の神々が坐します 現在の論社についても掲載しています - [石門別神社(岡山市北区大供表町))〈『延喜式』石門別神社〉](https://shrineheritager.com/iwatowake-shrine/) - 石門別神社(いわとわけじんじゃ)は 延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)の論社ですが 備前國御野郡には式内社 石門別神社が二社あり どちらの論社とは確定判別できていません 『神社明細帳』に「御野郡伊福郷の大安寺山に祀られていたのを延喜6年(906)正月に現在の場所へ遷座した」と記されます - [神服神社(高槻市宮之川原元町)〈『延喜式』神服神社〉](https://shrineheritager.com/kamuhatori-shrine-shimpuku-shrine/) - 神服神社(かむはとりじんじゃ)は 第19代 允恭天皇(インギョウテンノウ)〈在位412~453年頃〉の時代に服部氏の氏神として創建 この地は服部連(ハトリノムラジ)の本拠地とされ「服部神(ハトリノカミ)」と称した古社です『延喜式神名帳』(927年12月編纂)には「神服神社(カムハトリノカミノヤシロ)」と所載されます - [石門別神社(岡山市北区奥田南町)〈『延喜式』石門別神社〉](https://shrineheritager.com/iwatowake-shrine-2/) - 石門別神社(いわとわけじんじゃ)は 旧号「石神宮」中古「八幡宮」と称されました 延喜式内社 備前國 御野郡 石門別神社(いはとわけの かみのやしろ)として 寛延三年(1750)十二月「石門別神社」に改号されました 備前國 御野郡には式内社 石門別神社が二社あり 論社も二社あり いづれが どちらかは確定判別できていません - [大和國 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)](https://shrineheritager.com/yamato-shikinaisha/) - 大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです - [天石門別神社(美作市滝宮)〈『三代實録』天石門別神『延喜式』天石門別神社〉](https://shrineheritager.com/ame-no-iwatawake-shrine/) - 天石門別神社(あめのいわとわけ じんじゃ)は 第10代崇神天皇の御代 四道将軍 大吉備津彦命が 吉備地方平定報賽のため自ら鎮斎したと伝えられます 『三代實録』貞観5年 神階従五位下から従五位上に昇叙せられ 『延喜式』に美作國 英多郡 天石門別神社(あめいはとわけの かみのやしろ)とある式内社です - [高野神社(津山市二宮)〈美作國二之宮『三代實録』髙野神『延喜式』髙野神社〉](https://shrineheritager.com/takano-shrine-2/) - 高野神社(たかのじんじゃ)は 美作國二之宮 社伝に吉井川の河原 碫馭盧岩(おのころいわ)を磐境として祀ったのが始まりと伝え のち第27代安閑天皇二年(536)十一月社殿創建と云う 祭神一座 彦波限建鵜葺草葺不合尊で 『三代實録』髙野神・『延喜式』美作國 苫東郡 髙野神社(かうやの かみのやしろ)の論社です - [木葉神社(橿原市雲梯町)〈『延喜式』川俣神社 三座〔並 大 月次 新嘗〕〉](https://shrineheritager.com/konoha-shrine/) - 木葉神社(このはじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年12月編纂)』所載 大和国 髙市郡 川俣神社三座(並大月次新嘗)(かわまたの かみのやしろ さんざ)(だい つきなみ にいなめ)とされています 創建・由緒は不詳ですが当初は この地に居住した「川俣氏」が 祖神を祀ったものだろうとされます - [高野神社(津山市高野本郷)〈『三代實録』髙野神『延喜式』髙野神社〉](https://shrineheritager.com/takano-shrine/) - 高野神社(たかのじんじゃ)は 古くは祭神は鵜葺草葺不合命一柱でしたが 中世に武家の勃興とともに 相殿に応神天皇 神功皇后をお祀りして 明治維新頃までは八幡宮と称していました 鎮座地が苫東郡高野郷に所在することから『三代實録』髙野神・『延喜式』美作國 苫東郡 髙野神社(かうやの かみのやしろ)の論社とされています - [古見八幡神社&〈合祀〉田中神社(真庭市)〈『三代實録』佐原神『延喜式』佐波良神社〉](https://shrineheritager.com/hachiman-shrine-12/) - 古見八幡神社(こみはちまんじんじゃ)は 旧氏神棟札に第六十代醍醐天皇 延喜五年(905)八月 山城国 男山八幡宮を勧請とあり 又 明治以後に改称され大正元年(1912)合祀された田中神社は『作陽誌』にある元田原庄の氏神「大宮神社」であって 延喜式内社 美作國 大庭郡 佐波良神社(さはらの かみのやしろ)との説があります - [久世神社(真庭市久世)〈『三代實録』形賣神『延喜式』形部神社〉](https://shrineheritager.com/kuse-shrine/) - 久世神社(くせじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 聖武天皇 天平年間(729~749年)の棟札 木彫神像二躰がある古社です 口碑によると 往古は形部神社と称し 後に生建大明神 現今は久世神社と改称したと伝わり 延喜式内社 美作國 大庭郡 形部神社(かたへの かみのやしろ)であるとの伝承があります - [近江國 式内社 155座(大13座・小142座)について](https://shrineheritager.com/ouminokuni/) - 近江国(おうみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 近江国には 式内社 155座(大13座・小142座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [形部神社・佐波良神社〈『三代實録』佐原神・形賣神『延喜式』佐波良神社・形部神社〉](https://shrineheritager.com/katabe-shrine・sawara-shrine/) - 形部神社・佐波良神社(かたべじんじゃ・さわらじんじゃ)は 二つ延喜式内社〔美作國 大庭郡・左殿 佐波良神社(さはらの かみのやしろ)・右殿〈相殿〉形部神社(かたへの かみのやしろ)〕が並び祀られています 六国史『三代實録』には貞觀六年(864)八月十五日己巳 美作國從五位下 佐原神 形賣神 並に授に從五位上とあります - [中和神社(真庭市蒜山下和)〈『三代實録』久止神『延喜式』久刀神社〉](https://shrineheritager.com/chuka-shrine/) - 中和神社(ちゅうかじんじゃ)は 上代には植杉川の上流に鎮座 旧跡地には「久那止荒魂神社」が祀られます 参拝の不便もあり 何時の時代かに里宮として現在地に移されたと云う 「三代実録」「貞観6年(864)8月己巳美作国従五位下久止神授従五位上」・『延喜式』美作國大庭郡 久刀神社(くとの かみのやしろ)の論社となっています - [長田神社(真庭市蒜山下長田)〈『三代實録』長田神『延喜式』長田神社〉](https://shrineheritager.com/nagata-shrine/) - 長田神社(ながたじんじゃ)は 六国史『三代實録』貞觀六年(864)八月十五日己巳 美作國 從五位下 長田神に授に從五位上とあり『延喜式』に美作國 大庭郡 長田神社(なかたの かみのやしろ)と由緒ある古社です 明治四十二年(1909)上長田・下長田所在の九社を合祀 大正十一年(1922)郷社に列格しました - [二宮(真庭市社字於和佐)〈『三代実録』壹粟神・大佐々神・長田神・兎上神・久止神〉](https://shrineheritager.com/futamiya/) - 二宮神社(ふたみや)は 式内社 美作國大庭郡八座の内 4社五座①壹粟神社二座(いちあはの かみのやしろふたくら)②久刀神社(くとの かみのやしろ)③菟上神社(うさかみの かみのやしろ)④長田神社(なかたの かみのやしろ)が祀られます 本来 別々の場所に祀られていた神を現在地に集めたとも推測されますが 定かではありません - [安房神社(小山市粟宮)〈『延喜式』阿房神社〉](https://shrineheritager.com/awa-shrine-3/) - 安房神社(あわじんじゃ)は 社伝には崇神天皇の御代に創建され 仁徳天皇の御代に再建されたと伝わります 又 遠い昔 安房神社(千葉県館山市)を祀る人々の一部が良き土地を求め この地に永住し神を祀り 粟の栽培をしたとも伝わる延喜式内社 下野國 寒川郡 阿房神社(あはの かみのやしろ)です - [高野神社(栗東市高野)〈『延喜式』髙野神社〉](https://shrineheritager.com/takano-shrine-4/) - 高野神社(たかのじんじゃ)は 社伝に天智天皇の御代以降 高野造が地域一帯を開墾開発し 高野郷と名付けられ 和銅年間(七〇八~七一四)和同開珍」の鋳師 高野宿彌道経一族が住み それ等の人々の氏神として 祖先を祀ったと云う 延喜式内社 近江國 栗太郡 髙野神社(たかのの かみのやしろ)です - [阿波神社(伊賀市下阿波)〈『三代實録』阿波神『延喜式』阿波神社〉](https://shrineheritager.com/awa-shrine-2/) - 阿波神社(あわじんじゃ)は 『三代實録』貞観三年(861)四月十日 伊賀國 正六位上 阿波神に從五位下を授け 同十五年(873)九月己丑 從五位上に進め給ふ」・『延喜式』伊賀國 山田郡 阿波神社(あはの かみのやしろ)と由緒ある古社で 中古は阿波大明神・杉尾白髭大明神と呼ばれました 明治15年に郷社に列しています - [粟神社(城陽市市辺大谷)〈『延喜式』粟神社〉](https://shrineheritager.com/awa-shrine-4/) - 粟神社(あわじんじゃ)は 『粟神社記』に「第6代孝安天皇の御代 平間山麓の百舌ヶ原に少彦名尊と高皇産霊尊が降臨し少彦名尊が祀られたのが粟神社 高皇産霊尊が祀られたのが兜神社(旦椋神社)とある」延喜式内社 山城國 綴喜郡 粟神社(あはの かみのやしろ)です - [天穂日命神社(鳥取市福井)〈『延喜式』天穗日命神社〉](https://shrineheritager.com/ameno-hohinomikoto-shrine/) - 天穂日命神社(あめのほひのみことじんじゃ)は 古代 稲葉国造(いなばのくにのみやつこ)の氏神として天穂日命が祀られたものであったと伝わります 『延喜式神名帳(927年編纂)』所載の因幡國 高草郡 天穗日命神社(あまのほひのみことの かみのやしろ)の論社です - [大津神社(泉大津市若宮町)〈明治41年(1908)合祀『延喜式』粟神社〉](https://shrineheritager.com/ohtsu-shrine/) - 大津神社(おおつじんじゃ)は 鎌倉時代以来「若宮八幡宮」と称したが 明治41年(1908)宇多神社・神明神社・菅原神社の三社を合祀 事代主神社を境内社に合併 延喜式内社 和泉國 和泉郡 粟神社(あはの かみのやしろ)の旧鎮座地 粟神社跡(式内町)から境内に移築した際「大津」の総鎮守として「大津神社」と改称しました - [石上布都魂神社(赤磐市石上字風呂谷)〈『延喜式』石上布都之魂神社〉](https://shrineheritager.com/isonokami-futsumitama-shrine/) - 石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)は 神話で有名な八岐大蛇を退治した剣「十握剣」に宿る神霊「布都御魂」を祀っていました 現在の御祭神は 素盞嗚尊です この神剣は その後 第10代崇神天皇の御代に 石上神宮(奈良)に移されたとされていて 現在も 石上神宮(奈良)では 布都斯魂として祀られています - [粟神社跡(泉大津市式内町)〈『延喜式』粟神社〉](https://shrineheritager.com/site-of-awa-shrine/) - 粟神社跡(泉大津市式内町)は 神社合祀令によって明治41年(1908)大津神社に合祀された 延喜式内社 和泉國 和泉郡 粟神社(あはの かみのやしろ)の旧鎮座地です 祭神は「天太玉命」を祀り「粟直」の祖と云われ安房國安房郡 安房坐神社〔名神大月次新嘗〕と同神であると伝えられています - [阿波国 式内社 50座(大3座・小47座)について](https://shrineheritager.com/awanokuni/) - 阿波国(あわのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 阿波国 50座(大3座・小47座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [美作国 式内社 11座(大1座・小10座)について](https://shrineheritager.com/mimasakanokuni/) - 美作国(みまさかのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 美作国には 11座(大1座・小10座)の神々が坐します 現在の論社についても記しています - [石津神社(堺市堺区石津町)〈『延喜式』石津太社神社〉](https://shrineheritager.com/ishizu-shrine/) - 石津神社(いしづじんじゃ)は 起源は古く 人皇五代孝昭天皇(西暦前475)の御宇7年8月10日、勅願により創建されたと伝えています 人皇十一代垂仁天皇の御宇 天穂日命14世孫 野見宿禰を当宮の神主と定めたと云う 延喜式内社 和泉國 大鳥郡 石津太社神社(いはつたの かみのやしろ)の論社です - [石津太神社(堺市西区浜寺石津町中)〈『延喜式』石津太社神社〉](https://shrineheritager.com/iwatsuta-shrine/) - 石津太神社(いわつたじんじゃ)は 太古 蛭子命が 葦船に乗せられ漂着されたと伝承される聖地(石津浦)が現在の御旅所〔発祥の地〕孝昭天皇7年(紀元前469年)創建と伝え 孝徳天皇が白雉3年(653)孝謙天皇も天平勝宝元年(749)に参拝したと云う 延喜式内社 和泉國 大鳥郡 石津太社神社(いはつたの かみのやしろ)です - [美多彌神社(堺市南区鴨谷台)〈『延喜式』美多彌神社〉](https://shrineheritager.com/mitami-sheine/) - 美多彌神社(みたみじんじゃ)は 創建年代等詳らかではありませんが 延喜式内社 和泉國 大鳥郡 美多彌神社(みたみの かみのやしろ)と伝わります 南北朝時代には 楠木正成の守護神として崇められ広大な境内に大樹が生い茂り堂々とした神社でしたが 天正5年(1577)兵火にかかり消失し文禄元年(1592)本殿が再建されました - [美歎神社(鳥取市国府町美歎)〈『三代實録』美歎神『延喜式』美歎神社〉](https://shrineheritager.com/mitani-shrine-4/) - 美歎神社(みたにじんじゃ)は 『三代實録』貞観十六年(八七四)「因幡国従五位下 美歎神に従五位上を授く」とあり 又『延喜式』因幡國 法美郡 美歎神社(みたにの かみのやしろ)です 元々は昔 因幡山の頂上付近 屋敷鳴に氏神として祀られていたが 金内(屋敷谷)に移転更に現在地に奉遷されたと云う - [御谷神社(長岡京市浄土谷宮ノ谷)〈『延喜式』御谷神社〉](https://shrineheritager.com/mitani-shrine-3/) - 御谷神社(みたにじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 乙訓郡 御谷神社(みたにの かみのやしろ)と伝わります 鎮座する浄土谷宮ノ谷の一帯は 平安時代以前に開かれたらしく「観音檀(かんのんだん)」からは九世紀の千手観音立像が出土し「釈迦(しゃか)ん谷」「たいこん堂」「欄杆房(なんかぶ)」などの地名も残っています - [櫟谷宗像神社(西京区嵐山中尾下町)〈『三代実録』宗像・櫟谷神『延喜式』櫟谷神社〉](https://shrineheritager.com/ichitani-munakata-shrine/) - 櫟谷宗像神社(いちたにむなかたじんじゃ)は 『三代実録』貞觀十二年(870)「葛野鋳銭所に近い宗像・櫟谷・清水・堰の小社五神に 新たに鋳造した銭を奉納した」とあるように 宗像社・櫟谷社は元々独立した別々の社でした 又 櫟谷社は『延喜式』に山城國 葛野郡 櫟谷神社(いちいたにの かみのやしろ)とある延喜式内社です - [向日神社(向日市向日町北山)〈『延喜式』乙訓坐火雷神社〔名神大月次新嘗〕・向神社〉](https://shrineheritager.com/muko-shrine/) - 向日神社(むこうじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 乙訓郡 向神社(むかへの かみのやしろ)後に同じく式内社 乙訓坐大雷神社(火雷神社)〔名神大 月次新嘗〕(をとくににます おほいかつち(ほのいかつち)の かみのやしろ)を合祀と伝わり この両社は 同じ向日山に鎮座 向神社は上ノ社 火雷神社は下ノ社と呼ばれていたと云う - [角宮神社(長岡京市井ノ内南内畑)〈『延喜式』乙訓坐大雷神社〔名神大月次新嘗〕〉](https://shrineheritager.com/suminomiya-shrine/) - 角宮神社(すみのみやじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 乙訓郡 乙訓坐大雷神社(火雷神社)〔名神大 月次 新嘗〕(をとくににます おほいかつち(ほのいかつち)のかみのやしろ)の論社 承久の変(1221)で灰燼に帰し容易に復興を許されず 旧社地 井ノ内の西部(宮山)から文明16年(1484)現在地に再興 井ノ内の産土神です - [大井神社(名古屋市北区如意)〈『延喜式』大井神社〉](https://shrineheritager.com/ohi-shrine-2/) - 大井神社(おおいじんじゃ)は 社伝によれば 和銅・養老年問(700年代)に 現社殿の北西にあった大井の池のほとりに産土神として勧請された延喜式内社 尾張國 山田郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)の論社です 中世 大水の難を避けて現在地へ遷座し 江戸時代には六所明神社と称されていました - [摂津國 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)](https://shrineheritager.com/settsunokuni/) - 攝津國(せっつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 摂津国の 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)の神社のことです - [野芽神社(吉見町和名)〈郷土史研究家による推定 参考式内論社〉](https://shrineheritager.com/noge-shrine/) - 野芽神社(のげじんじゃ)は イネ科植物の穂先を芒(のげ)と云い ここから゛野芽(のげ)゛を社号として 穀霊を祀って創祀したのではないかと伝わります 横見郷を見渡す吉見丘陵の上に鎮座し 郷土史研究家の説に 延喜式内社 武蔵國 横見郡 横見神社(よこみの かみのやしろ)との推論もあります - [吉見神社(熊谷市相上)〈『延喜式』横見神社〉](https://shrineheritager.com/yoshumi-shrine/) - 吉見神社(よしみじんじゃ)は 景行天皇56年 東国統治を命じられて善政をしいたとされる御諸別王(みもろわけのみこ)が 天照大神を祀ったのが創基とされ 以来 御諸別王の子孫が代々神主として奉仕しています 現在は大里郡に鎮座しますが 延喜式内社 武蔵國 横見郡 横見神社(よこみの かみのやしろ)の論社ともされています - [氷川神社(吉見町上細谷)〈『延喜式』横見神社〉](https://shrineheritager.com/hikawa-shrine-2/) - 氷川神社(ひかわじんじゃ)は 細谷郷〈細長い谷という意から名付けられた郷〉の惣鎮守 飯玉氷川神社〈式内社に比定される横見神社〉から分霊を受けたものと思われますが 延喜式内社 武蔵國 横見郡 横見神社(よこみの かみのやしろ)の論社とする説もあります - [横見神社(吉見町久保田)〈『延喜式』横見神社〉](https://shrineheritager.com/yokomi-shrine/) - 横見神社(よこみじんじゃ)は 社伝によれば 建長年間(1249~56)の大洪水の際 飯玉明神社〈現 横見神社(吉見町御所)〉の御神体が窪田村(当時)に漂着し 貴い神の来臨と捉え 愛宕社の社地〈当地〉にお祀りしたものと伝えます 故に延喜式内社 武蔵國 横見郡 横見神社(よこみの かみのやしろ)の論社ともされています - [横見神社(吉見町御所)〈『延喜式』横見神社〉](https://shrineheritager.com/yokomi-shrine-2/) - 横見神社(よこみじんじゃ)は 社伝に創建は和銅年間(708~715年)・平安時代末~中世には吉見氏の居館゛吉見の御所゛があり゛御所゛が地名となった 中世~有力農民層の管理に移り〈穀霊信仰により〉飯玉氷川明神社と社号改称 その後 延喜式内社 武蔵國 横見郡 横見神社(よこみの かみのやしろ)の論社として社号を戻したとある - [國中神社(越前市国中町)〈『延喜式』國中神社二座〉](https://shrineheritager.com/kuninaka-shrine-3/) - 国中神社(くになかじんじゃ)は 元は 当社の北西にある三里山の山上に二座が鎮座しており 七堂伽藍を具備し 奉仕の社僧も多かったが 延元天正數度の兵燹に罹り 悉く焼亡してしまった 当郡一の大社であったと云う 延喜式内社 越前國 今立郡 國中神社二座(くになかの かみのやしろ ふたくら)とされます - [國中神社(越前市中津山町)〈『延喜式』國中神社二座〉](https://shrineheritager.com/kuninaka-shrine-2/) - 國中神社(くになかじんじゃ)は 社伝によれば 当社は越前の中央にあり 越の中山と称し 和名抄に中ツ山の郷とあります 祭神は越國の御霊彦姫の二柱を祭る 延喜式内社 越前國 今立郡 國中神社二座(くになかの かみのやしろ ふたくら)とされ 往古より上宮外宮と分け祀り 当社は上宮の一座であったとされます - [國中神社(四條畷市清滝中町)〈『延喜式』國中神社〉](https://shrineheritager.com/kuninaka-shrine/) - 國中神社(くになかじんじゃ)は 創建年代は不詳です しかし国中と云う名の如く この地域の中心として 鎮座地が創建より一度も移動した記録は無く四神相応の鎮座地であった事が明白であると伝わる 延喜式内社 河内國 讃良郡 國中神社(くなかの かみのやしろ)です - [中山神社(津山市一宮)〈延喜式内社 名神大社・美作國一之宮〉](https://shrineheritager.com/nakayama-shrine/) - 中山神社(なかやまじんじゃ)は 古代の大和朝廷が「吉備国」を分割して 新たに「美作国(mimasaka no kuni)」を創設した際に「美作國 一之宮(ichi no miya)」となった格式と由緒を持ちます 多くの謎を残した太古の社でもあり 境内の奥には 今でも静かに「猿神(saru gami)」が坐ます - [大井神社(亀岡市大井町並河)〈『延喜式』大井神社〉](https://shrineheritager.com/ohi-shrine/) - 大井神社(おおいじんじゃ)は 和銅3年の創建。祭神の木俣命が保津川を鯉に乗って上がってきたと伝えられ、通称「鯉明神」といわれています。この地域ではでは鯉を神の使いと考えられ、鯉を食べず、鯉のぼりも揚げない風習が伝わっています - [走田神社(亀岡市余部町)〈『延喜式』走田神社〉](https://shrineheritager.com/haseda-shrine/) - 走田神社(はせだじんじゃ)は 天正の兵亂(1573~92)に古文書 悉く焼け島有に帰して記録はありませんが 口伝によれば 奈良時代の元明天皇 和銅4年(711)創建と云う 走田大明神と呼ばれ厚い尊崇を受けてきた 延喜式内社 山城國 乙訓郡 走田神社(はしりたの かみのやしろ)とされます - [走田神社(長岡京市奥海印寺走田)〈『延喜式』走田神社〉](https://shrineheritager.com/hashirita-shrine/) - 走田神社(はしりたじんじゃ)は 創建年代不詳ですが 社号「走田」は゛初穂(走り穂)を作る田んぼ゛早稲田(わせだ)の守護神と云う意味 神仏習合期に寂照院(じゃくしょういん)の鎮守として「妙見社(みょうけんしゃ)」と呼称 明治期「走田神社」に改称 延喜式内社 山城國 乙訓郡 走田神社(はしりたの かみのやしろ)の論社です - [陽夫多神社(伊賀市馬場)〈『延喜式』陽夫多神社〉](https://shrineheritager.com/yabuta-shrine/) - 陽夫多神社(やぶたじんじゃ)は 第28代 宣化天皇三年(538)国中に疫病が流行したので屏息祈願のため伊賀国造 多賀連が創建したと伝 以来病気平癒の御霊験あらたかなるをもって藩主の崇敬厚く屡々寄進あり 又一般崇敬者の参拝多しと社記にあり 延喜式内社 伊賀国 阿拝郡 陽夫多神社(やふたの かみのやしろ)とされます - [旦椋神社(宇治市大久保町北ノ山)〈『延喜式』且椋神社〉](https://shrineheritager.com/旦椋神社(宇治市大久保町北ノ山)〈『延喜式』/) - 旦椋神社(あさくらじんじゃ)は 元々は『日本書紀』仁徳天皇 十二年秋七月に載る「栗隈縣の大溝(おおうなで)」この東側〔地名 旦椋(アサクラ〕に鎮座していた古社 延喜式内社 山城國 久世郡 且椋神社(あさくらの かみのやしろ)です 天文十九年(1550)に焼失し 永禄九年(1566)現在地に移転再興されたと伝わります - [大酒神社(右京区太秦蜂岡町)〈『延喜式』大酒神社(元名 大辟神)〉](https://shrineheritager.com/oosake-shrine/) - 大酒神社(おおさけじんじゃ)は 京都 太秦(うずまさ)の土地神 元々は 広隆寺の寺内に鎮座していた 秦氏に纏わる諸説ある謎多き神社です 祭神はなんと 秦始皇帝(シンノシコウテイ)で 元の名称は「大避(おおさけ)」又は中国(China)でキリスト教の「ダビデ」を意味する「大闢(ダイビャク)」と呼ばれたと伝わります - [出雲路の森(京都市南区久世築山町)〈『延喜式』茨田神社 旧鎮座地〉](https://shrineheritager.com/izumoji-no-mori/) - 出雲路の森(いずもじのもり)は 古くは「出雲路」という小字のあった場所からくる名称です 現地は小高い丘〔古墳(小墳)説あり〕となっていて 現在は祠はありませんが 樫と椿の木立に注連縄が張られ「鎮守の森」の形を残しています 延喜式内社 山城國 乙訓郡 茨田神社(まむたの かみのやしろ)の旧鎮座地と伝えられています - [菱妻神社(京都市伏見区久我石原町)〈『延喜式』簀原神社〉](https://shrineheritager.com/hishizuma-shrine-2/) - 菱妻神社(ひしづまじんじゃ)は 永久元年(1113)久我家の祖 右大臣 源雅実公が奈良の春日大社から天児屋根命を勧請「火止津目(ひしづめ)大明神」と崇奉った 御遷宮の時は具仁親王・源氏(久我家)・藤原氏の一族が牛車三両などを連ねた大社であり 延喜式内社 山城國 乙訓郡 簀原神社(すはらの かみのやしろ)との学説あり - [下野國 式内社 11座(大1座・小10座)について](https://shrineheritager.com/shimotsukenokuni/) - 下野国(しもつけのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 下野国には 11座(大1座・小10座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [安房國の 式内社〈6座(大2座・小4座)〉について](https://shrineheritager.com/awa-no-shiknaisha/) - 安房國(あわのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている当時の官社です 安房國には 6座(大2座・小4座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [安房神社(館山市大神宮)〈延喜式内社 名神大社・安房国一之宮〉](https://shrineheritager.com/awa-shrine/) - 安房神社(あわじんじゃ)は 日本神話「天の岩戸」では 天太玉命〈忌部氏の氏神〉が 天照大御神の出現を願い 祭祀を執り行いました 故に 古代の大和朝廷では 忌部氏が・祭祀に必要な鏡や玉・神に捧げる幣帛や織物・威儀物の矛や楯など武具・社殿の造営などを司っていました 日本における全ての産業の総祖神としても崇敬されています - [和泉国 式内社 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))について](https://shrineheritager.com/itsuminokuni/) - 和泉國(いづみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている官社〈延喜式内社〉の事で 和泉国には 62座(大1座(月次新嘗)・小61座(並官幣))の神々が 坐します - [菱妻神社(久世築山町)〈『延喜式』乙訓坐火雷神社 名神大・走田・茨田・簀原神社〉](https://shrineheritager.com/hishizuma-shrine/) - 菱妻神社(ひしづまじんじゃ)は 簀原大明神が前身とされるが 詳細は明らかではありません 13世紀頃社名を乙訓坐火雷神社 16世紀頃 菱妻神社に変更と云う 延喜式内社 山城國乙訓郡 乙訓坐大雷神社〔名神大月次新嘗〕・走田神社・茨田神社・簀原神社と4つの式内論社となっています - [綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)〈『延喜式』大井神社・國中神社・茨田神社〉](https://shrineheritager.com/ayato-kuninaka-shrine/) - 綾戸國中神社(あやとくなかじんじゃ)は 元は綾戸宮と國中宮の二社でしたが 現在は合祀され 左が綾戸宮 右が國中宮となっています 3つの式内社〈延喜式内社 山城國乙訓郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)・國中神社(くになかの かみのやしろ)・茨田神社(まむたの かみのやしろ)〉の論社となっています - [大井神社(右京区嵯峨天龍寺造路町)〈『三代実録』山代大堰神『延喜式』大井神社〉](https://shrineheritager.com/ohoi-shrine-2/) - 大井神社(おおいじんじゃ)は 渡月橋の北の詰にあり 大堰神社とも称し 大堰川の守り神として『三代実録』貞観十八年(867)山代大堰神と記載があります 又『延喜式』山城國 乙訓郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)の式内論社ともされています - [因幡國 式内社 50座(大1座・小49座)について](https://shrineheritager.com/inabanokuni/) - 因幡国(いなばのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 因幡国には 50座(大1座・小49座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [出雲國 式内社 187座(大2座・小185座)について](https://shrineheritager.com/izumo-no-kuni/) - 出雲國の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている当時の官社です 出雲國には 187座(大2座・小185座)の神々が坐します 現在の論社についても掲載しています - [彌多仁神社(松江市荘成町)〈『出雲國風土記』彌多仁社〉](https://shrineheritager.com/mitani-shrine/) - 弥多仁神社(みたにじんじゃ)は 『出雲國風土記』所載の秋鹿郡 不在神祇官社「彌多仁社(みたに)のやしろ」です 古くは社地より西方200mに潮が湧き出る所があり これを汲んで神前に供える祭りが催されたが 地勢の変化で潮が止まり 地名の塩谷にその名残を留めると伝わります - [與杼神社御旅所〔旧鎮座地〕(淀大下津町)〈『三代實録』與度神『延喜式』與杼神社〉](https://shrineheritager.com/yodo-shrine-otabisho/) - 與杼神社御旅所(よどじんじゃ おたびしょ)は 桂川の右岸にあり 古来「大荒木の森」と云われた 延喜式内社 山城國 乙訓郡 與杼神社(よひの かみのやしろ)の旧鎮座地で 淀姫社・水垂社・大荒木神社とも称したと伝わる 現在 與杼神社は明治33年(1900)桂川河川敷改修により淀城内(桂川の左岸)に遷座しています - [與杼神社(京都市伏見区淀本町)〈『三代實録』與度神『延喜式』與杼神社〉](https://shrineheritager.com/yodo-shrine/) - 與杼神社(よどじんじゃ)は 旧鎮座地は淀村大荒木ノ森 俗に西淀といわれた所で この地に古くから居住した大与等何々などの住民の祖神を祀ったものと推測される 延喜式内社 山城國 乙訓郡 與杼神社(よひの かみのやしろ)です 明治33年(1900)淀川の改修工事のため現在地に遷座しました - [朝椋神社(和歌山市鷺ノ森明神)〈『延喜式』朝椋神社〉](https://shrineheritager.com/asakura-shrine-2/) - 朝椋神社(あさくらじんじゃ)は 社傳には「神代 大國主命が伯耆國より難をさけ 紀伊國の大屋毘古神(伊太祁曽神)を訪れた時 此地に來くると「天つ空なほ明けやらで物の色さへ わからなかったので其地をさして朝暗(あさくら)と名付けた」と云う 延喜式内社 紀伊國 名草郡 朝椋神社(あさくらの かみのやしろ)です - [須佐神社(有田市千田)〈『三代實録』湏佐神『延喜式』湏佐神社〔名神大月次新嘗〕〉](https://shrineheritager.com/susa-shrine-2/) - 須佐神社(すさじんじゃ)は 和銅6年(713)大和国吉野郡 西川の峯より遷座〈伊太祁曽神社が現在地へ遷座と同日〉中雄山の山頂に海を向いて祀られた 海上を通る船舶が帆を下ろし敬意を表さないと転覆するなど御神威があり 海の見えない中腹〈現在地〉に遷ったと伝わります 延喜式内社 紀伊國在田郡 湏佐神社〔名神大 月次新嘗〕です - [石土神社(南国市十市字石土)〈『続日本後紀』石土神『延喜式』石土神社〉](https://shrineheritager.com/ishitsuchi-shrine/) - 石土神社(いしつちじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 『続日本後紀』承和八年(841)官社に列した記事があり 『延喜式(927)』土佐國 長岡郡 石土神社(いはつちの かみのやしろ)とされる由緒ある古社です 又 伊豫國の石鎚神社の元社と云われ 石鎚山頂の社は奥ノ院 当 石土神社は前ノ宮と呼ばれています - [天石門別安國玉主天神社(越知町黒瀬)〈『延喜式』天石門別安國玉主天神社〉](https://shrineheritager.com/ameno-iwatowake-yasukunitamanusi-tenzinsya-2/) - 天石門別安國玉主天神社(あめのいわとわけやすくにたまぬしてんじんじゃ)は 古老の口碑に 往古洪水ありて社地崩壊し 神寶神器流失し 棟札流下して神谷村に漂着したといふことで 元々はこちらが延喜式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社(あまのいはとわけの やすくにたまぬし あまつかみのやしろ)であると伝えています - [加茂八幡宮(黒潮町入野)〈『延喜式』賀茂神社〉](https://shrineheritager.com/kamo-shrine-6/) - 加茂神社(かもじんじゃ)は 延喜式内社 土佐國 幡多郡 賀茂神社(かもの かみのやしろ)とされ 俗称は 加茂八幡宮 と云う 元々は南は賀茂社 北は八幡社の2社が何時の頃か ここに遷座合祭したと云う 又 宝永の大地震の時 津波により社殿が浸水し浮く被害に遭ったが 津波が引くと寸分たがわず元の場所に戻ったと言い伝えがある - [朝倉神社(高知市朝倉)〈『延喜式』朝倉神社〉](https://shrineheritager.com/asakura-shrine/) - 朝倉神社(あさくらじんじゃ)は 神社後方の赤鬼山を神体山として朝日さす南東の麓より拝むべく現在の所に社殿を建てられたと伝わります 天津羽羽神を祀り 後の世の遷座もなく 古代より此処に鎮座まします延喜式内社 土佐國 土佐郡 朝倉神社(あさくらの かみのやしろ)で 土佐国中でも稀な古社です - [伊豆田神社(土佐清水市下ノ加江字西高知山)〈『延喜式』伊豆多神社〉](https://shrineheritager.com/itsuta-shrine/) - 伊豆田神社(いつたじんじゃ)は 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載される土佐國 幡多郡 伊豆多神社(いつたの かみのやしろ)で 由緒(格式ある歴史)を持っています 土佐国に鎮座しますが 伊豆の名を持つ 不思議な古社です - [天石門別安國玉主天神社〈貴船神社〉(いの町神谷)〈『延喜式内社』〉](https://shrineheritager.com/ameno-iwatowake-yasukunitamanusi-tenzinsya/) - 天石門別安國玉主天神社(あめのいわとわけやすくにたまぬしてんじんしゃ)は 棟札「天野岩戸分安國玉之天神社 天文九年・・・」が元禄5年(1692)巌穴より発見され 藩は式内社 土佐國 吾川郡 天石門別安國玉主天神社と正式認定したが 黒瀬村の社の棟札が「流れ着いた」新宮の扱となり 郷社 貴船神社を合祀 現在に至ります - [天忍穂別神社〈石舟神社〉(香我美町山川)〈『延喜式』天忍穂別神社〉](https://shrineheritager.com/ameno-oshihowake-shrine/) - 天忍穂別神社(あめのおしほわけじんじゃ)は 土佐に来た物部氏が代々傳領の地〈山川の里〉に氏祖神を祀つたと云う 又 饒速日尊が天磐船に乗って父神の天忍穂耳尊を慕って 土佐の国へ天降った伝説があり 石舟神社とも呼ばれます 延喜式内社 土佐國 香美郡 天忍穂別神社(あめをしほわけの かみのやしろ)です - [王子宮(安芸郡芸西村馬ノ上)〈『延喜式』坂本神社〉](https://shrineheritager.com/ohji-gu/) - 王子宮(おうじぐう)は 創建年代など不祥ですが 安政三年(一八五六) 權現社を改築する際 社殿の横梁に「奉造立 坂本權現 慶長十三歲(一六〇八)孟夏吉日大工小助」の墨書銘が発見されたことから 延喜式内社 土佐國 安藝郡 坂本神社(さかもとの かみのやしろ)の論社とされています - [宇佐八幡宮(安芸郡芸西村和食)&〈境内社〉坂本神社〈『延喜式』坂本神社〉](https://shrineheritager.com/usa-hachimangu/) - 宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)は 建久年間(1190~99)宇佐八幡宮を勧請したと云う もともとは「正八幡宮(せいはちまんぐう)」と呼ばれていましたが、明治元年(1868年)に宇佐八幡宮と改名されました 〈境内社〉坂本神社は 延喜式内社 土佐國 安藝郡 坂本神社(さかもとの かみのやしろ)の論社です - [都夫久美神社(八尾市水越)〈『延喜式』都夫久美神社〉](https://shrineheritager.com/tsubukumi-shrine/) - 都夫久美神社(つぶくみじんじゃ)は 『延喜式神名帳』に 河内国高安郡 都夫久美神社とある式内社ですが 明治40年(1907)12月 神社統合で 玉祖神社(八尾市)に合祀されました その後 昭和49年(1974)10月 65年ぶりに社殿を新築して 元の鎮座地に復興しました - [多氣神社・坂本神社(安芸郡奈半利町)〈『延喜式』多氣神社・坂本神社〉](https://shrineheritager.com/take-shrine-sakamato-shrine/) - 多氣神社・坂本神社(たけじんじゃ さかもとじんじゃ)は 二つの延喜式内社 土佐國 安藝郡 多氣神社(たけの かみのやしろ)・坂本神社(さかもとの かみのやしろ)の合殿です 合祀の経緯については「昔時 坂本神社は多氣神社の東南數町の地に鎮座ありしを 何時の頃にか多氣神社の合殿となれり」と伝わっています - [八木ヶ鼻(三条市北五百川)〈八木神社 旧鎮座地〉](https://shrineheritager.com/八木ヶ鼻(三条市北五百川)〈八木神社-旧鎮座地/) - 八木ヶ鼻(やぎがはな)は 約600万年前の海底火山活動で形成された海底溶岩ドームの中心部が 約200万年前以降に陸化 その後の浸食・解析の結果 中心部が露出し絶壁が形作られたものと考えられています 古くから神靈地とされ 八木神社も元來はこの山頂に鎭座していたと云い 八木神社の旧鎮座地とされています - [八木神社(三条市北五百川)〈『延喜式』伊加良志神社〉](https://shrineheritager.com/yagi-shrine/) - 八木神社(やぎじんじゃ)は 大同二年(807)八木大明神〈倉稲魂命〉と守門大明神〈盤間戸命〉の二神を八木ケ鼻に勧請 近郷の守護神として祀ったのが創立と伝え その後 現在地に遷宮したと云う 江戸時代に五十嵐神社とも稱されたと謂われ 延喜式内社 越後國 蒲原郡 伊加良志神社(いからしの かみのやしろ)の論社となつています - [五十嵐館跡(三条市飯田)〈五十嵐神社 旧鎮座地〉〈『延喜式』伊加良志神社〉](https://shrineheritager.com/ikarashi-yakata-ato/) - 五十嵐館跡(いからしやかたあと)は 古代から五十嵐川の辺に住居した五十嵐氏の遺蹟です 五十嵐神社は 中世には「五十嵐小文治の館跡」の鬼門の位置(現在地の南200m)に鎮座〈旧鎮座地〉と云い 江戸時代初期に館が排され丘陵地〈五十嵐要害跡〉に遷座 明治3年(1870)要害本丸の場所に社殿を建立し遷座〈現在地〉しました - [五十嵐神社(三条市飯田)〈『延喜式』伊加良志神社〉](https://shrineheritager.com/igarashi-shrine/) - 五十嵐神社(いがらしじんじゃ)は 口碑に「垂仁天皇の第8皇子 五十日帶日子命は 景行帝の御時 越後に來り 普く國内を巡り 民に開墾漁獵の業を教へたまへて 此地に薨去し給ふ 其陵に神祠を建てて 五十嵐明神と崇め奉れり」と云う 延喜式内社 越後國 蒲原郡 伊加良志神社(いからしのかみのやしろ)です - [須義神社(豊岡市出石町荒木字竹ヶ原)(『三代實録』菅神『延喜式』湏義神社)](https://shrineheritager.com/sugi-shrine-3/) - 須義神社(すぎじんじゃ)は 社伝によると「応神天皇四十年の創祀」と云う 一説には 神功皇后が熊襲征討のため出石神社に戦勝祈願をした時の創祀とも云われる 『三代實録』貞観10年(868)従5位下に叙せらた「菅神」は当社の事とされる 延喜式内社 但馬国 出石郡 湏義神社(すきの かみのやしろ)です - [常陸國 式内社 28座(大7座・小21座)について](https://shrineheritager.com/hitachinokuni/) - 常陸国(ひたちのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 常陸国には 28座(大7座・小21座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [須岐神社(金沢市東蚊爪町)〈『延喜式』須岐神社〉](https://shrineheritager.com/suki-shrine-2/) - 須岐神社(すきじんじゃ)は 元正天皇 霊亀2年(716)浅野川河口付近で右岸側の地に創建と伝わり 後に聖武天皇 天平元年(729)赤澤八幡神社が須岐神社の境内地に創建されたと云う 度重なる水害によって遷座 現在の鎮座地は明治になり遥拝殿を拝殿としたとの事 延喜式内社 加賀国 加賀郡 須岐神社(すきの かみのやしろ)です - [五十君神社(上越市三和区所山田)〈『延喜式』五十君神社〉](https://shrineheritager.com/igimi-shrine/) - 五十君神社(いぎみじんじゃ)は 式内社 越後國 頸城郡 五十君神社(いそきみかみのやしろ)です 祭神は五十日帶日子命(いかたらしひこのみこと)越後国に下り池溝開発をされ高志八岐村(所山田)で崩御 従った大賀・不盡の二臣は命の神霊を奉祀 第12代景行天皇の御勅にて五十王神社を建立 神亀三年(726)五十君神社と改称された - [鶴ヶ峰八幡神社(大和町宮床赤坂)〈『延喜式』須伎神社〉](https://shrineheritager.com/tsurugamine-hachiman-shrine/) - 鶴ヶ峰八幡神社(つるがみねはちまんじんじゃ)は 寛文3年(1663)古縁起等を焼失し創祀年代等は不祥 一説には推古天皇6年(598)一宮波神 賀茂三社を本社に合祀と云う 又 別当正善院清範は この賀茂明神社を延喜式内社 陸奥國 黒川郡 須伎神社(すきの かみのやしろ)と伝えます 又 賀茂明神社は境内社との説もあります - [木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)〈『延喜式』木島坐天照御魂神社〔名神大 月次相嘗新嘗〕](https://shrineheritager.com/konoshimanimasu-amaterumitama-shrine/) - 木島坐天照御魂神社(このしまにます あまてるみたまじんじゃ)〈蚕の社〉は 秦氏の祭祀に深く関わる京都市内最古の神社の一つと云う 境内「元糺(モトタダス)の池」に「三柱鳥居(ミハシラノトリイ)」と呼ぶ正三角形に柱を組んだ鳥居があり その三柱鳥居の中心点に円錐形に小石を組み上げた神座が座し 御幣が依代として立てられています - [與止日女神社(佐賀市大和町)〈『延喜式』與止日女神社・備前國一之宮〉](https://shrineheritager.com/yodohime-shrine/) - 與止日女神社(よどひめじんじゃ)は 欽明天皇25年(564)創祀 由緒ある「肥前国一之宮」です 御祭神 與止日女命は海の神・川の神・水の神として信仰され 家内安全・交通安全などのご利益があります 景勝地の川上峡の辺りに鎮座 境内には 樹齢1500年近くの大楠をはじめ 子授かりや安産のご利益が伝わる「金精さん」もあります - [須岐神社(大衡村駒場下宮前)〈『延喜式』須伎神社〉](https://shrineheritager.com/suki-shrine/) - 須岐神社(すきじんじゃ)は 創祀年代 鎮座 由来等は詳かでない 昔時は今の社地の西方の宮高森上に在り 建久二年(1191)に地頭 児玉弥太郎がここに遷座して 赤崎大明神と称え椚千本を植え神境としたと伝わります 延喜式内社 陸奥國 黒川郡 須伎神社(すきの かみのやしろ)の論社です - [須伎神社(鈴鹿市長太栄町)〈『延喜式』須支神社・大木神社〉](https://shrineheritager.com/sugi-shrine-2/) - 須伎神社(すぎじんじゃ)は 社伝には 上古 津島の神を奉じて南下した人々が長太村に祠を建て祀ったと云う 元禄三年(1690)当地に移転鎮座した 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 須支神社(すきの かみのやしろ)とされ 又 明治40年(1907)大木神社(長太の大樟)を合祀し 同じく式内社 大木神社(おほきの かみのやしろ)の論社でもあります - [須佐神社(佐田町須佐)〈『出雲國風土記』湏佐社『延喜式』湏佐神社〉](https://shrineheritager.com/susa-shrine/) - 須佐神社(すさじんじゃ)は 始りは神代と伝わる日本でも有数の由緒ある古社 須佐之男命の「御終焉の地」「御魂鎮めの霊地」であると云う 『出雲國風土記』須佐郷の条には「この国は 小さいけれども良い国どころだ だから私の名前は 木や石には付けず土地に付ける」と仰せになり命の御魂を ここに鎮め置かれ給われた」と記されています - [丹生都比賣神社(かつらぎ町上天野)紀伊国一之宮](https://shrineheritager.com/niutsuhime-shrine/) - 丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)は 創建は古く 少なくとも今から千七百年前のことと伝えられます 神功皇后の三韓征伐の時 丹生都比売大神の託宣によって 衣服・武具・船に朱砂〈丹〉を塗り戦勝されたので 応神天皇が 社殿と広大な神領を寄進されたとする 式内社であり 紀伊国一之宮でもあります - [長太の大樟(南長太町)〈須伎神社 に合祀された大木神社の旧鎮座地〉](https://shrineheritager.com/nago-no-ohkusu/) - 長太の大樟(なごのおおくす)は 嘉永4年(1851)地誌「勢国見聞集」名木之部に「河曲郡北堀江村 楠 当村の西の方にあり 是を大木神社と云 式内の社なり」と記され 楠木を御神体とした神社〈須伎神社に合祀された大木神社の旧鎮座地〉で 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 大木神社(おほきの かみのやしろ)の論社とされています - [紀伊国 式内社 31座(大13座・小18座)について](https://shrineheritager.com/kinokuni/) - 紀伊国(きいのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 紀伊国(きいのくに)には 31座(大13座・小18座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [淡路国 式内社 13座(大2座・小11座)について](https://shrineheritager.com/awaginokuni/) - 淡路国(あわじのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 淡路国 13座(大2座・小11座)の神社です 『古事記』『日本書紀』の記紀神話”国産み神話”によれば 日本列島で最初に生まれた島とされます - [大塚神社(鈴鹿市林崎)〈『延喜式』大木神社〉](https://shrineheritager.com/ohtsuka-shrine/) - 大塚神社(おおつかじんじゃ)は 創建年代などは不祥ですが 明治以前は 西林崎村 一色村2村の産神「大塚大明神」でした 鎮座地の゛林崎゛は 神宮の「林崎御厨ノ地」であったとされ 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 大木神社(おほきの かみのやしろ)の論社とする説があります - [久々志彌神社(鈴鹿市下箕田)〈『延喜式』久々志彌神社〉](https://shrineheritager.com/kukushimi-shrine/) - 久々志彌神社(くくしみじんじゃ)は 社伝に第34代舒明天皇元年(629)創祀と云う 又 鎮座地の箕田は 伊勢神宮「箕田御厨(みたみくり)」の地であり 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 久々志彌神社(くくしみの かみのやしろ)に比定され 明治41年(1908)箕田村の村社 無格社をすべて合祀し 式内久々志彌神社と改称しました - [大木神社(鈴鹿市石薬師町)〈『延喜式』大木神社〉](https://shrineheritager.com/ohoki-shrine/) - 大木神社(おおきじんじゃ)は 創建年代などは不祥です もと河曲郡高富村字船塚に鎮座したが 元和年中(1615~24)一村が今の石薬師へ移住 寛永年中(1624~44)当社も該地から今の地へ遷座したと云う「青木ノ明神ノ宮」又は「アヲキ」と云った 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 大木神社(おほきの かみのやしろ)の論社です - [楠村神社(四日市市楠町本郷)〈参考論社『延喜式』川神社〉](https://shrineheritager.com/kusumura-shrine/) - 楠村神社(くすむらじんじゃ)は 社伝に「創祀については詳らかにし難い」とあり 楠城址の一部を占める「風呂屋」と呼ばれる地区に鎮座しています 明治42年(1909)楠郷総社に合祀されたが 昭和2年(1927)再び現在地に分祀されたものです 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 川神社(かはの かみのやしろ)の参考論社です - [土佐國 式内社 21座(大1座・小20座)について](https://shrineheritager.com/tosanokuni/) - 土佐国(とさのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 土佐国(とさのくに)には 21座(大1座・小20座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について](https://shrineheritager.com/isenokuni/) - 伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です - [廣幡神社(菰野町菰野)〈式内論社 江田神社(江田)明治41年(1908)合祀〉](https://shrineheritager.com/hirohata-shrine/) - 廣幡神社(ひろはたじんじゃ)は 寛永七年(1630)菰野藩初代藩主 土方雄氏公が京都の石清水八幡宮より城の鎮守として勧請 明治になり神社合祀令により近隣の神社が合祀されました 明治41年には式内論社 江田神社(江田)を合祀して 延喜式内社 伊勢國 三重郡 江田神社(えたの かみのやしろ)の論社となっています - [鵜森神社(四日市市鵜の森)〈『延喜式』江田神社〉](https://shrineheritager.com/unomori-shrine/) - 鵜森神社(うのもりじんじゃ)は 鎮座地は濱田城跡にあり 創建年代は定かではないが 文明(1469~87年)には濱田城主 依家の崇敬した社であった 一説には 元は江田神社と称していたとされ延喜式内社 伊勢國 三重郡 江田神社(えたの かみのやしろ)の論社となっています - [江田神社(四日市市西坂部町)〈『延喜式』江田神社〉](https://shrineheritager.com/eda-shrine/) - 江田神社(えだじんじゃ)は 祭神は日本武尊の弟君 五十功彦命 古くは奥宮 中宮 下宮があったが 天正3年(1575)織田信長配下の兵火によりすべてを焼失し 下宮〈現在地〉に遷座 明治41年(1908)に坂部町地内のすべての神社が合祀されました 延喜式内社 伊勢國 三重郡 江田神社(えたの かみのやしろ)の論社です - [江田神社(宮崎市阿波岐原町)〈『續日本後紀・三代實録』江田神『延喜式』江田神社〉](https://shrineheritager.com/江田神社(宮崎市阿波岐原町)〈『續日本後紀・/) - 江田神社(えだじんじゃ)は 社伝に「太古の御創建 この地一帯は古来 所謂 日向の橘の小戸の阿波岐原として 伊邪那岐の大神禊祓の霊跡と伝承されて 縁起最も極めて深き社ならむ」とあります 六国史『續日本後紀』『三代實録』江田神とあり 『延喜式』日向國 宮崎郡 江田神社(えたの かみのやしろ)とされます - [邇々杵尊(ににぎのみこと)木花之開耶姫(このはなさくやひめ)『記紀神話』の伝承](https://shrineheritager.com/kiki-snwa/) - 『記紀神話(ききしんわ)』「天孫降臨(てんそんこうりん)の段」には 邇々杵尊(ににぎのみこと)が 笠紗御前(かささのみさき)で 大山津見神(おほやまつみのかみ)の女(むすめ)木花之佐久夜毘賣(このはなさくやひめ)と出逢い 結婚 妊娠 出産についての伝承が語られています その舞台は日向國(現 宮崎県)です - [西都原古墳群〈石貫神社〉『記紀神話』邇々杵尊 木花之開耶姫の伝承地](https://shrineheritager.com/saitobaru/) - 西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)は 邇々杵尊 木花之開耶姫 大山津見神の墳墓とされる古墳がある『記紀神話』の伝承地です その他 姫が出産の時 周囲に火をかけたとされる産屋「無戸室」・産湯としたとする「兒湯の池」もあり 又 鬼の伝説を持つ大山津見神を祀る石貫神社(いしぬきじんじゃ)もあります - [都萬神社(西都市大字妻)〈『續日本後紀』妻神『三代實録』都萬神『延喜式』都萬神社〉](https://shrineheritager.com/tsuma-shrine/) - 都萬神社(つまじんじゃ)は 社傳に云く「景行天皇 日向國 土蜘蛛を征し給ふ時、兒湯縣に行幸 当社勅願し給ひしことを傳ふ 以てその太古の創建なるを知るべし」とあります 『續日本後紀 妻神』『三代實録 都萬神』『延喜式』に日向國 兒湯郡 都萬神社(つまの かみのやしろ)と記載のある由緒ある古社です - [羊神社(名古屋市北区辻町)〈『延喜式』羊神社〉](https://shrineheritager.com/hitsuji-shrine/) - 羊神社(ひつじじんじゃ)は 群馬の多胡郡の領主 羊太夫が奈良の都へ上る時 この地(現辻町)に立ち寄った屋敷があり 土地の人々が平和に暮らせるように火の神を祀り 羊神社と名付けられたと伝えら「辻町」は「ひつじ」から「ひ」をとったとも云う 延喜式内社 尾張國 山田郡 羊神社(ひつしの かみのやしろ)の論社です - [越後國(えちごのくに)の 式内社 56座(大1座・小55座)について](https://shrineheritager.com/echigonokuni/) - 越後国(えちごのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 越後国には 56座(大1座・小55座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [高牟神社(名古屋市守山区瀬古東)〈『延喜式』髙牟神社・羊神社〉](https://shrineheritager.com/takamu-shrine-3/) - 高牟神社(たかむじんじゃ)は 創建は社記に「養老元年(717)鎮座 高見と云ふ名稱を賜ふ」云々と見え 『本国帳』従3位高牟天神・『尾張本国内神明帳』従3位上高見天神とする古社で 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)と云う 又一説に延喜式内社 山田郡 羊神社(ひつしの かみのやしろ)とも云う - [滓上神社(小松市中海町)〈『延喜式』滓上神社〉](https://shrineheritager.com/kasukami-shrine/) - 滓上神社(かすかみじんじゃ)は 社伝に「垂仁天皇の皇子五十日帶彦命が越国に下向 越前を経て当地に幾星霜駐留あらせられ」と云う延喜式内社 加賀国 能美郡 滓上神社(かすかみの かみのやしろ)です 発祥の地 奥宮は東南2km程 その後北方200m平地から明治17年(1884)大洪水被災し明治22年(1888)現 高台に遷座 - [勝川天神社(春日井市勝川町)〈『延喜式』髙牟神社〉](https://shrineheritager.com/tenjin-sha/) - 勝川天神社(かちがわてんじんしゃ)は 正和二年(1313)無盡禅師によって創建と伝え もとは高山という所にあったが 後世 今の地に移し 神仏混淆の時代には地蔵寺が祭祀を掌ったと云う 又『又張神名帳集説訂考』には従三位 高牟天神すなわち 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)とする説があります - [都々古別神社(表郷三森 都々古山)〈『延喜式』都都古和気神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/tsutsukowake-shrine-4/) - 都々古別神社(つつこわけじんじゃ)は 馬場都々古別神社の旧蹟 日本武尊(やまとたけるのみこと)が 都々古山(つつこやま)〈別名を建鉾山(武鉾山)江戸期までは入山禁足〉に「鉾(ほこ)」を立て地主神として「味耜高彦根命」を祀った創祀の地 山頂には梵天の祠があり 山麓には当社があり 延喜式の頃には祭祀が行われていた奥院と伝 - [五社神社(春日井市玉野町)〈『延喜式』髙牟神社〉](https://shrineheritager.com/gosha-shrine/) - 五社神社(ごしゃじんじゃ)は 社伝は明らかではありませんが 『張州府志』に「五社祠 玉野村に在り 明神、神明、天神、八幡、多度、の五社を祀り 永享元巳酉年(1429)村民之を建てる」とあります 一説には 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)とする説があります - [高田寺白山社(北名古屋市高田寺)〈『延喜式』髙牟神社〉](https://shrineheritager.com/hakusan-shrine-5/) - 白山社(はくさんしゃ)は 創建年代は不祥ですが 社伝に「延喜神名式 髙牟天神」即ち 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)であると伝わっています 又『尾張国内神名帳』に載る「従三位 高牟天神」とも「従三位 小高薗天神」とも云われます - [松原神社(春日井市東山町)〈『延喜式』髙牟神社〉](https://shrineheritager.com/matsubara-shrine/) - 松原神社(まつばらじんじゃ)は 元明天皇の御代 和銅四年(711)創建と伝え 社地の辺りは古来地名を高牟(たかむ)と呼び 社名も古くから高牟神社と号し 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)とされます 中世に稲荷信仰が普及して合祀され 江戸時代の棟札には高牟稲荷大明神と記したものがあります - [八所神社(豊山町豊場木戸)〈『延喜式』物部神社・髙牟神社〉](https://shrineheritager.com/hassho-shrine/) - 八所社(はっしょしゃ)は 物部氏一族により開拓されたこの地に 物部氏神〔大和の石上神宮より分神を勧請〕を斎き祀った社とされ 社伝に「和銅二年(709)創建 元 物部神社(八所太明神)と稱した」とあり延喜式内社 尾張國 春日部郡 物部神社(もののへのかみのやしろ)であると云う 又 髙牟神社(たかむのかみのやしろ)とも云う - [霧島東神社(高原町祓川)〈『續日本後紀』霧嶋岑神・『延喜式』霧嶋神社〉](https://shrineheritager.com/kirishimahigashi-shrine/) - 霧島東神社(きりしまひがしじんじゃ)は ゛天之逆鉾゛を社宝とし〈高千穂峰の山頂の天孫降臨伝説の地〉第10代崇神天皇の御代 霧島山を信仰する社として創建と伝わる 延喜式内社 日向國 諸縣郡 霧嶋神社(きりしまの かみのやしろ)の論社で 天暦年間(947~957)性空上人が別当寺 錫杖院を建立し 霧島六社権現の一つとなった - [味美白山神社(春日井市二子町)〈『延喜式』物部神社を合祀〉](https://shrineheritager.com/hakusan-shrine-4/) - 味美白山神社(あじよし はくさんじんじゃ)は 元は今より南の白山藪(味鋺字堂前898)に鎮座したが 萬治二年(1659)現在地(白山神社古墳の墳丘上)に遷座 同時に 二子山古墳の墳丘にあった物部天神〈式内論社〉を合祀し建立されたと云う 延喜式内社 尾張國 春日部郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社です - [國津神社(壱岐市郷ノ浦町渡良浦)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/kunitsu-shrine/) - 國津神社(くにつじんじゃ)は 三つの式内社の論社〈『延喜式神名帳927 AD.』所載 壱岐嶋 石田郡・国津神社(くにつかみのやしろ)・津神社(つの かみのやしろ)・物部布都神社(もののへのふつの かみのやしろ)〉とされます 神功皇后が「異国退治して無事帰朝せれば この所の守護神と成る」との伝説があります - [天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町田中触)〈壱岐嶋一之宮〉](https://shrineheritager.com/amanotanagao-shrine/) - 天手長男神社(あまのたながおじんじゃ)は 鎌倉時代の元寇により荒廃 その後廃絶し 所在も不明となっていました 延宝4年(1676)平戸藩主の命により藩の国学者 橘三喜が 現地の地名「たなかを」から(たながお)推定し比定したものです それ以前は 天手長男神社の由緒は無いとされていた 櫻江村 若宮と云われた式外社でした - [物部布都神社跡(壱岐市郷ノ浦町田)〈『延喜式』物部布都神社〉](https://shrineheritager.com/mononobe-shrine-ruins/) - 物部布都神社跡(もののべふつじんじゃ あと)は 延宝四年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉で 式内社と比定された物部村に鎮座していた布都ノ宮〈物部布都神社〉の跡地です 昭和40年(1965)5月 天手長男神社に合祀されました - [伊川谷惣社(神戸市西区伊川谷町上脇)〈延喜式内社 物部神社〉](https://shrineheritager.com/sosha/) - 伊川谷惣社(いかわだに そうしゃ)は 神功皇后が三韓征伐の帰途 明石川から伊川を船でのぼり ここで一休みして「大国主命をここに祀れ」と命じたのが創始であると伝わります 『国内鎮守大小明神社記』では 延喜式内社 播磨國 明石郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)としています - [可美真手命神社(押部谷町細田)〈延喜式内社 物部神社〉](https://shrineheritager.com/umashimadenomikoto-shrine/) - 可美真手命神社(うましまでのみこと じんじゃ)は 成務天皇十九年(149)に創建されたと伝えられる 延喜式内社 播磨國 明石郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)とされ 又 天平勝宝六年(754)摂津国住吉大社の社家「津守連」が楯神・鉾神と共に住吉大神を勧請したと伝えられる押部谷 住吉神社 最初の鎮座地です - [物部神社(大田市)〈延喜式内社・石見國一之宮〉](https://shrineheritager.com/mononobe-shrine/) - 物部神社(もののべじんじゃ)は 大和朝廷が出雲の勢力を牽制するために 御祭神の宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が 大和の地から物部氏の一族をひきいて尾張・美濃・越国を平定され さらに播磨・丹波を経て石見国に入り この地に宮居を築かれ 祖神として祀られたものと伝わります - [韓國神社(豊岡市城崎町飯谷)〈延喜式内社 物部神社〉](https://shrineheritager.com/karakuni-shrine/) - 韓國神社(からくにじんじゃ)は 第25代 武烈天皇の命を受け 物部眞鳥(もののべのまとり)が 韓國へ派遣された後 但馬の楽々浦に着き 都へ報告に上った その功績により 韓國連を賜わり 物部韓國連眞鳥と称し その子・墾麿(こま)は 城崎郡司に任命され その孫・物部韓國連 鵠(くくひ)が創建した物部神社とされます - [物部神社(与謝野町石川物部)〈延喜式内社 物部神社〉](https://shrineheritager.com/mononobe-shrine-3/) - 物部神社(もののべじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 『朝野群載』承暦四年(1080)に 御卜〈天皇の身体を亀甲で卜い 卜兆に現れたところを奏上する儀式〉にて゛丹後國 物部神の神祟あるを以て社司に中祓を科す゛と記されており 神威ある神社でした 延喜式内社 丹後國 與謝郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です - [荒井神社(南丹市八木町美里字荒井)〈『三代實録』荒井神『延喜式』嶋物部神社〉](https://shrineheritager.com/arai-shrine/) - 荒井神社(あらいじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが『三代實録』元慶6年(882)丹波國 荒井神に従五位を授けると記され 又 この付近には延喜式内社 丹波國 船井郡 嶋物部神社(しまもののへの かみのやしろ)があったとされるが その所在は不明となっていて 荒井神社は嶋物部神社の有力候補と云われます - [物部神社(佐渡市小倉)〈『續日本紀』物部天神・『延喜式』物部神社〉](https://shrineheritager.com/mononobe-shrine-4/) - 物部神社(もののべじんじゃ)は 穂積朝臣老(ほづみのあそみおゆ)が養老二年(722)佐渡配流の謫居二十年の間 小祠に物部氏の祖神゛宇麻志麻治命゛を祀り 祈り続けたと云う 『續日本紀』〈延暦10年(791)物部天神 従五位下〉と神位の奉叙が記されている 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 物部神社(もののべのかみのやしろ)です - [二田物部神社(柏崎市西山町二田)〈『延喜式』物部神社〉](https://shrineheritager.com/mononobe-shrine-5/) - 物部神社(もののべじんじゃ)は 祭神 二田天物部命は 天香山命に奉仕て 高志国(越国)に天降りしたと云う 二田を献上する者がおり その地に居を定め その里を「二田」と称したと伝え 命は薨(こう)じて 二田の土生田(はにゅうだ)の高陵に葬られたと云う 延喜式内社 越後國 三嶋郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です - [物部神社(上越市清里区南田中)〈延喜式内社 物部神社(もののへの かみのやしろ)〉](https://shrineheritager.com/mononobe-shrine-2/) - 物部神社(もののべじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「越後國 頸城郡 物部神社」です かつては 武士(もののふ)村に鎮座し 山王権現〈日吉神〉と呼ばれていました その後 田中村新田に遷座 昭和46年4月 圃場整備事業のため現在地〈南田中〉に遷座しました - [物部神社(高岡市東海老坂)〈『延喜式』物部神社〉](https://shrineheritager.com/mononobe-shrine-9/) - 物部神社(もののべじんじゃ)は 当初鎮座地は この谷の奥地「氷見の庄 物部神社と称し(氷見との境界の奥山に鎮座)」とされ 次に現在地の西方 鳥帽子山という山に遷座 その後に 現在地〈海老坂八幡宮のあった地〉に遷座しました 延喜式内社 越中國 射水郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です - [岩戸神社(岐阜市長森岩戸)〈『延喜式』物部神社の〈参考論社〉〉](https://shrineheritager.com/iwado-shrine/) - 岩戸神社(いわどじんじゃ)は 岐阜市長森岩戸(ながもりいわど)字西山に鎮座する 猿田彦大神を祀る神社で 創建年代 由緒など不祥です 元々この岩戸字西山の辺り〈岩戸観音の地とも岩戸八幡社の社地とも云う〉は 式内社 物部神社の旧社地であったと伝わっていますので 延喜式内社の〈参考論社〉として掲載します - [岩戸八幡社(岐阜市長森岩戸)〈『延喜式』物部神社の跡地〉](https://shrineheritager.com/hachiman-shrine-9/) - 岩戸八幡社(いわどはちまんしゃ)は 揖斐川改修の為 八幡社が高須町大字日下丸から現地へ明治43年(1910)遷座したもの 里人の口伝には「元々この地は 延喜式内社 美濃國 厚見郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)が鎮座していたが 斎藤道三の時代(天文8年・1539)丸山へ遷座し 後に伊奈波神社に合祀された」と云う - [丸山神社〈伊奈波神社 旧蹟〉(岐阜市赤ケ洞)〈『延喜式』物部神社〉](https://shrineheritager.com/maruyama-shrine/) - 丸山神社(まるやまじんじゃ〈伊奈波神社 旧蹟〉)は 稲葉山の一角にある丸山の山頂に鎮座する伊奈波神社の旧鎮座地です 天文8年(1539年)斎藤道三による稲葉山城の築城により 丸山から現在の場所へ遷されたと伝わります 現在も石基と六尺周囲一丈余りの烏帽子岩が存在し「伊奈波神社旧蹟」の標号もあります - [伊奈波神社(岐阜市伊奈波通)〈『延喜式』物部神社〉](https://shrineheritager.com/inaba-shrine/) - 伊奈波神社(いなばじんじゃ)は 社伝に 景行天皇14年 五十瓊敷入彦命の偉徳を偲び武内宿禰により 椿原の地(丸山〈伊奈波神社 旧蹟〉)に鎮斎したのが始まりと云う 天文8年(1539)斎藤道三による稲葉山城の築城により 丸山から現在地へ遷座 合殿には『延喜式』美濃国厚見郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)が祀られます - [北野天神社(所沢市小手指元町)〈正式名称゛物部天神社 國渭地祇神社 天満天神社゛〉](https://shrineheritager.com/kitano-tenjinsha-shrine/) - 北野天神社(きたのてんじんしゃ)は 三社を合殿に祀る総称で 正式名称は゛物部天神社・國渭地祇神社・天満天神社゛です 元々は 日本武尊が祀ったと伝わる入間郡の式内社 物部天神社とされ さらに国渭地祇神社を(一説には出雲祝神社も)合祀すると云う 長徳元年(995)京都より北野天神を勧請し 坂東第一北野天神と称しました - [白山建岡神社(山梨市上栗原)〈上栗原村〔小市明神〕を合祀か?〉](https://shrineheritager.com/tateoka-shrine/) - 建岡神社(たておかじんじゃ)は 江戸時代には〔白山権現〕と呼ばれていました 同じく上栗原村にあった〔小市明神〕は 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)であるとの一説もあります 現在〔小市明神〕は 建岡神社に合祀されているのか? - [大石神社(甲州市塩山赤尾)〈延喜式内社 物部神社の論社〉](https://shrineheritager.com/ohishi-shrine-2/) - 大石神社(おおいしじんじゃ)は 社伝に 第21代 雄略天皇御宇 詔(みことのり)により海部直赤尾物部兎代宿禰(あまのあたいあかお もののべのとよのすくね)によって勧請されたと伝わります 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社とされ 明治時代には 物部神社と称したと云う - [大石神社(山梨市西)〈巨大な花崗岩のご神体が坐します〉](https://shrineheritager.com/ohishi-shrine/) - 大石神社(おおいしじんじゃ)は その名の通り 巨大な花崗岩のご神体〈磐座信仰〉が坐します 社殿の周囲にも数々の巨大な石〈磐座〉があり 不思議な景観となっています 社伝によると 古くは物部神社と称していたとあり 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社となっています - [物部神社(笛吹市石和町松本)〈『六国史』物部神・『延喜式』物部神社〉](https://shrineheritager.com/mononobe-shrine-6/) - 物部神社(もののべじんじゃ)は 大和朝廷の使者として武内宿禰(たけのうちのすくね)らが東方巡察の折 物部氏の従者により創祀されたと云う 『六国史』には゛物部神゛に神階の奉授が記され 『延喜式』に甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)と所載されます 当初 御室山に鎮座し 鎌倉時代に現在地に遷座と云う - [御器所八幡宮(名古屋市昭和区御器所)〈八所大明神〉](https://shrineheritager.com/gokiso-hachimangu/) - 御器所八幡宮(ごきそ はちまんぐう)は 第54代 仁明天皇の勅願所として熱田社の鬼門を守護するために創建と社伝に云う 御器所(ごきそ)の地名は『吾妻鏡』に この地で熱田社の神事に使う土器を焼いていたことから名付けられたと記述があり 尾張國 愛智郡の二つの式内社〈・高牟神社・物部神社〉の論社となっています - [物部神社(名古屋市東区筒井)〈御神体の霊璽゛一塊の巨大な石゛〉](https://shrineheritager.com/mononobe-shrine-7/) - 物部神社(もののべじんじゃ)は 御神体の霊璽が゛一塊の巨大な石゛で 初代 神武天皇の御代に当地の凶魁を討たれ この石〈俗に要石 鎮撫石 根石とも云う〉を国の鎮めとされ 石神様とも呼ばれます 第11代 垂仁天皇の御代 初めて社殿が造営された云う 延喜式内社 尾張國 愛智郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です - [物部神社(津市新家町)〈山辺の行宮〉〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/mononobe-shrine-8/) - 物部神社(もののべじんじゃ)は 古代この地方を支配した物部氏の一族 新家氏の氏神とされます 寛保元年(1741)の洪水により 古記録等が流失し創立当時の確かな記録はないが 当社は所替せず古来の地にあると云う 〈山辺の行宮〉の跡地ともされる 延喜式内社 伊勢國 壹志郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)とされます - [伊勢寺神社(松阪市伊勢寺町)〈式内論社3社〈大神神社・物部神社・堀坂神社〉を合祀〉](https://shrineheritager.com/isedera-shrine/) - 伊勢寺神社(いせでらじんじゃ)は 寛正2年(1461)当村で疫病が流行し多くの村人が亡くなり 疫病鎮めの神として一志郡多気村の牛頭天王社を当地に勧請し高福大明神と称したのが始めと言う 明治41年(1908)式内社の論社3社〈大神神社・物部神社・堀坂神社〉を含む35社を合祀します 昭和5年(1930)伊勢寺神社と改称 - [古代豪族〈武力と祭祀を担う〉物部氏 と「延喜式内社 物部神社」について](https://shrineheritager.com/mononobe-uji/) - 物部氏(もののべうじ)は 太古の大和朝廷で 神道を奉じ軍事を司る氏族として「八十物部(やそのもののべ)」と云われ 絶大な勢力を保持していました その後 神道を奉じる物部氏の宗家〈物部守屋大連〉は 仏教を信奉する蘇我氏〈蘇我馬子 大臣〉と用命天皇2年(587)戦い敗れ 物部氏は徐々に衰退をして行く事になります - [諸大明神社(春日井市松本町)〈『延喜式』物部神社〉](https://shrineheritager.com/morodaimyozin-sha/) - 諸大明神社(もろだいみょうじんじゃ)は 一説には養老年間(717~724年)又は養老2年(718)の創建とされる古社で『尾張神名帳』などは春日部郡 従三位 松原天神とします 又 一説に延喜式内社 尾張國 春日部郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)ともされます - [飯野神社(鈴鹿市長太旭町)〈三つの式内社①飯野神社②都波岐神社③大木神社の論社〉](https://shrineheritager.com/iino-shrine/) - 飯野神社(いいのじんじゃ)は 長太(なご)〈穏やかな海面・豊かな漁場の意を持つ地名〉に鎮座します 鈴鹿市無形民俗文化財「長太の鯨船行事」〈昔 伊勢湾に迷い込んだ鯨を銛で仕留める古式鯨漁法を模して 神に様々な祈願を行う祭事〉があります 三つの式内社〈伊勢國 河曲郡①飯野神社②都波岐神社③大木神社〉の論社となっています - [三明神社(小牧市林北)〈『延喜式』非多神社〉](https://shrineheritager.com/sanmei-shrine/) - 三明神社(さんめいじんじゃ)は 承和8年(841)創建 戦国時代までは大縣神社の摂社と社伝に云う 又 江戸時代の編纂物『尾張志』『尾張地名考』『尾張名所圖會』等は「林村字平野と云所に稗田天神 又 樋田天神ありしが今廃して三明神相殿」と 延喜式内社 尾張國 春日部郡 非多神社(ひたの かみのやしろ)てあると記しています - [六所神社(名古屋市西区比良)〈『延喜式』非多神社・乎江神社〉](https://shrineheritager.com/rokusho-shrine-2/) - 六所神社(ろくしょじんじゃ)は 創建年代は不祥 本殿の両脇にある2つの境内社(・非多神社・ 大江神社)が式内論社とされていて〈①延喜式内社 尾張國 春日部郡 非多神社(ひたの かみのやしろ) ②延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)〉 二つの式内社の論社となっています - [八幡神社(瀬戸市水北町)〈『延喜式』乎江神社〉](https://shrineheritager.com/hachiman-shrine-11/) - 八幡神社(はちまんじんじゃ)は 創建年代は不祥 延宝四年(1676)尾張藩主乙世光友の再建と伝わり 『尾張志』に「上水野村の八幡社は境内ひろく 其地を字江の山日呼ひ 東に隣れる藥師堂法松院の山號を上(ウヘ)之山といへるも宇江の轉したる由」と延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)の論社としています - [髙向大社(伊勢市御薗町高向)〈『延喜式』雷電神社〉](https://shrineheritager.com/takabuku-shrine/) - 高向大社(たかぶくたいしゃ)は 『高向村神社記』記す「第45代 聖武天皇の御代 天平三年(731)創建」又「貞観三年(861)八月 大雨洪水があり大杉の根本に゛白羽の蓋根矢゛が流れ着いた」と山城 賀茂別雷神社の「丹塗矢伝承」と同類の伝承があり 延喜式内社 伊勢國 度會郡 雷電神社(いかつちの かみのやしろ)とされます - [天神神社(小牧市三ツ淵宮前)〈『延喜式』乎江神社〉](https://shrineheritager.com/tenjin-shrine-5/) - 天神神社(てんじんじんじゃ)は 以前は三淵の南方にあり 古來 菅生天神と稱されたが 水害の爲め移転 明治元年再び今の地に遷座 『式内社調査報告』に「『尾張國神名帳追繼考』(明治三年)三淵村天神社(現在の小牧市三ッ淵宮前)を乎江神社とする説」があり 延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)の論社です - [熊野社〈熊野神社の五枚岩〉(小牧市岩崎独山)〈『延喜式』乎江神社〉](https://shrineheritager.com/kumano-sha/) - 熊野社(くまのしゃ)は 『式内社調査報告』に「神社明細帳によれば、社傳として創祀を景行天皇十四年と傳へ『尾張太古圓』(信憑性が極めて低い史料)に岩崎の名があるとして岩崎村の熊野社を乎江神社と主張してゐる」とあり延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)の論社です 境内の〈熊野神社の五枚岩〉が有名です - [八所社(小牧市本庄郷浦)〈『延喜式』乎江神社〉](https://shrineheritager.com/hassho-sha/) - 八所社(はっしょ しゃ)は 鎮座地の本庄は味岡庄の中心という意味で 味岡庄の総氏神として祀られてきました 天正3年(1575)に平戸松浦肥前守の舎弟 松浦勝政が京都の御霊社を合祀して八所社と名づけて再建したと伝えられます 延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)の論社となっています - [神明社(春日井市大留)〈『延喜式』乎江神社・大目神社〉](https://shrineheritager.com/shinmei-sha/) - 神明社(しんめいしゃ)は 創建年代等不明です しかし『式内社調査報告』に「根據が弱く説得力に乏しい」としながらも 二つの式内社〈①延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)②延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)〉の参考論社と記されています - [都農神社(児湯郡都農町川北)〈『延喜式』都農神社・日向国一之宮〉](https://shrineheritager.com/tsuno-shrine/) - 都農神社(つのじんじゃ)は 初代天皇「神武天皇」が 宮崎の宮を発して 東征に向かう際〈即位の6年前〉に 此の地に立ち寄り 国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し 御祭神を鎮祭したことに始まると伝わります 日向国一之宮として 格式高く 由緒ある神社です - [神明社・八幡宮合殿(名古屋市北区中杉町)〈『延喜式』大目神社〉](https://shrineheritager.com/shimmeisha-hachimansha-aidono/) - 神明社・八幡宮合殿(しんめいしゃはちまんしゃあいどの)は 神明社はこの地に寛永七年(1630)創建 八幡社〈天文一〇年(1541)杉村字八幡越に勧請〉は清水小学校開校に伴い敷地に充てるため明治39年(1906)奉還合祀 又 境内社合殿の大日社は 延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)の論社です - [日向國(ひむかのくに)式内社 4座(並小)について](https://shrineheritager.com/himukanokuni/) - 日向国(ひむかのくに / ひゅうがのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 〈現在の宮崎県〉日向国 4座(並小)の神社です - [大目神社(瀬戸市巡間町)〈『延喜式』大目神社〉](https://shrineheritager.com/ohme-shrine-2/) - 大目神社(おおめじんじゃ)は 鎮座地が古くは「大目森」とも「御守塚」とも呼ばれていたので神社の名称が大目神社となったと云われています 創建年代は不祥ですが 奈良時代に遡るとも云い 延喜式内社 尾張國 山田郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)の論社となっています - [尾張國 式内社 121座(大8座・小113座)について](https://shrineheritager.com/woharinokuni/) - 尾張国(おわりのくに・をはりのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 尾張国には 121座(大8座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [儛草神社(一関市舞川大平)〈『文徳實録』儛草神『延喜式』儛草神社〉](https://shrineheritager.com/maikusa-shrine/) - 儛草神社(まいくさじんじゃ)は 社伝には大同2年(807)坂上田村麿によって創建と云う 又 養老二年(718)白山妙理権現が創建とも云う 六国史『文徳實録』仁寿二年(852)「儛草神」の神として神階の奉授が記される 延喜式内社 陸奥國 磐井郡 儛草神社(まひくさの かみのやしろ)とされる由緒ある古社です - [鎭岡神社(奥州市江刺岩谷堂字五位塚)〈『延喜式』鎭岡神社〉](https://shrineheritager.com/shizumegaoka-shrine/) - 鎭岡神社(しづめがおか じんじゃ)は 称徳天皇(764~)の御代に勧請『安永風土記(1772~81年)』とある延喜式内社 陸奥國 江刺郡 鎭岡神社(しつめをかの かみのやしろ)です 又 天明5年(1784)国学者 菅江眞澄が「かしこしな あらふるとても ぬさとらば こころしつめの 岡の神籬(ひもろぎ)」と歌を詠みました - [高牟神社(名古屋市名東区高針)〈『延喜式』高牟神社〉](https://shrineheritager.com/takamu-shrine/) - 高牟神社(たかむじんじゃ)は 元々は尾張物部氏の武器庫であり 高牟(たかむ)とは 古代の武器゛鉾゛の美称とされます 高針村の産土神として 江戸時代には應神天皇を祀り八幡社と称していました 昭和26年(1951)高牟神社と改称されました 延喜式内社 尾張國 愛智郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社です - [山家宝満宮(筑紫野市山家)〈『六国史』竃門神『延喜式』竃門神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/homango/) - 山家宝満宮(やまえ ほうまんぐう)は 創立年代は不祥 『寳滿宮由来書』は「第二十六代 孝徳天皇(645~654)大化二年丙牛歳(646)神功皇后 應神天皇を奉祭せりと云ふ」とあり『福岡県神社誌』は「竈門山寳宮の本宮たるに依て」と延喜式内社 筑前國 御笠郡 竃門神社〔名神大〕(かまとの かみのやしろ)の本宮と記しています - [宝満宮 竈門神社(太宰府市内山)〈『六国史』竃門神『延喜式』竃門神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/homangu-kamado-shrine/) - 宝満宮 竈門神社(ほうまんぐう かまどじんじゃ)は 天武天皇二年(673)開山心蓮上人が山中で修行中 にわかに山谷震動して貴婦人〈玉依姫の霊〉が現れ 金剛神に姿を変じ九頭の龍馬に駕して天を自在に飛行した 上人は直ちに朝廷に奏上すると 朝廷の命によって上宮が建立された 延喜式内社 筑前國 御笠郡 竃門神社〔名神大〕(かまとの かみのやしろ)です - [石上神宮(天理市布留町)〈『延喜式』石上坐布留御魂神社〔名神大 月次 相嘗新嘗〕〉](https://shrineheritager.com/isonokami-jingu/) - 石上神宮(いそのかみじんぐう)は 『古事記』『日本書紀』にも 石上神宮と記されています この当時「神宮(かみのみや)」と称されているのは 伊勢神宮と石上神宮だけです 記録の上では日本最古設立の「神宮」とされています 伊勢神宮の古名は「磯宮(いそのみや)」で「石上(いそのかみ)」とは何らかの関係があるのかもしれません - [水尾神社(佐渡市河崎)〈『延喜式』阿都久志比古神社の旧鎮座地〉](https://shrineheritager.com/mizuwo-shrine/) - 水尾神社(みずをじんじゃ)は 創建は寬和二年(986)とも貞観十五年(873)とも云い 『佐渡實録』に「熱串彥神社を一に水尾神社とも云ふ 又 河崎に在りとも云ふと記せるに因れば 當社も同神の神迹也と思はる」とあり 延喜式内社 佐渡國 賀茂郡 阿都久志比古神社(あつくしひこの かみのやしろ)の古社地とする説があります - [熱串彦神社(佐渡市長江)〈『延喜式』阿都久志比古神社〉](https://shrineheritager.com/atsukushihiko-shrine/) - 熱串彦神社(あつくしひこじんじゃ)は 社伝に「貞観年間(八五九~七七)貞観式成立時を以て本社の創立として云」とある由緒ある古社です 当時 佐渡は大和朝廷支配下の最北端の島でした 朝廷の官社として 延喜式内社 佐渡國 賀茂郡 阿都久志比古神社(あつくしひこの かみのやしろ)として祀られていたと云います - [飯持神社(佐渡市飯持)〈『延喜式』飯持神社〉](https://shrineheritager.com/iimochi-shrine/) - 飯持神社(いいもちじんじゃ)は 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 飯持神社(いいもちの かみのやしろ)です 延宝年中(1673~1681)その時は小さき祠であった飯持神社に 橘三喜が社参したとあり「万民の みたまの水を うけ持の 神の社は かすかなれども」との和歌を奉納したとあります - [三宮神社(佐渡市三宮)〈延喜式内社 越敷神社 創祀の地と伝〉](https://shrineheritager.com/sangu-shrine/) - 三宮神社(さんぐうじんじゃ)は 順徳上皇が内房右衛門佐局との間に在島中3人の皇子(第一皇女慶子 第二皇女忠子 第三皇子千歳宮)が誕生した この第三皇子を祀る事から「親王大明神⇒三宮大明神」と称した 明治以後に三宮神社と改称 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 越敷神社(をしきの かみのやしろ)の創祀の地とも伝わります - [越敷神社(佐渡市猿八)〈『延喜式』越敷神社〉](https://shrineheritager.com/oshiki-shrine/) - 越敷神社(おしきじんじゃ)は 口碑には「初め 三宮の字荒屋に在りしを 慶安元年(1648)現地(猿八)に移祀すと云う」とあります 明治六年(1873)式内村社に列せられています 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 越敷神社(をしきの かみのやしろ)とされます - [大目神社(佐渡市吉岡)〈『延喜式』大目神社・佐渡國二之宮〉](https://shrineheritager.com/ohme-shrine/) - 大目神社(おおめじんじゃ)は 延喜式内社 佐渡國 羽茂郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)で 佐渡國二之宮とされる由緒ある古社です 創建年代など不祥ですが 『佐渡志』に「徳治二年(1307)七月 吉岡地頭本間遠江守 この社を修理せし時の棟札は今も残れり」とあります - [大膳神社(佐渡市竹田)〈『延喜式』御食神社〉](https://shrineheritager.com/ohzen-shrine/) - 大膳神社(おおぜんじんじゃ)は 正殿に御食津神 左殿に日野資朝卿 右殿に大膳坊賢榮を祀ります 勧請創始については諸説があり 一説には この正殿の御食津神が 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 御食神社(みけの かみのやしろ)ではないかとする説もあり 式内論社となっています - [大御霊神社(国府宮 別宮)〈『延喜式』大御靈神社〉](https://shrineheritager.com/omitama-shrine/) - 大御霊神社(おおみたまじんじゃ)は 「尾張大國霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)」を本宮として その別宮であるとされます 別宮はもう一つ「宗形神社(むなかたじんじゃ)」があり この3神社は「国府宮三社」とも呼ばれていて いずれも格式ある『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の所載社です - [御食神社(佐渡市宮川)〈『延喜式』御食神社〉](https://shrineheritager.com/miketsu-shrine/) - 御食神社(みけつじんじゃ)は 天正年間(1573~92)兵火に罹り 旧記は焼亡 慶安年間(1648~51)洪水により社殿が流出し 創立年月・往古 勧請の地など不詳ですが 大膳寮所祭の神と申伝わり 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 御食神社(みけの かみのやしろ)の論社となっています - [鹿嶋神社(白河市大鹿島)〈『延喜式』白河神社〉](https://shrineheritager.com/kashima-shrine-8/) - 鹿嶋神社(かしまじんじゃ)は 社伝によれば 光仁天皇の御代 宝亀年間(770~780)この地に祭られ 弘仁2年(811)坂上田村麻呂が東夷征伐の際 改めて常陸国鹿島大明神を勧請した神社〈白河以北を守る武神〉とされます 延喜式内社 陸奥国 白河郡 白河神社(しらかはの かみのやしろ)の論社でもあります - [筑前國 式内社 19座(大16座・小3座)について](https://shrineheritager.com/chikuzennokuni/) - 筑前国(ちくぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 筑前国(ちくぜんのくに)には 19座(大16座・小3座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [引田部神社(佐渡市金丸)〈『延喜式』引田部神社・佐渡國 三之宮〉](https://shrineheritager.com/hikitabe-shrine/) - 引田部神社(ひきたべじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 『國邑志稿』に「引田は阿倍臣同祖にて 大彦命之後也 大彦命は孝元帝の皇子にて 阿部臣等七姓之始祖也」とあり 引田氏の子孫が当国に住み祖神を祀ったものであろうとされる延喜式内社 佐渡國 雑太郡 引田部神社(ひきたへの かみのやしろ)です - [陸奥國 式内社 100座(大15座・小85座)について](https://shrineheritager.com/mutsunokuni/) - 陸奥国(むつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 陸奥国には 100座(大15座・小85座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [大幡神社(佐渡市大倉)〈『三代實録』大庭神『延喜式』大幡神社〉](https://shrineheritager.com/ohata-shrine/) - 大幡神社(おおはたじんじゃ)は 『佐渡神社誌』に由緒として『元緑寺社帳』に貞觀三年(861)の創設とあり 一説には延喜元年(901)の創祀とも伝えています 『三代實録』に大庭神『延喜式』に佐渡國 賀茂郡 大幡神社(をほはたの かみのやしろ)です 往時は佐渡北部24ケ村の總鎭守で 明治には縣社に列しています - [舟津神社(鯖江市舟津町)〈『延喜式』《本殿》舟津神社《相殿》大山御板神社〉](https://shrineheritager.com/funatsu-shrine/) - 舟津神社(ふなつじんじゃ)は 崇神天皇10年(前88)四道将軍の大彦命が逢山の峰に楯三枚を以て社形を成し 猿田彦命を祀つたのが 式内社 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)であり 成務天皇4年(134)市入姫が勅をうけ大彦命が舟津の地に勅祭されたのが 式内社 舟津神社(ふなつの かみのやしろ)です - [鹿島御子神社(南相馬市鹿島区鹿島町)〈『延喜式』鹿嶋御子神社〉](https://shrineheritager.com/kashimamiko-shrine-2/) - 鹿島御子神社(かしまみこじんじゃ)は 鹿島神宮(鹿嶋市)祭神 武甕槌命の御子神 天足別命(あめのたらしわけのみこと)を祀ります 命が奥州の地を統御する為 この地〈鹿島の稚児沼〉に仮宮された時 賊徒が放火したが 命は直ちに「火伏せの神事」を以て四方八方に拡がった猛火を鎮めたと云う故事があり 火伏せの神として信仰されます - [志登神社(糸島市志登)〈『延喜式』志登神社〉](https://shrineheritager.com/shito-shrine/) - 志登神社(しとじんじゃ)は 『記紀神話』日向二代 彦火火出見尊〈山幸彦〉の妃 ゛豊玉姫命゛が 海神国より帰り 浮島であったこの地に上陸されたので 社殿は西方に向って建ち 昔は海上から参拝するようになっていたと伝わります 延喜式内社 筑前國 怡土郡 志登神社(しとの かみのやしろ)とされます - [川勾神社(中郡二宮町山西)相模国二之宮〈『延喜式』川勾神社〉](https://shrineheritager.com/kawawa-shrine/) - 川勾神社(かわわじんじゃ)は 社伝に「縁起書によれば 第十一代垂仁天皇の朝 磯長国(しながのくに)の国宰たる阿屋葉造が勅命を奉じて当国鎮護のため創祀せらる」とあり 日本武尊東征の時 源義家東下りの時 奉幣祈願があったと伝わる 延喜式内社 相模國 餘綾郡 川匂神社(かはいいの かみのやしろ)です - [氣比神社(敦賀市刀根)〈『延喜式』伊多伎夜神社(氣比神社に合祀 山神神社)〉](https://shrineheritager.com/kehi-shrine/) - 氣比神社(けひじんじゃ)は 里人の伝承には越前國一宮 氣比神宮(敦賀市)の奥宮であると云う 又 伊多伎夜谷(いたきやだに)に鎮座していたと伝わる 延喜式内社 越前國 敦賀郡 伊多伎夜神社(いたきやのかみのやしろ)の論社 山神神社を合祀しており 式内論社にもなっています - [筑紫神社(筑紫野市原田)〈『三代實録』筑紫神『延喜式』筑紫神社〔名神大社〕〉](https://shrineheritager.com/chikushi-shrine/) - 筑紫神社(ちくしじんじゃ)は 延喜式内社 筑前國 御笠郡 筑紫神社(名神大)(ちくしの かみのやしろ)です 筑紫の国号の起源説話が伝わる由緒ある古社で 奈良時代に書かれた『御笠郡筑紫神社縁起』には「筑前国と筑後国の境に荒ぶる神がいて 往来のものの命を奪うので困り果て 筑紫神として祀り これを鎮めた」とあります - [春日神社(鯖江市鳥井町)〈『延喜式』大山御板神・伊多伎夜神社〉](https://shrineheritager.com/kasuga-shrine-4/) - 春日神社(かすがじんじゃ)は 第10代 崇神天皇の御宇 大彦命が北陸道下向に際し当地に着陣 楯板を立て軍神 武甕槌神・経津主神の二神を奉祀し賊を征伐 御板神社の社号を贈ったと云う 延喜式内社 越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたのかみのやしろ)です 別説に敦賀郡 伊多伎夜神社(いたきやのかみのやしろ)ともされます - [九頭神廃寺史跡公園(枚方市牧野本町)〈『延喜式』久須々美神社の旧鎮座地〉](https://shrineheritager.com/kuzumigamihaiji-shisekikoen/) - 九頭神廃寺史跡公園(くずみがみはいじ しせきこうえん)は 大阪府枚方市牧野本町にあります 九頭神廃寺は飛鳥時代後期から奈良時代にかけて建立された古代寺院で 平安時代に廃絶したものと考えられています 寺院地の南西角部に『延喜式』久須々美神社の旧鎮座地が 隣接して造営されていたことも判明しています - [八幡神社〈五社宮〉(福井市片粕町)〈『延喜式』大山御板神社〉](https://shrineheritager.com/hachiman-shrine-10/) - 八幡神社(はちまんじんじゃ)は 貞観二年(860)清和天皇の時代に創建と伝わり 又「五社宮」とも云われます 五社の中には「白山神社〔御祭神 伊邪那美尊・火産霊尊・武甕槌命の三柱〕」が含まれており この白山神社が 延喜式内社 越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)であると伝わっています - [越知神社 里宮(丹生郡越前町大谷寺)〈『延喜式』大山御板神社〉](https://shrineheritager.com/ochi-shrine-satomiya/) - 越知神社 里宮(おちじんじゃ)は 第44代 元正天皇 養老二年(718)泰澄は仏像を作り 越知山頂(612m)に社堂を建て「越知山三所大権現」と称して祀ったのが始まり 当地はその遥拝所にあたります 一説には延喜式内社 越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)の論社とされます - [神明神社〈上総社〉(越前市若竹町)〈『延喜式』大山御板神社を合祀〉](https://shrineheritager.com/shinmei-shrine-5/) - 神明神社(しんめいじんじゃ)は 第26代 継体天皇が即位のため都に向かう時 日野山に向かい越前国中の神々を拝された宮跡と伝わり 伏拝(ふしおがみ)と云い日野山を遥拝する聖地でした 明治41年 延喜式内社 越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)の論社 三ツ口の神明神社を合祀して神明神社と改称しました - [神明神社(越前市三ツ口町)〈『延喜式』大山御板神社〉](https://shrineheritager.com/shinmei-shrine-4/) - 神明神社(しんめいじんじゃ)は 『越前鹿子』等の地誌は『足羽社記」の「三太。今云三口歟。又延喜式所載 大山御板神社是ノ處乎。」との記載により當社を延喜式内社 越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)に比定しています 明治41年(1908)楠町の伏拜神社に合併され 伏拜神社は神明神社と改称しています - [大洗磯崎神社(丹生郡越前町乙坂)〈『延喜式』大山御板神社〉](https://shrineheritager.com/oaraiisosaki-shrine/) - 大洗磯崎神社(おおあらいいそさきじんじゃ)は 古代から乙坂山〔奈良の三輪山に似た秀れい形の山〕を神体山としています 『越前名勝志』〈元文三年(1738)〉に「三大(みた) 今三ッ口〔式〕云、大山御板の神社、今 乙坂村」とあり 延喜式内社 越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)の論社となっています - [佐渡國(さどのくに)の 式内社 9座(並小)について](https://shrineheritager.com/sadonokuni/) - 佐渡国(さどのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社の一覧表です 佐渡国には 9座(並小)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [有鹿神社 奥宮(相模原市南区磯部)〈『延喜式』有鹿神社 発祥の地〉](https://shrineheritager.com/aruka-shrine-okunomiya/) - 有鹿神社 奥宮(あるかじんじゃ おくのみや)は 縄文時代の大集落跡である相模原市磯部勝坂の有鹿谷(あるかやと)に鎮座する 延喜式内社 相模國 高座郡 有鹿神社(ありかの かみのやしろ)の発祥の地です 社号の「有鹿(あるか)」とは 古代語の「水」を意味し 有鹿谷の泉は 縄文の水神信仰の対象であると云われます - [有鹿神社 本宮(海老名市上郷)〈『三代實録』有鹿神『延喜式』有鹿神社〉](https://shrineheritager.com/aruka-shrine/) - 有鹿神社 本宮(あるかじんじゃ ほんみや)は 六国史『三代實録』に「貞観十一年(869)十一月十九日壬申 授ニ 相模國從五位下 有鹿神 從五位上」と見え 『延喜式』に相模國 高座郡 有鹿神社(ありかの かみのやしろ)と載る由緒ある古社です 奥宮から奈良時代以前に 相模国府のあった海老名郷〔現在地〕に遷座しました - [御食神社(伊勢市神社港)〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉](https://shrineheritager.com/mike-shrine/) - 御食神社(みけじんじゃ) 〈豊受大神宮(外宮)摂社〉は 『倭姫命世紀』に「倭姫命が皇大神宮御遷幸の時 鷲取老翁が清水を奉り その功績を賞し 水饗社(みけのやしろ)を定めた」と起源を伝える古社 中世に廃絶しますが 寛文3年(1663)現社地で再興された 延喜式内社 伊勢國 度會郡 御食神社(みけの かみのやしろ)です - [前鳥神社(平塚市四之宮)〈『延喜式』前鳥神社〉](https://shrineheritager.com/sakitori-shrine/) - 前鳥神社(さきとりじんじゃ)は 菟道稚郎子命を祀る数少ない神社の一つです この地「さきとり」には 奈良時代以前 畿内から御祭神を「氏神」とする氏人が移り住み お祀りしたものと考えられています 延喜式内社 相模國 大住郡 前鳥神社(さきとりの かみのやしろ)で 国府祭の相模五社の一つ「四之宮」です - [比比多神社〈子易明神〉(伊勢原市上粕屋)〈『延喜式』比比多神社〉](https://shrineheritager.com/hihita-shrine/) - 比比多神社(ひひたじんじゃ)は 創建は天平年間(729~749年)相模国の守護の任にあった染谷太郎時忠が当国安土・子宝を願い勧請したと云う 子宝と安産の神「子易明神」として かつては大山詣の往復に多くの参詣者があったと云う 延喜式内社 相模國 大住郡 比比多神社(ひひたの かみのやしろ)の論社です - [〈旧鎮座地〉埒免古墳・比々多神社 元宮(伊勢原市三ノ宮)](https://shrineheritager.com/hibita-shrine-motomiya/) - 埒免古墳(らちめんこふん)・比々多神社 元宮(ひびたじんじゃ もとみや)は 比々多神社の北西500m程「埒免(らちめん)」という神聖な小高い丘の上にある延喜式内社 相模國 大住郡 比比多神社(ひひたの かみのやしろ)の旧鎮座地です 社伝に「正親町天皇 天正の初(1573年~)宮之前なる神官の居屋敷 即ち今の地に遷し奉る」とあります - [比々多神社(伊勢原市三ノ宮)相模國三之宮〈『延喜式』比比多神社〉](https://shrineheritager.com/hibita-shrine/) - 比々多神社(ひびたじんじゃ)は 始源は今から約一万年以上前〔付近の遺跡等から推測〕とされ 鎮座は「社伝に初代 神武天皇六年 古くから祭祀の行われていた当地を最上の地と選定し神を祀る社を建立 霊峰大山を神体山とし 豊斟渟尊を日本国霊として祀始と云う」延喜式内社 相模國 大住郡 比比多神社(ひひたの かみのやしろ)です - [相模國の「一宮 二宮 三宮 四宮 五宮 総社」について](https://shrineheritager.com/sagaminokuni-ichinomiya-ninomiya/) - 相模國の「一宮 二宮 三宮 四宮 五宮 総社」について 「相模國の一之宮争い」を今に伝える神事「国府祭」には 相模國の六社〔・一之宮 寒川神社・二之宮 川勾神社・三之宮 比々多神社・四之宮 前鳥神社・五之宮 平塚八幡宮・総社 六所神社〕が祭場である神揃山(かみそろいやま)・逢親場(おおやば)に 毎年五月五日に参集します - [熊野若宮三社神社(京丹後市久美浜町品田)〈『三代實録』熊野神『延喜式』熊野神社〉](https://shrineheritager.com/kumano-wakamiya-sunsha-shrine/) - 熊野若宮三社神社(くまのわかみやさんしゃじんじゃ)は 『熊野郡誌』に祭神を「天熊人」とし「式内社にして其の創建最も古く 人皇第十代崇神天皇の御世 道主命の勧請に係れりと傳ふ 云々 民間に於ける伝説には弉諾二神と素盞鳴尊を奉祀せりといへり」とある 延喜式内社 丹後國 熊野郡 熊野神社(くまのの かみのやしろ)です - [熊野新宮神社(京丹後市久美浜町河梨大谷)〈『三代實録』熊野神『延喜式』熊野神社〉](https://shrineheritager.com/kumano-shingu-shrine/) - 熊野新宮神社(くまのしんぐうじんじゃ)は 古文書が乏しいため由緒を証するものが少なく 勧請の年代等は不祥ですが 『久美濱町誌』には「式内の古社で靈験最も著しく」と記した上で 延喜式内社 丹後國 熊野郡 熊野神社(くまのの かみのやしろ)であるとしています - [熊野神社(京丹後市久美浜町 兜山山頂)〈『三代實録』熊野神『延喜式』熊野神社〉](https://shrineheritager.com/kumano-shrine-9/) - 熊野神社(くまのじんじゃ)は 『丹後旧事記』に「四道將軍の一人 丹波通主命が 河上の麻須の郎女を娶り五女を授かり 五人の娘たちが皆 垂仁天皇の皇后・妃になったことを喜び祝い 丹波道主命が熊野の神を勧請 河上の麻須によって 兜山の山頂に建立した」と云う 延喜式内社 丹後國 熊野郡 熊野神社(くまのの かみのやしろ)です - [古代 丹後國 熊野郡〈川上摩須郎女と丹波道主命に関わる〉延喜式内社について](https://shrineheritager.com/tanbanokawakami-no-masunoiratsume/) - 古代 丹波國 熊野郡の延喜式内社の多くは 丹波之河上之摩須郎女(たんばの かわかみのますのいらつめ)による勧請と伝わります 例えば 兜山の山頂に鎮座する延喜式内社 熊野神社は「娘たちが皇后になったことを喜び祝い 丹波道主命が熊野の神を勧請 河上の麻須によって 兜山の山頂に建立した」と云う - [鏡作神社(三宅町石見)〈『延喜式』鏡作坐天照御魂神社〔大月次新嘗〕〉](https://shrineheritager.com/kagamitsukuri-shrine/) - 鏡作神社(かがみつくりじんじゃ)は 社伝には「当社は延喜式内社にして 石凝姥命を祀る古社である」とあるが 荒廃していたものを昭和48年(1973)浄財をつのり造営したとしています 延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作坐天照御魂神社〔大月次新嘗〕(かかみつくりにます あまてるみたまの かみのやしろ)の論社です - [鏡作坐天照御魂神社(田原本町⼋尾)〈『延喜式』鏡作坐天照御魂神社〔大月次新嘗〕〉](https://shrineheritager.com/kagamitsukurinimasu-amaterumitama-shrine/) - 鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにます あまてるみたま じんじゃ)は 第10代崇神天皇の御世 三種神器の一つ「八咫鏡」を笠縫邑〈伊勢神宮の起源〉にお祀りする際 皇居にお祀りする新たな御鏡を鋳造したのが 鏡作神社を中⼼とした鏡作の匠で この時 試作鋳造された御鏡を「天照国照⽇⼦⽕明命」としてお祀りされています - [久須夜神社(小浜市堅海)〈『延喜式』久湏夜神社〉](https://shrineheritager.com/kusuya-shrine/) - 久須夜神社(くすやじんじや)は 久須夜ヶ岳を神と崇めた古代信仰とされ 山中に「大神岩」〈里人は狼岩といって畏怖〉があり 往古 大神がこの岩上に鎮座されたと云う 社伝に 社殿の創建は大化元年(645)・斎衡年間(854~857)現在地に社殿を建て鎮座 延喜式内社 若狭國 遠敷郡 久湏夜神社(くすやの かみのやしろ)です - [摩氣神社(園部町竹井)〈『文徳天皇實録』麻氣神社『延喜式』麻氣神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/make-shrine/) - 摩氣神社(まけじんじゃ)は 社伝には「嵯峨天皇御宇 弘仁二年(812) 僧空海の勧請せし所にして 摩氣郷十一ヶ村の總氏神たりといふ」とあるが『新抄格勅符抄』には「稱徳天皇 神護景雲四年(770)神封一戸を奉ず」とあり 奈良時代以前の創建と推測されます 延喜式内社 丹波國 船井郡 麻氣神社〔名神大〕(まけの かみのやしろ)です - [山神社(高島市マキノ町牧野)〈『三代實録』麻氣神『延喜式』麻希神社〉](https://shrineheritager.com/san-shrine/) - 山神社(さんじんじゃ)は 『高島郡誌』神社誌に 西庄村大字牧野に鎭座する「山神社」の社傳として「社傳に云、もと麻氣神社と稱し、字 眞毛野に鎭座ありしが、中古 彌馬野(ヤマノ)に移して 彌馬野神社と稱したり」とあり 延喜式内社 近江國 高嶋郡 麻希神社(まけの かみのやしろ)とされています - [冨都神社(磯城郡田原本町富本)〈『延喜式』富都神社〔鍬靫〕〉](https://shrineheritager.com/futsu-shrine/) - 冨都神社(ふつじんじゃ)は 創建年代等は不祥です 由緒を明確にする資料もありません 延喜式内社 大和國城下郡 富都神社〔鍬靫〕(ふとの かみのやしろ)に比定されていますが 地名「富本(とんもと」の文字が「富(ふつ・とみ)」と物部氏に通じるとの根拠としているらしく 確かな証はないとされています - [天神社(一宮市萩原町西宮重東光堂)〈『延喜式』賣夫神社〉](https://shrineheritager.com/tenjin-shrine-4/) - 天神社(てんじんしゃ)は 津田正生は『尾張國地名考』『尾張神名帳集設乃訂考』に延喜式内社 尾張國 中嶋郡 賣夫神社(ひめふの かみのやしろ)と挙げており 旧鎮座地は今の宮より艮〈北東〉二三町〈218~327m程〉天神と呼んだ所 又 今の宮の北東を彌宜屋〈社人住居〉 宮北を長福寺〈神宮寺〉と云い大宮の名残の証と記します - [鏡作伊多神社(磯城郡田原本町宮古)〈『延喜式』鏡作伊多神社〉](https://shrineheritager.com/kagamitsukuri-ita-shrine/) - 鏡作伊多神社(かがみつくりいたじんじゃ)は 神社の東北にある池゛宮古池゛が かつて享保年間(1716~1736)迄は 字はを「伊多の坪」と呼ばれた地であったが その後 池となったと伝わり この「伊多」の地名が延喜式内社 大和國城下郡 鏡作伊多神社(かかみつくり いたの かみのやしろ)の論社の論拠とされています - [鏡作伊多神社(磯城郡田原本町保津)〈『延喜式』鏡作伊多神社・富都神社〔鍬靫〕〉](https://shrineheritager.com/kagamitsukuri-ita-shrine-2/) - 鏡作伊多神社(かがみつくりいたじんじゃ)は 本殿が二祠〔南本殿・北本殿〕があり 南本殿は伊斯許理度賣命を祀る 延喜式内社 大和國城下郡 鏡作伊多神社(かかみつくり いたの かみのやしろ)の論社です 又 北本殿は宇摩志摩遅命を祀る 延喜式内社 大和國城下郡 富都神社〔鍬靫〕(ふとの かみのやしろ)の論社とされています - [相摸國 式内社 13座(大1座・小12座)について](https://shrineheritager.com/sagaminokuni/) - 相摸国(さがみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 相摸国には 13座(大1座・小12座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [鏡作麻氣神社(田原本町小阪)〈『延喜式』鏡作麻氣神社〉](https://shrineheritager.com/kagamitsukuri-make-shrine/) - 鏡作麻氣神社(かがみつくりまけじんじゃ)は 延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作麻氣神社(かかみつくり まけの かみのやしろ)とされます 鎮座地の周辺には 鏡作の守護神を祭祀した式内社「鏡作坐天照御魂神社・鏡作伊多神社」などが鎮座し 古くは鏡を製作していた技術者集団が居住した古代 大和國「鏡作郷」であったとされます - [大洗磯前神社(大洗町磯浜町)〈『延喜式』大洗礒前藥師菩薩明神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/oharai-isosaki-shrine/) - 大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ)は 『文徳天皇実録』斉衡三年(856)十二月二十九日の條に常陸国上言として 創建の由来が記され 天安元年(857)の條には官社に預っています 延喜式内社 常陸國 鹿嶋郡 大洗礒前藥師菩薩明神社〔名神大〕(おほあらひ いそさきの やくしほさつの あけのかみのやしろ)です - [酒列神社(越前市牧町)〈『延喜式』麻氣神社〉](https://shrineheritager.com/sakatsura-shrine/) - 酒列神社(さかつらじんじゃ)は 神社明細帳には「創建不詳と雖も 從來 當村 稲葉山峰に安置したると村老の云、然る處 明治十年(1877)四月 類焼に罹り社殿失より該地に再建す」とあり 地名「牧」祭神「少名彦尊」の類似から延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社とされています - [麻氣神社(丹生郡越前町真木)〈『延喜式』麻氣神社〉](https://shrineheritager.com/maki-shrine-2/) - 麻氣神社(まきじんじゃ)は 『越前官社考』に「此御社は眞木村に座す〔牧神社 牧村ならんが神龜三年(726)民部省のロ宣に依て麻気の二字を用ひしものなり〕つまり郡や郷名を二文字の「好字」で表せとの詔勅に対応して゛麻氣゛としたと云う 延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社です - [麻氣神社(南条郡南越前町牧谷)〈『延喜式』麻氣神社〉](https://shrineheritager.com/maki-shrine/) - 麻氣神社(まきじんじゃ)は 創建不祥とされるが 一説として荒樫神社の伝があり「大男迹王(継体天皇)二歳にして 御生母(振媛命)と是の国に御鳳來の時 先づ麻和介命(振媛の兄)の家に御着留ありと云 此の如き御親戚の因なみに依り祭りしものなり」とあります 延喜式内社 越前國 丹生郡 麻氣神社(まけの かみのやしろ)の論社です - [荒神神社(豊岡市日高町国分寺)〈『延喜式』賣布神社〉](https://shrineheritager.com/kojin-shrine/) - 荒神神社(こうじんじんじゃ)は 明治維新の際 国分寺境内から遷った神社です 延喜式内社 但馬國 氣多郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)は 往古は禰布ヶ森に鎭座 洪水で社殿が流出 中世に天神山中腹〈この地〉に遷宮 文久二年(1862)賣布神社跡地に遷座後 令和元年(2019)中世の鎮座地〈荒神神社に合祀〉遷座しました - [加茂廼神社(福井市鮎川町)〈『延喜式』雷神社〉](https://shrineheritager.com/kamono-shrine/) - 加茂廼神社(かものじんじゃ)は 口碑によれば 往昔は式内の大社で社領八十石を有し 近郷の総社であったと云う 延喜式内社 越前國 丹生郡 雷神社(いかつち かみのやしろ)の論社とする説があります 社伝に 多田満仲(藤原藤房卿)は 天徳元年(957)社殿を改築し金銭穀類を寄進 祭典には甲冑を着し参詣したと伝えます - [賀茂神社(福井市加茂町)〈『延喜式』雷神社〉](https://shrineheritager.com/kamo-shrine-5/) - 賀茂神社(かもじんじゃ)は 養老元年(717)京都賀茂両宮の御神霊を奉斎して賀茂下上大明神(かもしもかみだいみょうじん)と尊称された古社 神職は養老元年 神社創建より代々奉仕し現宮司で45代を数えています 延喜式内社 越前國 丹生郡 雷神社(いかつち かみのやしろ)の論社です - [雷神社(越前市広瀬町)〈『三代實錄』廣湍雄推神『延喜式』雷神社〉](https://shrineheritager.com/ikazuchi-shrine-2/) - 雷神社(いかずちじんじゃ)は 社伝に廣瀬開闢の産神 往昔 八幡山の嶺に鎭座と伝える 延喜式内社 越前國 丹生郡 雷神社(いかつち かみのやしろ)です 文化三年(1806)出火し古記等焼失 明治七年(1874)現社地に再建遷座 現地は元々『三代實錄』廣湍雄推神の境内で 貞観三年(861)雷神社の御領所となり遥拝所があった - [八坂神社&雨夜神社〈『延喜式』 雨夜神社〉(丹生郡越前町天王)](https://shrineheritager.com/yasaka-shrine-2/) - 八坂神社(やさかじんじゃ)は 社伝に 約1800年前 神功皇后が三韓出兵の帰途に天下安寧を祈願し 蛇谷山に祇園牛頭天王を祀ったのが当社のはじまりと云う 又 明治43年(1910)雨夜神社(朝日村天屋)〈延喜式内社 越前國 丹生郡 雨夜神社(あまよの かみのやしろ)の論社〉を八坂神社の境内に移転しています - [寒川神社(寒川町)〈『六国史』寒河神『延喜式』寒川神社(名神大)〉相模國一之宮](https://shrineheritager.com/samukawa-shrine/) - 寒川神社(さむかわじんじゃ)は 約1600年以上の歴史を持つとされ 古くは朝廷から さらに歴代の武将〈源頼朝公 武田信玄公 徳川将軍家など〉や 民間からも幅広い信仰がありました 今でも 八方除の守護神〈全国唯一〉として 全国各地から参拝者が絶えない 相模國一之宮です - [岡太神社(越前市岡本町)〈『續日本紀』雨夜神『延喜式』雨夜神社〉](https://shrineheritager.com/okafuto-shrine/) - 岡太神社(おかふとじんじゃ)は 延喜式内社 越前國 丹生郡 雨夜神社(あまよの かみのやしろ)の論社です 式内社 雨夜神社は 当初は岡本山山頂にあったとされ 岡太神社と称していたとの事 現在も山頂の祠に゛雨夜神社 岡本山上宮 祭神水波乃売命゛と刻字されています 岡本山の麓にあった白山神社に遷座したと伝わります - [大虫神社(越前市大虫町)〈『延喜式』大虫神社 名神大・雨夜神社・小虫神社・雷神社〉](https://shrineheritager.com/ohmushi-shrine/) - 大虫神社(おおむしじんじゃ)は 崇神天皇7年(BC91)丹生岳の峯(現 鬼ヶ嶽山頂)に鎮座 垂仁天皇26年(BC4)現在地に遷座 延喜式内社 越前國 丹生郡 大虫神社〔名神大〕(おほむしの かみのやしろ)です 相殿には三つの式内社〔・雨夜(あまよ)・小虫(をむし)・雷(いかつち)神社〕が天正11年(1583)合祀された - [加佐登神社(鈴鹿市加佐登町)〈合祀『延喜式』倭文神社〉](https://shrineheritager.com/kasado-shrine/) - 加佐登神社(かさどじんじゃ)は 日本武尊の御陵とされる白鳥塚古墳の傍に尊が死の間際まで持っておられた笠と杖を御神体としてお祭りしたのが始まりで「御笠殿社」と呼ばれていました 明治41年(1908)高宮内の17神社を合祀した中に延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)も含まれています - [博西神社(葛城市寺口)〈『延喜式』 葛木倭文坐天羽雷命神社(大月次新嘗)〉](https://shrineheritager.com/hakanishi-shrine/) - 博西神社(はかにしじんじゃ)は 旧鎮座地は倭文氏の祖神を祀る「棚機の森(たなばたのもり)」と伝わり 往古より葛木倭文坐天羽雷神社と称し 波加仁志明神と唱えた 延喜式内社 大和國 葛下郡 葛木倭文坐天羽雷命神社(大 月次 新嘗)(かつらきの しとりにゐます あめのはづちのみことの かみのやしろ)とされます - [丹後國 式内社 65座(大7座・小58座)について](https://shrineheritager.com/tangonokuni/) - 丹後国(たんごのくに)の式内社とは 平安時代中期 「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧『延喜式神名帳』〈927年朝廷編纂『延喜式』(律令の施行細則 全50巻)の巻9・10を云う〉に所載される 丹後国65座(大7座・小58座)の神を云います - [古代氏族 倭文氏に祀られた『延喜式神名帳』(927年編纂)所載社について](https://shrineheritager.com/shizuri-uji/) - 古代氏族 倭文氏(しとりうじ)は 「天羽雷命(あめはいかづちのみこと)〈建葉槌命(たけはつちのみこと)〉」を祖神とします 全国各地に祀られた式内社は 「倭文(しとり しずり しどり しとおり)」を社名に持ち 倭文氏の祖神を祀る式内社とされ 各国に13社が記されています それぞれの現在の論社も紹介します - [葛木倭文座天羽雷命神社(葛城市加守)〈『三代実録』葛木倭文天羽雷命神〉](https://shrineheritager.com/katsurakishitoriniimasu-amenohaikazuchi-no-mikoto-jinja/) - 葛木倭文座天羽雷命神社(かつらきしとりにいます あめのはいかづちのみことじんじゃ)は 延喜式内社 大和國 葛下郡 葛木倭文坐天羽雷命神社(大月次 新嘗)(かつらきの しとりにゐます あめのはづちのみことの かみのやしろ)とされ 相殿には加守神社と葛木二上神社が祀られ 二上山の雄岳山頂「葛木二上神社」の里宮とも云われます - [大神岩(小浜市堅海)〈久須夜神社旧地〉〈『延喜式』久湏夜神社の発祥地〉](https://shrineheritager.com/okamiishi/) - 大神岩(おおかみいし)〈久須夜神社旧地〉は 久須夜神社の由緒によれば「境内 山中に岩があり大神岩という 往古 大神がこの岩上に鎮座されたという 里人は 狼岩といって畏怖している 若狭国の名山 久須夜岳は 久須夜神社の名に依って生まれ 久須の夜雨は若狭八景に数えられている」 - [河内国 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)](https://shrineheritager.com/kahachinokuni/) - 河内国(かは〈わ〉ちのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 河内国の 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)の神社のことです - [片埜神社〈一の宮〉(枚方市牧野阪)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/katano-shrine/) - 片埜神社(かたのじんじゃ)は 社伝に 第11代垂仁天皇〈在位BC29~AD70年頃〉創建とある古社 延喜式内社 片野神社とされ 明治期に 延喜式内社 久須須美神社を合祀しています 戦国時代には兵火にかかり荒廃 天正11年(1583)豊臣秀吉公が大坂城の鬼門鎮護の社と定め 方位鬼門除けに霊験あらたかな社と世に知られます - [若狭國 式内社 42座(大3座・小39座)について](https://shrineheritager.com/wakasanokuni/) - 若狭国(わかさのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 若狭国には 42座(大3座・小39座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [阿治古神社(熱海市網代)〈『延喜式』阿治古神社〉](https://shrineheritager.com/ajiko-shrine/) - 阿治古神社(あじこじんじゃ)は 延喜式内社 伊豆國 賀茂郡 阿治古神社(あちこの かみのやしろ)の噴火時の避難先とも遥拝所とも云われます 始め網代 朝日山に鎮座 元和元年(1615)字別所より現在地に還祀と云う 又 相殿の來宮は 初め下多賀村中野に鎮座し洪水で 網代村 日寄山に遷座 明治16年(1883)本社に合祀されました - [神前神社(長浜市木之本町石道)〈『延喜式』神前神社〉](https://shrineheritager.com/kamisaki-shrine/) - 神前神社(かみさきじんじゃ)は 白鳳三年(663)役小角が神前大神を崇敬 神亀元年(724)行基 ゛高尾寺゛を一宇建立するも焼失 延暦15年(796)最澄が行基の聖蹟をたどり 祠(神前神社の旧跡)御前に゛杉の枝゛を玉串として挿した 現在「逆さの杉」と呼ばれる大木となり 氏子は毎年4月参拝し゛神前杉゛に御幣を捧げています - [酒列磯前神社(ひたちなか市磯崎町)〈延喜式内社 名神大社〉](https://shrineheritager.com/sakatsura-isosaki-shrine/) - 酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)は 御祭神は 遠い海の彼方「常世の国」から「宝船」に乗って降臨された「少彦名命(すくなひこなのみこと)」です 「神秘の参道」があり これを抜けると 境内に宝くじの高額当選者が出る続ける「幸運の亀」が坐し 参拝者はあとを絶ちません あなたにもきっと幸運が待っています - [鳴雷神社&高山神社〈春日大社末社〉(奈良市春日野町 春日山内)](https://shrineheritager.com/naruikazuchi-shrine/) - 鳴雷神社(なるいかづちじんじゃ)&高山神社(こうせんじんじゃ)は 佐保川と能登川の源流 春日山の分水嶺 香山に鎮座する〔水源祭祀の御神体〈龍王池〉を祀る〕水神様で 香山龍王社と呼ばれていた 又『延喜式』所載 宮中神 36座 主水司坐神1座 鳴雷神社は 大和国の式内大社〈当社〉鳴雷神社を遷座したものとされます - [賣夫神社(稲沢市平和町嫁振)〈『延喜式』賣夫神社〉](https://shrineheritager.com/mefu-shrine-4/) - 賣夫神社(めふじんじゃ)は 『日本書紀』崇神天皇10年 四道将軍派遣の時 武淳川別命に従ってきた大咩布命〈第十代 崇神天皇の御母の弟 伊香色雄命の御子〉が この地に留まり その子孫が繁栄しやがて命の靈を氏神として祀ったと云う 延喜式内社 尾張國 中嶋郡 賣夫神社(ひめふの かみのやしろ)とされます - [眞氣命神社(隠岐 西ノ島町宇賀)〈『延喜式』眞氣命神社〉](https://shrineheritager.com/make-no-mikoto-shrine/) - 眞氣命神社(まけのみことじんじゃ)は 隠岐 西ノ島の物井地区に鎮座する『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社とされます 江戸時代には所在不明とされていましたが 明治初期の式内社調査で比定されています 祭神の眞氣命については おそらく地主神であろうとされています - [賣布神社(宝塚市売布山手町)〈『延喜式』賣布神社〉](https://shrineheritager.com/mefu-shrine-3/) - 賣布神社(めふじんじゃ)は 社傳には 推古天皇十八年の勧請とある 神仏習合時に「貴船大明神」と称されましたが 徳川八代将軍吉宗公が元文元年(1736)寺社奉行大岡越前守忠相に命じ大阪の佛者並河五市郎が調査し「賣布社」であると判明 延喜式内社 攝津國 河邊郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)の比定社です - [高売布神社(三田市酒井字宮ノ脇)〈『延喜式』高賣布神社〉](https://shrineheritager.com/takamefu-shrine/) - 高賣布神社(たかめふじんじゃ)は 推古天皇の頃の創立と伝えますが明らかでない 神社の後方に独立丘は 古の齋場の跡とされ 土俗は酒井の斎さま(さかいのいつきさま)と称し 勧請の昔は齋女が神の意を伝えた古代の様子を今に伝えている 延喜式内社 攝津國 河邊郡 髙賣布神社(たかひめふの かみのやしろ)です - [隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について](https://shrineheritager.com/oki-shikinaisha/) - 隠岐の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 隠岐國の16座(大4座・小12座)の神社のことです 現在の論社は 22神社となり 隠岐の固有の神々を祀る神社が多く貴重です - [賣布神社跡(豊岡市日高町国分寺字山ノ脇)〈『延喜式』賣布神社〉](https://shrineheritager.com/site-of-mefu-shrine/) - 賣布神社跡(めふじんじゃ あと)は 延喜式内社 但馬國 氣多郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)の跡地です 往古は禰布ヶ森に鎭座し 洪水で社殿が流され 中世に天神山中腹に遷宮 萬延元年(1860)本殿再建 文久二年(1862)この地に遷座 令和元年(2019)中世の鎮座地〈現 荒神神社に合祀遷座〉へと戻りました - [丹波國 式内社 71座(大5座・小66座)について](https://shrineheritager.com/tanbanokuni/) - 丹波国(たんばのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 丹波国には 式内社 71座(大5座・小66座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [賣布神社(京丹後市網野町木津女布谷)〈『延喜式』賣布神社〉](https://shrineheritager.com/mefu-shrine-2/) - 賣布神社(めふじんじゃ)は 垂仁天皇90年 但馬国造 田道間守は 勅を奉じて常世國に渡航し 不老不死の香菓たる橘を得て 景行天皇元年に帰国しました この時 報賽の爲めに この地〈田神山〉に神籬を設けて奉祀したのが 当社の創始と伝わります 延喜式内社 丹後國 竹野郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)です - [矢田神社(京丹後市峰山町矢田)〈『延喜式』矢田神社〉](https://shrineheritager.com/yata-shrine/) - 矢田神社(やたじんじゃ)は 『丹後舊事紀』に「元は屋退(やた)〈養父 和奈佐翁の家を退去された比治山の天女 豊宇賀能賣命を祀った意〉」と記され 元明天皇 和銅六年(713)地名は好字を用いるとの勅により 「屋退」は不吉 好字の「矢田」とした とも云う 延喜式内社 丹後國 丹波郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)です - [矢田八幡神社(京丹後市久美浜町佐野)(『延喜式』矢田神社)](https://shrineheritager.com/yata-hachiman-shrine/) - 矢田八幡神社(やたはちまんじんじゃ)は 崇神天皇の御代 四道将軍 丹波道主命が勅命により丹波国に至り 山陰の平定祈願のため矢田神社〈矢田部の祖神〉を創祀 奈良朝に至り蘇我氏との争いに物部氏亡び 恐れた矢田部氏は宇佐八幡宮を勤請し矢田八幡と改称 延喜式内社 丹後國 熊野郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)の論社です - [矢田神社(京丹後市久美浜町海士)〈『延喜式』矢田神社〉](https://shrineheritager.com/yata-shrine-2/) - 矢田神社(やたじんじゃ)は 口碑によれば 元の鎭座地は 御祭神 建田背命〈丹後国造 但馬国造等の祖〉別名 神服連海部直(かんはとりのむらじあまべのあたえ)の館跡 六宮廻(ろくのみやまわり)辺り 矢須田(久美浜町橋爪)と云い 廃絶後 中世に現在地に遷座した 延喜式内社 丹後國 熊野郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)です - [伊豆志彌神社(京丹後市久美浜町出角宮ノ谷)〈『延喜式』伊豆志彌神社〉](https://shrineheritager.com/izushiya-shrine/) - 伊豆志彌神社(いずしやじんじゃ)は 『丹後舊事紀』に第11代 垂仁天皇の時代〈皇紀632年~皇紀730年〉川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)によって勧請と記されています 延喜式内社 丹後國 熊野郡 伊豆志彌神社(いつしみの かみのやしろ)です 江戸時代の旧称は 筈森大明神(箱森大明神)と呼ばれていました - [圓田神社(上越市名立区丸田)〈『延喜式』圓田神社〉](https://shrineheritager.com/maruta-shrine-2/) - 圓田神社(まるたじんじゃ)は 『神社明細帳』によると 天應元年(781)四月の創立 社殿は大同二年(807)飛騨の内匠の作と伝える 丸田を中心に名立谷に勢力をもつた有力氏族が奉斎したのであろうとされます 延喜式内社 越後國 頸城郡 圓田神社(まろた〈えんた〉の かみのやしろ)です - [大瀧神社・岡太神社(越前市大滝町)〈『延喜式』岡本神社〉](https://shrineheritager.com/post-955/) - 大瀧神社・岡太神社(おおたきじんじゃ・おかもとじんじゃ) 岡太神社は 雄略天皇の御代“紙漉きの御魂”と呼ぶに相応しき「川上御前」を祀り 里人は いくつ時代を超えても感謝を忘れることなく 今も“越前和紙”の「紙漉きの紙祖神」を仰ぎ語り継ぎます 大瀧神社は推古天皇の御代 大伴連 大瀧の勧請に始まると伝わります - [蛭子神社&奥宮〈末社〉丸田神社(京丹後市久美浜町関家ノ上)〈『延喜式』丸田神社〉](https://shrineheritager.com/hiruko-shrine-2/) - 蛭子神社(ひるこじんじゃ)は 関地区の氏神で 奥宮〈末社〉丸田神社(まるたじんじゃ)〔境内に合併とも〕は 創立年代等不詳ですが 往古 七ケ村の氏神であったと伝わります「丸田神社は奥宮」「蛭子神社は里宮」の関係にあり 奥宮〈末社〉丸田神社は 延喜式内社 丹後國 熊野郡 丸田神社(まろたの かみのやしろ)の論社とされます - [丸田神社(京丹後市久美浜町甲山亀石)〈『延喜式』丸田神社〉](https://shrineheritager.com/maruta-shrine/) - 丸田神社(まるたじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇の時代 川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)によって建立されたと伝わります 神体山 甲山(カブトヤマ)山上の〈式内社〉熊野神社を奥宮とし 里宮として大膳職(食物)の神を祀られた 延喜式内社 丹後國熊野郡 丸田神社(まろたの かみのやしろ)です - [三嶋田神社(京丹後市久美浜町金谷今ゴ田)〈『延喜式』三嶋田神社〉](https://shrineheritager.com/mishimada-shrine/) - 三嶋田神社(みしまだじんじゃ)は 七代孝靈天皇の御宇 武諸隅命(海部直の祖)が 往古 川上谷にあった三ヶ所の嶋に神々を祀り 生嶋(金谷)に大山祇命・上津綿津見命・表筒男命を祀り三嶋神社と称した 又 別説には 垂仁天皇の朝 川上摩須の勸請なりとも云う 延喜式内社 丹後國 熊野郡 三嶋田神社(みしまたのかみのやしろ)です - [倭文神社(富士宮市星山)〈『延喜式』倭文神社〉](https://shrineheritager.com/shidori-shrine-2/) - 倭文神社(しどりじんじゃ)は 古代 布織技術を誇った倭文氏が祖神 健羽雷神〈織物の神〉を祀った延喜式内社 駿河国 富士郡 倭文神社(しとりのかみのやしろ)です 鎮座地の星山は 星神 香々背男との関連も示唆し 常世国神を奉じて大和朝廷に反した大生部多(おおうべの おお)〈不尽河〈富士川〉の辺に住む人〉の伝承にも通じます - [率川坐大神御子神社(奈良市本子守町)〈『延喜式』率川坐大神神御子神社 三座〉](https://shrineheritager.com/isagawanimasu-ohomiwamiko-shrine/) - 率川坐大神御子神社(いさがわにます おおみわみこじんじゃ)は 大和国一之宮 大神神社の摂社です 大神神社 例祭 鎮花祭と共に 例祭 三枝祭(さいくさのまつり)は古くから疫病を鎮める祈りのお祭りとして「大宝令」〈大宝元年(701)制定〉に国家の祭祀として規定されています 『延喜式神名帳AD.927』にも記される古社です - [布森神社〈布杜神社〉(京丹後市久美浜町女布)〈『延喜式』賣布神社〉](https://shrineheritager.com/fumori-shrine/) - 布森神社〈布杜神社〉(ふもりじんじゃ)は 由緒など不祥ですが 賣布神社の神幸時の御旅所で 元宮であるとも云います 里での呼称も 賣布神社を大宮 布杜神社を小宮と呼んでいます 延喜式内社 丹後國 熊野郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)の参考論社とも考えられています - [賣布神社(京丹後市久美浜町女布初岡)〈『延喜式』賣布神社〉](https://shrineheritager.com/himefu-shrine/) - 賣布神社(ひめふじんじゃ)は 『丹後一覧記』等によると第11代 垂仁天皇の御代 川上麻須の勧請に係れりと云う 延喜式内社 丹後國 熊野郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)です 当初の鎮座地は「久美浜町谷の足洗井戸があり 祭神が始めて留りし地であり 野中 安養寺を経て船にて女布に着き小字舟處に上陸された」と伝わります - [波布比咩命神社(下田市東本郷)〈『延喜式』波布比賣命神社・大津往命神社〉](https://shrineheritager.com/habuhime-no-mikoto-shrine/) - 波布比咩命神社(はぶひめのみことじんじゃ)は 2つの式内社〈 ①波布比賣命神社 ➁大津往命神社 〉の論社とされています ①波布比賣命神社は 伊豆大島の波浮港に鎮座する波布比咩命神社の遥拝所であろうとされていて ➁大津往命神社は 大きな津〈港〉を守護する女神であろうとされています - [衆良神社(京丹後市久美浜町須田天王谷)〈『延喜式』衆良神社〉](https://shrineheritager.com/sura-shrine/) - 衆良神社(すらじんじゃ)は 延喜式内社 丹後國 熊野郡 衆良神社(もろよしの かみのやしろ)とされます 創建は 第11代 垂仁天皇の朝の勸請と伝わり 祭神は川上麻須(かわかみます)〈娘の川上麻須郎女は 丹波道主命の妃となり 孫の日葉酢媛は 垂仁天皇の皇后となり 第12代 景行天皇の外祖父〉とされます - [聴部神社(京丹後市久美浜町友重 式ノ谷)〈『延喜式』聞部神社〉](https://shrineheritager.com/kikube-shrine/) - 聴部神社(きくべじんじゃ)は 社伝によると第10代 崇神天皇の御宇 丹波之河上之摩須郎女(たんばのかわかみのますのいらつめ)による勧請と伝わる 延喜式内社 丹後國 熊野郡 聞部神社(ききへの かみのやしろ)です 別説には 筑紫聞物部(つくしのきくのもののべ)一族が当地に移住 その祖神を奉斎したとする説があります - [國原神社(京丹後市弥栄町国久)〈『延喜式』久尓原神社〉](https://shrineheritager.com/kunihara-shrine/) - 國原神社(くにはらじんじや)は 延喜式内社 丹後國 竹野郡 久尓原神社(くにはらの かみのやしろ)です 旧鎮座地「高田の森」〈国久集落から南へ約500mの水田の中にある丘 今は樹木はなく地膚をのぞかせている 大杉のあった頃は その日影が国久まで届いたと云う〉明治43年(1910)杉森神社に合併し更に 国原神社と改称した - [白山神社(春日井市外之原字前田)〈『延喜式』訓原神社〉](https://shrineheritager.com/hakusan-shrine-3/) - 白山神社(はくさんじんじゃ)は 社伝は失われ明らかではありませんが 里老の口伝には「延長元癸未年(923年)の創建」と伝えられます 『張州府志』には鎮座地の「外原と訓原と字様も相近く 鎭座も古く」と云った理由から 延喜式内社 尾張國 春日部郡 訓原神社(くにはらの かみのやしろ)の論社とされています - [山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)〈『延喜式』佐波神社二座・瓺玉命神社〉](https://shrineheritager.com/yama-shrine-2/) - 山神社〈山王神社〉(やまじんじゃ)は 創建年代などは不祥です かつて゛子ノ神を宇波明神゛゛山王を山神゛と称していたらしく 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 佐波神社二座(さはの かみのやしろ ふたくら)の内一座とする説があります 又同じく式内社の瓺玉命神社(みかたまのみことの かみのやしろ)の論社ともされています - [訓原神社〈栗原天神社〉(北名古屋市井瀬木東五反地)](https://shrineheritager.com/kunihara-shrime/) - 訓原神社(くにはらじんじゃ)は 創始年代不詳ですが 延喜式内社 尾張國 春日部郡 訓原神社(くにはらの かみのやしろ)とされます 祭神については 社説には少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀ると云い 一說には 火明命十七世の孫 尾治佐迷連の子 尾張栗原連とし この栗原連を祀るのではないかとする説もあります - [修理若御子社(稲沢市松下)〈『延喜式』大御霊神社〉](https://shrineheritager.com/suriwakamiko-shrine/) - 修理若御子社(すりわかみこしゃ)は 御祭神の修理若御子命(すりわかみのみこと)について 尾張大国霊神(国府宮の御祭神)の国内修理をお助けになった神で 天香山命の御子 天村雲命(あめのむらくものみこと)だと伝えます 『尾張国地名考』著者の津田正生は『延喜式神名帳』大御霊神社(おほみたまの かみのやしろ)であるとしています - [大依羅神社(大阪市住吉区庭井)〈『延喜式』大依羅神社 四座並名神大 月次相嘗新嘗〉](https://shrineheritager.com/ohoyosami-shrine/) - 大依羅神社(おおよさみじんじゃ)は 『日本書紀』には神功皇后が新羅征討の際 住吉三神〈底筒男命・中筒男命・表筒男命〉の神託により戦勝と航海の無事を祈り「依羅吾彦男垂見」が住吉三神を祭る祭主を務めたと記載 これが起源とされる 式内社 大依羅神社 四座(おほよさみの かみのやしろ しくら)(並名神大月次相嘗新嘗)です - [但馬國 式内社 131座(大18座・小113座)について](https://shrineheritager.com/tagimanokuni/) - 但馬国(たじまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 但馬国には 式内社 131座(大18座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [火雷神社(佐波郡玉村町大字下之宮)〈上野國八之宮〉](https://shrineheritager.com/karai-shrine/) - 火雷神社(からいじんじゃ)は 延喜式内社 火雷神社(ほのいかつちの かみのやしろ)です 社伝によると 崇神天皇元年の鎮座 火雷宮と号したと伝え 桓武天皇 延暦十五年(796)には官社に預り 上野国八之宮とされ 利根川南岸に鎮座し 北岸に鎮座する倭文神社(上野国九之宮 上之宮)に対して「下之宮(しものみや)」と称されます - [國常神社〈妙見宮〉(朝来市生野町円山)〈『延喜式』倭文神社〉](https://shrineheritager.com/kuninotoko-shrine/) - 國常神社(くにのとこじんじや)は 北辰信仰の妙見宮(みょうけんぐう)とも呼ばれ 国常立尊(くにのとこたちのみこと)を祀ります この地は 式内社 倭文神社〈鮭の宮〉(ここから500m程の 円山川の下流)の旧鎮座地とされる 円山字鹽谷であると伝わります - [辰水神社(津市美里町家所)〈『延喜式』舩山神社を合祀〉](https://shrineheritager.com/tatsumizu-shrine/) - 辰水神社(たつみずじんじゃ)は 前身は 辰之口神社と称えていました 明治41年(1908)大字穴倉村社 八柱神社・大字高座原村社 伊豆神社・大字日南田村社 神明社・大字船山村社 船山神社を合祀して辰水神社と改称 この時に合祀の船山神社は 延喜式内社 伊勢國 安濃郡 舩山神社(ふなやまの かみのやしろ)です - [賣布神社(松江市和多見町)〈『延喜式』賣布神社〉](https://shrineheritager.com/mefu-shrine/) - 賣布神社(めふじんじゃ)は 遠く神代に始まると伝わり 『出雲風土記』に賣布の社 『延喜式神名帳』に賣布神社と列記される古社です 摂社の御祭神「櫛八玉神(くしやたまのかみ)」が 速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)〈大祓詞のなかにある潮の流れの神(水戸ノ神 祓戸ノ神)〉をお祀りになられたのが起源とされます - [船山神社 古社地(津市美里町船山)〈『延喜式』舩山神社の旧鎮座地〉](https://shrineheritager.com/former-site-of-funayama-shrine/) - 船山神社 古社地(ふなやまじんじゃ こしゃち)は 延喜式内社 伊勢國 安濃郡 舩山神社(ふなやまの かみのやしろ)の旧鎮座地です 明治四十一年(1908)字内各社を船山社に合祀して 村社に列しましたが 明治四十一年(1909)九月十八日 辰水神社(津市美里町家所)へ合祀されて 現在に至ります - [船山神社(平群町三里)〈『延喜式』舩山神社〉](https://shrineheritager.com/funayama-shrine/) - 船山神社(ふなやまじんじゃ)は 大正4年(1915)現在の東光寺(平群町三里)の東側にあった延喜式内社 大和國 平群郡 舩山神社(ふなやまの かみのやしろ)が 春日神社(安明寺の氏神)の境内地に遷座したものです 又 合祀している船上神社(ふなかみじんじゃ)の御神体とされる「三つの船石〈巨石〉」が矢田丘陵八合目にあります - [石床神社 旧社地〈『三代實録』平群石床神『延喜式』平群石床神社〔大月次新嘗〕〉](https://shrineheritager.com/iwatoko-shrine-former-site/) - 石床神社 旧社地(いわとこじんじゃきゅうしゃち)は 当初から本殿や拝殿はなく 崖面に露頭した高さ約6m 幅10数mの巨大な「陰石(いんせき)」を 御神体とする『三代實録』平群石床神・『延喜式』大和國 平群郡 平群石床神社〔大月次新嘗〕(へくりの いはとこの かみのやしろ)です 大正13年(1924)現在地に遷座しました - [矢田部神社(与謝郡与謝野町石川矢田)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/yatabe-shrine/) - 矢田部神社(やたべじんじゃ)は 物部氏の祖 伊香色雄命(いかがしこをのみこと)〈一説には 伊香色雄命の孫 武諸隅命(たけもろすみのみこと)〉を祀ると云われる 物部系氏族の゛矢田部氏゛に関連する神社です 延喜式内社 丹後國 與謝郡 矢田部神社(やたへの かみのやしろ)であるとされます - [石床神社(平群町越木塚)〈『三代實録〉』平群石床神『延喜式』平群石床神社〔大月次新嘗〕〉](https://shrineheritager.com/iwatoko-shrine/) - 石床神社(いわとこじんじゃ)は 延喜式内社 大和國 平群郡 平群石床神社〔大月次新嘗〕(へくりの いはとこの かみのやしろ)です 「舒明天皇三年(631)肇国創業の御功神 饒速日命を祀らせ給いしに創る」と石碑文にあり 古来 御神体の巨岩(陰石)を祀る旧鎮座地〈現在地の南方〉より大正13年(1924)現在地に遷座しました - [平群坐紀氏神社(平群町上庄)〈『延喜式』平郡坐紀氏神社〔名神大 月次新嘗〕〉](https://shrineheritager.com/hegurinimasu-kishi-shrine/) - 平群坐紀氏神社(へぐりにますきしじんじゃ)は 平群に居住した紀氏の名をとって名付けられたことは『類聚國史』天長元年(824)紀百継・末成らの奏上から明白で 創建はそれ以前とされます 延喜式内社 大和國 平群郡 平郡坐紀氏神社〔名神大 月次新嘗〕(へくりにます きのうじの かみのやしろ)です - [琉球王国(琉球國)の゛歴代の王統゛と゛琉球八社゛について](https://shrineheritager.com/ryukyuhassha/) - 琉球八社(りゅうきゅうはっしゃ)は 琉球王国(琉球國)の゛歴代の王統゛と「琉球八社(官社)の制」として 王府から特別の扱いを受けた八つの神社を云い〈「熊野権現」を祀る七社(・波上宮・天久宮・沖宮・末吉宮・識名宮・普天間宮・金武宮)「八幡神」を祀る一社・安里八幡宮〉から構成されます - [圓田神社(上越市柿崎区岩手)〈『延喜式』圓田神社〉](https://shrineheritager.com/enta-shrine/) - 圓田神社(えんたじんじゃ)は 神代の昔 大己貴神が国土平定に高志に来た時 圓田沖に船を入れ龍ケ峰に船を繋ぎ上陸 郷民は龍ケ峰に一祠を建て奉斎創始 天武天皇(676年)巡察使中臣清麿が當社に参拜 從來の石祠から社殿を建立と口碑に伝わる 延喜式内社 越後國 頸城郡 圓田神社(まろた〈えんた〉の かみのやしろ)の論社です - [大川神社(舞鶴市大川)〈『日本三代實録』大川神・『延喜式』大川神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/ohkawa-shrine/) - 大川神社(おおかわじんじゃ)は 社伝に第23代顕宗天皇 乙丑年(485)3月23日に宮柱を立て鎮祭したところから始まったと云う由緒ある古社で 伝説も数多く残ります 『日本三代實録』大川神〈国史見在社〉・『延喜式』丹後國 加佐郡 大川神社〔名神大〕(おほかはの かみのやしろ)〈延喜式内 名神大社〉です - [櫛田神社(射水市串田)〈『三代實録』櫛田神・『延喜式』櫛田神社〉](https://shrineheritager.com/kushida-shrine-3/) - 櫛田神社(くしだじんじゃ)は 社伝によると「創建は 平城天皇 大同貳年(807)」又「千数百年前の昔 大和朝廷から この地に遣わされた武内宿祢が斎主となり創建」とも云う 『三代實録』貞觀十八年(867年)櫛田神・『延喜式』〈927年〉越中國 射水郡 櫛田神社(くしのた かみのやしろ)と記載されている由緒ある古社です - [櫛田神社(桑名市島田)〈『延喜式』櫛田神社〉](https://shrineheritager.com/kushida-shrine-2/) - 櫛田神社(くしだじんじゃ)は 『勢陽雑記拾遺(1656)』等の記録に「現在地の南方の丘の下に鎮座していた蔵王権現・天白天明神」とあり 後に現在地に遷座 明治42年(1909)平群神社(志知)に合祀の後 昭和27年(1952)分祀され現在に至ります 延喜式内社 伊勢國 朝明郡 櫛田神社(くしたの かみのやしろ)の論社です - [古代豪族「平群氏」の興亡と信仰 ― 古代大和王権における平群氏の歴史と式内社](https://shrineheritager.com/heguriuji/) - 平群氏(へぐりうじ)は 「大和王朝を牽引した葛城氏の没落後を継ぎ 大伴・物部氏に先立って朝廷の実権を握った中央実務豪族」 その栄枯盛衰〔平群眞鳥の専横とその滅亡〕は「古代豪族と王権の力関係」を示す典型例「王権を凌駕する豪族は必ず排除される」という歴史的教訓を残し 古代大和王権の権力交代史を理解する上で欠かせない氏族です - [平群神社(桑名市志知)〈『延喜式』平群神社〉](https://shrineheritager.com/heguri-shrine-2/) - 平群神社(へぐりじんじゃ)は 平群氏族の祖神 平群木兎宿禰(へぐりつくのすくね)を祭神とする 延喜式内社 伊勢國 員辨郡 平群神社(へくりの かみのやしろ)です 背後の平群山は古代神奈備の遺跡で 境内奥には日本武尊の足洗池の跡と伝えられる平群池があり 古代からの息吹を感ずる場所に鎮座します - [平群神社(生駒郡平群町西宮)〈『延喜式』平群神社五座〔並大月次新嘗〕〉](https://shrineheritager.com/heguri-shrine/) - 平群神社(へぐりじんじゃ)は 『興福寺官務牒疏(1441年)』に「平群大明神」と記載以来 延喜式内社 大和國 平群郡 平群神社 五座〔並大月次新嘗〕(へくりの かみのやしろ いつくら)の論社とされ 五座については 平群木菟宿禰の裔に平群臣・佐和良臣・馬御樴連・韓海部首・味酒首等があり この祖神を祀ったとする説があります - [長柄神社(御所市名柄)〈『日本書紀』長柄杜『延喜式』長柄神社(鍬靫)〉](https://shrineheritager.com/nagara-shrine/) - 長柄神社(ながらじんじゃ)は 御祭神の下照姫命を葛木一言主神社や高鴨神社の姫宮と考え 別名「姫の宮」と云う 又 鎮座地は『日本書紀』天武天皇 即位九年の条に「長柄杜(ながらのもり)で゛馬的を射させ゛」と流鏑馬をご覧になった記述があり 延喜式内社 大和國 葛上郡 長柄神社(鍬靫)(なからの かみのやしろ)の由緒を持ちます - [矢作神社(八尾市南本町)〈『三代實録』掃部神『延喜式』矢作神社・長柄神社〉](https://shrineheritager.com/yahagi-shrine/) - 矢作神社(やはぎじんじゃ)は 鎮座する八尾の地名は当社から由来したと云う 一帯は物部氏一族の矢作連の屋敷跡と伝わり その祖神である「経津主命」を祀る 延喜式内社 河内國 若江郡 矢作神社(やはぎの/やつくりの かみのやしろ)です 又 明治40年(1907)式内社 長柄神社(なからの かみのやしろ)を合祀しています - [阪合神社(八尾市小阪合町)〈『三代實録』堺神・『延喜式』阪合神社二座〉](https://shrineheritager.com/sakaai-shrine/) - 阪合神社(さかあいじんじゃ)は 創建年代等は不祥ですが 六国史『三代實録』堺神・『延喜式』河内國 若江郡 坂合神社二座(貞加一座)(さかえの かみのやしろ ふたくら)とされる由緒ある古社です 明治40年(1907)矢作神社(八尾市南本町)に合祀された後 昭和32年(1957)旧社地〈現在地〉に復興しました - [天神社〈治郎丸天神〉 (稲沢市治郎丸天神町)〈『延喜式』宗形神社(貞)〉](https://shrineheritager.com/tenjinsha/) - 治郎丸天神社(Jiromaru tenjinsha)は 『尾張国地名考』著者 津田正生は『延喜式神名帳』尾張国 中島郡「宗形神社(貞)(Munakata no kamino yashiro)」は 治郎丸村の「天神の森是なり(現 治郎丸天神社」としています - [中臣崇健神社(鳥取市古郡家西土居)〈『延喜式』中臣崇健神社〉](https://shrineheritager.com/nakatomi-takatake-shrine/) - 中臣崇健神社(なかとみたかたけじんじゃ)は 古くより本殿を設けず 石玉垣を神座とする珍しい神社 祭神は大物主命 鎮座地は三輪郷内であり 社がないことから 大和国の大三輪(大神神社)との関わりが示唆されます 延喜式内社 因幡國 邑美郡 中臣崇健神社(なかとみたかたけの かみのやしろ)の論社です - [天皇神社(大津市和邇中)〈『延喜式』小野神社 二座 名神大〉](https://shrineheritager.com/tenno-shrine/) - 天皇神社(てんのうじんじゃ)は 創立は不祥 社伝によれば 村上天皇 康保3年(966)和邇荘が崇福寺領の頃 京都八坂の祇園牛頭天王を奉遷して和邇牛頭天王社と称したと伝えられる 和邇中 今宿の産土神として崇敬され 明治9年(1876)「天皇神社」と改称されています 『式内社調査報告』には゛小野天皇社゛と記されます - [礒崎神社(加西市下道山町)〈『延喜式』崇健神社〉](https://shrineheritager.com/isozaki-shrine/) - 礒崎神社(いそざきじんじゃ)は 養老3年(719)僧 行基が神勅を蒙つて 上道山の岩崎山麓〈現 岩崎神社の社地〉に創祀 寶龜六年(775)上道山から現今の地に遷座『延喜式〔927年〕』には播磨國 賀茂郡 崇健神社(たかたけの かみのやしろ)と称したが 後に宇佐八幡を勧請し 礒崎八幡と改稱したのではなかと推測されています - [日吉神社(加西市池上町)〈『延喜式』崇健神社〉](https://shrineheritager.com/hiyoshi-shrine/) - 日吉神社(ひよしじんじゃ)は 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 崇健神社(たかたけの かみのやしろ)の論社です 最初 鎌倉山を御神体山とし「鎌倉の神」〈奥宮〉 を現在の里に勧請したと云う その後 比叡山坂本山王権現を勧請したと云う〈『播磨鑑』には淳和天皇の天長年間(824~834年) 或は それ以前の神亀二年(725)〉 - [高峯神社(加西市畑町)〈『延喜式』崇健神社〉・河上神社(加西市畑町)](https://shrineheritager.com/takamine-shrine/) - 高峯神社(たかみねじんじゃ)は 勧請の年月等不明ですが 口碑伝える所によれば 昔は 神路山〈深山〉の頂上に祀られていた 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 崇健神社(たかたけの かみのやしろ)であると云う 又 深山の麓に鎮座する河上神社(かわかみじんじゃ)は 大岩を神体として 境内には不思議な岩「鏡岩」があります - [花長下神社(揖斐川町谷汲名礼)〈『延喜式』花長下神社〉](https://shrineheritager.com/hananagashimo-shrine/) - 花長下神社(はなながしもじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年編纂)』美濃國大野郡に所載の式内社です 御祭神「赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命」は『出雲国風土記』に登場する神とされ 同地区には 御祭神が夫婦神同士 祭礼が交互に行われるなど密接な関連の式内社 花長上神社も坐まします - [山氏神社(加東市社)〈延喜式内社 崇健神社〉](https://shrineheritager.com/yamauji-shrine/) - 山氏神社(やまうじじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇の御代に山祇尊を奉斎御鎭座された 第14代 仲哀天皇の御代に日本武尊を奉斎 承元元年(1207)地方開発の祖 源頼道を霊神とし合祀した由緒があり 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 崇健神社(たかたけの かみのやしろ)の論社で〈旧称〉崇健宮(たかたけのみや)とも呼ばれました - [佐保神社(加東市社)〈延喜式内社 坂合神社〉](https://shrineheritager.com/saho-shrine/) - 佐保神社(さほじんじゃ)は 第11代垂仁天皇23年と伝えられ 加西の鎌倉峰に鎮座されていました 養老6年(722)に現在地に遷座し 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 坂合神社(さかあひの かみのやしろ)と称したが いつの頃からか「佐保神社」と称されるようになったと云う 鎮座地の「社(ヤシロ)」はは当社に因みます - [佐保神社(加東市東実)〈『延喜式』坂合神社〉](https://shrineheritager.com/saho-shrine-2/) - 佐保神社(さほじんじゃ)は 縣社 佐保神社(社町)の御分霊を祀る社とされます しかし 養老六年(722)創建以來の社地であり 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 坂合神社(さかあひの かみのやしろ)の旧地で 元々は東実の佐保神社が本社であったとする説があり 江戸時代に両神社の氏子同志が 本社と分社の立場を争ったとのこと - [荒舩山神社 里宮(佐久市大字内山)〈御神体山「荒船山」〉](https://shrineheritager.com/arafuneyama-shrine/) - 荒舩山神社 里宮(あらふねやまじんじゃ さとみや)は 『記紀神話』に有名な建御名方命と経津主命との戦いは 最終的には倭朝軍と国神軍との和議成立の場は 御神体山「荒船山」の山頂であり「皇朝古修武之地」とされます 神が宿る「神奈備」として祈りを捧げる里人が 山頂に登らずとも 里でお詣りが出来るように 設けられた里宮です - [住吉神社〈住吉酒見社〉・磯部神社(北条町北条)〈『延喜式』坂合神社・石部神社〉](https://shrineheritager.com/sumiyoshi-shrine-15/) - 住吉神社(すみよしじんじゃ)は 播磨国三之宮「酒見大明神」で 養老元年(717)山酒人が祖神と住吉四社を勧請と伝わる古来著名の神社で 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 坂合神社(さかあひの かみのやしろ)の論社です 又 境外社 磯部神社(いそべじんじゃ)は 同じく式内社 石部神社(いそへの かみのやしろ)の論社でもあります - [石部神社(加西市上野町)〈『延喜式』石部神社〉](https://shrineheritager.com/isobe-shrine-8/) - 石部神社(いそべじんじゃ)は 伝説には この地で薨じられた皇女の遺言により養老三年(719)安藝の宮嶋から勧請と云う 又 皇女の墓とされる皇塚古墳は 古墳時代後期(6世紀前半)の円墳で被葬者はこの地域一帯を統治した人物などの可能性が考えられます 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)の論社です - [小虫神社(与謝野町温江)〈『延喜式』小虫神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/komushi-shrine/) - 小虫神社(こむしじんじゃ)は 延喜式内社 丹後國 與謝郡 小虫神社〔名神大〕(こむしの かみのやしろ)とされま - [大虫神社(与謝野町温江)〈『文徳天皇實録』大蟲神『延喜式』大虫神社〔名神大〕〉](https://shrineheritager.com/omushi-shrine/) - 大虫神社(おおむしじんじゃ)は 『文徳實録』「大蟲神」・『延喜式』丹後國 與謝郡 大虫神社(名神大)(おほむしの かみのやしろ)と所載されます 旧鎮座地は池ケ成という地〈現 大江山の中腹の池ケ成公園の辺り〉に 大虫神社と小虫神社が鎮座し「虫宮(むしのみや)」と呼ばれたが 室町時代初期頃に現在地に遷座と伝わります - [山王宮日吉神社〈『延喜式』木積神社〉&境内摂社 杉末神社〈『延喜式』杉末神社〉](https://shrineheritager.com/sannoguhiyoshi-shrine/) - 山王宮日吉神社(さんのうぐうひよしじんじゃ)は 社記には 敏達天皇元年(572)杉末神社(すぎすえじんじゃ)がこの地に鎮座し 後に「山王の神」が勧請されたと云う 日吉神社は延喜式内社 丹後國 與謝郡 木積神社(こづみの かみのやしろ)の論社 杉末神社は同じく式内社 杉末神社(すきすえの かみのやしろ)論社です - [小野神社(大津市小野)〈『延喜式』小野神社二座(名神大)〉](https://shrineheritager.com/ono-shrine-8/) - 小野神社(おのじんじゃ)は 第5代孝昭天皇の第一皇子 天足彦国押人命〈小野一族の祖〉と 同命から数えて七代目の米餅搗大使主命〈餅及菓子の匠・司の始祖〉の二柱を祀ります 延喜式内社 近江國 滋賀郡 小野神社二座(名神大)(をのの かみのやしろ ふたくら)とされる古社で 境内には小野篁(たかむら)を祀る篁神社もあります - [木積神社(京丹後市大宮町久住)〈『延喜式』木積神社〉](https://shrineheritager.com/kizumi-shrine-2/) - 木積神社(きづみじんじゃ)は 伝記には 丹後国與謝郡「三重郷」五十日眞黑人(いかがまくろうど)の宅に潜在した伝承を持つ 二皇子〔弘計尊(をけのみこと)〈第23代 顕宗天皇〉・億計尊(おけのみこと)〈第24代 仁賢天皇〉〕を祭神とする 延喜式内社 丹後國 與謝郡 木積神社(こつみの かみのやしろ)の論社です - [木積神社(与謝野町字弓木小字石田宮ヶ谷)〈『延喜式』阿知江神社・木積神社〉](https://shrineheritager.com/kizumi-shrine/) - 木積神社(きづみじんじゃ)は 江戸時代には山王大神 又 大和國三輪より勧請した三輪大神とも云われていました 罹災等により建築物 社記 古文書等を消失しましたが 2つの式内社〈①丹後國 與謝郡 阿知江神社(あちえの かみのやしろ)②丹後國 與謝郡 木積神社(こづみの かみのやしろ)〉の論社となっています - [櫛田神社(松阪市櫛田町)〈『延喜式』櫛田神社・櫛田槻本神社〉](https://shrineheritager.com/kushida-shrine/) - 櫛田神社(くしだじんじゃ)は 『倭姫命世紀』垂仁天皇22年 倭姫命が 当地で櫛が落ち゛櫛田社゛と定めた古社 廃絶後 享保年間(1716~36年)再興 明治41年 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)に合祀 昭和8年(1933)櫛田神社と櫛田槻本神社は 共に旧須賀神社の跡地〈現在地〉に分祀され 櫛田神社となり現在に至ります - [『延喜式神名帳』所載「いそへのかみのやしろ」の社号を持つ式内社とその論社について](https://shrineheritager.com/isohenokaminoyashiro/) - 『延喜式神名帳』に所載される各々の「いそへのかみのやしろ」は 古代の氏族・「石邊公」「石部氏」に関係する神社 又は 海人族の「磯部氏」に関係する神社とも云われ 数多く分布しています 又『延喜式神名帳』所載の「いそへのかみのやしろ」の社号(いそへ)の読みに充てる字は 「石部」「石邊」「部」「磯部」などがあり 様々です - [加悦天満宮&〈境内社〉吾野神社(与謝野町加悦)〈『延喜式』阿知江神社・吾野神社〉](https://shrineheritager.com/tenman-shrine/) - 天満神社(てんまんじんじゃ)&〈境内社〉吾野神社(あがのじんじゃ)は 加悦天神山に鎮座します 天神山は元々は吾野神社の鎭座する神域でしたが 桃山期 天正年中 天滿大自在天神がこの山の一部に勧請され 天滿信仰が隆盛となり 庇を貸して母屋を取られた形で 天神山の山頂に鎮座する吾野神社は 本坐であった事は忘れ去られています - [吉野神社(宮津市文珠宮ノ谷)〈『延喜式』吾野神社〉](https://shrineheritager.com/yoshino-shrine/) - 吉野神社(よしのじんじゃ)は もと智恩寺の鎮守社 三宝荒神でしたが 明治六年 神仏分離で智恩寺を離れ この地に新たに霊代を奉安し社号を改めました 又『神祇志料』に「須津村より文殊村に出る道を和野塙(わのはな)といふは吾野の訛なり」とあり 延喜式内社 丹後國 與謝郡 吾野神社(わかのの かみのやしろ)の論社でもあります - [高鴨神社(御所市鴨神)〈高鴨阿治須岐託彦根命神社四座(並名神大月次相嘗新嘗)〉](https://shrineheritager.com/takakamo-shrine/) - 高鴨神社(たかかもじんじゃ)は 阿遅志貴高日子根命を祀ります 別名 迦毛之大御神(かものおほみかみ)と云い 大御神は 記紀神話には・天照大御神・伊邪那岐大御神・迦毛之大御神の三神のみ 死した神々をも甦えらせる御神力の強き神とされ 延喜式内社 大和國 葛上郡 高鴨阿治須岐託彦根命神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗です - [長柄神社跡(八尾市東本町)(『延喜式』長柄神社の跡地)](https://shrineheritager.com/nagara-jinja-ato/) - 長柄神社跡(ながらじんじゃ あと)は 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に『河内国若江郡 長柄神社(鍬)』とある祈年祭に鍬一口を加えられた由緒ある式内社ですが 明治40年(1907)10月神社統合令で「矢作神社(八尾市)」に合祀されました - [上山神社(伊根町字菅野小字宮山)〈『延喜式』吾野神社〉](https://shrineheritager.com/ueyama-shrine/) - 上山神社(うえやまじんじゃ)は 社伝によると 醍醐天皇延喜五年(九〇五)撰上の延喜式内社 丹後國 與謝郡 吾野神社(わかのの かみのやしろ)であると伝えるが 創立年代は後一条天皇長元九年(一〇三六)としています 江戸時代後期に編纂された『丹哥府志(たんかふし)』には延喜式内 吾野神社なり と記されています - [須津彦神社・須津姫神社(宮津市須津吉里)〈『延喜式』阿知江いそ部神社・吾野神社〉](https://shrineheritager.com/suzuhiko-shrine・suzuhime-shrine/) - 須津彦神社・須津姫神社(すづひこじんじゃ・すづひめじんじゃ)は 弘計命〈第二十三代顕宗(けんぞう)天皇〉と兄・億計命〈第二十四代仁賢(にんけん)天皇〉)の二皇子が身を隠され 難を避けられた与謝郡の地に假宮〈眞鈴宮〉を造営された時 祖父の去来穂別天皇と祖母の久呂比賣命の御霊を鎮め祀られた と伝えられています - [阿知江いそ部神社(与謝野町岩屋)〈『延喜式』阿知江いそ部神社〉](https://shrineheritager.com/achieisobe-shrine/) - 阿知江いそ部神社(あちえいそべじんじや)は 往昔 雲岩と云う巌石の辺りに鎮座されてあったと云われ 後 現在地に遷したという 西南界を阿知江峠と云い その傍流をいそ部川と云って 社号をもって地名としたと云い伝えがあります 延喜式内社 丹後國 與謝郡 阿知江部神社(あちえいそへの かみのやしろ)の論社です - [石部神社(豊岡市出石町下谷)〈『延喜式』石部神社〉](https://shrineheritager.com/isobe-shrine-7/) - 石部神社(いそべじんじゃ)は 927年に編纂された『延喜式神名帳』に所載の式内社 但馬國 出石郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)とされます 創建年代は古く詳らかではありませんが 少なくとも1100年以上前の創建となります 社頭には樹齢1000年と云う御神木の大ケヤキがそびえています - [石部神社(朝来市和田山町宮)〈『延喜式』刀我石部神社〉](https://shrineheritager.com/ishibe-shrine-2/) - 石部神社(いしべじんじゃ)は 創建について「口碑には 垂仁天皇の朝 敕を奉して祭祀する所と云ふ」と社伝にあります 又 神社の北を流れている東河川の「東河」と「刀我」は同じとされます 延喜式内社 但馬國 朝来郡 刀我石部神社(とかのいそへの かみのやしろ)の論社です - [石部神社(朝来市山東町滝田字マリ)〈『延喜式』朝來石部神社〉](https://shrineheritager.com/ishibe-shrine/) - 石部神社(いしべじんじゃ)は 正しくは磯部神社で別名「鞠の宮」または「山王社」とも云う 滝田村の北 石部山の南麓に鎮座する延喜式内社 但馬國 朝来郡 朝來石部神社(あさこのいそへの かみのやしろ)の論社と伝えています 石部山の北麓には 同じく式内社の刀我石部神社(とかのいそへの かみのやしろ)が鎮座しています - [熊野神社(朝来市山東町塩田)〈『延喜式』朝來石部神社〉](https://shrineheritager.com/kumano-shrine-8/) - 熊野神社(くまのじんじゃ)は 創建年代は不祥 幕末~明治時代の神職 宮本池臣(みやもと いけおみ)の説によれば゛瀧田村に山王社と稱するあり 礒部庄に塩田明神と稱するあり 礒部の方よき社地なり何れか式社なりとも分きかたし゛ 延喜式内社 但馬國 朝来郡 朝來石部神社(あさこのいそへの かみのやしろ)の論社と伝えています - [菅生石部神社(加賀市大聖寺敷地)〈加賀國二之宮〉](https://shrineheritager.com/sugo-isobe-shrine/) - 菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)は 宮中でお祀りしていた神様を用明天皇ご即位元年(五八六)この地にお遷ししたことが創始 六国史『日本三代実録』に菅生神・『延喜式』には菅生石部神社(すかふのいそへの かみのやしろ)と所載される由緒ある古社で 加賀國二之宮とされています - [宮村岩部神社(加賀市宮町)〈『延喜式』宮村いそ部神社〉](https://shrineheritager.com/miyamuraisobe-shrine/) - 宮村岩部神社(みやむらいそべじんじゃ)は 創建年代 祭神ともに不祥 祭神は 天神 或いは櫛日方命とも云う 現在も本殿はなく 瑞垣(土塀)にて囲む内に磐座が祀られる謎多き古社で 古へに社地の南方2km程に遙拜所があった所に 今は鳥居のみが残っています 延喜式内社 加賀國 能美郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)です - [箭代神社(氷見市北八代)〈『延喜式』箭代神社〉](https://shrineheritager.com/yashiro-shrine/) - 箭代神社(やしろじんじゃ)は 元は現在地の後方 中山丘陵にあったとされる 延喜式内社 越中國 射水郡 箭代神社(やしろ かみのやしろ)で 祭神は武内宿禰の第八子 葛城襲津彦命とされますが 武内宿禰の子 波多八代宿禰とする別説もあります いずれにしても氏子にも武内宿禰の後裔が多く「氏祖の神社」と里人に呼ばれています - [神明宮(氷見市磯辺 上宮)〈『延喜式』礒部神社の元鎮座地〉](https://shrineheritager.com/shinmeigu/) - 神明宮(しんめいぐう)は 磯部神社(氷見市磯辺)の旧社地とも云われ 延喜式内社 越中國 射水郡 礒部神社(いそへ かみのやしろ)の論社となっています 磯部集落の中でも山間部の上宮(かみや)集落に鎮座したが 集落過疎化の為 神社の維持管理ができなくなり 礒部神社に合祀の神事〈2022年11月26日〉が執り行われました - [磯部神社(氷見市磯辺)〈『延喜式』礒部神社〉](https://shrineheritager.com/磯部神社(氷見市磯辺)〈『延喜式』礒部神社〉/) - 磯部神社(いそべじんじゃ)は 氷見のヤマフジの名所として知られ見頃には多くの人々が参拝します 古代に八代谷(旧 氷見郡八代村一帯)の土地開拓をした礒部氏が 祖神 天日方奇日方命を御祭神として祀ったと云う 延喜式内社 越中國 射水郡 礒部神社(いそへ かみのやしろ)とされます - [柏木神社(甲賀市水口町北脇)〈『延喜式』石部鹿鹽上神社〉](https://shrineheritager.com/kashiwagi-shrine/) - 柏木神社(かしわぎじんじゃ)は 白鳳元年(673)創建 山王社〈祭神 大己貴命〉でした 建久元年(1190)源頼朝が上洛の折 鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の御分霊を合祀し社名を若宮八幡宮とした 明治4年(1871)柏木神社と改称しました 延喜式内社 近江國 甲賀郡 石部鹿鹽上神社(いそへのかしほのかみの かみのやしろ)の論社です - [上葦穂神社(湖南市柑子袋)〈『延喜式』石部鹿鹽上神社〉](https://shrineheritager.com/kashiho-shrine/) - 上葦穂神社(かしほじんじゃ)は 孝徳天皇 白雉元年(650)阿星嶽より五色の御旗が降り祀られたのが創祀 この御幡の降った地を御幡塚として現在も聖地と伝える その後社殿を設け 旧社号を白雉神社(博智・博打・薄知)と云う 延喜式内社 近江國 甲賀郡 石部鹿鹽上神社(いそへのかしほのかみの かみのやしろ)論社の一つです - [吉御子神社(湖南市石部西)〈『延喜式』石部鹿鹽上神社〉](https://shrineheritager.com/yoshimiko-shrine/) - 吉御子神社(よしみこじんじゃ)は 社伝に 崇神天皇六十八年に神降があり 垂仁天皇二年に宇加之彦の子 吉比古・吉比女の神を谷黒の御前に祀り創祀と云う 弘仁二年(811)災害により石部宿の東西に分社され 西側に鎮座しました 延喜式内社 近江國 甲賀郡 石部鹿鹽上神社(いそへのかしほのかみの かみのやしろ)の後身とされます - [鹿鹽上社 吉比女宮跡〈御旅所〉(湖南市石部東)〈『延喜式』石部鹿鹽上神社〉](https://shrineheritager.com/the-site-of-kashihono-kami-sha-kichihime-shrine/) - 鹿鹽上社 吉比女宮跡(かしほのかみしゃ きちひめのみやあと)は 式内社 石部鹿鹽上神社の論社「吉姫神社」の旧鎮座地で 現在は御旅所となっています 元々は柏木と称す所から当地へ遷座 明応年度(1492~1501)兵火により焼失し 社記には「寛保3年(1743)12月14日の夜 今の地に遷り給へる」と伝えています - [吉姫神社(湖南市石部東)〈『延喜式』石部鹿鹽上神社〉](https://shrineheritager.com/yoshihime-shrine/) - 吉姫神社(よしひめじんじゃ)は 創祀年代は不詳です 御旅所のある上田の地に斎き祀られていたが 明應年度(1492~1501)兵火によりこれを焼失し 社記には「寛保3年(1743)12月14日の夜 今の地に遷り給へる」とあります 延喜式内社 近江國 甲賀郡 石部鹿鹽上神社(いそへのかしほのかみの かみのやしろ)の論社です - [石部神社(鯖江市磯部町)〈『延喜式』石部神社〉](https://shrineheritager.com/isobe-shrine-6/) - 石部神社(いそべじんじゃ)は 周囲には磯部(いそべ)古墳群もあり もとは鳥立山の山頂部に旧鎮座地があって 貴船明神と称されていたと伝わります 明治九年(1876)「参拝の便が悪く」との事で 現在地〈集落の奥 山の中腹〉に遷座した 延喜式内社 越前國 今立郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)とされます - [石部神社 上社跡〈石部神社の御旅所〉(愛知郡愛荘町石橋)〈『延喜式』石部神社二座〉](https://shrineheritager.com/isobe-shrine-kamishaato/) - 石部神社 上社跡(いそべじんじゃ かみしゃあと)は 石部神社は 元々は二座で 上社(かみしゃ)と下社(しもしゃ)に分かれていたが 応仁・文明の乱(1467~1477年)で上社は罹災(りさい)し 下社(現在地)境内に移されたと伝わる 上社の跡地は磯部の小字善法寺方といわれ 現在は石部神社 下社の御旅所となっています - [石部神社 下社(愛知郡愛荘町沓掛)〈『延喜式』石部神社二座〉](https://shrineheritager.com/isobe-shrine-5/) - 石部神社(いそべじんじゃ)は 「石部・石邊君」などの古代氏族と関係が深く 社伝に創立は崇神天皇の御代 天日方奇比方命を石部邑に奉齋 翌八年九月 大名牟遅尊を相殿に勧請 次いで垂仁天皇の御代 奇比方命の神託により天照皇大神を正座に奉祀と云う 延喜式内社 近江國 愛智郡 石部神社二座(いそへの かみのやしろ ふたくら)です - [石部神社(近江八幡市安土町下豊浦)〈『延喜式』石部神社〉](https://shrineheritager.com/isobe-shrine-4/) - 石部神社(いそべじんじゃ)は 創祀年代不詳ですが 社伝には 景行天皇21年 吾地山に社殿を造営し 勅使の参向を得 盛大なる鎮座祭を斉行 同22年更に勅使参向の栄に浴し 安土山湖水に臨み其の南麓を磯辺の岡と号し社を石部神社と称すと伝える 延喜式内社 近江國 蒲生郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)の論社です - [石部神社〈磯部大明神〉(蒲生郡竜王町七里)〈『延喜式』石部神社〉](https://shrineheritager.com/isobe-shrine-3/) - 石部神社〈磯部大明神〉(いそべじんじゃ)は 創立年代は不詳ですが 社伝によれば 正応2年(1289)池内真清等により社殿を奉遷と云い 古くは磯部大明神と称したが 延寶七年(1679)吉田家より正一位の宗源宣旨を受け 石部神社と改称された 延喜式内社 近江國 蒲生郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)の論社です - [馬路石邊神社(守山市吉身)〈『延喜式』馬路石邊神社〉](https://shrineheritager.com/umajiisobe-shrine/) - 馬路石邊神社(うまじいそべじんじゃ)は 社伝に 白鳳三年(675)建速須佐之男命を奉斎し創祀 朱鳥元年(686)大己貴命を合祀と云う 社名の馬路は「馬道首」に因む地名 石邊は馬道郷の土豪「石邊君氏」の姓 馬道(路)郷の石邊君の氏社で 延喜式内社 近江國野洲郡 馬路石邊神社(むまみちのいそへの かみのやしろ)とされます - [水島磯部神社〈青柳神社〉(上越市清里区青柳)〈『延喜式』水嶋礒部神社〉](https://shrineheritager.com/aoyagi-shrine/) - 青柳神社(あおやぎじんじゃ)は 『坊ケ池誌』に「神殿正面に「水嶋磯部神社(みずしまいそべのかみのやしろ)」の御霊代を その左脇に「弁財天神社」祭神の御霊代 その右脇に「諏訪神社」の祭神の御霊代を安置し奉った」とあり 坊ケ池の弁天島に祀られていた祠を 明治27年(1894)溜池改修工事により現在地に移して改称したものです - [水嶋礒部神社(糸魚川市筒石)〈『延喜式』水嶋礒部神社〉](https://shrineheritager.com/mizushimaisobe-shrine-2/) - 水嶋礒部神社(みずしまいそべじんじゃ)は 中古 諏訪大明神と称した 文化十一年(1814)「筒石村の磯邊近く岩礁の島の内に泉の湧出る所があり」とし吉田家の許可を得て現在の社号 延喜式内社 越後國 頸城郡 水嶋礒部神社(みつしまのいそへの かみのやしろ)の社号としましたが 式内社古跡とする証據は何もないとされます - [水嶋磯部神社(上越市清里区梨平)〈『延喜式』水嶋礒部神社〉](https://shrineheritager.com/mizushimaisobe-shrine/) - 水嶋磯部神社(みずしまいそべじんじゃ)は 数度の火災の爲 旧記等悉く燒失 口碑によれば 天智天皇10年12月 吉野より磯部臣(いそべのおみ)民部と称す人が来たり この地を水嶋の里と定め 先祖を祀り 白鷗2年辛未(671)社殿を創建と云う 延喜式内社 越後國 頸城郡 水嶋礒部神社(みつしまのいそへの かみのやしろ)です - [気多御子神社(小松市)〈『延喜式』氣多御子神社〉](https://shrineheritager.com/ketamiko-shrine/) - 気多御子神社(けたみこじんじゃ)は 従前は「神明宮」と称していて 相殿には「白山宮」が祀られていました 明治以降に『延喜式神名帳(927年編纂)』に所載の論社として「気多御子神社」と改称しました そして現在に至っています 草かり亀の民話を持つ神社です - [御島石部神社(柏崎市西山町石地字二田添)〈『延喜式』桐原石部神社〉](https://shrineheritager.com/mishima-isobe-shrine-2/) - 御島石部神社(みしまいそべじんじゃ)は その昔 大己貴命が頚城郡居多より御船にて石地の浜に至り 岩の懸橋が海中より磯辺まで続き不思議に思われ船を寄せると 当地の荒神二田彦・石部彦の二神が出迎え卮(さかずき)に酒を盛り敬意を表したと云う 延喜式内社 越後國 古志郡 桐原石部神社(きりはらのいそへの かみのやしろ)です - [御嶋石部神社(柏崎市北条字清水尻)〈『延喜式』御嶋石部神社〉](https://shrineheritager.com/mishima-isobe-shrine/) - 御嶋石部神社(みしまいそべじんじゃ)は 石部公の祖 久斯比賀多命を祭神として祀ります 御祭神が天下を平治し 越後国に趣かれ 八石山の麓 石部平(現在の清水尻)に鎮座と伝わる 延喜式内社 越後國 三嶋郡 御嶋石部神社(みしまのいそへ かみのやしろ)の論社です 昭和40年(1965)現在地の丘陵地に遷座しています - [桐原石部神社(長岡市寺泊下桐)〈『延喜式』桐原石部神社〉](https://shrineheritager.com/kirihara-isobe-shrine-2/) - 桐原石部神社(きりはらいそべじんじゃ)は 祭神 天日方奇日方命が 神武天皇の御代 食国政申大夫として 勅命を奉じて越後に降り 此地に神去り給ふたと古記にあり その御廟と伝わる゛桐原石部神社御廟所゛も付近にあります 延喜式内社 越後國 古志郡 桐原石部神社(きりはらのいそへの かみのやしろ)の論社です - [高瀬神社(南砺市高瀬)越中国一之宮〈延喜式 髙瀬神社〉](https://shrineheritager.com/takase-shrine/) - 高瀬神社(たかせじんじゃ)は 越中国一之宮として格式高く 御祭神は 大己貴命(大国主命)を祀ります 近くには 当社の鎮座地とも伝わる「高瀬遺跡」もあり 農耕文化の芽生える弥生時代(紀元前10世紀頃~紀元後3世紀中頃)の頃の鎮座と推測されています - [桐原石部神社(長岡市上桐)〈『延喜式』桐原石部神社〉](https://shrineheritager.com/kirihara-isobe-shrine/) - 桐原石部神社(きりはらいそべじんじゃ)は 創立年月日は不祥ですが 社殿は白雉年間(650~654)に造営 文明八年(1476)再建とある 延喜式内社 越後國 古志郡 桐原石部神社(きりはらのいそへの かみのやしろ)の論社です 又 村内に往時を語る地名として叡慮出・油田・丹波田・身洗場・小鯛郷池谷 等の小字名がありました - [何鹿神社(船井郡京丹波町曽根竿代)〈『延喜式』出石鹿いそ部神社〉](https://shrineheritager.com/itsushika-shrine/) - 何鹿神社(いつしかじんじゃ)は 創祀は白鳳十二年(672)と伝えられ 大寶二年(702)から出石鹿部神社と號して 延喜式内社 丹波國 舩井郡 出石鹿いそ部神社(いつしかの いそへの かみのやしろ)とされます 正和四年(1315)から何鹿神社と称したと云うことです - [岩山神社(船井郡京丹波町塩田谷岩山)〈『延喜式』辨奈貴神社・出石鹿いそ部神社〉](https://shrineheritager.com/iwayama-shrine/) - 岩山神社(いわやまじんじゃ)は 元々は辨奈貴岩の上に鎭座する辨奈貴大明神と称し 延喜式内社 丹波國 船井郡 辨奈貴神社(へなきの かみのやしろ)の論社 又 往古から何鹿神社(曽根竿代)の奥宮と云い延喜式内社 丹波國 船井郡 出石鹿いそ部神社(いつしかのいそへの かみのやしろ)の旧鎮座地とも云われます - [石部神社(四日市市朝明町)〈『延喜式』石部神社二座・(合祀)太神社〉](https://shrineheritager.com/isobe-shrine-2/) - 石部神社(いそべじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 朝明郡 石部神社二座(いそへの かみのやしろ ふたくら)の論社です 明治末期の神社合祀令により 延喜式内社 伊勢國 朝明郡 太神社(おほみわのやしろ)を大正5年(1916)合祀しています 太神社は昭和22年(1947)石部神社から(北野山の現在地)に分祀されています - [大神社(いなべ市大安町片樋)〈『延喜式』太神社(おほみわのやしろ)〉](https://shrineheritager.com/ohmiwa-no-yashiro/) - 大神社(おおみわのやしろ)は 祭神 大物主命を祀る 延喜式内社 伊勢國 朝明郡 太神社(おほみわのやしろ)です 永禄年間(1558~70)織田信長が北勢乱入の時 当社並に神宮寺を焼討し 元亀 2年(1571)社領・寺領も没収され廃したと云う 文禄3年(1594)藩主御検地のとき神田 1反6畝11歩を賜った記録があります - [太神社(四日市市大鐘町)〈『延喜式』太神社〉](https://shrineheritager.com/ohno-shrine/) - 太神社(おおのじんじゃ)は 東西大鐘2村の産土神として字大坪に鎮座した「諏訪大明神」で 延喜式内社 伊勢國 朝明郡 太神社(おほみわのやしろ)と伝わります 東大鐘の山神社・西大鐘の天一目連神社・山神社を大正2年に合祀の上 大正5年(1916)石部神社に合祀をされた後 昭和22年(1947)現在地に分祀されたものです - [石部神社(小松市古府町)加賀国 総社〈惣社〉](https://shrineheritager.com/isobe-shrine/) - 石部神社(いそべじんじゃ)は 加賀国の誕生にかかわる古社で 弘仁14年(823)3月 越前国から分割して加賀国ができた際には 国府庁の南に すでに当社が「府南社」と称して祀られていたと伝えられます ここから加賀国の一之宮であるとも 加賀国総社であるともされています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の論社です - [神明宮(浜松市浜名区三ヶ日町只木)〈『延喜式』彌和山神社〉](https://shrineheritager.com/shinmeigu-shrine-3/) - 神明宮(しんめいぐう)は 上古 浜名湖周辺に定着繁栄した三輪 (神・美和)氏族が奉斎し弥和山神社と称した 延喜式内社 遠江國 濱名郡 彌和山神社(みわやまの かみのやしろ)で 天慶三年(940)伊勢神宮神領 但木御薗の成立があり 旧来の祭神 大物主命の霊に代り 天照皇大神を奉斎した神明宮へと変化したと考えられています - [子倉神社(磐田市笠梅)〈『延喜式』子倉神社〉](https://shrineheritager.com/kokura-shrine/) - 子倉神社(こくらじんじゃ)は 『遠江風土記傳』に「富田村 子安明神 天龍河洪水之時 田村流亡 大海村有 子倉明神者移是以齋彼所也」とあり 天竜川の洪水により子安神社(白鳥町富田)から この地に遷座したと記されています 延喜式内社 遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)の論社です - [子安神社(浜松市中央区白鳥町富田)〈『延喜式』子倉神社〉](https://shrineheritager.com/koyasu-shrine-2/) - 子安神社(こやすじんじゃ)は 元々は天竜川左岸の集落(富田村字堤外中ノ町)に鎮座していましたが 昭和14年(1939)5月天龍川改修工事によって 堤防傍の現在地に遷座しています 延喜式内社 遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)の論社です - [稲荷神社(浜松市中央区飯田町)〈『延喜式』子倉神社・朝日波多加神社](https://shrineheritager.com/inari-shrine-4/) - 稲荷神社(いなりじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 延暦二十年(801)に建てられたとも云い伝えられています 延喜式内社 遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)であるとも 延喜式内社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)であるとも云い 二つの式内社の論社となっています - [有玉神社(浜松市中央区有玉南町)〈『延喜式』朝日波多加神社〉](https://shrineheritager.com/aritama-shrine/) - 有玉神社(ありたまじんじゃ)は 明治四十年 八幡宮境内〈現在地〉に郷社 神明宮〈式内論社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)〉を移転し 当時の有玉村の地域内にあった 郷社 神明宮 村社 無格社などと八幡宮 俊光将軍社等 併せて十一社を合祀して 郷社 有玉神社と称したものです - [六所神社(浜松市中央区半田町)〈『延喜式』朝日波多加神社〉](https://shrineheritager.com/rokusho-shrine/) - 六所神社(ろくしょじんじゃ)は 朝日(あさひ)山〈往古 村名゛波多(はた)村゛にある〉の中腹に 社殿・境内は東を向いて 旭日(あさひ)を迎えるように鎮座しています 創建年代不詳ですが この地名と地形からみて 延喜式内社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)の論社との説があります - [蒲神明宮(浜松市中央区神立町)〈『延喜式』大歳神社・朝日波多加神社・子倉神社〉](https://shrineheritager.com/kaba-shinmeigu-shrine/) - 蒲神明宮(かばしんめいぐう)は 『三代實録』蒲太神とする説があり これによって三つの式内社〈①遠江國 長上郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)②遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)③遠江國 長上郡 子倉神社(こくらの かみのやしろ)〉の論社となっています - [神明宮(浜松市浜名区内野)〈『延喜式』朝日波多加神社〉](https://shrineheritager.com/shinmeigu-shrine-2/) - 神明宮(しんめいぐう)は 創立年代不詳ですが 鎮座の地「内野(うちの)」が「宇治乃(うぢの)」と呼ばれていた頃 伊勢神宮より勧請したと云い 又 神明宮由緒によると寛永二年(1625)正月十五日 現在地に創建したと云います 延喜式内社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)の論社です - [稲荷神社(浜松市浜北区小林)〈『延喜式』猪家神社〉](https://shrineheritager.com/inari-shrine-3/) - 稲荷神社(いなりじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 明徳年間(1390)足利義満の時代に改造の記録があります 寛政8年9月 稲荷大明神を稲荷神社と改称 明治12年8月26日村社に列格 延喜式内社 遠江國 長下郡 猪家神社(ゐけの かみのやしろ)の論社でもあります - [天津神社・奴奈川神社(糸魚川市一の宮)](https://shrineheritager.com/amatsu-shrine-nunakaha-shrine/) - 天津神社(あまつじんじゃ)・奴奈川神社(ぬなかわじんじゃ)は ・天神を祀る「天津神社」・国津神を祀る「奴奈川神社」が すぐ横に並んで祀られています 鎮座している土地は 富山県との境に位置する新潟県最西端の糸魚川市です 縄文期よりのヒスイの産地として名高い地です 翡翠は古代は「玉」とされて大変貴重な神器でありました 「奴奈川神社」では ヒスイの神「奴奈川姫命(nunakawa hime no mikoto)」を祀ります - [椎ヶ脇神社(浜松市天竜区二俣町鹿島)〈『延喜式』猪家神社〉](https://shrineheritager.com/shiigawaki-shrine/) - 椎ヶ脇神社(しいがわきじんしゃ)は 延暦二十年(801)征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征伐のため下向の折 天竜川が氾濫し大海となり 東岸に渡ることも出来ず困っていた時 土人が筏を作り将軍を渡し 大変喜ばれこの地に減水を祈り「闇淤加美神」を祀ったと伝わる 延喜式内社 遠江國 長下郡 猪家神社(ゐけの かみのやしろ)の論社 - [大歳神社(浜松市中央区天王町)〈『延喜式』大歳神社〉](https://shrineheritager.com/ohtoshi-shrine-4/) - 大歳神社(おおとしじんじゃ)は 延喜式内社 遠江國 長上郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)を合祀しています 元来「天王宮」「天皇宮」「大歳神社」の三社に別れてご鎮座になっていたが 後に合祀され 更に当神社氏子四町の氏神を合祀し現在に至ります - [等乃伎神社(高石市取石)〈『延喜式』等乃伎神社(鍬靫)・〈合祀〉大歳神社(鍬)〉](https://shrineheritager.com/tonoki-shrine/) - 等乃伎神社(とのきじんじゃ)は 古代の太陽信仰と密接な関係があり『古事記』下巻 仁徳天皇の段には「巨木伝説」が伝わり 又『続日本紀』天平勝宝4年(752)「中臣殿来連竹田売」と記載の中臣氏一族 殿来連が祖先神 天兒屋根命を当社に奉祀した 式内社 等乃伎神社(鍬靫)で 明治期に式内社 大歳神社(貞・鍬)を合祀しています - [舟寄神社(賀茂郡松崎町江奈)〈『延喜式』伊那下神社〉](https://shrineheritager.com/funayose-shrine/) - 舟寄神社(ふなよせじんじゃ)は 社伝に「初 古代 嶋にありしを此の地に遷座すと云ふ」とあり 地名の江奈は伊奈の轉訛とし 往古 此地の総称と聞え 中川村の下流にあり伊奈下の称に適すとして 『伊豆神階帳』「從四位いなし利の明神」・『延喜式』伊豆國 那賀郡 伊那下神社(いなしもの かみのやしろ)であると伝えます - [神館飯野高市本多神社〈神戸宗社〉(鈴鹿市神戸)](https://shrineheritager.com/kotatsu-iino-takaichi-honda-shrine/) - 神館飯野高市本多神社(こうたつ いいの たかいち ほんだじんじゃ)は 第十一代垂仁天皇の御代 皇女倭姫命が皇大神宮〈内宮〉を伊勢の五十鈴川の川上にお定めになられる時 神戸にしばらく滞留せられて御宮所としたのが 神社創建と伝えられ その後 神館神明神社に飯野神社・高市神社・本多神社が合祀され 俗に神戸宗社と呼ばれます - [仲神社(賀茂郡松崎町那賀)〈『延喜式』伊那上神社・仲神社・仲大歳神社〉](https://shrineheritager.com/naka-shrine-3/) - 仲神社(なかじんじゃ)は 社記には もと仲神社と称し 中古 伊那上神社(松崎町宮内)に合祀して高根名神社と改称 後 本地に遷祀して 旧仲神壮に復称したとあり 現在は三つの式内社〈①伊那上神社(いなかみの かみのやしろ)②仲神社(なかの かみのやしろ)③仲大歳神社(なかをほとしの かみのやしろ)〉の論社です - [伊那上神社(賀茂郡松崎町宮内)〈『延喜式』伊那上神社・仲神社・仲大歳神社〉](https://shrineheritager.com/inakami-shrine/) - 伊那上神社(いなかみじんじゃ)は 社伝には 第52代 嵯峨天皇弘仁2年(811)伊豫國越智郡三島より遷座と伝えられ 又一説に弘仁8年(817)伊豆國府三島より遷座とも云う 三つの式内社〈①伊那上神社(いなかみの かみのやしろ)②仲神社(なかの かみのやしろ)③仲大歳神社(なかをほとしの かみのやしろ)〉の論社です - [伊志夫神社(賀茂郡松崎町石部)〈『延喜式』伊志夫神社〉](https://shrineheritager.com/ishifu-shrine/) - 伊志夫神社(いしふじんじゃ)は 創建について 石部の神田の地にある石火石から遷座と云う 往昔 磐座であった「石火石」の頂上部の窪みに 火を燃やして海上交通の目印と交通安全を祈っていたとされ やがて神社を建立したのであろうと伝わる 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 伊志夫神社(いしふの かみのやしろ)の論社です - [遠江國 式内社 62座(大2座・小60座)について](https://shrineheritager.com/tohotouminokuni/) - 遠江国(とほとうみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 遠江国には 62座(大2座・小60座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [伊那下神社(賀茂郡松崎町松崎)〈『延喜式』伊志夫神社・伊那下神社・仲大歳神社〉](https://shrineheritager.com/inashimo-shrine/) - 伊那下神社(いなしもじんじゃ)は 三つの式内社〈伊豆國 那賀郡① 伊志夫神社(いしふの かみのやしろ)②伊那下神社(いなしもの かみのやしろ)③仲大歳神社(なかをほとしの かみのやしろ)〉の論社です 又 三韓征伐の時 この国の人が神功皇后の御船を守り 長門豊浦から松崎に来て唐(新羅)征討の住吉三神を祀り俗に唐大明神と称します - [神明神社(賀茂郡西伊豆町中)〈『延喜式』仲大歳神社〉](https://shrineheritager.com/shinmei-shrine-3/) - 神明神社(しんめいじんじゃ)は かつて火災に遭って多くの記録を失い 創建年代等は不祥 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 仲大歳神社(なかおほとしの かみのやしろ)の論社です 毎年十一月の秋祭りに奉納される三番叟は初演が享保年間即ち1700年代と伝えられ 三世紀に渡り伝承される貴重な民俗文化財です - [大歳神社(橿原市石川町)〈『延喜式』大歳神社 二座〉](https://shrineheritager.com/ohtoshi-shrine-3/) - 大歳神社(おおとしじんじゃ)は 創建年代は不明ですが 創祀について鎮座地の石川村を開発した人物「石川楯〈雄略天皇の臣下〉」であると推測されています 延喜式内社 大和國 高市郡 大歳神社 二座(おほとしの かみのやしろ ふたくら)の論社で 中世両部習合神道から大山咋命を主神として社名を山王社と云ったと棟礼にみえています - [大歳神社(美方郡新温泉町居組字宮ノ前)〈『延喜式』大歳神社〉](https://shrineheritager.com/ohtoshi-shrine-2/) - 大歳神社(おおとしじんじゃ)は 貞観3年(861)の創立と伝える 延喜式内社 但馬國 二方郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)とされます 所藏の棟札によれば 足利時代の永享2年(1430)11月 足利義教の時に社殿の再建とあり 中世この地は 延喜式の大歳神社がここに鎭座するを以て 大歳莊と呼ばれたと云う - [本宮神社〈本殿合祀or境内社 八面神社〉(三瓶町上山)〈『延喜式』佐比賣山神社〉](https://shrineheritager.com/motomiya-shrine/) - 本宮神社(もとみやじんじゃ)は 宝亀三年(772)創建 この地の豪族 矢野隆義が紀州熊野本宮神社の分霊を勧請したと伝わります 又 〈本殿合祀or境内社〉八面神社(やおもてじんじゃ)は 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社でもあります - [三瓶山神社(大田市三瓶町小屋原)〈『延喜式』佐比賣山神社〉](https://shrineheritager.com/mikameyama-shrine/) - 三瓶山神社(みかめやまじんじゃ)は 承暦永保(1077~1084年)の頃 三瓶山麓に野獸が多く村民が苦しんだので 源頼義の臣の平吉義が農鎌を以て退治し この鎌を神體として熊野三社を勧請鎮祭し 鎌は今でも殿内に奉遷と云う 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社でもあります - [八面神社(大田市三瓶町志学ロ)〈『延喜式』佐比賣山神社〉](https://shrineheritager.com/yaomote-shrine/) - 八面神社(やおもてじんじゃ)は 三瓶山〈佐比賣山〉の山麓に八ヶ所の湧水があって 湧水ごとに八つ集落があり 三瓶山〈佐比賣山〉を祀る八つの神゛八面神社゛が創建された〈寛平年間(889~898年)〉と伝わっています 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社です - [高田八幡宮〈相殿 佐比賣山神〉(大田市三瓶町池田)〈『延喜式』佐比賣山神社〉](https://shrineheritager.com/takatahachimangu-shrine/) - 高田八幡宮(たかたはちまんぐう)は 寛喜二年(1230)山城國 綴喜郡 男山八幡宮より勧請したと云う 又 相殿に祀られる佐比賣山神は 明治四十年(1907)四月 佐比賣村 同大字の佐比賣山神社が本社に合併されたもので 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社とされます - [佐比賣山神社(大田市鳥井町鳥井)〈『延喜式』佐比賣山神社〉](https://shrineheritager.com/sahimeyama-shrine-2/) - 佐比賣山神社(さひめやまじんじゃ)は 寛平3年(891)美濃国石破郡石破関より勧請され 元々は 大字烏井字杵島山に鎮座し厳島大明神と云ったとある 明治四十年(1907)海岸の丘上〈現在地〉に奉遷 八幡宮へ合併し社号を佐比賣山神社としました 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社です - [大歳神社(浜田市三隅町下古和)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉](https://shrineheritager.com/otoshi-shrine-9/) - 大年神社(おおとしじんじゃ)は 創建年代はあきらかでないが 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)の論社の一つとされています 明治期に地域の神社を合祀しています - [服織田神社(牧之原市静波)〈『延喜式』服織田神社〉](https://shrineheritager.com/hatorida-shrine/) - 服織田神社(はとりだじんじゃ)は 社伝には゛景行天皇の七年に勧請された゛とあり 鎮座地は 往古は服織田村と言われたが柏原町と改められたと宝暦八年の検地帳に記載されています 『延喜式神名帳(927 AD.)』所載の式内社 遠江國 蓁原郡 服織田神社(はとりたの かみのやしろ)の論社です - [軽野神社(伊豆市松ケ瀬)〈『延喜式』輕野神社〉](https://shrineheritager.com/karuno-shrine/) - 軽野神社(かるのじんじゃ)は 『日本書紀(にほんしょき)』応神天皇 5年10月の条 に「伊豆国に造船を命じた 長さ十丈(約30m)試しに海に浮かべると 軽くてよく走るので その船を『枯野(カルノ)』と名付けた」とあり これが狩野(カルノ)郷の語源であると言われています - [大年神社(浜田市国分町)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉](https://shrineheritager.com/otoshi-shrine-8/) - 大年神社(おおとしじんじゃ)は 景勝地として知られる石見畳ケ浦の入口にあたる唐鐘漁港の高台に鎮座します 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』に石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)とある古社の論社の一つです - [大歳神社(浜田市大金町)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉](https://shrineheritager.com/otoshi-shrine-7/) - 大歳神社(おおとしじんじゃ)は 元 大金神社と称していたが 昭和30年(1955)神社本庁の許可を得て大歳神社を創立し神社本庁に従属したとあり 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)の論社の一つです - [大歳神社(浜田市弥栄町小坂)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉](https://shrineheritager.com/otoshi-shrine-6/) - 大歳神社(おおとしじんじゃ)は 創祀年代について 「神亀元年(724)十二月 田村修理によって当地に創建」と云われる由緒を持ち 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)と伝わります この論社は数が多く その内の一つとされます - [大歳神社(浜田市元浜町)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉](https://shrineheritager.com/otoshi-shrine-5/) - 大歳神社(おおとしじんじゃ)は 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授し 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)とされる由緒ある神社ですが 所在については確証がなく 数多くの論社があります その一つとされています - [大歳神社(江津市千田町大年迫)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉](https://shrineheritager.com/otoshi-shrine-4/) - 大歳神社(おおとしじんじゃ)は 創建は口碑に延長年間(923~931年)と云います 『三代實録』に貞觀十三年(871)大歳神 從五位上を奉授と所載され 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)とされる神社の所在については確証がなく 論社がその数多くあり その一つとされています - [大年神社(江津市渡津町塩田)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉](https://shrineheritager.com/otoshi-shrine-3/) - 大年神社(おおとしじんじゃ)は 口碑に「神龜二年(725)六月朔日 伊勢別宮より勧請 天正年間(1573~1592)都野刑部少輔元康 社領寄附す」とあり 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)の論社とされています - [河俣神社(橿原市雲梯町)〈『延喜式』髙市御県坐鴨事代主神社・川俣神社三座〉](https://shrineheritager.com/kawamata-shrine/) - 河俣神社(かわまたじんじゃ)は 『出雲国造神賀詞』に「事代主命の御魂を宇奈提(うなて)に坐(ましま)す」と記される《式内社》髙市御県坐鴨事代主神社 大月次新嘗(たかいちの みあかたにます かものことしろぬしの かみのやしろ)に比定され 又《式内社》川俣神社三座 並大月次新嘗(かわまたの かみのやしろ)の論社でもあります - [大年神社(江津市和木町)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉](https://shrineheritager.com/otoshi-shrine-2/) - 大年神社(おおとしじんじゃ)は 伊勢別宮より勧請され都農郷 大年免(おとしめ)山に奉斎されたと伝えられ『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)の論社とされ 江戸時代 和木村庄屋小川氏によって和木川ほとりの現在地に遷座しました - [大年神社(江津市都野津町)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉](https://shrineheritager.com/otoshi-shrine/) - 大年神社(おおとしじんじゃ)は 神亀貮乙丑(725年)六月朔日伊勢別宮より 都濃郷大年免に鎮座と伝わり『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)の論社とされます 正徳元卯年(1711年)都山〈現地〉に遷座したと伝わります - [大歳神社〈相殿に合祀 石作大神〉(大原野灰方町)〈『延喜式』大歳神社・石作神社〉](https://shrineheritager.com/ohtoshi-shrine/) - 大歳神社(おおとしじんじゃ)は 境内を栢の森と称し゛栢の社(かやのやしろ)゛とも云う主祭神は大歳大神で 延喜式内社 山城國 乙訓郡 大歳神社(大月次新嘗)(おほとしの かみのやしろ)です 又 相殿は 後に大歳神社に合祀したと伝わる 石作氏の祖神 石作大神を祀る延喜式内社 石作神社(いしつくりの かみのやしろ)です - [阿沼美神社(松山市味酒町)〈『延喜式』阿治(阿沼)美神社(貞・名神大)〉](https://shrineheritager.com/anumi-shrine-2/) - 阿沼美神社(あぬみじんじゃ)は この地方の総鎮守で 往古 勝山の峰(現在の城山)に鎮座していました 久米氏の氏神で 延喜式内社 伊豫國 温泉郡 阿治(阿沼)美神社(貞・名神大)(あじみの かみのやしろ)とされます その後 越智氏が国司となり その氏神も祀り 慶長年間加藤嘉明により現在地に移遷され 味酒神社と呼ばれました - [佐比賣山神社(大田市三瓶町多根)〈『延喜式』佐比賣山神社〉](https://shrineheritager.com/sahimeyama-shrine/) - 佐比賣山神社(さひめやまじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年編纂)』所載の石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社です 『出雲國風土記733 AD.』の国引き神話では くにを引き寄せた「綱」が「薗の長浜(そののながはま)」この綱を繋ぎ止めた東の杭が「佐比賣山(さひめやま)〈三瓶山〉」とされます - [阿沼美神社(松山市平田町宮内)〈『延喜式』阿治(阿沼)美神社(貞・名神大)〉](https://shrineheritager.com/anumi-shrine/) - 阿沼美神社(あぬみじんじゃ)は 社伝に武国凝別〈第12代景行天皇の皇子〉十城別王〈日本武尊の御子〉の宮居所とあり 天明二年(1782)「阿沼美三島新宮」の古棟板 天保四年(1833)御幸橋の地下から石額「阿沼美宮」が発掘され 延喜式内社 伊豫國 温泉郡 阿治(阿沼)美神社(名神大)(あじみの かみのやしろ)とされます - [伊佐爾波神社(松山市桜谷町)〈『延喜式』伊佐尓波神社〉](https://shrineheritager.com/isaniwa-shrine/) - 伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)は もとの鎮座地は現在の道後公園山麓でした 建武年間(1334~38)河野通盛により湯築城の構築のため現在地に移転し 寛文7年(1667)松山藩主 松平定長により造営された現存の社殿は 石清水八幡宮を模した「八幡造り」で 宇佐八幡宮と合わせて 全国にわずか3例しかありません - [湯神社(松山市道後湯之町)〈『延喜式』湯神社・出雲崗神社〉](https://shrineheritager.com/yu-shrine/) - 湯神社(ゆじんじゃ)は 延喜式内社 伊豫國 温泉郡 湯神社(ゆの かみのやしろ)で 古くは道後温泉の起源の地〈鷺谷(道後鷺谷町)〉に鎮座したが 大永年間(1521~28)地震で温泉が埋没 社殿も大破し 冠山〈現在地〉に鎮座する式内社 出雲崗神社に合祀され 明治4年(1871)湯神社に出雲崗神社を合祀する形式となりました - [那須温泉神社(那須町大字湯本)〈『三代實録』温泉ノ神『延喜式』温泉神社〉](https://shrineheritager.com/yuzen-shrine-2/) - 温泉神社(ゆぜんじんじゃ)は 第三十四代舒明天皇の御代(630年)飛鳥時代 狩野三郎行広が白鹿を追い この山中に温泉を発見したことにより創建されたとあり 奈良時代の貴族の湯治のことは正倉院文書に記載されています 延喜式内社 下野國 那須郡 温泉神社(ゆのいつみ かみのやしろ)の論社です - [大宮温泉神社(大田原市中野内大宮)〈『三代實録』温泉ノ神『延喜式』温泉神社〉](https://shrineheritager.com/ohmiya-onsen-shrine/) - 大宮温泉神社(おおみやおんせんじんじゃ)は 社記に貞観十一年(869)清和天皇の御下賜品と伝わる宝物゛古鏡一面゛とある古社で かつて祭神は高龗神で 文治二年(1186)那須氏が 本郡 温泉神社を城中の守護神として勧請の時 祭神が変更されたと云う 延喜式内社 下野國 那須郡 温泉神社(ゆのいつみ かみのやしろ)の論社です - [入野神社(西京区大原野上羽町)〈『延喜式』入野神社〉](https://shrineheritager.com/irino-shrine/) - 入野神社(いりのじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 乙訓郡 入野神社(いりの かみのやしろ)の論社となっていますが 式内社として 今の所在地は適切でないとの説が多く 御祭神が同じ大原野神社は もともと入野の地にあったものを移したと云い 入野神社は大原野神社造営の時 そこにあったが現在地に移ったとする説などがあります - [石井神社(西京区大原野石作町)〈『三代實録』石坐神『延喜式』石井神社〉](https://shrineheritager.com/iwai-shrine-3/) - 石井神社(いわいじんじゃ)は 旧鎮座地は小塩山の山上 金蔵寺護摩堂の奥にある清泉の井戸「御香泉」〈清水を神格化〉の上に創建された 坂本の氏子達が参拝しやすいように近くに遷座して欲しいとのことで 昭和28年(1953)山王社の境内地〈現在地〉に移遷した延喜式内社 山城國 乙訓郡 石井神社(いはいの かみのやしろ)です - [早尾神社(西京区大原野石作町)〈石作神社の旧鎮座地〉](https://shrineheritager.com/hayao-shrine/) - 早尾神社(はやおじんじゃ)は 小塩山の麓にあり 古くは石作郷と呼ばれ石作大連を祀った石作神社と その菩提寺の石作寺があったと伝わる場所で 延喜式内社 山城國 乙訓郡 石作神社(いしつくりの かみのやしろ)の旧鎮座地とも云われています 貴族の狩場として桓武天皇もしばしば足を運ばれた所と云います - [八幡宮社〈長峰八幡宮〉(西京区大原野石作町)〈石作神社の旧鎮座地〉](https://shrineheritager.com/hachimangu-shrine-2/) - 八幡宮社〈長峰八幡宮〉(​はちまんぐうしゃ/やはたぐうしゃ)は 江戸末期には寄進書 灯籠等があり 現境内地に石作神社が鎮座していたとされます〈大歳神社(大原野灰方町)相殿に合祀された石作大神の旧鎮座地〉ともされ 延喜式内社 山城國 乙訓郡 石作神社(いしつくりの かみのやしろ)の旧鎮座地であるとする説があります - [石作神社址(長浜市木之本町千田)〈『延喜式』石作神社の旧鎮座地〉](https://shrineheritager.com/site-of-ishizukuri-shrine/) - 石作神社址(いしつくりじんじゃあと)は 慶長七年(1602)『千田村検地帳』に字「石つくり」の地名があり 今尚 石作と称する此地は 開墾され水田となるも田中に小丘の荒地を存し 神聖犯すべからず 若し犯す者は神罸を受くと伝承される 延喜式内社 近江國 伊香郡 石作神社(いしつくりの かみのやしろ)の旧鎮座地です - [石作神社・玉作神社(長浜市木之本町千田)〈『延喜式』石作神社・玉作神社〉](https://shrineheritager.com/ishitsukuri-tamatsukuri-shrine/) - 石作神社・玉作神社(いしつくり たまつくりじんじゃ)は 遠い昔 この地に石作連 玉作連が居住し 各々の祖神を祀った延喜式内社 近江國 伊香郡 石作神社(いしつくりの かみのやしろ)と玉作神社(たまつくりの かみのやしろ)です 戦乱で荒廃した2社を文明四年(1472)当地の地頭 佐々木民部少将が両社を再建合祀しました - [神明宮(三島市平田)〈『延喜式』玉作水神社〉](https://shrineheritager.com/shinmeigu-shrine/) - 神明宮(しんめいぐう)は 創建年代不詳ですが 口碑によれば 永和2年(1376) 村内に祀られていた左宮司神社 稲荷神社を合祀して 現在地に神明宮を新築したと伝わります 神社の脇には 境川〈富士山湧水〉が流れています 延喜式内社 伊豆國 田方郡 玉作水神社(たまつくりのみづの かみのやしろ)の論社となっています - [愛鷹神社(三島市三好町)〈『延喜式』玉作水神社〉](https://shrineheritager.com/ashitaka-shrine/) - 愛鷹神社(あしたかじんじゃ)は 創建年代などは不祥 玉作水は〔水を川と用ゐたる例〕によるもので 玉作川の事であり 玉川村に鎮座するとの説から 延喜式内社 伊豆國 田方郡 玉作水神社(たまつくりのみづの かみのやしろ)の論社となっています 境内の横には 清流があり 旧住所は「駿東郡清水村玉川字清水」です - [沖御前神社(出雲市大社町)〈稲佐の浜 弁天島に鎮座〉](https://shrineheritager.com/okigozen-shrine/) - 沖御前神社(おきごぜんじんじゃ)は 記紀神話の出雲国譲りの舞台として有名な稲佐の浜にある「弁天島」に鎮座 『古事記』では「伊那佐之小濱(いなさのこはま)」『日本書紀』では「五十田狭小汀(いさたのおはま)」と記載され 現在も旧暦10月10日 ここで「神迎え神事」が行われ 全国の神様〈八百万神々〉を迎える場所とされます - [玉作神社(沼津市黒瀬町)〈【延喜式】玉作水神社『伊豆国神階帳』玉作明神〉](https://shrineheritager.com/tamatsukuri-shrine/) - 玉作神社(たまつくりじんじゃ)は 社殿によると 玉造郷は一千年以上の昔 平安朝初期に伊豆と駿河の国境 玉作郷に住んでいた玉作部氏族が祖神 玉祖命を祀ったもので 延喜式内社 伊豆國 田方郡 玉作水神社(たまつくりのみづの かみのやしろ)とされます 又『伊豆国神階帳』には「従四位上 玉作明神」と所載されるる古社です - [温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)〈『續日本後記』玉造温泉神『延喜式』温泉神社〉](https://shrineheritager.com/onsen-shrine-2/) - 温泉神社(おんせんじんじゃ)は 承和4年(837)の大噴火により噴出した温泉 この湯を鳴声(なごえ)の湯と称し これを鎮めるために建立されたと伝わる 『續日本後記』承和10年玉造温泉神に従五位下が授けられ 『延喜式』には陸奥國 玉造郡 温泉神社(ゆのいつみの かみのやしろ)と所載されています - [温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)〈『延喜式』温泉石神社(貞)〉](https://shrineheritager.com/yunoishi-shrine/) - 温泉石神社(ゆのいし/おんせんいし/じんじゃ)は 承和四年(837)この地に大噴火が起り 雷が響きふるえ昼夜止まず 周囲二十余尺の大石の根本から温泉〈その色水漿の如し〉が流れ出した この石を温泉石神社として祀ったのが始まりと云う 延喜式内社 陸奥國 玉造郡 温泉石神社(貞)(ゆのいつみのいしの かみのやしろ)です - [湯前神社(熱海市上宿町)〈『延喜式』久豆弥神社〉](https://shrineheritager.com/yuzen-shrine/) - 湯前神社(ゆぜんじんじゃ)は 熱海温泉の守り神として 少彦名命が祀られる 式内社「久豆弥神社(くつみの かみのやしろ)」の論社です 創建は 今から1200年程前 天平勝寶元年(749)と伝わり 伝説では その頃 熱海の海中に沸いていた熱湯を 高僧の萬巻上人が山腹に移し その近くに祠を祀ったのが始まりと伝わります - [行神社(富谷市志戸田字塩竈)〈『延喜式』行神社(貞)・鹿島天足別神社(貞)〉](https://shrineheritager.com/yuki-shrine-3/) - 行神社(ゆきじんじゃ)は 延喜式内社 陸奥國 黒川郡 行神社(貞)(ゆくの かみのやしろ)とされ 又 鹿島天足別神社(貞)(かしまあまたりわけの かみのやしろ)とする説もあります 又 御釜神社(塩竈市本町)に7つあった神釜(しんかま)の伝説に その一つが 社頭の「塩竃池」に沈んでいる と伝わります - [咋岡神社(京丹後市峰山町赤坂)〈『延喜式』咋岡神社〉](https://shrineheritager.com/kuioka-shrine-3/) - 咋岡神社(くいおかじんじゃ)は 古老の伝には「古代には比治山の麓なる神所段(じんじょだん)といふ所の山にありしを 天正年中(1573~92)に峰山なる山祇山といふに移ししを 今の赤坂村にうつしたるは元和年中(1615~24)のこと」とある 延喜式内社 丹後國 丹波郡 咋岡神社(くひをかの かみのやしろ)です - [咋岡神社(京田辺市草内宮ノ後)〈『延喜式』咋岡神社(鍬靫)〉](https://shrineheritager.com/kuioka-shrine-2/) - 咋岡神社(くいおかじんじゃ)は 健治年間(1275~78)創祀と云い 応仁年間(1467~69)永正年間(1504~21)戦火で焼失し 天文三年(1534)再建と伝え 古くは天神社と称した 明治26年(1893)咋岡神社と改称 延喜式内社 山城國 綴喜郡 咋岡神社(鍬靫)(くひをかの かみのやしろ)の論社となっています - [咋岡神社(京田辺市飯岡東原)〈『延喜式』咋岡神社(鍬靫)〉](https://shrineheritager.com/kuioka-shrine/) - 咋岡神社(くいおかじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 綴喜郡 咋岡神社(鍬靫)(くいをかの かみのやしろ)とされ 元々は飯岡の北端で木津川と普賢寺川の合流箇所に鎮座した 木津川の氾濫により 元禄八年(1695)現在地に移され祭神に菅原道眞公が加えられ天神or天満宮と称した 明治10年(1877)今の社名に改めたと云う - [伊波比神社(吉見町黒岩)〈『延喜式』伊波比神社〉](https://shrineheritager.com/iwai-shrine/) - 伊波比神社(いわいじんじゃ)は 和銅年間(708~715)創建と伝え『延喜式神名帳』所載 武蔵國 横見郡 伊波比神社(いはひの かみのやしろ)です 元々は 出雲系の神を祀っていましたが その後 平安時代末~鎌倉初期にかけて 源頼朝の弟の源範頼の所領となり 源氏の八幡信仰から八幡神が祀られ「岩井八幡宮」と呼ばれていました - [武蔵國 式内社 44座(大2座・小42座)について](https://shrineheritager.com/musashinokuni/) - 武蔵国(むさしのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 武蔵国には 44座(大2座・小42座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [竹神社(明和町斎宮)〈『延喜式』竹神社・火地神社・天香山神社〉](https://shrineheritager.com/take-shrine-3/) - 竹神社(たけじんじゃ)は 社伝に垂仁天皇の御宇 竹連の祖・宇加之日子の子 吉志比古が倭姫命〈皇太神を奉じて伊勢御巡幸〉に供奉して当地に子孫が定住し祖神 長白羽神を奉斎したのが始りとされる 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 竹神社(たけの かみのやしろ)です 明治44年旧斎宮村内の23社を合祀し現在の地に移されました - [火地神社 古社地(明和町岩内 光安寺境内)〈竹神社に合祀された火地神社 古社地〉](https://shrineheritager.com/hichi-shrine-old-shrine-site-precincts-of-kouanji-temple/) - 火地神社 古社地(ひちじんじゃ こしゃち)は 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 火地神社(ひちの かみのやしろ)の古社地で 光安寺の裏 城山の山腹に火地神社跡があり 第12代 景行天皇の御代に創建と云う 寛文二年(1662)再興された光安寺境内に火地神社が移転し 明治40年(1907)斎宮村の竹神社に合祀されました - [畠田神社 跡(明和町南藤原)〈『延喜式』畠田神社三座〉](https://shrineheritager.com/ruins-of-hatakeda-shrine/) - 畠田神社 跡(はただじんじゃあと)は 明治41年(1908)北藤原の畠田神社に合祀 その後 中村の畠田神社へ遷座しました かつて藤原村は 南藤原 中藤原 北藤原の三村に別れており 各村に産土神があり その南藤原の社地跡です 延喜式内社 伊勢國 多気郡 畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)の跡とされます - [豊原神社(松阪市豊原町)〈『延喜式』大櫛神社の復祀先〉](https://shrineheritager.com/toyohara-shrine/) - 豊原神社(とよはらじんじゃ)は 古くより豊原に鎮座した五社〈大櫛神社・三熊野神社・穂卸神社・宇気比神社・宇気比神社〉が合祀令(1908)によって飯野高宮神山神社に合祀されました その後 昭和29年(1954)氏子の熱願により 神山神社から五社が復祀され元の宇気比神社(宮ノ腰)の地に新社殿が建立されたものです - [豊養稲荷大明神(松阪市豊原町)〈飯野高宮神山神社に合祀された 大櫛神社の旧鎮座地〉](https://shrineheritager.com/hoyouinari-daimyojin-shrine/) - 豊養稲荷大明神(ほうよういなりだいみょうじん)は 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 大櫛神社(おほくしの かみのやしろ)の旧鎮座地です 大櫛神社は 明治41年(1908)神山神社に合祀され その後 豊原神社(昭和29年創立)に5社〈大櫛神社・三熊野神社・穂卸神社・宇気比神社・宇気比神社〉と共に分祀されています - [羽束師坐高御産日神社(京都市伏見区羽束師志水町)(『三代實録』羽束志神)](https://shrineheritager.com/hazukashinimasu-takamimusuhi-shrine/) - 羽束師坐高御産日神社(はづかしにます たかみむすひじんじゃ)は 社伝によれば 創建〈雄略天皇21年丁己(477)〉と伝わり 京都でも古社となります 高皇産霊神(たかみむすひのかみ)を祀る 延喜式内社 山城國 乙訓郡 羽束師坐高御産日神社(大月次新嘗)(はつかしにますたかみむすひの かみのやしろ)です - [飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〈『倭姫命世紀』飯野の高宮〉](https://shrineheritager.com/iinotakamiyakoyama-shrine/) - 飯野高宮神山神社(いいのたかみやこうやまじんじゃ)は 『倭姫命世紀』には 垂仁天皇22年 倭姫命が天照大神の宮処を求めて遷られた゛飯野の高宮゛と載り 『延喜式』には伊勢國 飯野郡 神山神社(かむやまの かみのやしろ)と所載の古社 明治期に〈櫛田神社・流田神社・櫛田槻本神社・大櫛神社〉の4つの式内論社を合祀しました - [走落神社(長浜市高月町馬上)〈『延喜式』走落神社〉](https://shrineheritager.com/hashiriochi-shrine-2/) - 走落神社(はしりおちじんじゃ)は 社伝には神亀年間(724~729)の創祀と伝わる延喜式内社です 仁和年間(885~889)頃 この地で名馬が産まれ 宇多天皇に献上し「馬上」の 2文字の宸筆の額を賜り 後 神託により鳥居にこの額を掲げ 通過する際は必ず下馬し拝礼したと伝わります 鎮座地名は高月町馬上(まけ)です - [清水神社(松阪市清水町)〈『延喜式』流田神社〉](https://shrineheritager.com/shimizu-shrine/) - 清水神社(しみずじんじゃ)は 江戸時代に俗称 午頭天王と呼ばれた 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 流田神社(なかれたの かみのやしろ)の論社です 明治41年(1908)神山神社〈現 飯野高宮神山神社(山添町)〉に合祀され 昭和28年(1953)清水のこの地に分祀 清水神社として再建された 飯野高宮神山神社の飛び地境内社です - [竹佐々夫江神社(明和町大字山大淀)〈『倭姫命世記』佐々牟江宮〉](https://shrineheritager.com/takesasafue-shrine/) - 竹佐々夫江神社(たけささふえじんじゃ)は 『倭姫命世記』垂仁天皇22年 佐々牟江宮を造営したと記され 又 眞名鶴の住む所に造営されたと伝わる八握穂社を合祀します 元々は佐々夫江橋付近にありましたが 後年現社地に移されたと伝えられる 延喜式内社 伊勢國 多気郡 竹佐佐夫江神社(たけささふえの かみのやしろ)です - [根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)〈延喜式内社 跡地〉](https://shrineheritager.com/negura-shrine-kuninomi-shrine-former-location/) - 根倉神社跡地・國之御神社跡地(ねぐらじんじゃ・くにのみじんじゃあとち)は 明治41年中村の畠田神社に合祀された延喜式内社の跡地で 根倉神社は 佐々牟江宮or八握穂社とする説 八握穂社(根倉神社)を荻原神社とする説があり 3つの式内社〈竹佐々夫江神社・櫃倉神社・荻原神社〉の論社 國之御神社は式内社 國乃御神社の論社です - [佐伎栗栖神社 跡地(明和町志貴)〈『延喜式』佐伎栗栖神社二座〉](https://shrineheritager.com/ruins-of-sakikurusu-shrine/) - 佐伎栗栖神社 跡地(さきくるすじんじゃ あとち)は 鎮座地の志貴(シキ)を佐伎(サキ)の轉語とする説により 延喜式内社 伊勢國 多気郡 佐伎栗栖神社二座(さきくすの かみのやしろ ふたくら)の論社とされます 明治41年(1908)畠田神社(北藤原)に合祀 その後 畠田神社(明和町中村)に合祀された佐伎栗栖神社の跡地です - [服部伊刀麻神社 舊地(松阪市出間町)〈『延喜式』服部伊刀麻神社〉](https://shrineheritager.com/ruins-of-hatoriitoma-shrine/) - 服部伊刀麻神社 舊地(はとりいとまじんじゃ きゅうち)は 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 服部伊刀麻神社(はとりの いとまの かみのやしろ)の論社の旧鎮座地です 明治41年(1907)二十五柱神社に合祀されました 又 鎮座地の出間(いづま)は 伊刀麻(いとま)から訛ったものとされて旧称は゛いつま社゛とも呼ばれた古社です - [流田上社神社 跡(松阪市神守町)〈『延喜式』流田上神社〉](https://shrineheritager.com/ruins-of-nagareta-kamisha-shrine/) - 流田上社神社 跡(ながれたのうえのじんじゃあと)は 江戸時代には゛八王子゛と称し 明治39年 字東浦鎮座の八幡宮を合祀し゛上流田八幡神社゛と改称 その後 明治41年(1907)二十五柱神社に合祀された 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 流田上神社(なかれたのうへの かみのやしろ)の論社であった流田上社神社の旧鎮座地です - [須麻漏賣神社舊地 麻刀方神社舊地(松阪市垣内田町)〈延喜式内社の旧鎮座地〉](https://shrineheritager.com/sumarome-shrine-and-matakata-shrine/) - 須麻漏賣神社 麻刀方神社 舊地(すまろめじんじゃ まとかたじんじゃ きゅうち)は かつて この地に南側に松方(マツカタ)社 北側に粒形(ツボガタ)社と稱した東面の小詞2字があった旧地です 式内社の論社であった〈粒形社(須麻漏賣神社)・松方社(麻刀方神社)〉2宇は 明治41年(1907)二十五柱神社に合祀されました - [鹿島天足別神社(富谷市大亀字和合田)〈『延喜式』鹿嶋天足別神社・石神山精神社〉](https://shrineheritager.com/kashima-amatariwake-shrine/) - 鹿島天足別神社(かしまあまたりわけじんじゃ)は 二つの式内社〈・鹿嶋天足別神社・石神山精神社〉の論社となっています これは 明治42年(1909)同じ敷地内に鎮座していた吹上社を合祀しましたが この吹上社が 式内社〈鹿島天足別神社〉であり 本社は式内社〈石神山精神社〉であるとする説がある為です - [〈元伊勢〉比沼麻奈為神社(京丹後市峰山町久次字宮ノ谷)](https://shrineheritager.com/hinumanai-shrine/) - 比沼麻奈為神社(ひぬまないじんじゃ)は 式内社 丹後國 丹波郡 比沼麻奈為神社(ひぬまなゐの かみのやしろ)の論社 社傳には 第21代雄略天皇の夢の御告げ「丹波国比沼の真名井原に坐す吾が御饌の神 豊受大神をば 吾許に呼寄せたい」があり 大佐々命を丹波国に遣わし 現在の伊勢(外宮)に御遷座あらせらた跡宮であると伝えます - [津田神社(多気町井内林)〈『延喜式』林神社・櫃倉神社〉](https://shrineheritager.com/tsuda-shrine/) - 津田神社(つだじんじゃ)は 元々は林神社と称しており 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 林神社(はやしの かみのやしろ)の論社です 明治41年(1908)旧津田村内の無格社3社〈この内 菅原神社〈天神社〉が延喜式内社 伊勢國 多氣郡 櫃倉神社の論社とされています〉と境内社27社を合祀し社名を津田神社と改称しました - [二十五柱神社(松阪市柿木原町)〈多氣郡の式内社論社8つを合祀〉](https://shrineheritager.com/nijugohashira-shrine/) - 二十五柱神社(にじゅうごはしらじんじゃ)は 三重県令に依り旧東黒部村内25社の神社を明治41年(1907)9月30日に合祀して二十五柱神社が創建 合祀社の内 伊勢國多氣郡の8つの式内社〈・須麻漏賣神社・服部伊刀麻神社・林神社・服部麻刀方神社二座・流田神社・流田上社神社・火地神社・牛庭神社〉の論社を含みます - [牛庭神社 跡(松阪市東久保町)〈『延喜式』牛庭神社〉](https://shrineheritager.com/ruins-of-ushiba-shrine/) - 牛庭神社 跡(うしばじんじゃあと)は 明治41年 (1908) 二十五柱神社に合祀された 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 牛庭神社(うしにはの かみのやしろ)の旧跡地で 元々は現在地の北東75mの位置 牛草町に鎮座していました この跡地の石碑は 昭和六十年三月に耕地整理によって 現在地に移転しています - [牛庭神社(松阪市下蛸路町)〈『延喜式』牛庭神社〉](https://shrineheritager.com/ushiba-shrine/) - 牛庭神社(うしばじんじゃ)は 往古 里人が神社の前の野に牛を放ち飼いにしていたので牛飼場と呼ばれたと云う 旧名を牛庭牛頭天王 又は牛嶺天王社と云い 明治六年(1873)社寺御改めに際し 牛庭神社と改称しました 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 牛庭神社(うしにはの かみのやしろ)の論社です - [伊勢庭神社(松阪市伊勢場町)〈『延喜式』牛庭神社〉](https://shrineheritager.com/iseba-shrine/) - 伊勢庭神社(いせばじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 牛庭神社(うしにはの かみのやしろ)の論社とされています 明治40年(1907)神社合祀令により漕代神社(現 葉生田神社)に合祀されましたが 昭和28年(1953)現在地〈旧社地〉に分祀されました - [葉生田神社(松阪市法田町)〈『延喜式』牛庭神社・神垣神社〉](https://shrineheritager.com/hafuda-shrine/) - 葉生田神社(はふだじんじゃ)は 平安時代末期から土田(はふだ)村の神仏混淆の産土神「日天八王子社」でした 明治3年 神仏分離により「葉生田神社」と改称 明治40年の県令により 漕代(こいしろ)村の22社26祭神を合社・合祀 昭和28年に分社・分祀するも 正式な手続きは社名変更のみで 現在も22社26祭神が祀られています - [八柱神社(明和町上村)〈『延喜式』天香山神社〉](https://shrineheritager.com/yahashira-shrine-2/) - 八柱神社(やはしらじんじゃ)は 付近に゛カゴ山と号する゛カゴ山古墳があり 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 天香山神社(あまのかぐやまの かみのやしろ)の論社で 上村の産土神゛八王子゛でしたが 明治45年(1912)竹神社(明和町斎宮)に合祀された後 昭和45年(1970)かまくら古墳の墳丘上に小祠を設け分祠されたものです - [神垣神社(松阪市高木町)〈『延喜式』神垣神社・石田神社〉](https://shrineheritager.com/kougaki-shrine/) - 神垣神社(こうがぎじんじゃ)は 元々は゛髙木村に座す彦神゛と云い 明治40年(1907)漕代神社(現 葉生田神社)に合祀 昭和28年(1953)旧社地の現在地に分祀されました 延喜式内社 伊勢國 飯野郡 神垣神社(かむかきの かみのやしろ)とされ 延喜式内社 多氣郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社でもあります - [天香山神社(松阪市保津町)〈『延喜式』天香山神社・火地神社〉](https://shrineheritager.com/ameno-kaguyama-shrine/) - 天香山神社(あめのがぐやまじんじゃ)は 宮吉右衛門宅内の小祠〈高崎(コウサキ)ノ宮〉が 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 天香山神社(あまのかぐやまの かみのやしろ)の論社で(1903年)宇氣比神社(八王子)境内に合祀 さらに明治42年(1909)大国玉神社に合祀 その後 昭和10年(1935)旧宇氣比神社の地に分祀再興されました - [佐牙神社(京田辺市宮津佐牙垣内)〈延喜式内社 佐牙乃神社(鍬靫)〉](https://shrineheritager.com/saga-shrine/) - 佐牙神社(さがじんじゃ)は 社伝に 敏達天皇二年(573)創建 祭神は佐牙弥豆男神・佐牙弥豆女神の二神で山本村に鎮座した 宮中の造酒司よりの奉幣を伝え 我国の酒づくりの発祥と深い関係が推測される 延喜式内社 山城國 綴喜郡 佐牙乃神社(鍬靫)(さかの かみのやしろ)です 永享年間(1429~41)に現在地に遷座しました - [畠田神社 宮蹟(明和町北藤原)〈『延喜式』畠田神社三座〉](https://shrineheritager.com/hatakeda-shrine-2/) - 畠田神社 宮蹟(はたけだじんじゃ みやあと)は 明治41年(1908)中村の畠田神社へ遷座合祀されています かつて藤原村は 南藤原 中藤原 北藤原の三村に別れており 各村に産土神として 延喜式内社 伊勢國 多気郡 畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)が各一座があったとされ その北藤原の社地跡です - [畠田神社(明和町大字中村)〈『延喜式』畠田神社三座&〈合祀〉式内社十座〉](https://shrineheritager.com/hatakeda-shrine/) - 畠田神社(はたけだじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多気郡 畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)です 明治41年4月に下御系地区11ヵ字に鎮座していた神社を すべて北藤原の畠田神社に合祀 更に同年8月に中村の畠田神社へ遷し現在に至ります 合祀前の下御系地区24座の中で12座が延喜式内社となっています - [住吉神社〈下鴨宮〉(南丹市八木町観音寺裏山)〈『延喜式』神野神社〉](https://shrineheritager.com/sumiyoshi-shrine-14/) - 住吉神社〈下鴨宮〉(すみよしじんじゃ)は 元々は熊野社でしたが 明治時代の神社整理により 明治六年四月大字刑部の住吉神社の祭神を遷座 改称したものです 『大日本地名辭書』に依れば 延喜式内社 桑田郡 神野神社(かむのの かみのやしろ)は大宇觀音寺に在り と記されており式内論社となっています - [道相神社(南丹市美山町宮脇ヒノ谷)〈『延喜式』神野神社〉](https://shrineheritager.com/douso-shrine/) - 道相神社(どうそうじんじゃ)は 第十代崇神天皇御宇<前97~前30年>四道将軍として丹波地方に遣わされた丹波道主命が この地方開発のため宮脇の地に野々宮御所を創建されたのが起源と云う 社傳には允恭天皇の皇子 木梨軽皇子が この地に潜まれた時に土地を経營し給ひ 神日本磐余彦命 五瀬命の二柱を奉祀したとも云う - [磐裂神社(日光市遠下)〈足尾郷14ケ村の鎮守〉](https://shrineheritager.com/iwasaku-shrine/) - 磐裂神社(いわさくじんじゃ)は 秩父の妙見・相馬の妙見・足尾の妙見を関東三妙見と称したと云う 大同3年(808)足尾5氏(神山、星野、倉沢、斉藤、亀山or細内)と言われる一族14人が日光から移住した時 妙見宮の分身を拝受し足尾郷14ケ村の鎮守と定め 明治11年(1878)足尾銅山を再開した際 磐裂神社と改称されました - [八幡神社〈八幡大神市姫神社〉(舞鶴市市場)〈延喜式内社の論社〉](https://shrineheritager.com/hachiman-shrine-6/) - 八幡大神市姫神社(はちまんおおかみ いちひめじんじゃ)は 古老の口伝には 創立の年代等不詳だが 白糸浜は北海鎮護の要港で 往昔 厳島より市杵姫大神 白糸浜の御碕に鎮座され 海鎮明神と尊称された 中世 市杵姫大神の御神託により 宇佐八幡大神を合殿に奉祀して いつしか諸人は 八幡神社と称するようになったと云う - [玉依神社(亀岡市東別院町湯谷岳山)〈『延喜式』神野神社〉](https://shrineheritager.com/tamayori-shrine/) - 玉依神社(たまよりじんじゃ)は 『特選神名牒〈明治9年(1876)完成〉』に「村老の説に山城加茂明神の分社也」とあり 延喜式内社 丹波國 桑田郡 神野神社(かむのの かみのやしろ)の論社として挙げられています 鎮座地の湯谷(ゆや)は 口伝には 小野小町が当地に来て 薬師堂にて参籠して湯浴み〈湯治〉をしたと伝えています - [宮川神社(亀岡市宮前町宮川神尾山)〈『延喜式』神野神社〉](https://shrineheritager.com/miyagawa-shrine/) - 宮川神社(みやがわじんじゃ)は 第42代文武天皇 大宝年間(701~708)京都下賀茂神社の祭神 玉依姫命の母神゛伊賀古夜姫命゛を祭神として神野山の山上に鎭めたのが起源〈現在も下賀茂神社との関係は深く葵祭の行列に毎年宮川神社の氏子が参列奉仕します〉延喜式内社 丹波國 桑田郡 神野神社(かむのの かみのやしろ)とされます - [山國神社(京北鳥居町宮ノ元)〈『延喜式』山國神社〉](https://shrineheritager.com/yamaguni-shrine/) - 山國神社(やまぐにじんじゃ)は 第50代垣武天皇の平安遷都(794)の際 山国の郷が 御所の大内裏造営の木材を切り出す天皇の所用地゛御杣御料地(みそまごりょうち)゛と定められて 宝亀年間(770~780)修理職が本殿を造営したと伝わります 延喜式内社 丹波國 桑田郡 山國神社(やまくにの かみのやしろ)です - [小川月神社(亀岡市馬路町月読)〈『三代實録』小川月神『延喜式』小川月神社 名神大〉](https://shrineheritager.com/ogawatsuki-shrine/) - 小川月神社(おがわつきじんじゃ)は 延喜式内社 丹波國 桑田郡 小川月神社(名神大)(をかはつきの かみのやしろ)です また古記録は 伊勢の内宮・外宮が今の地に遷座される前の末社とされ 神代から当地に祀られていたと伝え 社傳によれば應仁の頃 大堰川洪水の為 社地を流失し一時廢絶したと云う 現在は狭少な神域となっています - [樺井月神社(城陽市水主宮馬場 水主神社境内)〈『延喜式』樺井月神社(大月次新嘗)〉](https://shrineheritager.com/kabaitsuki-shrine/) - 樺井月神社(かばいつきじんじゃ)は 古来朝廷より四度官幣祈雨祭に預れる事が六国史に載る 延喜式内社 山城國 綴喜郡 樺井月神社(大 月次新嘗)(くわゐのつきの かみのやしろ)です 元々は綴喜郡樺井の地に鎮座するも度重なる木津川洪水の為 寛文十二年(1672)十一月に水主神社 境内に遷座したと伝わります - [水主神社(城陽市水主宮馬場)〈『延喜式』水主社十座並大月次新嘗〉](https://shrineheritager.com/mizushi-minushi-shrine/) - 水主神社(みずしじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 久世郡 水主神社十座(並 大月次新嘗・就中同 水主坐天照御魂神 水主坐山背大国魂命神 二座預相嘗祭)です 祭神十座は 天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊・天香語山命・天村雲命・天忍男命・建額赤命・建筒草命・建田背命・建諸隅命・倭得玉彦命・山脊大國魂命と伝わります - [漆部神社〈八大神社〉(あま市甚目寺東門前)〈『延喜式』漆部神社〉](https://shrineheritager.com/nuribe-shrine/) - 漆部神社(ぬりべじんじゃ)は 隣接する甚目寺観音の北側に漆塚があったので 延喜式内社 尾張國 海部郡 漆部神社(うるしへの かみのやしろ)の旧跡であるとの説がある式内論社です かつては甚目寺観音の鎮守社として 八大神社と称していましたが 明治時代には神仏分離 さらに昭和32年(1957)には 漆部神社と改称されました - [日吉社・甚目寺観音(あま市甚目寺東門前)〈八大神社古社地〉](https://shrineheritager.com/hiyoshisha/) - 日吉社(ひよししゃ)は 八大神社の古社地とされています 昭和15年(1940)に゛紀元2600年゛を記念して甚目寺境内が拡張されて 戦後に八大神社〈現 漆部神社〉が 現在地に移転した際の八大神社の旧鎮座地に 現 日吉社が鎮座しています 八大神社は昭和32年(1957)に式内漆部神社と改称しています - [浅間社(名古屋市中川区下之一色町南ノ切)〈『延喜式』漆部神社〉](https://shrineheritager.com/sengen-sha/) - 浅間社(せんげんしゃ/あさまのやしろ)は 庄内川と新川の合流する三角州に鎮座します 御鎮座年月は不祥ですが 天正二年(1574)一色城主 前田與十郎が再建し 明治五年(1872)郷社に昇格しています 一説には 延喜式内社 尾張國 海部郡 漆部神社(うるしへの かみのやしろ)の論社とされます - [八幡神社(弥富市荷之上町字柴ケ森)〈『延喜式』漆部神社〉](https://shrineheritager.com/hachiman-shrine-8/) - 八幡神社(はちまんじんじゃ)は 『尾張志』に「當社は故縁ある古社ならむかとおもふよしあり、されど得へを失ひてすべて知りがたし、古石をもて御正體とすといへり、石を神體とする事は、古社に例多し。」とあり 一説には 延喜式内社 尾張國 海部郡 漆部神社(うるしへの かみのやしろ)の論社とされます - [市神社(津島市米町)〈津島神社の境外末社〉〈『延喜式』漆部神社〉](https://shrineheritager.com/ichigami-sha/) - 市神社(いちがみしゃ)は 昔は米問屋が多く 商売の神様 大市比賣命(おほいちひめのみこと)を祀り 米之座と呼ばれた地に鎮座する津島神社の境外末社です 津田正生は『本國神名帳集説訂考』に 延喜式内社 尾張國 海部郡 漆部神社(うるしへの かみのやしろ)であるとの説を挙げています - [津島神社(津島市神明町)〈全国天王総本社「津島牛頭天王社」〉](https://shrineheritager.com/tsushima-shrine/) - 津島神社(つしまじんじゃ)は 社伝には 欽明天皇元年(540)素戔嗚尊の和魂が 對馬から此地に光臨されたので 對馬(津島)と称すると伝わり 牛頭天王の日本総社として津島信仰の中心地です 一般的には『六国史』『延喜式』に記載のない式外社とされますが 延喜式内社 國玉神社(くにたまの かみのやしろ)とする説もあります - [居森社(津島市神明〈津島神社 境内摂社〉)〈『延喜式』國玉神社の旧跡〉](https://shrineheritager.com/imori-sha/) - 居森社(いもりしゃ)は 津島神社の南門大鳥居をくぐると鎮座します 素戔嗚大神が この地に初めて来臨され 神船を高津の湊の森に寄せて奉られた地とされ 蘇民将来の裔孫と云う老女が 霊鳩の詫によって森の中に居え奉った事により「居森社」と云われます 彌五郎殿社〈式内社 國玉神社〉の舊跡とされています - [彌五郎殿社(津島市神明〈津島神社 境内〉)〈『延喜式』國玉神社〉](https://shrineheritager.com/yagoroden-sha/) - 彌五郎社(やごろうでんしゃ)は 津島神社(津島市神明)の地主の神であり 延喜式内社 尾張國 海部郡 國玉神社(くにたまの かみのやしろ)と云われます 現在は 津島神社の南門をくぐって すぐ左手 拝殿の西側手前にありますが 旧鎮座地は 〈津島神社の境内〉居森社出逢ったと伝わります - [国玉神社・八剱社合殿(名古屋市中川区富田町万場)〈『延喜式』國玉神社〉](https://shrineheritager.com/kunitamajinja-hachikensha-aidono/) - 國玉神社・八剱社合殿(くにたまじんじゃ はちけんしゃあいどの)は 延喜式内社 尾張國 海部郡 國玉神社(くにたまの かみのやしろ)の論社です 佐屋街道(東海道の脇往還)沿い鎮座し 明治元年(1868)明治天皇が東幸の際 勅使より奉弊を享け 明治五年には郷社に列しています 現在は 國玉神社と八剱社が合殿となっています - [国玉神社(泉南郡岬町深日)〈『延喜式』國玉神社〉](https://shrineheritager.com/国玉神社(泉南郡岬町深日)〈『延喜式』國玉神/) - 國玉神社(くにたまじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 延喜式内社 和泉國 日根郡 國玉神社(くにたまの かみのやしろ)とされます 『續日本紀』に第48代 称徳天皇が 紀伊國に行幸された天平神護元年(765年)使を遣はして行宮を 和泉國に設けられた地は 深日(ふけ)であり 國玉神社の辺りと伝えられています - [生國魂神社(大阪市天王寺区生玉町)〈『延喜式』難破坐生國咲國魂神社〉](https://shrineheritager.com/ikukunitama-shrine-2/) - 生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)は 祭神 生島神・足島神は 日本国土の神霊とされ『延喜式』には宮中神として 生嶋巫祭神 2座(並大月次新嘗)として祀られた神です 新天皇の即位儀礼の゛八十島神祭゛の主神とされました かつては現在の大坂城の地に鎮座していましたが 豊臣秀吉公が大坂城の築城の頃 現在地に遷座と伝わります - [綱敷天満神社(神戸市東灘区御影)〈『延喜式』河内國魂神社(寛大延・鍬靫)〉](https://shrineheritager.com/tsunashiki-tenman-shrine/) - 綱敷天満神社(つなしきてんまんじんじゃ)は 菅原家の祖神・天穂日命をお祀りするお社です 又 背後の丘陵地帯を御影山〈凡河内氏(凡河内国造)の祖神 天津彦根命 その御子 天御影命を祀る〉と云い この理由から 延喜式内社 攝津國 莵原郡 河内國魂神社(寛大延・鍬靫)(かわちくにたまの かみのやしろ)の論社とする説があります - [葭原神社(伊勢市中村町字向垣外)〈皇大神宮末社〉](https://shrineheritager.com/ashihara-shrine-2/) - 葭原神社(あしはらじんじゃ)は 皇大神宮(内宮)末社16社の内 第3位の末社です『文徳天皇實録』天安2年(858)2月に官社に預り 『延喜式神名帳』所載 伊勢國 度會郡 荻原神社(貞)(をきはらの かみのやしろ)の論社とされますが 中世に廃絶し 明治6年(1873)現在地〈内宮の別宮゛月讀宮゛境内〉に再興されました - [河内國魂神社〈五毛天神〉(神戸市灘区国玉通)〈『延喜式』河内國魂神社〉](https://shrineheritager.com/kawachi-kunitama-shrine/) - 河内國魂神社(かわちくにたまじんじゃ)は 延喜式内社 攝津國 莵原郡 河内國魂神社(寛大延・鍬靫)(かわちくにたまの かみのやしろ)の論社です 一説には摂津国造である九河内忌寸の祖 天御影命を祀っていたのであろうと云われますが 詳しくはわかりません 通称 五毛天神と呼ばれています - [宇留布津神社(松阪市腹太町)〈『延喜式』宇留布都神社〉](https://shrineheritager.com/宇留布津神社(松阪市腹太町)〈『延喜式』宇留/) - 宇留布津神社(うるふつじんじゃ)は 神社名゛字留布都(うるふつ)゛は(うるふと)となり 鎮座地の腹太(はらふと)に訛ったとする説があります 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 宇留布都神社(ふるふつの かみのやしろ)の論社で 明治42年(1909)大國玉神社(六根町)に合祀され 昭和10年(1935)旧社地に分祀されたものです - [魚海神社(松阪市川島町)〈『延喜式』魚海神社 二座〉](https://shrineheritager.com/uwomi-shrine-2/) - 魚海神社(うおみじんじゃ)は 天照大神が伊勢の地に鎮座する三年八ヶ月前にこの地に祀られたと伝わる 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 魚海神社二座(いをうみの かみのやしろ ふたくら)の論社で 明治5年に村社に列せられた後 明治42年(1909)大国玉神社に合祀され その後 昭和10年(1935)分祀され古社地に再興されました - [出雲大神宮(亀岡市千歳町出雲無番地)〈丹波國一之宮〉](https://shrineheritager.com/izumo-daijingu/) - 出雲大神宮(いずもだいじんぐう)は 社伝によれば〈出雲大社の元宮〉「元出雲の社」と伝わり 古来より元出雲の信仰があります 『丹波国風土記』逸文にも「奈良朝のはじめ元明天皇 和銅年中 大国主命 御一柱のみを島根の杵築の地に遷す すなわち今の出雲大社これなり」とあります - [仲神社(明和町上野字仲畑)〈『延喜式』仲神社〉](https://shrineheritager.com/naka-shrine-2/) - 仲神社(明和町上野字仲畑)は 旧地は現在地から約350m西方に位置し松林の中(古宮)にあった 天正の頃 戦火に焼失し 後 現在地の南の御料地内に再興され 明治四十一年 桜神社に合祀されたが 昭和二十四年に現在地に社殿を遷しました 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 仲神社(なかの かみのやしろ)の論社です - [仲神社(松阪市井口中町)〈『延喜式』仲神社〉](https://shrineheritager.com/naka-shrine/) - 仲神社(なかじんじゃ)は 中麻績公〈中麻績公祖 豊城入彦命〉との関連を示唆される神社で 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 仲神社(なかの かみのやしろ)の論社です 明治42年(1909)大國玉神社に合祀 その後 昭和10年(1935)氏子崇敬者の熱意により旧社地〈現在地〉に分祀され現在に至ります - [大國玉神社(松阪市六根町)〈『延喜式』大國玉神社〉](https://shrineheritager.com/ohokunitama-shrine-5/) - 大国玉神社(おおくにたまじんじゃ)は 近世には御薗神社と称し近郷の氏神として人々の崇敬を集めていました 明治以降 延喜式内社 伊勢國 度會郡 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)とする説が有力視され 明治16年(1883)社名を御薗神社より大國玉神社に変更しています - [元宮天神社(磐田市見付)〈見付天神 矢奈比賣神社の元宮〉〈『延喜式』矢奈比賣神社〉](https://shrineheritager.com/motomiya-tenjinsha/) - 元宮天神社(もとみやてんじんしゃ)は 延喜式内社 遠江國 磐田郡 矢奈比賣神社(やなひめの かみのやしろ)の元宮〈古社地〉とされ通称「元天神」と呼びます 見付天神 矢奈比賣神社へ遷座は いつの時代かは不明ですが 元天神町という町名もこれに由来します 天下の奇祭「裸祭り」の最初の神事「祭事始」はこの地から始ります - [矢奈比賣神社(磐田市見付)〈『續日本後紀』矢奈比賣天神『三代實録』矢奈賣神〉](https://shrineheritager.com/yanahime-shrine/) - 見付天神 矢奈比賣神社(みつけてんじん やなひめじんじゃ)は 六国史『續日本後紀』矢奈比賣天神・『三代實録』矢奈賣神に神階の奉授が記され 『延喜式』では 遠江國 磐田郡 矢奈比賣神社(やなひめの かみのやしろ)とされる古社です 元々は 元天神の地に鎮座しましたが いつの頃か 現在地に遷座と伝わります - [月讀神社(京田辺市大住池平)〈『延喜式』月讀神社(大月次新嘗)〉](https://shrineheritager.com/tsukiyomi-shrine-3/) - 月讀神社(つきよみじんじゃ)は 大隅國〈鹿児島〉から当地へ来住した隼人らが祀ったとも云い 大同四年(809)大住山に霊光を拝して神殿が造営され創建 貞観元年(859)八月に月讀宮と称え 延喜式(927)に月讀神社(大月次新嘗)とあり 承暦元年(1077)には天下疱瘡に悩むにつき勅使奉幣ありと伝わる古社です - [月読神社(京都市西京区松室山添町)〈『延喜式』葛野坐月讀神社(名神大月次新嘗)〉](https://shrineheritager.com/tsukiyomi-shrine-2/) - 月読神社(つきよみじんじゃ)は 『日本書紀』顕宗天皇の段 三年(487)に 壱岐島から月神(つきのかみ)を勧請したと 創建について記されます 『延喜式神名帳927 AD.』所載 山城國 葛野郡 葛野坐月讀神社(名神大 月次 新嘗)(かとのにます つきよみの かみのやしろ)に比定され 現在は 松尾大社の境外摂社です - [岩田神社(磐田市匂坂中)〈『延喜式』入見神社〉](https://shrineheritager.com/iwata-shrine/) - 岩田神社(いわたじんじゃ)は 宝亀二年(771)二月 第四十九代 光仁天皇の御代 出雲国杵築宮より大国主命を勧請し 入見神社と称し奉る 以所は 当国引馬原の東に岩田ヶ原柚子ヶ浦入海があり 伊留美(イルミ)と呼び 故に入見神社と称した 延喜式内社 遠江國 磐田郡 入見神社(いるみの かみのやしろ)とされます - [府八幡宮(磐田市中泉)〈『延喜式』入見神社・御祖神社・須波若御子神社〉](https://shrineheritager.com/fuhachimangu/) - 府八幡宮(磐田市中泉)は 天武天皇(673~686)の曾孫 桜井王が遠江の国に国司として着任した時 国府の庁内に勧請されたものと伝えらます 三つの式内社〈①入見神社(いるみの かみのやしろ)②御祖神社(みをやの かみのやしろ)③須波若御子神社(すはわかみこの かみのやしろ)〉の論社となっています - [賀茂神社(磐田市加茂)〈『延喜式』御祖神社〉](https://shrineheritager.com/kamo-shrine-4/) - 賀茂神社(かもじんじゃ)は 加茂東の氏神で 養和元年(1181)に京都の賀茂神社(上賀茂神社 下鴨神社)から勧請されたと伝えられています 一説には延喜式内社 遠江國 磐田郡 御祖神社(みをやの かみのやしろ)の論社ともされます 大祭の神饌物やその作り方は古式のしきたりが伝承された特殊神饌で市指定無形民俗文化財です - [〈生雷命神社 旧跡〉雷塚跡地(磐田市見付)〈見付天神 矢奈比賣神社の境内〉](https://shrineheritager.com/kaminarizuka-atochi/) - 〈生雷命神社 旧跡〉雷塚跡地(かみなりづかあとち)は 天神山〈見付天神 矢奈比賣神社の鎭座地〉にあります この場所には石積みがあり 延喜式内社 遠江國 磐田郡 生雷命神社(いくいかつちのみことの かみのやしろ)の旧跡と伝えられ 地主神が祀られる雷塚と呼ばれています - [雷三神社(磐田市見付)〈『延喜式』・豊雷命神社・豊雷賣命神社・生雷命神社〉](https://shrineheritager.com/raisun-shrine/) - 雷三神社(らいさんじんじゃ)は 遠江國 磐田郡の三つの延喜式内社〈・豊雷命神社(とよいかつちのみことの かみのやしろ)・豊雷賣命神社(とよいかつちひめのみことの かみのやしろ)・生雷命神社(いくいかつちのみことの かみのやしろ)〉が合祀されて 雷三神社と呼ばれ 現在は淡海国玉神社の飛地境内神社です - [天御子神社(磐田市見付)〈『延喜式』天御子神社二座〉](https://shrineheritager.com/amamiko-shrine/) - 天御子神社(あまみこじんじゃ)は 延喜式内社 遠江國 磐田郡 天御子神社二座(あめのみこの かみのやしろ ふたくら)です 社伝によれば「一条天皇の正暦2年(991)勅を奉じて天下泰平五穀豐熟の為 舞車の神事を執行 故に舞車神社とも称す 中古牛頭天王と称し奉る」とあります 明治12年7月に郷社に列しました - [〈遠江国総社〉淡海國玉神社(磐田市見付)〈『延喜式』淡海國玉神社〉](https://shrineheritager.com/ohmikunitama-shrine/) - 淡海國玉神社(おうみくにたまじんじゃ)は 延喜式内社 遠江國 磐田郡 淡海國玉神社(あはうみの くにたまの かみのやしろ)とされます 見附は國府であり 遠江国総社でした 一説には『三代實録』貞観七年五月八日の条にある゛淡海石井ノ神゛であると云い 見付の南に今浦と云う湖があった地から遷座したと伝わります - [大國魂神社(いわき市平菅波宮前)〈『延喜式』大國魂神社〉](https://shrineheritager.com/ohokunitama-shrine-4/) - 大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)は 建許呂命(こたけころおのみこと)〈養老2年(718)石城国造に任命〉 の一族によって奉斎されたと云う 延曆年間(782~806)坂上田村磨の蝦夷征伐で 賊の平定にご神威があり 大社を築造して報賽したと伝わる 延喜式内社 陸奥國 磐城郡 大國魂神社(をほくにたまの かみのやしろ)です - [大神神社(一宮市花池)〈延喜式内 名神大社・尾張国一之宮〉](https://shrineheritager.com/omiwa-shrine/) - 大神神社(おおみわじんじゃ)は 社伝によれば 大和系の人々が大神神社と同じ「三輪の神」を祀ったとされます 奈良時代には 尾張国司が赴任の際 国中の神社を代表する総社には 国府宮の尾張大国霊神社を指定し 次いで 花池の「大神神社」と「真清田神社」をまとめて「相殿・対の宮」として「尾張国一之宮」に指定したと伝えています - [大國玉神社(桜川市大国玉)〈『續日本後紀』大國玉ノ神『延喜式』大國玉神社〉](https://shrineheritager.com/ohokunitama-shrine-3/) - 大國玉神社(おおくにたまじんじゃ)は 社伝によれば養老年間(717~724年)の創立とされます 『続日本後紀』承和4年(837)3月の条に゛霊感甚だ大であるため 官社に預かる・同12年の条に゛従五位下を授く゛と記され 『延喜式』常陸國 眞壁郡 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)と載る由緒ある古社です - [大鳥北濱神社(堺市西区浜寺元町)〈『延喜式』大鳥神社〉](https://shrineheritager.com/otori-kitahama-shrine/) - 大鳥北浜神社(おおとりきたはまじんじゃ)は 大鳥五社とも呼ばれる和泉国大鳥郡(堺市周辺)の式内社で いずれも「大鳥(otori)」を冠している五つの神社の1社です ご祭神は 日本武尊(やまとたけるのみこと)の后神 吉備穴戸武媛命(きびのあなと たけひめのみこと)を祀ります - [櫛色天蘿箇彦命神社(浜田市久代町)〈『延喜式』櫛色天蘿箇彦命神社〉](https://shrineheritager.com/kushiro-ameno-koketsuhiko-no-mikoto-shrine/) - 櫛色天蘿箇彦命神社(くしろあめのこけつひこのみことじんじゃ)は 古代石見地方に栄えた櫛色族の祖である天足彦国押人命の御子 櫛色天蘿箇彦命を祀る 延喜式内社 石見國 那賀郡 櫛色天蘿箇彦命神社(くしいろ あめのこけつひこのみことの かみのやしろ)です 旧社地 元稲葉の地から大正十年(1921)現地に遷座しました - [大國玉神社(壱岐市郷ノ浦町大原触)](https://shrineheritager.com/ohokunitama-shrine/) - 大國玉神社(おおくにたまじんじゃ)は 社伝に 嵯峨天皇 弘仁二年(811)草創と伝わり 延宝四年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者 橘三喜の式内社調査〉で 式内社 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)と比定されました それ以前は 田原天神(たいばるてんじん)と称されていました - [尾張大國霊神社(稲沢市国府宮)〈尾張国総社〉](https://shrineheritager.com/owari-okunitama-shrine/) - 尾張大國霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)は 尾張地方の総鎮守神 農商業守護神 厄除神として広く信仰される神社です 奈良時代に国衛(こくが)に隣接して御鎮座していたので尾張国の総社と定められ 国司 自らが祭祀を執り行っていたので 一般には「国府宮神社」「国府宮」と呼ばれるようになり 通称「国府宮」として広く知られます - [豊田神社(益田市横田町)〈『三代實錄』石塔鬼王帝釋天王國社神〉](https://shrineheritager.com/toyota-shrine/) - 豊田神社(とよたじんじゃ)は 社説には『三代實錄』元慶二年(八七八)九月十六日の条に載る゛石見國 石塔鬼王帝釋天王國社神とあるは此神なり゛とあり 六国史に載る古社とされます いつの頃からか御祭神が御神威 荒振る神となり 長元八年(1035)三井寺の明尊僧正が9個の壷に酒を入れ封じ鎮められたと伝わります - [櫛代賀姫神社(益田市久城町)〈『延喜式』櫛代賀姫命神社〉](https://shrineheritager.com/kushishirokahime-shrine/) - 櫛代賀姫神社(くししろかひめじんじゃ)は 社伝には この地方を開拓した櫛代(くしろ)族は 古代に鎌手の大浜から上陸して その祖神を祀り天平五年(733)大浜浦に創建と伝わります その後 現在地 久城明星山に遷座した 延喜式内社 石見國 美濃郡 櫛代賀姫命神社(くししろかひめのみことの かみのやしろ)です - [小野神社(益田市戸田町)〈『延喜式』小野天大神之多初阿豆委居命神社〉](https://shrineheritager.com/ono-shrine-7/) - 小野神社(おのじんじゃ)は 延喜式内社 石見國 美濃郡 小野天大神之多初阿豆委居命神社(をのの あめおほみみわのたそあつわけのみことの かみのやしろ)です 明治四十年(1907)合祀された菅野社は 同じく延喜式内社 菅野天財(天射)若子命神社(すかのの あめたから(あめい)わかこのみことの かみのやしろ)の論社です - [小野神社(南国市岡豊町小蓮)〈『延喜式』小野神社〉](https://shrineheritager.com/ono-shrine-6/) - 小野神社(おのじんじゃ)は 伝承によれば 小野氏の先祖神で祭神 天足彦国押人命の子孫が縁あって当地に来住し 城山を本拠に発展し 一族の守護神 また土地の産土神として祀ったものと云う 延喜式内社 南海道 土佐國 長岡郡 小野神社(をのの かみのやしろ)です - [宮中に鎮座せらる式内社 36座『延喜式神名帳』の所載一覧  ](https://shrineheritager.com/kyuchu/) - 『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました 当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています このページは 「宮中」に鎮座する(36座…大(預月次新嘗)30・小6)神社の一覧表です - [生根神社(大阪市住吉区住吉)〈『延喜式』生根神社〉](https://shrineheritager.com/ikune-shrine/) - 生根神社(いくねじんじゃ)は 創建年代は不詳ですが 社伝では「住吉大社が当地に御鎮座の以前より奉祀せられて居り 古伝によれば少彦名命は造酒の祖神であり 神功皇后も当社で酒を造り住吉三神に献ぜられた」とあり 『延喜式神名帳927 AD.』所載 摂津國 住吉郡 生根神社(大月次新嘗)(いくねの かみのやしろ)とされています - [生國魂神社(橿原市大久保町)〈『延喜式』牟佐坐神社(大月次新嘗)〉](https://shrineheritager.com/ikukunitama-shrine/) - 生国魂神社(いくくにたまじんじゃ)は 旧鎮座地《丸山宮址》は 畝傍山の北麓に近い中腹〈こちらが本来の神武天皇陵であるかもとの説あり〉に鎮座されていたが 大正9年(1920)現在地に遷座しました 『延喜式神名帳(927年編纂)』に所載 大和国 髙市郡 牟佐坐神社(大月次新嘗)(むさにます かみのやしろ)の論社とされます - [坐摩神社行宮(御旅所)〈『延喜式』坐摩神社・摂津国一之宮 旧鎮座地〉](https://shrineheritager.com/ikasuri-jinja-angu-otabitokoro/) - 坐摩神社行宮(御旅所)(いかすりじんじゃ あんぐう)(おたびところ)は 摂津国一之宮「坐摩神社」の旧鎮座地です 神功皇后(応神天皇の御生母)が 新羅より御帰還の折 淀川南岸の大江田蓑島のちの渡辺の地〈現 行宮の地〉に奉祀されたのが始まりとされています 全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります - [小野神社(豊岡市出石町口小野)〈『延喜式』小野神社〉](https://shrineheritager.com/ono-shrine-5/) - 小野神社(おのじんじゃ)は 創建不祥ですが 延喜式内社 但馬國 出石郡 小野神社(をの かみのやしろ)であると云われます 祭神は天押帶日子命で『古事記』には 小野臣の祖と記されます 口碑に゛神社の裏に流れる川では昔 魚(鮭)が多く捕れたらしいが もしも当社の氏子がこの魚を捕って食すと 罰が当たり腹痛を起こす゛と云われた - [秋葉社(厚木市小野)〈『延喜式』小野神社の古社地(通称"神の山")〉](https://shrineheritager.com/akiba-no-yashiro/) - 秋葉社(あきばのやしろ)は 延喜式内社 相模國 愛甲郡 小野神社(をのの かみのやしろ)の古社地(通称"神の山")に祀られている祠です 現在の小野神社〈閑香明神社〉西側の住宅街の中を西南方向に200メートル程いった所にある丘陵(通称"神の山")で 口碑には 嘉永年間(1848~1854)頃に現在地へ遷座したと伝わります - [大歳神社〈住吉大社 境外摂社〉(大阪市住吉区住吉)](https://shrineheritager.com/ootoshi-sha/) - 大歳神社(おおとしじんしゃ)は 住吉大社の「はったつさん」と呼ばれる゛初辰まいり゛〈商売や家庭の発達繁栄を祈るお参り〉の四社の締めくくりに参拝する習わしのある境外摂社です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載 摂津国 住吉郡 草津大歳神社(鍬靫)(くさつをほとしの かみのやしろ)の論社ともされています - [小野神社〈閑香明神社〉(厚木市小野)〈『延喜式』小野神社〉](https://shrineheritager.com/ono-shrine-4/) - 小野神社(おのじんじゃ)は 創建は不祥ですが 延喜式内社 相模國 愛甲郡 小野神社(をのの かみのやしろ)と伝わります 閑香明神社と称されて 小野妹子の子孫と伝えらる横山氏 その分家の愛甲氏が深く崇敬し 江戸時代には小野村の鎮守社と崇敬を受け 明治6年には郷社に列しています - [小野道風神社(大津市小野)〈『延喜式』小野神社二座(名神大)〉](https://shrineheritager.com/ono-no-tofu-shrine/) - 小野道風神社(おののとうふうじんじゃ)は 小野篁の孫で平安中期の書家ある小野道風を祀ります 道風は 柳に飛び付く蛙の姿を見て発奮努力して 文筆の極地に達せられた 文筆の神として崇められています 延喜式内社 近江國 滋賀郡 小野神社二座(名神大)(をのの かみのやしろ ふたくら)の論社です - [魚見神社(松阪市魚見町)〈『延喜式』魚海神社 二座〉](https://shrineheritager.com/uwomi-shrine/) - 魚見神社(うおみじんじゃ)は 『倭姫世記』によれば 倭姫命が天照大神を奉じ櫛田社を定めて 御船に乗り 櫛田川の河口に至った時 魚が自然に集り御船に飛びこんできたのを見て喜ばれので その所に魚見社を定められたと云う 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 魚海神社二座(いをうみの かみのやしろ ふたくら)とされます - [倭神社(大津市滋賀里)〈『延喜式神名帳』倭神社〉](https://shrineheritager.com/shidori-shrine-6/) - 倭神社(しどりじんじゃ)は 赤塚古墳の上に鎮座しています 被葬者が倭姫〈第38代 天智天皇の皇后〉だとする伝承があり 御祭神となっています 学術的に推定される築造年代は5世紀前半とのことで 7世紀の天智天皇の時代とは食い違いはあります 延喜式内社 近江國 滋賀郡 倭神社(しとりの/やまとの かみのやしろ)の論社です - [倭神社(大津市坂本)〈『延喜式神名帳』倭神社〉](https://shrineheritager.com/yamato-shrine/) - 倭神社(やまとじんじゃ)は 創祀年代は不詳ですが 由緒伝えには 第13代 成務天皇(西暦131年即位)の御代に創立したとされます 古来「森本社」と称し 日吉大社の「社外末社百八社」の一つで 日吉大社に次ぐ古社と伝えられる 延喜式内社 近江國 滋賀郡 倭神社(しとりの/やまとの かみのやしろ)の論社です - [官舎神社(伊勢市小俣町本町)〈『延喜式』官舎神社〉](https://shrineheritager.com/kansha-shrine/) - 官舎神社(かんしゃじんじゃ)は 大神宮司(だいじんぐうじ) (今の神宮司廳(じんぐうしちゃう)の如き役所)が設けられ 沢山の官舎(廳院(ちゃういん)と云い御厨(みくりや)調御倉(つきのみくら)宮司宿館(ぐうじのしゅくかん)等の建物)が立ち並んでいたので それらの官舎の守護の神を祀った神社で この名が起ったものとされます - [那波加荒魂神社〈上宮〉(大津市苗鹿)〈『延喜式』那波加神社〉](https://shrineheritager.com/nahaka-aramitama-shrine/) - 那波加荒魂神社〈上宮〉(なはかあらみたまじんじゃ)は 天太玉命が この地に降臨「老翁となった天太玉命の農事を鹿が助け 苗(稲)を鹿が背負って運んだ」ので苗鹿の地名と云う 下宮の創建は天智天皇7年(668) 上宮は大同2年(807)別宮の荒魂社として創建とされますが 本殿裏に霊石があり盤座信仰の名残とも伝えられています - [那波加神社〈下宮〉(大津市苗鹿)〈『延喜式』那波加神社〉](https://shrineheritager.com/nahaka-shrine/) - 那波加神社(なはかじんじゃ)は 社伝には 大古 天太玉命がこの地に降臨 苗鹿の地名も「老翁となった天太玉命の農事を鹿が助け 苗(稲)を鹿が背負って運んだ」と云う 創建は天智天皇7年(668) 大同2年(807)別宮の荒魂社(上宮)を創建 地域を治めた小槻氏が崇敬した 式内社 那波加神社(なはかの かみのやしろ)です - [尾崎神社 本殿(大船渡市赤崎町鳥沢)〈『文徳實録』理訓許段神〉](https://shrineheritager.com/the-main-shrine-of-ozaki-shrine/) - 尾崎神社 本殿(おさきじんじゃ ほんでん)は 真北方向の蛸ノ浦漁港に鎮座する尾崎神社 遥拝殿の本殿になります 社伝によれば 人皇第五十代 桓武天皇の御宇 延暦二年(783)に創立 『文徳實録』理訓許段神 延喜式内社 陸奥國 氣仙郡 理訓許段神社(りくこたの かみのやしろ)であると伝えています - [尾崎神社 遥拝殿(大船渡市赤崎町鳥沢)〈『文徳實録』理訓許段神〉](https://shrineheritager.com/the-worship-hall-of-ozaki-shrine/) - 尾崎神社 遥拝殿(おさきじんじゃ ようはいでん)は 後水尾天皇の御宇 寛永二年(1625)類焼に罹り古文書 宝物悉く焼失 由緒沿革の要領不祥ですが 延喜式内社 陸奥國 氣仙郡(けせんの こおり)3座(小)の一つ 理訓許段神社(りくこたの かみのやしろ)と伝えています こちらは遥拝殿で後方の山上に本殿が祀られています - [冰上神社(陸前高田市)〈『文徳實録』登奈孝志神・衣太手神・理訓許段神〉](https://shrineheritager.com/冰上神社(陸前高田市)〈『延喜式』理訓許段神/) - 冰上神社(ひかみじんじゃ)は 元々冰上山の麓に『延喜式』所載の氣仙郡三座〈理訓許段神社(りくこたの かみのやしろ)・登奈孝志神社(となこしの かみのやしろ)・衣太手神社(きぬたての かみのやしろ)〉があり 中世 修験道の山岳信仰により 冰上山の山頂に三宮を集め氷上三社と総称され 当社はその里宮にあたります - [桙衝神社(須賀川市桙衝亀居山)〈『延喜式』桙衝神社〉](https://shrineheritager.com/hokotsuki-shrine-2/) - 桙衝神社(ほこつきじんじゃ)は 社伝によれば 日本武尊が御東征の折り この神居山(亀居山)に柊の八尋の矛をつきたて 武甕槌神を祀ったのが神社草創の始めとされています 一説には日本武尊ではなく 武甕槌命の事績に由来するとも云う 延喜式内社 陸奥國 磐瀬郡 桙衝神社(ほこつきの かみのやしろ)です - [杵衝神社 (笛吹市御坂町)〈二之宮 美和神社の古社地〉](https://shrineheritager.com/杵衝神社-(笛吹市御坂町)〈二之宮-美和神社の/) - 杵衝神社 (きつきじんじゃ)は 二之宮の美和神社の古廟と云われ 景行天皇の御宇 國造 鹽海足尼(しほみのすくね)が 日本武尊(やまとたけるのみこと)の命を奉し勧請する所で 雄略天皇十二年九月に 現在の美和神社の地に遷し祀ると伝わります 『三代実録』゛美和ノ神゛であり 『延喜式』゛桙衝神社゛との説もあります - [服織神社(浜松市東区豊町)〈『延喜式』服織神社〉](https://shrineheritager.com/hataori-shrine/) - 服織神社(はたおりじんじゃ)は 古くは 天竜川沿いのこの辺には〈織物に関係した職人が集団〉服部(はとりべ)が住んでいたと伝わる 元明天皇の和銅元年(708)出雲国から 神様をお迎えして造られたのが創建と伝わる 延喜式内社 遠江國 長上郡 服織神社(はとりの かみのやしろ)とされます - [美和神社(笛吹市御坂町二之宮)〈『三代實録』美和ノ神〉](https://shrineheritager.com/miwa-shrine-3/) - 美和神社(みわじんじゃ)は 景行天皇の御代 日本武尊の命にて甲斐國造 塩足尼が大和國 大三輪神社から勧請し奉ったと伝わる ゛美和ノ神゛として六国史『三代実録』に記されている国史見在社です 一条天皇の御宇 第二之宮の号を賜り その後も鎌倉家・足利家・武田家・徳川家の崇敬厚く 社殿造営の保護がありました - [阿伎留神社(あきる野市五日市)〈『日本三代實録』畔切神『延喜式』阿伎留神社〉](https://shrineheritager.com/akiru-shrine/) - 阿伎留神社(あきるじんじゃ)は 『日本三代實録』畔切神(あきるのかみ)『延喜式』には 武蔵國 多磨郡 阿伎留神社(あきる の かみのやしろ)と記された古社です 天慶3年(940)鎮守府将軍 藤原秀郷が平将門征討に際し戦勝を祈願 山城国の大原野明神(京春日)を勧請したと伝わり 鎌倉以降も武将の信仰が篤かった神社です - [都々古別神社(棚倉町八槻)〈『延喜式』都都古和気神社(名神大)〉陸奥国一之宮](https://shrineheritager.com/tsutsukowake-shrine-2/) - 八槻都々古別神社(やつきつつこわけじんじゃ)は 縁起では 日本武尊が 八溝山の蝦夷を討った際 守護として示現した3神が建鉾山(白河市表郷三森)に隠れた時 東方に矢を放ち 矢(箭)の着いた地を(箭津幾:やつき)として神社を創建したと伝わる 奥州一之宮です 久慈川沿いに並び鎮座した近津三社の〈上宮〉とされます - [對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について](https://shrineheritager.com/tsushima-shikinaisha29za/) - 對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています - [将門神社(奥多摩町棚澤)&〈境内 式内論社〉穴澤天神社](https://shrineheritager.com/masakado-shrine/) - 将門神社(まさかどじんじゃ)は 日本武尊が東征の時 素戔嗚尊・大己貴命を祀った穴沢天神を創祀とし 延喜年中に鎮守府将軍 藤原利仁が八千戈命を祀り多名沢神社を起こし その後 平良門が亡父 平将門公の霊像を彫作して奉納 平将門が祀られて 平親王社と呼ばれた 穴沢天神社は 多名沢神社〈平親王社〉の奥の院となったと云う - [鉾衝神社(笛吹市八代町米倉)〈『延喜式』鉾衝神社〉](https://shrineheritager.com/hokotsuki-shrine/) - 鉾衝神社(ほこつきじんじゃ)は 社伝には 仁徳天皇 四年(424年頃)の創立と云う 御祭神 天鈿女命を祀る 延喜式内社 甲斐國 八代郡 桙衝神社(ほこつきの かみのやしろ)と伝わります 中世 矛立明神と称し 甲斐名勝志に載って以来 鉾衝明神と改め 明治元年 現社名の延喜式 鉾衝神社に復称して 明治六年郷社に列しました - [柴宮神社(甲府市善光寺)〈御室山の山頂 石祠(玉諸社)の合祀先〉](https://shrineheritager.com/shibamiya-shrine/) - 柴宮神社(しばみやじんじゃ)は 本神社の東北にある御室山〈月見山の別名〉の山頂 石祠(玉諸社)を相殿に合祀してあります この御室山の山頂の祠は 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 玉諸神社(たまもろの かみのやしろ)の当初の鎮座地とされ いつの頃か柴宮神社の第一攝社となり 現在は合祀されています - [玉諸神社 拝殿跡(甲府市善光寺)〈゛御室山゛山頂 石祠(玉諸社)の遥拝所〉](https://shrineheritager.com/tamamoro-shrines-worship-hall/) - 玉諸神社(たまもろじんじゃ)拝殿跡(はいでんあと)は 御室山の遥拝所とされます この御室山は゛國に大なる変が有る時 此山大きに鳴といふ 輕き時には少しなるといふ゛と伝わる御神体の゛御室山゛〈月見山の別名〉です 山頂の祠は 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 玉諸神社(たまもろの かみのやしろ)の当初の鎮座地とも云われています - [玉諸神社(甲府市国玉町)〈甲斐国三之宮『延喜式』玉諸神社〉](https://shrineheritager.com/tamamoro-shrine-2/) - 玉諸神社(たまもろじんじゃ)は 社記に 甲斐国の上代 酒折宮の北方 三室山の山上に祀られ 日本武尊が東征の帰路 酒折の宮に滞り国中の反乱を鎮め 景勝の地に国玉神を祀られたのが創始と云う 又 一つの珠を埋め 上に杉一株を植ゑられた これを玉室杉と称し玉諸の名起ると云う 式内論社 玉諸神社(たまもろの かみのやしろ)です - [玉諸神社 奥宮(甲州市塩山竹森)〈『延喜式』玉諸神社〉](https://shrineheritager.com/tamamoro-shrine-okumiya/) - 玉諸神社 奥宮(たまもろじんじゃ おくみや)は 社伝によれば かつて高さ7尺 周囲6尺8寸の水晶の玉が神体として祀られおり この神体が神社名の由来と云う 玉諸神社(甲州市塩山竹森)の北東約600m竹森山(水晶山)中腹に奥宮として鎮座する 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 玉諸神社(たまもろの かみのやしろ)の論社です - [玉諸神社(甲州市塩山竹森)〈『延喜式』玉諸神社〉](https://shrineheritager.com/tamamoro-shrine/) - 玉諸神社(たまもろじんじゃ)は 創建勧請の年代は不祥ですが 祭神は 天羽明玉命〈八坂瓊五百箇御統玉(やさかにのいほつみまるのたま)を造った神〉を祀り 高さ七尺余(約212cm)周囲六尺八寸(約206cm)許りの水晶を御神体としていると伝わる 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 玉諸神社(たまもろの かみのやしろ)の論社です - [老尾神社(匝瑳市生尾)〈匝瑳郡の総鎮守『延喜式』老尾神社〉](https://shrineheritager.com/oio-shrine/) - 老尾神社(おいおじんじゃ)は 式内社 老尾神社(をいをの かみのやしろ)です 社伝には 経津主神の御子 阿佐比古命を祭神として 崇神天皇の御宇 神田を附し恆例の祭祀はこの時より初まると云う 又『續日本後紀』に物部小事(おごと)大連が坂東を征した功勳により 鎮座地 匝瑳郡は建郡されたと記され 祭神は小事とする説があります - [蘇我比咩神社(千葉市中央区蘇我)〈『延喜式』 蘇賀比咩神社〉](https://shrineheritager.com/sogahime-shrine/) - 蘇我比咩神社(そがひめじんじゃ)は 日本武尊が東征の際 走水海で暴風雨に遭い 后の弟橘姫が同道して来た五人の姫達と共に身を海中に投じ それを鎮めました 社伝には その一人 蘇我大臣の娘 蘇我比咩は浜に打上げられ 里人により蘇生し都に帰った これを知り応神天皇が国造に任命した蘇我氏により 春日神・比咩神を祀り創建と云う - [橘樹神社(茂原市本納)〈『三代實録』橘樹ノ神『延喜式』橘樹神社〉](https://shrineheritager.com/tachibana-shrine/) - 橘樹神社(たちばなじんじゃ)は 『古事記』に「日本武尊の后・弟橘比賣命が走水の海に身を投じて 七日の後 后の櫛が海辺に依りき その櫛を取りて御陵を作り治置きき」と記され 社伝では 尊が后の櫛を納めた御陵を作り 橘の木を植えたのが創祀と伝える 延喜式内社 上総國 長柄郡 橘神社(たちはなの かみのやしろ)です - [鳴無神社(須崎市浦ノ内)〈土佐国一之宮「土佐神社」の元宮〉](https://shrineheritager.com/otonashi-shrine/) - 鳴無神社(おとなし じんじゃ)は 土佐神社(土佐国一之宮)の元宮とされています 伝説によれば 土佐に流されて浦ノ内湾に漂着した「一言主命」を奉斎したのが鳴無神社の始りです ここから祀り変える地を選ぶために「一言主命」が投げた大石が 落ちた所が 土佐神社境内の礫石と伝わります - [姉埼神社(市原市姉崎)〈『三代實録』姉前ノ神『延喜式』姉﨑神社〉](https://shrineheritager.com/anesaki-shrine/) - 姉埼神社(あねさきじんじゃ)は 社伝には 日本武尊が御東征の際 走水の海で暴風雨に遭い お妃の弟橘姫の犠牲によって無事上総の地に着かれ この地 宮山台でお妃を偲び 風神 志那斗弁命を祀ったのが創建と云う その後 景行天皇が日本武尊を祀った 延喜式内社 上緫国 海上郡 姉埼神社(あねさきの かみのやしろ)です - [小野神社(多摩市一の宮)〈『延喜式』小野神社〉](https://shrineheritager.com/ono-shrine-3/) - 小野神社(おのじんじや)は 武蔵国一之宮ともされ『延喜式』所載の論社ですが 多摩川を挟んで南北に各々に小野神社が鎮座します 当神社は多摩川南岸で もう一方は北岸の府中市です これは多摩川が氾濫を繰り返し 都度 遷座も繰り返されて2社に別れたとも 北岸には旧址があるので本社であるとも 南岸は分祠であるとも云われます - [小野神社(府中市住吉町)〈『延喜式』小野神社〉](https://shrineheritager.com/ono-shrine-2/) - 小野神社(おのじんじゃ)は 社伝によれば 第3代 安寧天皇18年の創建 2000余年の由緒を持つ古社で 古くは武蔵国一之宮でした 御祭神 天下春命(ameno shitaharu no mikoto)は 思金神の御子神であり 武蔵秩父国造の先祖とされます 境内にある「小野宮廟碑」には詳しく語られています - [島穴社原地碑(市原市島野)〈式内社 島穴神社の旧鎮座地〉](https://shrineheritager.com/shimaana-sha-genchihi/) - 島穴社原地碑(しまあなしゃげんちひ)は 社伝には日本武尊が東征の時 風神 志那津比古命を祀り創建 景行天皇が日本武尊・倭比賣命を合祀 昔 この地〈この丘〉にある深坎(しんかん)から常に清風が起り 島穴の社名の由来となった 延喜式内社 上緫国 海上郡 嶋穴神社(しまあなの かみのやしろ)の旧鎮座地で天正3年に現在地に遷座 - [島穴神社(市原市島野)〈『三代實録』嶋穴ノ神『延喜式』嶋穴神社〉](https://shrineheritager.com/shimaana-shrine/) - 島穴神社(しまあなじんじゃ)は 第12代 景行天皇の御代 日本武尊が東征の時 走水の海で暴風に遭われ 弟橘姫命が大和国の風鎮神 龍田の神を拝み 海中に身を投じ暴風が止んだ 無事に上陸ができた尊は 妃のご祈誓に従い ここに風鎮の神 志那都比古尊を祀られたと云う『延喜式』嶋穴神社(しまあなの かみのやしろ)です - [和爾下神社(天理市櫟本町)〈『延喜式』和邇下神社 二座〉](https://shrineheritager.com/wanishita-shrine/) - 和爾下神社(わにしたじんじゃ)は 古くは〈櫟井臣(イチヒイノオミ)和珥臣(ワニノオミ)〈大和国添上郡 春日郷を本拠地とした古代氏族〉の祖神・第5代 孝昭天皇の皇子=天足彦国押人命・第6代 孝安天皇=日本帯彦国押人命の2柱の祭神を祀っていました 明治初年に延喜式内の和爾下神社に当たると考証があり和爾下神社と社号変更あり - [飽富神社(袖ケ浦市飯富)〈『三代實録』飯富ノ神『延喜式』飫富神社〉](https://shrineheritager.com/akitomi-shrine/) - 飽富神社(あきとみじんじゃ)は 第二代 綏靖天皇元年創建と云う 古代の中央豪族 飫富(おふ)氏にちなんだ社名「飫富神社」であったが文字の誤伝から「飯富(いいとみ)神社」「飽富(あきとみ)神社」と代わったと云う 『三代實録』には 飯富ノ神と記され 『延喜式』には 上緫國 望陀郡 飫富神社(おふのかみのやしろ)と記されます - [遠賀神社(鶴岡市外内島字明神川原)〈『延喜式』遠賀神社〉](https://shrineheritager.com/oga-shrine-2/) - 遠賀神社(おがじんじゃ)は 中世に赤川が乱流していた所「外内島(とのじま)」に鎮座します この地名の語源は 赤川の旧称である外川と内川の間にできた島という説 名請人 戸内大夫(とのうちだゆう)(神主)と関連するとの説もあります 延喜式内社 出羽國 田川郡 遠賀神社(をかの かみのやしろ)の論社です - [遠賀神社(鶴岡市遠賀原字高間々)〈『延喜式』遠賀神社〉](https://shrineheritager.com/oga-shrine/) - 遠賀神社(おがじんじゃ)は 遠賀神社と云ふ額面が殘っていたとあり これを説として 稻荷は「タウガ」と読み 遠賀も亦「タウガ」と訓む 故に中世には 遠賀神社を稻荷神社とし 延喜式内社 出羽國 田川郡 遠賀神社(をかの かみのやしろ)であるとされていました - [建部大社(大津市神領)〈『延喜式』建部神社(名神大)・近江国一之宮〉](https://shrineheritager.com/takebe-taisha/) - 建部大社(たけべたいしゃ)は 社伝には 日本武尊の妃・布多遅比売命(フタジヒメノミコト)が神勅により 日本武尊を「建部大神」として 神崎郡建部郷 千草嶽(現・東近江市の箕作山)に祀ったのが創祀 天武天皇4年(675)近江の守護神として 現在地の栗太郡 勢多へ遷座した〈神社の東側では 近江国庁跡も発掘〉近江国一之宮です - [建部神社(五個荘伊野部町)〈近江一の宮「建部大社」の元宮〉](https://shrineheritager.com/tatebe-shrine/) - 建部神社(たてべじんじゃ)は 建部大社〈近江国一之宮〉旧社地の伝承地です 景行天皇46年(316)4月 神崎郡建部郷 千草嶽に 日本武尊の神霊を祀り建部大明神と崇めたのが起源とされ 天武天皇 白鳳4年(675)4月に近江国府のあった瀬田の地に遷座されたと伝わります - [遠賀神社(鶴岡市井岡字和田)〈『延喜式』遠賀神社〉](https://shrineheritager.com/oka-shrine/) - 遠賀神社(おかじんじゃ)は 延喜式内社 出羽國 田川郡 遠賀神社(をかの かみのやしろ)とされ 古くは岡山の岩台に鎮座したが 天長年間(825年)当地に遷座したと云う 中世に至り神佛混淆し 井岡寺を創設し 別當を置き゛岡大権現゛と称していたが 明治維新の際 神佛分離により 延喜式 遠賀神社と改称しました - [劔刀神社(伊豆の国市戸沢)〈『延喜式』剱刀乎夜爾命神社〉](https://shrineheritager.com/tachi-shrine/) - 劔刀神社(たちじんじゃ)は 『伊豆国神階帳』に所載の「従四位上 たんかいの明神」で 延喜式内社 伊豆國 田方郡 剱刀乎夜爾命神社(つるきたち をやにのみことの かみのやしろ)の論社です 祭神について 剣刀乎夜爾命(たちおやにのみこと)とされますが 一説には 日本武命と草薙劔とも云われます - [赤王神社(三島市大場)〈『延喜式』大朝神社・剱刀乎夜爾命神社〉](https://shrineheritager.com/akao-shrine/) - 赤王神社(あかおうじんじゃ)は 昔は赤王明神と云い 赤王山に鎮座したが洪水に流れて現在の地に止り ここに祀られるようになったと云う 一説には 延喜式内社 伊豆國 田方郡 大朝神社(をほあさの かみのやしろ)とも 延喜式内社 伊豆國 田方郡 剱刀乎夜爾命神社(つるきたち をやにのみことの かみのやしろ)ともされます - [肥田神社(田方郡函南町肥田)〈『延喜式』引手力命神社の論社〉](https://shrineheritager.com/hita-shrine/) - 肥田神社(ひたじんじゃ)は 明治44年(1911)村社 若宮神社に村社 皇后神社を合祀して 肥田神社と改称 本来の祭神については 皇后神社〈三島大神の妃 阿波咩命〉若宮神社〈阿波咩命の御子神 肥田王子〉と伝わり この肥田王子は 延喜式内社 伊豆國 田方郡 引手力命神社(ひきたちからのみことの かみのやしろ)とされます - [引手力男神社(伊東市十足)〈『延喜式』引手力命神社〉](https://shrineheritager.com/hikitejikarao-shrine/) - 引手力男神社(ひきたぢからおじんじゃ)は 社伝には 往昔 第42代文武天皇の御代(697~707年)役小角が大島に遠流の折 手力山に来て通法を修業した由が記され 手力山の中に石造りの小祠が建立されていたと伝わる 延喜式内社 伊豆國 田方郡 引手力命神社(ひきたちからのみことの かみのやしろ)の論社です - [伊加麻志神社(伊豆市堀切)〈『延喜式』伊加麻志神社〉](https://shrineheritager.com/ikamashi-shrine/) - 伊加麻志神社(いかましじんじゃ)は 益山(ましやま)の山上にある益山寺〈空海の創建〉の境内背後に鎮座し『伊豆国神階帳』には「従四位上 高山の明神」と記されている古社です 江戸時代には三島明神と称されていました 延喜式内社 伊豆國 田方郡 伊加麻志神社(いかましの かみのやしろ)に比定されています - [神益麻志神社(伊豆の国市神島)〈『延喜式』伊加麻志神社・大朝神社の論社〉](https://shrineheritager.com/kanmasumashi-shrine/) - 神益麻志神社(かんますましじんじゃ)は 創建年代は不詳です 式内社 大朝神社の論社〈神益村の駒形神社〉で 祭神 長白羽命は麻の神で 社名にも゛麻゛があります 又 式内社 伊加麻志神社については『伊豆國式社考』に「中島村神益村ト同村ナリ コノ里ノ神社カ 又湯ケ島ノ神社カ 益山ノ神社カ」とあり 論社となっています - [都都古和氣神社(棚倉町大字棚倉字馬場)〈『延喜式』(名神大)都都古和氣神社〉](https://shrineheritager.com/tsutsukowake-shrine/) - 馬場都々古別神社(ばばつつこわけじんじゃ)は 歴史は古く『延喜式神名帳』に所載される陸奥国一之宮です 日本武尊が都々古山(つつこやま)〈江戸期までは入山禁足〉に鉾を立て味耜高彦根命を祀ったのが創祀 その後 大同2年(807)坂上田村麻呂公が 日本武尊を相殿に配祀 後 現在地(馬場)に寛永2年(1625)遷座と伝わります - [鹿島神宮(鹿嶋市宮中)〈延喜式内社 名神大社・常陸國一之宮〉](https://shrineheritager.com/kashima-jingu/) - 鹿島神宮(かしまじんぐう)は 武甕槌大神(たけみかづちのおほかみ)を祀る鹿島神社〈全国に約600社〉の総本宮です 『常陸国風土記713AD.』には 香島天之大神(かしまのあめのおほかみ)・『延喜式神名帳927 AD.』には 名神大社 鹿島神宮(かしまの かむのみや)と記されています - [鷲頭神社(沼津市大平)〈『延喜式』大朝神社の論社〉](https://shrineheritager.com/washizu-shrine/) - 鷲頭神社(わしづじんじゃ)は 社伝には 文明元年(1469)伊予国より御祭神 高龗神を神主 磯部伊代守と共に勧請 戸ケ谷 堂返し横に奉安 文明一三年(1481)鷲頭山頂を造成し遷宮 明治七年(1874)天満山(現在地)に遷座と云う 一説には延喜式内社 伊豆國 田方郡 大朝神社(をほあさの かみのやしろ)と云われます - [大宮神社〈白岩大朝神社〉(伊豆市上白岩)〈『延喜式』大朝神社〉](https://shrineheritager.com/大宮神社〈白岩大朝神社〉(伊豆市上白岩)〈『/) - 大宮神社(おおみやじんじゃ)は 正面方向に縄文時代の゛上白岩遺跡゛があり 地名も゛元村゛の名があり 当地方での最古の歴史をもつ神社であると云われます 弘安三年(1280)の棟札がある古社で 旧 下大見村の里人から大朝神社と崇敬される 延喜式内社 伊豆國 田方郡 大朝神社(をほあさの かみのやしろ)の論社です - [美和神社(長野市三輪)〈『延喜式』美和神社〉](https://shrineheritager.com/miwa-shrine/) - 美和神社(みわじんじゃ)は 善光寺七社の一つで 長野電鉄本郷駅の西側に鎮座し付近の住所は三輪(みわ)と呼ばれています 社頭には三輪鳥居が構え 三輪山をご神体とする奈良県〈大和国〉の大神神社と同じく古代の大三輪氏大神一族によって祀られたとされている『延喜式神名帳927 AD.』信濃国 水内郡九座の筆頭に記される式内社です - [楊原神社(沼津市下香貫宮脇)〈『三代實録』楊原神『延喜式』名神大社 楊原神社〉](https://shrineheritager.com/yanagihara-shrine-2/) - 楊原神社(やなぎはらじんじゃ)は 社記に當社は延喜式内社 伊豆國 田方郡 楊原神社(名神大)(やなきはらの かみのやしろ)と云う 往時は大宮大明神又は香貫大明神とも称していて 往古の社地は 今の楊原(現在地の東南東約500m)でしたが永祿中 北條•武田合戰の時 社殿悉く燒失し 其後 天正年中 今の社地に遷座しました - [大朝神社(沼津市下香貫山宮前)〈『延喜式』大朝神社・白浪之彌奈阿和命神社〉](https://shrineheritager.com/ohoasa-shrine/) - 大朝神社(おほあさじんじゃ)は 楊原神社の山宮大明神とも云い 社記には 延喜式内社 伊豆國 田方郡 大朝神社(をほあさの かみのやしろ)と伝えます 又 往昔 此邊には 津浪が押上げ 田園を荒すことが多かったが 日蓮上人がこの地を過ぎる時 曼陀羅を掛けて祈り 靈驗により 津浪の害を避き 潮留大明神とも称されました - [石大神(鈴鹿市小社町字脇の山)〈古代から信仰の対象 巌岩〉](https://shrineheritager.com/shakudaijin-shrine/) - 石大神(しゃくだいじん)は 鈴鹿山脈の断層によって形成された断層微地形「ケルンバット」(分離丘陵)で 急峻で錘状岩柱形の岩峯(がんぽう)地形の自然景観は 古代から信仰の対象となっており 社殿はありませんが巨岩を神体とする 延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 石神社(いはの かみのやしろ)の論社とされています 敏達天皇が行幸されたという言い伝えもあります - [御酒殿神・由貴御倉〈皇大神宮(内宮)所管社〉&忌火屋殿(内宮境内)](https://shrineheritager.com/misakadononokami/) - 御酒殿神(みさかどののかみ)は 古くは諸神にお供えする神酒を醸造する所・由貴御倉(ゆきのみくら)は 古くは御饌祭(みけさい)の御贄(みにへ)時菓(ときじく)〈果物〉などを納めておく倉 どちらも皇大神宮(内宮)所管社です 忌火屋殿(いみびやでん)は忌火〈清浄な火〉神饌を調理する殿です - [神部社(南アルプス市寺部)〈『延喜式』神部神社〉](https://shrineheritager.com/kanbe-sha/) - 神部社(かんべしゃ)は 社記には 草創古代鎮座 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)と伝わっています 鎌倉時代に大井荘地頭の加賀美信濃守遠光が 京都石清水八幡宮を分祀勧請して八幡大神を祀り 加賀美 秋山 南部 小笠原等の氏神を称し 以来 国主武田家の歴代崇敬うけたと伝わります - [大瀬神社(沼津市西浦江梨)〈『延喜式』引手力命神社・白浪之彌奈阿和命神社〉](https://shrineheritager.com/ose-shrine/) - 大瀬神社(おおせじんじゃ)は 白鳳十三年(684)大地震で 土佐国で多くの土地が海中に没し 当地では突然 盛り上がり島が誕生した 土佐国から土地を引いてきた伝説もあり その神霊(引手力命)を祀った 延喜式内社 伊豆國 田方郡 引手力命神社(ひきたちからのみことの かみのやしろ)とも 白浪之彌奈阿和命神社ともされます - [下多賀神社(熱海市下多賀)〈『延喜式』白浪之彌奈阿和命神社〉](https://shrineheritager.com/shimotaga-shrine/) - 下多賀神社(しもたがじんじゃ)は 『豆州志稿』に「多賀両村の總鎮守にして大祠也 末社四十ありしを 皆 近村に移す」とあり 近隣の崇敬を集めた由緒深い神社で もともとは多賀大社と云うと里人は伝え 延喜式内社 伊豆國 田方郡 白浪之彌奈阿和命神社(しらなみのみなあわのみことの かみのやしろ)の論社となっています - [羽黒三田神社(奥多摩町氷川)〈『延喜式』穴澤天神社の論社〉](https://shrineheritager.com/haguromita-shrine/) - 羽黒三田神社(はぐろみたじんじゃ)は 社伝には「貞観二年(860)出雲国の人 土師連行行基が東国に下向し 御嶽山に詣り神告を得て高皇産霊神 少彦名神の二神を祀り 穴澤天神と号した」と伝わる式内論社です その後 永禄九年(1566)六月 穴澤天神の社内に合祀された羽黒権現が本殿となり 穴澤天神が合殿となっています - [多賀神社(熱海市上多賀)〈『延喜式』白浪之彌奈阿和命神社〉](https://shrineheritager.com/taga-shrine-2/) - 多賀神社(たがじんじゃ)は 創建年代は不明ですが 境内には 古代の祭祀遺跡「上多賀宮脇遺跡」があり 1958年(昭和33年)に発掘調査が実施されて 発掘品から古墳時代から飛鳥・奈良時代の祭祀跡と推定されています 延喜式内社 伊豆國 田方郡 白浪之彌奈阿和命神社(しらなみのみなあわのみことの かみのやしろ)の論社です - [穴澤天神社(稲城市矢野口)〈『延喜式』穴澤天神社〉](https://shrineheritager.com/anasawaten-shrine/) - 穴澤天神社(あなさわてんじんじゃ)は 社伝によれば 創建は第6代 孝安天皇4年3月(紀元前389年頃)主祭神 少彦名命を御祀りした社と伝わり 『延喜式神名帳(927年)』所載の式内社に比定される大変由緒ある神社です 後 天正18年(1590)社殿再建 元禄7年(1694)社殿造営の時 菅原道真公を配祀されました - [山梨岡神社(笛吹市春日居町鎭目)〈『延喜式』山梨岡神社〉](https://shrineheritager.com/yamanashioka-shrine/) - 山梨岡神社(やまなしおかじんじゃ)は 背後の御室山(みむろやま)を御神体とする古代信仰であったとされ 第十代 崇神天皇の御代 国内に疫病の流行や災害が多発し これを憂い勅命により御室山中腹に創祀され 第十三代 成務天皇の御代 麓の梨樹を伐り拓いて神戸を遷し「甲斐ヶ根・山梨岡神社」と号したと伝えています - [松尾神社(甲斐市中下条)〈『延喜式』松尾神社の論社〉](https://shrineheritager.com/matsuo-shrine/) - 松尾神社(まつおじんじゃ)は 創立については明確な記録は残されておらず 社記には 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 松尾神社(まつのをの かみのやしろ)であると伝えています 近郷の最古社で松尾大明神と仰がれ 祭神は 大山咋神 大己貴命 若山咋神 少名彦命 中津島姫命の五神で 酒造りの神として多くの酒造家から崇敬されてきました - [松尾神社(甲州市塩山小屋敷)〈『延喜式』松尾神社〉](https://shrineheritager.com/matsuo-shrine-2/) - 松尾神社(まつおじんじゃ)は 社記によると 遠く景行天皇四十二年 山城国松尾大社より勧請し 現在地の東方四丁余りの地に創祀したと伝えられ 日本武尊(やまとたけるのみこと)が 武蔵へ向かう途中にここで休んだという褥塚(しとねつか)があります 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 松尾神社(まつのをの かみのやしろ)とされます - [中尾神社(笛吹市八代町米倉)〈『延喜式』中尾神社の論社〉](https://shrineheritager.com/nakao-shrine-2/) - 中尾神社(なかおじんじゃ)は 平成十三年(2001)の失火により社殿は全焼 現在は石の祠と祭壇のみが奉斎されます 『甲斐國志』には「飯田氏の聞書に曰く 昔は大社にて毎年西郡三輪ノ社へ神幸ありしが何れの頃からか廃して小祠となり・・・」とあり 延喜式内社 甲斐國 八代郡 中尾神社(なかをの かみのやしろ)の論社とされます - [中尾神社(笛吹市一宮町中尾)〈『延喜式』中尾神社〉](https://shrineheritager.com/nakao-shrine/) - 中尾神社(なかおじんじゃ)は 第11代 垂仁天皇7年〈BC23〉正月の勧請と伝わる 延喜式内社 甲斐國 八代郡 中尾神社(なかをの かみのやしろ)で 天慶年中(938~947)には 藤原忠文が平将門征討の時 幣帛を奉ったと云う 旧号は゛飛永明神゛と呼ばれ 新羅三郎義光以来 武田氏代々に崇敬厚く社領が寄せられました - [穴切大神社(甲府市宝)〈『延喜式』黒戸奈神社の論社〉](https://shrineheritager.com/anagiridaijinja-shrine/) - 穴切大神社(あなぎりだいじんじゃ)は 社伝に 和銅年間(708~715)当國が未だ湖水であった時 國司が朝廷に奏上し 大己貴命に祈願して鰍沢口を切開き 水を南海に注ぎ盆地一帯を良田とした 御神助に讃仰し神祠を此所に建て 当初は黒戸奈神社と称したが 崇号を朝に奏請して 穴切大明神を賜ったと伝わります - [細草神社(甲府市平瀬町)〈『延喜式』黒戸奈神社の論社〉](https://shrineheritager.com/hosokusa-shrine/) - 細草神社(ほそくさじんじゃ)は 由緒は不祥ですが 社伝には゛この地は 皇師〈日本武尊〉の駐屯せし所なり゛と云い伝え 『甲斐国志』には 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 黒戸奈神社(くろとなの かみのやしろ)としています 『甲斐国社記・寺記』に 大永三癸未年(1523)地頭駒井越後守本願 窪寺豊前守御崇敬し社殿を建立とあります - [黒戸奈神社(甲府市黒平町)〈『延喜式』黒戸奈神社〉](https://shrineheritager.com/kurotona-shrine-2/) - 黒戸奈神社(くろとなじんじゃ)は 創建年代は不詳です 社記には 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 黒戸奈神社(くろとなの かみのやしろ)であるとしています 金桜神社の末社百二十社の内であり 本殿内幣束に大山祇命 手置帆負命 彦狭知命 八耳皇子と共に鎮風神鎮火神と記し 文化二年(1805)とある と伝えています - [匝瑳神社(香取神宮 境内 摂社)〈香取大神の親神〉](https://shrineheritager.com/sosa-shrine/) - 匝瑳神社(そうさじんじゃ)は 香取神宮の9つある摂社の内 本殿に最も近い〈本殿西奥〉に鎮座し 香取大神の親神〈磐筒男神(いわつつをのかみ)・磐筒女神(いわつつめのかみ)〉を祀ります 一説には 匝瑳郡の祖 物部小事(もののべ の おごと)公を祀るとも云われます - [黒戸奈神社(山梨市牧丘町倉科)〈『延喜式』黒戸奈神社〉](https://shrineheritager.com/kurotona-shrine/) - 黒戸奈神社(くろとなじんじゃ)は 景行天皇の御宇創立〈天皇皇子 日本武尊 東夷平定の後 当国鎮護 萬民幸福を祈る爲め 素戔鳴尊の神璽を出雲國より奉迎し奉り 唐土明神と称へ奉る〉文武天皇 大宝二年(702)勅を奉じて社号を黒戸奈神社としたと云う 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 黒戸奈神社(くろとなの かみのやしろ)とされます - [山梨岡神社(山梨市下石森)〈『延喜式』山梨岡神社〉](https://shrineheritager.com/yamanashioka-shrine-2/) - 山梨岡神社(やまなしおかじんじゃ)は 社伝には 日本武尊が東夷征伐の折 勧請したと云う 尊が腰を掛けたという御腰掛石があります 神護景雲2年(768)坂上苅田丸が社殿を造営し 貞観元年(859)甲斐守紀貞守 幣を奉る 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 山梨岡神社(やまなしをかの かみのやしろ)の論社です - [西照神社(美馬市脇町西大谷)〈弘法大師ゆかりの大滝山に鎮座 延喜式内社の論社〉](https://shrineheritager.com/nishiteru-shrine/) - 西照神社(にしてるじんじゃ)は 厄除の総本宮とされていて・「夜を統べる月神さま」月読尊(tsukiyomi no mikoto)を祀ります・平安時代の若き僧「弘法大師(空海)」も修行に励んだ霊峰とされ 香川県(讃岐国)と徳島県(阿波国)の県境にある大滝山(946m)に鎮座します - [上緫国 式内社 5座(大1座・小4座)について](https://shrineheritager.com/kazusanokuni/) - 上緫国(かずさのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 上緫国には 5座(大1座・小4座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [玉前神社(一宮町)〈『延喜式』玉前神社(名神大)『三代實録』玉崎神〉](https://shrineheritager.com/tamasaki-shrine/) - 玉前神社(たまさきじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の名神大社です 上総国一之宮で格式高い由緒を持ちます 永禄年間(1558~1570)大きな戦火にかかり 社殿・宝物・文書の多くを焼失し 創建の由来や年数 又 名称等が不祥で 神武天皇の御代 あるいは 景行天皇の御代の創立と伝えられます - [楊原神社〈伊豆国三之宮〉(三島市北田町)〈『延喜式』名神大社 楊原神社〉](https://shrineheritager.com/yanagihara-shrine/) - 楊原神社(やなぎはらじんじゃ)は 伊豆国三之宮とされる名社 かつて伊豆国の国府があった場所の付近に鎮座します この地から 沼津に鎮座する楊原神社を国司が遥拝する為の遥拝所とした説や 国境が変わったので遷座したのであろうとの説もある 『延喜式』伊豆國 田方郡 楊原神社(名神大)(やなきはらの かみのやしろ)の論社です - [魚吹八幡神社(姫路市網干区宮内)〈『延喜式』中臣印達神社(名神大)〉](https://shrineheritager.com/usuki-hachiman-shrine/) - 魚吹八幡神社(うすきはちまんじんじゃ)は 神功皇后摂政三年(202)三韓征伐の往路 御舩で宇須伎津に御滞泊の際 皇后神託を受けて 小社を建立し敷嶋宮と号したのが起源 後に仁徳天皇七年 天皇霊夢を御覧になり創建されたと云う 延喜式内社 播磨国 揖保郡 中臣印達神社(名神大)(なかとみいんたちの かみのやしろ)の論社です - [神部神社(北杜市須玉町小尾)〈『延喜式』神部神社〉](https://shrineheritager.com/kanbe-shrine-4/) - 神部神社(かんべじんじゃ)は 崇神天皇の御代 当社前の御門 神戸は神地とされたと云う 又 日本武尊が東征の折り 東小尾で湯治し当社前を通り猛獣 毒蛇 叛賊を退治して東征に向かったと伝わり 文武天皇の大宝元年(701) 四柱を祀ったのが創立と云う 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です - [神部神社(甲州市塩山上萩原)〈『延喜式』神部神社〉](https://shrineheritager.com/kanbe-shrine/) - 神部神社(かんべじんじゃ)は 貞観二年(860)の創建とされ 古くから岩間を湯山に作る霊泉があり 温泉湧出の霊験から岩間明神とも湯山明神とも称されたと伝わります 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です 往古は 当地は 神戸神社の鎮座により神戸荘と云われたそうです - [林田八幡神社(姫路市林田町) 〈『延喜式』中臣印達神社(名神大)〉](https://shrineheritager.com/hayashida-hachiman-shrine/) - 林田八幡神社(はやしだはちまんじんじゃ)は 社伝には 寛平5年(893)五月 国土安穏と子孫繁栄の為 山城国 石清水八幡宮の分霊を勧請し創建と伝わり 旧 八幡宮境内には古くから 延喜式内社 播磨国 揖保郡 中臣印達神社(名神大)(なかとみいんたちの かみのやしろ)があったが 頽廃し 八幡宮に合祀されたと云う - [逆松社(和歌山市鳴神)〈延喜式内社 香都智神社の旧鎮座地〉](https://shrineheritager.com/sakasamatsu-no-yashiro/) - 逆松社(さかさまつのやしろ)は 延喜式内社 紀伊國 名草郡 香都知神社(かつちの かみのやしろ)の旧鎮座地で 坂松明神と呼ばれていました 天正の兵乱に荒廃して廃絶しましたが 慶安三年(1650)石祠を建て 明治6年(1873)村社列格し 明治40年(1907)鳴神社境内に遷座〔堅真音神社と合祀〕されて現在に至ります - [多賀神社(三島市谷田)〈『延喜式』石徳髙神社・劔刀乎夜尓命神社〉](https://shrineheritager.com/taga-shrine-mishima/) - 多賀神社(たがじんじゃ)は もと三嶋大社 摂社の一つで田川神社とも田河とも称されました 2つの式内社〈・石徳髙神社(いはとくのたかの かみのやしろ・劔刀乎夜尓命神社(けむとをやにのみことの かみのやしろ)〉の論社で 又 白浪之彌奈阿和命神社(しらなみの みなあわのみことの かみのやしろ)との説もあります - [井田神社(豊岡市日高町鶴岡字城山)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/ida-shrine/) - 井田神社(いだじんじゃ)は 創建は不祥ですが 元々は倉稲魂命を祀っており 嘉祥元年(848)悪疫流行の際 山城国 石清水八幡宮より誉田別命・気長足姫命の二柱を勧請したと伝わる 延喜式内社 但馬國 氣多郡 井田神社(ゐたの かみのやしろ)です 中世には下津谷伯耆守の居城〔伊福城〕があり 伊福部氏と関係があるのでしょうか - [楯縫神社(豊岡市日高町鶴岡字保木)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/tatenui-shrine-4/) - 楯縫神社(たてぬいじんじゃ)は 白鳳時代(645~710年)の往昔 出雲国から丹波国を経て当国〈但馬國〉で栄えた楯縫連(たてぬいのむらじ)が 遠祖 彦狭知命を楯屋丘 多田谷に祀ったのが始りと伝わる 延喜式内社 但馬國 氣多郡 楯縫神社(たてぬひの かみのやしろ)です 昭和22年(1947)現在地に遷座奉祀されました - [齋神社 & 境内摂社 楯縫神社(養父市長野字東山)](https://shrineheritager.com/itsuki-shrine/) - 齋神社(いつきじんじゃ)は 聖武天皇 天平二年(730)創立 境内摂社 楯縫神社と共に 延喜式内社 但馬國 養父郡 楯縫神社(たてぬひの かみのやしろ)の論社です 伝説には 神代の昔 但馬は泥海だった 但馬五社の神様が養父明神を遣わし 斎神社に坐す彦狭知命に泥海を切り開くことを願い 豊かな大地が生まれたと伝わります - [吾妻屋宮(笛吹市春日居町鎮目)〈『延喜式』甲斐奈神社・山梨岡神社〉](https://shrineheritager.com/azumayagu-shrine/) - 吾妻屋宮(あずまやぐう)は 社記に「日本武尊が東征の折に当地の山路〈虫切坂〉で休息したことに因み 旧跡を「四阿山権現(あづまやさん ごんげん)」として尊を祀り創祀」と云う 延喜式内社 山梨岡神社(やまなしをかの かみのやしろ)の旧鎮座地とする説 甲斐奈神社(かひなの かみのやしろ)であるとする説があります - [甲斐奈神社〈神祖宮〉(笛吹市一宮町橋立)〈『延喜式』甲斐奈神社〉](https://shrineheritager.com/kaina-shrine-3/) - 甲斐奈神社〈神祖宮〉(かいなじんじや)は 神祖明神 又は 林部宮 橋立明神とも呼ばれ 創建は古く延喜式内社 甲斐國 山梨郡 甲斐奈神社(かひなの かみのやしろ)で総社であった 江戸前期までは祭礼の日に笛吹川東の神主が全て当社に参集して神楽を奏し、五穀豊穣の祈禱をしたと伝わる大社でした - [甲斐奈神社(甲府市中央)〈『延喜式』甲斐奈神社〉](https://shrineheritager.com/kaina-shrine/) - 甲斐奈神社(かいなじんじゃ)は 第2代 綏靖天皇の御代 皇子 土本毘古王が甲斐奈山(現・愛宕山)の頂きに白山大神を祀り創建されたと云う 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 甲斐奈神社(かひなの かみのやしろ)とされます 永正年間(1504~1520)武田信虎〈武田信玄の父〉の築城に際し 現社地に遷座されました - [甲斐奈神社 元宮(甲府市愛宕町)〈『延喜式』甲斐奈神社〉](https://shrineheritager.com/former-shrine-site-of-kaina-shrine/) - 甲斐奈神社 元宮(かいなじんじゃ もとみや)は 第2代 綏靖天皇の御代 皇子 土本毘古王が 甲府盆地一面の湖水を切り開き給い 甲斐奈山(現・愛宕山)の頂きに白山大神を祀り創建されたと伝わる 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 甲斐奈神社(かひなの かみのやしろ)の古社地です - [賀茂春日神社(笛吹市春日居町加茂)〈『延喜式』神部神社〉](https://shrineheritager.com/kamokasuga-shrine/) - 賀茂春日神社(かもかすがじんじゃ)は 賀茂社〈欽明天皇の御代(540)〉春日社〈文武天皇(698)〉が並んで祭祀されていたが 天正十年に社殿が兵火に罹り神寶古文書等が焼失 天正十四年(1517)洪水で両社共に流失し 相殿として合併されたと云う 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です - [神部神社(山梨市上神内川)〈『延喜式』神部神社〉](https://shrineheritager.com/kanbe-shrine-2/) - 神部神社(かんべじんじゃ)は 社記によれば 景行天皇43年 甲斐国造 塩海足尼勅を蒙り 近江国 比叡山より分霊し 神日吉と云ふをもって゛神部゛これによって神部神社と称し 国郡鎮護の社とされ 江戸時代には゛山王権現゛と称されました 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です - [甲斐奈神社〈守ノ宮〉(笛吹市春日居町国府)〈『延喜式』甲斐奈神社〉](https://shrineheritager.com/kaina-shrine-2/) - 甲斐奈神社〈守ノ宮〉(かいなじんじゃ)は 奈良時代に甲斐国の国府の置かれた場所とされ 神亀三年(726)聖武天皇 天平年中(747)国司 田邊史広足が峡之神社と名付け創建した 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 甲斐奈神社(かひなの かみのやしろ)と伝わります 守ノ宮明神ともいい 四ノ宮(国守ノ宮)が転訛したとも云う - [長幡部神社(常陸太田市幡町)〈常陸国風土記 長幡部之社・延喜式 長幡部神社〉](https://shrineheritager.com/nagahatabe-shrine-2/) - 長幡部神社(ながはたべじんじゃ)は 『常陸国風土記〈和銅6年(713年)〉』にも゛長幡部之社(ながはたへのやしろ)゛と記され 『延喜式927 AD.』には常陸國 久慈郡 長幡部神社(なかはたのへの かみのやしろ)と記載の由緒ある古社です 又 長幡とは 絁(きぬ)の名にして これを織り作るものを長幡部という と伝わります - [八幡神社(南アルプス市上宮地)〈『延喜式』神部神社の山宮〉](https://shrineheritager.com/hachiman-shrine-7/) - 八幡神社(はちまんじんじゃ)は 嘉永年間(1848~1854年)三輪神社〈今の・神部神社(南アルプス市下宮地)〉の山宮であった 大神山伝嗣院より この八幡神社に遷座し゛三輪山宮社゛と称したと伝わり 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の山宮と考えられています - [神部神社(南アルプス市下宮地)〈『延喜式』神部神社〉](https://shrineheritager.com/kanbe-shrine-3/) - 神部神社(かんべじんじゃ)は 垂仁天皇の御代 大和の三輪神社から大物主神を勧請し「三輪明神」とも云う 上古 甲府盆地は湖水で 社前迄湖であった 例祭の゛舟引祭゛は 大和から奉遷の時 船にて此地に渡った遷座の状況を神事として伝えていると云う 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です - [南宮大神社(韮崎市大草町上条東割)〈『延喜式』神部神社〉](https://shrineheritager.com/nangudai-shrine/) - 南宮大神社(なんぐうだいじんしゃ)は 社記によれば 平安時代の名将 源義光〈新羅三郎義光〉が 甲斐任国の時 崇敬して社壇を造営したと云う 武田一条氏が 当社を産土神として崇敬し その支族の武川衆諸氏も協力して当社に奉仕した記録も伝へている 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です - [熱那神社(北杜市高根町村山西割)〈『延喜式』神部神社〉](https://shrineheritager.com/atsuna-shrine/) - 熱那神社(あつなじんじゃ)は 社伝には 創立の年代は不詳であるが その昔 日本武尊の神徳を尊崇し 地主神として社に奉祀し 石剣を奉安し神体とした 古来 神部神社 又は 熱那神総社と称し 近傍九ヶ村の総称 熱那ノ庄の総社なることは明白であると伝わる 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)とされます - [白山神社(北杜市明野町上神取)〈『延喜式』神部神社〉](https://shrineheritager.com/hakusan-shrine-2/) - 白山神社(はくさんじんじゃ)は 社記に延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)と云う 第二十三代顕宗天皇の御宇(485~487年)の勧請 天文十一年(1542)火災となり現在地に遷座と伝へられます 明治四十年(1907)三月勅令を奉り 白山神社に諏訪神社 伊勢神明社を合祀されました - [靜神社(那珂市静)〈常陸二ノ宮 延喜式内名神大社〉](https://shrineheritager.com/shizu-shrine/) - 静神社(しずじんじゃ)は 『常陸國風土記(713年)』には 初めて織物(綾織 しずおり)を織った「静織の里(しどりのさと)」と呼ばれたと伝えられ 『三代實録(901年)』に゛静神゛として 神位 從五位上を授かったと記載のある 延喜式内社 常陸國 久慈郡 靜神社 名神大(しつの かみのやしろ)であるとされます - [倭文神社(舞鶴市今田 小字津ノ上)〈延喜式内社 倭文神社〉](https://shrineheritager.com/shidori-shrine-4/) - 倭文神社(しどりじんじゃ)は 927 AD.延喜式内社 丹後國 加佐郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)とされ 創立は それより相当古くから当地に鎮座されていた云う 伝説によれば 一条天皇正暦元年(990)源頼光が大江山の鬼退治に出陣の途中 当神社に山伏の姿で武運の長久を祈願したとも伝えられています - [静岡浅間神社(静岡市葵区宮ヶ崎町)〈『延喜式』神部神社・大歳御祖神社〉](https://shrineheritager.com/shizuokasengen-shrine/) - 静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)は 駿河国総社として崇敬され(通称 おせんげんさま)と云い 神部神社・淺間神社・大歳御祖神社の3つの本社と4つの境内社の総称です 徳川家康公(幼名 竹千代)の元服式より幕府の崇敬が厚く 現在の社殿は 江戸時代に60年の歳月をかけて再建された総漆塗り極彩色の豪壮華麗な建築群です - [山戸春日神社(姫路市勝原区山戸)〈『延喜式』阿波庭神社〉](https://shrineheritager.com/山戸春日神社(姫路市勝原区山戸)〈『延喜式』/) - 山戸春日神社(やまと かすがじんじゃ)は 神功皇后が三韓征伐の帰路に 麛坂王・忍熊王の二王の謀反に遭い この地に上陸され兵を募り軍備を整えられたと云う 往古は海浜の一部落で前方白波を堪うるを以て社号「阿波庭神社」と称したあり 延喜式内社 播磨国 揖保郡 阿波庭神社(あはての かみのやしろ)の論社です - [屯倉神社(松原市三宅中)&〈境内合祀 延喜式内社〉酒屋神社](https://shrineheritager.com/sakaya-shrine/) - 屯倉神社(みやけじんじゃ)は 三宅天満宮として 上古より鎮座の「穂日の社」と云う天神で 天慶五年(九四二年)菅原道眞公をお祀りしたのがその創建であると云われます 延喜式内社 酒屋神社(さかやじんじゃ)は 同じく三宅に鎮座していましたが 明治40年(1907)神社合祀政策により境内合祀社へ遷座されたものです - [上鴨川住吉神社(加東市上鴨川)〈『延喜式』住吉神社〉](https://shrineheritager.com/sumiyoshi-shrine-9/) - 住吉神社(すみよしじんじゃ)は 創立は不詳ですが 厳格な宮座制度を脈々と守り続け 約700年間受け継がれてきた神事舞〈国指定 重要無形民俗文化財 住吉神社神事舞〉が有名です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 播磨国 賀茂郡 住吉神社(すみよしの かみのやしろ)の論社です - [家島神社(姫路市家島町)〈『続日本後紀』家嶋神『延喜式』名神大社 家島神社〉](https://shrineheritager.com/ieshima-shrine/) - 家島神社(いえしまじんじゃ)は 社伝には 神武天皇が東征途中 当地に御寄港になられ 港内が大変穏やかで「あたかも家の中にいるようで静かだ」と云われ 家島と名付けた 又 神功皇后 三韓御門出の時 天神を祀り給ふに山中ゆりければ ゆるの山と古歌にも詠まれました 国生み神話の伝承地 播磨灘の中央に浮かぶ家島諸島に鎮座します - [伊太祁曽神社(和歌山市伊太祈曽)〈『古事記』『日本書紀』神代からの伝承あり〉](https://shrineheritager.com/itakiso-shrine/) - 伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)は 神代からの木の国〈紀伊国〉の伝承が『古事記』『日本書紀』に語られます 『六国史』にも記事が見え『延喜式』には 紀伊国 名草郡 伊太祁曽神社〈名神大 月次 新嘗 相嘗〉と記される古社です 元は秋月(現在の日前宮鎮座地)に鎮座 その後 山東(現在の「亥の森」)に遷座したと云われています - [堅眞音神社(和歌山市神前)〈『三代實録』堅眞神『延喜式』堅眞神社〉](https://shrineheritager.com/katamaoto-shrine/) - 堅眞音神社(かたまおとじんじゃ)は 延喜式内社 紀伊國 名草郡 堅眞神社(かたまの かみのやしろ)とされる由緒ある古社です 天正の兵乱に荒廃して廃絶し 慶安三年(1650)石祠を建て再建 明治6年(1873)村社列格 明治40年(1907)鳴神社境内に遷座〔堅真音神社と合祀〕しましたが 近年この地にも再興されたものです - [丹生官省符神社(九度山町慈尊院)〈弘仁七年(816) 弘法大師(空海)創建の社〉](https://shrineheritager.com/niukanshobu-shrine/) - 丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)は 一宮~四宮は 北の方宮の橋といふ地にあったが 天文年中(1532~)の洪水により 慈尊院に遷座した 此の時 三社宮も遷座して神通寺七社明神となる 近代には丹生七社大明神 丹生神社と呼ばれ 昭和21年(1946)現在の社号となっています 或説に 式内社 小田神社とも云われます - [重浪神社(豊岡市畑上字宮)〈推古天皇25年(617)の創建・延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/shikinami-shrine/) - 重浪神社(しきなみじんじゃ)は 社伝によると 天武天皇 白鳳3年(675)6月 久久比命が城崎郡司となり その父・楮主(かみつ)命を敷浪の丘に葬り祠を建てて祀ったとき 共に祭祀を受け 重浪神社と称したと云う 延喜式内社 但馬國 城崎郡 重浪神社(おもなみ かみのやしろ)であると伝わります - [鳴神社(和歌山市鳴神)〈『三代実録』鳴神『延喜式』鳴神社〉](https://shrineheritager.com/naru-shrine/) - 鳴神社(なるじんじゃ)は 古代 紀伊湊を開拓した紀伊忌部氏により創建された 延喜式内社 紀伊國 名草郡 鳴神社(名神大月次相嘗新嘗)(なるの かみのやしろ)とされます 又 境内には 二つの式内社〈香都知神社(かつちの かみのやしろ)・堅眞神社(かたまの かみのやしろ)〉の論社が境内社として祀られています - [小田神社(橋本市高野口町小田)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/oda-shrine/) - 小田神社(おだじんじゃ)は 1400年前の建立 神領も多く朝野ともに尊敬深かった 延喜式内社 紀伊国 伊都郡 小田神社(をたの かみのやしろ)と伝えます 数々の兵乱で社地も衰廃 祠は焼失したが 紀伊藩主 徳川頼宣公が元和年間(1615~24)旧本殿跡に石の宝殿を建て「小田神社」と刻し ご神体として後世に伝えたものです - [川内多々奴比神社(丹波篠山市下板井)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/kawauchi-tatanuhi-shrine/) - 川内多々奴比神社(かわうちたたぬひじんじゃ)は 社伝に第10代 崇神天皇の御代 四道将軍 丹波道主命が創建と伝え 別説には 社名の多々奴比(たたぬひ)は楯縫(たてぬい)の訛りで『延喜式』にある神楯を奉仕する斎部の楯縫氏の事 楯縫氏が祖神 彦狭知命を川内郷に祀ったので 川内多多奴比神社と伝わります - [酒屋神社(京田辺市興戸宮ノ前)〈神功皇后の持ち帰った"九山八海の石"がある式内社〉](https://shrineheritager.com/sakaya-shrine-3/) - 酒屋神社(さかや/さけや じんじゃ)は 佐牙神社とともに酒造りに縁ある式内社で 伝承には 神功皇后が三韓遠征の際 神社背後の山に酒壺を三個安置して出立 帰国後その霊験に感謝し創建 皇后が朝鮮より持ち帰った“九山八海の石”が今もここにあると伝わる 又 別説では中臣酒屋連が来往して 酒造りを伝え 祖神を祀ったとも伝わる - [由豆佐賣神社(鶴岡市湯田川)〈『三代實録』由豆佐乃賣神『延喜式』由豆佐賣神社〉](https://shrineheritager.com/yuzusame-shrine/) - 由豆佐賣神社(ゆずさめじんじゃ)は 『三代實録』仁和元年(885)11月21日条に由豆佐乃賣神を篤く奉るように勅命が下され 『延喜式927 AD.』には式内社 出羽國 田川郡 由豆佐賣神社(ゆつさひめの かみのやしろ)と記載のある由緒ある古社です 和銅5年(712年)開湯 湯田川温泉の鎮護の神社として崇拝されてきました - [副川神社(八郎潟町浦大町字小坂)〈最北の延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/soegawa-shrine/) - 副川神社(そえがわじんじゃ)は 秋田の八郎潟に鎮座します 大和朝廷の延喜の制では官社とされる 「延喜式神名帳engishiki jimmeicho」(927年12月完成)所載の神社で 最北端の式内社とされています つまり当時の大和朝廷勢力の北限にあたります - [左内神社(三島市中島)〈『延喜式』文梨神社・阿米都瀬氣多知命神社〉](https://shrineheritager.com/sanai-shrine/) - 左内神社(さないじんじゃ)は 三嶋大社の御門の守護神として 右内神社とともに下田街道の左右に祀られていました その旧鎮座地は゛手無゛と云い 手無にある「手無地蔵」は「式内社・文梨神社」の旧社地とも伝わり 更に通称名は「天地宮(あめつちみや)」と呼ばれ「式内社・阿米都瀬氣多知命神社」の論社との説もあります - [右内神社(三島市梅名)〈『延喜式』伊波氐別命神社・阿米都瀬氣多知命神社〉](https://shrineheritager.com/unai-shrine/) - 右内神社(うないじんじゃ)は 下田街道の左右に「左内神社」とともに 三嶋大社の御門守護神として 鎮座していたと伝わります 源頼朝公が伊豆に配流されていた頃 源氏再興を願い三嶋大社への参拝途上で 度々参詣したといわれています 『延喜式』伊波氐別命神社・阿米都瀬氣多知命神社の二つの式内社の論社となっています - [天地神社(田方郡函南町平井)〈『延喜式』阿米都瀬氣多知命神社の論社〉](https://shrineheritager.com/tenchi-shrine/) - 天地神社(てんちじんじゃ)は 延喜六年(906)創建 棟札に平安時代前半 伊豆山大権現から遷したとあり 稲作の豊作を願い 天(天候)地(土 地方)の恵みを祈願し 天地大明神と称したが 天地神社と改称(明治六年) 延喜式内社 伊豆國 田方郡 阿米都瀬氣多知命神社(あめつせのけたちのみことの かみのやしろ)の論社です - [気多神社(沼津市内浦三津)〈『延喜式』阿米都瀬氣多知命神社・井田神社の論社〉](https://shrineheritager.com/kita-shrine/) - 気多神社(きたじんじゃ)は 社記によれば 貞観元年(859)に当地に鎮座したと云い 祭神は意氣長多羅司姫命(おきながたらしひめのみこと)〈神功皇后〉とされます 二つの式内社〈阿米都瀬氣多知命神社(あめつせのけたちのみことの かみのやしろ)・井田神社(ゐたの かみのやしろ)〉の論社となっています - [井田神社(沼津市井田)〈『延喜式』井田神社・『伊豆國神階帳』ゐたの明神〉](https://shrineheritager.com/ida-shrine-2/) - 井田神社(いだじんじゃ)は その歴史は古く 慶長12年(1607)の上梁文には゛井田荘七箇村鎮守 井田明神゛とあり 『伊豆國神階帳(康永2年(1343)』には゛従四位上 ゐたの明神゛ さらに『延喜式927 AD.』には 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 井田神社(ゐたの かみのやしろ)と所載される由緒を持ちます - [野本神社〈大神宮〉(賀茂郡松崎町峰輪)〈延喜式内社論社〉](https://shrineheritager.com/nomoto-shrine/) - 野本神社〈大神宮〉(のもとじんじゃ)は 元和二年(1616)の棟札に「大神宮大六天魔王野本村鎮守也」と記され 享保の初め(1716年~)の火災で小祠となったと伝わります 延喜式内社 伊豆国 那賀郡 箕勾神社(みのわの かみのやしろ)の論社でもあります - [箕勾神社(賀茂郡松崎町峰輪)〈『伊豆国神階帳』従四位上 みのわの明神〉](https://shrineheritager.com/minowa-shrine/) - 箕勾神社(みのわじんじゃ)は 創建年代など不詳ですが 延喜式内社 伊豆国 那賀郡 箕勾神社(みのわの かみのやしろ)の論社とされる由緒を持つ頗る古社です かつては 天神の杜(もり)に鎮座する天神社と呼ばれたと伝わります 本殿は五扉で 中央に一扉〈天神〉 向って右に二扉〈日光・月光〉 向って左に二扉〈熊野権現〉を祀ります - [伊賀國 式内社 25座(大1座・小24座)について](https://shrineheritager.com/iganokuni/) - 伊賀国(いがのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊賀国には 25座(大1座・小24座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [楯縫神社(養父市建屋字宮山)〈持統天皇3年(689)創立 延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/tatenui-shrine-3/) - 楯縫神社(たてぬいじんじゃ)は 持統天皇3年(689)の創立と伝わり 延喜式内社 但馬國 養父郡 楯縫神社(たてぬひの かみのやしろ)の論社とされます 『延喜式 神祇七 践祚大嘗祭』に 践祚大嘗会で用いる神楯四枚を 丹波国の楯縫氏が造ることを定めていて 川内多多奴比神社と並んで大嘗祭に奉仕した楯縫氏の氏神という説あり - [楯縫神社(稲敷郡美浦村木原)〈『常陸國風土記』『延喜式』所載〉](https://shrineheritager.com/tatenui-shrine/) - 楯縫神社(たてぬいじんじゃ)は 創建は・紀元十八年・推古天皇十六年(608)・大同二年(807)と三説があり『常陸國風土記(713)』には「普都大神が 天降り山河の荒ぶる神を平定し 身に着けた杖・甲・戈・楯・剣・玉等を脱ぎ天帰された所」と伝承あり 延喜式内社 常陸國 信太郡 楯縫神社(たてぬひの かみのやしろ)です - [楯縫神社(丹波市春日町長王ハチマン山)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/tatenui-shrine-2/) - 楯縫神社(たてぬいじんじゃ)は 創建年代などは不祥ですが 延喜式内社 丹波國 氷上郡 楯縫神社(たてぬひの かみのやしろ)とされます 『延喜式巻7 神祇七 践祚大嘗祭』には 践祚大嘗会で用いる神楯四枚を 丹波国の楯縫氏が造ることを定めていますので 川内多多奴比神社と並んで大嘗祭に奉仕した楯縫氏の氏神という説があります - [佐々伎神社(豊岡市但東町佐々木)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/sasaki-shrine-2/) - 佐々伎神社(ささきじんじゃ)は 社伝には 第10代 崇神天皇11年(BC 87年頃)但馬国の開拓の祖神 少彦名命を祀り創祀したと伝え 一説には天平19年(747) 佐々貴山君(ササキヤマノキミ)が出石小領に任じられ 祖神 大彦命(オオヒコノミコト)を佐々貴山に祀ったと云う 『延喜式』(927年編纂)に所載される古社です - [出雲神社(亀岡市本梅町)〈延喜式内社 名神大社〉](https://shrineheritager.com/izumo-shrine/) - 出雲神社(いずもじんじゃ)は 創建年代は不詳ですが『延喜式』(927年)所載 丹波國 出雲神社(名神大社)の論社で 境内に巨岩が磐座として祀られ 最古の祭祀形態を現存させます かつては磐座横に出雲大明神の祠が祀られたが 昭和3年(1928)現在の社殿・鳥居・石段などが整備され 磐座の横の祠から遷座したと伝わります - [風宮〈豊受大神宮(外宮)の境内 別宮〉〈お伊勢さん125社〉](https://shrineheritager.com/kaze-no-miya/) - 風宮(かぜのみや)は 鎌倉時代 蒙古襲来・2度の元寇(1274年文永の役・1281年弘安の役)の時 伊勢の神風を吹かせ給い 国難を救ったと伝えられ 皇大神宮(内宮)の風日祈宮(かざひのみのみや)とともに 末社の格「風神社(かぜのかみのやしろ)」から 正応6年(1293)豊受大神宮(外宮)別宮に昇格し゛風宮゛と号します - [長幡部神社(児玉郡上里町長浜)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/nagahatabe-shrine/) - 長幡部神社(ながはたべじんじゃ)は 創建年代は不詳 此の地域に進出した長幡部氏〈高度な機織り技術を持った渡来系氏族〉が 神流川南岸の西的場に機織りの神゛天羽槌雄命゛を祀ったことが起源とされ 天永元年(1110)洪水のため社地が流亡し現在地に遷座と伝えます 延喜式内社 武蔵國 賀美郡の4座(並小)すべての論社です - [天志良波神社(常陸太田市白羽町)〈三代實録 天之白羽神・延喜式 天之志良波神社〉](https://shrineheritager.com/ameno-shiraha-shrine/) - 天志良波神社(あめのしらはじんじゃ)は 『三代實録』に゛天之白羽神゛とあり 『延喜式』には 常陸國 久慈郡 天之志良波神社(あまのしらはの かみのやしろ)と所載があり 一説に延暦十四年(795)坂上田村磨将軍東征の時に創建とも云う古社です 祭神は衣服の神 麻の神とされる天白羽命(あめのしろはのみこと)です - [鹿嶋神社(常陸太田市春友町)〈延喜式内社 天速玉姫命神社の論社〉](https://shrineheritager.com/kashima-shrine-10/) - 鹿嶋神社(かしまじんじゃ)は 創立年歴は不詳ですが 初めは 天速玉姫命を祀っていたと云い 又『新編常陸国誌』には 鎮座地の春友(はるとも)は 旧名を速玉(はやたま)と云ったと記されていて このことから延喜式内社 常陸國 久慈郡 天速玉姫命神社(あめのはやたまひめのみことの かみのやしろ)の論社とされています - [泉神社(日立市水木町)〈三代實録 天之速玉神・延喜式 天速玉姫命神社〉](https://shrineheritager.com/izumi-shrine-2/) - 泉神社(いずみじんじゃ)は 『常陸國風土記(713年)』に「密筑里(みつきのさと)の清浄(いずみ)大井(おほゐ)と謂(いう)夏は冷たく 冬は温かく 湧流(わきなが)れて川となる」と記されます 又『三代實録』天之速玉神・『延喜式』常陸國 久慈郡 天速玉姫命神社(あめのはやたまひめのみことの かみのやしろ)の論社です - [伊古乃速御玉比賣神社(滑川町伊古)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/ikonohayamitamahime-no-shrine/) - 伊古乃速御玉比賣神社(いこのはやみたまひめのじんじゃ)は 延喜式内社 武蔵國 比企郡 伊古乃速御玉比賣神社(いこのはやみたまひめの かみのやしろ)です 第24代 仁賢天皇の御代(即位488~498年)創祀 二ノ宮山上に鎮座したが 文明元年(1469)当地に遷座と伝わります 中古 阿州大明神と呼ばれ 比企郡の総社でした - [石船神社(東茨城郡城里町岩船)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/ishifune-shrine/) - 石船神社(いしふねじんじゃ)は 鳥石楠船命(とりいしくすぶねのみこと)〈別名を天鳥船神〉を祀ります 『古事記』では 天照大御神の詔により 葦原中国(あしはらのなかつくに)への使者として 天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を建御雷神(たけみかづちのかみ)に添えて 遣(つかわ)したとあります - [近津神社(大子町下野宮)〈陸奥国一之宮 参考論社〉](https://shrineheritager.com/chikatsu-shrine/) - 下野宮近津神社は 奥久慈大子地方が陸奥國依上郷であった頃 久慈川沿いの三社〔〈上宮〉馬場都々古別神社〈中宮〉八槻都々古別神社〈下宮〉下野宮近津神社(当社)〕を゛近津三社゛と総称し〈上宮・中宮〉の都々古別神社は 陸奥国一宮で 当社〈下宮〉は「石都々古別神社」陸奥国一宮と主張します 又 式内社 常陸國 稲村神社とする説あり - [諏訪大神社(甲斐市宇津谷)(日本武尊が創始 延喜式内社)](https://shrineheritager.com/suwa-daijinja/) - 諏訪大神社(すわだいじんじゃ)は 倭建命(やまとたけるのみこと)が北山・武川・逸見の賊を平定し 残党の復起せぬよう平穏を祷り 鎮護の神として倭文神 建葉槌命を祀り 良民初めて安居するを得て 初在家の名これより起ると口碑に伝わる 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)の論社です - [本宮倭文神社(韮崎市穂坂町柳平)〈延喜式内社の元宮〉](https://shrineheritager.com/shizuri-shrine/) - 本宮倭文神社(ほんぐうしずりじんじゃ)は 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)とされる倭文神社降宮明神(宮久保)の山宮であった棚機宮〈七夕社〉が 神明社(上村組)・貴船神社(窪村組)・天神社(武田の烽火台と云われる城山)と貴船神社の地に(1959)合併し 本宮倭文神社と社名を改めたものです - [倭文神社〈降宮明神〉(韮崎市穂坂町宮久保)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/shizuri-shrine-2/) - 倭文神社(しずりじんじゃ)は 古代 穂坂御牧(ほさかのみまき)の役人の妻や娘などが織った精巧な織物の技芸上達を祈り祀ったのが起りとされ 山宮(柳平)の古社地より現在地へ降られた伝承と織宮(おりみや)の意から 降宮(おりみや)と呼称される 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)の論社です - [倭文神社(与謝郡与謝野町三河内)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/shidori-shrine-5/) - 倭文神社(しどりじんじゃ)は 和銅五年(712)この地で綾錦を織ることとなり 丹後國一之宮 籠神社 海部直愛志(あまべのあたいえし)が勅命を奉じて 倭文神を祀り創建した 延喜式内社 丹後國 與謝郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)とされ 貞応二年(1223)ご神託があり 筬(おさ)村から現今の石崎の社に奉遷されました - [宮倉神社(阿南市羽ノ浦町西春日野)〈式内社 和耶神社の参考論社〉](https://shrineheritager.com/miyakura-shrine/) - 宮倉神社(みやくらじんじゃ)は 創立年代不詳なれど この地宮倉は古くより開け 中央政権に送る穀物を一時保管するところの倉を設けてあるところから宮倉地名の起こりのようです 此地の山中腹(羽ノ浦町宮倉)に鎮座していましたが 宅地開発にともない移転せざるを選なくなり 平成十年(1998)五月二十一日の現在地に再建されています - [姫宮神社〈笹原明神〉(賀茂郡河津町笹原)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/himemiya-shrine-sasahara/) - 姫宮神社(ひめみやじんじゃ)は 奥伊豆最古の社と伝わる延喜式内社 伊豆國 賀茂郡 佐々原比咩命神社(ささはらひめのみことのかみのやしろ)の比定社です しかし 河津川の湿地帯に在り 昔から洪水で流されては再建を繰り返し 最後の庁屋も洪水で流失し 代々 来宮神社の法印に祭祀されたと云う 平成14年(2002)現在地に再建 - [川津来宮神社〈杉桙別命神社〉(賀茂郡河津町田中)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/sugihokowake-no-mikoto-shrine/) - 杉桙別命神社(すぎほこわけのみことじんじゃ) は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社「杉桙別命神社」です 本殿横の「大クス」は 昭和11年 国天然記念物に指定された目通り周14m高さ24m樹齢1000年以上といわれる巨木のご神木です - [宇良神社【浦嶋神社】(与謝郡伊根町字本庄浜)](https://shrineheritager.com/ura-shrine/) - 宇良神社(うらじんじゃ)【浦嶋神社】は 今から1500年前に 300年の時空を超えて 常世の国から 故郷に甦った神「浦嶋子(urashima no ko)」が坐ます それは当時も奇跡のような出来事として 時の天皇も敬った事柄でした やがて「うらしまたろう」の伝説の元になっていきます - [倭文神社(伊勢崎市東上之宮町)〈上野國九之宮〉](https://shrineheritager.com/shitori-shrine-3/) - 倭文神社(しとりじんじゃ)は 第十一代 垂仁天皇の御代の創建と伝えられ 貞観元年(859)には官社に列せられています 上野国九之宮とされる 式内社 倭文神社(しとりの かみのやしろ)です 利根川北岸に鎮座し 南岸に鎮座する式内社 火雷神社(上野国八之宮 下之宮)に対して「上之宮(うえのみや)」と称されます - [倭文神社(鳥取市倭文)〈延喜式内社 倭文神社〉](https://shrineheritager.com/shitori-shrine-4/) - 倭文神社(しとりじんじゃ)は 倭文(しとり/しづり)」とも読み「しづ織り」という絹織物のことを指し 機織り(はたおり)を業(なりわい)とする倭文部の民がこの地に居住し 祖神「倭文神・建葉槌命(たけはづちのみこと)」を奉斎したと伝わる 延喜式内社 因幡國 高草郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)です - [服部神社(鳥取市福部町海士)〈三代實錄 服部神・延喜式内社 服部神社〉](https://shrineheritager.com/hattori-shrine/) - 服部神社(はっとりじんじゃ)は 『續日本紀』元明天皇 和銅五年(712)秋七月の条に因幡国にて綾錦を織られたと記載があり その頃の創立と思われ 又『三代實録』貞観十六年(874)五月の条に服織神 從五位上と神階の奉授が記される国史見在社であり 式内社 因幡國 法美郡 服部神社(はとりのかみのやしろ)でもあります - [津之宮神社(壱岐市石田町池田西触)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/tsunomiya-shrine/) - 津之宮神社(つのみやじんじゃ)は かつて神坂津宮大明神と称され 国府に近く 壱岐国の津〈現 印通寺港〉であったこの鎮座地は 地名も津宮と呼ばれる程の大社であったとされます 故に二つの式内社・国津神社(くにつかみのやしろ)・津神社(つの かみのやしろ)の論社とされています - [酒屋神社跡地(松原市三宅中)〈延喜式内社 旧鎮座地〉](https://shrineheritager.com/sakaya-shrine-2/) - 酒屋神社跡地〈旧鎮座地〉(さかやじんじゃあとち)は 延喜式内社 河内国 丹比郡 酒屋神社(鍬靫)(さかやの かみのやしろ)の旧鎮座地です かつて神社の西側に酒蓋池(さかぶたいけ)が広がり 池の東北に酒屋井(さかやい)と称する井戸が存在していて その井戸から神が出現したと云う 酒屋権現(さかやごんげん)と呼ばれていた - [星宮社〈境内 式内社 上知我麻神社・下知我麻神社〉(名古屋市南区本星崎町宮西)](https://shrineheritager.com/hoshinomiya/) - 星宮社(ほしのみやしゃ)は 社説に創始は 舒明天皇(629~641年)頃 七星が天から降り 神託により当地〈往古の千竃郷〉に社を建てたと云う これが 宮簀媛命の父・母を祭神とする今の境内社゛上・下知我麻神社゛で 熱田神宮内の両社も もとはここにあったと云う 星宮社は 星崎城築城の時 この地に移したとも伝わります - [咸古神社(富田林市龍泉)〈弘法大師空海が 加持祈誓し龍神を呼んだ社〉](https://shrineheritager.com/kanko-shrine/) - 咸古神社(かんこじんじゃ)は 『龍泉寺縁起』弘仁14年(823)この地を訪れた弘法大師空海が加持祈誓し 龍が再来 池が戻り3つの小島が現れた・弁財天・聖天・吒天を祀り 牛頭天王を鎮守社としたのが創建と云 江戸時代には鎮守社 牛頭天王社 明治に咸古神社と改称 明治42年(1909)相殿に式内論社 咸古佐備神社が合祀された - [大神宮跡(京田辺市三山木東荒木)〈延喜式内社 佐牙乃神社(鍬靫) 旧跡〉](https://shrineheritager.com/daijingu-ato/) - 大神宮跡(京田辺市三山木東荒木)は 延喜式内社 山城國 綴喜郡 佐牙乃神社(鍬靫)(さかの かみのやしろ)の 旧跡とされ 木津川の水害の為 永享年間(1429~1441)に この地から現在の佐牙神社の鎮座地に遷座しました 今でも祭日には 神輿の渡御があり 山本宮座の太夫八人がこの地へお参りをします - [酒垂神社(豊岡市法花寺字長楽寺)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/sakataru-shrine/) - 酒垂神社(さかたる/さかたれ じんじゃ)は 社伝は 白鳳3年(675)当地の郡司 物部韓国連久々比命が贄田(神田)に酒造所を造り 酒解子神 大解子神 子解子神の酒造3神を祀って神酒を醸造し 祖神に供えて五穀豊穣を祈願したのが創祀と云う 延喜式内社 但馬國 城崎郡 酒垂神社(さかたるの かみのやしろ)とされます - [久々比神社(豊岡市下宮字谷口)〈コウノトリの伝説or物部氏の伝承〉](https://shrineheritager.com/kukuhi-shrine/) - 久々比神社(くくひじんじゃ)は コウノトリが棲む地を「久々比(くくひ)」と呼び 社を建て木の神 久々遅命(くくのちのみこと)をお祀りして 始まったと云い 又 一説『国司文書 但馬故事記』には 物部韓國連 鵠(くくひ)〈久々比命〉を祀るとします 延喜式内社 但馬國 城崎郡 久久比神社(くくひの かみのやしろ)です - [加津良神社(八尾市萱振町)〈『日本三代実録』加津良神・『延喜式』加津良神社〉](https://shrineheritager.com/katsura-shrine-4/) - 加津良神社(かつらじんじゃ)は 延喜式内社 河内國 若江郡 加津良神社(かつらの かみのやしろ)で 古よりこの地に鎮座しており〈明治期に旧 栗栖神社に合祀されたが 戦後 旧地に復活〉鎮座地名の萱振(かやふり)の名について゛祭事に神前にて松明(たいまつ)を振て神をいさむるなり 故に萱振の名あり゛と云う - [廣峯神社(姫路市広嶺山)〈全国にある牛頭天王の総本宮〉](https://shrineheritager.com/hiromine-shrine/) - 廣峯神社(ひろみねじんじゃ)は 奈良時代 天平5年(733)遣唐使として中国から帰国した「吉備真備 公」は 国家の為に陰陽道(天文・暦・気象を司り、国の吉凶を見定める)を習得され 奈良へ帰途の折 広峯山系の白幣山に登臨「牛頭天王の信託を感受」する この旨を第45代聖武天皇に奏上し 翌年に廣峯神社の大社殿が造営されました - [大神社 旧鎮座地(松阪市深長町)〈延喜式内社の旧鎮座地〉](https://shrineheritager.com/the-former-site-of-ohomiwa-shrine/) - 大神社 旧鎮座地(おおみわじんじゃ きゅうちんざち)は 明治四十一年(1908)高福神社〈現 伊勢寺神社〉に合祀された 延喜式内社 伊勢國 飯高郡 大神社(おほみわの かみのやしろ)の旧跡地です 現在は地域の鎮守の森のような存在で かつて境内にあった泉は 近隣の田畑を潤し 松坂城主の茶の湯にも使用されたと云う - [美和神社(桐生市宮本町)〈『日本後紀』に美和神・『延喜式』に美和神社〉](https://shrineheritager.com/miwa-shrine-2/) - 美和神社(みわじんじゃ)は 社伝に第10代 崇神天皇の御代に大和國 大神神社を勧請して創建と伝え 六国史に 延暦十五年(796)官社に預かり 天慶四年(941)正五位下に叙せられたと記される由緒ある古社です 『延喜式神名帳927 AD.』所載 上野國 山田郡 美和神社(みわの かみのやしろ)とされます - [大河内神社(伊勢市辻久留)〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉](https://shrineheritager.com/ohokouchi-shrine/) - 大河内神社(おおこうちじんじゃ)は 豊受大神宮(外宮)の摂社で『止由気宮儀式帳』〈延暦23年(804)〉に゛大河内社゛と載り 『延喜式神名帳(927年)』に伊勢國 度會郡 大川内神社(おほかはちの かみのやしろ)と載る古社 中世に廃絶して旧址も不明でしたが 明治十六年(1883)神宮司廳による研究の結果 現在地に奉遷 - [倭文神社〈鮭の宮〉(朝来市生野町円山)〈延喜式内社論社〉](https://shrineheritager.com/shidori-shrine-3/) - 倭文神社(しどりじんじゃ)は 和銅5年(712年)創建された 延喜式内社 但馬國 朝來郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)と伝わります 正徳3年(1713年)遷宮の時 偶然下流から鮭が遡上し 村人達は めでたい前兆として喜び〈鮭の宮〉と呼ぶようになったと伝わります - [浅間神社(養父市八鹿町浅間)〈延喜式内社・淺間神社・葛神社の論社〉](https://shrineheritager.com/sengen-shrine-2/) - 淺間神社(せんげんじんじゃ)は 鎮座地の浅間(あさま)に 須留岐山の浅間寺〈天平年間(729~749)行基により開山〉もあり 6~8世紀の創立と伝えます 延喜式内社 但馬國 養父郡 淺間神社(あさまのかみのやしろ)とされ 又 同じ式内社の養父郡 葛神社(くつの かみのやしろ・かつらの かみのやしろ)が合祀されています - [高牟神社(名古屋市千種区今池)〈古井之八幡(こいのはちまん)〉](https://shrineheritager.com/takamu-shrine-2/) - 高牟神社(たかむじんじゃ)は 元々は尾張物部氏の武器庫であったと云う 境内に 元古井(もとこい)古井ノ坂の地名の由来となった古井戸〈霊泉〉があり 「むすびの神」を祀る神社で゛古井(こい)の水を飲めば恋が生まれる゛と 縁結びのご利益信仰を集めます 延喜式内社 尾張國 愛智郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社です - [度津神社(佐渡市羽茂飯岡)〈佐渡國一之宮・延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/watatsu-shrine/) - 度津神社(わたつじんじゃ)は 御祭神に 五十猛命を祀り 陸上海上の守護神として 島民から篤く信仰されています 佐渡国の一之宮と格式高い神社です ただし 1470年に大洪水があり 社地や由緒や縁起など古文書等が悉く流失したため 現在地に遷座したと伝わり その為 創立年月 その他詳かではありません - [七本木神社(児玉郡上里町七本木)〈延喜式内社論社〉](https://shrineheritager.com/shichihongi-shrine/) - 七本木神社(しきほんぎじんじゃ)は 七本木村の鎮守 八幡神社(金井家〈新田義重の後裔〉邸内社)に 明治42年(1909)村社(7社)と境内社を合祀して 社名改称がなされ 合祀中の一社゛榛名大神社゛は 延喜式内社 武蔵國 賀美郡の三座゛今城青八坂稲實神社゛゛今木青坂稲實荒御魂神社゛゛今城青坂稲實池上神社゛の論社とされます - [宗形神社〈尾張大國霊神社 別宮〉(稲沢市国府宮)](https://shrineheritager.com/munakata-shrine-3/) - 宗形神社は 「尾張大國霊神社(Owari okunitama Shrine)」を本宮として その別宮であるとされます 別宮はもう一つ「大御霊神社」があります この3神社は「国府宮三社」とも呼ばれていて いずれも格式ある『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)の所載社とされています - [浅間神社(笛吹市一宮町一ノ宮)〈甲斐國一之宮・延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/asama-shrine/) - 浅間神社(あさまじんじゃ)は 社伝には 第11代 垂仁天皇8年(約2000年前)山宮神社の地に3柱の神を祀り創始されます その後〈富士山〉貞観大噴火時〈貞観7年(865)〉鎮火神として木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)1柱を現在地に遷座し創建されたと云う 国府も近く 甲斐國一之宮とされる延喜式内社 名神大社です - [山宮神社(笛吹市一宮町一ノ宮)〈浅間神社の〈本宮〉旧鎮座地〉](https://shrineheritager.com/yamamiya-shrine/) - 山宮神社(やまみやじんじゃ)は 浅間神社の゛創祀の地 本宮゛とされます 垂仁天皇の御代〈二千年以上前〉この地〈神山の麓〉に三柱の神を勧請〈現在は二柱・大山祇神・天孫瓊々杵命を祀る〉残る一柱 木花開耶姫命は〈貞観七年(865)遷座〉現在は 里宮〈現 浅間神社〉に祀られ 毎年3月に厳かに山宮神社へ神幸が行なわれています - [八幡社(三木市志染町安福田)&〈境内社〉御坂社](https://shrineheritager.com/misaka-sha-3/) - 八幡社(はちまんしゃ)は 戦国期の三木合戦で羽柴秀吉が戦勝祈願の為に安福田の八幡社に出向き 帰りに麓の庄屋で休息を取ったと云い 〈境内社〉御坂社(みさかしゃ)は『播磨国風土記』「志深里(しじみのさと)三坂社の神」の伝承地にある 延喜式内社 播磨國 美嚢郡 御坂神社(みさかの かみのやしろ)の論社とされます - [御酒神社(三木市別所町石野)〈神功皇后が三甕の酒を捧げた 延喜式内社の論社〉](https://shrineheritager.com/misaka-shrine-3/) - 御酒神社(みさかじんじゃ)は ゛神功皇后が三韓征伐より凱旋され この地へ御幸 天神地祇を親祭せられ 御酒神社に大己貴神坐すとお聞きになり 三甕の酒を捧げた゛と云う 第36代 孝徳天皇 白雉五年(654)創祀と伝わり 元亀元年(1570)大物主神・天太玉命・天鈿女命を勧請 延喜式内社 播磨國 美嚢郡 御坂神社の論社です - [御酒神社(三木市細川町垂穂)〈延喜式内社の論社〉](https://shrineheritager.com/misaka-shrine-4/) - 御酒神社(みさかじんじゃ)は 口伝に゛大己貴命が天降りし時 西南麓を流れる小川の辺りを霊地とし鎭座されたのを起源゛と云う 往古は岩宮と称し 磐座を拝し奉り社殿は無く 天應元年(781)社殿建立 天平2年(730)社殿再建の時 神告により氏子の酒造家等は祈願を籠めて美酒を釀造したので 御酒神社と改稱したと伝わる - [御坂神社(三木市志染町御坂)〈播磨国風土記 三坂社の神・延喜式内社 御坂神社〉](https://shrineheritager.com/misaka-sha/) - 御坂社(みさかしゃ)は 『播磨国風土記』「この土地の水流(みなが)は 甚だ美しい」と 履中天皇が許曽社で勅した故に美囊(みなぎ)となり 阿波国の和那散で食した信深貝(しじみがい)を見た故に 志深(しじみ)里となり 三坂社の神が坐すと記される 延喜式内社 播磨國 美嚢郡 御坂神社(みさかの かみのやしろ)の有力な論社です - [三坂神社(三木市細川町豊地〈旧大柿村〉)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/misaka-shrine-2/) - 三坂神社(みさかじんじゃ)は 浸水の為 長享元年(1487)現在地に遷座 天保元年(1830)炎上 嘉永3年(1850)再築と伝わります 古老の口碑傳説などによれば 天之御中主尊 三坂神社として大柿 (豊地)に鎮座まします 延喜式内社 播磨國 美嚢郡 御坂神社(みさかの かみのやしろ)とされます - [三坂神社(三木市加佐)〈神功皇后由来の伝承を持つ延喜式内社の論社〉](https://shrineheritager.com/misaka-shrine/) - 三坂神社(みさかじんじゃ)は 口碑に゛神功皇后が三韓征伐の帰途 当地に立ち寄られ 俄雨で衣を湿らせた この時 竹の皮の大きな笠を奉る者に「笠(かさ)人」と勅命し この「笠人」が皇后はじめ諸神を祀り創建した゛と鎮座地「加佐(かさ)」の由来も伝えます 延喜式内社 播磨國 美嚢郡 御坂神社(みさかの かみのやしろ)の論社です - [美坂社(三木市別所町東這田)〈延喜式内社の論社〉](https://shrineheritager.com/misaka-sha-2/) - 美坂社(みさかしゃ)は 神号゛美坂゛は 神功皇后から賜ると云う 鎮座地の這田は 元々は 神社に新米を供える田があり「祝田郷」と云ったが「祝田(ほうだ)」に改められ 田圃の世話は這うことから 現在の「這田(ほうだ)」に改められたと云う 延喜式内社 播磨國 美嚢郡 御坂神社(みさかの かみのやしろ)の論社です - [播州糀屋稲荷神社(多可郡多可町中区糀屋)〈創建は推古2年(594)〉](https://shrineheritager.com/inari-shrine-2/) - 糀屋稲荷神社(こうじやいなりじんじゃ)は 創建は推古2年(594)に字「土井の後」に鎮座 天平時代 称徳天皇の崇敬厚く 慶雲3年(706)社殿の建立となり勅使を使わせられ 神託により天安元年(857)現在地に移ったと伝えられます 延喜式内社 播磨國 多可郡 天目一神社(あまめのひとつの かみのやしろ)の論社です - [洲宮神社(館山市洲宮)〈延喜式内 大社・安房國一之宮の論社〉](https://shrineheritager.com/sunomiya-shrine/) - 洲宮神社(すのみやじんじゃ)は 元々は南側の魚尾山(とおやま)山上に鎮座しましたが 文永10年(1273)火災により古書などを焼失して現在地へ遷座します 明治5年(1872)教部省が式内社と認定しますが 翌6年(1873)洲崎神社を式内社であると覆し 式内社論争となります 両社とも近代社格制度では縣社に列格されました - [八雲社(三木市久留美)〈延喜式内社の論社・旧 郷社〉](https://shrineheritager.com/yakumo-no-yashiro/) - 八雲社(やくものやしろ)は 創立年月は詳らかではありませんが 今から約千五百年前 億計王(後の仁賢天皇)弘計王(後の顕宗天皇)が この地にお忍びの際 久留美皇子ヶ谷の当神社に祈られたと伝えられています 境内社の垣田大神(住吉社)は 式内社 播磨国 賀茂郡 垣田神社(かきたの かみのやしろ)の論社です - [溝谷神社(京丹後市弥栄町溝谷)〈相殿 船木奈具神社〉](https://shrineheritager.com/mizotani-shrine/) - 溝谷神社(みぞたにじんじゃ)は 社伝には 四道将軍の丹波道主命が神夢を受け 山麓の水口に新宮を建て天下泰平を祈念 この水の流れるところを溝谷と云う その子 大矢田宿禰〈神功皇后に使えた新羅の鎮守将軍〉が 帰朝の無事を素戔嗚尊の神徳に願い 帰朝後に新羅大明神として祀ったと云う 相殿には〈相殿 船木奈具神社〉を祀ります - [多久神社(京丹後市峰山町丹波小字涌田山)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/taku-shrine-3/) - 多久神社(たくじんじゃ)は 『丹後國風土記 逸文』奈具社の条に「天女よく酒を噛み造り その酒を一杯(ひとつき)飲めばすべての病が治る」「その酒を村人に分け与えると皆が吉兆の恵みとおかげを授かる」とある言い伝えに由来する神社です 社記に「いつも祭に酒を置いて縁起を祝う云々」と伝わり 後世に天酒大明神と称されています - [多久神社(出雲市多久町)&拝田神社〈多久神社に合祀〉](https://shrineheritager.com/taku-shrine/) - 多久神社(たくじんじゃ)は 神名樋山「大船山」の南麓に鎮座 大船山嶺の西に 阿遅鉏高日子根命と天御梶姫命の御子神「多伎都彦命(たきつひこのみこと)の魂」と伝える「石神」が旧鎮座地 神名の通りタキ〈水の神〉で 雨乞いをすれば必ず雨を降らすと『出雲国風土記』楯縫郡に記される「多久社」で〈合祀〉拝田神社は「山口社」の論社です - [田中神社(出雲市多久谷町)&西多久神社〈田中神社に合祀〉](https://shrineheritager.com/tanaka-shrine-3/) - 田中神社(たなかじんじゃ)は 由緒不詳ですが 古くは「宇土権現」「別所権現」と言われたと云う 〈田中神社に合祀〉西多久神社は『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載の楯縫郡 神祇官社「多久社 (たく)のやしろ」・延喜式内社 出雲國 楯縫郡 多久神社(たくのかみのやしろ)の論社とされます - [多久神社(松江市鹿島町南講武)& 一夜神社(松江市鹿島町名分)](https://shrineheritager.com/taku-shrine-2/) - 多久神社(たくじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「多久社(たく)のやしろ」とされていた宮廻 鎮座「多久上下明神」が 明治4年(1871)現社地に遷座したものです もともと現社地に鎮座していた「熊崎神社」を改めて合祀して 社名を「多久神社」としました - [村檜神社(栃木市岩舟町小野寺)〈第36代 孝徳天皇 大化二年(646)創建と伝〉](https://shrineheritager.com/murahi-shrine/) - 村檜神社(むらひじんじゃ)は 創建は 第36代 孝徳天皇 大化二年(646)熊野大神 大山咋命の二柱を祀り のち第51代 平城天皇 大同二年(807)皆川村小野口に鎮座の八幡宮を当社に合祀し主祭神と仰いだ 佐野庄小野寺十郷の総鎮守として崇敬された 延喜式内社 下野國 都賀郡 村檜神社(むらひの かみのやしろ)の論社です - [奈具神社(宮津市由良宮ノ上)〈豊宇賀賣命を祀る延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/nagu-shrine-2/) - 奈具神社(なぐじんじゃ)は 『丹後国風土記』にある天女の言葉「ここに来て わが心 奈具志久(なぐしく)なれり」とある この心が奈具(なぐ〈なごむ〉)が由来です 丹後國の式内社には 加佐郡と竹野郡の二ヶ所に゛奈具神社゛が所載されますが 当社は 延喜式内社 丹後國 加佐郡 奈具神社(なくの かみのやしろ)です - [奈具神社(京丹後市弥栄町船木小字奈具)〈播磨國風土記所載社・延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/nagu-shrine/) - 奈具神社(なぐじんじゃ)は 嘉吉三年(1443)旧鎮座地 奈具村が大洪水により流失〈遺跡地は未詳〉した時 船木奈具神社は溝谷神社の相殿に遷座しました 天保三年(1832)船木村が霊石の返還を求め 返還命令が出され 明治六年(1873)延喜式内社 丹後國 竹野郡 奈具神社(なくの かみのやしろ)として再建されたものです - [氷上姉子神社(名古屋市緑区大高町火上山)〈熱田神宮の元宮〉](https://shrineheritager.com/hikamianego-shrine/) - 氷上姉子神社(ひかみあねごじんしゃ)は 『寛平熱田縁起』によれば 日本武尊を 建稲種(たけいなだね)命が火上(ほかみ)(現大高町)にお迎えした時 妹の宮簀媛を妃とされ 東征の帰途にも立寄られ 草薙劔を留められたと云う 仲哀天皇四年 館跡に社殿を設けて媛を祀ったのが起源で 持統天皇四年(690)に現在地に移ったと云う - [日和佐八幡神社(海部郡美波町日和佐浦)〈延喜式内社 和耶神社〉](https://shrineheritager.com/hiwasahachiman-shrine/) - 日和佐八幡神社(ひわさはちまんじんじゃ)は 社伝には 創建は観応2年(1351)と伝わります 『海部郡誌』には 延喜式内社 阿波國 那賀郡 和耶神社(わやの かみのやしろ)の論社とします 鎮座地の大浜海岸は うみがめ産卵上陸地〈国指定文化財・天然記念物〉です 又 秋まつりの太鼓屋台「ちょうさ」も有名です - [羽浦神社(阿南市羽ノ浦町中庄千田池)〈二つの式内社・和耶神社・和奈佐意富曽神社〉](https://shrineheritager.com/haura-shrine/) - 羽浦神社(はうらじんじゃ)は 明治四十三年(1890)阿波國 那賀郡の延喜式内社の二つの論社〈・和耶神社(わやの かみのやしろ)・和奈佐意富曽神社(わなさおふその かみのやしろ)〉を含んだ 旧中庄村 旧宮倉村に祀られていた23社の神社が合祀されました この時 村社 八幡神社から羽浦神社と改称し 式内論社となりました - [蛭子神社(那賀郡那賀町和食字町)〈延喜式内社論社〉](https://shrineheritager.com/hiruko-shrine/) - 蛭子神社(ひるこじんじゃ)は 御創立は古く不詳であるが 太龍寺縁起によれば「天長二年空海奉遷宮」とあり また延喜式神名帳に所載の阿波國 那賀郡 和奈佐意富曽神社(わなさ おふその かみのやしろ)は当社であるという伝承があります 鎮座地名は゛和食(わじき)゛古くは゛鷲敷社(わじきのやしろ)゛と呼ばれたと伝わります - [丹生神社(本宮)〈中社の旧跡〉(吉野郡東吉野村小)](https://shrineheritager.com/niu-shrine/) - 丹生神社(にうじんじゃ)は 丹生川上神社〈中社〉の旧跡とされ゛本宮゛と呼ばれています 現在は〈中社〉の摂社となっています 祭られた初めは何時代か分からぬ位古く 日本最古の水神とされる 水神総本社です 恐らく神武天皇の頃には この辺りに神籬(ヒモロギ)式の神として祭られていたとされ 天武天皇の時に社を建てたと伝わります - [丹生川上神社 中社(吉野郡東吉野村大字小)〈延喜式内社 名神大社〉](https://shrineheritager.com/niukawakami-shrine/) - 丹生川上神社〈中社〉(にゅうかわかみじんじゃ)は 白鳳4年(675)に創祀され 雨師明神・水神宗社として 雨乞いには黒馬を 雨止めには白馬又は赤馬が献上された 延喜式内社 大和國 吉野郡 丹生川上神社(貞・名神大 月次 新嘗)(にふの かはすみの かみのやしろ)で 下社・上社・中社の三つの論社の内 中社(なかしゃ)です - [和奈佐意冨曽神社(海部郡海陽町大里松原)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/wanasaouso-shrine/) - 和奈佐意冨曽神社(わなさおうそじんじゃ)は 旧鎮座地の鞆浦の大宮山から 慶長九年(1605)大里松原の地〈本宮〉大里八幡神社(海部郡海陽町大里松原)に遷座し 延喜式内社 阿波國 那賀郡 和奈佐意富曽神社(わなさ おふその かみのやしろ)の神名を伝えるため 明治時代に里人によって 八幡神社から中宮として遷座したものです - [大里八幡神社(海部郡海陽町大里松原)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/oosato-hachiman-shrine/) - 大里八幡神社(おおさとはちまんじんじゃ)は 日本の「白砂青松百選」に選ばれた全長4kmにも及ぶ大里松原海岸に鎮座します 延喜式内社 阿波國 那賀郡 和奈佐意富曽神社(わなさ おふその かみのやしろ)で 旧鎮座地は 鞆浦の大宮山で 慶長九年(1604)大里松原海岸に遷座し 明治時代まで鎮座したと伝わります - [雨降神社(徳島市不動西町)〈延喜式神名帳所載 論社〉](https://shrineheritager.com/amatarashi-shrine/) - 雨降神社(あまたらしじんじゃ)は 創建年代は不祥です 『延喜式神名帳(927 AD.)』に所載の 二つの式内社〈①天石門別豊玉比賣神社(あめのいはとわけ とよたまひめの かみのやしろ)②和多都美豊玉比賣神社(わたつみとよたまひめの かみのやしろ)〉の論社です 近世では゛雨降大明神゛と称し 雨乞の霊験が伝わります - [久我神社(京都市伏見区久我森の宮町)〈゛興我萬代繼神゛六国史『三代実録』〉](https://shrineheritager.com/koga-shrine/) - 久我神社(こがじんじゃ)は 創建について 神社の旧記には゛桓武天皇が山背長岡に遷都された延暦3年頃(784)王城の艮角の守護神として御鎮座゛とあり 一説には往古 山背久我国造として 北山城一帯に蟠踞した久我氏の祖神 興我(こが)萬代繼神を祀ったとされる 延喜式内社 山城國 乙訓郡 久何神社(くかの かみのやしろ)です - [志賀海神社(福岡市東区志賀島)〈延喜式内社 名神大社〉](https://shrineheritager.com/shikaumi-shrine/) - 志賀海神社(しかうみじんじゃ)は 志賀島に鎮座し゛龍の都゛゛海神の総本社゛と称えられる 延喜式内社 筑前國 糟屋郡 志加海神社 三座(並名神大)(しかのうみの かみのやしろ みくら)です 祭祀は 神裔 阿曇族によって 御祭神〈伊邪那岐大神が禊祓をされて 住吉三神と共に御出現された〉 海の守護神 綿津見三神を奉斎します - [舩林神社・貴船神社(雲南市加茂町南加茂)〈船林社『出雲國風土記』不在神祇官社〉](https://shrineheritager.com/funabayashi-shrine・kifune-shrine/) - 舩林神社・貴船神社(ふなばやしじんじゃ・きふねじんじゃ)は 拝殿の扁額には「貴舩神社」と記されています 『出雲神社巡拝記(1833)』には゛南加茂村 貴船大明神は風土記に云 船岡山の麓にあり゛とし 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「船林社(ふなはやし)のやしろ」の論社としています - [船林神社(雲南市大東町北村)〈船林社『出雲國風土記733 AD.』不在神祇官社〉](https://shrineheritager.com/funabayashi-jinja/) - 船林神社(ふなばやしじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「船林社(ふなはやし)のやしろ」の論社で 『出雲国風土記』には 鎮座する「船岡山」について 「阿波枳閉委奈佐比古命(あわ きへ わなさひこのみこと)が 曳いてきて据えた船が 山になったので「船岡」という」伝承が記されます - [氷鉋諏訪神社(長野市稲里町大字下氷鉋字入村)](https://shrineheritager.com/higano-suwa-shrine/) - 氷鉋諏訪神社(ひがのすわじんしゃ)は 下氷鉋に鎮座する諏訪神社です 鎮座地の氷鉋村は かつて一つでしたが 上中下の三村に分れ各々氏神を祀ったとあり 上中の両村は 共に諏方社と称し 下氷鉋村は 氷銫斗賣神社or諏方社と称したとあり 式内社 氷鉋斗賣神社〈氷銫斗賣神社〉(ひかなとめの かみのやしろ)に関係があるのでしょう - [氣比神宮 土公〈氣比大神降臨の地〉(敦賀市曙町)](https://shrineheritager.com/doko/) - 氣比神宮 土公(どこう)は 氣比之大神 降臨の地とされます 御祭神 氣比之大神は 伊奢沙別命(いざさわけのみこと)とも 笥飯大神(けひのおほかみ)御食津大神(みけつおほかみ)とも称し 2千有余年 天筒の嶺に霊跡を垂れ 境内の聖地(現在の土公)に降臨したと伝わり 神籬磐境(ひもろぎいわさか)の形態を今に留めています - [穗髙神社 奥宮(松本市安曇上高地)〈上高地の聖地 明神池のほとりに鎮座〉](https://shrineheritager.com/hotaka-shrine-okunomiya/) - 穗高神社 奥宮(ほたかじんじゃ おくのみや)は 上高地 明神池のほとりに祀られています 上高地明神付近は古くから〈神合地 神垣内 神河内〉(上高地)とも呼ばれ 神々を祀るにふさわしい神聖な場所とされてきました 嶺宮は 安曇族の神・穂高大明神が降臨されたと云う 穂高連峰の最高点・奥穂高岳の頂上に祀られています - [玉依比賣命神社(長野市松代町東条字内田)〈阿曇氏が祀った延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/tamayorihime-no-mikoto-shrine/) - 玉依比賣命神社(たまよりひめのみことじんじゃ)は 勧請は 上世で年曆悠遠 その時代を詳かには出来ないが 社記及び地方古記録 村老等の旧聞によれば゛崇神天皇の御宇 科野國造の祖、武五百建命の創祭せし所なりと云ふ゛太古に阿曇氏が祀った 延喜式内社 信濃國 埴科郡 玉依比賣命神社(たまよりひめのみこと かみのやしろ)です - [上知我麻神社(名古屋市熱田区神宮)〈昭和24年(1949)熱田神宮の境内に遷座〉](https://shrineheritager.com/kami-chikama-shrine/) - 上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)は もとは「源太夫社」と称し ここから200メートル程南に鎮座していましたが区画整理によって 昭和24年(1949)熱田神宮境内に遷座しました 祭神は尾張國造 乎止與命(おとよのみこと)を祀る 延喜式内社 東海道 尾張國 愛智郡 上知我麻神社(かむつ ちかまの かみのやしろ)とされます - [下知我麻神社(名古屋市熱田区神宮)〈延喜式内社・熱田神宮境内摂社〉](https://shrineheritager.com/shimo-chikama-shrine/) - 下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)は 祭神 眞敷刀俾尊(ましきとべのみこと)は 宮簀媛命(みやずひめのみこと)の母神にあたり 俗に「紀太夫社」(きだゆうしゃ)と称され 鎮座地も古くから この地であったと伝わります 延喜式内社 東海道 尾張國 愛智郡 下知我麻神社(しもつちかまの かみのやしろ)とされます - [多度大社(桑名市多度町多度)〈本宮 多度神社・別宮 一目連神社〉](https://shrineheritager.com/tado-shrine/) - 多度大社(たどたいしゃ)は 古代 社殿背後の多度山を神体山とし 数多の磐座・御神石があり 創祀は神代に遡ると推測されています 社伝では 雄略天皇の御代〈五世紀〉の創建と伝えます 『六国史』には 神階の奉授・官社列したことが記され 『延喜式』には 伊勢國 桑名郡 多度神社(名神大)(たとの かみのやしろ)と所載があります - [月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉](https://shrineheritager.com/tsukiyominomiya/) - 月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮は 各々が皇大神宮(内宮)の別宮で 明治6年(1873)現在の四つ宮並列した形で鎮座しました 『皇太神宮儀式帳(804年)』には「月讀宮一院 正殿四区」と一宮に四殿と記し 『延喜式〈927年〉』には「伊佐奈岐宮・伊佐奈彌社が瑞垣を巡らしたー院」「「月讀宮・月讀尊荒御魂社で一院」と二宮であったと記されています - [津秦天満宮(和歌山市津秦)〈合祀 延喜式内社 麻爲比賣神社〉](https://shrineheritager.com/tsuhata-tenmangu/) - 津秦天満宮(つはたてんまんぐう)は 筑紫安楽寺天満宮〈太宰府天満宮〉より菅原道眞公の画を勧請とも 当地の農民が北野天満宮(京都)に参詣時の霊夢により社殿を建てたとも云う 又 式内社 麻爲比賣神社(まゐひめの かみのやしろ)は 享保年中(1716~1736年)津秦村に石碑を建て再興され大正7年(1918)に合祀されました - [竹田神社(東近江市鋳物師町竹田)〈製鉄の神 天目一箇命を祭神とする延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/takeda-shrine/) - 竹田神社(たけだじんじゃ)は 製鉄の神 天目一箇命を祭神とし 鎮座地は゛鋳物師(いもじ)゛と呼ばれ 古代からの鋳造を行う工人たちの住地だと云う 社伝に 第10代 崇神天皇の御代 明神森の地に創祀 延暦6年(787)坂上田村麿が社殿を再造し 『延喜式』の 近江國 蒲生郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)であると云う - [日撫神社(米原市顔戸)〈神功皇后ゆかりの延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/hinade-shrine/) - 日撫神社(ひなでじんじゃ)は 神功皇后(じんぐうこうごう)が祖先が代々住むこの地を深く慕われ 三韓より凱陣の後 此の地に祠を建て 少昆古名命と御父 息長宿弥王を祀られたのが創祀と伝わり 『延喜式神名帳927 AD.』所載の近江国 坂田郡 日撫神社(ひなでの かみのやしろ)とされます - [菅田神社(近江八幡市中小森町)〈菅田首が 祖神〈天目一命〉を祀る 延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/sugeta-shrine/) - 菅田神社(すげたじんじゃ)は 御祭神は 天津日子根命の御子で 鍛冶屋の祖とも伝えられている天目一命(あめのまひとつのみこと)です 古代には この子孫である蒲生稲置や菅田首が 祖神〈天目一命〉を祀り 蒲生平野一帯を治めていたとされます 延喜式内社 近江國 蒲生郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)の論社です - [沙沙貴神社(近江八幡市安土町常楽寺)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/sasaki-shrine/) - 沙沙貴神社(ささきじんじゃ)は 遠く神代に少彦名神を祀り 古代に沙沙貴山君(ササキヤマノキミ)が大彦命を祀り 景行天皇が 志賀高穴穂宮の遷都の時 大規模な社殿を造営と伝わり やがて 宇多天皇と皇子の敦實親王が 宇多源氏の祖 佐々木大明神として祀られ それ以降 佐々木源氏の氏神とされて子々孫々が篤く崇敬しています - [菅田神社(大和郡山市八條町)〈製鉄の神 天目一命を祀る 延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/sugata-shrine-2/) - 菅田神社(すがたじんじゃ)は 古代 製鉄・鍛冶を営んだ菅田首(すがたのおびと)が 『新撰姓氏録〈弘仁6年(815)〉』に載る祖神「菅田首 天久斯麻比止都命之後也」を祀ったとされます この祖神゛天久斯麻比止都命(あめのくしまひとつのみこと)゛は 鍛冶の神゛天目一箇神(あめのまひとつのかみ)゛と同神とされます - [矢田坐久志玉比古神社(大和郡山市矢田町)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/yataniimasu-kushitamahiko-shrine/) - 矢田坐久志玉比古神社(やたにいます くしたまひこ じんじゃ)は 延喜式内社です『先代舊事本紀』故事由来には 物部氏の祖神 櫛玉饒速日命が 天神御祖の詔により天孫降臨をされた時 天磐舩(あまのいわふね)に乗り 射放たれた三本の天乃羽羽矢(あめのははや)が この地〈矢田〉に落ちたので゛矢落社(やおちしゃ)゛と称されます - [漢國神社(奈良市漢國町)〈延喜式内社名神大社〉](https://shrineheritager.com/kangou-shrine/) - 漢国神社(かんごうじんじゃ)は 推古天皇 元年(593)大神君白堤が勅を賜ひ 園神〈大物主命〉を祀り その後 元正天皇の養老元年(717)藤原不比等公が 更に 韓神の二座〈大己貴命・少彦名命〉を相殿として祀りました 清和天皇 貞観元年(859)平安城宮内省へと 園神韓神は勧請されたと社伝にあります - [猿投神社(豊田市猿投町大城)〈国史見在社・延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/sanage-shrine/) - 猿投神社(さなげじんじゃ)は 主祭神 大碓命〈第12代 景行天皇の第一皇子 日本武尊と双生児〉を祀り 社伝によれば 第14代 仲哀天皇元年(192)勅願により現在地に鎮座と伝わる 『六国史』にも神階の奉授が記さる国史見在社 『延喜式』には 式内社 参河國 賀茂郡 狭投神社(さなげの かみのやしろ)と所載されます - [廣澤神社〈広沢天神〉(豊田市猿投町小黒見)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/hirosawa-shrine/) - 広沢神社(ひろさわじんじゃ)は 創祀年代など不祥ですが 江戸時代までは 廣澤天神(ひろさわてんじん)と呼ばれたと云う 明治42年(1909)猿投神社境内に合祀されたが その後再びもとの廣澤の地に復祀 猿投神社の末社として現在に至っています 延喜式内社 参河國 賀茂郡 廣澤神社(ひろさはの かみのやしろ)の論社です - [参河國(みかわのくに)の 式内社 26座(並小)について](https://shrineheritager.com/mikawanokuni/) - 参河国(みかわのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 参河国には 26座(並小)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [『出雲國風土記』意宇郡【不在神祇官社】19社](https://shrineheritager.com/ou-no-kori-fuzai-jingikan-no-yashiro/) - 意宇郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】は 19社が所載されています このページには写本の順番で並んでいます - [手間天神社(松江市竹矢町)〈少彦名神の神廟〉](https://shrineheritager.com/tematenjinsha/) - 手間天神社(てまてんじんしゃ)は 少彦名神の神廟と伝えられます 社名の手間天神とは 記紀神話にある「神産巣日神の手の指の間から落ちた天神」の名を冠します 733 AD出雲國風土記に所載の不在神祇官社「米那為社(まない)のやしろ」の論社とされています - [一宮神社(徳島市一宮町西丁)〈阿波国一之宮〉](https://shrineheritager.com/ichinomiya-shrine/) - 一宮神社(いちのみやじんじゃ)は 元々は阿波国一之宮であった上一宮大粟神社(名西郡神山町)の分祠として 平安時代後期に国府の近くであったこの地に下一宮として祀られて 阿波国一之宮とされていました しかし 室町時代以降は 細川氏の台頭とともに 大麻比古神社が阿波国一之宮となっていきます - [上一宮大粟神社(名西郡神山町神領字西上角)〈阿波国一之宮〉](https://shrineheritager.com/kami-ichinomiya-oawa-shrine/) - 上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)は 御祭神として 古事記に記載されている゛大宜都比売命(おほげつひめのみこと)゛を祀ります 粟国(阿波)を開かれた祖神で 五穀養蚕の神として 古代から農耕を守り生命の糧を恵みむ神で 式内社 天石門別八倉比売(あめのいわとわけ やくらひめの)神社(大月次新嘗)の論社です - [天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)〈阿波国一之宮〉](https://shrineheritager.com/amanoiwatowake-yakurahime-shrine/) - 天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)は 杉尾山(標高120m)の上に鎮座し 杉尾大明神と呼称されていました 明治3年(1870)に現号に改称していますが 地元では今でも「杉尾さん」と呼ばれて親しまれています 阿波一之宮とされる式内社「天石門別八倉比賣神社(大 月次 新嘗)」の論社でもあります - [事代主神社(阿波郡市場町大字伊月字宮の本)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/kotoshironushi-shrine/) - 事代主神社(ことしろぬしじんじゃ)は 『日本書紀〈養老4年(720)〉』神功皇后紀に此の神の事が記載されているので それ以前からの鎮座と伝わる古社です 鎮座地の伊月(いつき)は 事代主神を斎(いつき)祀る所から来ているとのこと 延喜式内社 阿波國 阿波郡 事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)であるとされます - [古烏神社(阿南市宝田町大字下荒井字川原)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/kogarasu-shrine/) - 古烏神社(こがらすじんじゃ)は 現在 阿南市宝田町に鎮座する正八幡神社の境外社です 927年12月編纂の『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』には 阿波国に50座が所載されますが その内の1座「建比賣神社(Takehime no kamino yashiro)」に比定されている格式高い神社です - [朝立彦神社(徳島市飯谷町小竹)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/asadachihiko-shrine/) - 朝立彦神社(あさだちひこじんじゃ)は 延喜式内社 阿波國 勝浦郡 阿佐多知比古神社(あさたちひこの かみのやしろ)です 江戸時代には 護王権現(ごおうごんげん)と称し 明治四年 朝立彦神社と改しました 境内には 年中水が涸れず 祈雨の神として霊験がある゛御甕(オカメ)゛〈現 「お亀の池」〉と云う 二尺余の岩穴があります - [蛭子神社(勝浦町沼江一楽)〈大将軍神社の境内社〉](https://shrineheritager.com/ebisu-shrine-2/) - 蛭子神社(えびすじんじゃ)は 大将軍神社(勝浦町沼江一楽)の境内に祀られています 勝浦町沼江地区には 二つの゛ゑびすさん゛を祀る神社があり 二つ共に延喜式内社 阿波國 勝浦郡 事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)の論社とされていて その内の一つになります - [美保神社(松江市美保関町美保関)〈延喜式内社・出雲國風土記 掲載社〉](https://shrineheritager.com/miho-shrine/) - 美保神社(みほじんじゃ)は 特殊な形式の本殿〈大社造の二殿が連なった美保造または比翼大社造〉には 向かって・右側の御殿〈三穂津姫命〉・左側の御殿〈事代主神〉を祀ります 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 神祇官社「美保社(みほ)のやしろ」・『延喜式神名帳927 AD.』の「美保神社(みほのかみのやしろ)」です - [生夷神社(勝浦郡勝浦町大字沼江字田中)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/ikui-shrine/) - 生夷神社(いくいじんじゃ)は 『新撰姓氏錄』゛長公(おさのきみ)は 大奈牟智神兒 積羽八重事代主命之後也゛と記載されている 長の地は 阿波国 那賀郡の地に由縁があるので その氏人〈長〉の祖神として祀られたものであろうとされています 延喜式内社 阿波國 勝浦郡 事代主神社(ことしろぬしの かみのやしろ)の論社です - [勝占神社(徳島市勝占町中山)〈延喜式内社・旧 郷社〉](https://shrineheritager.com/katsura-shrine-5/) - 勝占神社(かつらじんじゃ)は 古代この附近一帯は海で 出雲系海人の豪族が支配し その祖神 大己貴命を海に突き出た中山の東端の景勝地に祀ったのが発祥とされます 播磨風土記 宍禾郡 御方里の條 葦原志許乎命の黒葛(くろかつら)の伝承にも関連があるとも云う 延喜式内社 阿波國 勝浦郡 勝占神社(かつらの かみのやしろ)です - [野神社〈大麻比古神社 末社〉(鳴門市大麻町)](https://shrineheritager.com/no-shrine/) - 野神社(のじんじゃ)は 式内社 鹿江比賣(かえひめの)神社の論社 祭神は 鹿江比賣命(カエヒメノミコト)で・『古事記』鹿屋野比賣神・『日本書紀』草祖 草野姫(かやのひめ)との音が近く 同神とは府会と伝わり 安房(南房総)忌部系図では 大麻比古命の御子・由布津主命の妹神・千鹿江比賣命(チカエヒメノミコト)であるとします - [加都良神社(多可郡多可町中区天田)〈延喜式内社の参考論社〉](https://shrineheritager.com/katsura-shrine-3/) - 加都良神社(かつらじんじゃ)は 創建年代は明らかではなく 隣接する高寺山量光寺は 推古天皇(593〜628)の御願所として創建されたと伝えます 又 一説に天保4年(1833)間子の加都良神社の祭礼の席次順のことより 不和を生じて 氏子が分離し 霊代を隣接する高寺山量光寺 本堂に鎮座し 仮殿上棟と遷座が行われたとも伝わります - [加都良神社(多可郡多可町中区岸上)〈御遷幸の祭事を執行した御旅所〉](https://shrineheritager.com/katsura-shrine-2/) - 加都良神社(かつらじんじゃ)は 加都良神社(多可町中区間子)が創建の時 大和国の袖振山から「勝手神社」(奈良県吉野町吉野山)の神を勧請したと伝わり ゛その時 御駐泊ありし所なり゛とし 往古 祭日には 加都良神社(多可町中区間子)から この所まで神幸があり 御旅所として年々御遷幸の祭事を執行していた所と伝わります - [加都良神社(多可郡多可町中区間子)〈延喜式内社 論社〉](https://shrineheritager.com/katsura-shrine/) - 加都良神社(かつらじんじゃ)は 創建は聖武天皇 天平元年(729)大和国の袖振山から「勝手神社」(奈良県吉野町吉野山)の神を勧請したと伝わり 江戸時代には「勝手大明神」と呼ばれました 延喜式内社 播磨國 多可郡 加都良乃命神社(かつらのみことの かみのやしろ)は 所在不明でしたが 明治以降 式内論社となっています - [讃岐国 式内社 24座(大3座・小21座)について](https://shrineheritager.com/sanukinokuni/) - 讃岐国(さぬきのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 讃岐国 24座(大3座・小21座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [大歳金刀比羅神社(多可郡多可町中区鍛冶屋)〈境内摂社 天目一箇神社〉](https://shrineheritager.com/ohotoshi-konpira-shrine/) - 大歳金刀比羅神社(おおとしこんぴらじんじゃ)は 往古は 鍛冶の神 天目一命(あまのまひとつのかみ)を奉祀したと推測され 現在も本殿相殿・境内摂社に天目一箇神(あめのまひとつのかみ)が祀られています 明治44年(1911)在来の大歳神社に〈摂社〉金刀比羅神社〈寛政6年(1794)讃岐琴平宮より勧請〉を合祀し 現社号に改称 - [八坂神社(小野市中番町)〈゛天目一箇神゛を祖神とする菅田族の祭祀した神社〉](https://shrineheritager.com/yasaka-shrine/) - 八坂神社(小野市中番町)は 当地方に゛天目一箇神゛を祖神とする菅田族〈砂鉄を採集して武器 農具を作成〉が祀った延喜式内社 播磨國 賀茂郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)とされ やがて農業に転換した里人は 農地に適した現在地〈その後 住吉大社神領となる〉に移住 神社も保安年間(1120~1123年)住吉三神を合祀し移転したと云う - [山王神社(加東市厚利)〈延喜式内社 菅田神社の論社〉](https://shrineheritager.com/sanno-shrine-2/) - 山王神社(さんのうじんじゃ)は 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)の論社である・菅田神社(小野市菅田町)・住吉神社(小野市中番町)は 東條川を挟んで その南北の岸に祀られています 同じく論社とされる当社は そこから東條川を上流に向かって4km程遡った辺りの北岸に鎮座しています - [住吉神社(小野市中番町)〈延喜式内社 菅田神社(すかたの かみのやしろ)〉](https://shrineheritager.com/sumiyoshi-shrine-13/) - 住吉神社(すみよしじんじゃ)は 「菅田首(すがたのおびと)」が祀ったとされる 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)が分祀し 保安年間(1120~1123)今の地へ遷座したものとされます その後 加古川流域には住吉信仰が広まり 住吉大社の神領として 住吉三神を配祀し 住吉神社と改称されています - [菅田神社(小野市菅田町)〈鍛冶の神〈天目一箇神の別名〉天久斯麻比止都命を祀る〉](https://shrineheritager.com/sugata-shrine/) - 菅田神社(すがたじんじゃ)は 鍛冶の神〈天目一箇神の別名〉天久斯麻比止都命(あめのくしまひとつのみこと)の後裔とされる「菅田(すがたの)首(おびと)」が祀った神社と云われ 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 菅田神社(すかたの かみのやしろ)とされます その後 加古川流域には住吉信仰が広まり当社にも住吉神が祀られていきました - [荒田神社(多可町加美区的場)〈播磨國二之宮〉](https://shrineheritager.com/arata-shrine-2/) - 荒田神社(あらたじんじゃ)は 社伝に゛孝謙天皇 天平勝寶元年(749)゛少彦名命゛が降臨し創建と云う 一方『播磨国風土記』〈霊亀元年(715)頃〉には゛天目一命゛と゛道主比賣命゛の伝承が語られ 延喜式内社 播磨國 多可郡 荒田神社(あらたの かみのやしろ)とも 天目一神社(あまめのひとつの かみのやしろ)とも云います - [青玉神社(多可郡多可町加美区鳥羽)〈祭神の天戸間見命は 鍛冶の神 天目一箇命〉](https://shrineheritager.com/aotama-shrine/) - 青玉神社(あおたまじんじゃ)は 伝承では 祭神の天戸間見命は 鍛冶の神 天目一箇命で 初め三国岳の山頂に祀られていた ある時 鳥羽(とりま)の村人が三国山に狩りに行くと 急に背中が重くなり不思議に思いながら下山した 村はずれで急に背中が軽くなり「背中に乗った神様が降りられた」として社を建てたのが現在の社地と云う - [天一神社(佐用郡佐用町東徳久)〈播磨國風土記・六国史・延喜式に所載の社〉](https://shrineheritager.com/tenichi-shrine/) - 天一神社(てんいちじんじゃ)は 社伝には゛今より約二千年前(彌生時代)に創立 日本でも最古の神社で寶剣(銅剣)が御神體なるは天智記に「安置御宅」゛と記され 『六国史』天安元年(857)天一神に從五位下が奉授 その7日後に官社に列すと記され 『延喜式』播磨國 佐用郡 天一神玉神社(あめひとつかんだまの かみのやしろ)です - [天目一神社・平野神社(西脇市大木町)〈天目一箇命を祀る古社〉](https://shrineheritager.com/天目一神社・平野神社(西脇市大木町)〈天目一/) - 天目一神社(あめのまひとつじんじゃ/てんもくいちじんじゃ)は 天正八年(1580)兵火にあい記録類を失い 江戸時代には社地も不明でした 明治維新の後 当時 惣堂天王社のあったこの地を式内社 天目一神社(あまめのひとつの かみのやしろ)の跡地と定め 鎮守である平野神社も合祀され 大正12年(1923)復興されたものです - [式内 天目一神社(多可郡多可町中区間子)〈加都良神社の境内摂社〉](https://shrineheritager.com/amamenohitotsu-shrine/) - 式内 天目一神社(多可郡多可町中区間子)は 式内社 加都良神社の境内摂社として祀られています 天目一命は 多可町内では他に 青玉神社(山寄上やまよりかみ) ・青玉神社(鳥羽とりま)・西宮神社(清水きよみず)で主祭神として 大歳金比羅神社(鍛冶屋かじや)・加都良神社(間子まこ)では 摂社として祀られています - [鹿島神社(松山市北条辻)〈神功皇后創建の古社 瀬戸内海の海防の要衝 鹿島〉](https://shrineheritager.com/kashima-shrine-9/) - 鹿島神社(かしまじんじゃ)は 瀬戸内海の海防の要衝 北条の鹿島に鎮座します その創建は 神功皇后が三韓征討の途次 風早の浦鹿島に投錨し 武甕槌神 経津主神を勧請奉斎し 戦勝と道中の安全を祈願し出陣したと伝承があり その折 里人が神功皇后に 米の上に真鯛をのせて炊いたもの〈北条鯛めし〉を献上したとされます - [岡田鴨神社(木津川市加茂町北鴨村)〈賀茂氏族の祖神 建角身命を祀る神社〉](https://shrineheritager.com/okadakamo-shrine/) - 岡田鴨神社(おかだかもじんじゃ)は 崇神天皇の御代に賀茂氏族の発展を祈り祖神 建角身命を 洛北の賀茂御祖神社より 岡田賀茂の地に勧請し創建した 延喜式内社 山城國 相楽郡 岡田鴨神社(大月次新嘗)(をかたかもの かみのやしろ)です その後 木津川の水害により 元明天皇の岡田離宮跡に創建された天満宮の境内に遷座しました - [櫛玉比賣命神社(松山市高田甲)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/kushitama-no-hime-no-mikoto-shrine/) - 櫛玉比賣命神社(くしたまのひめのみことじんじゃ)は 応神天皇の御代に勅令を奉じ 物部阿佐理命が風早の国造となり 天道姫命及び御炊屋姫命を奉齋したとされる 延喜式内社 伊豫國 風早郡 櫛玉比賣命神社(くしたまひめのみことの かみのやしろ)です 同じ境内には 夫婦神とされる式内社 國津比古命神社が鎮座します - [國津比古命神社(松山市八反地)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/kunitsuhiko-no-mikoto-shrine/) - 國津比古命神社(くにつひこのみことじんじゃ)は 応神天皇の御代に物部阿佐利命が 風早の国造に任じられ 饒速日命 宇麻志摩遅命を祭祀せられたのが創建とされる 延喜式内社 伊豫國 風早郡 國津比古命神社(くにつひこのみことの かみのやしろ)です 同じ境内には 夫婦神とされる式内社 櫛玉比賣命神社が鎮座します - [大山祇神社(今治市大三島町宮浦)〈伊豫国一之宮〉](https://shrineheritager.com/oyamazumi-shrine/) - 大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)は 社号を日本総鎮守・三島大明神・大三島宮と称し 歴代朝廷の尊崇篤く 延喜式 名神大社に列し 伊予国一之宮とされ 全国津々浦々に御分社が奉斎される四国唯一の大社 創建は 神武天皇御東征の時 祭神の子孫 乎知命(おちのみこと)が 瀬戸内海 芸予海峡の要衝 御島(大三島)に鎮祭したと云う - [廣瀬大社(北葛城郡河合町川合)〈崇神天皇九年(前八九)鎮座の式内社〉](https://shrineheritager.com/hirose-shrine-3/) - 廣瀬大社(ひろせたいしゃ)は 創建は崇神天皇9年(前89)゛大和盆地を流れる全ての河川が合流する地点に祀られ治水と五穀豊穣を司る゛と由緒にあり 大和川は 鎮座地から 龍田を抜け奈良盆地を下り流れる 『日本書紀』天武天皇4年4月の条には 風神を龍田の立野〈龍田大社〉に 大忌神を広瀬の河曲〈廣瀬大社〉を祀る と記されます - [青衾神社(名古屋市熱田区白鳥)〈熱田神宮の境外摂社〉](https://shrineheritager.com/aobusuma-shrine/) - 青衾神社(あおぶすまじんじゃ)は 古来 熱田神宮の海藏門の外にあると伝えられる 延喜式内社 尾張國 愛智郡 青衾神社(あをふすま かみのやしろ)です 熱田神宮には 本宮をはじめ・別宮1社・摂社8社・末社19社が祀られ 境外には 摂社4社・末社12社が祀られており その境外摂社4社の内の一つです - [岐多志太神社(磯城郡田原本町伊与戸)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/kitashita-shrine/) - 岐多志太神社(きたしたじんじゃ)は 社名の岐多志太は キタ氏の田という意味で ゛キタ゛ 即ち 鉄を鍛える鉄工の神 とされます 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の大和国 城下郡 岐多志太神社 二座(鍬靫)(きたしたの かみのやしろ ふたざ)とされます - [八劔宮(名古屋市熱田区神宮 熱田神宮境内)〈熱田神宮 別宮〉](https://shrineheritager.com/hakkengu/) - 別宮 八劔宮(べつぐう はっけんぐう)は 熱田神宮境内の南に鎮座し 熱田神宮の本宮と同じ御祭神をお祀りし 社殿も本宮と同じ造りで 年中祭儀も同様に執り行われます 社伝には 元明天皇の和銅元年(708)寶劔を新たに鋳造し創祀されたと云う 延喜式内社 尾張國 愛智郡 八劔神社(やつるきの かみのやしろ)です - [佐用都比賣神社(佐用郡佐用町本位田甲)〈播磨國風土記・六国史・延喜式に所載の社〉](https://shrineheritager.com/sayotsuhime-shrine/) - 佐用都比賣神社(さよつひめじんじゃ)は 『播磨國風土記(713年)』讃容郡(さよのこおり)の条に 神代の神話として 神の名を贊用都比賣命(さよつひめのみこと)と名付けたとあり 『六国史』に嘉祥2年(849)官社に列し 『延喜式』に播磨國 佐用郡 佐用都比賣神社(さよつひめの かみのやしろ)とある 格式高い由緒を持ちます - [高座結御子神社(名古屋市熱田区高蔵町)〈熱田神宮摂社 式内名神大社〉](https://shrineheritager.com/takakura-musubimiko-shrine/) - 高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)は 『六国史』承和二年(835)熱田の御子神〈日割御子(ひさきのみこの)神・孫若御子(ひこわかみこの)神・高座結御子(たかくらむすひのみこの)神〉三前が並び 名神を授ったと記される 延喜式内社 尾張國 愛智郡 髙座結御子神社(名神大)(たかくらむすひみこの かみのやしろ)です - [若宮八幡社(名古屋市中区栄)〈名古屋総鎮守〉](https://shrineheritager.com/wakayama-hachiman-sha/) - 若宮八幡社(わかみやはちまんしゃ)は 鎭座年代は 文徳天皇の御代(850~858年)延喜年中に再興と云う もとは那古野庄今市場〔今の三の丸の南の地〕に有ったが 慶長十五年(1610)此處に遷坐と伝わります 一説に延喜式内社 尾張國 愛智郡 孫若御子神社(名神大)(ひこ わかみこの かみのやしろ)の本社とする説があります - [孫若御子神社(名古屋市熱田区神宮)〈熱田神宮の境内摂社〉](https://shrineheritager.com/hiko-wakamiko-shrine/) - 孫若御子神社(ひこわかみこじんじゃ)は もと鎭皇門內 御田社の西に鎮座したが 明治七年(1874)現在地に遷坐 延喜式内社 尾張國 愛智郡 孫若御子神社(名神大)(ひこ わかみこの かみのやしろ)の論社で 祭神については 遷座頃までは 稚武彦王(ワカタケヒコノキミ)〔日本武尊の第七男 母は弟橘姫命〕とされていました - [日割御子神社(名古屋市熱田区神宮)〈熱田神宮の境内摂社〉](https://shrineheritager.com/hisakimiko-shrine/) - 日割御子神社(ひさきみこじんじゃ)は 祭神は・熱田大神(天照大神)の御子神 天忍穂耳尊とも・日本武尊の御子神 武鼓王とも・日本武尊を焼津で救った火打石の霊とも諸説あり 鎮座地は 熱田神宮境内の熱田丘陵の先端に当り 太古には水際に張り出た洲崎の名残で 干崎(ひさき)と云われていた 延喜式では名神大社とされます - [天神社(名古屋市緑区鳴海町)〈成海神社の創祠の地・現 御旅所〉](https://shrineheritager.com/tenjinsha-2/) - 天神社(てんじんしゃ)は 現今「城」と呼ぶ鳴海駅北の高台で 太古は鳴海潟の波打ち際で 日本武尊がこの地にお立ちになり 対岸の火高丘陵(現 大高)の尾張氏館〈宮簀媛命〉へと渡られた地であり 是を由縁とし 天武天皇 朱鳥元年(686)尊の御東征の旗頭であった建稻種命と宮簀媛命を祀り この所に創建された〈成海神社創祠の地〉 - [成海神社(名古屋市緑区鳴海町乙子山)〈日本武尊ゆかりの延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/narumi-shrine/) - 成海神社(なるみじんじゃ)は 日本武尊が 東征からの帰還の際 鳴海潟(現 鳴海駅北)から対岸の宮簀媛命の居住する火高丘陵〈建稲種命の館〉(現 氷上姉子神社)まで船で渡ったと伝わる地に 天武天皇の朱鳥元年(686)草薙神剣が熱田に還座の時に鎮座しました 延喜式内社 尾張國 愛智郡 成海神社(なるみの かみのやしろ)です - [旧妙見宮奥之院〈巌屋神社〉(春日井市内津町)〈内々神社 当初の鎮座地〉](https://shrineheritager.com/kyu-myokengu-okunoin/) - 旧妙見宮奥之院(きゅう みょうけんぐう おくのいん)は 内々神社(うつつじんじゃ)〈延喜式内社 尾張國 春日部郡 内内神社(うちうちの かみのやしろ)〉の当初の鎮座地とされ 内々神社から山道を登り 断崖岩の絶壁の割れ目にお堂〈巌屋神社〉があり 今は鉄の階段ですが かつては梯子や鎖で登ったと云う゛奥の院゛です - [氷上姉子神社 元宮(名古屋市緑区大高町火上山)〈尾張国造 乎止與命の館跡〉](https://shrineheritager.com/hikamianego-shrine-motomiya/) - 氷上姉子神社 元宮(ひかみあねごじんしゃ もとみや)は 御祭神 宮簀媛命の父で尾張国造 乎止與命(おとよのみこと)の館跡に 元宮(もとみや)として仲哀天皇四年(195)に創建されたと云う その後 持統天皇四年(690)に現在地に遷座されたと伝わる 延喜式内社 尾張國 愛智郡 火上姉子(ほのかみあねこ)神社の元宮です - [羽豆神社(南知多町師崎明神山)〈日本武尊の東征の副将軍 尾張水軍の大将軍を祀る〉](https://shrineheritager.com/hazu-shrine/) - 羽豆神社(はずじんじゃ)は 尾張氏の祖神「建稲種命(take inatane no mikoto)」が祀られています 1900年前 強大な尾張水軍を統率し 日本武尊(yamatotakeru no mikoto)の東征を勝利に導いた将軍「幡頭(hata gashira)の神」です - [内々神社(春日井市内津町上町)〈日本武尊 東征の副将軍 建稻種命を祀る〉](https://shrineheritager.com/utsutsu-shrine/) - 内々神社(うつつじんじゃ)は 創建について 日本武尊が東征を終えて尾張國境の内津峠まで戻ると 副将軍 建稲種命(たけいなだねのみこと)の従者 久米八腹(くめのやはら)が早馬で駆けつけ 副将軍が駿河の海で水死されたと報告を受けた 尊は悲泣して「ああ現哉(うつつかな)々々」と嘆き その霊を祀られたので「うつつ」と云う - [幡頭神社(西尾市吉良町宮崎前留谷)〈延喜式内社 参河國 播豆郡 羽豆神社〉](https://shrineheritager.com/hazu-shrine-2/) - 幡頭神社(はずじんじゃ)は 日本武尊の東征の際 旗頭であり 大功を立てた建稲種命は 帰途海上で御薨去 御遺骸が この岬に着かれたのをお祀りしたのが本神社で 大宝二年(702)文武天皇が勅して 社殿を建て官社に列せられたと伝えられる 延喜式内社 参河國 播豆郡 羽豆神社(はつの かみのやしろ) です - [砥鹿神社 里宮(豊川市一宮町)〈三河国一之宮〉](https://shrineheritager.com/toga-shrine-satomiya/) - 砥鹿神社 里宮(とがじんじゃ さとみや)は 約1300年前 大宝年中(701~704年)に本宮山の奥宮より分霊し 御祭神 大己貴命をお祀りしたのが 里宮の始まりと伝わります 社殿は荘厳な檜造りです また 摂社「三河えびす社」が並び建ち こちらには 本社の御子神「智徳の神・事代主命」と「体徳の神・建御名方命」を祀ります - [末刀岩上神社(京都市左京区松ケ崎林山)〈延喜式内社 末刀神社〉](https://shrineheritager.com/iwagami-shrine/) - 末刀岩上神社 (まといわがみじんじゃ)は 江戸時代までは社殿がなく 御神体゛大岩゛を磐座(いわくら)として 古代からの自然崇拝が今に続きます 桜井水〈涸れた事のない泉〉が下鴨神社へ流れる泉川の源流とされ 江戸時代に 下鴨神社の摂社 末刀社を名乗り 式内社 山城國 愛宕郡 末刀神社(まとの かみのやしろ)の論社となります - [日光二荒山神社 本社(日光市山内)〈世界遺産「日光の社寺」〉](https://shrineheritager.com/nikko-futarasan-shrine/) - 日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は 標高2486m霊峰「男体山(二荒山)」をご神体として 古くから日光における信仰の中心となってきました 残存する最も古い記録には 767年に勝道上人が 日光山を開基したとあり 世界遺産「日光の社寺」の一群で 日光東照宮と日光山輪王寺の中間の位置に鎮座します - [瀧尾神社(日光市山内)〈弘仁11年(820)弘法大師空海が創建 日光瀧尾女躰権現〉](https://shrineheritager.com/takinoo-shrine/) - 滝尾神社(たきのおじんじゃ)は 弘仁11年(820)弘法大師空海(くうかい)が創建したと伝え 江戸時代までは 日光山を信仰する三社の1つとして 日光三社権現(にっこうさんしゃごんげん)(滝尾権現・新宮権現・本宮権現)と呼ばれていました 女峰山を御神体山と仰ぎ 田心姫命(たごりひめのみこと)を祀り「女体中宮」とたたえます - [丹生川上神社〈下社〉(吉野郡下市町長谷)〈延喜式内社 名神大社〉](https://shrineheritager.com/niukawakami-shrine-shimosha/) - 丹生川上神社〈下社〉(にうかわかみじんじゃ しもしゃ)は 天武天皇白鳳四年(六七六)「人声の聞えざる深山に宮柱を立て祭祀せば 天下のために甘雨を降らし 霖雨を止めむ」との御神誨に因り創建と伝 朝廷の尊崇篤く 天平宝字七年(七六三)幣帛の外 黒毛の馬を奉献され その後 祈雨には黒馬 祈晴には白馬を献ずることが恒例とされた - [丹生川上神社〈上社〉(吉野郡川上村大字迫)〈龍神総本宮〉](https://shrineheritager.com/niukawakami-shrine-kamisha/) - 丹生川上神社〈上社〉(にうかわかみじんじゃ かみしゃ)は 天武天皇の御代白鳳四年(六七五)「人の声も聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬き祀らば天下(あめのした)のため甘雨(うましあめ)を降らし霖雨(ながきあめ)を止めむ」の神宣により 御社殿を建立奉祀されました それ以降 祈雨・止雨の神として崇敬されました - [上御靈神社(京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町)](https://shrineheritager.com/kamigoryu-shrine/) - 上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)は 平安時代 御霊の祟りを恐れ 貞観5年(863)御霊会が修せられたのが 両御霊神社の創祀と云う 元は愛宕郡出雲郷の出雲路にある出雲氏の氏寺・上出雲寺に祀られた鎮守社 二つの式内社〈出雲井於神社(いつものゐのうへの かみのやしろ)出雲髙野神社(いつものたかののかみのやしろ)〉の論社です - [井上社〈御手洗社〉(京都市左京区下鴨泉川町)〈下鴨神社 境内社〉](https://shrineheritager.com/inoue-no-yashiro/) - 井上社(いのうえのやしろ)は 賀茂斎院の御禊や解斎 関白賀茂詣の解除に参拝された御手洗社(みたらしのやしろ)で 旧鎮座地は 高野川と鴨川の合流地東岸〈文明二年(1470)焼亡〉文禄年間(1592~96)ここに再興〈井戸の井筒の上に祀られ井上社と呼ぶ〉式内社 出雲井於神社(いつものゐのうへの かみのやしろ)の論社です - [信濃國 式内社 48座(大7座・小41座)について](https://shrineheritager.com/shinanonokuni/) - 信濃国(しなののくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 信濃国(しなののくに)には 48座(大7座・小41座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています - [三井社〈三塚社〉(京都市左京区下鴨泉川町)〈河合神社 境内社〉](https://shrineheritager.com/mitsui-sha/) - 三井社(みついしゃ)は 河合神社の神門前に鎮座します 元々は 蓼倉郷の総(祖)社として祀られていた社で 通称゛三塚社゛とも呼ばれます 『山城國風土記逸文』「鴨社」の条にある「蓼倉里三身社」であるとも 別の社とも両説がありますが 延喜式内社 山城國 愛宕郡 三井神社(名神大 月次 新嘗)(みゐの かみのやしろ)の論社です - [笠原神社(中野市大字笠原字下河原)〈延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/kasahara-shrine/) - 笠原神社(かさはらじんじゃ)は 延喜式内社です 元々は現在地より東北300mほどの字天神前に鎮座しましたが 寛文11年(1671)湯交川〈夜間瀬川〉の大洪水により社殿を流失 その後 祭祀を委ねた若宮八幡宮が笠原神社の額を掲げたが 江戸寺社奉行の決裁で笠原村の勝訴となり 文化12年(1815)現在地に再建 - [氷鉋神社(長野市稲里町中央)〈式内社 氷鉋斗賣神社〈氷銫斗賣神社〉の分祀〉](https://shrineheritager.com/higano-shrine/) - 氷鉋神社(ひがのじんじゃ)は 中氷鉋に鎮座した諏訪社です 鎮座地の氷鉋村は かつて一つでしたが 上中下の三村に分れ各々氏神を祀ったとあり 上中の両村は 共に諏方社と称し 下氷鉋村は 氷銫斗賣神社と称したとあります 式内社 氷鉋斗賣神社〈氷銫斗賣神社〉(ひかなとめの かみのやしろ)の分祀と考えられます - [川中島斗賣神社(長野市川中島町大字上氷鉋)〈元 上氷鉋村の諏訪明神社〉](https://shrineheritager.com/kawanakajima-tome-shrine/) - 川中嶋斗賣神社(かわなかじまとめじんじゃ)は 上氷鉋に鎮座した諏訪明神社です 鎮座地の氷鉋村は かつて一つでしたが 上中下の三村に分れ各々氏神を祀ったとあり 上中の両村は 共に諏方社と称し 下氷鉋村は 氷銫斗賣神社と称したとあります 式内社 氷鉋斗賣神社〈氷銫斗賣神社〉(ひかなとめの かみのやしろ)の分祀と考えられます - [穗髙神社(安曇野市穂高)〈延喜式内社 名神大社〉](https://shrineheritager.com/hotaka-shrine/) - 穂高神社(ほたかじんじゃ)は 太古 安曇族は 海神系の宗族として遠く北九州に栄え 信濃の干拓に功をたて 安曇野の中心 穂高の里に祖神を奉斎したのが 当神社の創始とされます 延喜式内社 信濃國 安曇郡 穗髙神社(名神大)(ほたかの かみのやしろ)の本宮です 上高地には奥宮 奥穂高岳の山頂には嶺宮が鎮座しています - [川會神社(北安曇郡池田町会染)〈民話『泉 小太郎』ゆかりの里〉](https://shrineheritager.com/kawai-shrine/) - 川會神社(かはあいじんじゃ)は 海の底の神〈底津綿津見命〉を祀り 遠い昔 ここ安曇野は山に囲まれた一面の湖だったと云う真実を 時を超えて 私達に伝えています 民話『泉小太郎』は 山を破り 湖の水を抜き あらわれた湖底が やがて里を潤う田となります 人々は遠い神代から 現在まで神に感謝を捧げています - [更級斗女神社(長野市川中島町大字御厨)〈斗女郷の冨部氏の氏神として創建〉](https://shrineheritager.com/sarashinatome-shrine/) - 更級斗女神社(さらしなとめじんじゃ)は 口碑には゛建御名方命が 境内に広い行宮(社務所)を建て 隋従の八人の乙女を配し滞在鎮座の地【八名祗の内】と称した゛と伝わり 斗女郷の中心地とされます 延喜式内社 信濃國 更級郡 氷鉋斗賣神社〈氷銫斗賣神社〉(ひかなとめの かみのやしろ)の論社でもあります - [氷鉋斗賣神社(長野市稲里町大字下氷鉋)〈阿曇族の祀る延喜式内社〉](https://shrineheritager.com/higanotome-shrine/) - 氷鉋斗賣神社(ひがのとめじんしゃ)は 延喜式内社 信濃國 更級郡 氷鉋斗賣神社〈氷銫斗賣神社〉(ひかなとめの かみのやしろ)で 鎮座地の氷鉋村は かつて上中下の三村に分れ各々氏神を祀り 上中の両村は 共に諏方社と称し 下氷鉋村は 氷銫斗賣神社と称し 本宮であろうとされます 鉋の文字は 材木の表面を削る「かんな」の意です - [和多都美神社(対馬市豊玉町仁位字和宮)〈延喜式内社 和多都美神社(名神大社)〉](https://shrineheritager.com/watatsumi-shrine-2/) - 和多都美神社(わたつみじんじゃ)は 伝承によれば 山幸彦(彦火火出見尊)が 豊玉姫命を妃として留まったワタツミノ宮の古跡され 古くから竜宮伝説が残ります 社殿裏手の深い森の中に 磐座〈豊玉姫の墳墓〉があり 本殿から正面へと海へ向かって海中に鳥居が建ち 満潮時にはまるで海に浮かぶ竜宮城のような神秘的な光景が広がります - [賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)の境内・境外の摂社・末社について](https://shrineheritager.com/賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂/) - 賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)は 御祭神を祀る「本殿(ほんでん)」と常設の仮殿である「権殿(ごんでん)」が国宝に指定されています 広大な境内には 多くの摂社・末社が鎮座しています 平成六年(1994)に境内全域がユネスコ世界文化遺産に登録されています 更に 境外にも摂社・末社が多数鎮座します - [荒田神社(多可町中区 安楽田(あらた))〈式内社 荒田(あらたの)神社の論社〉](https://shrineheritager.com/arata-shrine-3/) - 荒田神社(あらたじんじゃ)は 天平神護元年(765年)創建の古社〈兵火により荒廃し 寛文年間(1661~72)現在地に社殿が復興〉鎮座地名は゛安楽田(あらた)であり ゛延喜式内社 播磨國 多可郡 荒田神社(あらたの かみのやしろ)とされ 中世以降に隆盛を極めた加美町の二宮荒田神社と式内論社の本家争いをしたと伝わります - [片山御子神社(京都市北区上賀茂本山)〈上賀茂神社の第1摂社〉](https://shrineheritager.com/katayamamiko-shrine/) - 片山御子神社(かたやまみこじんじゃ)は 上賀茂神社境内に鎮座する賀茂別雷神社の第一摂社です 六国史『文徳天皇實録』齊衡三年(856)の条に゛山城國 片山神を官社に列し相甞祭に預る゛と記され 延喜式(927年)に 山城國 愛宕郡 片山御子神社(大月次相嘗新嘗)(かたやまのみこの かみのやしろ)と所載される由緒ある古社です - [乎疑原神社(加西市繁昌町)〈播磨國 河合郷加東・加西三十五箇村の総社〉](https://shrineheritager.com/ogihara-shrine-3/) - 乎疑原神社(おぎはらじんじゃ)は 『播磨國風土記』゛揖保郡 萩原里(はりはら/をきはら のさと)゛の条に 鎮座地゛乎疑原(をきはら)゛の名付け由縁が記される古社で 加東・加西三十五箇村の総社として例祭には 国家より幣帛が供進された 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 乎疑原神社(をきはらの かみのやしろ)です - [乎疑原神社(加西市豊倉町)〈延喜式内社 乎疑原神社(をきはらの かみのやしろ)〉](https://shrineheritager.com/ogihara-shrine-2/) - 乎疑原神社(おぎはらじんじゃ)は 『國内鎭守大小明神社記』には゛荻原明神゛と載り゛萩原(をきはら)゛とも書きました 鎮座地゛乎疑原(をきはら)゛の名付け由縁は『播磨國風土記』゛揖保郡 萩原里(はりはら/をきはら のさと)゛の条に記されます 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 乎疑原神社(をきはらの かみのやしろ)の論社です - [大神宮(京都市左京区静市市原町)〈岡本郷の産土神〉](https://shrineheritager.com/daiginguu-sha/) - 大神宮社(だいじんぐうしゃ)は 鎮座地の市原はかつて「岡本郷」と呼ばれ その産土神でした 延喜式内社 山城國 愛宕郡 鴨岡本(かもをかもとの)神社について 伝承には ゛京郡府式内考證に 當社或は市原村の産神なりと云ひ 正保二年(1645)上申の書中に 山城國愛宕郡岡本郷市原村とあるを證としたる゛とあり論社となっています - [嚴島神社(京都市左京区静市市原町)〈粟穂辨財天社(あはほのべんざてんのやしろ)〉](https://shrineheritager.com/itsukushima-shrine-3/) - 厳島神社(いつくしまじんじゃ)は 口伝に「老人の霊夢に 辨財天のお告げがあり 六寸の白蛇 粟の穗(あはのほ)に坐せり これを祀り 永享二年(1430)粟穂御前の鎮座」と伝え 江戸時代゛粟穂辨財天社(あはほのべんざてんのやしろ)゛と呼び 辨天祠を岡本堂の跡と考え 式内社 鴨岡本(かもをかもとの)神社の論社となっています - [幸神社(京都市北区上賀茂岡本町)〈式内社 鴨岡太神社の旧社地〉](https://shrineheritager.com/ko-shrine-2/) - 幸神社(さいじんじゃ)は 鎮座の年代は不詳ですが 口碑には 大田神社とともに 賀茂に於ける最古の社とも伝わり 古来から ゛神坂山(こうさかやま)゛を祀る社と伝わります〈上賀茂神社の御神体山は神山〉 延喜式内社 山城國 愛宕郡 鴨岡太〈鴨岡本〉神社(かもをかもとの かみのやしろ)の旧社地と云い伝わります - [山森神社(京都市北区上賀茂山本町)〈上賀茂神社 境内末社〉](https://shrineheritager.com/yamamori-shrine/) - 山森神社(やまもりじんじゃ)は 注進略記に「かつては 浮田森在ニ上賀茂乾(北西)六七町(763m程)、賀茂川西也、祭神三座、號ニ山守社、一年、洪水社流」とあり 神社明細帳(明治16年調)に「現在地から約1.1キロ離れた西賀茂山ノ森に鎮座。鎮座地一帯が賀茂別雷神社の社領となり、上賀茂神社の境内に遷座された」とある - [大田神社(京都市北区上賀茂本山)〈上賀茂神社 境外摂社〉](https://shrineheritager.com/ohota-shrine/) - 大田神社(おおたじんじゃ)は 賀茂に於ける最古の社と伝わり 賀茂縣主(かものあがたぬし)の一族が移住する以前から 先住民に長寿福徳の神として祀られていたと云われます 鎮座の年代は不詳ですが 『延喜式』〈延長5年(927)成立〉に 式内社 山城國 愛宕郡 太田神社(おほたの かみのやしろ)と所載される由緒ある古社です - [賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)の境内・境外の摂社・末社について](https://shrineheritager.com/kamomioya-shrine-2/) - 賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)の境内・境外は 境内の糺(ただす)の森は 鴨川と高野川の合流する三角州に山背盆地の植生を残す貴重な森林でその美しさは古くから物語や詩歌にうたわれます 多くの摂社・末社が祀られていますので その詳細について 現地の案内板を中心に見て行きます - [賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)〈山城國一之宮〉](https://shrineheritager.com/kamomioya-shrine/) - 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は 本殿は東西二棟からなり 西本殿には 賀茂別雷神社の〈祖父神〉賀茂建角身命〈古代の京都をひらかれた神〉 東本殿には〈母神〉玉依媛命を祀り 賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉とともに賀茂縣主の氏神を祀り 平安京遷都以降は国家鎮護の神社として 皇室や朝廷からも篤い崇敬を受ける 山城國一之宮です - [出雲井於神社〈比良木大明神〉(京都市左京区下鴨泉川町)〈賀茂御祖神社 境内〉](https://shrineheritager.com/izumoinoheno-shrine/) - 出雲井於神社(いずもいのへのじんじゃ)は 式内社 山城國 愛岩郡 出雲井於神社(いつものゐのうへの かみのやしろ)であり 出雲郷の総社が「井於〈川=鴨川の辺〉」に鎮座する意味があります 又 厄年の御祈願で神社の周りに御献木すると ことごとく柊の葉の様にギザギザになり お願い事が叶うと云い 比良木社(柊社)とも呼ばれます - [五條天神社〈天使の宮〉(京都市下京区松原通西洞院西入天神前)〈洛中の最古社〉](https://shrineheritager.com/gojotenshinsha/) - 五條天神社(ごじょうてんしんしゃ)は 社伝には 延暦13年(794)平安京遷都の折 桓武天皇の命により 大和国宇陀郡から 弘法大使空海が天つ神(あまつかみ)を勧請したのが当社の創建と云う 洛中最古の社で 当初は「天使の宮」「天使社」と称しました 又 源義経〈牛若丸〉と弁慶の出会いの場所 と伝わります - [五條天神社(台東区上野公園)〈第12代 景行天皇の御代に創建 都区内屈指の古社〉](https://shrineheritager.com/gojo-ten-shrine/) - 五條天神社(ごじょうてんじんしゃ)は 今から約1900年前 第十二代景行天皇の皇子 日本武尊が東夷征伐の折 忍ヶ岡(上野の古名)を通られ 薬祖神二柱の大神に御加護を頂いた事を感謝され 両神を奉斎されたのが当社の創祀とされる都内屈指の古社です 古代からは 想像出来ないほどに激変した 世界のTOKYO を見つめ続けています - [愛宕社・稲荷社(京都市左京区下鴨泉川町)〈下鴨神社 境内〉](https://shrineheritager.com/otagi-no-yashiro/) - 愛宕社(おたぎのやしろ)賀茂斎院御所の守護神〉・稲荷社 忌子女庁屋の守護神〉の両社は 文明の乱で焼失以降 相殿として旧地に祀られます 又 末刀神が降臨したと伝わる゛水ごしらへ場゛と云う岩〈下鴨神社本殿の傍〉の祭祀が継承された愛宕社は 延喜式内社 山城國 愛宕郡 末刀神社(まとの かみのやしろ)の論社となっています - [猿田彦神社(京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊前町)〈平安京遷都を託宣せる神〉](https://shrineheritager.com/sarutahiko-shrine/) - 猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)は 桓武天皇が この神の託宣により平安遷都を決意され 延暦12年(793)勅願によって社殿を造営と伝えます かつての広大な境内も 応仁の乱以後 度々火災に遭い悉く焼失 寛政5年(1793)現在地に遷座 延喜式内社 山城國 愛岩郡 出雲髙野神社(いつもの たかのの かみのやしろ)の論社です - [出雲國造(いつものくにのみやつこ)〈天皇家と同じの始祖を持つ神代より続く家柄〉](https://shrineheritager.com/itsumonokuninomiyatauko/) - 出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています - [出雲國造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)について](https://shrineheritager.com/izumokuninomiyatsukokanyogoto/) - 出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています - [下御靈神社(京都市中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町)](https://shrineheritager.com/shimogoryo-shrine/) - 下御靈神社(しもごりょうじんじゃ)は 平安時代 御霊の祟りを恐れ 貞観5年(863)御霊会が修せられたのが 両御霊神社の創祀と云う 元は愛宕郡出雲郷の出雲路にある出雲氏の氏寺・下出雲寺の御霊堂に祀られた鎮守社で 社家は代々出雲路家が司り 延喜式内社 愛岩郡 出雲井於神社(いつものゐのうへの かみのやしろ)ともされます - [三井神社(京都市左京区下鴨泉川町)〈下鴨神社の境内攝社〉](https://shrineheritager.com/mitsui-shrine/) - 三井神社(みついじんじゃ)は 下鴨神社の本殿 すぐ左隣(西側)に鎮座する摂社です 奈良時代~平安時代この辺り一帯は蓼倉郷と呼ばれ 『山城國風土記』賀茂社の条「蓼倉里(たてくらのさと)三身社(みつみのやしろ)」とされます 延喜式内社 山城國 愛宕郡 三井神社(みゐの かみのやしろ)(名神大 月次 新嘗)の論社です - [諏訪社(京都市左京区下鴨松ノ木町)〈下鴨神社 本殿左側 三井神社の境内社〉](https://shrineheritager.com/suwa-sha-2/) - 諏訪社(すわしゃ)は 下鴨神社の本殿左隣に鎮座する境内摂社 三井神社の三つ並んで祀られている本殿の向かって左手〈西側〉に 三つの境内社〈・諏訪社・小杜社・白鬚社〉が 並んで鎮座しています その内 一番奥〈北側〉のしゃが諏訪社です 延喜式内社 山城國 愛岩郡 須波神社(すはの かみのやしろ)の論社となっています - [日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」について](https://shrineheritager.com/ichi-no-miya/) - 日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」は 律令時代に発生した制度・社格で 律令時代の国司の参拝に伴う制度・社格として生じました 全国各地に現在でも「一宮」の地名が沢山あり 呼び方については「いちのみや」は同じでも 標記の仕方は「一宮」・「一之宮」・「一の宮」「一ノ宮」など様々です - [土師尾神社(京都市北区上賀茂本山)〈上賀茂神社 本殿廻廊内庭 一般参拝不可〉](https://shrineheritager.com/hajio-shrine/) - 土師尾神社(はじおじんじゃ)は 上賀茂神社の本殿廻廊の内庭に鎭座する小祠で 延喜式内社 山城國 愛宕郡 賀茂波爾神社(かものはにの かみのやしろ)の論社です 社名の゛土師(はじお)゛とは 上古に陵墓管理 土器や埴輪 (はにわ) の製作をした人を云い 鴨縣主と同祖 鴨建玉依彦命の後裔である「西泥土部」が祖神を祀った社です ## 固定ページ - [Information Japan Shrine heritager](https://shrineheritager.com/) - Shrine-heritager - 実践和學 Cultural Japan heritage Japan Shrine heritager 今 感じている大切なこと かつて日本国中 何処でも里の人々は 郷土を見守る八百万の神々のご神威に感謝し「神々が坐ますお社」に恐れと敬いを祓い 祭の日を決めて祭事をしました 私たちは 先祖が残した神事を消滅した遺産とせずに 生きたままを次世代への継承を実践しましょう - [Profile(プロフィール)〈Japan Shine Heritager​〉](https://shrineheritager.com/profile/) - Japan Shine Heritager​ We have a mission to respect and - [Shrine Heritager 実践和學](https://shrineheritager.com/practical-japanese-studies/) - Shrine Heritager シュラインヘリテージャー『Shrine Heritager』商 - [Dragonfly(蜻蛉 とんぼ)](https://shrineheritager.com/dragonfly/) - 蜻蛉(とんぼ)Insect leading to victory.Dragonflies have a dee - [サイトマップ(site map)](https://shrineheritager.com/site-map/) - [Shrine Heritagerとは](https://shrineheritager.com/shrine-heritager/) - Shine Heritager​ A person who honors the "shrine「神社」" w - [プライバシーポリシー](https://shrineheritager.com/page-15/) - 当サイトについてサイトポリシー ・著作権について本ウェブサイトの著作権は原則として shrine-herita - [Information Japan Shrine](https://shrineheritager.com/) - Information Japan Shrine heritager I have been visiting shrines all over Japan for 30 years, and I have made it into words that I am now feeling that I am a person who practices to pass on godwe to the next generation without respecting the "shrine" where eight million gods sit and make it a legacy. Since the Meiji era, a major industrial transformation has occurred in modern Japan, and many people have been forced to quit their original family businesses (farmers, greengrocers, fish shops, etc.) and the outflow of population to urban areas has accelerated in search of rich living and work places. - [What is Shrine Heritager?](https://shrineheritager.com/shrine-heritager/) - Shine Heritager A person who honors the "shr - [お問い合わせ](https://shrineheritager.com/お問い合わせ/) ## カテゴリー - [出雲國風土記神名帳(izumo no kuni fudoki jinmeicho)](https://shrineheritager.com/category/izumo-no-kuni-fudoki/) - [延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)](https://shrineheritager.com/category/engishikijinmeicho/) - [東京十社巡り](https://shrineheritager.com/category/pilgrimage-of-the-ten-shrines-of-tokyo/) - [全国 一の宮("Ichinomiya" all over Japan)](https://shrineheritager.com/category/ichinomiya-all-over-japan/) - [その他の神社](https://shrineheritager.com/category/other-old-shrines/) - [出雲國風土記神名帳(izumo no kuni fudoki jinmeicho)](https://shrineheritager.com/category/izumo-no-kuni-fudoki/) - 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[北海道](https://shrineheritager.com/tag/hokkaido/) - [青森県](https://shrineheritager.com/tag/aomori-prefecture/) - [岩手県](https://shrineheritager.com/tag/iwate-prefecture/) - [宮城県](https://shrineheritager.com/tag/miyagi-prefecture/) - [秋田県](https://shrineheritager.com/tag/akita-prefecture/) - [山形県](https://shrineheritager.com/tag/yamagata-prefecture/) - [福島県](https://shrineheritager.com/tag/fukushima-prefecture/) - [茨城県](https://shrineheritager.com/tag/ibaraki-prefecture/) - [栃木県](https://shrineheritager.com/tag/tochigi-prefecture/) - [群馬県](https://shrineheritager.com/tag/gunma-prefecture/) - [埼玉県](https://shrineheritager.com/tag/saitama-prefecture/) - [千葉県](https://shrineheritager.com/tag/chiba-prefecture/) - [神奈川県](https://shrineheritager.com/tag/kanagawa-prefecture/) - [新潟県](https://shrineheritager.com/tag/niigata-prefecture/) - [富山県](https://shrineheritager.com/tag/toyama-prefecture/) - [石川県](https://shrineheritager.com/tag/ishikawa-prefecture/) - [福井県](https://shrineheritager.com/tag/fukui-prefecture/) - 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[下り参道](https://shrineheritager.com/tag/descending-approach-road/) - [天香香背男](https://shrineheritager.com/tag/amatsu-mika-boshi/) - この神は「天津甕星(amatsu mika boshi)」とも呼ばれて 日本神話では「唯一の星神」とされている異例な神です(太陽と月は除きます) 『日本書紀(nihon shoki)』出雲の国譲りの段に見える 最後まで天津神に従わなかった神様として゛天香香背男(あめのかがせお)゛と云う有名な神さまがいます この神は 別名を゛星神香香背男(ほしのかみかがせお)゛または゛天津甕星(あまつみかぼし)゛と云い 星の神様〈太陽神でも月神でもない〉です 『日本書紀(nihon shoki)』本文の「葦原中津国平定」の段において 大国主命(okuninushi no mikoto)が 国譲りを承諾された後 出雲国内の平定を推し進める 天津神(大和)に最後まで従わなかったので「星神・悪神」と記されます - [坂上田村麻呂](https://shrineheritager.com/tag/sakanouenotamuramaro/) - [別表神社](https://shrineheritager.com/tag/shrines-in-the-appendix/) - [出雲國意宇六社めぐり](https://shrineheritager.com/tag/tour-of-oh-6-shrines/) - [豊臣秀吉公](https://shrineheritager.com/tag/hideyoshi-toyotomi/) - [天孫降臨伝説(日向三代)の地](https://shrineheritager.com/tag/tenson/) - [官幣中社](https://shrineheritager.com/tag/kanpeichusha/) - [国幣小社](https://shrineheritager.com/tag/kokuheishusha/) - [仲哀天皇](https://shrineheritager.com/tag/chuai-tenno/) - [饒速日命](https://shrineheritager.com/tag/nigihayahi-no-mikoto/) - 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